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2008/09/27

素敵なたくらみ

人類の文明を発達させたのは
「鏡」ではないかと思う。

自らのなすこと、生み出すこと。
それらの姿を「客観的」に見ることに
よって、修正する。分かち合う。
高めていく。

光学的鏡がすべてではない。

自らの言動を鏡に映してみない人は、
暗闇で化粧を塗りたくって
街を歩く人とと同じである。

自分の言葉、行動を目に見えぬ「心の鏡」
に映してみるかどうか。
その繰り返しで、長い年月が経つと
たいへんな差異が生じてしまう。

他人に違和を与えるのはもちろん、
なによりも自分が損をする。

経済産業省で、「今年の日本ロボット」大賞
の審査会。

委員長の三浦宏文先生にひさしぶりに
お目にかかり、挨拶する。

経産省前で、エンジン01の寺本千寿子さんに
ゲラをお渡しする。

浅草、花川戸の東京都立産業貿易センターで、
Mitsubishi Chemical Junior Designer Awardの審査会。

委員長の水野誠一さんを始め、多くの方々に
再会した。

次の移動まで少し時間があり、
浅草寺の境内を抜けて、田原町の
方に歩く。

大学から近かったので、浅草は本当に
よく歩いた。
「おしらさま」こと、塩谷賢とも
ぱあぱあといろんなことを喋りながら
いつまでもどこまでも歩いた。

あそこの喫茶店はあいつと入ったところだとか、
この舟和の店で芋ようかんをよく買ったとか、
そんなことを思い出した。

急いで終わらせなければ仕事があり、
それがちょうど所要時間30分くらいだったので、
「マウンテン」に入る。


浅草雷門通り。純喫茶マウンテン

せっかく「マウンテン」に入ったのだからと、
ブルーマウンテンを頼む。

店を出て、歩き始め、交差点待ちをしている
時にふと、「あの頃塩谷と議論していたことには、
本当に市場性がなかったなあ」
と思った。

どうにもこうにも、この世の中で、「商品」と
して売りようがない思想。
しかし、オレたちは真剣だった。純粋だった、
熱かった。

六本木で、桑原茂一さんに会う。
アスキーの対談のお仕事。

まじめに桑原さんと対談をするのは、
そういえば、初めてだっけ。

桑原さんのブログ、
「桑原茂一 Diary」
からは、茂一さんの肉声が聞こえてくる。

「鏡に映して最低限の身だしなみを整える!」
ことさえしない軽い言葉が電子ノイズ
のように行き交うウエブ砂漠の中で、
茂一さんの言葉は、「ああ、ここに
水があった」と小躍りしたくなるような、
そんないきいきとした感触に満ちている。

目の前にいる人と、心を込めて通わせる。
それは電子データにもならないし、
「今、ここ」で消えてしまうけれども、
その現場にしか、「生の実感」はない。

生まれては消えてしまうもの。絶えることの
ない「生前葬」。

世界中の人を笑わせる必要はないんだ。
ただ、目の前の大切な人が笑ってくれれば、
それでいい。

茂一さんと、素敵なたくらみを考えた。

9月 27, 2008 at 08:26 午前 |

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受信: 2008/09/28 13:16:38

コメント

茂木先生 こんにちは♪
私はまず自分を笑わせます(笑)自分が楽しくないと相手も楽しく出来ないからです!目の前にいる大切な人が笑ってくれて、その人がまた大切な人を笑わせてくれて、またその人が…‥次々に大切な人が笑ってくれる輪が出来ると、その人が外国に行って、そこでも楽しい微笑みの輪が出来て、ほんの小さな微笑みが世界中で起きれば大きな笑いになります!地球上に幾つも重なり合った笑いの輪が、波紋のように広がると思います。最初の一歩は大切な人を幸せな気持ちにすることですね。まずはまわりの大切な人達に笑顔で挨拶!そして朝カルに行ったら茂木先生に、二カッ!と挨拶します(笑)♪

投稿: 平井礼子 | 2008/09/28 11:27:59

鏡の向こう側にある風景は、
一見自分の生活のように見えますが
実際はその鏡の造られた
過程ではないかと思っています
見るだけ、確認するだけの場面で、
一生懸命手を伸ばして
透明な壁にぶつかっています
自分の姿と気付かない
恥ずかしさよ
鏡像と現実の境目は、
風の流れも違うはずと
思っているのですが。

投稿: のもと | 2008/09/28 11:13:00

茂木健一郎さま

写す鏡

私の場合なんですが

海釣りを始めて多く気が付き 黒鯛釣りでです。

修正的に まき餌がいつもの場所に黒鯛も寄るらしく

東京近郊では そこまでは、でも徳島に遠征に参り半端ではない感覚
黒鯛つまりチヌを釣り上げると どこから来た?釣り方は?そして、ここはいつも俺達が まき餌を撒いているからチヌが来ている 

驚きの感覚でしたが徳島では釣具屋さんでも ダメだ!チヌを俺は釣り上げる気迫が君には見えない 貴方は釣りをレクレーションでやっているのか?遊びで釣りか?

