« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »

2008/05/31

『トゥープゥートゥーのすむエリー星』

茂木健一郎 作
井上智陽 絵

『トゥープゥートゥーのすむエリー星』

毎日新聞社

amazon 

私が23歳の時に、毎日小学生新聞に
連載されたSF童話です。

全体が高層ビルに覆われ、
地面がなくなって未来の地球に
住むまさおが、ジャングルだらけの
エリー星に旅立ちます。

そこで会う不思議な動物、
トゥープゥートゥー。

トゥープゥートゥーには、なにか
重大な秘密があるようなのです。

腕利き記者、のりこと解き明かす、
その秘密とは。

イラストを描いて下さったのは、
毎日小学生新聞連載時と同じ、
私の小学校、中学校の同級生の
井上智陽。

http://white.ap.teacup.com/chii/ 
どこかなつかしい、
「明るい未来」を描いた
元気になる童話です。

ぜひお読みください!

茂木健一郎拝

5月 31, 2008 at 10:06 午前 | | コメント (4) | トラックバック (1)

花に埋もれた島

五島列島には、「隠れキリシタン」
の取材に行った。

降り立つと同時に、独特の空気に
包まれる。

沖縄とも違う。九州本土とも
違う。

土地の精霊が迎える。

地図を見ると、五島列島は、
もう少し海面が下がったら
つながってしまうような、
不思議な形をしている。

氷河期には行き来できたのだろう。

そのような過去の幻に魅せられる。

同行は、小学館「和楽」編集部の
渡辺倫明さんとライターの橋本麻里さん。

まずは腹ごしらえと、
五島うどんがおいしいという
「うま亭」に向かう。

五島うどんは、「日本三大うどん」
の一つだという。

歩きながら、
渡辺さんに軽口を叩く。

「五島うどんが、日本三大うどんの一つだと
言うことは、あとの二つは・・・」

「稲庭と讃岐でしょう。」

「おいしいんだろうけど、大胆だなあ。
五島うどんが日本三大うどんだというのは・・・」

ふと見ると、橋本麻里さんが
歩いているので、思いついたことを
つい言ってしまう。

「たとえば、世界三大美人が、クレオパトラ、
楊貴妃とハシモトマリだというような
ものですね。」

橋本麻里さんが、すかさず切り返す。

「あるいは、世界三大科学者が
アインシュタイン、ニュートン、そして
茂木健一郎だというようなものですね。」

やられた。橋本麻里の機知にやられた。


美人で機知にあふれた橋本麻里さん。

椿油が練り込んであるという
五島うどんは、本当に美味しかった。

これならば、日本三大うどんの看板に
偽りなし!

ご馳走さまでした。

ぼくは、五島を本当に好きに
なってしまった。

最初に訪れた堂崎教会は、
美しい海岸にあった。

明治維新になり、禁教令が
解かれ、訪れたフランス人宣教師によって
隠れキリシタンたちが「発見」される。

そして教会が建てられる。

おそらく、風景の美しい場所に
感じるところがあって
建てたのだろう。

五島には、至るところに入り江がある。

これならば、隠れキリシタンたちが
潜む場所はたくさんあったことだろう。

湖かと思うような水域が、複雑に
形づくられた湾なのだ。

かつて、遣唐使が最後に寄港した
島。

文明の十字路である。

かくも長い間、
ひそかに隠れて信仰を守ってきた
人たちは、一体、どのような精神世界を
見ていたのだろう。

宿泊は荒川温泉。

宿には内湯と外湯があり、
外湯には地元の人も来る。

漁師の人たちも汗を流す。

和泉丸 共和丸 幸恵丸

漁船の名前が書かれた洗面器が
並べてある。

灯台を見に行った。

周囲に、クマンバチがたくさん飛んでいる。

どうやら、テリトリーを守ろうと
しているらしい。

ブーン、ブーン、ブーン。
ブブブブブーン。

他の個体がやってくると、
猛然とジグザグ飛行して追い出そうとする。

クマンバチたちの空中戦。


飛行するクマンバチ

ボクは人間なので、相手にされない。

ところが、渡辺倫明さんは、
「追い回されてひどい目に合いましたよ」
と言う。

あらためてしげしてと渡辺さんの
顔を見ると、なるほど、クマンバチに似ている。
仲間だと思ったのだろう。


クマンバチに仲間だと思われた渡辺倫明氏

至るところ、花があふれている。

教会のマリア像の下にも、
お墓にも。

花に埋もれた島、五島。

また戻っていきたい。

東京。蔵前の筑摩書房へ。

国際ブックフェア用に、
筑摩書房から出版されている
『意識とはなにか』『生きて死ぬ私』
『思考の補助線』にサインをする。

ちくま文庫編集長の豊島洋一郎さん、
伊藤笑子さん、そして言わずと
しれた「タケチャンマンセブン」
こと増田健史とそば屋で飲む。

例によってタケチャンマンセブンと
激論になる。

豊島洋一郎さんは、にこにこと
余裕の表情で、的確な言葉を
差し挟んでくださる。

豊島さんは増田健史と
時々飲みにいって、
怪気炎を「そうか、そうか」と聞いて
下さっているらしい。

「いつも増田がお世話になり、
もうしわけありません」
と頭を下げた。

伊藤笑子さんが、『トゥープゥートゥーの
すむエリー星』を持っている。

「あれ、なんで持っているんですか?」

「売っていたんで、買ってきたんです。」

「そうか、もう本屋に並んでいるのか。
アリガトウ!!!!!」

イトウエミコさん、トゥープゥートゥー
買ってくださって、ありがとう!

本当に、
楽しい時間を過ごしたヨ。

隠れキリシタンのクオリアが
忘れられない。

いつの時代でも、
多数派というものは無神経で
横暴なものである。

それでもひそやかに咲く花は、
本物の花だよ。

そうだよね、タケちゃん。

When I was a kid, the grownups would often ask what kind of job I wanted to do in the future. From the very early days that I can remember, the only thing I wanted was to become a scientist.
I think it was a mixture of miscellaneous influences. For one thing, I started to collect butterflies "professionally", being guided by a university student who majored in entomology. My mother "introduced" me to the student (Mr. Aoki) when I was about 5 years old. It was the first of many "introductions" that my mother would do for me. As a consequence, I was very much interested in how creatures lived in nature, often oblivious of the passage of time as I tried to capture the butterflies of my dreams. For another, it was the time of the great excitement of the first landing on the moon by Apollo 11. Science and technology in general was considered great, and I was under a clear influence of that particular Zeitgeist.[59BOS]

5月 31, 2008 at 09:56 午前 | | コメント (22) | トラックバック (5)

2008/05/30

五島列島

に来ています。

ネットがなかなか通じません。

良いところです。今日の夜帰ります。

5月 30, 2008 at 09:13 午前 | | コメント (10) | トラックバック (3)

2008/05/29

脳と日本人 3刷

松岡正剛 茂木健一郎   
『脳と日本人』 文藝春秋

は増刷(3刷、累計1万2000部)
となりました。
ご愛読に感謝いたします。

文藝春秋の大川繁樹さんからいただいた
メールです。

From: "okawa"
To: "'Ken Mogi'"
Subject: 文藝春秋・大川です

茂木健一郎さま

 ごぶさたしております。
 「脳と日本人」ですが、このたび、
3刷り2000部(累計12000部)が決まりまし
た。「脳を活かす勉強法」などのご著書の売れ行きと
くらべれば小さな部数ではあり
ますが、まだまだ、じわじわと浸透していることは
うれしいことです。ありがとうございます。
 私事ですが、昨日ウィーン・フォルクスオーパーの
「こうもり」に行って、幸せな思いに包まれました。
これはやはりヨハン・シュトラウスの天才が横溢した作品だと
再認識しました。あのマーラーが好んで指揮していたという
話を読んで、納得させられます。どんな厭世主義者をもさえ
陶酔させてしまう楽しさというものがあるものですね。
この楽しさに比べれば、現代日本のあちこちに溢れている
「楽しさ」というのがどうにも浅薄で馬鹿馬鹿しく見えてしまう、
ひねくれものの私です。また、なんといっても、ワーグナー歌手
ルネ・コロが70歳の年齢をものともせず、アルフレート
役で名唱をきかせてくれたのはうれしいことでした。
 それでは、これから梅雨ですが、どうぞお元気でお過ごしください。

文藝春秋・大川繁樹拝

http://www.bunshun.co.jp/book_db/3/69/71/9784163697109.shtml 

amazon

5月 29, 2008 at 09:40 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

炎(fire)

早稲田大学国際教養学部の授業。

Richard DawkinsのThe Gold Delusionを
引き合いに出して、
神あるいは絶対的な自然法則は
存在するのかという問題を、
自由意志の関係において、
Benjamin Libetの実験を引用しつつ
議論した。

サントリーホール。

東京フィルハーモニー交響楽団の
プッチーニ生誕150年ガラ・コンサート。

リハーサルには、独特の
雰囲気がある。

皆、思い思いの色とりどりの服で、
本番と違わぬ音を奏でる。

ダン・エッティンガーの指揮は
踊るよう。

7年間オペラ歌手をやっていた
と後ほど知った。

舞台は、私が4回ほどステージに
出て、マエストロや歌手たちに
話を聞くという形で進行していく。

韓国出身のハ・ソクベさんは、
「胸からわきあがる炎」
で歌うのだと言った。

炎(fire)。

これこそが、昨晩を記述するにふさわしい
言葉だったのではないか。

私は、時々出たり入ったりしなければ
ならないので、
ずっと舞台のそでで聴いていた。

ダン・エッティンガーは、
「トリスタンとイゾルデ」の
「前奏曲」と「愛の死」を
指揮する直前、
This is such a treasure
と言って舞台に出ていった。

シュー・チャンさんが出ていく前に
「ブラボー、ブラブラボー」
と発声を試したり、
腰越満美さんがすっくりと
立って身体のすみずみまで
調整するかのように
細かなしぐさをしたり。

福井敬さんは理論家。
ヴェルディとプッチーニの違いを
端的に説明し、
プッチーニが、いかに
よく舞台を知っていて、
観客がここで何を求めるか、
どれくらい経つとそろそろ
解放してほしいと思うか、
しっかりと把握しているのだと
語って下さった。

ダン・エッティンガー
と東京フィルの共演はこれで
10回目。

ダンにとっては、東京フィルは
家族のようなものだという。

コンサートマスターの青木高志さん
は、マリオ・デル・モナコ
と出会ってオペラを愛するように
なり、音楽の道に進んだ。

シンフォニーとオペラのバランスを
とることが、指揮者にとっても
オーケストラにとっても大切だと
ダンは言う。

最後に、「アジア三大テノール」
であるハ・ソクベ、シュー・チャン、
福井敬さんがトゥーランドットから
Nessa Dorma(「誰も寝てはならぬ」)
を一緒に歌い、
アンコールでフニクリ・フニクラを
熱唱する。

東京フィルの村尾真希子さんが
言っていらしたように、
何か今まで感じたことがないものが
動いた夜だった。

打ち上げの席で、
ハ・ソクベさんと
腰越満美さんがイタリア語で
語り合っているのを心地よく聴く。

オペラの世界では、イタリア語が
共通語なのだそうである。


リハーサルの際に、ダン・エッテンガーと。


終演後、記念撮影。
今回のコンサートに対して特別協賛
して下さった株式会社マルハンの韓昌祐会長夫妻の姿も。

(photos by Atsushi Sasaki)

In his paper published in the Mind ("The unreality of Time", 1906), The English philosopher J.M.E. McTaggart discusses the great difficulty when we try to reconcile the phenomenology of time as we know it with the convention in the scientific community to represent time in terms of real number along the t-axis.
Memory extends the relevance of time into the distant past. In the case of human beings after the dawn of civilization, in which the written records can tell us things of ancient times, the relevance of time is extended towards the past. When it comes to predicting, humans sometimes can or at least try to predict things in the future, although the existence of chaos makes this in practice and in principle difficult. From the point of view of the functional significance of time for the biological systems, however, only the properties in the vicinity of the "specious present" (William James) [58OOC]

5月 29, 2008 at 09:23 午前 | | コメント (7) | トラックバック (5)

2008/05/28

脳を活かす勉強法 25刷

茂木健一郎
『脳を活かす勉強法』 
PHP研究所
は、重版(25刷、累計51万1000部)
が決まりました。

ご愛読に感謝いたします。

PHP研究所の木南勇二さんから
のメールです。

From: "木南 勇二"
To: "茂木 健一郎"
Subject: 脳を活かす勉強法51万1千部【PHP木南】

茂木健一郎先生

お世話になります。

『脳を活かす勉強法』は25刷、1万部が増刷となりまして
累計51万1,000部となりました。
誠にありがとうございます。
長期間でのランキング入りです。

本日5/27発表のトーハン週間ベストセラー8位
http://www.tohan.jp/bestseller/new.html

昨日5/26発表のオリコン週間ランキング5位
http://www.oricon.co.jp/rank/ob/

日曜日の夜、風邪気味で寝ていて
たまたま「プレミアA」を見ていたところ
茂木先生のお姿が!
茂木先生もご無理なさらぬようお体に十分に
ご自愛くださいませ。

と言いつつ、仕事の話をしてしまいますが…。

弊社に来られた際に、次回作『脳を活かす仕事術(仮)』の原稿が
まとまりましたのでお渡しさせていただきたく存じます。
前作以上に、充実した生命力が漲る、つくりになっております!

