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2008/09/07

無精髭が伸びた分

 生まれた時にはまるはだかなのに、
 人生というものは過ごしている
うちにさまざまな文脈がしみついて
次第に精緻化していくものだ。

 神津島の砂浜で、じっと海を
見ながら、どれくらい広大な無意識に
向き合えるかが勝負だと思った。

 気配の良い島だった。民宿を含む
街並みのなんのへんてつもない通りを
行くだけでも、ひだにしみ入るような
幸福感が漂ってくる。

 神社に行くと、祈りのかたちなのだろうか、
石が静かに置かれていた。
 それは光をあつめる装置のようでもあり、
静寂を測る計測器のようでもあった。

 ぼくは、ああいうところは、
とてつもなく好きだなあ。

 天上山に登ると、ミストに包まれて、
その中でたましいが本当にのびのびと
するように感じた。

 下山して、霧が晴れて太陽が
戻ってきたとき、もらしたため息は
何に由来するのだろう。
 
 関根崇泰と、高速船の中で
身体における時空間表象の話をした。

 石川哲朗と、砂浜にいっぱい図を書きながら、
ひらめきの瞬間に脳の中で起こっている
プロセスのモデル化の話をした。

 野澤真一がクラゲに刺された。あちちちち。
箆伊智充もやられた。付き合いのいいやつだ。

 無精髭が伸びた分だけ、世間のしがらみ
というやつから離れて、自分の芯を見つめる
ことができた。

 普段投げ込まれている狂気の性質も、
少しは見きわめられた。

 心に決めたことはいくつかあるが、
きっと日常の中で純粋さは失われて
いくのであろう。
 
 帰りの船からトビウオが見えた。

 伊豆半島の上にかかる夕方の太陽が、
本当にうつくしいと思った。

 あまりにもきれいなので、
カメラのような人工的装置を介在させる
気力を失った。

 奇蹟なんて、至るところにあふれている。
ただ、それに気付くためには、ちょっとした
魂の技術と、文脈から解きほぐされる勇気が
いる。

9月 7, 2008 at 07:59 午前 |

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コメント

茂木さん、こんにちは~~
昨日できなかったコメントの続きを書きに来ましたよ。
最近、やたらめったら眠くて眠くて、
先週のプロフェッショナルも、うとうとしながら見ていたので
感動が味わえませんでした・・・(泣)

無意識について。
夢 について考えることが解りやすい入口になるかもしれませんが、
因果の法則にのっとり、
自らの心や行いを深く深く、潜水艦に乗るがごとく
見つめてゆくのも、
無意識を知る手がかりになるかと思います。

生きているうちに、
集合無意識をすべて探るのは
出来かねると思いますが
少なくとも、自分を支配している個人的な無意識の領域を
大ざっぱにでも把握することは
可能なのではないか、と考えています。

よくインナーチャイルドとかトラウマとか言いますが、
要するに
過去体験した痛みが無意識に残っているわけですよね。

それを、自分で把握し、
健全な自己像に組み立て変えれば。
私は、それらの一連の”癒し”の過程を、
暗示をかける、または自己暗示をかけることだと
習いました。

ここで肝心なのは、
一番健全で理想とする自己の姿をどれだけ把握できるか、
それを思い描く力を強く持てるか。
それと
原因を深く探っていく勇気。

何故こんなことをするのかと言われれば、
本当の幸福になるためです、と。
宮沢賢治の銀河鉄道の夜にも
本当の幸福について
書いてありますが、
大金持ちになり、家庭円満で大往生する、
それだけが幸福だとは私は思わないので。
幸福って他人が決めるんじゃなくて、
自分の心の中にあるんだと思います。

そうでなければ、
この世は不条理すぎて、
生きる意味などとうてい見出せません。
どんな環境の中にも
生きる意味と希望を見つけ出して
歩んでいくことが
幸福への第一歩だと感じます。

そして
私は、本当の幸福を目指している途中ですけど、
その過程が大切だなあって
いつも実感しています。

 

「心に決めたことはいくつかあるが、
きっと日常の中で純粋さは失われて
いくのであろう。」

純粋さというのは、
邪念や私利私欲の正反対にあり、
しがらみのなかで生きる私たち人間には
理想の姿かもしれませんよね。

ただ一方で、
純粋に生きることは世の中の人には
誤解を与えることも多く。
純粋さは時と場合によって
頑固となり、完璧主義となり、思いこみとなり、不器用さとなり。

純粋を美しいものとして
あこがれる気持ちはそのままに。

理想を追求していく過程で失われる純粋さに
こだわる必要もないかと思います。

きっと、
誰にも見えない心の底はとても純粋だと思いますから。


投稿: ももすけ | 2008/09/08 14:51:13

>カメラのような人工的装置を介在させる気力を失った。

良くわかります。私も同じ気持ちになることが何度もあるんです。
なぜ、今コレを撮らねばならないのかという想いに駆られるんですね。
特に、歴史的なものを撮っているときに多いです。
その時は、また出かけることにしています。

