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2008/09/29

仏壇

富山空港に若林忠嗣さんが迎えに
来てくださった。

森のゆめ市民大学の運営に関わっている
若林さんは、道路の電気や通信まわりの
お仕事をされている。

「ほら、あそこにも、カメラがあるでしょう。
今、道路の至るところにカメラがあって、
交通状況を把握したりしているんですよ。」

魚津市は、富山から新潟側にある。

北陸自動車道を走る車窓から、
立山の剣岳が見えてくる。

「ここはね、茂木さん、山が3000メートル
あるでしょう、富山湾は、小さく見えて、
深さが1000メートルある。全体で
4000メートル落ち込んでいるんですよ。
じゃあ、距離がどれくらいあるかというと
40キロメートルしかない。10分の1の
勾配ですね。」

「だからね、もし小学校が家よりも海側に
あると、行きは楽です。自転車など、時々
ブレーキをかけさえすれば自然に走って
いく。帰りは大変ですよ。ずーっと坂道が
続いていくんですから。お年寄りなんて、
スーパーに買い物に行って、自転車に乗って
いたらもう。」

会場で副学長の稲本正さん。

稲本さんは飛騨高山でオークヴィリッジという
工芸の会社を営まれていて、
元々は物理屋さんだという。

木琴が面白かった。
全て同じ長さなのだが、木の
種類によって密度が異なるので、
周波数の式に従い、
ドレミファソラシドが出るのである。

http://shop.oakv.co.jp/shopdetail/001004000001/ 

講演会を終える。

会場の一室で、スタッフのみなさんと
懇談。

みんなで記念撮影をした。

続いて、有志で、
魚津市の「満更」(まんざら)で懇談。

オキノジョロウがお皿の上に
ぴょこりん、ぴょこりんと並んだ。

魚津で仏壇店を営む五十嵐尚寛さんが
空港まで送って下さる。
「昔から、富山では、家を新築しても、
仏壇がないような家は、納屋と同じだと
言ったものなんですよ。」
と五十嵐さん。

「長男は家を継ぐとして、次男が分家するでしょう。
その時には、親が仏壇を買ってあげるというのが
習わしだったんですけどねえ。」

「最近は中国製の安い仏壇も増えてきて。ところが、
仏壇を供えるという風習は、日本にしかないん
ですよ。中国では売れない。困ったものです。」

五十嵐さんのお話を聞いていて思い出した。
祖父や祖母が生きていた頃、
朝ご飯が炊けると、小さな器に盛って
仏壇に供えていた。

お客さんがいらして、果物やお菓子をいただいた
時にも、まずは仏壇にお供えしていたっけ。

『生きて死ぬ私』に収められている「母と仏壇」
というエッセイのことを思い出した。
私が三十半ばで書いた文章である。

「ところがね、五十嵐さん、そのエッセイが本に
なってしばらくして、母親が、あんなこと
あったかねえ、とか言うんですよ。すっかり
忘れてしまっている。まったく、人間というものは」

五十嵐さんと富山空港で別れ、機上の人となった。

東京は雨が降っていた。短い時間で、異郷の地と、
そして過去へと旅をしたような気持ちになった。

******

「母と仏壇」
(茂木健一郎『生きて死ぬ私』(ちくま文庫)所収)


 大学生だった頃のある日、私は夕食の席で、父親や母親と雑談をしていた。何かのきっかけで、話が墓参りの話になった。私は、自分が死んでも墓になど入れてくれなくても良いと言った。死んでしまえば、人間は無なのだから、墓などに入れても仕方がないと言った。そんなことのために、ただでさえ狭い日本の国土を使うのはナンセンスだと言った。だいたい、過去に死んだ日本人が、全員墓に埋められたら、どんなことになると思うのかと言った。ゴルフのために広い土地を使うのがナンセンスなのと同じように、墓などつくるのはナンセンスだと言った。
 突然、母親が泣きだした。それまでに見たことがないくらい、激しく泣き出した。食卓となっていた掘り炬燵の横に寝転がって、人目もはばからず泣いた。父が慰めようとしても、耳に入らず、赤ん坊が火がついたように泣くようにないた。
 泣きながら、母はこういった。

