« 『ペンローズの〈量子脳〉理論』3刷 | トップページ | 『すべては音楽から生まれる』17刷 »

2008/05/15

共存させ、活き活きとした

早稲田大学国際教養学部の
授業は、
脳とコンピュータの違いについて
考えた。

まずは、ヒルベルトが夢見た
「すべての数学を形式化する」
という計画を紹介。

ラッセルとホワイトヘッドは
「プリンキピア・マゼマティカ」
でヒルベルトの計画を実行しようと
試みる中で、「ラッセルのパラドックス」
のような困難に出会う。

「自分自身を含まないような全ての
集合の集合」といった自己言及を
含む表現は特殊なもので、ナンセンス
であるように思われる。
しかし、問題は、形式主義に依拠して
何の制限もなく操作した場合、
そのような矛盾が生じることが
避けられないという点にあった。

続いて、ゲーデルの「不完全性定理」
を紹介。

ここまで準備した上で、
サールの『中国語の部屋』
の議論を紹介して、「理解する」
ということについて考えた。

授業は、英語。
しかし、そこまで英語が
得意ではない学生と、
せっかく日本に留学している
外国からの学生のために、
時折日本語のセンテンスを挟み込む。

ソニー本社で、所眞理雄さんと
お話しする。田谷文彦クンも
同席。

研究の方向性などについて有意義な
お話をすることができた。

横浜FMで、黛まどかさんと
藤田優一さんの番組
KANAGAWA MORNING CAFE 
におじゃまする。

黛まどかさんに最初にお目にかかったのは、
京都造形芸術大学でのシンポジウムの時。

俳句という日本の芸術の本質について、
現代的な文脈を引き受けつつ、
マジメに、まっすぐに情熱を
持って進んでいる姿に
感銘を受けたのである。


黛まどかさんと。FM横浜で。
(photo by Atsushi Sasaki)

東京駅近く、八重洲ブックセンターにて
宮島達男さんの新著
『Art in You』 の刊行記念トークショウ。

水戸芸術館で開かれていた宮島達男さんの
美術展Art in You展に出品された
HOTOは、宮島さんのこれまでの
表現活動の一つの到達点であり、
また、現代美術が置かれている
水域を一変させる力を持った
歴史的な作品だと思う。

そのHOTOを中心とする
宮島さんの作品を集めた
この本は、宮島さんの力のこもった
テクストとともに、忘れられない
感触がある。

私たちは、現代社会の中で、
世俗的な文脈の中で一生懸命がんばって
いる。

商業主義は、どんな分野で活動する
人にとっても、無視することので
できない「友だち」。

しかし、商業主義という「友だち」
だけだと、人間としての生き方が
「全体的」にならない。

同時に、生や死や、魂のことを
思う、「聖なる」領域を確保
しなければならない。

商業主義と、聖なる領域と。
どのようにしてそれらの
異なるものを共存させ、
活き活きとした命の動きを引き出すか。

今回の展覧会をキュレーションした
水戸芸術館の森司さんの巧みな司会も
あって、宮島達男さんとの対話は、
永く記憶に残る深い
感触を残すものとなった。

HOTOを生み出して
現代の私たちの前に提示下さった
宮島達男さんに心から感謝する。


宮島達男さんと。対話の前の控え室にて。
(photo by Atsushi Sasaki)

It is sometimes argued that the nature of consciousness needs to be considered essentially within the social context. Horace Barlow (ref) argues that the functional significance of consciousness is to be able to reflect on one's internal state, so that it could be reported and communicated to others. Given the fact that solipsism does not lead to any significant advantage in terms of the interaction with others in society or with the environment, delving into the social significance of conscious experience seems to be a logical step forward.
The ability to reflect on one's mind and share it with others is closely related to the general metacognitive abilities that function independent of the social context, if necessary. The very generation of individual quale in one's phenomenal mind is dependent on the basic metacognitive process. It is thus not possible to separate cognition as it pertains to self-oriented reflections or socially contexted functionalities. Even solipsism is tailored in the social context. ([45])

5月 15, 2008 at 08:51 午前 |

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 共存させ、活き活きとした:

» 偶然と必然の「あわい」を脳で読み取る トラックバック 須磨寺ものがたり
茂木健一郎さんの「脳」整理法を再読したら、 ある言葉に目を奪われ、 そこを重点的に読んでみることにした。 [続きを読む]

受信: 2008/05/15 14:31:00

» カフェマニア!@King Kong おっ・・さりげなくプロ 編 トラックバック 旅籠「風のモバイラー」
さて、そろそろ帰るかの一服をつけながら少し残っていたアイス・コーヒーを飲み干して [続きを読む]

受信: 2008/05/16 0:51:59

» 神のセールスマン The End トラックバック Tiptree's Zone
「僕と結婚してくれないかい?」とある国のとある男性はとある女性に向かって言った。 「あなたが今日そう言うことは、わかっていたわ」その女性は応えた。  そこは、とある国のとある大学の講義室だった。教授も学生も一言も言葉を発しなかった。だが、講義内容は消化さ....... [続きを読む]