PHP 木南拝

http://www.php.co.jp/bookstore/detail.php?isbn=978-4-569-69679-9

amazon

5月 28, 2008 at 08:41 午前 | | コメント (1) | トラックバック (1)

沸騰バー

プッチーニ・ガラの
打ち合わせのために
オペラ・シティに行き、
ダン・エッティンガーに会った。

話し始めて1分くらいで、
「この人とはとても気が合う!」
とわかった。

ルーマニア生まれの両親の下、
イスラエルで育てられたという
ダン。

「プッチーニが好きだ。なぜならば、
ワグナーに似ているから」

「ワグナーを演奏する時は、モーツァルト
のように。モーツァルトを演奏する時は、
ワグナーのようにやるんだ。二人の音楽の
間には、一般に考えられている以上の
結びつきがあるからね。」

ダンは、先の新国立劇場での
カール・マリア・フォン・ウェーバーの
『魔弾の射手』の指揮を担当した。

学芸大学附属高校2年生の時、
学園祭(「辛夷祭」)で
皆で『魔弾の射手』を
上演し、ぼくは照明を担当した。

総合演出は、何回かこのブログでも
天才、和仁陽だった。

そんなことを思い出しながら、
ダンに、「魔弾の射手はどうだった?」
と聞くと、
「最初は、好きじゃなかったんだ」
と言う。

「指揮をしていても、これはワグナーじゃない、
これはワグナーじゃない、とそればかり
考えていたよ。でも、そのうちに、
独特の魅力に気づき始めたんだ。」

オーケストラのリハーサルを、
最初の30分だけ見学した。

ワグナーの
『トリスタンとイゾルデ』から、
前奏曲と愛の死。

冒頭、チェロの印象的な
旋律。

密かに愛する人を見上げる、
そのまなざしの運動がはっきりと
伝わる。

最初の数小節で、
この作品が歴史に残る一大傑作だという
ことが胸にしみる。

やがて、来る
オーケストラの演奏のみの
「愛の死」。

自然と内側からことばが甦る。

In des Welt-atems Wehenden All
Ertrinken, versunken.
Unbewusst hochste Lust

世界の万有のため息の中に
飲み込まれ、沈み
意識することもない、最高の喜びよ。

http://www.youtube.com/watch?v=RLoHcB8A63M 

http://www.youtube.com/watch?v=Jby6AaCj1K4&feature=related 

ジョージ・バーナード・ショウは、
仕事机の上にいつも
『トリスタン』の総譜と
マルクスの『資本論』を置いていたという。

NHKにて、「プロフェッショナル 仕事の
流儀」の打ち合わせ。

釧路湿原で野生動物専門の
獣医をしている
齊藤慶輔さんのVTRを見ながら、
いろいろとお話しする。

取材を担当したのは、
NHK札幌放送局の
宮川慎也ディレクター。


「住吉美紀さんの向こうに見える宮川慎也さん」

人間世界と野生の関係について
考える。

山口佐知子さん(さっちん)が、
いつにも増してドレッシーな姿で現れた。

柴田周平デスク 「さっちん、今日は一段と」
さっちん 「エヘヘ」

「パパザウルス」の収録。

おにぎりをむすんだ。

スタッフの人たちがいらっしゃる
部屋は、とても眺めがよく、
わきあいあいとした雰囲気が
漂っていた。

編集の天才、小林幸二さんに出会う。

「あっ、茂木さん」
「あっ、小林さん」
「この部屋は何ですか?」
「ここで、小池耕自さんと『沸騰都市』
のドバイの編集ををしていたんですよ。」
「そうか。あの番組、評判ですよねえ。」
「いやあ。」
「この前、メールで、バーのことを
書いていましたよね、小林さん!」
「ええ。ぼくの行きつけのバーなのです。」
「今度行きましょう!」
「沸騰バーだあ!」


小林幸二さん

「中央公論」
「新・森の生活」の原稿を
井之上達矢さんに送る。

さっそくメールをいただいた。

From: 井之上達矢
To: "Ken Mogi"
Subject: 中央公論の井之上です。
Date: Tue, 27 May 2008 20:26:19 +0900

茂木健一郎様


原稿間に合いました!
お忙しい中、
ありがとうございました!

今回の
「自由意志と因果律決定論は両立するか」
というテーマは、
これまでの著書でも言及されておりますが、
まだまだ
掘り下げることができそうですね。
茂木さんの書きっぷりを見ても、
他のテーマ以上に
「紙幅が許せばいくらでも感」が強かったように思います。

「選択の自由(と私たちが認識しているもの)」の背後にある
「人間原理(というより宇宙原理?)」が、
実は、
「選択の自由」のど真ん中を串刺しにしている、
という指摘は、
この原稿では
さらっと書かれていましたが、
かなり“恐ろしい”ことですよね。

「私たちは自由意志を持っている」と感じることは、
私たちが人間らしく生きるために必要であるが、
「そう私たちに感じさせている何か」
もしくは
「そう私たちに感じさせている原理」
があると。

ただ
そこを見つめないと
「現代」に行き詰まり感からは
解放されないということでしょうか。

無駄だ、という意味ではない、
「現代版神学論争」を
乗り越えるべき時なのかもしれませんね。

次に「神が死ぬ」のはいつなのでしょうか。

スケールの大きな
原稿本当にありがとうございました!!


中央公論新社
雑誌編集局「中央公論」編集部

井之上 達矢

One pragmatic way to look at the mind-brain problem is through the coding of information. The fact that the physical and psychological time do not coincide is a testimony of the coding principle adapted by the brain. In the generation of each quale, there is a non-trivial mapping from the physical space-time onto the psychological space-time, through which the coding of information by neural activities is realized.
One crucial difference here from the conventional coding of information in computers is that there is no look-up table to refer to. Even if there is to be a look-up table, that needs to be embedded in the dynamics of the neural network itself, not as a separate entity as in the case of digital computers developed by humans.
The failure of the present day computers to handle semantics successfully is attributable to the lack of a coding scheme as is adapted by the human brain. Understanding how the mind relates to the brain thus becomes a central issue in understanding information coding in the cortex and devising practical applications of its principles. [57OOC]

5月 28, 2008 at 08:33 午前 | | コメント (10) | トラックバック (4)

2008/05/27

プッチーニ・ガラ!

マルハン創立50周年記念
プッチーニ生誕150年 ガラ・コンサート
~アジア三大テノール×歌姫~

指揮:ダン・エッティンガー
テノール:福井 敬(日本)
テノール:シュー・チャン(中国)
テノール:ハ・ソクベ(韓国)
ソプラノ:腰越 満美
スペシャル・ゲスト:茂木 健一郎(脳科学者)

ヴェルディ/歌劇『運命の力』序曲
プッチーニ/歌劇『ラ・ボエーム』より “冷たい手を”
プッチーニ/交響的奇想曲
プッチーニ/歌劇『トスカ』より
   “妙なる調和” “この世に喜美の美しい瞳ほど”
   “歌に生き、恋に生き” “星は光りぬ”
ワーグナー/楽劇『トリスタンとイゾルデ』より
   “前奏曲と愛の死”
プッチーニ/歌劇『マノン・レスコー』より “なんとすばらしい美人”
ヴェルディ/歌劇『群盗』序曲
プッチーニ/歌劇『蝶々夫人』より
   “愛の二重唱「夕暮れは迫り」”   “ある晴れた日に”
プッチーニ/歌劇『トゥーランドット』より “誰も寝てはならぬ”

2008年5月28日(水)
サントリーホール

http://www.tpo.or.jp/japanese/calendar/200805.html#0528

http://www.cnplayguide.com/stc/CNI16047.html

5月 27, 2008 at 09:05 午前 | | コメント (1) | トラックバック (1)

プロフェッショナル 高嶋由美子

プロフェッショナル 仕事の流儀 

人は強い、希望は消えない
~ 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)ウガンダ・リラ事務所長 高嶋由美子 ~

高嶋さんのお話をうかがって、
難民キャンプというのは
人の生命力がもっとも輝く
場所なのだということを学んだ。

昨日まで社長だった人。
大きな家に住んでいた人。
地域社会の中で、濃密な
人間関係を築いていた人。

突然何もかも失って、
裸一貫となる。

他の人たちといっしょに
難民キャンプで暮らす。

そのような「ゼロ」の状態
において、むくむくと
わきあがってくる人間の力。

難民という、この地上に
時折訪れる過酷な運命に向き合う
ことは、私たち自身の生命を
育む上でもどうしても必要な
こと。

高嶋さんの笑顔を見て下さい!

そして、元気になってください!

NHK総合
2008年5月27日 22:00〜22:45

http://www.nhk.or.jp/professional/

すみきち&スタッフブログ

Nikkei BP online 記事
すべてを失ってなお輝く生命力
〜 国連難民高等弁務官事務所 ウガンダ・リラ事務所長・高嶋由美子 〜
(produced and written by 渡辺和博(日経BP))

5月 27, 2008 at 07:18 午前 | | コメント (9) | トラックバック (5)

そうだ、これから海に行こう

ソニーコンピュータサイエンス研究所にて、
所長の所眞理雄さんと議論。

イノベーションの進み方が、
今後どのように変化していくか
について。

おおっ!

と覚醒し、元気になるような
思考のダイナミクスに包まれる。

東京工業大学大岡山キャンパス。

研究室のゼミ。

田辺史子が、ラットに
おける「エピソード記憶」
が「今から何時間前」という
形で記銘されているか、
それとも「何時」という
形で記銘されているかを
解析する論文を紹介する。

Episodic-Like Memory in Rats: Is It Based on When or How Long Ago?
William A. Roberts,1* Miranda C. Feeney,1 Krista MacPherson,1 Mark Petter,2 Neil McMillan,1 Evanya Musolino1
Science Vol. 320. no. 5872, pp. 113 - 115 (2008)


田辺史子さん

人間は発達したエピソード記憶を
持つが、それがどのように
ゼロから構成されているのか
ということは興味深い問題である。

カレンダーや時計という概念は
後から「発明」されたもの。

脳が進化する長い歴史の中では、
カレンダーや時計といった
数字の目盛りなしで
エピソード記憶は記銘されなければ
ならなかった。

田辺が紹介したような
ラットの事例から、
私たちが確固たるものとして
信じているエピソード記憶の
基盤が逆照射される。

続いて、私の担当。

まずは、
Winners don't punish.
Anna Dreber, David G. Rand, Drew Fudenberg & Martin A. Nowak
Nature 452, 348-351 (20 March 2008)

を紹介。

自らがコストを引き受けつつ
非協力的な相手が損失を被るように
するcostly punishimentという
オプションを囚人のジレンマゲームに
付け加えた時に、
それが協力性を醸成することに
つながるかどうかということを
検証した論文。

結論としては、costly punishmentは、
coorperationやtotal payoff を増加
させない。
だとすれば、costly punishimentは、
協力を促すというのとは異なる
理由から進化して来たのであろう。

例えば、相手を支配するとか、
階層構造を作るとか。

続いて、Thomas PinkのFree will
(Oxford University Press)の
中から、自由意志と因果的決定論
の関係について、
Incompatibility theory,
Compatibility theory,
Libertarian theory,
Scepticism
を紹介。
決定的に重要なのは、自由意志の
概念が因果的決定論と両立しうる
という考え方で、
また、量子力学や力学系カオスのような
非決定論の導入が、
私たちが直観的に持っているような
自由意志の概念を導くわけではない
という論点。

これは、自発性に興味を持って
研究を続けている野澤真一クンの
ためにやったような解説だった。

野澤クン、荒野を目指してガンバレ!