 私が死んでも、私を墓に入れてくれない気だ。私が死んでも、墓参りにもこない気だ。

 母の泣き方は、尋常ではなかった。そこには、何のためらいも、抑制もなかった。
 私は、ひどく当惑していた。母が泣きだしてしまったことに、ショックを受けていた。そうなるとは、予想もしていなかったのだ。母を泣かせようと思ったのではなかった。母が、それほど激しい反応をするとは思わなかった。
 それから2、3日は、きまりが悪いような、それでいてどこか温いような、変な気分だった。そこには、まだ結婚前の母の写真を見つけたような、母を一人の人間として再確認したような、奇妙な違和感と安堵感が同居していた。一方では、私は母を殴ったことなどなかったのに、言葉の暴力を振るってしまったのかという、後悔の念があった。私の言葉に、母をあれほど激しく泣かせるほどの力があるとは思っていなかった。
 私は、人間は死んだら無だと思っている。つまり、時間の流れの中で、私という人間がもし死ぬ時が来たとしたら、その後には、私という人間の心を支えていた物質的基盤は全てなくなってしまい、それで終わりだということだ。いわゆる「死後の世界」というものがあるとは思わない。もちろん、人間の生と死がその中で展開される、時間の流れそのものについての理解が深まる余地はあるだろう。実は、誕生とともに生が始まり、死をもって生が終わるというストーリーが、不完全で浅はかな理解に過ぎなかったということになるかもしれない。だが、そのような根本的な時間観、死生観の変化がない限り、人間の願望とイマジネーションの作る安易な「死後の世界」などというものはないと思っている。生と死の真実は、もっと厳しいものであると思っている。そのような真実を見つめることによってこそ、人間は死を乗り越えられる可能性があると思っている。だから、私の死後私の骨を墓に入れようがどうしようが、それは私の死を思い出す人にとっての問題であって、私の一身には(その時は、そもそも私は存在していないのだから)関わりのないことだと思っている。そんなことを、母親にゆっくりと説明したら、ひょっとしたら母はわかってくれたかもしれない。墓に入れるなどということは意味のないことだと、納得してくれたかもしれない。
 だが、そのような理屈は、目の前で母親が泣いているという状況の前では、何の力もなかった。ただ、私はどうしたら良いのかわからなくて、呆然としているだけだった。
 それ以来、私は、時折実家に帰省した時には、仏壇に線香を上げるようになった。父母ともまだ健在なので、死んだ祖母、祖父のための線香だ。なぜ、そんなことをするのか、自分でもよくわからない。確とした宗教的な思いがあるのでもなく、どちらかと言えば儀式として面白がってやっている部分もある。確かなことは、線香を上げる私の心のかなりの部分は、祖母や祖父に対してではなく、私が線香を上げるのに気が付くかもしれない母や父に対して向けられているということだ。私の心の中には、あの日母を泣かせてしまったことに対する贖罪の気持ちがある。線香を上げている私の心の無意識の片隅に、あの日、茹でられた海老のように体を曲げて泣いていた母のイメージがあるのだ。そのイメージに対して、私は線香を上げている。
 頭の中で考えることと、手で行うことは一致させなければならないという考え方がある。もし宗教を信じていないのならば、線香を上げたり、墓参りなどするなという考え方もあるだろう。また、線香や墓参りなどは習俗であり、宗教とは関係ないという考え方もあるだろう。坊主の唱えるお経は、呪文のようなもので、その意味をまじめにとらえても仕方がないという考え方もあるだろう。私が母に妥協したのも、一方では私の考えていることに対する裏切りだという見方もできるし、一方では、どちらでもいい習俗に従っているだけだという考え方もある。
 人が人の死をどう悼むかということは、単なる習俗の問題でもあるし、死生観そのものに関わる問題でもある。最近になって、ロケットで宇宙に灰をまいてもらいたいという人が増えているのも、やはり、死生観の変化とは無縁ではないだろう。一方では、既成の習俗が、単なる惰性で継続されている側面もある。
 私の母に関わらず、自分の墓のことになると真剣になる人はいるようだ。やはり、死に関することだけは、特別なのだ。人は、死生観にこだわる。私も、実は、自分の死生観にこだわっている。ただ、それが、墓に対するこだわりという形では現れないだけだ。死を前にして、人は、時には、茹でられた海老のように体を曲げて泣いたり、わめき散らしたり、むきになって怒りだしたりするのだろう。私も、自分の死生観に絡んで、人目をはばからずに泣く時が来るかもしれない。母には、あの時、私の前でそのような時が訪れた。母があのように激しく泣いたのは、おそらくあの時が始めてであり、これからもないのかもしれない。私も、一生に一度くらい、自分の死生観を人にためらわずに表出する時がくるのかもしれない。人は皆死ぬのであり、死には無関心ではいられないのだから。