職業で釣りではないですが なんとなく徳島でしたら 有りの釣具屋さんのお話 次の日 きちんとチヌを釣り報告に行くと
実は いくらアドバイスをしても自分の考えでで でも貴方はアドバイス通りに そして釣った 今日一日でレベルアップしましたね!前日とは違う釣具屋さん 感謝でした。


ところで 茂木さまの文章を野球で例えるとメジャーリーガーで

毎回 ホームラン!!

私、草野球で たまにヒットの 三振もある内野ゴロも

ですからコメント欄での心粋として私

ホームランなど狙ってなく 掲示されないときは三振
掲示の時は ボテボテでもヒット

そういう感覚です。

さて、うーん この打席  三振??

投稿: 町田市の高木英樹 | 2008/09/28 8:54:53

     素敵なたちくらみ 

クラクラするような クオリア日記

         万事順調   時々 立ち眩み

         順風満帆   時々 立ち眩み

         順路に沿って 御進み下さい  ・・・

@@@@   。。。  ・・・


                       .....   


                 

投稿: 一光 | 2008/09/28 6:09:36

こんにちは。
“心の鏡”ですね。
最低限の身だしなみをもって、自分の周囲の人々や、世界すべてに、思い遣りをもって接する事でしょうか。
いつもながら茂木さんの深い言葉に多くを学ばされます。
ありがとうございます。

投稿: CRX kz | 2008/09/28 5:55:43

こんばんは。

>自らの言動を鏡に映してみない人は、
暗闇で化粧を塗りたくって
街を歩く人と同じである。

『なぜ、自分の仕事を「鏡」で見てチェックしないのか。鏡を見ていない理由は、大きく二つ考えられる。一つは、そもそも鏡をもっていないこと。もう一つは、鏡があるのに見ようとしていないこと。』(by脳を活かす仕事術)

正直、動揺しています。鏡をちゃんと見ていない自分に。
周囲の人は鏡を使っているのに自分はそうではないと思うとぞっとします。私は反省自体はよくする方なのですが、事実に対しての反省にとどまるだけで、その先の実践的な試行錯誤を放棄していることが多いのです。(・・・鏡を見てお化粧するのだけどもメイクに失敗しても直すことを知らない?) 「自分にはどうせ無理だから」とか「余裕がなくてできないから」という気持ちが先行しているのが要因です。軌道修正や改善は本当に苦痛を伴う作業です。特に苦手な領域であればあるほど。だからこそ分析する→アクションして→失敗しても→再分析する。このステップを強化するのが今の私の課題です。一つひとつですが、克服に近づけたらと思います。
ヒントならすぐ近くにあるはずです。他者・・・ですね。

「心の鏡」に映す。
茂木先生に巡り合わなかったら一生知らない言葉だったかもしれません。ありがとうございます。
先ずは正視します。今からでも遅くない・・・ですよね。

metacognition at a distance 
            ・・・ですね。

投稿: s.kazumi | 2008/09/28 0:23:54

こんにちは。私は現在つわり真っ最中の妊婦です。食べたいと思う食事に偏りがあります。
また、つわりが始まってから活字を読むのが億劫で読書から遠ざかっていましたが、先生の音楽についての本はとても面白く一気に読んだ後繰り返し読んでいます。ブログも毎日楽しく拝見しています。
つわりは母親が不要なものを口にしないよう胎児が母体に働きかけていると聞きましたが、先生の音楽の本に強く興味が湧くのもお腹の赤ちゃんが母親である私に働きかけていたら面白いのになあ、と思っています。

投稿: しまだ | 2008/09/27 23:38:16

客観的に見る事が出来る目は、現代のように様々な情報の海の中で生きていくために必要なものと感じました。


素敵なたくらみと、その前後の文章を見て…秋の気配の中、(時季としては少し早いですが)心の中に小春日和の暖かさが広がりました。

投稿: 奏。 | 2008/09/27 23:37:52

こんばんは。

なぜか「明鏡止水」という言葉を思い出しました。
かつて引退した首相が心境を聞かれて「明鏡止水」と答え、
「聖人の心境になぞらえるなんて己を知らないにもほどがある」と新聞でたたかれていました。
「明鏡止水」という言葉を知ったのはこのときでした。