続いて、件の野澤真一クンが、
Unconscious determinants of free decisions in the human brain
Chun Siong Soon, Marcel Brass, Hans-Jochen Heinze & John-Dylan Haynes Nature Neuroscience 11, 543 - 545 (2008)

を紹介。


野澤真一くん

野澤クンは、Benjamin Libetの一連
の研究にとても興味を持っているが、
この論文はfMRIによって、右左の
ボタン押しの前兆となる脳活動が
従来よりも前から起こっていることを
示したものである。

もともと、力学系的なセンスから
言えば、ある時点において右の
ボタンを押すか、左のボタンを押すか
という決定に寄与するパラメータは
butterfly effectに見られるように
ずっと以前の時点にも存在し得る。

fMRIのような粗い状態把握においては
たとえば十秒前に前兆が顕れると
しても、実質的な意味では
どれくらい遡るかわからない。

また、右左というlateralityが
関与する場合は今回のような
結果が得られるかもしれぬが、
よりgeneralな場合
(たとえば、野澤クンがよく
出す「そうだ、これから海に行こう」
と思いつくという例で言えば、
「これから海に行こう!」なのか、
「これから山に行こう!」なのか、
「海のものとも山のものともわからない」
脳活動がいつ分離するか)

いやあ野澤クン、この問題は実に
面白いね。

ソニーコンピュータサイエンス研究所に
戻る。

白石哲也さんが招聘して下さった
東北大学の曽良一郎先生から
さまざまな精神疾患と脳内伝達物質の
関係について興味深いお話を
うかがう。

曽良先生、ありがとうございました。

薩摩と長州の両藩が
明治維新の原動力となったのは、
どちらもイギリスを中心とする
西洋列強と直接交戦して
その実力を知ったことが
きっかけだった。

日本は、文化的にはまだ
鎖国しているような気がして
ならない。

日本のインテリが西洋列強と
本当の意味で直接交戦するのは
いつのことだろうか。

所眞理雄さんとお話したのは、
そのようなことだった。

Sometimes, the advancement of science is based on a very simple idea. On one occasion, the British evolutionist Richard Dawkins and the American philosopher Daniel Dennett was discussing the significance of the theory of evolution. Dennett remarked that in a sense Darwin's theory was greater than the theory of relativity of Albert Einstein, in that it could account for such a wide range of biological phenomenon starting from a set of very simple principles. Dawkins agreed, but then added that in order to bring about the revolution of Albert Einstein, you had to be pretty smart. On the other hand, with the benefit of hindsight, Darwin's revolution appears to be so easy to achieve. "I mean, any fool can think of it", Dawkins said.
It is indeed remarkable how the central idea of the theory of evolution, in which random mutation and natural selection take central positions, escaped people's attention for such a long time before Darwin. If you look back on the history of science, you encounter many similar cases. A very simple idea remains unnoticed for a long time. Science is about the awakening of dormant simple ideas.
[56BOS]

5月 27, 2008 at 07:12 午前 | | コメント (9) | トラックバック (6)

2008/05/26

受難と情熱

サンデー毎日

2008年6月8日号

茂木健一郎 
歴史エッセイ
『文明の星時間』

第15回 受難と情熱

一部抜粋

 「受難」と「情熱」が同じ語源を持つというヨーロッパの文化の歴史の中に根ざした「叡智」の中には、現代を生きる私たちにとっても他人事ではない一つの「腹の据わった」生命哲学が宿っている。
 振り返れば、現代における無神論を熱心に唱えるリチャード・ドーキンスが心から尊敬するチャールズ・ダーウィンその人も、また、「受難」の運命と無縁ではなかった。神が自身の似姿として人間を創造したという当時のキリスト教の世界観と、ダーウィンの内なる直観は相容れなかった。それでも、
ダーウィンは自分の主張を公にすることから逃げなかった。
 コペルニクス、ガリレオ、アインシュタイン。科学の歴史は、それまでと異なる世界観を主張する人たちの「受難」の歴史でもあった。苦しければこそ、情熱はいよいよ燃えさかる。宗教と科学の対立を超えて、「受難」と「情熱」が分かちがたく結びつく点に、ヨーロッパの文化の強さがある。

全文は「サンデー毎日」でお読みください。

http://www.mainichi.co.jp/syuppan/sunday/ 

5月 26, 2008 at 07:48 午前 | | コメント (4) | トラックバック (0)

天気予報

先日なくなった
さだえおばさんの納骨式。

雨があがって、しっとりとした
大地の上で、
お焼香をした。

故人の想い出を話し合った。

寿司屋で会食。

何か区切りがあると、
親戚は集まる。

長い間会っていなかった
いとこたちにも会う。

人生における、くっきりとした
句読点のようなもの。

お台場のフジテレビにて、
「新報道 プレミアA」
の生放送。

安藤優子さん、滝川クリステルさん、
櫻井よしこさん、東国原英夫さん、
草彅剛さん、柳本晶一さん、
女子バレー日本代表の皆さん。

安藤優子さんの反射神経は
しなやかで素早い。

安心して話すことができる。

となりに座った櫻井よしこさん、
東国原英夫さんといろいろ
お話しする。

滝川クリステルさんと一緒に
天気予報を読んだ。

どうも手元の仕事が山積して、
スケジュールが崩壊気味。

ずっと仕事をしているのだけれども、
減っていかない。

そうこうしているうちに、
世界は初夏の雰囲気になってきて、
近くの公園ではアカスジキンカメムシが
幼虫から成虫へと変身した。

For a long time, I could not reconcile myself with the postmodern philosophy put forward by French thinkers such as Jacque Derrida and Gilles Deleuze. The "science wars" had not yet take place, and I was not aware of it even if my background as a physicist made these lines of thought intuitively repelling.
One day, I was reading a book on Deleuze, sitting in the toilet of my flat. Suddenly, a thought occurred to me. To think in the postmodern way is to make one's own the possibility that you may one day fall in a passionate love with a wrinkled, old woman! At that moment, I felt that I had now fully come to grips with the essence of the postmodern philosophy. [55POL]


5月 26, 2008 at 07:45 午前 | | コメント (8) | トラックバック (2)

2008/05/25

プレミアA

フジテレビ
新報道 プレミアA
2008年5月25日(日)22:00~23:15

http://www.fujitv.co.jp/b_hp/premiere-a/index.html 

5月 25, 2008 at 08:32 午後 | | コメント (3) | トラックバック (0)

平均的であることこそが美しい

ヨミウリ・ウィークリー
2008年6月8日号

(2008年5月26日発売)

茂木健一郎  脳から始まる 第105回

平均的であることこそが美しい

抜粋

 「人並み」の特長を集めると魅力的な顔になる。美人になるためには、平均的な特徴を持っていればよい。ある時、解剖学者の養老孟司さんの前でこの話をしたら、「茂木くん、何だかおかしいね。」と言われる。
 「もし平均が美人なのだったら、平均的な人が一番多いはずなんだから、世の中は美人だらけになってしまう。でも、世間を見ていると、どうもそうではないようだねえ。」
 養老さん一流のユーモアであるが、この問題の本質を衝いている。つまりは、顔の形というものは多数の要素が集まって作る複雑な特徴だということである。これがもし身長や体重だったら、確かに平均値のあたりに多くの人がいるだろう。ところが、顔の場合は、一つの「パーツ」だけが平均的でも意味がない。目、鼻、口といったそれぞれのパーツが、すべて平均的に「整って」いなければ美人にはならない。
 顔の全ての特長が例外なく「平均的」だというのは、トランプのポーカーで言えばロイヤルストレートフラッシュになるようなもの。なかなかそうは揃わない。実際、世の中には、「口、鼻はいいんだけれども、目がちょっと」とか、「目、鼻は申し分ないが、口がちょっと」とか、「もう少しで美人になるのに惜しい人」がたくさんいるかもしれない。 

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

5月 25, 2008 at 08:19 午前 | | コメント (6) | トラックバック (1)

やりたいことの宇宙

田森佳秀のことで一つ書くことを
忘れていた。

「第七餃子」に入って、
となりの田森のおなかをツンツンしたら、
ぷよぷよ気持ちよかった。

「お前、昔、マラソンは数学だと
言っていたな」

「今でも言ってるよ。」

「昔、ダイエットやっていたじゃないか。
最近はあきらめたのか?」

「うるさいなあ。やっているって。
ほら。」

田森の足首を見ると、なにかが
巻き付けてある。

「これ、一個10キロの重さがあるんだ。」

「えっ、そんなに重いの?」

「最初は効果がないかと思ったんだけどさ、
一日着けてみたら、すごく疲れた。
それで、効果があるってわかったんだ。」

「ははは」

あとで、金沢工業大学の人間情報システム研究所に
行く途中でつまみを買うために
郊外型の巨大ドラッグストアに寄った時のこと。

田森が近寄ってくる。

「モギケン、足のおもり買わなくていいのか?」

「うるさい!」

「売っているかもしれないゾ」

「飛行機で持っていくのは、重いから
イヤだ!」

田森の歩き方は、そういえば、少し
重厚さが増したようだった。

東京に戻る。

大手町のサンケイホールにて、
財団法人 花王芸術・科学財団主催、
顔学会共催の
公開シンポジウム
「心を映す顔」に出席。

http://www.kao-foundation.or.jp/other/symposium/face03/index.shtml 


原島博先生が最初にお話になる。
「顔を科学の対象とすることは、
さまざまな意味でタブーだった」
という言葉が印象的だった。

原島先生が中心となって世界で初めて
の「日本顔学会」が誕生したのが
1995年。

顔が持つ意味についての
本格的な研究は、まだ緒についた
ばかりである。

http://www.jface.jp/an.html 

山口真美さんの赤ちゃんの顔認識に
ついての研究はとても興味深いもので、
包括的なレビュー的トークを
堪能した。

金沢創さんと久しぶりにお話しする。


原島博さん、山口真美さんと
(photo by Atsushi Sasaki)

花王の方々を交えて懇親会。
やりたいことが
まだまだたくさんあると
原島先生。

ボクもまた、このところ、
新しい荒野に出て、やりたいことの
宇宙が広がった思いでいる。

パレスホテルでおいしい料理を
頂きながら、
しじまの音に耳を傾けた。

The Nobel Prize has been considered as the highest honor for a scientist, since its inauguration in 1901. Admittedly, there are notable absences of highly achieving intellectuals in its list of laureates (Kurt Goedel, Alan Turing, John von Neumann, for starters) due to the limitation of the fields the prize covers. However, it remains true that the names in the recipients list are quite impressive, where the highest achievements in the modern history of science is represented well.
The reputation of the prize comes from its rigorous selection process. The committee tries to track down who did the original work, sometimes regardless of the social or academic reception the work has enjoyed since. In a sense, the Nobel committee carries out the job of "Aha! detection", wherein the historical fact of in whose brain the revelation to humanity has taken place for the first time is tried to be pinned down, often involving a hard detective work.
[54BOS]

5月 25, 2008 at 08:01 午前 | | コメント (10) | トラックバック (4)

2008/05/24

写真が貼ってあった

金沢で田森佳秀に会った。
NC(ニューロコンピューティング)研究会が
金沢であり、
箆伊智充と田谷文彦が
発表した。

田森研究室の増田くんも
発表。

終わって、第七餃子へ。

田森が教鞭を執る
金沢工業大学の
人間情報研究所に行って、
さらに話をした。

田森佳秀クン!

君は、理化学研究所で
最初に会った時から、何というか
他の人とは全く違う
存在感を持っていたねえ。

その君と、会ってから、
もう十五年が経つんだねえ。

会う度に、田森クンは
思いもよらぬ
面白い側面を見せてくれる。

そのことは、
「クオリア日記 田森佳秀」
で検索すれば皆にわかることだ。

それでいて純粋な
探求心をいつも純金の
ようにもっている。

君は、なんていいやつなんだ。

田森研究室には、
学生の冨田クンがつくったという
世に名高い
「フランクフルト空港 田森デブバラ事件」
についての写真が貼ってあった。

クオリア日記 ひとさし指でツンツン (2007.7.18)

田森佳秀 

「フランクフルト空港 お腹ツンツン事件」
を語る。

(2007年7月17日 ザルツブルクの
Zipfer Bierhausにて)

http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2007/08/post_3579.html 


田森佳秀クン 
「フランクフルト空港でお腹をツンツンされました。」


田森佳秀クン。あいかわらず元気。

久しぶりに、郡司ペギオ幸夫にも
電話して、
楽しい時間を過ごした。

仲間というものは、本当に
良いものですね!