*****

9月 29, 2008 at 08:20 午前 |

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コメント

本当に大切な人をなくしたときに、人それぞれの悲しみの大きさがありますが、経験をしてはじめて死後の世界に直面したような気持ちです。

お墓や仏壇の意味などはなく、感情の持っていく先にそのような物質があって、その慣習に習うことでココロが安定することがあると思いました。

死後の世界はないけれど、父の死後、父とココロの中で語り合いたいとお墓や仏前に座り手を合わせています。

投稿: | 2008/10/06 8:51:41

茂木先生 こんにちは♪
肉体が滅んだら、今の意識もそれで無くなると思います。それこそ天国のような物はないと思いますが、靄や霞のような分子?が集まって、何かの意識のような、かたまりのような物が集まるような所が合ってほしいなぁ~!と…これは今生きている時点での希望です。祖母や父が亡くなった時は、さよなら!は言わずに「じゃぁまたね!」と行った手前、何とはわからなくても同じ所にたどり着けないかな?と今の希望です。私は亡くなったあとに残す物は、人の気持ちの中にだけと思っています。物は無くなりますけど、気持ちはその人が亡くなるまで残るからです。それで十分です。茂木先生はいろんなところに残せる物がたくさんあるので、昔の偉人達のように、それが一番ですね!死生観は矛盾している考えが、一緒に考えられることが矛盾しないのが?不思議です♪

投稿: | 2008/10/02 22:35:50

はじめまして、「母と仏壇」のお話を楽しく読ませていただきました。

私は九州で禅寺の住職をしています。
私もまた葬儀・戒名・仏壇・墓と深く関わりながら、在家の方からその存在意義について尋ねられても、何と答えればよいものかと悩んでいます。

仏教というものは元々、お釈迦様が説いた「人が(お互いに仲良く)生きていく」ための教えを、後の人が篤く信奉して宗教になったものです。
そしてその教えの根底には「諸行無常」という考え方があります。
つまり、人間の肉体もまたいつかは無に還る、すべては「空」(くう)であるということですね。
その現実には一切の「情」などはさむ余地はなく、クールに真実を見つめた結果の結論でしょう。
だから、自身が亡くなるときにも「私の身体もまたいつか滅び去ってしまうものだから、私の姿形を拝んではいけない」と言い残しています。
結果、お釈迦様の死後500年ほどは「仏像」は作られていません。


禅宗はその「お釈迦様の教え」をストレートに伝え守る宗派です、だから念仏も唱えないし、拠り所とする教典やお題目もありません。
禅はつきつめれば、最後には「何も必要ない」ということになってしまって、ある意味「宗教」ではなくなってしまうのです。

でも、やはり檀家さんがいて、葬式や先祖供養や、場合によっては加持祈祷の類の法要を行い、そこから得られるお礼(金品)を受け取ることによって、巨大な伽藍を維持しています。

求められてのことだし、お寺や自分たちの身体を維持するためには必要なことなのかもしれないけれど、僧侶もまた理想と現実の狭間で葛藤しているのです。

しかし、面白いもので、今の世の中でも「墓も仏壇もいらない」と言う人もあれば、分家で、まだほとけさん(死人)の出ていない家なのに、もうお墓や仏壇を購入して「お参りしてほしい」と頼んでくる人もいる。

「無じゃ空じゃ」と、心底クールに割り切ってしまえる人間なんて、実はいないのではと思います。

長々と失礼いたしました。

投稿: はあさん@住職 | 2008/09/30 8:40:40

私も 実家に行くと 仏壇に手を合わせます。小さい頃 そうすると 大人の人達に 褒められた事を 思い出しました。

投稿: | 2008/09/30 6:51:32

こんばんは。

エッセイの抜粋を拝読して思い出しました。

コンラート・ローレンツが、旧約聖書創世記の登場人物の寿命が異常に長いことについて考察した文章です。

最も長寿だったのはメルキゼデクで、500~600年と言われています。ほかにも長寿の人物がたくさん出てきます。ローレンツはこれら長命の人物は1人ではなく、祖父から父、息子、そして孫へと同じ名前が受け継がれていったのではないかと書いていました。

