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2008/10/22

何かのすべて

仕事の後の懇談の席に、
東京芸大の油絵を出て、今は
働いている植田工(P植田)
が来た。

それぞれの人が散らばって行き、
ひょんなことから、植田と
二人だけで電車に乗ることに
なった。

「ゆうなちゃんは、元気か?」

「ええ、学校で教えたり、絵画教室を
二つやったりしながら、作品をつくって
いますよ。」

「植田も、がんばっているのか?」

「ええ、入社3年目になったんで、いろいろ
仕事も増えてきて。一方では、自分の作品
もがんばって作って行こうと思います。」

「難しいよね。今の状況の中で、どうやって
飛び出すかということは。」

「そうですねえ。茂木さんが、この前の横浜美術館
で選んでいた作家いるじゃないですか。」

「フランシス・ベーコンか」

「ええ。ベーコンの絵を見ていても、それほど
緻密なマチエールがあるというわけではなくて、
むしろ粗いですよね。」

「キャンバスの上に筆を置くということは、
本当はフィギュア・スケートの選手が
氷上を滑るような、そんな
行為だと思うんだ。一つひとつが取り返しが
きかない。」

「ぼくがそこで疑問に思うのは、果たして、
画家は筆をふるう時に緊張するものだろうか
ということなのです。」

「やっぱり、最後は、強度じゃないかな。
強度をもたらすものは何なのか? 今の
植田にとっては、継続ということでしか
ないかもしれないよ。ヘンリー・ダーガー
だって、もしああいう作品が一つか二つしか
なかったら、強度は成立していなかったろうし。」

「続けるしかないですよね。」

そんな話をしながら、
ぼくは、自分自身の「クオリア」のことを
思っていた。

植田は自分が降りる駅を何駅も過ぎて、
ずっとずっとついてきた。

電車が止まり、人が降り、また乗ってきたが、
ぼくたちはその色の奔流の中で、
立ったまま、いつまでも芸術の話をしていた。

ぼく自身、芸術を愛しつつ、
自分の魂との角度の関係において、
それにどのように面したらよいのか、
探っている日々の中にある。

少なくとも、確かなこと。

商業主義はもちろん、すでに
制度化されてしまったもろもろの中では、
届かない何かがある。

夜の東京をいく電車の中で立ち尽くした
ぼくたちのように、途方に暮れることでしか
触れることのできない雲の
ようなもの。

その銀色の縁取りをかいま見るしか、
今は時間の過ごし方を知らない。

時は経つ。

大きなターミナル駅で、
植田工はついに降りた。

もう行っただろうとふと見ると、
ホームの人垣の顔、肩、背中の
隙間に、まるで山脈から
顔を出す太陽のように、
植田がこちらを見ている。

こちらも人と人の間から手をふると、
植田は安心したように笑顔をはじけさせた。

電車に乗るということは、人いきれに
包まれるということ。

駅を降り、改札を出ると、ほっと
する暗闇に包まれる。

喧噪が消え、
夜風に吹かれて歩いているころ、
ポケットの携帯が震えた。

植田工からのメール。

今日は本当にありがとうございました
あの電車のちょっとの時間が僕には何かのすべてに思えます。
どうかこれからもよろしくお願いします。
愚P植田

あいつもまた、いろいろと探っているんだなあ
と思いながら、コンビニの明かりを心の
中で次第に大きくして。

10月 22, 2008 at 07:33 午前 |

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昨日のNHK「プロフェッショナル仕事の流儀」、 {100回記念}プロに学べ! 脳活用法スペッシャルを見て、 情報を整理することの大切さを再認識させられた。 [続きを読む]

受信: 2008/10/22 11:36:36

コメント

茂木先生 こんにちは♪
植田さんとの電車の中での優しい会話。なんだか切なくて、まるで童話の中のお話しの一節を読んでいるみたいです。「銀河鉄道の夜」のあの列車に乗っているみたいで、二人の間だけ優しい灯がともって、まわりの喧騒は消えているんですね。何駅も降りられずに先生とお話しされていた植田さん。まだまだ語り尽くせない、いろんな想いがあったのでしょう。降りてからもお互いがお互いを見つけて…なんとも二人の間に声にならない声(想い)が通っていたと思います。ほんと切なくて少し泣けちゃいました。先生のお人柄で優しいクオリアがたくさん重なって、喧騒の電車の中たしかに静かな空間は存在していたんです♪

投稿: | 2008/10/25 22:02:00

植田さんという方のように、電車を降りずにいたり、人垣から笑顔で送ったり、
さらにはあのように短いメールですべてを言い表すことができるのは、
本当にすばらしいと、思いました。
茂木先生と、生き物として似ていらっしゃる、いきいきとした方なのだなあと思いました。
茂木先生の周りには、そういう方々が多く集まるのでしょう。

