« マルチチュード | トップページ | 生きることの真実 »

2008/06/29

蝶の楽園

 中学校の時、私は
生徒会長をやっていて、
 文化祭で「蝶の楽園」を企画した。

 教室の中に蝶を放ったら、
ふわふわと飛んでキレイだろうと
思ったのである。

 文化祭の前日、森にでかけて
いって何種類か蝶をとって、
虫かごに入れておいた。

 バランスを考えて、シジミチョウ、
シロチョウ類、アゲハ、セセリまで
様々な蝶をつかまえた。

 当日になって、教室に放ったら、
予想外のことが起こった。

 蝶たちは、明かりをもとめて
窓ガラスに向かい、そこで
バタバタとホバリングして
しまったのである。

 教室の中をゆったりと飛び回る
優雅な「蝶の楽園」には
ならずに、すっかりみっともない
風景となってしまった。

 一緒に企画した島村俊和くんが、
ラジカセから大音量で
 当時人気のあったプロレスラーの
ミル・マスカラスの入場曲
「スカイ・ハイ」を流した。

 何もないガランとした教室の
中に、ただ「スカイ・ハイ」だけが
流れ、お客さんも中をのぞき込んで
「何だ、これは?」と不思議そうに
帰っていった。

 そのうち、ぼくと島村くんは
諦めて、窓を放って
蝶たちを全て逃がした。

 「蝶の楽園」は失敗に終わった。

 全てのユートピア幻想は挫折する
運命にある。

 この世のことがらを考える時に、
規則的なことと不規則的な
ことは常に共存する。

 脳が学習を続ける「オープン・エンド」
なシステムである以上、
 どれほど規則的なことを
蓄積したとしても、必ずそれを
越える不規則的なことが存在する。

 私たちの感情や感性は、その不規則的な
ことがらたちに適応するために
進化してきた。

 たとえ、規則や論理で書くことが
できる領域が増大していったとしても、

必ず不可視の領域は、その「一歩先」
に存在し続ける。

 その境界面における「不規則」
と「規則」の融合、
 「感性」と「論理」の結合
のプロセスの中に、「美」は
起源する。

 「蝶の楽園」の失敗の
すこし横に、美しさの可能性は
あったのだろう。

6月 29, 2008 at 04:23 午前 |

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 蝶の楽園:

» オーナーさまからの感想メール(3) トラックバック 御林守河村家を守る会
梅の木オーナー様から送られた梅採りの感想メールです。 (8)2008/06/08 (日) 19:58 昨日はありがとうございました。 お天気もよく孫達も楽しかったようです。 梅の花が咲いている時期も又きれいでしょうね。 今後もよろしくお願いいたします。 ** **(***... [続きを読む]

受信: 2008/06/29 5:39:00

» ボクらの時代 樹木希林×YOU×是枝裕 パート2 トラックバック 須磨寺ものがたり
ボクらの時代、 先週に続き、 女優・樹木希林、女優・YOUと、 是枝裕が出演した。 [続きを読む]

受信: 2008/06/29 8:18:04

コメント

中学生の時、成り行きで生徒会副会長に立候補し、あららぁと落選し、生徒会の書記をさせられることとなり、視聴覚委員会の副委員長と兼任してました。昼食時に「ミシェル・ポルナレフ」の曲を流し、先生に怒られ、しかし中には、私のアナウンスの声が「舌足らずのハスキー(笑)」なところがいいとおっしゃる先生もいらして、なんとも、楽しく、平和な時代でした。

投稿: Nezuko S | 2008/06/30 4:14:23

茂木さん、こんにちは。

ミル・マスカラスは本当に「飛んでいた!」

小学生のころ、ジャーマンスープレックスやコブラツイストなどのマット上のワザの研究にいそしんでいた自分たちにとって、リングの「空を飛ぶ」などということはコペルニクス的転回だった。