個人名とされていたものは、じつは家系の名前だったのではということになりますが、当時名前を継ぐことは、命を継ぐことだったというのがローレンツの解釈です。

動物だけでなく、ある個体の死は、必ずしもその「生命」の消滅を意味するものではなく、子どもへ孫へと命が引き継がれていくのであり、創世記の登場人物はその生命の流れを名前で表したのではないか、そんな論旨だったと思います。

動物行動学者ローレンツの観察と深い哲学的考察に鮮烈な印象をもち、目が開かれる思いでした。

たとえ「死の扉の向こう」をうかがい知ることはできなくても、生命そのもの、命の流れは永遠なのでは…。
少なくとも、生命とは永遠を目指すものではないか、と感じました。。
地球が滅びない限り。


遠藤さま

面白い視点ですね。固有名ということの本質について考えさせられます。

投稿: | 2008/09/30 2:05:48

私も、茂木さんと同様、死んでしまえば、すべて無になり、文字通り幕がバサッと降りてすべて何も無くなると思っているが、しかし、仏壇や墓は、生きている人たちのためや、その子孫、家族のためにあると考えている。生きている人の中に亡くなった人が生き続ける。それが、魂であり、生きている人間は愛した人間のなにか証が欲しくて何かにすがりたくなる。それが仏壇であり、墓ではないだろうか。だから今あるのみが生きる時間だが、仏壇は生きている人間のための標なのだとおもう。

投稿: | 2008/09/29 22:48:34

お仏壇やお墓のお話し、茂木さんのお母様の考え、私も頷けます。

お彼岸やお盆には両親が作ったお墓・祖父母のお墓へ行きます。そして近くまで出かけた時には親戚のお墓参り等、その時どきにお墓参りをします。
 お仏壇へは、毎日お茶とご飯を供えます。

 だからでしょうか…私自身、お嫁に行ったら、そちらの家(名前)のお墓へ入るのだと思っています。


 ご先祖様や身近に亡くなった人を敬う気持ちの表れだと思います。

投稿: | 2008/09/29 21:04:01

「森のゆめ 市民大学」講演会、本当にお疲れ様でした。

…そういえば富山には“キトキト”という方言があったのを思い出した。たしか“ぴちぴち、新鮮な”という意味だと聞いた。

オキノジョロウ…初めて聞く名前ですが、赤い色がとても美味しそうに見えます…!

(上のお写真にあった、ブロックが全て同じ長さでドレミファ…が出る木琴と同じに見えました。さながら“魚の木琴”ですね)

キトキトのオキノジョロウが、海面をぴょこりん、ぴょこりん、と飛び跳ねているさまが浮かんでくるようだ。

「生きて死ぬ私」の「母と仏壇」の章は、切ない思いに駆られつつも、こう思いを馳せたような気がする。

“こと死に関する限り、人間は昔ながらの習俗と己の死生観との間で揺れ動いている、地球で唯一の生物なのかもしれない。そもそも人の生死を考える『宗教』という文化は、人間にしか生み出せなかったから”と。

私自身、よく死ぬためには、生きているうちに襲いかかる、様々な試練と闘い、あるいはいろいろなものと出会って、自分の“栄養”にしていき、そうして、懸命に自分自身を生き通すしかない、と考えている。


