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2008/06/25

究極の平等

夕方の街を歩きながらふと思った。

思考が高度化し、抽象的に
張り巡らされるほどに、
その人の注意はこの世の具体的な
事物から離れていく。

この現実の空間から、
この世のものではない、
イデアの世界に遊ぶようになる。

その過程は、いわば、魂の
「移住」である。

幼き頃、ふとんに入っていて、
目の前の小さなわたげをあきること
なく見つめていたような、
あるいは、水飴のようなじりじりとした
時間のやり切れなさを感じていたような、
あのような「今、ここ」への粘着を
失っていく。

希望は、イデアの世界に移住しつつ、
なおも、目の前の小さなわたげに
粘着するような、
そんな精神のあり方の中にあるのではないか。

昨日放送された
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
のがん看護専門看護師、
田村恵子さんがいらした回に
スタジオでお話ししたことで、
書き忘れたことがある。

http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/080624/index.html 

田村さんは、人間というものは、
不治の病を得るのが
何歳の時でも、それまでの人生を
ふりかえって、充実した良い人生
だと思うことができる、とおっしゃった。

若くして手の施しようのない病にかかるのは
つらいことだけれども、
向き合う中で、たとえ「平均」から
すれば短い時間だとしても、
振り返り、充実した人生だったと
思うことができる。

逆に、たとえば90歳の人が
病となり、周囲は、「90まで生きたん
だから、もういいじゃないか」と思った
としても、本人は、「あんたらは
そういうかもしれないけれども、私は、
たとえ一日でも長く、と思うんだよ」
という感覚を抱く。

この世で得た生の時間が短くても、
長くても、人生の意義においては
人は「究極の平等」の下にある。

そんなことを田村恵子さんは
おっしゃった。

広がった、梅雨の晴れ間。

一夜明けた今日は、もう水蒸気の
スクリーンが空を覆っている。

6月 25, 2008 at 06:37 午前 |

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コメント

茂木さん、おこんばんは。
昨日、
「希望は、イデアの世界に移住しつつ、なおも、目の前の小さなわたげに粘着するような、そんな精神のあり方の中にあるのではないか。」
手帳に書き写しちゃいました。
大事だから。
いつも見たいから。
希望と失望。なにくそと魂。
覚悟の甘さに泣き、また立ち上がろうと荒野に立ったとき、このコトバに出会った。
あたしのなかにもある。確かなことはそれだけだ。
ただただ茂木さんのコトバをムシャムシャ食べた。

投稿: 柴田愛 | 2008/06/27 0:13:18

おはようございます茂木博士。


「人生の意義」…
励まされる言葉でした。


病気ってたった二文字ですが、内容によっては色々なものを諦めたり手放したり絶望したりする事の繰り返しです。

「もうこれ以上手放すものはない」…
と絶望していても、更に諦めなければならなかったりします。時には人間としての尊厳さえも。
見た目人間として生きるのか、それとも…
言葉にし難い選択を繰り返さねばなりません。


お読みしながら「人生の意義」が平等にあるなら…
病と闘う人も、それを支える人も、或いはそれとは違って何かと闘い絶望している人も、生きている今を前向きに進めそうだと感じました。


今朝は肌寒いですね。お風邪など召しません様に…
では(^O^)/

投稿: Marie | 2008/06/26 6:55:08

ららら虚  平等であって 対等でない  るるる去

        

投稿: 一光 | 2008/06/26 6:54:50

おばあさんの中には元気な少女が住んでいます。
田村セツコさんのイラストにも惹かれます。一見、愛くるしい「山の図書室」というタイトルの作品では、ヘルマン・ヘッセと格闘する真摯なまなざしの女性に出会えました。ttp://www.spaceyui.com/hotnews/setukosensei08.html

投稿: 白井 | 2008/06/26 6:38:14

非線形科学について知ろうと思い、大きな図書館内で貸出限度の5冊を関連の20~30冊の中から選び、家に帰り、やおら読み始めると物理学の「心脳問題」、つまり哲学的問題等々が。
Nonlinear Narrativeに関して必要不可欠と思った知でありました。James Joyceの本が、原・翻訳書ともに数冊手元にあったので、理論の実践をしようと思って借りてきましたが、その5冊の中には、神経システムの本もあり、なぜか、読みながら、博士のことが頭に浮かんでしまう珍現象?!が、my room(V.Woolf曰くにはほど遠い)で起こっているところです。。。