心に一点の曇りもない境地という意味のようですが、
「人は流水に鑑みることなくして止水に鑑みる」という孔子の言葉からきているそうです。
たしかに水が流れていれば、鏡の用をなさず、静止した水であれば己の姿をはっきり映すことができます。

心のなかにある水鏡はいつも波だったり、揺れていたりしますが、だれにもそれが止まる瞬間があります。そのときに己の真の姿を垣間見るのではないでしょうか。
そうであったら、「明鏡止水」と言ったとしても目くじら立てるほどのことではない。
水はすぐに動き出すのですから。

そして「世界」は鏡なのかもしれないと思いました。
全体としては歪みのない平面鏡なのですが、ときどきあちこちに歪みが生じ、宇宙創生の光を反射し、どこかに焦点を結ぶ。
この焦点が森羅万象であり、わたしたち人間なのでは。
歪みが平面に戻っていくとき、焦点はぼやけ、いつか光は無限の彼方へ反射するのみとなる。
これが「終焉」であり、「死」なのかもしれない。

突飛かもしれませんが、茂木先生のおっしゃるように、鏡はメタファーとしても想像力を刺激するのですね。

「純喫茶」。懐かしい言葉です。まだ存在していたとは…。
学生時代、お茶の水周辺の純喫茶にはいると、心がなぜか静止したような気がしました。

>世界中の人を笑わせる必要はないんだ。
ただ、目の前の大切な人が笑ってくれれば、
それでいい。

このお言葉に救われたような気持ちを抱きました。

ありがとうございました

投稿: 遠藤芳文 | 2008/09/27 23:04:39

目の前の人が笑ってくれたら…心に響く言葉です(^-^) 今日1日何も楽しい事が無かったとしても(あるいは不愉快な事)私は誰かを笑顔にする事が出来るんですよね!誰を笑顔にしようかな??

投稿: 山川 | 2008/09/27 18:07:57

茂木さん、こんばんは☆★☆


「世界中の人を笑わせる必要はないんだ。
ただ、目の前の大切な人が笑ってくれれば、
それでいい。」

私も、無理して大勢の人を笑わせようとするよりかは、
大切な人といっしょにいて、自然体で、
ふと笑いがもれるような、
そういうのが、いいんじゃないかなあ~と思います。

元々、笑いのセンスが備わっていて、
みんなを笑わせてしまう人がいることも事実ですが、
「みんな違って、みんないい。」が
一番だと思います。


鏡・・・・
茂木さんは、いつもとても謙虚な方で、お優しくて、
そしてご自分には厳しい面もあって。

ああ、こんな方が、本当の意味での成功者というのだろうな、
地位や名誉やお金や
そんなものとは関係のない
本当にたくさんの人から愛されて感謝される、
幸福な成功者なんだろうな、
そんなことをふと思いました。


投稿: ももすけ | 2008/09/27 17:54:42

毎日をつつがなくも忙しなく(そんなにせかせかしてはないが)生きている自分の身の振り方、言葉の発し方、その他諸々を、自己の心にある「鏡」に映し出して、人に対して恥ずかしいところはないか、無責任な言動はなかったか、などなど、いろいろ確かめてみるというのは自らを「メタ」の視点から視るという意味では、とても大切なことのように、近年、特に強く思える。

私は思いを巡らすように確かめる。果たして我が内なる「鏡」は我が有り様を一点の曇りなく、くっきりと映し出しているか。また、その「鏡」が曇っていないかどうか。

傍目には如何みても迷惑千万なオカシイのに、自分で「俺の行動は正しい!」と言わんばかりの言動しかとれない人をいろいろなシーンで、時折見かけることがある。

その人はおそらく、自分の「心の鏡」が極端に曇り、自分の姿を客観的に映し出せなくなっているのかもしれない。哀れなことだ。

自分ももしかしたら、そんな傾向があるかもしれないので、きちっとうつして、我が身の至らぬところを正していきたい。

己の言葉、行動を、自らの「心の鏡」に映し出すことは、とりわけ、ややもすると、いわゆる「自己中」といわれる身勝手で(自分が最終的に大損をすることは目に見えているのに)恥ずかしい言動に走りがちな現代の私たちにとって、どれほど重要なことであるか。恥ずかしいけれど、今になってそのことが身にしみて仕方がない。

また「心の鏡」に自分を映すことは、我が心の中に「他者の目」をもつ、ということと同義であるように思える。

「他者の目」「心の鏡」をゆめゆめ曇らし、潰さないようにしていきたいものだ・・・。

浅草といえば、雷門や雷おこし、花やしき、江戸っ子の心意気、暖かい人情、昭和モダン時代の文化の中心地・・・いろんな言葉が浮かんできます。若き日の北野武さんが修行された、今は亡きフランス座も、浅草にあったと伺っています。

投稿: 銀鏡反応 | 2008/09/27 17:53:50

こんにちわ

今見えている景色は、脳の鏡に映った景色ではないか?。両目で見た立体化された景色であり、脳の鏡に一度映った景色と考えられないか?


