ひらめきの導火線
茂木健一郎
PHP新書 『ひらめきの導火線』
発売中

<あとがき>より抜粋
本書の第一章から第四章までは、私がお話した
内容を桑原晃弥さんと吉田宏さんがまとめて下さった。終章は私自身による書き下ろしである。トヨタ生産方式(TPS)について取材するために、トヨタ自動車株式会社の元町工場及び上郷工場を見学させていただいた。本書の企画、編集にあたっては、PHP研究所の横田紀彦さんと丹所千佳さんに大変お世話になった。また、本文中に名前が登場する方々からは、直接、間接の対話を通して多くのインスピレーションをいただいた。ここに心から感謝する。
本が多くの方々の熱意によって出来るように、創造性もまた、情熱のリレーによって育まれる。本書を「ひらめきの導火線」のリレーに参加するきっかけとしていただけたら、望外の幸せである。
<最終章>より抜粋
私たちがそれとは気付かずに培ってきたさまざまな思想のかたち。日本人にとってはあまりにも当たり前のことだから、かえってその本当の姿に気付かない。外の世界に「ほら、これ」と指し示すことができるようなかたちで、ものごとをみきわめることができない。
きちんと日本人の生命哲学を掘り下げることができさえすれば、今まで日本の習慣として「負」の評価を受けていたことが、新たな光を当てられて輝き出しさえするかもしれない。
本書では、「日本人には独創性がない」と言われてきたことについて、「トヨタ」と「ノーベル賞」の世界観を比較することで全く別の見え方ができると論じた。皆が平等に智恵を出し合い、ネットワークの結びつきを通してわかちあう。これこそが、日本人が大切にしてきた価値観であり、また洋の東西を問わず脳が創造性を発揮する際に実際に起こってきたことである。
「トヨタ」が世界企業になる上では、「万葉集」以来の分かち合う日本の文化が大きな力を発揮した。まだまだ、日本の中には私たちが気付かないすばらしい価値が埋まっている。しかし、それらのかけがえのない原石は、村社会の中で談合していたのでは磨かれずに曇ってしまう。せっかくの種が、芽を出さずに腐ってしまう。
今の私たちに必要なことは、私たちの思想そのものを、グローバルな行き交いの中に思い切って出して、鍛え、磨き、そして世界の人たちと分かち合うことではないか。その過程で、世界の「メジャーリーグ」のプレイヤーたちとの激突があるかもしれない。完膚無きまでの敗戦があるかもしれない。しかしそれで良い。
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」(空也上人)
私たちの先人の生命哲学は、そんな事態はとっくの昔にとらえていた。私たちは、何もおそれることはない。
日本の可能性をみきわめること。そして、それを「贈り物」として世界に差し出すこと。その勇気さえあれば、日本の未来は限りなく明るい。
8月 24, 2008 at 06:13 午前 | Permalink
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受信: 2008/08/24 20:40:50
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受信: 2008/08/25 18:29:24
コメント
茂木さん、今日は。「ひらめきの導火線」と「俳句脳」(黛まどかさんとの共著)の二冊を読ませていただきました。そのどちらにも書かれていた事は、外の世界に「ほら、これ」と指し示す事が出来るようなこと
、「贈り物」についてでした。日本人の私が日本のことをどれほど知っているのか・・・と考えると恥ずかしいかぎりです。例えば、黛まどかさんがおっしゃるように、「ワインを語るのではなく、日本酒についてどこまで語れるか」、日本の文化的なことにおける説明を外の人たちにどれほど出来るのか、何ひとつとってみても自信がありません。お茶やお花、着付けは出来るというレベルと教える、語れるというのとは全然違うと思うので。歌舞伎や能についても同じですね。以前、旅行でローマを訪れた時、現地に住む日本人の方が「ローマの中高生は、早い時間にデスクでの授業を終え、その後、単独で課外授業をする。例えば美術館を巡って、リポートを提出したり・・・。」私はその話を聞いて、「
いいなぁ~、芸術品を見る目がやしなえて」と思いました。確か学生証を差し出せば入館料も無料とお聞きしました。日本人が日本のことを語れないのは、このような教育制度の違いにも大きな理由があるのではないでしょうか。そしてトヨタのお話。労働者も背広組も平等に智恵を出せる土壌は素晴らしい!と思いました。私は中学二年の時の修学旅行で愛知県豊田市にあるトヨタ工場を見学いたしました。工場の独特の臭いは今も記憶の底にあります。大きな空間につなぎの作業服を着た方々が
大勢いらっしゃって、活気みなぎる現場を拝見し、「この人たちが、あの車をつくっているんだぁ~。すごいねー。」と、クラスメートと一緒に興味津々、見学をしたものです。工場の見学が終わると三重県の鈴鹿サーキット内の宿泊施設へ行き、そこではトヨタ以外のレーシング・カーについてお話をお聞きしました。「グローバルな行き交いの中・・・
」、センターステージの中で頑張っていらっしゃる茂木さんには大いに発言をしていただき、ご活躍を!私は小さなコミュニティで切磋琢磨しながら、今ある自分の仕事を通して、自分が思う大切なことを後進へ伝えていきたいです、これからもずっと。
投稿: 茂木さんの崇拝者より | 2008/08/24 12:45:22
今晩は。
創造性もまた、情熱のリレーによって育まれる。磨く、差し出す、勇気。
今日は、クオリアマニフェストの草稿も、読まさせて頂き、頭の中がいっぱいになりました。 核心へのアプローチ?気がつけば、ノートに書き写しておりました。
心の耳を開いて、澄まして、お聞きして、考えて、咀嚼して、・・・
クオリアや主観性の起源を明らかにする以上に重要な知的チャレンジは存在しない。・・・
ひとつひとつをゆっくり考えてみたいと思います。
投稿: ぶらんか | 2008/08/24 19:52:45
茂木さん
おはようございます

こちらは朝から雷ゴロゴロです!