投稿: Nezuko S | 2008/06/26 5:47:39

>イデアの世界に遊ぶ
>「今、ここ」への粘着

この2つの両立はとても難しく見えます。でも、「花瓶と横顔」のように、同時に目の前に存在しているようにも思えます。そして女性の場合は常に「横顔」という「今、ここ」に粘着し、男は「花瓶」というイデアの世界ばかりにいるような気がします。
やはり、女は存在で男は現象なのか。
女、男、どちらか一方だけでは、人類が存在しないように、「今、ここ」と「イデアの世界」のどちらが欠けても、女も男もバランスの崩れたままなのでは…。

>希望は、イデアの世界に移住しつつ、なおも、目の前の小さなわたげに粘着するような、そんな精神のあり方の中ににあるのではないか。

おこがましいようですが、茂木先生のこのお言葉にまったく同感です。

何年か前から、イデアの世界ばかりにいないで、「今、ここ」に集中するように、気をつけています。すると、それまで見えなかったことが見えてきました。
家が山の上にあり、外でリスが電線をミカンを加えていそいそ伝わっていたり、さまざまな植物や鳥が生き生きとし、どこからか家に入ってきたお客さん、クモ、アリ、ヤモリ、ガ、ゲジゲジ、ムカデ、そしてゴキブリでにぎやかです。
偏見や先入観なしに彼らを直視すると、生命の流れが明らかに伝わってきます。
ゴキブリをたたこうとして、息を潜めてじっとすると、向こうも息を殺し、「命がねらわれている!」と感じていることが伝わってきます。すると、なかなか殺せなくなります。
ムカデは恐れ知らずです。こちらがスリッパか何か持って構えても、どんどんこちらに向かってきます。スリッパくらいでは死なないことを知っているかのようです。
こっちが嫌いでも、向こうは好きなのかもしれない。だから家に入ってくる。彼らに何の感情もなしに、無慈悲に接することはやめました。こちらの好き嫌いに関係なく、彼らも生命の流れの中にいるからです。

そして、生物以外の石、風、雲、雨、空……にも生命の大いなる流れの中にあることにも気づきました。

そして「内なる声」が聞こえてきました。

世界の行く末を気にしてはなりません。
あなたが世界であり、世界はあなたなのです。
あなたが平和であれば、世界も平和なのです。
あなたが恐怖に満ちていれば、世界も恐怖に満ちているのです。
未来を思い煩ってはなりません。
小さなあなたは常に未来に不安を抱いています。
過去を悔やみ、心がうずきます。
今このときを忘れてはいけません。
常にあるのは今このときしかないのです。
それは過去から未来への通過点ではありません。
今このときは限りなく広大に広がっています。
過去も未来も存在しません。
無量に広がる「今」があるのみです。

ありがとうございました。

投稿: 遠藤芳文 | 2008/06/26 1:27:31

田村さんの回。
収録された方の病状が手にとるように分かり、その度に随分前に亡くなった祖父と重なりました。
胸につまり、切なさも…

花嫁とお父さん。そして家族の思い。
それまでなんとか堪えていましたが、チャペルでのシーンで堪えきれず涙が溢れてきました。

ご家族の皆さんもどうすれば、残りの時間をご本人らしく過ごしてもらえるかを考え、そうしてゆき。
周りの医師や看護師さんたちも全力で、支える。

濃密な時間。


胸がつまるような切なさもありますが、見ていて(そして祖父を診ていた時感じた)自分もこうありたいという目標…パワーも頂けます。

人生哲学というか…人生こうあるべし!と云った事が一緒に過ごす毎日で感じるのです。

そして日々、無事に過ごせることに感謝するのです。

…ご冥福をお祈りします。

田村さんの回で受け取ったパワーを…私自身も、繋いでいきたい。


それが生きていく意味で、振り返った時の充足感と幸せを感じられることだと私は思うから。

投稿: 奏。 | 2008/06/25 23:32:17

「希望は、イデアの世界に移住しつつ、
なおも、目の前の小さなわたげに
粘着するような、
そんな精神のあり方の中にあるのではないか。」

のくだり、私もどこかで感じていた事と非常に合致して、とても共感しました!(^-^) 今日も素敵な日記をありがとうございました。

投稿: 朝 | 2008/06/25 23:15:20

自分自身の、今の生活を振り返ってみるに、この地上に、実際に立って行動しながら…朝、起きて朝食を食べながら、通勤の為、自転車で最寄の駅まで向かいながら、現場で仕事をしながら、昼食をとりながら…よく心は“空想の世界”に遊んで居たりする事が多い。

“空想の世界”…私にとっての“イデアの世界”では、何時も音楽も一緒に鳴り響いていて、様々な映像がモザイクのように、アタマの中に浮かんでくる。子供のころから現在に至るまで、いつもこうなのである。

自分がどのような最期を迎えるかどうかは、全く予想が出来ない。けれども、この先何があっても、しまいまで強く生きていこうという気持ちだけは、この手から決して手放さないようにしている。

昨夜の「プロフェッショナル」でみた、田村恵子さんのやさしい笑顔と、患者さんたちの穏やかな表情が、未だに瞼の裏から離れない。番組を思い起こしながら、様々な深い思いを過ぎらせている。

今日は実にからっとした梅雨の晴れ間となりました。お身体、くれぐれも御自愛下さい。

投稿: 銀鏡反応 | 2008/06/25 21:14:41

I hate you !                          