投稿: 銀鏡反応 | 2008/09/29 20:16:02

茂木さん、今一度、この「母と仏壇」を読ませていただき、何となくではありますが、茂木さんの考え方も理解できました。デリケートな問題だけに表現をすることが難しくて「何を言っているの?!」と思われがちなことなのですが・・・。私が葬祭の仕事に接した時に感じていることがあるのですが、ひとつは菩提寺の在りかたがこのままでは続いていかないだろうと思っています。それは、昔の人たちとは違って現代人は一箇所では暮らせない時代だから。転勤もあれば、他の地での暮らしをしたいと思って移り住む人たちがいるということ。それから、亡くなった魂への考え方ですが、私も「死後の世界」があるとは思っていないのです
。茂木さんと近い考え方かな?!ある意味、お墓に入るということは何なのか?と考えれば、その当人の御霊はないわけですから、遺された者達のためのものだと思うのです。ある人にとっては、大切な人の魂がここで眠っているから、そこへ行き、手を合わせ、語り掛けたい。時には大好きだったものを持っていき、ご供養したいとか・・・。この問題は
逝った人と遺された人の気持ちに差異があるものなのでしょう。どこか
「延命措置」の問題とも近いものを感じます。自分の場合は「延命措置
」などしてほしくない。でも、愛する家族のことを思うと生きていてほしいと延命措置を考えてしまう。近いものがあるように思います。それから私たちが今、正しいと思ってしていることに対してどこか、何か無理はないか???ということは、冷静に考えた方が良いことも今の時代に幾つかあるような気も致します。「お墓」の在りようもそのひとつなのかもしれませんね。その時代にあったやりかたを模索することも大事なことなのでしょう。ただ、そうはいってもそこには「歴史」「伝統」
もあるから、それに比例するように「心」をもって事を行なうことが、何より大事だと、それを疎かにしてはいけないと思います。難しいですし、本当にデリケートな問題ですね。それにしてもお母様を泣かせてしまったという経緯、何とも言いがたい、茂木青年の動揺や優しさや諸々・・
・お母様を愛おしいと思う気持ちなどなど、淡い感じが伝わってきました。読み直して今、そう思いました。このような事って、自分にとって大切な人を亡くしたり、年を重ねると考え方が変わってきませんか?
私は身内を何人も亡くしたので年々、その思いの変化を感じています。
実は私も母を号泣させたことがあります。茂木さんとは内容が違いますが、七歳上の姉が亡くなって小学2年の時、作文を書いたのですが、そこに「姉ではなく、私が死んだ方がよかったと思う。私との思い出はまだ少ないけれど、親にとって姉との思い出は沢山あり過ぎてかわいそう
だと思う。」みたいな内容の作文を書いてしまい、母が号泣してしまいました。今、ふと、そのことを想い出しました。親は大事にしなければいけませんね。でも、茂木さんは今のご活躍からしても「親孝行」な息子さんですね!じっくりと読ませていただきそう思いました。世の中には、母と息子の関係をややこしくするようなドラマや映画もありますが
、私は実際、夫と夫の母の関係を通して見て、何とも言いようのない、温かいものや優しさや愛おしさなどを見て感じ取れて、「よいものだな
ぁ~!」って思っていました。プロフェッショナルで拝見した、宮崎駿監督もお母様に対する想いがありましたが、茂木さんからも何かしらほんわかとさせられます。男性にとって母なる存在は特別!格別!ですものね。私も死生観に対してと御霊に手を合わせることへのこだわりはありますが、「お墓」の在り方についてとか、戒名については、何か気持ちが落ち着かない面はあります。今の時代との違和感が生じているからなのでしょうか。でも、なかなか切り替えが出来ないのもまた、人間であるが故、しがらみなど・・・難しいものですね。儀式やしきたりにおいては、何を切って、何を残し、新たに何を取り入れるか。ということがあって、勇気ある一歩を踏み出さないといけないのかもしれないと思いました。


投稿: | 2008/09/29 14:37:14

富山空港へ向かう途中にウチの実家があります。故郷を離れて二十余年ですが、たまに実家に帰って友達に会ったりすると、新しくできた公立の文化施設などに連れて行ってくれて、皆よくできています。「富山のタングルウッド」とウチでは呼んでいる音楽の練習場があり、グランドピアノ(スタインウェイのコンサート用もあり)を何台も備えた他にもいくつか楽器があり、学生さんなどが安価に使用できます。

魚津に市民大学があるとは知りませんでした。魚津の魚はウマいです。米と水と酒と魚は美味しいですねえ。立山の標高2400にある宿舎では星空がよく見えます。日常に疲れたらここへ泊ると自然の力をたくさんいただけます。富山は良い所です。よくいらしてくださいました。

投稿: | 2008/09/29 10:26:07

最近 ちくま文庫で 再版されましたね
ぼくは二回読みました。

33才でかかれたものだそうですが、すると約15年ほど前の本と言うことでしょうか?

15年前は携帯電話も普及していなかったしインターネットなんかも
ドラえもんな話だった気がしますが、生活スタイルが全く違ってしまったけど、だけど、今、かかれたようなエッセイとしてとても新鮮でした。変わらない人間性がテーマになっているからでしょうか?

きっと、茂木さんの本の中でもずっと残っていく本だと思います。


投稿: オカモン | 2008/09/29 9:47:55

こんにちわ

地球は、人類の居間であり、仕事場であり、遊び場でもあり、墓場でもある。
そんな感じがします。(^^)

投稿: | 2008/09/29 9:28:45

茂木さん、おはようございます

富山の、稲本さんが作られた、木琴、素朴で可愛いですね♪
同じ長さでも、材質の密度が違うから、
音が変わるんですね・・・!

