アルキメデスの支点
ヨミウリ・ウィークリー
2008年10月5日号
(2008年9月22日発売)
茂木健一郎 脳から始まる 第121回
アルキメデスの支点
抜粋
高校の時の世界史の先生は、あまり教科書を使わずに、御自身が編集された資料で解説していた。微に入り細に入り、まるで大河ドラマのように時代の流れを活き活きと映し出す、その語り口にとても人気があった。
春に古代ギリシャやローマから始めて、秋が深まる頃には近代に至る。好きなテーマになると、授業にも力が入った。アメリカの南北戦争についての授業をしている時には、小説『風とともに去りぬ』の話をうれしそうにされていた。南軍が破れたことはある意味では歴史的な必然であったとはいえ、それとともにそれまでの文化が「風とともに」去っていってしまったことに対する愛惜の念を語った時の先生の表情が忘れられない。もう三十年近く前のことなのに今でも鮮明に覚えているのは、あたかも「歴史の魂」に触れたような思いがしたからであろう。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。
9月 21, 2008 at 06:54 午前 | Permalink
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コメント
アハ体験!
ふと一人暮らしの部屋を見ると、そこに…
茶…
レンジ…
ジャー…
機動戦隊ー
チャレンジャー!
投稿: ペカちゃん | 2008/09/21 11:18:11
私の高校三年のときの、日本史の先生が、
まさにそんな感じでした。
先生ご自身のライフワークは、
「幕末の博徒(清水次郎長など)が、
明治以降は民権運動におおいに関わっていったことの
足跡をたどる」だったようにおもいます。
一回一回の授業が、とにかくビビッドでした。
授業それ自体に、生き物のような「うごめき感」が
ありますよね、たのしい授業って。
横道に脱線するのにしても、
「ここらへんで笑い・息抜きもまじえとかないと」
なんていう、姑息な「こび売り」じゃなくて、
それるべくしてそれてる感じですよね、横道へ。
「そうそう、これも言っておきたいことだった」
というふうに、伝えたさがその時間を
つき動かしていくように。
この先生が、まさに、そうでした。
私は、大学入試のさいに日本史は選択しなかったのですが、
にも関わらず、この先生の授業を、
いちばん熱中して楽しんでいました。
試験の対象科目じゃなかったことが、
逆に幸いして、純粋に内容に聞き入る、というモードに
させてくれていたのかもしれません。
いまでも、私の人生の記憶のなかの
たいせつなひとコマです。
投稿: おくだ健太郎 | 2008/09/21 9:27:23