It was a great genius of Isaac Newton to realize that the moon in the heaven followed the same natural law as the apple on the ground. In a remarkable pursuit of the universality, it was made apparent for the first time in human history that the same law applies to the moon as well as to the apple.
We all know that everything near the ground would fall if they are left by themselves. Objects high above in the sky seem to obey quite different set of laws. Before Newton, nobody questioned the assumption that since the apple and the moon are in different environments by appearance, they would obey different natural laws. The apple would belong to one category (earthly entities) while the moon belongs to another (celestial entities).
Newton's revolution was not possible without a bold demand for a common law and order sustaining the many objects belonging to the earthly and celestial entities. The history of the advancement of science can be regarded as a gradual expansion of the principle of universality, and it has not yet reached the end. There are still entities in our experience of the world which are regarded as belonging to different categories (such as the mind and body) so that it is thought natural that they obey separate laws. In the future, breakthroughs in science would come from successful treatments of the hitherto separate categories under a unifying principle, in a movement of spirit like in Newton's poetic jump from the apple to the moon. [53BOS]

5月 24, 2008 at 07:36 午前 | | コメント (11) | トラックバック (1)

2008/05/23

「総合」苦手な日本の知識人

「総合」苦手な日本の知識人

茂木健一郎
「総合」苦手な日本の知識人
日本経済新聞 2008年5月21日 夕刊

舘野真治さんが、インタビューしてまとめて
くださいました。

ICレコーダーなどを使わず、
ノートのメモだけでこれだけ正確
かつ的確にまとめる手腕に脱帽です。

pdf file 

5月 23, 2008 at 08:05 午前 | | コメント (6) | トラックバック (4)

『すべては音楽から生まれる』18刷

PHP新書

茂木健一郎 『すべては音楽から生まれる』
は増刷(18刷、累計13万5000部)
が決定しました。

ご愛読に感謝いたします。

PHP研究所の丹所千佳さんからの
メールです。

From: "丹所 千佳"
To: : "茂木健一郎"
Subject: 増刷のおしらせです

茂木健一郎先生

こんばんは。
いつもお世話になっております。

先週末のタワーレコードのイベントは、おつかれさまでした
(もちろんそれ以外でも、日々、「おつかれさまです」ですね)。
あまりゆっくりとお話できなかったのは残念でしたが、
来場の方々の盛況ぶりと熱心な様子が印象的です。

本日は増刷のお知らせです。
『すべては音楽から生まれる』は、
おかげさまで、18刷が決定いたしました。
累計135,000部となります。

ありがとうございます。

PHP研究所 新書出版部
丹所千佳
。.・゜・.*。.・゜・.*。.・゜*

amazon 

5月 23, 2008 at 07:43 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

「脳活用法スペシャル」再放送

『プロフェッショナル 仕事の流儀』
「脳活用法スペシャル」が好評につき、
再放送されます。

見逃した方は是非ご覧下さい!

http://www.nhk.or.jp/professional-blog/200/8974.html 

5月 23, 2008 at 07:38 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

初夏の大三角形

プロフェッショナル仕事の
流儀の収録。

 102スタジオ前に、
大場葉子さんがいた。

『トゥープゥートゥーのすむエリー星』 
の見本ができたというので、届けて
くださったのだ。


トゥープゥートゥーを届けてくださった大場葉子さん

 サンデー毎日の連載が始まるにあたって
大場葉子さんと打ち合わせをしている
中で「そういえば、ボク、昔毎日小学生新聞に
SF童話を連載していたことがあったんですよ」
とふと思い出し、大場葉子さんが
「それ、出しましょうよ!」
と言ってくださらなければきっと
ずっと眠ったばかりだったろう、
23歳の時の作品。

大場葉子さんに感謝!

大場さんとお話していると、
なんと、あちらから、
「あらっ!」
幻冬舎の大島加奈子さん(増田健史と結婚して
増田加奈子さん)がいらした。

柴田周平デスク
(しばきち)がディレクター時代に
撮った『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の第35回にゲストで
いらした青森のりんご農家の
木村秋則さん 
についての本を、大島加奈子さんが作って
くださっているのだ。


有吉伸人チーフプロデューサー(ありきち)
と大島加奈子さんのツーショット。

大場葉子さんもソファでにこにこ
していて、私の大切な人たちが
初夏の大三角形。

うれしいなあ。

ゲストは、国連難民高等弁務官事務所
(UNHCR)の高嶋由美子さん。

ウガンダの難民キャンプで働いて
いらっしゃる。

学んだ。心が動いた。

打ち上げで、高嶋さんは住吉美紀さんと
ガーリートーク炸裂!


高嶋由美子さんと住吉美紀さん

女性たちのパワーにたじたじと
なって、ぼくと山本隆之デスク(タカさん)は
端の方で小さくなっていた。

今回の編集を担当した市川芳徳さん、
担当ディレクターの石田涼太郎さんが
ぼくたちの席に加わる。


市川芳徳さん、石田涼太郎さん、山本隆之さん

いつも打ち上げをする「二合目」。

ナプキンに、タカさんが、

「編集マン 市川芳徳さん NHKのなかでも
小林さんと並ぶ エース」

と書いた。

そうだ、
NHKの西口を出て、タカさんと
「二合目」に歩いている時、
ゆったりとした気分でお話した
のだった。

タカさんたちは忙しい。
いつも時間に追われる中で、
クオリティの高い番組を作り続けている。

「ぼくもねえ、タカさん、ずっと
働きっぱなしのような気がします。
このままずっと働き放しの人生
なんですかねえ」

タカさんがはははと笑った。

やりたいことがあるから、
充実している。

たそがれの薄闇は、
刻々の人生という軌跡を
やわらかく包んでくれるかの
ようだった。

I come from a country where two atomic bombs have been dropped on the populated cities of Hiroshima and Nagasaki, killing tens of thousands of people. Great many sufferings have been caused by warring technologies, and science has been behind them. Standing in front of the Atomic Bomb Dome in Hiroshima, one may wonder if the "blessing of science" is not in reality a "curse of science"
It is true that science has sometimes been used in wrongful ways. It is certainly the case that the "blessing of science" has been lost in the dark from time to time. However, the benevolent effects of science is deep and widespread. We do not yet appreciate the full extent of the blessings of science.[52BOS=The Blessings Of Science]

5月 23, 2008 at 07:37 午前 | | コメント (6) | トラックバック (3)

2008/05/22

指がポキっと鳴った

耳にするところによると、小腸や大腸など、
消化器系の疾患に対する手術を
行った後、
いわゆるホウヒが観察されると、
それは治癒の明らかな徴候であり、
お医者さんや看護婦などの
メディカル・スタッフは
「おめでとうございます」
と言うのだという。

韓国に行く直前に派手な突き指を
した左手。

ずっと薬指が痛かった。

昨日の朝、ふと無意識に指を
ポキポキと鳴らす私がいた。

まず右手の小指。ポキ。
右手の薬指。ポキ。
右手の中指。ポキ。
右手の人差し指。ポキ。

左手の小指。ポキ。
左手の薬指。ポキ。
左手の中・・・あれっ?

左手の薬指がポキっと鳴った!

うれしくて、一日中、時々
左手と右手の指をポキポキ鳴らした。

ポキ。ポキ。

いやあ諸君、指が鳴るということは、
実に素晴らしいことですね!

早稲田大学国際教養学部の授業。

記憶のシステムについて概説した。

short-term memory
long-term memory
working memory
episodic memory
semantic memory
declarative memory
procedural memory

transient global amnesia

patient HM.

このうち、HMはepilepsyの治療のために
海馬を含む脳の部位を除去したが、
その結果海馬が新たな記憶を
形成することができなくなった。

HMは、結果として、記憶研究の
大きな進歩に貢献することになった。

長い間イニシャルのみで知られ、
1926年生まれであることなどを
除けば
そのプロフィールの詳細は
公開されていないHMだが、
80歳を超えた今でも生存しており、
アメリカのNational Public Radio
でそのインタビューの一部を聞くことが
できる。

http://www.npr.org/templates/story/story.php?storyId=7584970

この中で、HMはインタビュワーと
会話する。

「今、アメリカの大統領は誰ですか?」

「わかりません。私はものを覚えることが
できないのです。」

「男の人でしょうか、女の人でしょうか?」

「おそらく、男の人だと思います。」

「イニシャルは、GBです。助けになりますか?」

「いいえ。助けになりません。」

HMは新たな長期記憶が形成できなくなったが、
知能は正常なままであり、会話も
普通に行うことができる。

HMの物語や、幼児期の偽の虐待記憶を
「思い出して」しまうfalse memory syndromeの
話などをして、記憶というものの
不思議さを実感してもらった。

新潮社。「旅」編集部の
葛岡晃さん、吉田晃子さんと
打ち合わせ。

写真を撮っていたら、葛岡さんが
「どうせだったらツーショットがいいでしょ」
と吉田さんの隣りに座った。

「どうせだったら、旅をもっていた方
がいいでしょ。」

「どうせだったら、下から煽るように
撮った方がいいでしょ。」

「どうせ」が重なって、「旅」
についてのproduct placement
写真が出来上がった。


「旅」の葛岡晃さん、吉田晃子さん

この二人が作っている雑誌ということは、
きっと必ず面白い! 

ソニーコンピュータサイエンス研究所。

脳研究グループの会合。

石川哲朗がone-shot learningに関する
最近の「勉強」の成果を紹介する。

田谷文彦が、working memoryに
おけるselective filteringの
効率にかかわる論文を紹介した。


論文について解説する田谷文彦博士


ホワイトボードに、おそらく
例によって関根崇泰だと
思うが、ヘンな生きものの絵が
描いてある。

そのまわりに、ボクが田谷が
紹介した論文を議論するために
書いた式や図が添えられた。

10年くらい経って、
今のメンバーが地球上のさまざまな
場所に散らばった頃、
このような光景を見ると
「ああ、懐かしい」と思うんだろうな。

なんとなくそうしたくなって、
指をポキポキならす。

小春日和の匂いがした。


A human being is able to reflect on the his or her own mortality. We perceive that death would certainly come one day. All religion, metaphysics, philosophizing in history have been a desperate effort to somehow come to terms with this brutal fact. As the ultimately imminent death is such an integral part of our spiritual life, it comes as a revealing shock to realize that animals most probably do not perceive their fate when near death. In the wild daily, thousands of creatures meet their final destiny without realizing what is happening to them.
In Richard Wagner's music drama Der Ring des Nibelungen, Siegfried is depicted as a brave hero who does not know what fear is. Siegfried is not afraid even when he fights with a terrible dragon (Hafner). He finally learns what fear is when he encounters a beautiful woman (Brunnhilde), realizing that she might refuse his love, in a poignant observation of human psychology.
When Siegfried falls to Hagen's malicious sword in Gotterdammerung, he continues to remember his meeting with Brunnhilde, oblivious of the fact that he is going to die very soon. This depiction of Siegfried at the final moment as a world-saving hero who falls prematurely is reminiscent of the conditions of wild animals at the time of their deaths. Siegfried dies without a knowledge that he is bidding farewell to this world. A truly terrible and yet world-shatteringly beautiful artistic achievement. [51POL]

5月 22, 2008 at 09:19 午前 | | コメント (11) | トラックバック (4)

2008/05/21

『脳を活かす勉強法』 24刷

茂木健一郎
『脳を活かす勉強法』 
PHP研究所
は、重版(24刷、累計50万1000部)
が決まりました。

ご愛読に感謝いたします。

PHP研究所の木南勇二さんから
のメールです。

Date: Tue, 20 May 2008 12:21:44 +0900 (JST)
From: "木南 勇二"
To: "茂木健一郎"
Subject: 脳を活かす勉強法50万1千部とサイン会決定【PHP木南】

茂木健一郎先生

お世話になります。

『脳を活かす勉強法』は24刷、1万5,000部が増刷となりまして
累計50万1,000部となりました。
おめでとうございます!

元々は違う企画を依頼させていただき、お話の過程で
「僕の勉強法、面白いよ」という何気ないお言葉から
本書が生まれることになりました。
茂木先生、読者の皆様、本当にありがとうございます!


現実に戻り誠に恐縮ですが……
6/15(日)11時00分〜12時45分
紀伊国屋書店梅田本店サイン会100名が決定いたしました。
紀伊国屋さんも大変喜ばれています。

PHP 木南拝

http://www.php.co.jp/bookstore/detail.php?isbn=978-4-569-69679-9

amazon

5月 21, 2008 at 07:19 午前 | | コメント (4) | トラックバック (1)

大森林が復活する

朝の嵐。

あきらめて傘を閉じて歩く。
風を全身で受け止める。

『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の打ち合わせ。
国連難民高等弁務官事務所の
高嶋由美子さん。

石田涼太郎ディレクターが
ウガンダで取材してきた
VTRを見る。

難民キャンプの人たちの
表情が明るい。
身体の動きにリズムがある。

ああ、この人たちと共有できる
何かを生み出したいなと思った。

漂泊の思いがやまずにいる。
ある特定の文化、歴史的背景の
中でだけで通用するのではなく、
宇宙の暗闇に浮かぶこの
地球の塊の隅々に息づく
どんな人の心にも響くような、
そんな表現はきっとあるのではないか。

びゅんびゅんびゅんと
地球は宇宙空間を行くよ。

Milky way galaxyの中にある
恒星の数は、脳の中の神経細胞の
数とほぼ同等である。

日本テレビにて、環境問題についての
特番の収録。

羽鳥アナウンサー、坂口憲二さん、
優香さん、アンジャッシュのお二人、
原口あきまささん、麻木久仁子さん、
中川翔子さん、高田延彦さん。

人類が滅亡した後、
地球がどのようになるかを
予測したビデオが興味深かった。

道路上には草が生え始め、
高層ビルも次第に崩壊し、
やがて、何もそこには
なかったかのように
大森林が復活する。

居住地から人間がいなくなると
どうなるかが実際に「実験」
されている場所がある。

ロシアのチェルノブイリ。

1986年の事故により、
住民が避難して20年。

かつてサッカー場だった場所では、
芝に木々が生え始め、
もともとの森林地帯への回帰が
徐々に進行していた。

スタジオで隣りに座った
中川翔子さんのネイルは、
何だかとても複雑なアートが
施されていて、
原口あきまささんと感心して見る。

「凄いですね。これ、やるのに
どれくらい時間がかかるんですか?」

「2時間くらいです。」

「夜眠る時は「外す」ですか?」

「そのままですよ。」

「どれくらい持つんですか?」

「三週間くらい持ちますよ。」

「そんなに持つのか!」

「一度やってみたら楽しくて、
クセになってしまったのですよ。」

ボクはキーボードをタイプする時に
爪が伸びていると当たって気になるので、
ネイル・アートはきっとがまんできない。

しょこたん偉い。

難民キャンプの人たちと、
森林に覆われた地球のイメージが
どこかで響き合う。

思えば、子どもの頃に科学者を
志したのは、自然法則は
地球上のどこでも成り立つと
思ったからだった。

すべての表現は、ある特定の文脈を
引き受けてなされるが、
そこから羽ばたく普遍性を志向すること。

夕方には嵐はすっかり収まり、
晴れ上がった空の風情が
何ものかに誘っていた。

When I was about 10 years old, I sometimes imagined myself standing on this great chunk of rock called the earth, while it moved whirling around in the universe. That vision always made me dizzy. I was affected so acutely by the fact that I was centered on this tiny body, while the cosmos extends to great eternity. I pined and sighed at the unbearable contrast, looked at my own pair of tiny hands, and wondered why the world was constructed in this way that we were made to live a life accompanied by a great divide between the actual and the imaginable. [50POL]