私も、植田さんのような3行が書けたら、どんなにか良いのですが、
思うところが散乱するばかりの日常。
加えて、自分の降りる駅できちんと降りるタイプの人間のような気がします。

散乱しているものの幾つか。

Kimのお父さんの愛は、自分自身を愛するような、無償の愛なのだろうか?
自分で自分を愛するとはどういうことだろう?
美味しいものを食べて自分が喜ぶのは、その味覚刺激を愛しているのであって
自分自身をではないと思う。
人は、目線・笑顔・声の抑揚などの、報酬があるから人と会話する。
そうだとしたら、報酬をきちんと出せない人は、
関係性欲求を求めることができない。
なぜkimは、あのように素直に人と関われるのだろう?
自分の生きる意味と、無償の愛のあるなし。
現実的報酬と仮想的報酬。
たくさんの人を包み込む音楽、とりわけ、作品と表現者が一体となり、
リアルタイムで大観衆の目の前にいてパフォーマンスするような、
近年のポピュラーミュージックというものは、
茂木先生のおっしゃる、まさに「バブル」だと思うのですが、
それを信じることの、はかなさ。
信じさせている人への、無償の愛はどうすれば。

クオリアについて考えることは、そのどれにも繋がっていくような、
答えをくれるはずなんです、科学という”確かな”言葉で。
(そのように思わせた張本人ですよ茂木先生は)。

長いコメントになり、まことにすみません。
日にちが過ぎてしまいましたが、Birthdayおめでとうございます。

投稿: MiznoYuli(u-cat) | 2008/10/24 4:51:12

毎朝アップされる日記を愉しみにしているひとりですが、今朝も出かける前に拝読して、なんとも素敵なお話に琴線が触れました。

そして、日がな一日 その言葉に尽くせない「何か」に引かれるように過ごしていました。
それは、経験を通し自身の中で創り出し、見出していけるものだからこそ、誰にも盗られることなく、その人の努力でより輝き、自分を支えてくれるものでもあるような気がしました。

何駅も見送った植田さんの気持ちが手に取れるようです。
こんなにも素敵な語り合いができる関係は素晴らしいですね。

美味しいおすそ分けを頂いた気分です。
ありがとうございました。

投稿: | 2008/10/22 22:43:37

ペンを握る時、または絵筆を握って、紙やキャンバスの上に線を滑らすとき、一度引いた線の軌跡は取り換えのきかない痕跡となって残る。

幾重にも、其の痕跡を重ねながら、画家は1つの作品を自分の思い…魂魄の、一つの発露した証拠として、紙の上、またキャンバスの上に具現させる。

魂魄の具現を続けていくことで、其の藝術家は藝術家としての成長を成し遂げていく。

自分も藝術を愛し、物を作り出すことへの歓びを感じているのなら、その具現の継続、つまり作品を作りつづけていくしかあるまい。

しかし、私自身も、日々の忙しさに流され、ペンを握って画を描こうと思いつつ、出来ないというジレンマに取りつかれている。

このジレンマを何時かは、断たなくてはなるまい…!

投稿: 銀鏡反応 | 2008/10/22 22:14:43

茂木健一郎さま

ところで、という、こういう場合 どちらが優先でしょうか

今晩のNHKお天気解説 半井小絵さん昨日とは違う雰囲気 お化粧をされていない素顔のような雰囲気 

そして購入しました!『 脳とクオリア 』 書き方の優先順位としては、と 

さてさて、さて、さて

『 脳とクオリア 』  

はじめに その部分 

「 人間には本当は自由意志はないと思っている 」

茂木健一郎さま  はじめ その五行目で拝読が停止するような文言

逆に申すと 
「 人間には本当は自由意志はないと思っている 」それを意識しながら読み進めると良いのでしょうか と 思いつつ 本を閉じました。

はじめ その五行で停止 「 人間には本当は自由意志はないと思っている 」  参ったな、です。

投稿: | 2008/10/22 21:29:48

植田さんにとって茂木さんは、ライトパーソンなんだと伝わってきました。とても羨ましいやら悔しいやら複雑な思いです。茂木さん、これからも応援してます。

投稿: | 2008/10/22 21:05:28

このブログとは直接関係はないのですが、さきほど、「脳を活かす仕事術 「わかる」を「できる」に変える」を読んで涙が流れてきて、感謝の気持ちを伝えたくて登録しました。ヤフーで見かけて何気なく立ち読みしました。読んでいると今日の私のようでした。わかっちゃいるけど、できない自分。そして、生命の輝きを放つと読んで、涙がつーっと流れてきました。私はそのためにがんばって生きているんだなぁと思えました。ありがとうございます(うるうる)。買って最後まで読みます。私はブレインダンヨガのインストラクターをしています。茂木さんのおっしゃられていることと、とても通じることがあります。もしよければ、私の作ったホームページを見ていていただけたらと思います。これからも茂木さんのご活躍を願っています。それではこの辺で失礼します。