受信: 2008/05/16 1:01:42

» 梅の木オーナーの皆さまへ(必読) トラックバック 御林守河村家を守る会
梅の木オーナーの皆さまへのメールは 今後BCCを用いますので 私からとどいた過去のメールを セーフリストに登録していただく必要があります。 と申しますのは BCCを用いて一斉配信したメールは 迷惑メールとして 自動的に仕分けされてしまう可能性があるからです�... [続きを読む]

受信: 2008/05/16 3:30:24

» 強弱ということ トラックバック なんでもあり! です 私の日記!! 
昨日のことです。 いつもなら「散歩がてら」といきたいところでしたが、 雨も降っていたので車で犬の予防接種に行きました。 人間並みに採血や注射を終えて待合室に戻ると、 猫連れ、中型の犬連れの2組が待っていました。 あまりしつけのできていない我が家のワンコ。 同種の犬には目もくれず、 猫に向かって吠えまくります。 ああ、恥ずかしい。 一方の中型犬は実に穏やかに座っていて、 飼い主の年配の女性がこう言います。 「小さい子や弱い子にに吠えるとね、 今は車の中にいるんだけれど、オスの“ケン”に 叱られ... [続きを読む]

受信: 2008/05/16 7:26:25

» 私のやりかたで・・・ トラックバック Little Tree
家事をチョコっと済ませて…もうひとつ、気になることを書き留めておきますね。 [続きを読む]

受信: 2008/05/16 7:46:12

コメント

初めまして茂木さま。
東京八重洲ブックセンターに行かせていただいた者です。
正直言ってトークショウはエレファンマン。。。。いえ、茂木さんの
印象が大変強いもので、そのことが今以て心を駆け巡り、
聊か身の回りの人たちと話していても、多弁に、そして
情熱的になってしまいます。
パッションの種は脳ではなく、心で発芽していくのでしょうか。

『HOTO』をキーワードにトークが展開していくなかで、
アートという商業性と神聖さだけでなく、
宮島さんの心に何か突きつけた場であったように思いました。
むろん、観客のこちらにもそれは同じこと。

ぼくはある宗教団体には属してはいませんが、
何故今回の展覧会で『HOTO』を宮島さんが作ったのか?
宮島ファンとしてもう少し掘り下げて知りたかった。

八重洲8階会場には、そのことに当たらず障らずにしたことに
心に自問した者が多かったはず。

アーティスト、ブッティスト、それとも人間としてか。

良くも悪くも(とても良いと思いますが。。。)茂木さんの
エレファントマンぶりが強い。

それでも茂木さんの真摯な、インコースギリギリの剛速球は
お見事でした。メジャーリガーなピッチャーぶりです。
キャッチャーミット捕れず、バッターイチローも三振かな。

いつの日かどこかでまたそのことやパッションを
脳ではなく、脳とリンクしてしまう心の存在として
心にて感じさせてください。

本物のエレファント茂木さんへ  出町光識

投稿: 出町光識 | 2008/05/16 7:54:00

茂木さん、こんばんは★

商業主義と聖なる領域のバランス、
茂木さんは見事に成功されていると思います。

私も、自分の人生でこの両立をどうするか、ということを毎日毎日考えさせられます。

私はほっとくと、商業主義から離れてしまうので…(;^_^A

それに、女性は運命に翻弄されやすい生き物なのですわ。

私の計画が甘いのか、よく分かりませんけど、己の生きる道が決まりかけて駄目になることがあって、一時期、何をしたらいいのか、訳がわからなくなりました。

でも決して商業主義が嫌いな訳ではなく、むしろ好きな方です。

お金って使い方で善くも悪くもなるので、自分次第で変わってくると思います。

自他を生かさない生き方、お金の使い方だと、お金も逃げていくでしょうし…
私はその辺りのバランスを調整中です。
挫折があったからと、引きずり過ぎてはいけないなあと。

商業主義と聖なる領域は全く無関係とは言えないと感じます。

投稿: ももすけ | 2008/05/16 3:26:31

こんにちわ

(英語が苦手なためよろしくお願いします。)
意識と宇宙、自由意志をどう位置づけすると理解しやすいかと、考えていると、私たちは、宇宙の外、無?カオス?から、この宇宙を見ていて、宇宙と宇宙の外の接地面が、なびく事により、意識や、自由意志が発生すると、考えたら、理解しやすいのではないか?と、今現在、考えています。


商業主義は、モノや、商品、サービスから見て、何かを良くすると考えたいです。(^^)

投稿: 無とカオスのクオリアby片上泰助(^^) | 2008/05/16 3:01:51

「友だち」も、「聖域」も
健康的な発達過程を踏んできたのなら
その時々の 選択は
自身の自然な判断に委ねてよろしいのでしょう
「お砂場」でどのように 幼児期を 過ごしてきたか、
ちゃんと喧嘩して ちゃんと仲直りする
この 大切な体験を 重ねてきたか どうかと
そう言うことなのでしょうね
また
「悩む」という事実が 健康の証でもあるのでしょうね 