(As of today, there would be two lines of essays posted in this space, with common numbering but with the suffixes OOC=[Origin of Consciousness] POL=[Philosophy of Life])

5月 21, 2008 at 07:15 午前 | | コメント (9) | トラックバック (4)

2008/05/20

プロフェッショナル 鈴木利廣

プロフェッショナル 仕事の流儀

患者の無念、命の闘い
~ 弁護士・鈴木利廣 ~

ぼくは法学部に二年間行った。

法というものは、
社会工学に留まらず、
根源的な人間観、世界観に
つながっている。

そんなことを、鈴木さんと
お話して久しぶりに思い出した。

この人はすごい人だ。

言語化できない正義への
契機。

患者さんの涙。

巨大な組織というもの。

いつもそこに戻っていく、
人間らしさの温かい場所。

決して、本質を見誤らない人だ。

そして、見る人に勇気を与える。

NHK総合
2008年5月20日(火) 22:00〜22:45

http://www.nhk.or.jp/professional/

すみきち&スタッフブログ

Nikkei BP online 記事
悪法は「法」ではない
〜弁護士 鈴木利廣〜
(produced and written by 渡辺和博(日経BP))

5月 20, 2008 at 08:01 午前 | | コメント (5) | トラックバック (4)

良い物語

ソニーコンピュータサイエンス研究所。

先日投稿したSociety for Neuroscienceの
アブストラクトが、日本時間の
今朝の6時までは編集できた。

それで、それぞれのアブストラクトを
再検討し、編集し、finalizeする。

学生が筆頭authorの場合は、
彼らに送って編集、finalizeしてもらう。

研究所一年に一回のレビュー・トーク。

私や張さん、田谷くん、それに
他の人何人かが話をした。

北野宏明さん、所眞理雄さん、
暦本純一さんなどと議論。

良い物語には、細部の間の
繊細なバランスがある。
つまりは、生命そのものへと
近づく。

バランスが悪いものは、
切り刻むナイフや
ほじくる針にはなるかも
しれないが、
生命そのものにはなり得ない。

批判は壊すが
育むことはできない。

古典となる作品は
一つのいのちに近づく。

それは、小説だけでなく、
科学理論もまた同じである。

たとえば、ゲーデルの不完全性定理に
おけるゲーデル数化と対角線論法
と自然数論の関係。

The justification for treating the neural firings (the generation of action potentials) as a special event, the "building block", so to speak, of all the cognitive processes and conscious experience, is that unless the neuron fires information is not transmitted over the synapses. Without the neural firing, each neuron is isolated in itself and does not become an "entity" in the web of connections in the cortex. That is why the occurrence or otherwise of action potentials should covary with the elements in the phenomenal.
In general, an entity cannot claim to possess a particular property unless it does so in relation to other entities in space-time. This is the gist of Mach's Principle, and is held to be true for anything in the universe, physical or otherwise. Mach's Principle is the guiding principle in the consideration of the origin of conscious experience, and also provides the very justification for the existence of any entities in the physical universe. Thus, the origin of consciousness shares the essential underlying logical structure with the material elements in the universe. ([49])

5月 20, 2008 at 07:58 午前 | | コメント (6) | トラックバック (5)

2008/05/19

内なる星雲

サンデー毎日

2008年6月1日号

茂木健一郎 
歴史エッセイ
『文明の星時間』

第14回 内なる星雲

一部抜粋

 銀河に相当する巨大な脳という存在。その潜在的能力の全てを、私たちはまだ知っているわけではない。私たちはついつい「人間の脳なんてこんなものだ」とわかったようなふりをして日常を過ごしている。それでも、時に尋常ならざる脳の持ち主が現れて、そのような油断を粉々に壊してしまう。見上げれば、青天井の空が「お前たちの内なる無限の可能性を追求してみよ」と誘うのだ。
 1887年、イギリスの医学者ラングドン・ダウンは、常人では考えられない特別な能力に恵まれた人々を初めて記述し、フランス語で「知る者」を意味をする「サヴァン」という名で呼んだ。一般的な意味で「知能」は必ずしも高くないのに、驚くべき記憶力を示す。ダウンが出会った一人の患者は、エドワード・ギボンの名著『ローマ帝国衰亡史』の全文を暗唱することができたという。

全文は「サンデー毎日」でお読みください。

http://www.mainichi.co.jp/syuppan/sunday/ 

5月 19, 2008 at 08:39 午前 | | コメント (1) | トラックバック (1)

時には遠くを見よう

ヨミウリ・ウィークリー
2008年6月1日号

(2008年5月19日発売)

茂木健一郎  脳から始まる 第104回

時には遠くを見よう

抜粋

 「そのことについて考える度に、ますます驚嘆と畏怖の念に満たされる二つのことがある。私の上に広がる星空と、私の内なる倫理規則である。」
 ドイツの哲学者イマニュエル・カントは、そんな美しい言葉を残した。カントの言葉に触れた時に広がる感覚は、石川賢治さんの『月光浴』の写真を見た時に受ける印象に似ている。
 時には、思い切り遠くを眺めてみよう。私たちの生命を育む広い世界とつながることで、ともすれば閉塞感に包まれ、どこか鬱陶しくも感じられる現代の日本社会の中にもさわやかな風を吹き込むことができる。

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

5月 19, 2008 at 08:34 午前 | | コメント (3) | トラックバック (1)

楽しかった夜が明けて

土曜日。

帝国ホテルにて、塩沼亮潤さんと
対談。

塩沼さんは、1300年の歴史の
中で二人目という大峰千日回峰行
を達成された方。

さらに、9日間飲まず、食わず、眠らず、
横にならずという「四無行」も
達成された。

四無行の5日目に、一回だけ
うがいをすることがゆるされる。

一つの器に盛られた水を
口に入れ、うがいをして、
もう一つの器の中に吐き出す。

この時、量が少しでも減っていると
「飲んだ」と見なされて
行は失敗と判定されるのだという。

「口に含むと、もうそれだけで、
ほほの内側の細胞がチュルチュルと
吸収し始めるのですよ。」

と塩沼さん。

机の上に置かれた茶碗を
指して、塩沼さんは言われた。

「こうやってここから見ていると、
向こう側の模様は見えないでしょう。
あっち側に行って、始めて見える
模様がある。
それと同じなのです。」

自分の限界を見きわめる
といことを、文明の中に生きる
人間はあまりやろうとしない。

千日回峰行も、四無行も、
人間が耐えることのできるぎりぎりの
レベルに設計されている。
古からの智恵なのだろう。

「四無行も、10日になったら、死んでいる
でしょうね。」
と塩沼さん。
  
難行を達成するためには、
ペース配分を十分に考えなければならない。
自分の身体、精神が今どのような
状態か、ありのままに見つめる
ことが大切だと塩沼さん。

自分の至らなさ、不完全さに
ついて日々振り返り、
欠けることのない円を
目指す日々。
 
非日常的な修業と日常は
一つながりになっている。

「日経Kids +」の取材を受ける。

電通の佐々木厚さんと、
東銀座のADKへ。
 
日本広告学会にて講演。
人間の脳の創造性のメカニズム、
感情、そして広告の未来について。

エイベックスの岩瀬恵美さんが
迎えに来て下さり、
佐々木さんと移動。

渋谷のタワーレコードにて、
「すべては音楽から生まれる」
CD版のトークショウとサイン会。

トークショウは、音楽評論家の
片桐卓也さんと一緒に。

一生懸命にサインをした。
サインペンで太い線を描いて、
いくつか「新作」ができた。

湯河原へ。

NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』
のスタッフの合宿。

ふだんずっとハードスケジュールで
働いている皆が、楽しみにしている
レクリエーション。

着くと、もう宴会は始まっていて、
有吉伸人さんが楽しそうに
佇んでいた。


佇む有吉伸人さん。

今回の幹事である赤上亮さんと
本間一成さんが、ギターを片手に
余興を始める。

それが、ミュージック・スタートの
準備だった。

場所を移し、カラオケを歌う。

最後に、番組の主題歌、
kokuaのProgressを皆で歌った。

住吉美紀さん(すみきち)が、
歌詞が出ているテレビ画面にしがみついた。

三次会では、大いに談論風発。

翌朝、山本隆之さん(タカさん)は
部屋の床で気持ち良さそうに
眠っていた。

しばらくして、むくっと起き上がった
タカさん。
さわやかに、河瀬大作さんと話している。

楽しかった夜が明けて、
何となく名残惜しげな、
そして満ち足りた朝。

前夜に見た、須藤祐理さんの
「関取」のような姿が、瞼に残像となり甦る。

横浜美術館へ。

カンディ・ハウスの創業者で、
会長の長原實さんと対談。 

横浜美術館の天野太郎さんの
発案で、非常に興味深い展示
空間がつくられた。

カンディ・ハウスの家具と、
フランシス・ベーコンの名画が一体と
なっている。

特別に制作された巨大な椅子もある。

長原さんは旭川で生まれ育ち、
若き日に片道切符だけを持って
ドイツに行った。

「人生で、三回、すっからかんに
なってしまいましたよ。」
と笑う長原さん。

筋の通ったロジック、遠い夢を
あっけらかんとした行動力で実現して
しまう長原さんのお人柄に魅せられた。

終了後、美術館の8階で懇親会。

横浜美術館の方々は、とても元気である。
いつもお世話になっている八柳サエさん、
木村絵理子さんを始め、
皆仕事を楽しんでいる。
明るく前向きである。

窓から見える港未来の風景は、
「今、ここ」のかけがえのなさを
運んできてくれた。

How to pin down the origin of the individual uniqueness of each quale is perhaps the hardest of all the hard problems. In some time to come, it may be possible to describe the process in which the qualia and the self emerge as the result of interactions between events in the brain. Even with that theory, it may still be difficult to account for the uniqueness of the redness of red, why it should be this particular sensation.
Take any simple objects around you, say, the coffee mug. As you look at the coffee mug, the image consists of a distribution of sensory qualia, the gradation, the sheen, the texture, the volume. If you then ask yourself why and how the visual sensation should assume this particular phenomenal quality. It is very difficult to reconcile the acute individuality of a single quale with the description of the universe constructed in terms of mathematical formulae. If you face a single quale in earnest, that single quale becomes equal to the whole universe. ([48])

5月 19, 2008 at 08:26 午前 | | コメント (7) | トラックバック (3)

2008/05/17

対談−家具とデザイン

対談−家具とデザイン

茂木健一郎、長原實

横浜美術館 
2008年5月18日(日)
14時〜15時30分

http://www.yaf.or.jp/yma/workshop/school/openschool.html 

5月 17, 2008 at 12:45 午後 | | コメント (3) | トラックバック (1)

タワーレコード

タワーレコード 渋谷店6F
2008年5月17日(土)16:00〜
茂木健一郎 トーク、サイン会

「すべては音楽から生まれる」
CD版
発売記念イベント


http://www.towerrecords.jp/store/instore.html 

すべては音楽から生まれる (1) 脳とクラシック 

すべては音楽から生まれる (2) 脳とシューベルト 

すべては音楽から生まれる (3) 脳とモーツァルト 

5月 17, 2008 at 12:36 午後 | | コメント (5) | トラックバック (2)

くるくる回転するぞ。

3日くらい前、
朝目覚める直前に夢を見た。

 「あっ、そうか」
と思った。

 「自分の知らない領域に
チャレンジする時は、とにかく、
遊ぶことが大事なんだ。」

 その命題は、強靱なロジックに
貫かれているように感じた。
 知っている領域ならば、
特定の方法論を適用できる。

 知らぬのならば、とりあえずは
踊るしかない。
 Tanzen, Tanzen, Tanzen!

 「自分の知らない領域に
チャレンジする時は、とにかく、
遊ぶことが大事なんだ。」
 その感覚は、起きた後も
しばらくは続いていて、
 不思議な思いが胸を満たした。

 ソニーコンピュータサイエンス研究所
にて、My Sony Mail Magazineの
取材を受ける。

http://www.sony.jp/mail/mysony/index.html 

撮影も取材も、とてもよく考え抜かれていて
凝っている。

伺うと、読者が120万人いるとのこと。

「とにかくもう、力を込めて
作っているのです。」

さっそく登録する。

私のインタビュー記事も、近日中に
配信される予定。

お楽しみに。

 脳研究グループの会合。
 Society for Neuroscienceに
投稿した余韻が残る。

 皆、全力で頑張ろう!

