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2008/07/28

恥じらいから出発する

ヨミウリ・ウィークリー
2008年8月10日号

(2008年7月28日発売)

茂木健一郎  脳から始まる 第114回

恥じらいから出発する

抜粋

 進んで講演をしようというのではない。頼まれて、仕方がないからする。恥ずかしがり屋だから、自分の意見を多くの人の前で積極的に発表しようとは思わない。ただ、やる以上は信念を語る。来ている聴衆に楽しんでもらえるように、精一杯にやる。そのような、「恥じらいから出発する」ことから生まれる表現への強い意志を、小林秀雄さんの講演から感じ取る。
 恥じらいから始まることは、表現の質にとって案外大切なことかもしれない。恥じらいには、すでに「他人の目」が入っている。ただ単に自分の表現したいという意欲を優先するというのではなく、見る人、聞く人への配慮が反映されている。

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

7月 28, 2008 at 07:38 午前 |

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コメント

恥ずかしさを感じるのは、「私」の中にはすでに
他者がいるからなのかなあ、なんて思いました。(入り込んでいる)

先生の場合は、照れくさい、
わざわざ人前で言うことでもないのに、
語ったりするのは偉そうで自分の性分には合わない。
自分の持っているコレクションをわざわざ披露
するかのようで照れくさいという感じでしょうか。

先日、先生はスタジオパークで「眼差しの快」について
語られていました。(まだ全部は見てないのですが)
見つめる眼差しは必ずしも快だけはなく、
不快に感じられることも多いと思いますが、
それは、私の実感、自意識がどう動くかでしょうか。

私が私を一番強く感じる時は、どんなときでしょう?
愛らしい誰かの眼差しに、私は私の実感します。
大袈裟に言えば、生の実感かな、なんて思いました。
思わず笑みがこぼれています。(ほんと、こぼれます)

ちょっと関連して昔、なんで自分は他人にバカにされると
腹が立つのかと考えていました。
思うに人間は、自身の自己像の確立するのに、どうしても
他者評価に頼ってしまうということなのかもしれない、と思いました。
そもそも自我というものが他者からの承認を契機にして
生まれているからだとも思いました。

この他者との関係性を積極的に捉えることができれば、
孤独な思いもふと、癒されることもあるのかもしれません。

投稿: pteron | 2008/07/31 22:37:49

茂木先生、

お元気ですか?

>恥ずかしがりやだから。。。ただやる以上は信念を。。。聴衆に楽しんでもらえるように。。。

って、なんかまんま茂木先生のことのような気がするんです。
それとも、そんなことはないって否定されちゃうかな。。。?

毎日暑くて、そして変な天気が続いています。
明日はどちらへでしょうか?お気をつけて。

投稿: 楠 | 2008/07/29 23:51:44

ほんま
その通りです。
だから私は
恥じらいがある人が好きなんだと思います。
でも若い人には
そういう人がなかなか居りません。
日本人には少ないんかな・・
とも思われます。

投稿: いもうと | 2008/07/28 19:15:24

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