雷におびえつつ、
素早くコメントを!
「その過程で、世界の「メジャーリーグ」のプレイヤーたちとの激突があるかもしれない。完膚無きまでの敗戦があるかもしれない。しかしそれで良い。
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」(空也上人)
私たちの先人の生命哲学は、そんな事態はとっくの昔にとらえていた。私たちは、何もおそれることはない。
日本の可能性をみきわめること。そして、それを「贈り物」として世界に差し出すこと。その勇気さえあれば、日本の未来は限りなく明るい。」
「ひらめきの導火線」、これからの世界で生き残っていくためのヒントが満載そうで、ぜひ読ませていただきたいと思います♪
小さいレベルでの衝突というのは、
日常の中で感じていて、
ただ、衝突あってこそ、
相手もまた見えてくるというものだと思います。
小さい調和だけに甘んずるのでは
そこには停滞しかないので
勇気をもって衝突をおそれず
自らの仕事に誇りを持ち、
衝突は互いを理解する一歩だと
前向きに考えていくのがいいなあと
思う今日この頃です★
先日、
憲法改正についての番宣で、
街の中の人の声の中に
「日本は護るほどの立派な国じゃないから」
と言っている人がいました。
憲法改正のことは横に置いておくにしても、
普段から
日本に誇りの持てない大人が多いから
この国はどんどんダメになっていくんだな~
と、しみじみ感じました。
自虐思考はいけません!
「日本の可能性をみきわめること。
そして、それを「贈り物」として世界に差し出すこと。
その勇気さえあれば、日本の未来は限りなく明るい。」
最後の茂木さんの締めのお言葉、
本当にその通りだと思いました。
日本に誇りを持つ大人が増えてほしい、
プロフェッショナルは、
日本もまだまだ捨てたものではない!と
希望を抱かせてくれる番組なので
これからもがんばってほしいです★
気が付いている人たちから
少しずつ、ですね。
投稿: ももすけ | 2008/08/25 8:18:23
茂木さん、こんにちは。
昨日、久しぶりに本屋さんにぶらりとでかけ、入口でいきなり「俳句脳」と遭遇!まず、こちらをソッコーで読ませていただきました。
俳句の世界、このギョーカイ内部の宗匠が内部だけでしか通用しないコリクツをぐちゃぐちゃ書いている本より、よっぽど、さわやかで中身もぎっしりで勉強になりました。
黛まどかさんという内部にいながら外へもきちんとした目を向けている方と茂木さんという外にいながら(というには御造詣が深すぎますが、今、仮にそう呼ばせていただきまして)俳句への強烈な目をお持ちの方とのコラボの「音楽」を楽しませていただきました。
万葉、古今の和歌の世界から、芭蕉の古池の句の最新論点(実在の古池か心に浮かんだ古池か)、漱石俳句のこと、当県ゆかりの千代女の句にまで触れられていて、感動ものでした。
黛さんが、ベルギーのビール作りの取材にあたって一句、という場面で、当該ディレクターが過剰なお願いをし、黛さんがそれに少しお怒りの点、和歌、俳句ともに関心がある(つもりの)当方には、ものすごく、よく分かりました。仮に、今の時節の名歌、
秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる 藤原敏行
を俳句にすると、
秋来ぬと目には見えねど風の音
になると思います。つまりは、俳句では「おどろかれぬる」とまでは詠まないんですね。説明的、散文的になります。だから、黛さんはおそらく「グラス」で止めたんですね。だけど、当該ディレクターは「おどろかれぬる」のほうをもっと詠んでくれー!と言われたんでしょうね。うん、分かる、分かる!(つもり・・・)。
あと、やはり、古池の句は、やはり謎だらけで、上記の、実際の池だったか心の池だったか、とか、飛び込んだ蛙は一匹だったか複数だったか(一説によりますと、英語訳が200種類以上あるとのこと)などなど・・・。
これだけ分からないことの多い句も珍しいですけど、なぜか、「蕉風開眼の句」と言われていて、だとすると、この句について200通りの説があったとして、199人の説はこの句を誤解したまま、勝手に「蕉風開眼」だとか何とか分かったようなことを言って流布してきた(いる)、ということになります。
ある意味、ヤバイナーと思うと同時に、もしかすると、芭蕉さん、どういうふうに受取りますかな、と後世の我々に不敵な笑みを浮かべているのかも、とも。
茂木さんがブログで、特に小動物などに暖かい目を向けられるときなど、ああ、茂木さんは、今、俳句の世界にいるなぁ~と、いつも思っておりましたが、今回の御著作でより鮮明になりました。「俳句は受胎告知だ」とはちょっと、実作したことのない人には言えない言葉かと思います。生みの苦しみを超えて宝に至る・・・。書誌学的解釈論に終止している象牙の塔の人には絶対に言えないことかと。もしかして、茂木さん、実は密かに句を作られているのでは、と推測が拡がり・・・。
既存の科学的文脈(コード)破る戦いに挑んでおられる茂木さんと、月並みとの戦いである俳句との二物衝撃!すごく、ふさわしく、かつ、エキサイティングな一書でした。
投稿: 砂山鉄夫 | 2008/08/26 0:36:32