 脳グループの会合の前に、
何人かでラーメンを食べに行った。

 柳川透が、「最近思うんですけど」
と言う。
 
 「うん、何だ?」

 「反応選択性って、やっぱり役に
立ちますよね。」

 「そうか。」

 「実際に脳の活動を解析する時には、
反応選択性を通してやるしか
ないですよね。」

 「それは、まあ、実験のデータを
解析する時には、そういうことになる
んだけれどもね、でも、結局最終的には
ダメなんじゃないかな」

 私の実質上の処女作
『脳とクオリア』 
(日経サイエンス社 1997年)
はその「反応選択性」に対する
激しい攻撃で始まっている。

 そして、「マッハの原理」に至り、
そして「相互作用同時性の原理」に至るのだ。

 「柳川、お前なあ、
ウン十年後とか、オレが死んだとき、
代表で弔辞を述べて、
「茂木さん、結局反応選択性で良かった
んですね」なんて言うんだろう!」


 「ははは。」

 「てめ〜、そんなこと言ったら、
化けて出るぞ。墓の中でくるくる回転するぞ。」

 「はははは。でも、あちらの世界で
問題が解けるかもしれないですよ。」

 「なんだと〜。」

 みなさん、問題は、生きているうちに
解かないと仕方がありません。

 がんばるしかありません。

 ぼくは、先日の
NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の脳活用術スペシャルで放送されたように、
 柳川透くんのアタマを「よしよし」
となでた。
 
 朝日カルチャーセンターにて、
脳のレクチャー。

 胸がざわざわする時に、
人は変化への胎動を感じる。

 世の中の趨勢とか、
 社会の流れとか、
 そんなこととは無関係に、
 智恵をつくせば必ずざわざわの
回路は見つかる。

 高校の時、私はニーチェを
愛読していて、
 「舞踏」という
概念に心を惹かれた。
 
 この世に定まった意味などない。
 だとしたら、踊り、生命を
燃やすしかない。
 
 世界は美的過程としてのみ是認される。

 そして、その美しさのど真ん中には、
「生命」と書かれているのだ。

Response selectivity is a useful idea, and continues to dominate neuroscience as the de facto central dogma. The selectivity of a single neuron, a group of neurons, or the overall activity pattern of the whole brain is often the only measurable quantity. A lot of things have been clarified with this method of analysis, from functional mapping to the characterization of relevant brain areas.
As a guiding principle for the elucidation of the principles of phenomenal experience, however, response selectivity suffers from a series of serious problems, making it ultimately untenable in the effort to clarify the origin of mentality. These defects can be perceived quite easily if one examines the empirical evidence with logic and clarity. ([47])

5月 17, 2008 at 08:48 午前 | | コメント (12) | トラックバック (8)

2008/05/16

朝日カルチャーセンター 脳とこころを考える

朝日カルチャーセンター 脳とこころを考える

「脳と古典」第二回

第一回の林望さんとの対談を受けて、
さらに考察を進めていきます。

2008年5月16日(金)
18時30分〜20時30分

http://www.asahiculture-shinjuku.com/LES/detail.asp?CNO=21908&userflg=0 

5月 16, 2008 at 08:03 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

チームとしての連帯感

よく行くコンビニは、店長らしき
眼鏡をかけた細面の男の人がいて、
しばしば見かける学生バイトのような
人が二三人いる。

最近になって、眼鏡をかけた
おばさまが加わった。

先日飲み物を買いに行くと、
店長や、学生バイトや、おばさまが
たまたま勢揃いしていて、
「おお、オールスターキャストだ!」
とカンドーしてしまった。

人間の記憶における連想という
ものは不思議なもので、
買い物を済ませて
店の駐車場を歩いている流れの中で、
大学院時代にバイトで
塾講師をしていた時のことを
思い出した。

近郊にある大手予備校の
校舎。

校長のSさんは趣味人で、
いろいろと蘊蓄を傾ける
のが好きだった。

Oさんは予備校の先生を
しながら司法試験の勉強をしていた。

小説家志望のAさん、

学生運動をしていたというTさん。

講師室は多士済々で、最年少だった
私は、人生の先輩たちの話を
聞きながら社会についていろいろな
ことを学んでいたのではないかと
思う。

夏期講習の時などは、朝8時から
夜8時くらいまで授業を担当することが
あって、すっかり喉をからしてしまった。

講習時期は大変だったが、
その終わり頃、「打ち上げ」と
称して校長主催の飲み会が
あるのが楽しかった。

講師たちが勢揃いする。
ふだんは全員揃うことはないのだけれども、
その時ばかりは皆で語り合う。

「茂木さんは、将来一体何をするのですか」
Aさんが聞いてくる。

大学院生に、そんな展望など
あるはずがない。

そもそも、博士号を取れるかどうかも
わかっていない。

ボクが、博士論文の中核となる
非対称結合ネットワークの解析に使う
「グラフ変換法」を思いついたのは、
発表会の三ヶ月くらい前だったのだから。

予備校の講師というのは特に専任に
なると給料も良く、
立派な生活をしていたが、
それぞれ、司法試験とか小説とか、
どこかに行こうとしている人たちでも
あったから、
将来どうなるかわからない一介の
大学院生である私と、
そのような「胸のざわざわ感」
を共有していて、だからこその
「チーム」としての連帯感があった
のだろう。

コンビニでいつもはばらばらに
見る人たちが一度にいるのを
見て、昔予備校で抱いた
「チームとしての連帯感」を
思い出した。

Oさんは司法試験に合格したろうか。
それから、Aさんは、今でも大好きな
小説の話をしているのだろうか。

11月にワシントンで開かれる
Society for Neuroscience
(北米神経科学会)のabstractの
締め切りで、
研究室のメンバーと複数の
abstractを書いた。

「再配分ゲーム」「洞察問題解決に
おける閾下ヒントの役割」
「左右視野にまたがる同時性知覚」
「選好にもたらす感情的感染の影響」
「自己の確立における顔認識の機能」
「イミテーションゲームと鏡像変換」

コーヒーを飲みながら夜なべをする。

大学院の時に、バイトをしたり、
論文を読んだり、いかんともし難い
ことについて考えたり、
あの頃の夜なべと同じ、ずしりと
くる感触があった。

私たちは皆、不気味な沈黙を
保つ宇宙の真空の中に浮かぶ
地球号の乗組員であるのだなあ。

肩を寄せ合って生きているのだなあ。

Those engaged in fields of human activities based on the utility of natural languages do not know the ultimate justification of their activity. We are moved by works of art, inspired by the drama, thrilled by a piece of music. We do not know the origins of these experiences either. I was once in Madrid, and admired Picasso's Guernica. The serenity of its presence gave one a strong impression independent of the political and historical significance. I do not know where came all that phenomenal qualities of experience, either.
It is sometimes said that all philosophical writings are just footnotes to Plato (Alfred North Whitehead, in Process and Reality 1929) When the mind-brain problem is eventually solved, all musings and writings in the arts and humanities would become footnotes to the theory of the origin of phenomenal experiences, which still lurks in the darkness of human ignorance, in the brightness of hope for future enlightenments. ([46])

5月 16, 2008 at 07:58 午前 | | コメント (12) | トラックバック (2)

2008/05/15

感動する脳 11刷

茂木健一郎
『感動する脳』(PHP研究所)
は増刷(11刷、累計34000部)
となりました。

ご愛読に感謝いたします。

PHP研究所 小川充さんからの
メールです。

茂木健一郎先生

増刷のご連絡をさせて頂きます。
この度、『感動する脳』の11刷、2000部が決まりました。
これで累計3万4000部となりました。
ありがとうございます。


また、以前にメールにてお願いしたことですが、
実は、ひとつお願いのことがあります。
2003年にPHPエディターズ・グループから出版されました
先生監訳の本『脳はいかにして「神」を見るか』を
ぜひPHP文庫の一冊として発刊させていただきたく
願っております。

PHP文庫  小川充

amazon 

5月 15, 2008 at 08:57 午前 | | コメント (5) | トラックバック (1)

『すべては音楽から生まれる』17刷

PHP新書
茂木健一郎 『すべては音楽から生まれる』
は増刷(17刷、累計117000部)
が決定しました。

ご愛読に感謝いたします。

PHP研究所の丹所千佳さんからの
メールです。

茂木健一郎先生

こんにちは。
いつもお世話になっております。
五月の薫風もどこへやらという気候ですが、
お元気でいらっしゃいますでしょうか。

さて、増刷のおしらせです。
『すべては音楽から生まれる』は、おかげさまで、
17刷が決定いたしました(累計117,000部です)。
感謝をこめまして、ここもとお伝えいたします。

今日は三島由紀夫の『音楽』からの引用をもちまして、
このメールを締めくくらせていただきます。

  そのときです、先生、どうしたことでしょう。
 突然、私は「音楽」をきいたのです。
 私の体の中に、あれほど憧れていた音楽を。
 音楽はすぐには絶えず、泉のように溢れて、
 私の乾き果てた内面を潤しました。
 耳ではありません、私の体で……、
 先生、こんな信じられないことがあるのでしょうか、
 ……私の体で、私はえもいわれぬ幸福感を以て、
 あの「音楽」をきいたのです。

追記:本日の宮島さんとのご対談、静聴できずに残念です!
きっととても濃いお話になるのだろうなと思いを馳せております。

PHP研究所 新書出版部
丹所千佳

amazon 

5月 15, 2008 at 08:54 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

共存させ、活き活きとした

早稲田大学国際教養学部の
授業は、
脳とコンピュータの違いについて
考えた。

まずは、ヒルベルトが夢見た
「すべての数学を形式化する」
という計画を紹介。

ラッセルとホワイトヘッドは
「プリンキピア・マゼマティカ」
でヒルベルトの計画を実行しようと
試みる中で、「ラッセルのパラドックス」
のような困難に出会う。

「自分自身を含まないような全ての
集合の集合」といった自己言及を
含む表現は特殊なもので、ナンセンス
であるように思われる。
しかし、問題は、形式主義に依拠して
何の制限もなく操作した場合、
そのような矛盾が生じることが
避けられないという点にあった。

続いて、ゲーデルの「不完全性定理」
を紹介。

ここまで準備した上で、
サールの『中国語の部屋』
の議論を紹介して、「理解する」
ということについて考えた。

授業は、英語。
しかし、そこまで英語が
得意ではない学生と、
せっかく日本に留学している
外国からの学生のために、
時折日本語のセンテンスを挟み込む。

ソニー本社で、所眞理雄さんと
お話しする。田谷文彦クンも
同席。

研究の方向性などについて有意義な
お話をすることができた。

横浜FMで、黛まどかさんと
藤田優一さんの番組
KANAGAWA MORNING CAFE 
におじゃまする。

黛まどかさんに最初にお目にかかったのは、
京都造形芸術大学でのシンポジウムの時。

俳句という日本の芸術の本質について、
現代的な文脈を引き受けつつ、
マジメに、まっすぐに情熱を
持って進んでいる姿に
感銘を受けたのである。


黛まどかさんと。FM横浜で。
(photo by Atsushi Sasaki)

東京駅近く、八重洲ブックセンターにて
宮島達男さんの新著
『Art in You』 の刊行記念トークショウ。

水戸芸術館で開かれていた宮島達男さんの
美術展Art in You展に出品された
HOTOは、宮島さんのこれまでの
表現活動の一つの到達点であり、
また、現代美術が置かれている
水域を一変させる力を持った
歴史的な作品だと思う。

そのHOTOを中心とする
宮島さんの作品を集めた
この本は、宮島さんの力のこもった
テクストとともに、忘れられない
感触がある。

私たちは、現代社会の中で、
世俗的な文脈の中で一生懸命がんばって
いる。

商業主義は、どんな分野で活動する
人にとっても、無視することので
できない「友だち」。

しかし、商業主義という「友だち」
だけだと、人間としての生き方が
「全体的」にならない。

同時に、生や死や、魂のことを
思う、「聖なる」領域を確保
しなければならない。

商業主義と、聖なる領域と。
どのようにしてそれらの
異なるものを共存させ、
活き活きとした命の動きを引き出すか。

今回の展覧会をキュレーションした
水戸芸術館の森司さんの巧みな司会も
あって、宮島達男さんとの対話は、
永く記憶に残る深い
感触を残すものとなった。

HOTOを生み出して
現代の私たちの前に提示下さった
宮島達男さんに心から感謝する。


宮島達男さんと。対話の前の控え室にて。
(photo by Atsushi Sasaki)

It is sometimes argued that the nature of consciousness needs to be considered essentially within the social context. Horace Barlow (ref) argues that the functional significance of consciousness is to be able to reflect on one's internal state, so that it could be reported and communicated to others. Given the fact that solipsism does not lead to any significant advantage in terms of the interaction with others in society or with the environment, delving into the social significance of conscious experience seems to be a logical step forward.
The ability to reflect on one's mind and share it with others is closely related to the general metacognitive abilities that function independent of the social context, if necessary. The very generation of individual quale in one's phenomenal mind is dependent on the basic metacognitive process. It is thus not possible to separate cognition as it pertains to self-oriented reflections or socially contexted functionalities. Even solipsism is tailored in the social context. ([45])

5月 15, 2008 at 08:51 午前 | | コメント (9) | トラックバック (6)

2008/05/14

『ペンローズの〈量子脳〉理論』3刷

Roger Penrose、竹内薫、茂木健一郎著
『ペンローズの〈量子脳〉理論』
(ちくま学芸文庫)は3刷(累計9000部)
となりました。

ご愛読に感謝いたします。

筑摩書房の大山悦子さんから
いただいたメールです。

茂木健一郎先生

重版のお知らせです。
『ペンローズの〈量子脳〉理論』
の3刷を刷らせていただきたく存じます。

ところで、学芸文庫版のための
『脳とクオリア』のお手入れはいかがですか?
お忙しいご様子をブログで拝見しております。
どうぞ、少し時間をとっていただき、
お進めいただきますよう、
よろしくお願い申し上げます。

筑摩書房 大山悦子

amazon

5月 14, 2008 at 08:22 午前 | | コメント (1) | トラックバック (1)

『脳を活かす勉強法』 23刷

茂木健一郎
『脳を活かす勉強法』 
PHP研究所
は、重版(23刷、累計48万6000部)
が決まりました。

ご愛読に感謝いたします。

PHP研究所の木南勇二さんから
のメールです。

茂木健一郎先生

お世話になります。

『脳を活かす勉強法』は23刷、
1万5,000部が増刷となりまして
累計48万6,000部となりました。
誠にありがとうございます!

