『熱帯の夢』
今回の日高敏隆先生とのコスタリカへの旅行は、
集英社から書き下ろしの新書(仮題『熱帯の夢』)として出版される予定です。
その一部分は、集英社の文芸誌「すばる」
に掲載される予定です。
お楽しみに。
草稿の一部を公開します。
低地熱帯雨林が広がるラ・セルヴァについた日。夕闇が暗くなって、そろそろ気をつけなくてはならないのかな、と思いながら、どうしても気になる小径があった。
宿舎から、食堂に向かう道の左側に、斜めに降りながら続いていく小径。両側から茂みが覆い、まるで緑のトンネルのようになっている。トンネルの向こうに何があるのか、目を凝らして見ても、もう薄暗くなっていて見通すことができない。
どうやら、開けた草地のようなものがあるようにも思う。今日のうちに、到着したその勢いのままに、その草地まで行ってみたいと思った。
初めての場所はよくわからないのでどうしても警戒をする。その一方で、ある程度踏み込んでいかないとせっかく訪れた自然と一体となった感じがしない。
小学校に上がるかあがらないかの頃、母の親戚が住んでいた北九州市朽網の山で、それまで親やおじさんおばさんと行ったことがある範囲を超えて、どこまでもどんどん踏み込んでいったことがある。
捕虫網が、自分の背のたけよりも遙かに高かった。網の方に私が引きずられるかのごとく前進する。踏み出す足が心もとない。正直肝が少し縮み上がっていた。それでも、進まなければならないと感じていた。
年月を経た墓地の横を抜ける細い道を行こうとすると、突然、鮮やかな色の緑のセミが空に向けて飛び抜けていった。音を一切伴わない、純粋な視覚現象であった。
ミンミンゼミ、アブラゼミ、クマゼミ、ツクツクホウシ。そのあたりにいるセミは全て見知っているつもりだったが、墓場から大空に飛び抜けたセミは、そのどれとも違っているように思えた。その輝く翡翠の軌跡が子ども心に強烈に刻印されて、四十年経った今も忘れられないでいる。
あの時、足を踏み入れていなければ、私は翡翠の軌跡と出会っていなかったであろう。心惹かれる場所があった時には、行って見た方がよい。「明日になったら」と先延ばしにしていると、何かが失われる。一日だけ年を取る。それだけ、生命の鮮度が失われる。慣れてしまってから出会っても、恋に陥ることはできない。
部屋に荷物を置いてすぐに、トンネルの道に向かう。午後の時間帯に雨が降ったのだろうか。足元は悪い。泥状になってぬかるんでいる。足をとられないように気をつけて、少しずつ進んでいく。薄暗がりが気付かないほどゆっくりの速度で濃くなっていく。蛇はいないかと、注意しながら足を踏み出した。
中程まで到達した時、開けた草地だと思っていたところの正体がわかった。それは、水の流れだった。泥の河だった。水かさが増しているのか、斜面のぎりぎりのところまで急な流れが迫っている。近づくにつれて、引き込まれるような力があった。そうか、この流れに出会うためにトンネルの道を抜けてきたのかと悟った。
後になって食堂でテーブルを囲んでいる時に、私が見たその川にはワニが棲んでいるのだと聞いた。足下の蛇、流れの中のワニ。熱帯雨林の危険には、どこか人を魅了するところがある。蛇ににらまれたカエルは動けなくなると言う。私たちの中に、自分の生命を確実に奪うことになる危険な存在に惹き付けられてしまう破滅的な傾向がある。
次の日の朝、森の中へと歩きながらの道すがら、西田賢司さんに、「ラ・セルヴァにピューマはいるのか」と質問すると、「いることはいるけれども、出会うことは難しい」と言う。
「出会えたら、かなりラッキーだと思わなければなりません。ただ、ピューマはシャイなので、隠れてしまうでしょう。」
「そうか、なかなか出会えないのですね。」
「ただし、ピューマが子どもといる時は話が別です。子どもを守るために、向こうから襲ってきます。だから、ジャングルを歩いていて、ピューマの子どものかわいらしい鳴き声が聞こえてきたら、ああ自分の命はおしまいだと思わなければならないのです。はははは。」
西田さんは軽やかに笑う。
命がおしまいになってしまうのかもしれないが、ピューマの子どもの、鈴を鳴らすようなかわいらしい声を聞いてみたいと思った。
その時、心は極度に緊張し、その底に甘美な感触を探りあてるのだろう。
やはり、人の心の中には破滅に見せられる傾向がある。「熱帯の夢」の中には、あらかじめ死への衝動(タナトス)が織り込まれているのだろうか。
8月 17, 2008 at 09:47 午前 | Permalink
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コメント