自然や何かに圧倒された時、感想や思いを語ることも忘れてしまう。
最近では、小林秀雄さんの講演CDを聞いてそれが起こりました。
題は『信ずることと考えること』でした。
聞き手はあの当時25〜30歳前の学生や新米教師だったと思いますが、
25歳のときの自分と比べると随分私は幼かったなと思います。
圧倒され、人工的なものを介在させたくないと思い、そしてまた
消えゆく声をそのままにしたいと思う一方で、私はあの当時テープに録音
された小林さんの声で泣く。

不思議な想いになります。

投稿: | 2008/09/08 0:46:45

思えば自分はどれくらい自分の意志で生きているのだろう。
と、出だしの先生の文を見て思いなおしました。

思いがけず起こる自然世界への畏敬の念は、自分の在りようを、
世界と私のつながりを再認識するかのような、
私がふわっと広がるかのような、懐かしさにも似た・・・
なんでしょう。とにかく心地いいですね。

投稿: | 2008/09/08 0:22:33

神津島での一時、茂木さんと関根さん、研究室の皆さんにとって、とてもステキな時だったのでしょうね
産まれた時にはなく、成長するごとに どんどん くっついていく意識。

気持ちに沿った身体の動きへ。気持ちが大切なんだよ。気持ちが。


自分と向き合うこと。。
も大事。

日本科学未来館に行く事が出来ました私としては、もう少し時間をかけて見たかったなぁ
やっぱり、私こうゆうの好きです☆ワクワクします!
好きなものは、好き!誰から何と言われようが。

今度また行きたいなぁ

投稿: | 2008/09/07 23:09:42

こんばんは。

文脈の中に身を置いたり、文脈を求めたりすることも、生活している以上は必然的だと思いますが、一方でそこへの固執が何かを見失わせていると思うと少し怖いです・・・。
魂の技術と、文脈から解きほぐされる勇気・・・難しいがゆえに考えさせられます。

目の前に広がる何かをじっと眺める、暗闇の銀河を想う、静寂に耳を澄ます、例えばそんなことを通して、その向こう側にある何かと向き合うことが、たましいを探ることにつながっていくのでしょうか。全てのしがらみを取っ払うと仮定して、あるいはあらゆる現象や因果関係をあえて無視して、自分の中のたましいの鉱脈を掘り当てようと試みるとき、おそらく言語化できないような新たなアプローチが生まれてくるような気がします。

>伊豆半島の上にかかる夕方の太陽が、
本当にうつくしいと思った。

(私は日本海側の住人なので夕刻に海辺にいれば太陽は水平線に沈むのですが)水平線に沈みゆく夕日とともにまるで一秒ごとに色を落としていく水面は、夏の終わりには特に胸をしめつけられるような切なさを感じます。
“終わらない夏”の終わり?(笑)を感じる季節です。。。

P.S.
今日(9月7日)読売新聞日曜版に茂木先生発見!
「不屈のひみつ」 不屈のグラフ ’85のゾーンが絶壁みたいになってますね・・・スミマセン(笑)。
あっ、それと、ソニー・エクスプローラサイエンスの写真。髪の毛の逆立ったアインシュタインのネクタイをかけている茂木先生、キマッテマス! 

投稿: | 2008/09/07 22:08:11

茂木さんも神社仏閣はお好きなんです?私も大好きです。現代の日本人が失いつつある何かを「畏れ敬う心」を垣間見る場であり、また参拝者が居なくても、その場に湧き出る神秘性は、いつも私を惹き付けます。茂木さんの「たまらなく好き」なお気持ち、共感します。そう、奇跡はここかしこにあるんですよね。魂の技術と文脈を読みとく勇気が、最近の私には欠けていたのかもしれません。茂木さんの本など様々な良書に触れ、世界をみる目を養おうと思います。驚くことは才能でもあると思います。奇跡に気づき驚く。これが私のテーマです。…なんだか疲れている今日この頃。神社にでも行ってみようかな☆茂木さんの心にいつもオアシスがありますように(^-^)

投稿: | 2008/09/07 21:09:55

茂木さん、おはようございます。「神津島」で素敵な時間が流れていたようですね。幸福感を感じられたり、リフレッシュが出来てよかったですね!考えてみれば、私たちは「無意識」に過ごす事の方が多いわけでいかに意識するか、出来るかは本当に大事なことだと思いました。ふと
、私は大丈夫かしら?と心配に・・・自分を取り巻く人たちの気持ちがわからないようでは、駄目だと思うので。人の気持ちがわかるということが、実は一番すごいことなのではないのかな?って思います。ところで研究室の皆さんのお話は、何だか絵コンテでストーリーを追っているみたいな感じがいたしました。クラゲに刺された方までいらっしゃってお気の毒でしたね!私は一度も刺されたことがありませんが、クラゲは身体に良い食べ物(腎臓に効果あり)なので時々、食しています(笑)
最後に「純粋さ」・・・私はこの言葉の本当の意味を長い間、誤解していました。例えば、たったひとりの人を愛する=純粋な人と言い、恋多き人のことも純粋だからそうなる・・・どうして???と思っていたのです。(笑)私に説明をしてくださった方がいて、わかったしだいです
。でも、人はどうして「純粋」でありたいと思うのでしょうね?!
今日はイベントがあるようですがどうぞ佳き一日をお過ごしください。

投稿: | 2008/09/07 11:58:33

こんにちは。

…思わずカメラで撮るのを忘れるくらい、このうえなく美しい夕日だったとは…。

まさに“奇跡との出会い”ですね…!