「きのう見たか」「見た、見た」と同級生と話した。その日以降であったろう、もう、マットのワザの研究は終わり、いかにマスカラスのように飛べるか、が研究テーマになった。休み時間、みんな、「飛び」始めた。

後年、いろいろなことを知っているオトナの人に、あれは一つの興業だ、ショウだ、などど聞きたくもない「現実」を教えられた。

しかし、それが「現実」なら、そんな「現実」はどうでもいい。

心に刻んだ、まさに「一回性」のミル・マスカラスは、今も空を飛んでいる。

そう、切れのいい「スカイ・ハイ」のスタッカートとともに・・・。


その後、自分はいいオトナになって、いろいろな規則性の中で生き、シタリ顔で「現実」を説いたりもした。それで世の中のことがわかったような気もした。

しかし、それは正しかったのか?

もう一度、不可視の領域に自分を投じてみてはどうか。

わかったような「規則的」「現実」だけが正しいのなら、夢見たはずの「蝶の楽園」は永久に報われないではないか・・・。そのまま終わっていいのか?

もしかすると、茂木さんの”cool breeze”に乗り、「飛ぶ」ことを、何十年ぶりかにもう一度やってみる時期かも・・・。あ、休み時間を告げる鐘が鳴っている・・・。

投稿: 砂山鉄夫 | 2008/06/30 0:18:34

こんばんは。

>何もないガランとした教室の中に、ただ「スカイ・ハイ」だけが
流れ、お客さんも中をのぞき込んで「何だ、これは?」と不思議そうに
帰っていった。

傑作ですね(笑)・・・スミマセン。涙が出るほど爆笑してしまいました。
中学校の文化祭のとき、教室をメルヘンチックに、と企て、天井から吊るした大きな布におもちゃやらぬいぐるみやら光ものをあれこれと取り付けて飾ったのですが、当日の朝、「メルヘンの楽園」を楽しみに教室へ入ると、そこに待ち受けていたのは、オブジェの重みについに布が耐えきれなかったのでしょう、まるでガラクタまみれの崩れたテントのような有り様でした。そんな楽しかった想い出が蘇ってきました。

>どれほど規則的なことを
蓄積したとしても、必ずそれを
越える不規則的なことが存在する。

例えば水成論と火成論を思い浮かべました。河川の流れによって土砂が徐々に堆積していくプロセスと、突発的な火山の噴火により火山灰が堆積するプロセス。土地の形成において双方が必要とされているのと同様に、人の成長においても、地道な積み重ねと、時には劇的な変化にさらされることの必要性。予測できない事態には打ちのめされることが多いですが、その不意打ちを克服できたとき人は大きくなれると自身に言い聞かせています。

>たとえ、規則や論理で書くことが
できる領域が増大していったとしても、
必ず不可視の領域は、その「一歩先」
に存在し続ける。

規則性や定数のようなものに寄り添っていれば安心だし、どうしてもそれを求めてしまいがちだけど、残念ながら(笑)理論との不整合は存在し続けるというわけですよね・・・。
以前、日経サイエンスの対談『科学のクオリア』で扱われたemergenceの概念を思い出しました。理論→創発→理論→創発…そんな追いかけっこをしているかのような。無限の追いかけっこが、理論と創発の共存につながっているのでしょうか。
さまざまな現象から一つの理論が導き出されることには美しさを感じます。ただそこだけにはとどまらないエンドレスな振る舞いが存在することになお、途方に暮れるほどの魅力があるようにも感じます。


地元でもようやく梅雨らしい時期になりました。
今日は親戚からもらった梅で梅酒づくりをしました。
今、しっとりと降る雨が心を落ち着かせてくれます。

投稿: s.kazumi | 2008/06/29 22:57:15

茂木さん、こんばんは

「その境界面における「不規則」
と「規則」の融合、
 「感性」と「論理」の結合
のプロセスの中に、「美」は
起源する。」

むむーーーーん・・・・!!
とっても深いお言葉ですね!!

