« 楽しかった夜が明けて | トップページ | 内なる星雲 »

2008/05/19

時には遠くを見よう

ヨミウリ・ウィークリー
2008年6月1日号

(2008年5月19日発売)

茂木健一郎  脳から始まる 第104回

時には遠くを見よう

抜粋

 「そのことについて考える度に、ますます驚嘆と畏怖の念に満たされる二つのことがある。私の上に広がる星空と、私の内なる倫理規則である。」
 ドイツの哲学者イマニュエル・カントは、そんな美しい言葉を残した。カントの言葉に触れた時に広がる感覚は、石川賢治さんの『月光浴』の写真を見た時に受ける印象に似ている。
 時には、思い切り遠くを眺めてみよう。私たちの生命を育む広い世界とつながることで、ともすれば閉塞感に包まれ、どこか鬱陶しくも感じられる現代の日本社会の中にもさわやかな風を吹き込むことができる。

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

5月 19, 2008 at 08:34 午前 |

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 時には遠くを見よう:

» 海と空と2人のリンドバーグ トラックバック 茶和茶和ブログ
写真用ソフトが不調のため編集できず、大きすぎてすみません。。新刊じゃない本でいい本ないかしら…とニュートラルな気持ちでぶらぶらしていたら、海好きセンサーが感知したのが この本。惹かれるなぁ。。。海好きの心くすぐる表紙と題名。中を少しだけ読んでみると、理知的で穏やかな感性の文章。作者は誰かしらと見てみると、なんとあのリンドバーグの奥様。著書があったなんて知らなかった。。「女はいつも自分をこぼしている。 そして、子供、男、また社会を養うために与え続けるのが女の役目ならば、女はどうして満たされるのだろうか... [続きを読む]

受信: 2008/05/19 11:48:08

コメント

我々の内にも外にもある「宇宙」・・・内においては銀河の恒星の数に匹敵するという我等の脳細胞が生み出す意識、質感、そして数多のイマジネイション。

様々な“色”をしたクオリアから、実在しないフェニックスの姿、そしてカントのいう「内なる倫理規則」までを発生させ、描き出し、構築することの出来る“内なるコスモス”。

外においては、只管暗い空間で無限に広がって、終わりのない転変を続ける星雲、恒星、そして惑星。

新しき星の誕生の輝き、銀河の絶えざる変化、星々の生と死…。この地球の他に生命を生み出している星があるや否や…と、頭上遠くにある星の煌く夜空を眺め、あるいはそのさまを想像しながら、大宇宙の「諸行無常・万物流転」に思いを馳せる時、自らの卑小さを嘆きつつも、「今」しか見ないことよりも、100年、200年、あるいはもっと先の、気の遠くなるほど無限の未来の果てまで眼を向け、想像し、閉塞感と不安定さに覆われがちな私達の心を大きく開いていくことの大切さを噛み締めたいものだ。

投稿: 銀鏡反応 | 2008/05/25 11:16:38

茂木先生 こんにちは♪
私達の脳の中に銀河があるなんて、ほんとロマンチックですね~。現代の科学では光より速い物質はないと、言われてますけど、脳の中にあったんですね。瞬時に好きな所にワープできます。ほんとにすごい宇宙です。
人の脳のイメージは、お釈迦様の手のひらで、暴れている孫悟空のイメージです。手のひらは私達の脳で、孫悟空は私達の意識です。人の脳の中の宇宙を広げるには、いろんな知識や体験や日常や、そういったことによって広げることが、できるんですね!頑張って銀河の果てまでワープしたいと思います!でも手のひらを出た外宇宙を知るには どうすればいいのでしょうか?脳の中にはあるものしか、でないんですよね?やっばり地球外生物の宇宙人に、会うしかないんですね!?
どちらにしても、宇宙のことを思うと、ほんとゆったりとした優しい気持ちになれます。宇宙とクオリア 何か共通なものがある気がしてきました!しばし、脳の宇宙に出かけて来たいと思います♪

投稿: 平井礼子 | 2008/05/24 18:59:24

こんばんは。

目の前の事象に振り回されつつも、
気が遠くなるほどの彼方を思い描いていたいものです。
思いきり遠くを眺めようとするとき、
その先にはひそやかに広い世界が
待ち受けていると信じたいですね。

夜空を見上げたときは、
輝く星々が等しく人びとを包んでくれますように。

・・・今は無き  星の輝き  舞い降りる 
     君まで届け  “遥か”のクオリア・・・

投稿: s.kazumi | 2008/05/24 1:17:52

この記事へのコメントは終了しました。