僕は茂木さんが嫌いです。僕の時間を泥棒するからです。

横浜美術館の音声ファイルが僕の時間を奪いました。

僕は茂木さんが嫌いです。僕を中毒状態にするからです。

茂木さんの話を聞きだすとドーパミンがヴィクトリアの滝のように流れ出てきてやめるにやめられなくなります。

講演のなかで茂木さんはこういいました。”これから書き下ろしは英語で書く”と

僕は今、世界全体を一身に引き受けて世界を揺るがす小説を書いています。

僕は茂木さんが嫌いですが茂木さんの英語の力はかっています。

僕の小説の英訳を茂木さんに任せてみてもいいかなとも思っています。

たぶん一年後にお願いすることになると思います。

僕は茂木さんが嫌いですが、いづれ会うことになると思います。なぜなら

Gad's in his heaven. All's right with the world ! だからです。

僕は茂木さんが嫌いです。けど...

やっぱり、やっぱり.....

I love you !!!

 

投稿: 美輪明宏大好きっ子 | 2008/06/25 17:11:30

茂木さん、こんにちは♪

「この現実の空間から、
この世のものではない、
イデアの世界に遊ぶようになる。」

むーーーん。。。
このお言葉、私が尊敬してやまない、
荘子のようだ・・・・と思いました。

「いったい、荘周が蝶になったのか、
それとも蝶が荘周になったのかーー」
有名な、胡蝶の夢ですが、
荘子も、イデアの世界に遊んでいたのかも知れません。

しかし決して、イデアの世界にだけ遊んでいたのではなく、
自分を受け入れ、運命を受け入れることの大切さを、
荘子は語っています。

茂木さんの、横浜美術館のお話にもありましたが、
私たち人間は、
自己認識できるようになったが故、
精神がそれに束縛されるのだと。

しかし、
自己のありのままを受け入れたときに、
人生を楽しみ、他人にも優しく生きることができるのだと。

病、というと、不幸、というイメージがありますが、
それは人それぞれのとらえ方でことなり、
たとえ短い人生でも、
その中に、その人自身の命、個性を輝かせることができれば、
きっと、スピリットで納得する人生になると思うのです。

私の友人や知り合いには、医療関係者が多いので、
不治の病で亡くなってゆく方の話や、
医者自身が、
癌をわずらい、自分自身のスピリットの方向性を
変えることで
奇跡的に癌が治癒したという話、

重い精神病で、若くから精神病院に入院し、一生このままだと
半ば見捨てられた方が、
希望を決して捨てなかった医師の力によって、
奇跡的に回復した話、、、

人間の生きる力、
生命力、
自然治癒力がなんとたくましいことか、
そしてその生命力の根源はどこからくるのか。
心が洗われる話を何度も聞いたことがあります。

共通点は、
田村さんと同じで、
何があっても
決して希望を見失わないという強い確信、
いわゆる信仰に基づいています。

もう駄目だ、
すべてをあきらめ絶望するところに、
希望は生まれません。

希望を持ち続けることは、
見えないけれど確実に存在する
個々人の生命力、
生命力の根源を信じるところから始まります。
見えないものを信じるのは、信仰の世界です。

信じるところに、
短い人生も
長い人生も
良い人生も
悪い人生も、
そこに意義を見出すことができるのだと思います。

投稿: ももすけ | 2008/06/25 16:47:45

時間には、
色んな解が存在するんですね。

田村さんは「究極の平等」に
その解を見いだし、

私は「死後の命」に
その解を見いだそうとしてま〜す♪

投稿: 亀井隆行 | 2008/06/25 15:35:50

こんにちわ

私も、小説に興味を持って、小説にはじめて書いて、出版社のコンテストのような所で、700人中70位ぐらいになったことがあります。それ以来、頭の中で点と線がつながると、無性に小説を書きたくなる事が事があります。原子力発電すると、副産物としてプルトニウムが出来るように、茂木さんも、イデアエネルギーが貯まってきているのでは?(^^)