最近、アンリ・ルソーの本物の絵を目近で見て、すごく平面的なのだけれど奥が深く、なんか引き込まれ、でも本当は緑の魔術にかかってしまったのかも。秀作、駄作はどの作家にもありますが、パリやNYで見たのとは違い、小振りな秀品です。画商冥利です。
投稿: かめさんの再送 | 2008/08/17 22:37:54
“熱帯の夢”…「甘美」と「死」とは、となり合わせの世界で、熱に浮かされるように不思議な夢を見る。
かつて、井の頭公園を訪れた時、東京都区内ではめったにお耳にかかれない(と思う)蜩(ひぐらし)の声を聞いた。
涼やかに響くその歌声は、夢の中の出来事のように、耳に響き、今も記憶の通奏低音のなかで時折鳴り響いています。
蜩の声に心惹かれるように、人間は「死」と「破滅」に、甘い蜜のような味を感じてしまうのだろう。
その「甘い蜜」の正体が、仮令、地獄の釜の底を覗き見た時のように、恐ろしいものだとしても…。
投稿: 銀鏡反応 | 2008/08/17 18:54:18
チャンスは捉まえないと逃げていく と、たくさん旅をしてきました。
惹かれる処へ、そのとき、可能な限り。 今は、ちょっとだけ、おとなしくしていますが。 正解でした。 たくさん、見て、聴いて、行って、その思い出を今、楽しめるから。 甘美な感触 タナトス 。 今、脳と仮想 を読んでいますが、旅にかりたてられたから遭遇した傷も、受けてよかったと考えられるようになりました。創造のプロセス。森の中に落ちて迷
子になったからこそ、光を求め、存在に気づけ、新しい出会いがあった。と。
投稿: ぶらんか | 2008/08/17 18:45:59
茂木先生こんにちは。今日は夏とは思えない程肌寒く雨が降っています。先生に質問です。先延ばしにすると何かが失われる…すぐ行動する癖をつけるにはどうすれば良いのですか?やりたくないことを先延ばしてばかりいます。
投稿: エフ | 2008/08/17 16:21:45
茂木さん、今晩は。今回の旅は「すばる」とは別に新書もある予定なのですね。楽しみにしています。それにしても茂木さんの指は、コスタリカでも動かされっぱなし!お疲れ様です。(笑)子供のころのお話し・
・・お母様は北九州の方なのでしょうか?そうだとしたら、海の幸・山の幸が豊富で、茂木少年は美味しいものをたくさん召し上がっていることでしょう。「心惹かれる場所」ですか・・・そうですね、危険を伴っていると怖いからそんなところへはひとりでは行けませんが、どうしても観たいものがあったり、何かに迷っている時は行動した方が良い!というのが、四十数年生きてきた私の実感かなぁー。でもワニに食べられて命は落としたくないです。(笑)それから「慣れてしまってから出会っても、恋に・・・」う~ん、恋?何だか色っぽい。茂木さんのペンのタッチが戻ってきた感じですね?人と人との出会いにはいろ~んなパターンがありますね。恋愛感情だけではないから、いろいろあって面白い
!と思うのですが茂木さんからは「え~!」って言われそうですが?!
(笑)でも本当に!友人、親友、それ以上の関係ってありますね。尊いものだと思います。ジャングルには、やはり蛇もワニもピューマも!いるのですね。観てみたい!という気持ちは、そこに行けば大なり小なり誰の心にも芽生えるのかもしれません?!あと、一日~二日ですね?
どうぞお元気で、危険区域にはひとりで行かれませんように・・・。
投稿: 茂木さんの崇拝者より | 2008/08/17 12:34:35
私の中にも破滅(滅び)の美しさに魅せられる
衝動を強く感じます。
音楽でも、劇的な滅びを表現した作品は、身震い
するような感動をいつも私に与えてくれます。
人にとっての滅びである「死」は、後にも先にも
一度しか経験できない大きなイベントですから、
それ自身について、またその後について色々な
想像をするのも当然のことなのかもしれませんね。
投稿: たくあん | 2008/08/17 12:33:07
わぁ~~!!
『熱帯の夢』ぞくぞくしてしまいました。
人は、何故、自ら危険と思える方向に進んでしまうのか。
茂木さんがこどもの頃に見た、輝く翡翠の軌跡!
その残像は、今もずっと心の目に焼きついているのですね。
心惹かれる場所があったときには、行ってみたほうがよい。
一日遅らせるだけでも生命の鮮度は失われる。
なんと、勇気づけられる言葉でしょう!
その行動力、身につけたいです。
死への衝動ギリギリのところで、甘美な感触を味わえるとしたら・・・
ピューマのこどもの鈴を鳴らすような声・・・の魔力におちそうです。
おっと、危ない・・・でも、惹かれてしまう。
人、って、不可思議ですね。
投稿: 貴 | 2008/08/17 10:17:07