勉強は、楽しい!と一人でも多くの人に思えてもらえたら
編集者冥利につきます!

50万部突破!もうすぐです。
初版部数を1万から1万2千部にしてくれと
弊社の営業に言っていた約半年前が懐かしいです。
是非、打ち上げをいたしましょう!


PHP 木南拝

http://www.php.co.jp/bookstore/detail.php?isbn=978-4-569-69679-9

amazon

5月 14, 2008 at 08:16 午前 | | コメント (1) | トラックバック (1)

加藤はぜんぜん似ていないじゃないか!

再びソニーコンピュータサイエンス研究所にて、
脳研究グループの議論。

加藤未希の実験パラダイムについて、
subliminal, supraliminalの関係という
視点から話し合う。

加藤と議論していたら、
となりで関根崇泰が何かを
描いている気配がする。

見上げると、また例によって
イラストをホワイトボードに
したためている。


関根崇泰クン。

「お前の描くイラストはさあ、
オレは全然に似ていない! と思うんだけど、
ブログを見た人は皆似ているとか
いうんだよなあ。」

関根がヘヘヘと笑う。

加藤との議論はまだまだ続く。
再び振り返ると、今度は関根は
自画像を描いていた。

関根のあだ名は「かものはし」
である。

先日、Nature誌に、カモノハシの
遺伝子解析の論文が出たと
朝日新聞の
「爬虫類+鳥類+哺乳類=カモノハシ?」という
記事に紹介されていたが、
関根は今度のjournal clubでこの論文を
やるらしい。

ふたたび顔を上げると、
今度は、二人の人間が描かれていた。

「これは、誰だ!」

近くにいた箆伊智充が、「茂木さんと
加藤さんが議論しているところじゃないですか」
と言った。

「加藤はぜんぜん似ていないじゃないか!」
と叫んでから、シマッタと思った。
自分の方は似ていると認めていることになる。

続いて、星野英一の
空間記憶、オブジェクト記憶の
実験について、その内容を詰める。

星野の発想はちょっとぶっ飛んでいて、
彼が何を考えているのか、
デコードするのにしばらく時間がかかる。

バイトに行かなければならないという
星野が研究所を出るぎりぎりの
タイミングまで議論した。

なるほど。記憶そのものというよりも、
記憶が身体運動に結びつく、
そのプロセスを問うているのだと
わかった。


星野英一クン。

須藤珠水が、イミテーションにおける
鏡像戦略とローテーション戦略の
区別についての実験計画をもってくる。

とてもよく練り上げられていて、
コントロールもしっかりしており、
自作の実験装置も作られていて、
こちらは即オーケー。

そうこうしているうちに、
箆伊智充が黒板に何か描き始める。


箆伊智充クン

箆伊が取り組んでいる同時性の知覚について、
新しい実験のアイデアを考えついた
のだという。

左視野、右視野、左半球、右半球の
関係について、面白い視点を
含んでいる。

須藤珠水も加わって議論。


ヘライくんと須藤さん

関根崇泰が、新しいゲーム(redistribution game)を考えてきた。
一言聞いて、「それはいいね!」
と思う。

ずっと室内にいたので、
外の空気が吸いたい。

研究所の横のオープンスペースに
二人で歩いていき、議論を続ける。

かものはし、なかなか冴えているゾ!

関根が加藤のsubliminal, supraliminalに
ついて提案したパラダイムも
とても良かった。

研究所を出る。

プロデューサーの笹生八穂子さん、
ニューヨーク在住の黒部さん、
アーティストの長谷川さんと会食。

映画の話、日米の違い、
その他いろいろな話が出て
とても面白かった。

笹生さんは、仕事で世界中を
飛び回っていて、
ドバイや、バリの不思議な話を
聞く。

世界のどこでも成り立つ、普遍的に
人間的なものを志向するという課題を、
いつも心に抱いて。

The arguments about the neural correlates of consciousness (NCC) tends to be focused on the level of neural firings (action potentials). This is to be justified from the connectionist point of view. However, it should be noted that the connectionist model is only a shorthand for the actual physical processes in the biological brain. The physical basis of the origin of consciousness is likely to lead us all the way down to the movement of molecules in the cell, the constituent elementary particles, and finally to the zitterbewegung. There is no a priori reason why a particular scale of description should be regarded relevant for the problem of mentality.
The complete clarification of the materialistic basis of consciousness, therefore, is expected to be a complicated one. Before a sufficiently detailed description of the physical correlates is to be given, a solution of the mind-brain problem at the conceptual level should be provided, in which an account is given for the enigma why conscious experience should exist in the first place. ([44])

5月 14, 2008 at 08:12 午前 | | コメント (8) | トラックバック (3)

2008/05/13

プロフェッショナル 堤幸彦

プロフェッショナル 仕事の流儀

気負わず、おごらず、立ち止まらず

~ 映画監督 演出家・堤 幸彦 ~

若き日のロックンロール・スピリットを
失わずに、大人として
立派な仕事をするということは、
一体、どういうことなのかあ!

この番組を見て、堤幸彦さんの
生き方に学ぼうではないか、
諸君!


NHK総合
2008年5月13日 22:00〜22:45

http://www.nhk.or.jp/professional/

すみきち&スタッフブログ

Nikkei BP online 記事
絶対に譲れないものを1つ持て
〜映画監督 堤幸彦〜
(produced and written by 渡辺和博(日経BP))

5月 13, 2008 at 09:03 午前 | | コメント (4) | トラックバック (6)

Art in you うちなるアートを発見する

宮島達男 × 茂木健一郎
Art in you うちなるアートを発見する

2008年5月14日(水)19:00〜20:30

八重洲ブックセンター
本店8階ギャラリー

http://www.yaesu-book.co.jp/events/index.html#miyajima 

5月 13, 2008 at 08:59 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

「脳」整理法 14刷

ちくま新書「脳」整理法
増刷(14刷、累計107000部)
が決定いたしました。

ご愛読に感謝いたします。

筑摩書房の増田健史さんからの
メールです。

筑摩書房の増田健史さんから
いただいたメールです。

茂木さま

過日はもろもろの厄介事をお引き受けいただき、ありがとうございました。

早速ながら、ご著『思考の補助線』および『「脳」整理法』の重版が決まりました。

『思考の補助線』については、第7刷として10,000部(累計75,000部)を、
『「脳」整理法』については、第14刷として5,000部(累計107,000部)を、
それぞれ増刷させていただきます。

なにがしか変更点がござい
ましたら、ご一報たまわるようお願い申し上げます。

月末、蔵前までご足労いただくことを楽しみにいたしております。

要用のみ、御礼旁々お伺いまでに。

増田健史


株式会社 筑摩書房 編集局 第2編集室
増田 健史(Takeshi Masuda)


増田健史氏

5月 13, 2008 at 08:58 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

『思考の補助線』7刷

ちくま新書 
茂木健一郎 『思考の補助線』は増刷(7刷、累計75000部)
となりました。

ご愛読に感謝いたします。

筑摩書房の増田健史さんから
いただいたメールです。

茂木さま

過日はもろもろの厄介事をお引き受けいただき、ありがとうございました。

早速ながら、ご著『思考の補助線』および『「脳」整理法』の重版が決まりました。

『思考の補助線』については、第7刷として10,000部(累計75,000部)を、
『「脳」整理法』については、第14刷として5,000部(累計107,000部)を、
それぞれ増刷させていただきます。

なにがしか変更点がござい
ましたら、ご一報たまわるようお願い申し上げます。

月末、蔵前までご足労いただくことを楽しみにいたしております。

要用のみ、御礼旁々お伺いまでに。

増田健史


株式会社 筑摩書房 編集局 第2編集室
増田 健史(Takeshi Masuda)


増田健史氏

5月 13, 2008 at 08:58 午前 | | コメント (1) | トラックバック (1)

英語だと思って、読まないでスルーしているんでしょ!

韓国に行く前に転んでハデに
突き指した
後遺症がまだ残っていて、
大分良くなってきたけれども、
それでも、変な力がかかるといたい。
左手にあまり
大きな荷重はかけられない。

そのせいで、ついつい、
椎名誠さんに前回お目にかかって
以来
せっかく築き上げてきた
「腕立て腹筋いっぱい」
という路線を維持するのがむずかしく
なった。

つい、自分の指にかかる負荷に
敏感になり、
へなちょこ腕立てになってしまうのだ。

それで、コーヒーを淹れたり、
ちょっと立ったりしたり
する時に、
シュッシュッシュッと
シャドウ・ボクシングをすることに
した。

最初の時、録画していた
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
を見ながら45分間シャドウ・ボクシングを
していたら、
翌日、胸筋が痛くなった。

やった!

松岡修造さんから、普段使っていない
筋肉を使うと痛くなると聞いている。

それ以来、時々胸筋を痛くしている。

ソニーコンピュータサイエンス研究所で
学生たちと研究上の議論。

柳川透が最近考えていることを聞いた。

関根崇泰がSociety for Neuroscience Meeting
に出すアブストラクトの方向が決まった。

高川華瑠奈の実験のコンセプトを詰めた。

加藤未希の実験において、どのような
洞察課題を使うかを議論した。

日経サイエンス編集部。

地球温暖化についてさまざまな
研究をされている江守正多さんに
お話を聞く。

この問題についての国際的な
取り組みの現状が、とても
よくわかった。

そして、江守さんは、とても
素敵な人だった。

江守さん、本当にありがとうございました!

終了後、糸屋和恵さんのお気に入りの
中華料理屋で懇親会。

詫摩雅子さんが、「茂木さん、ブログ毎日
書かれて偉いですよね。」
という。

「習慣になれば、大したことありません。」

「いつも付けられている英語の詩も、
いいですよね。」

「あのねえ、詫摩さん、あれは、詩じゃ
ないの! 心脳問題について書いている本の
一部分を載せているんでしょう。もう!
あっ、英語だと思って、読まないで
スルーしているんでしょ!」

「ごにょごにょ。」

もっとも、当日
ぼけていたのは、詫摩さんだけではない。

いつも対談の場にいらっしゃる
あるヒトを、ボクは編集部の人ではないが、
なぜかそこにいる「謎の人」
だと思っていた。

「オチといいます。」

「あっ、すみません。最初に
名刺をいただいたときに、ちゃんと
見ていなかったんだと思います。」

「お茶くみの人か何かと
思っていたんじゃないですか?」

「いや、その、タクマさんとか、
イトヤさんとかとは、別カテゴリー
の人かと何となく思っていまして。」

(タクマさん、イトヤさん一緒に)
「茂木さん、いったい、それはどういう
ことですかあ〜」

越智泰子さんの名前は、日経サイエンス誌
の編集部クレジットのところに
ちゃんとあった。

「この前、茂木さんが
写真をブログに載せたとき、
私のことは編集部じゃないと思っていると
わかったんですよ。」

「あっ、あの、菊池さんがカメラ目線に
なっているやつですね。」

http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2008/04/post_9d3b.html 

神野幹雄さんが、豪快に笑った。

「日経サイエンス編集部」は活気がある。

日本の科学を元気にするために、
さらにがんばって欲しい!