投稿: イデアエネルギーのクオリアby片上泰助(^^) | 2008/06/25 14:28:55

いつもこの文章を読ませていただいています。ありがとうございます。
そしていつも、自分のことを省みます。引っぱたかれたように感じることもあります。もっと表に出て来いとはげまされているように感じるのです。


投稿: あすなろ | 2008/06/25 14:26:12

「究極の平等」とは何だろうと考えました。

すくなくとも、私達にとって平等というものは、ある関係性において成り立つものだと考えられています。
勿論、そのような「平等」を否定したりしませんが、しかし、私はそれが「”究極の”平等」だとは思えません。
何故ならば、その「平等」もまた、「不平等」と別けて考えられるという意味での「平等」にすぎないからです。
私は、「究極の平等」とは、関係性において成り立つというよりは、むしろ、その関係性を成立させている前提そのものと感じます。

そもそも、その関係性の”前提”によって、相互は平等であったり、平等でなかったりする。また部分や全体が別けられる。

そして「私」は、その関係性の”前提”によって、「私」と非「私」と「「私」と非「私」の関係」に別けられる。それらは、互いに違っているけれども、もともと1つであったから別けることができるのだと私は思います。もともと1つの「究極の平等」であったからこそ、私達は平等であるとか、非平等であると感じることができるのだと思うのです。

しかしそれは「私」という別けられたものからの脱却によって開かれる悟りのようなものなのではなく、それはいつも答えとして私に示されているのだと思います。

投稿: 金田恭俊 | 2008/06/25 14:10:57

共にしわや白髪が生えるまで一緒にいられそうだな!と思っていますが、こればかりは神のみぞ知り得る事…。まぁ、精一杯、生きてゆきたいですね。なんだか、昨日の余韻で今日もしんみり…。最後に皆さんやその周りの方々の身体に何かしらよくない事が起こった時、良き病院・医師&看護士との出会いがありますように!

投稿: 茂木さんの崇拝者より | 2008/06/25 14:00:00

今日は。昨日の放送…茂木さんの今日の追加文と皆さんのコメントを読ませていただき私が思う事は、「人生の幕切れ」が予期せぬ早さで訪れたとしてもそこに至るまでの生きた証しや想い出があれば良い…。意外と患者本人やその近親者の精神は強く、傍からみるよりは至福を得られているように思うのです。しっかりと最期の時を迎えるまで生きようとする気持ちとそれを最期まで自分が支え抜く…という幸福感とも言いましょうか…。私は縁あって一緒になったパートナーとは共によく働き、そして色んな所へ旅をし、一つでも多くの想い出を…と考えています。

投稿: 茂木さんの崇拝者より | 2008/06/25 13:46:42

時間ほど主観的な
物理量はないってことですね。

体感時間の粘稠性を増すように
日々努力する毎日です〜☆

投稿: 亀井隆行 | 2008/06/25 11:13:22

「粘着」
昨日、丁度 "attach"という単語をどう日本語にするか、
苦心した。

attach your self.

偶然にも、昨日の皆さんからのコメントに「心に寄り添う」という言葉がたくさん出ていた。そして今日の茂木先生の「粘着」昨日の私の仕事は、この言葉をフランス人が日本人のある一人の若い女性へ英語で発していた言葉。

人はそれぞれの経験からその人の発する言葉に含蓄が出てくる。昨日、今日のこのブログで、みんな同じクオリアに浸り、そして「粘着」している。そんな気がする。

辞書によると、attachはくっつけるという意味のほかに、通例受身形で「〔人〕を愛情で結びつける」とか「・・・に愛着を感じさせる」という意味もある。

投稿: 茂木先生崇拝者 | 2008/06/25 8:44:03

こんにちは!いつも茂木さんの核心を突く示唆深いご指摘、新鮮な発見や革命的ともいえるスタンスに胸をワクワクさせ啓発させて頂いております。ありがとうございます。現代文明の行き詰まりは、人間が真摯に「死」の問題に向き合わなくなった、「死」という最も肝心な問題を直視せずして傲慢にも論議をし物事を進め、暴走してきた結果だと思います。奥の深い「死」を真剣に語らずしてなにゆえに豊かな「生」を語ることが出来るのでしょうか・・。日本文化の素晴らしさを蘇生させ、世界に良い影響を及ぼしていくためには、その奥底に、深遠かつ世界的普遍性を有した宗教的というか哲学のようなものがなければならないと、私は痛感するのですが、いかがでしょうか?日本には哲学が欠けているような気がします。

投稿: ひまわり | 2008/06/25 8:43:34

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