このお言葉から、連想したのが
音楽療法などでよくつかわれる、
「1/fゆらぎ」のことです。

星の瞬きや
波の寄せる音、
健康な人間の心臓音、
etc,etc...

自然界のあらゆるところに
ゆらぎの音は見出せます。

それは規則的でいて不規則でいて。
どちらにも偏っていない。

私は、1/fゆらぎのことを初めて知ったとき、
とても驚いたのですが、
自然の中にゆらぎは多く存在し、
それに人は癒される。

私にとっての自然とは、
美そのもの、です。

本物の美に触れたら、
人は癒されるんだ、
そう繋がったとき、
私は本当に心の美しい人となって、
自分の病を癒したい。
そんな風に思いました。


それにしても、
茂木さんはとても美意識が高くてロマンチストですね!

教室の中にふわふわと舞う蝶、
実現したら不思議な空間になったでしょうね!

教室の中の蝶ではないのですが、
沖縄の宮古島で、
毎年クリスマスの季節になると、
オオゴマダラのクリスマスツリーが登場するようです。

http://photos.yahoo.co.jp/ph/cantabile0307/lst?.dir=/c6e8&.src=ph&.view=


地元のローカルニュースで見たときは、
すっごく感動しました!!
ツリーにぶら下がっている
金色のさなぎが蝶になると、
ツリーのわまりをふわふわ飛ぶそうですよ!
この映像にも感動しましたが、
蝶のツリーを考えた人の感性も素晴らしい!と思いました。

北の国の本格的なクリスマスツリーも素敵ですが、
南の島の蝶のクリスマスツリーも、素敵ですね☆


投稿: ももすけ | 2008/06/29 22:23:54

こんにちわ


> 全てのユートピア幻想は挫折する
運命にある。

ユートピア幻想は、0.1%、0.01%でも達成すれば良いのではないでしょうか?。私たちの脳がオープンエンドである限り、この宇宙もオープンエンドになるのではないでしょうか?(^^)

投稿: オープンエンドのクオリアby片上泰助(^^) | 2008/06/29 19:02:00

今日コメントした中で、自分がとんでもない勘違いをしていたことに
たった今、気づきました・・・。

Michael Hardtさんがこんないいこと言ってると
ご紹介くださった言葉を
なぜか、Adamski型といわれるUFO発見者?のGeorge Adamskiさんの
言葉と思いこんでいました。
WikipediaでAdamskiを調べても載っていなくて(あたりまえだ!)
ひょっとすると、これは茂木さんのcreative writing?
との妄想にとり付かれておりました。

訳の分からぬコメントで失礼。
笑いとばしてくださればこれ幸い。

投稿: 高橋純子 | 2008/06/29 18:18:41

茂木さん、こんにちは。
先週、風がキモチよかった日、アゲハ(たぶん)をみました。ひらひらと美しかった。黒いドレスを身に纏った、気の強そうな、でも折れてしまいそうな想像のなかの女のひとを思い浮かべた。

「予想外」
「全てのユートピア幻想は挫折する運命にある。 この世のことがらを考える時に、規則的なことと不規則的なことは常に共存する。」 
ユートピア。
ひそかにずっとずっと想い続けているわ。
もうそんなことどうでもいいじゃないと投げていた時期もあったけれどね。
生への執着。カラダが言うのよ。あたしがあたしだと思っている意識はこの肉体と魂でしょうって。
(もし生まれ変わったらのお話は、好きじゃないし。
他人は勝手なことを言うけれど。言うのは自由。言わせておきましょう)
あきらめない。
信じ続ける。
もちろん疑うことは忘れずにね。
いまのあたしにあるのは、魂だけよ。

投稿: 柴田愛 | 2008/06/29 18:15:24

茂木さんの『蝶の楽園』を成功させる為に必要だった物は…終わってからわかる事ってありますね。とても子供らしい発想ですが、でもこれと同じような事が大人社会には実に多くあると思います。「学問とは学んでも学んでもまた次があり青天上のような…」と茂木さんは『脳を活かす勉強法』に書いておられますが、仕事をしていると日々、実感する事が多いです。これまで得た知識は勿論、大事ですが常に“今、学ぶ”という姿勢をもっていないと…と思うこの頃です。

