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2008/07/14

烈しく差し込むあかりの由来するところ

夢の中で、大きなヒオドシチョウが飛んでいる
姿を追いかけていて、
その白い斑紋がきれいだなと
思い、あっ、そうか、羽の裏側に
白い斑紋があるのかと思った。

それで納得して、
ふたたび夢より深い無意識の海の
中へと沈んでいった。

しかし、目が覚めてよく考えてみると、
ヒオドシチョウの
羽の裏は真っ黒で、白い斑紋など
ないのだ。

生きる中で、「今、ここ」に
没入することは大切である。

子どもには、「今、ここ」しか
ない。
大人だって、「今、ここ」
は尊い。

しかし、ともすれば「今、ここ」
はばらばらの経験に分かれていって
しまう。

それらの断片を、蜘蛛の糸のように
絡まる意識の脈絡で
かろうじて「自分」の方に引き戻し、
すーっと「我」に還って
いかなければならないのだ。
そこで整合性のブックキーピングを
しなければならない。

夢の後で、
ああそうか、ヒオドシチョウの
羽の裏には白い斑紋はないのか、
と気付くように。

俵屋旅館の朝ご飯を食べながら、
至福の時間に感謝する。

部屋の書き物机のまわりには
コンセントの差し込み口はない
ものと思って、パソコンを
洗面所のコンセントに差して
出た。

和楽チームとの会食を
終えて戻ってくると、
書き物机の上に延長コードが
来ていつでも差し込めるように
なっており、インターネット接続の
モデムとイーサーネットまで
置いてあった。

見ると、壁に目立たぬように見事に
差し込み口が隠してあった。

日本家屋にはコンセントの差し込み口が
似合わない。

細かいところに届いた気配り。

ひとつひとつの空間のしつらいが
トータルで一つの質感をつくる。

お風呂の横のガラスを開けると、
手の届くようなところに
庭があり、緑がある。

近景としての緑の悦楽。

庭を共有しているにもかかわらず、
隣りの部屋とは視線が合わない。

渡辺倫明氏によると、これは
すべて主人の佐藤年さんの
丹念な追求によるところが
大きいということ。

佐藤年さんの亡くなった夫
アーネスト・サトウさんの書斎を
再現した「アーネスト・サトウ・ルーム」
は緑と光に包まれ、
ここで読み物や書き物をしたら
さぞ愉快だろうと思った。

東京に戻る。

赤坂の街は熱風に包まれる。

日本文化デザインフォーラム主催
日本文化デザイン会議2008。
原島博さん、千葉麗子さん、園山真希絵さん
とのセッションに参加。

続いて、日比野克彦さん、森司さん、
逢坂恵理子さん、秋元雄史さんのセッションを、
手元で仕事をしながら聞く。

隣には八谷和彦さんが座っていた。

桑原茂一さんと吉村栄一さんが
いらしていたのでいろいろな
お話をする。

人生というものの日常生活は
ほの暗い座敷で行われていて、
そこでは「今、ここ」の束縛が
大切だし尊重せねばならぬ。

ところが、隣りの座敷には
強烈なる日差しが差し込んでいて、
そのあかあかとした輝きを
日常座敷の立ち居振る舞いの中で
いかに意識しつづけるかという
ことが大切なのだ。

「今、ここ」のばらばらの体験を
蜘蛛の糸で自分の方に引き戻す。
できるだけ広い範囲を引き戻しなど
しているうちに、
自我の芯は臨界点へと高まる。

同時に、
「私」はいつかやわらかい自我の中心を
離れて、
決して手の届かないしかしごく身近にも映る
隣り座敷に烈しく差し込むあかりの由来
するところを想うのだ。

7月 14, 2008 at 06:08 午前 |

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暑い日が続くと、 体力を奪われ、 気力を減退させられるが、 こんな時こそ、ふんばり時といえる。 [続きを読む]

受信: 2008/07/14 12:07:18

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珍しくこんな時間まで起きているのは… すでに日付は変わって『今日から夏休み…』と同時に 私が九州方面へお出かけするので、家の片付けやら仕度やらで てんやわんや…なんです! [続きを読む]

受信: 2008/07/19 3:26:59

コメント

生きて動いている限り、「今、ここ」は“瞬間…瞬間…瞬間”の体験の連続。

一瞬、一時、の「今、ここ」で私達は「何か」を必ず「して」いる。

生まれてきてからこのかた、それはもう数限りないほどの「今、ここ」でのそんな体験の記憶が、自分の中で乱雑に積み重ねられている…。

丁度それは、バラバラのジグソーパズルピースのようなものだ。それを、自分のほうへ引き寄せて、組み合わせる。そうすると、いろいろな思い出のモザイク模様が出来上がる。

その思い出が、自分の精神の血肉になっていく。だから出来るだけ、外に出ていき、出来得る限り、様々な人々や物事と出会い、見ぬ知らぬものを体験し続けていくのだ。モザイクは益々複雑化していき、人はそこから明日を生きる為に「何か」を創り出していくのだろう。

