人生の星時間
サンデー毎日
2008年10月19日号
茂木健一郎
歴史エッセイ
『文明の星時間』
第34回 人生の星時間
一部抜粋
十年前に出版されたエッセイ(『生きて死ぬ私』)の中で、私は次のようなことを書いた。
「人生は、いつ地面に着くかわからない滑り台を滑っていくようなものではないだろうか? 地面につけば、衝撃とともに、人生の終り=「死」が待っている。滑っている間、じっとしていても詰まらないので、私たちはいろいろなポーズを取ってみる。滑り台の終りがどこにあるか知っているもの(=神?)にとっては、そのことも知らずに懸命にポーズをとっている私たちは、滑稽な存在に見えるだろう。」
時間の流れは、決して止めることができない。どんなに願っても、私たちは人生の時をもう一度経験することはできない。歴史という事象の不可解さを前にして私たちが漏らすため息は、「時間」というものの不思議さそのものに由来するのだ。
全文は「サンデー毎日」でお読みください。
10月 8, 2008 at 06:47 午前 | Permalink
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コメント
茂木先生。はじめまして、私の家族には遺伝的自閉症があります。私は非言語学習障害合併のアスペルガー症候群があります。本当に人生は自分の思いには関係なく…滑り流れてゆきます。私の人生は波乱と衝撃的で…自分でも知らない間に時間がたっていました。どんなに苦しくても時間が止まればいいなんてそんな恐ろしいことを思ったことはありません。先生に一つ質問があります。非言語学習障害についての支援の仕方や医学的な部分はまだ…あまり本など見たことがありませんが…どうなのでしょうか?
投稿: 鈴蘭 | 2008/10/11 0:33:56
先ずは「脳を活かす仕事術」、「脳を活かす勉強法」、「生きて死ぬわたし」の増刷おめでとうございます。
人生を滑り台に喩えられ地面につけば衝撃とともに人生も終わり、死が待っているとはとても斬新だなと思いました。
時間の流れは決して止める事ができない。歴史という事象の不可解さを前にして私達が漏らすため息は「時間」というものの不思議そのものに由来するのだ…いつの日か時間を操る事が出来るそんな時代は来るのでしょうか。人間は有限の中を生き、自然は永劫の時間のなかで絶えず変化しとどまることを知らないというならば、歴史も自然の一部なのでしょうか。
無限の時間の中で私の生きている時間など点にも値しないかもしれないけれどでも、私の生きている時間もまた歴史の一部なんですかね。ああ考えれば考えるほど不思議です。(゜O。)
先程の答えと、文明の星時間がとても気になります。
雑誌を手にした時、自分のコメントを思い出し恥ずかしくならないか心配ではありますが…
それではお休みなさいませ。(*´ω`*)
投稿: WAHINE | 2008/10/09 0:28:11
茂木さん、こんばんは。「人生の星時間」を読ませていただきました。「ファウスト」のストーリー、読んでみたくなりました。「時間」の流れを止めることは出来ませんが、今の私は結構、自然にその流れを楽しんでいます。「どれほど苦しく、不条理なものであったとしても
生きる時間の流れは最後には肯定される。」そうなのかもしれませんね
。だれでも「人生の星時間」を迎えることが出来る・・・素敵なひとことですね!そういえば、ノーベル賞を取られた益田さんがおっしゃっていましたが、「人生の出会いには偶然と必然とがあって、偶然から必然へと変わる・・・人には一度だけある。」とおっしゃった後に、
「あ、二度あることもあるのか」とおっしゃっていました。ユニークな方なのですね!(笑)ノーベル賞が一人増えて四人!凄いですね!やはり茂木さんも目指されますか?!どれほどの時間が経つのでしょうね?
私、応援しています。
投稿: 茂木さんの崇拝者より | 2008/10/08 22:18:08