投稿: 茂木さんの崇拝者より | 2008/06/29 16:01:47

蝶の楽園…残念でしたね。
今の茂木さんが蝶の楽園を作るとしたら、どのようになっているかな?とふと思ってしまいました。


「美」への可能性のプロセスですが、よく分かってはいないのですが、考えるとワクワクとドキドキ…そしてちょっぴり怖さを感じます。

なぜでしょう?

ただこれらを受け入れて、進んだ先に何があるのかも気になります。

何があるの?

投稿: 奏。 | 2008/06/29 15:01:40

中学校での文化祭で“蝶の楽園”を思いつく…茂木さんらしい、素敵なアイディアですね!

もっとも、それが失敗に終わった、というのは蝶の気持ちを思えば、分かる気がします。蝶もそうだけど、自然界の住人たちは、我々人間の思惑通りには(必ずしも)動いてくれないですものね・・・。

…さて、文化祭ということで、茂木さんのケースとは少し違いますが、こういうことがありました。

やはり中学時代のこと――。

私のいたクラスとは別のクラスで「映画」が製作された。

そのクラスでは、確か全員が、企画、構成、脚本、撮影など映画製作の全プロセスを、全て自分たちで行っていた。いわゆる「自主製作映画」であった。

校内の廊下沿いの壁に、その映画のタイトルを書いた手製のポスターが貼られる頃になると、級友たちと『いったいどんな映画になるのだろう?』と囁き合い、出来映えを楽しみにしていた。

いよいよ文化祭当日…!私達はわくわくしながら、そのクラスを訪れた。教室内は壁じゅうに暗幕が張り巡らされ、仮設の映画館と化していた。

上映が始まった。映画館で見る劇映画並の出来映えを予想していた私達は、いきなり“裏切られた”気持ちになった。見に来ていた他のクラスの生徒も、お客さんも「なんだよ~」という声を上げていたように思う。

画面に移る登場人物の顔かたちが、全て「影絵」のようになってしまっている。

おまけに画面はピンぼけ…。最後のシーンで映し出された、校舎についている校章だけが、印象と記憶に残ってしまった。

結局、想像していたものとはまったく違った出来映えに、私達は「あ~あ」と腹の底でため息をついたのだった。

茂木さんのいわれるように、どれほど、こうすればうまく行く、セオリー通りにいく、といって、規則的に万端なる準備をしても、いざ本番という時に、想定外の不規則事態が起こってしまうのだなァ…と、今こうして中学時代の文化祭の思い出を書きながら、しみじみと感慨している。

学校の文化祭から現代社会におけるコミュニティの構築まで、眼に見える“ユートピア”を築く、とは難事中の難事なのに違いない。

投稿: 銀鏡反応 | 2008/06/29 14:03:09

同じく中学3年生の文化祭で教室にプラネタリウムを作りたいと私ともう一人の男子生徒の意見が通った。教室いっぱいに竹と黒いゴミ袋とダンボールでドームを作り、星穴を開け、教室の電気をつけると
一応星が満天の部屋になった。

帰宅すると母から「どこかスイッチ押せば星座が浮かび出るようにしておけばいいのに」と冷たい一言。

理科の先生が担任のクラスでは、「あなたの将来が見えます」と書かれた小さなボックスに長蛇の列。30分以上ならんでその箱を除くと「あなたの将来」と中に文字が書かれていた。

必死にシステムを考えてまじめに作り上げた私たちの作品が、理科の先生の知性にひっくり返された思いがした。その瞬間、脳内で思考破壊が起きたことが印象的だった。

これだったのか?