普段見る、ビルの谷間に沈んで行く夕日も、それなりに、あっ!綺麗だな…と思う時があるけれど、浜辺のむこうの水平線に沈んでいく落日の美しさを少なくとも、もう二十年もみていない気がした。

子供の頃、家族で千葉・御宿の海水浴場へ親によく連れていってもらったものだった。子供心に海は好奇心のつまったワンダーランドに思えた。

海岸で砂遊びをしている最中に、死んだ鳥が浜辺に流れついているのも見た。ソラマメの形をした、波に洗われたせいか、円い穴が開いた石も拾って、家に持ちかえったことも覚えている。

けれど、あの時に太平洋の水平線に沈んで消えていく夕日を見たかどうかは、なぜか記憶にはないのです。ひょっとしたら、砂遊びに夢中なあまり、夕日を見なかったのかもしれない。(なんと単純な理由…)

夕日もそうだけど、海と島の自然に今、凄く引かれる。前日のコメントにも書いたが、南海の孤島が舞台の小説を2作も読んだ所為か、その神秘なイメージが頭の中で極彩色の映像として浮かんでいます。

それはさておき、茂木さんにとって、今回の神津島での日々は、大いなる鋭気を与えてくれたのに違いないと思います。

それでは、この辺で失礼します。きょう一日が茂木さんにとって、素晴らしい日でありますように。


投稿: 銀鏡反応 | 2008/09/07 10:59:51

こんにちわ

> 奇蹟なんて、至るところにあふれている。
ただ、それに気付くためには、ちょっとした
魂の技術と、文脈から解きほぐされる勇気が
いる。


ニュートンがリンゴが落ちる法則を発見した事、私たちが気づいていない意識の当たり前の事に、何か法則のようなものがあるのかもしれませんね。(^^)

投稿: | 2008/09/07 10:35:23

この記事を読んで、
私にもあった
「本当にうつくしい」と感じた風景を
想いだしました。

忙しくて心を亡くしかけていた私には
この記事に目を留めて、読んだことが奇蹟です。

自分の状況、状態によっては
こんなに感動することはなかったと思うのですが
心が軽くなったので
嬉しくてコメントさせていただきました。
ありがとうございます。

投稿: | 2008/09/07 10:12:50

はい。
昔、人々は自分の外にある広大な無意識の世界にふれるため
座禅をくんだのだと思います

神無島は先生に自分の外の世界への入口を感じさせてくれたのでしょうか

京都は町のなかに
その空間がわずかですが残ってます

なので住みますと動けなくなりました
(^_^)

和楽という雑誌に先生の特集があると
載っており今気になってます

先生の見られる京都はどんな場なのかしら

投稿: | 2008/09/07 9:02:20

>普段投げ込まれている狂気の性質も、
少しは見きわめられた。
 心に決めたことはいくつかあるが、
きっと日常の中で純粋さは失われて
いくのであろう。


見きわめて、いつ行動を起こすんだい?

どれだけお金を集めても、そんな半端な額じゃあ全然足りないだろう。

ウィトゲンシュタインが天国で嘆いてるぜ。

いらねえものは、心底いりませんと言って、そろそろ切っちまおうぜ。俺もお前も。

人の良さは、結局創造とは相容れない。

本当に突破したいなら、切って絞って全てをぶつけるしかないよ、やっぱり。

今のお前の周りに、アインシュタインやウィトゲンシュタインやニーチェと互角に渡り合える知性と心意気を持ったヤツは、何人いる?

そうでない奴らを、そろそろ捨てる時じゃないのか?

全部を背負うっていうのは、どんなに立派な奴がやったって、結局は偽善と妥協に堕ちる道だろう。


以上は私が私自身に言っている事なんです。茂木さん。すまない。そしてありがとう。

投稿: | 2008/09/07 8:40:12

茂木さん、おはようございます~

神津島での合宿は、本当に素晴らしいものだったんですね!!
茂木さんの日記を拝読させていただきながら、
私も少しだけ、
茂木さんの幸福感をおすそ分けしていただいた気分になりました~~~
ありがとうございます

無意識へのチャレンジ、、、
またあとでコメントしにきます~

投稿: ももすけ | 2008/09/07 8:28:33

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