投稿: さかいすみこ | 2008/10/22 21:05:22

私は、美術の志を忘れないように何とか生き続けている者なので
そういう方面の話は敏感になります。
だから 逆に鈍感になります。
そうやって 作品を作ります。

投稿: | 2008/10/22 17:54:35

こんにちわ

人反応選択性ニューロンは、北島三郎、山本譲二、和田アキコなど等、個人を認識するために必要なニューロンで、人工ニューロン回路のロジック的な、中間層に当たるものですが、そこで、ミラーニューロンと人反応選択性ニューロンのつながる、ニューロン回路を考えたら面白いのではないでしょうか?

たとえば、喜びのミラーニューロン回路と、つながっている、人反応選択性ニューロンや、複数の人と話す時の、ミラーニューロンの働きと、人反応選択性ニューロンの関係とか。


「アメリカ大統領選挙の候補者の演説と、人反応選択性ニューロンと、ミラーニューロン」、なんて、考えたら、面白のではないでしょうか?(^^)

投稿: | 2008/10/22 16:40:34

 幸福な錯覚をくれる、とても柔らかな文章でした。

 これからもご指導ご鞭撻の程、よろしくお願い申し上げます。

投稿: もりのひと | 2008/10/22 14:18:17

茂木さん、こんにちは~~

こちらの、茂木さんと植田さんの
会話を読ませていただき、
なんと表現してよいのか・・・
みずみずしい・・・と思ってしまいました。
真摯に生きていらっしゃるんだなあという

心が若ければ
一生青春!!みたいな。
茂木さんも植田さんも
それぞれの立場で、
年相応の御苦労されて
いらっしゃると思うのですが
それでもみずみずしさを感じさせる
お言葉には、
私もまた勇気を頂きました。
よっしゃー!!
私も永遠のベンチャーであろうと!!

火星探査機のフェニックスが、
火星の空から雪が降るのを観測したそうですよ。
ふおおお~~
人類が夢を持ち続けあきらめなかったから、
火星の雪を見ることができたのですね。

きっと、茂木さんと植田さんにも
火星の雪のような
サプライズというかファンタジーというか
いつか訪れるのだと私は信じています!

火星の雪かあ・・・
赤い空から降る白い雪は
どんな感じなのでしょう。
想像するだけでワクワクしますね!

投稿: | 2008/10/22 13:47:55

記事の主題は、後半の問題意識と情緒にあるのですが、前半部の
「ぼくがそこで疑問に思うのは、果たして、
画家は筆をふるう時に緊張するものだろうか
ということなのです。」
という部分にも 強く惹きつけられました。

平野啓一郎氏の小説に ショパンとドラクロワをモチーフにした大作がありますが、ドラクロワのような感性・人間性の芸術家にとって 筆をふるう時の緊張は 如何様であったのかと夢想しました。
もちろん、あのドラクロワの人物像には、歴史的な資料に平野氏の虚構が加わったものではあるにしても。

やりなおしができない初体験の営みを行う際に、緊張を強く感じる感性の人もあれば、むしろ 心地良い興奮を感じる人、不安が前面に出る人・・・・いろいろではないかと思われます。

”駅を降り、改札を出ると、ほっと
する暗闇に包まれる。

あいつもまた、いろいろと探っているんだなあ
と思いながら、コンビニの明かりを心の
中で次第に大きくして。”

この情緒は、素敵でした。

投稿: | 2008/10/22 12:56:03

なにかを 探す 考えることは 続ける。絶え間なく押し寄せては 海に帰ってくるいく波のように。時には大きなうねりとなり、また静かに揺らめくときもあり。その波をとらえるためには そこに 居るしかない。海をみながら 先生のブログをみて 思いました。

投稿: | 2008/10/22 9:11:40

茂木さん、おはようございます。
きのうの茂木さんの物語。読んでいるうちにすっと茂木さんの世界に入り、あたしの物語に重ねていた。
植田さんの、
降りる駅をいくつ過ぎても茂木さんについていき、話をされていたこと。
「あの電車のちょっとの時間が僕には何かのすべてに思えます。」のメール。
情熱と冷静、
現実と希望を思いました。それがあるから生きていけるのか、それがあるから生きてなきゃならないのか、わからなくなる感じ。目眩くようなあの感覚を、朝のぼんやりとした頭ではっきりと感じました。

投稿: | 2008/10/22 8:17:05

いろんな事探っていた頃の自分を思い出しました。
降りる駅で降りず、ずっとずっとついてきた植田さんの
気持ちがよくわかりキュんとしました。
続けることができなかった私は後悔していないけど、
続けることが大切だと思います。

投稿: ウラッコジュース | 2008/10/22 8:00:41

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