オキノジョウロがぴょこりん、ぴょこりん♪
木琴の響きでぴょこりんりん♪♪♪


仏壇。
沖縄は、先祖崇拝が熱心なところでして・・・
そして、ユタと言われる、
霊媒師が今もたくさん活躍しているところでして・・・

一族に何か問題があったら、
ユタに来てもらって、
先祖の霊とお話ししてもらい、
成仏してもらって、
祟り?を鎮める・・・というのが
未だにありますよ。
不思議でしょう。
茂木さんからしたら、不思議でしょうね。

私の母方の親戚になかなか解決しない問題があったときも、
ユタに来てもらいました。
そのとき、高校生だった私は、
興味があって、学校休んで、親戚とともに、
参加しました。

そのユタは、家の住所を教えていないのに、
オートバイでブーーーンと時間どおりに来ました。

そして、先祖をまつってある、仏壇と、
台所の神様である火の神に祈りを捧げ、
白い紙に、
私たちの何代も前から・・・琉球王朝時代からの
家系図を書き始め、
この人が問題だね、と、家系図の中の一人を指し、
そのあとはどうやったのか忘れましたが、
とにかくひと段落しました。

私は、ユタに、思い切って話しかけました、
そしたら、このように問いかけられました。

「人間は、生きていると思う?生かされているんだと思う?」
私は、うーーん、と考えて、
「生きているんだと思います!」って言ったら、

「違うよ、人間は生かされているんだよ」
私は不思議に思いましたが、
そのあと、宗教の勉強をして、
何故生かされているのか、ということがよくわかりました。


私の友達でも体験者が多いのですが、
親戚の中に、必ず霊媒体質の人がいて、
霊媒体質の人の中に亡くなった方が入って、
お葬式に集まった家族や親族に、
お礼を言ってから去る・・・

こういった現場を目撃している人はたくさんいます。

だから沖縄の人は、
あの世はあって、人は死んだらそこに帰る、
ということを信じている人がとても多いです。

私は仏教を学んで、転生輪廻の思想に納得しましたので、
あの世はあって、人は繰り返し生まれて、
いろんな国でいろんな経験を積んで、
人として心を強くしたり、大きくしたり、美しくしたり、優しくしたり・・・
いろんな経験を積んで、豊かになって、ちょっとずつ神様や仏様に近づいているんだろうな、と信じています。

私も、自分のお墓はいらないなあーーー
実はもう遺言を大ざっぱに書いてあるんですが、
こんな沖縄ですから、
私の家族が、お墓に入らないことを、
悲しむと思ったので、
私の遺骨は半分はお墓に、半分は沖縄の海にまいて。って
言ってます。

あはははーーー(@_@;)
当分先になりそうですが。
朝っぱらから遺言を思い出してしまった(笑)

でも仮に、茂木さんが亡くなったら、
お墓がないと、茂木さんを慕ってた大勢のファン方々が悲しみそうですね。


投稿: | 2008/09/29 9:27:34

茂木さんおはようございます!富山に行かれたんですネ。
木琴は、なんとも面白いですね!同じ人間でもタイプによって音が違う・・・そんなことを連想しました。
オキノジョロウ??はどんな味なんだろう、ご飯にもお酒にも合いそうだな、と動物的になりながら、お仏壇のお話読ませていただきました。
宗教の不思議を思います。お母さん、お父さん、おじいさん、おばあさん、、、ずっとずっと昔の先人達から受け継がれて来たもの、仏様の願いが、細胞レベルで組み込まれているかの様に思ったりします。

こんなわたしも、父が若くして命を終えたとき、あれだけ熱心な念仏者だった父が、あっさり亡くなってしまって、、と背をそむけて意識的に生きようとした長い年月がありました。
でも今は、人は亡くなるからこそ死を見つめる、それなくして本当には生きられないと思います。
また「出遇う」ことの不思議と大切さを思います。
『母と仏壇』とても心にストレートに響くお話で、自身、いろいろなことを考えさせられます。

・・・昨日作った「おでん」火にかけていたのを忘れ、いま黒こげ&黒けむりと化しました。涙。火事にならなくて良かった、、人生とはまさに、何があるかわからないものであります。完。

投稿: 月のひかり | 2008/09/29 9:09:11

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