年を重ねる事を 「大人」になるというなら
我々は その 「大人」とやらに なる毎に
「あやふや」を 身につけていくのだろう
それが 処世術とも 言うものなのか?
小さな頃に持っていた クリアな 判断力は
巻き付くしがらみで 時々 苦しそうだ
大人の「矛盾」は やたらと 優しさで
「あやふや」 になる
 
「素直」と「従順』は 違うと
まだ言っている私は
やっぱり まだ 「小さな子」で
隣で お八つを食べる我が子に 叱られますが、 
そんな自分でも まぁ いいかぁ、と 思ったりもします

くだらない話で 領域を使ってしまいました
ごめんなさい。。。
こんな親では 情けないのですが、 

投稿: hi | 2008/05/16 2:59:32

Well said.
Some process of the mind exists at social level. Specifically, language whose mening definitely exists at context in which words are produced.
The question must be put forward is that how social system and individual system are interacted and structured.
So, the answer to the question should be corssroad of Mach's Principle Of Perception and autopoesis.

投稿: s | 2008/05/16 1:00:24

宮島達男さんとのご対談…当日はお伺いできなくて本当に残念です。
是非生でお聴きしたかったです。

宮島さんといえば、六本木ヒルズのテレ朝本社近くにある、1~9の数字を繰り返し時間差でカウントする巨大な「カウンター」など、一連の作品を思い出します。

「アートは自分の中にある」という宮島さんの言われた言葉は、私を自分の中の「聖なる領域」に真正面から向かわせる“勇気”を引き出してくれる。

煩雑極まる日常の中で、生と死と魂の救済について、自分なりにもっと真剣に向き合い、思いを廻らしていきたい。

そうして出来た自分の中の「アートの蛋(たまご)」を大切に育て、時期が来たら、孵化させて世に問いたい。

兎に角私なりにも、本当に「いいもの」を造っていきたい…そんなことを思いながら、日々を送っている。

いいものを造るには、「私」という存在をもう少し、前向きなよい方向に成長させていかなくては。宮島さんの「Art in You」と言う言葉を胸に。


投稿: 銀鏡反応 | 2008/05/15 20:49:51

茂木さん、おこんばんは。
キレイな夕陽です。河も橋も人もオレンジに照らされて。
歩いていたら道の片隅に蝶々の死骸をみつけました。まっくろで透き通った羽。オレンジか赤が差しいろのように入っていました。とても美しい羽。キレイな姿のままだった。息絶えてからそんなに時間がたっていなかったのかな。ひらひらと宙を舞う、とんでいる姿も見たかった。

投稿: 柴田愛 | 2008/05/15 18:10:14

以前、数というキーワードで、色々な作品を作られている方の番組を見た。

数字がランダムに動いたり、消えたり。
死ぬまでの時間を表示する作品があったり。

一つのキーワードで、こんなにも沢山の作品が生まれるということに、驚きながら見ていた。

深みを持ちたいナ。
ゆったり、大らかに生きられるだけの。。

投稿: 奏。 | 2008/05/15 16:02:53

ヒルベルトはゲーデルの論文を読んで、「まるで神学だ!」と言ったそうです。ヒルベルトはプラトン主義の呪縛を解く武器として形式主義を採用したのでしょうか。彼は『幾何学基礎論』で「点、線、面の代わりに、コーヒーカップ、スプーン、テーブルをもってきても幾何学は成立する」と宣言してプラトン主義からの決別を謳ったのでしょうが、同時に湯船の水と一緒に「赤ちゃん」も流してしまったのでは。この「赤ちゃん」がイデアあるいはクオリアなのかも…。そこを「自己言及」の論理で突いたのがゲーデルなのでしょう。そこで思い出すのがホフスタッターの『ゲーデル、エッシャー、バッハ』です。ホフスタッターは自己言及を知性の最高形態としていますが、となると、「無限後退」もそうなってしまいます。もっとも、自己言及+無限後退=マンデルブローのフラクタル、という公式は出てきますが…。ホフスタッターもやはりプラトン主義が嫌いなのですね。問題はプラトン主義を克服することではなく、solipsism を克服することなのでは。エッシャーのだまし絵、フラクタルアートを見ると、確かに知性を刺激する「驚き」を感じますが、「感動」が薄い。最高の芸術に接して深く感動するのは、そこではsolipsism が克服されているからではないでしょうか。そしてsolipsism を克服したとき、茂木先生のおっしゃる「聖なる領域」に触れることができるのだと思います。自己言及は必然的にsolipsism を生み出すのですが、「聖なる領域」は無限後退の「彼方」にあると感じました。いろいろ妄想を述べましたが、いつも茂木先生のブログを拝見していると、脳が活性化され、いろいろなアイデアが生成されるのです。ありがとうございます。


遠藤さん
グッドなコメントです!
ありがとうございました。 茂木健一郎

投稿: 遠藤芳文 | 2008/05/15 14:30:30

コメントを書く