システムや、科学は決して一直線上にはなく、常に不規則に進化していく。村上陽一郎先生の科学論の授業を受けたときに、納得できた。ガリレオは有名な科学者として知られているが、その科学とは?今の時点では笑える研究も沢山ある。

世の中、笑えるような、ユートピアを求める方向へも学問は進んで欲しい。それは、今の段階での評価、将来の評価、送り手と受け手の感性は違うものだから。

100投球100命中。ありえない・・・。
どうにか逃れたいと思いつつ、
毎日はまってしまう茂木先生の魅力。
一つの現代ブラックホールです。
(ホワイトホール?!)

投稿: 茂木先生崇拝者 | 2008/06/29 13:21:47

>必ず不可視の領域は、その「一歩先」に存在し続ける。

中学のみっともない思い出は、障害物リレーのアンカーだったときです。山育ちだから、運動会の「かっけこ」はいつも楽勝でした。しかし、1位でゴールしたら、障害を1つクリヤするのを忘れて失格。担任の先生に「なんだエンドー、舞い上がっちゃってさー」と言われてしまいました。

高校の体育祭、200メートル走の選手で出場たとき。ごぼう抜きしてトップになり、ゴール直前で転倒。これもばつが悪かった。

詰めが甘い!と言われればそれまでですが、これらの失敗は私にとって「不可視の領域」にあったのかもしれません。でも、その横に「美」を感じるゆとりはありませんでした。

『マヌの法典』に、「真っ暗闇の森の中で火をたけば、周りに見える領域が増えるが、だからこそ闇はますます深まり、いまだ見えない漆黒の領域はさらに広がる」という意味の言葉があるそうです。
科学が宇宙の始まりを説明し、Lisa Randallが無限に広がる5次元のバルクを予測したとしても、なお先に横たわる広大な「未知」。
今度こそ、その「すこし横に、美しさの可能性」があったらいいなと、感じました。

ありがとうございました。

投稿: 遠藤芳文 | 2008/06/29 12:22:44

蝶の楽園・・・  深い緑色の、夏の夕暮れの匂いのする、蚊帳の中。小学2年の夏休み。都会から集まった従兄妹達と、団扇片手に捕った蛍たち。わくわくして、不思議な光に幻惑した。失いたくない儚い命と夢の時間の心地よさをどうにかして長続きさせたくて、そっと、蚊帳の中に入れた。一緒に眠った。・・・  朝、蛍たちの光は何処にも無かった。

投稿: ぶらんか | 2008/06/29 11:24:48

先日、勤務先の校長室で 
「あら、応接テーブルの上にかわいいスミレが・・・」
と思い近づいたところ、ヒョウモンチョウの幼虫が葉を食べていて
ギクッ!

色鮮やかなのですね。
思わずのけぞりましたが
「豹柄のきれいな蝶なんですよ♪」と先生は満面の笑み。
『生きて死ぬ私』にも鮮烈に描かれていましたね。

朝カルでたっぷりホットな話題を聞かせていただき、
シナリオの無い独特の講義に惹かれます。
AdamskiのIdealsとしてご紹介くださった文章、
茂木さんの遊び心には脱帽です。

投稿: 高橋純子 | 2008/06/29 11:18:43

茂木先生
 はじめまして。
偶然、先生のブログに出会い、今回コメントさせて頂いております。
今回の記事は、とても懐かしい感覚を呼びもどさせて頂いた感じです。
何か、儚くて、もろくて、そして淡くて、でも誰しも一度は通った、少し寂しい感覚。
一瞬、自分の感覚が、現実の枠を超えそうになって、超えられない事実に気づいてしまう。しかしそういう儚さの横に、本質的な美しさがあるかもしれませんね。
そして同時にこの時期は、大人になってわかってしまう不自然さを超える理想を持ちえた時期なのかもしれませんね。

しかし蝶にとっては、 
本当の楽園は、窓の外にあったのでしょうね。

 とても、心に残る話を読まさせて頂き、本当にありがとうございます。
                             ひで

投稿: ひで | 2008/06/29 7:38:43

コメントを書く