「素敵なたくらみ」期待しております。(^^)

投稿: 鏡のクオリアby片上泰助(^^) | 2008/09/27 16:46:19

こんにちは
初めてこんなコトしてみます
光学的なコトはワカリマセンガ
鏡 で自分を確認するナンテすごく 原始的 って思っちゃいマシタ
demo鏡は 例えば最新の医療機器より ダイレクトに自分に 確認が出来て 想像もできて 沢山の刺激を脳が 受けられる気がします

ギリシャ神話の スイセンに変えられた男の子ミタイにならないように
まわりに存在する 何かとのやり取りで 自分のクオリア を 沢山 増やして?変化させて? 育てていきたいです

投稿: クオリア§クオリアン | 2008/09/27 15:28:30

初めまして、先生の「脳を活かす勉強法」を読ませて頂きました。
感想と、PRをブログで紹介させて頂いております。
情報社会にあるなか、本当に大事な、健康とか、知的にも肉体的にも能力向上の方法が検証、公開されていないことを日頃残念に思っておるものでございます。(生:1961~)そんな中、先生の「脳」に対する研究と解説に刺激を受けております。今後ともよろしくお願いいたします。(^0^)v
http://ameblo.jp/souru-syadou/
メールがアクセス切れしているので、お暇な時はブログにてお楽しみ下さい。(PC歴2年)
ミラーニューロンの実験中→先生のブログを見る習慣をつけています。
尊敬する方の、ライフスタイルを真似ると何か自分が変わる感じがするのも、この「ミラーニューロン」のおかげでしょうか?
「鏡」とは、深いキーワードですね。
物事をまねることも含めれば、その効果は無限台では…
別な意味で、「鏡」は、日本の神様の御神体にも多く使われます。
光を神秘的なものとして、崇拝していたからとも聞きますが、これも宇宙と何かのミラー効果をシンクロさせたいと言う行為のようだと想像したりしてしまいます。

投稿: souru-syadou | 2008/09/27 14:33:10

>目の前にいる人と、心を込めて通わせる。
>それは電子データにもならないし、
>「今、ここ」で消えてしまうけれども、
>その現場にしか、「生の実感」はない。

>世界中の人を笑わせる必要はないんだ。
>ただ、目の前の大切な人が笑ってくれれば、
>それでいい。


鏡・・・シビレました。

茂木さんの日記が放つ強烈な光。

これを体感したいから毎日このブログをチェックしているのです。
今日がまさにそれでした。
ありがとうございます。

投稿: zitterbewegung | 2008/09/27 13:41:39

茂木さん、今一度、茂木さんの今日のクオリア発言を読み直し、考えてみました。何だか、ネットでの交信?!は、未だ私にとってはよくわからないところがあるのかな?!と思いました。うまく言えないのですが
、茂木さんやみなさんの意見がやたらと近かったり、また、遠く感じたりするのは、ネットだからなのでしょう、多分・・・。私の考えや投稿している内容は大丈夫なのかしら?とふと、不安になってしまいましたが、何かしら誤解を与えていなければよいのですが、大丈夫ですか?
(笑)浅草には私もよく参りました。浅草寺や浅草ビューホテルには仕事で、その近くに美味しいお蕎麦屋さんがありました。美味しいものもいっぱい食べられますね。(笑)最後に「世界中の人を笑わせる必要はないんだ。目の前の大切な人が笑ってくれれば、それでいい。」その気持ちは、とっても大切ですね。私も心がけたいと思いました。ところで「素敵なたくらみ」って、何でしょう???な~んだか、楽しそうですね、茂木さん。今日も一日、お元気で。

投稿: 茂木さんの崇拝者より | 2008/09/27 12:54:23

はじめまして
桑原茂一=スネークマンショー
先生と同年代の私は茂一さんの名前を見つけ
懐かしく青い時代を思い出しました。
彼らのやっていた事は 革新的で面白かったですよね〜。
私の脳はあの頃に比べて、随分と硬くなってしまいました・・・。
先生の柔軟さを学びたいです!

投稿: sumico | 2008/09/27 12:19:53

鏡。。。世阿弥の言うところの「離見の見」ですね。
とかく言動が、がさつになりがちな私です。
もう一度こころしてみます。
よき「気づき」を、きょうも、ありがとうございました。

投稿: おくだ健太郎 | 2008/09/27 11:53:21

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