その為に必要な「光源」は、眩いものであればあるほど、その「何か」が創りやすくなる。

…何処か支離滅裂なコメントになってしまいました。

ここ数日、本当に熱波地獄の日々が続いています。何卒、御体調を崩されませんように。

投稿: 銀鏡反応 | 2008/07/14 22:24:30

水滴がついた蜘蛛の糸を見るとキラキラ光っています。綺麗だなぁと思っていると…そのお城の住人は大きくて。
思わずびっくりw(°0°)w


光と影。
お互いにないものに惹かれる。
そして、ふたつで ひとつ。
バランスがいいのです(^ ^)
寄り添って、住まうのです。


庭の緑を見ながら、コーヒーとスイーツは、いかがでしょう♪
ふっと心が安まります☆

投稿: 奏。 | 2008/07/14 17:04:37

こんにちわ

私の場合、夢の中で、「何かすごい大切な事を思いついたぞ、夢から速く覚めて、ノートに書かなくては!!」と、強引に目を覚まし、ノートに書こうとすると、「あれ!?、何だっけ?」、と、なる事が多いです。(^^)

投稿: 夢の中の価値観のクオリアby片上泰助(^^) | 2008/07/14 16:26:53

素晴らしく啓蒙な文章と出逢えました【今、ここ】に感謝の気持ちで胸がいっぱいです。

投稿: すごい | 2008/07/14 16:16:34

-いま、ここ-
ふと、チェストの鏡を覗いた「今」、さっき外したばかりの、透明で大きなプラスチックにラインストーンをちりばめてあるピアスに目が止まり、なにかに揺さぶられている自分が見えてしまう、「今」です。

投稿: Nezuko S | 2008/07/14 15:30:40

茂木さん、こんにちは。今日もすっごく暑いですね~。この後、出かけなければならないかと思うと、辛いです。さて、今日の茂木さんのひと言ひと言、私、よ~くわかります。子供もおとなも「今、ここ」は尊いもの。でも「我に還る」ことは重要ですね。特に子供には、おとなが愛情をそそいでいかなければ・・・。「決して手の届かない、しかしごく身近にも映る・・・」何だかわかるような気がいたします・・・。ところで旅先での旅館やホテルでしていただいた細やかな心づかいはグッときますね?!私も幾度となく感動したことがあります。だから自分でもそのような空間で仕事をする時は、特に気をつけています。お客様は満足感を求めに、買いに?いらっしているのだと思うから。そういえば至福という言葉の使い方、気にしながら拝見しています。ただこの言葉、不思議ですね。慶びの席でも悲しみの時にも使われています。昔、小春日和という言葉が私たちの間で流行り(ヨーロッパでは老婦人の夏と同じ意味あいでの使われ方ですが)春本番に使っていた人がいましたが、気をつけなければいけませんね。茂木さんの言葉、著書はとってもわかりやすいですが、このクオリアでは抽象的な表現が多いですね?う~ん、どうしてなのでしょう???私、考えること、しばしば(笑)

投稿: 茂木さんの崇拝者より | 2008/07/14 15:00:24

日本文化デザイン会議のセッション、楽しく拝見させていただきました。
4人の方の個性が入り交じって、不思議な空間を作り出していたように感じました。

印象深かったのは、終盤近くで「最近の子供はいい顔ををしていないのでは?」という話題が出たときです。
茂木さんがおっしゃった、子供は昔から変わっていない、大人がそんな風に見ているだけだとずばっと放った言葉です。

何か世間の風潮を鵜呑みにして、一つの視点で物事をとらえてしまいがちなのは、私を含め、昨今の日本に存在する傾向のひとつだと思います。白か黒を決めて、一気に片方に突っ走るのは危険ですね(笑)

自分たちで勝手に制限を設けないで、もっと自由に思索したり、議論したり、ふわふわと舞い上がっていきたいです。

投稿: yuzuriha | 2008/07/14 8:02:07

差しこむ灯り

借景に癒され  隣の芝で気付く  

        夏草しげる我が家見て
                  癒される人いて
                  心痛める友もいて

  ☆ 万人のクオリア日記 万人に差し込む ・・☆  兆し

        

投稿: 一光 | 2008/07/14 7:39:20

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