皆さん、私は、中学生の時から
「日経サイエンス」を講読しています。

現代を生きる上で
必要不可欠な科学知識を身につけるために、
ぜひ定期購読をしませんか。
世界が広くなりますよ!

http://www.nikkei-science.com/subscription.html 

The argument about whether free will exists is an important one, and from the evolutionary point of view, is perhaps the only point that matters in considering the adaptive value of having conscious experience. The most essential watershed here is whether the free will is considered to be compatible or incompatible with the causal determinism. If it is compatible with causal determinism, then the problem of free will becomes one of illusion. Note that saying something is an illusion does not negate its epistemological or ontological significance. If the free will is to be held incompatible with causal determinism, then it must somehow find itself in the subtle gray zone between the deterministic world view and chaotic dynamics where no action has a significance at any rate. ([43])

5月 13, 2008 at 08:57 午前 | | コメント (8) | トラックバック (3)

2008/05/11

Meeting with Kim Peek

Meeting with Kim Peek

The Qualia Journal

11th May 2008

http://qualiajournal.blogspot.com/ 

5月 11, 2008 at 07:35 午後 | | コメント (4) | トラックバック (0)

芸術の普遍性

生まれて初めて
意識して聞いたクラッシックは
ベートーベンのピアノ・ソナタ
『月光』だった。

5歳くらいだったろうか。
家にあったレコードを
聴いたのである。

湖水の上に月光が降り注いでいる
ような第一楽章にも魅せられたが、
最も心を惹かれたのは、第二楽章だった。

燃え立つような明るさ。
華やかな花が揺れているような。
それでいて、どこかに
寂しさへの気配を秘めている。

あの時のジャケットも
はっきりと印象に残っていて、
明るい緑の中にピアニストの
横顔があったように思う。

最近、『月光』を聴き直すと、
よくできているなと思う。

20世紀の映画音楽に見られるような
ロマンティズムのムードを志向する
ベクトルの萌芽は
あるが、その傾向が行きすぎない。

生命というものはバランスが
肝要である。
古典として残るものは、
結局はバランスが良い。

気分が垂れ流しになっている
現代の多くの作品は、結局、生命から
遠ざかっている。

エイベックスの中島浩之さんから
メールを頂いた。

From:Hiroyuki Nakashima
To:Ken Mogi
Subject: 17日のタワーよろしくお願いします
Cc: avex 岩瀬

お疲れさまです。

クオリア日記にも載せていただいた甲斐もあって、
好調に動いているようです。


すべては音楽から生まれる (1) 脳とクラシック 

すべては音楽から生まれる (2) 脳とシューベルト 

すべては音楽から生まれる (3) 脳とモーツァルト 


近々に、3枚あわせてですが、1万枚は超えると
思いますので、超えたら、出版社のみなんさんが、
日記に乗っけてもらってるみたいに、転載しても
らえそうな、少しかしこまったメールをいたします。

17日 16:00からのタワーレコード渋谷店での
イヴェントよろしくお願いします。
インタビュアーは音楽ライターの片桐卓也さんです。

また、今ごろ言うのもなんなんですが、17日は、
僕はイヴェントにいないのであります。
明日から、ベルリンに行
き、戻りが19日となりますので、
大変申し訳ないし、残念なんですが中島は
当日不参加。茂木さんのアテンドは
岩瀬が責任もってやらせていただき
ますので、よろしくお願いします。

岩瀬からもメール等するかもしませんので、
よろしくお願いします。

エイベックス 中島

ふりかえって不思議なのは、
自分の内側にあるパッション(受難=情熱)
の質は、5歳の時に『月光』を
聴いていた時と、今いろいろな
人生の経験を積んだ時点で未来を
想う時で、それほど変わらない
ということである。

もちろん、盛り込まれる実質は
違う。

5歳の時の私の頭の中は、
ピンに刺した蝶や、わた飴や、
5円玉や、どろんこ団子で
できていた。

45歳の私の頭の中には、
クオリアや、締め切りや、
グラフ理論や、夕方に口にするビールの
最初の一杯がある。

かくも長きにわたって、
私の胸の中には、月光の第二楽章の
気分が時折甦る。

芸術の普遍性とは、
何と素晴らしいものなのだろう。

The cut in the interaction connected firings of neurons is to define the border between the self and non-self. Sensory qualia, which are generated by neural firings outside the border, is experienced as vivid and salient by the self and represent the status quo of the outside world. Intentional qualia, on the other hand, are generated by cluster of neural firings involving a cross over the border, giving a more abstract and interpretation and intentionality laden Vorstellung, concerned directly or indirectly with the sensory qualia. The nature of the phenomenology of all participating elements of cognition is to be ultimately determined by the geometrical properties of the simply connected graph of neural firings that gives rise to the self at one particular specious moment. ([42])

5月 11, 2008 at 09:33 午前 | | コメント (16) | トラックバック (8)

2008/05/10

そうだ、爆発するんだ!

玉川大学の大森隆司教授、
岡田浩之教授の研究室を中心とする
グループと、私たちの研究グループで
合同のワークショップを開催した。

玉川大学には脳科学研究所があり、
日本における有力な脳科学の研究拠点の
一つ。

塚田稔先生が、長年にわたって玉川における
脳研究を引っ張ってこられた。

前頭葉の専門家で、
「主体性」について鋭い
意見を持つ松元健二さんも
理化学研究所から移籍している。

脳科学研究所には、神経生理学の大家、
丹治順先生がいらっしゃる。

玉川学園前駅から
キャンパスへの道は緑にあふれ、
まるで公園のよう。

何回か来ているという野澤真一に
先導されて歩いていった。

プログラムは、須藤珠水と、
高橋英之さんが作ってくれた。

北海道大学から豊巻敦人さん、
元東大駒場の開一夫さんの
研究室で、今は慶応大学にいる
福島宏器さんも参加下さった。


大森隆司さんと、須藤珠水

-------------------------------------------
「コミュニケーションと意思決定」
5月9日(金) 13:00〜@玉川大学

13:00〜
恩蔵絢子
不確実性と感情

13:30〜
高橋英之
文脈依存の認知制御と社会性
-自閉症と表情認知からのperspective-

14:00〜
横山絢美
意図推定に基づく行動決定過程のモデル化とその評価

14:30〜
豊巻敦人 
意志決定の障害としての精神疾患の新しい理解

14:30〜14:45 
Short Discussion
14:45〜15:00
Break

15:00〜
石川哲朗
視覚的一発学習の探索行動による解析

15:30〜
福島宏器 
社会的認知の処理の多様性について

16:00〜
岡田浩之
コミュニケーションにおける非論理的推論の効用
-対称性および相互排他性を巡って-

16:30〜
Long discussion
(茂木さんの指定討論含む)


17:30〜打ち上げ@町田

-------------------------------------------

大変充実した時間で、
面白い話がたくさん聞けたし、
いろいろ考えることもできた。

須藤さん、高橋さん、ありがとう。


玉川大学との合同ワークショップの様子

終了後、発表した石川哲朗から
メールをもらった。

To: Ken Mogi
Subject: もう言い訳せずに、はやく爆発してみます
From: Tetsuo Ishikawa

茂木さん

昨日のワークショップ、すごく楽しかったです。

去年SfNで発表していたときも、
同じような気持ちになってたのを思い出しました。
発表前は、こんなのでいいんだろうか?という、
自信のなさばかりが先行してしまっていたのに、
いざ本番で、恥ずかしくなるくらいたどたどしい
説明にも関わらず、じっと聞いてもらえたら
そんなに悪くない内容だったのかなとやっと
思えてくる。今回もそんな感じでした。

始まる前に野澤君が、今回のワークショップは
アウェーじゃなくてホームだよねと言ってて、
今回は向こうも専門が同じだからホームだ
という趣旨の発言らしかったのですが。でも
発表してみた感想としては、全然アウェーな
気がしました。やっぱり、研究室内だけで
発表するのと、他の研究室と合同のときでは
温度がもう全然ちがって、異様な空気でした。

考えたこともないような質問が飛んできたり、
野澤君の言うホームだからこその、専門家による
厳しいご指摘をもらえたという見方もあるかな。
上手く答えられなかったところは、これからもっと
ちゃんと考えて詰めなきゃいけないです。

早く論文書けよ、という茂木さんの催促に
もういろいろ言い訳できなくなりました。
こんなに多くの人に面白がってもらえるなら、
論文を書かない理由がもうないですよね。
むしろこんなメール書いてる暇があったら
さっさと1文でもいいから書き始めろよ、と。

自分の研究は自分が一番楽しまないと
いけないのに、それができてなかった
というのが最大のネックだった気がします。
自分がやらないと、誰もやってくれないのに。
すっかり忘れてたけど、自分がやってたことって
結構面白かったんじゃなかったっけ、と
思い出させてくれて、さらに新しい方向性も
いろいろ教えてもらったり、気付かせてもらえたり、
という意味で、ワークショップで話させてもらえる
貴重な機会を戴けたことに深く感謝します。

“爆発”してみせます。

石川哲朗

石川くん、
そうだ、爆発するんだ!


石川哲朗。爆発5秒前。

ワークショップ終了後の懇親会に、
「おしらさま哲学者」
塩谷賢が来た。
さっそく岡田浩之さんや、豊巻敦人さん
と話し込んでいる。


塩谷賢。 岡田浩之さんと。


塩谷賢。 豊巻敦人さんと。後方に野澤真一が見える。

塩谷の髪の毛はだいぶ伸びていて、
チェックのシャツの上にかかって
一見清流のようにも見えた。

清流哲学者、清談す。

鮫島和行さんに久しぶりに会った。

昔、海馬の研究会でいろいろと
議論した。

「あんなことも、こんなことも
あったねえ。」
と懐かしむ。


(右から)鮫島和行さん、高橋英之さん

「結局、遠くを見ながら、
手元でできることをやっていくしか
ないんだよねえ。」

今度、鮫島クンの研究について
じっくりと聞いてみたい。

All conscious experience is supported by the simply connected network of neural activities in the brain. The makeup of the phenomenal experience, in which the "self" sees the red apple, hears the nightingale, smells the curry, would be generated as a "cut" in this connectivity. The difference between the sensory and intentional qualia thus correlates with the properties of connectivity adjacent to the hypothetical cut. ([41])

5月 10, 2008 at 10:43 午前 | | コメント (10) | トラックバック (4)

2008/05/09

『それでも脳はたくらむ』3刷

中公新書ラクレ
『それでも脳はたくらむ』
は増刷(3刷、累計36000部)
となりました。

ご愛読に感謝いたします。

中央公論新社 濱美穂さんからの
いただいたメールです。

茂木健一郎さま

ご無沙汰いたしております。
中央公論の濱です。
すっかり立夏というべきお天気になりました。
毎日いかがお過ごしでしょうか。

おかげさまで、中公新書ラクレの第3弾
『それでも脳はたくらむ』の3000部の
増刷が決まりましたので、
ご連絡いたしました。
3刷、累計3万6000部です。
ありがとうございました!

先日、メールでも機関銃をブッ放していた弊社の岡田健吾ですが、
珍しく風邪なぞひいて、すっかり声が出なくなりました。
それでも、どうしてもしゃべりたくてたまらないらしく、
休みなく、囁きトークを繰り広げています。執念ですね。
これが超絶的に通りの良い囁き声で、
いろいろな意味で「囁き千里」だなあと思った次第です。
ずっとこのままだと静かで良いのですが・・・。

中央公論 濱美穂

amazon 

5月 9, 2008 at 08:25 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

『すべては音楽から生まれる』16刷

PHP新書
茂木健一郎 『すべては音楽から生まれる』
は増刷(16刷、累計11万部)
が決定しました。

ご愛読に感謝いたします。

PHP研究所の丹所千佳さんからの
メールです。

茂木先生

こんばんは。

あらためて、増刷のおしらせです。
『すべては音楽から生まれる』は16刷が決定いたしました。
おかげさまで、累計11万部と相成りました。
ありがとうございます。

またお会いできるときを楽しみに。


——若やぐ五月のよろこびが
あけぼののように射しそめる、
全にして一なるものの思し召しで、
空も、天も、海も、地も。
(シューベルト「若々しき五月の生気」、喜多尾道冬訳)


PHP研究所 新書出版部
丹所千佳

amazon 

5月 9, 2008 at 08:22 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

脳を活かす勉強法 22刷

茂木健一郎
『脳を活かす勉強法』 
PHP研究所
は、重版(22刷、累計47万1000部)
が決まりました。

ご愛読に感謝いたします。

PHP研究所の木南勇二さんから
のメールです。

茂木健一郎先生

ラ・フォル・ジュルネでのご講演における質疑応答で、子どもさんに
「鶴の恩返し勉強法」のコツをやさしくアドバイスされていたのが
とても印象に残っております。ノートから目を離し、声を出す
だけではなく、基本の一心不乱さが大事なのだと痛感いたしました。

PHP 木南拝

http://www.php.co.jp/bookstore/detail.php?isbn=978-4-569-69679-9

amazon

5月 9, 2008 at 08:19 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

永遠の学生

私は理学部を出たあとに
法学部に学士入学して、
そのあと物理の大学院に戻ったから、
大学に計11年いた。

高校一年生の時に語学研修のために
一ヶ月お世話になったカナダの
ヴァンクーヴァーの
ホストファミリーのヴァーナに、
「ケン、あなたは永遠の学生ね」
とよくからかわれた。

Eternal student。


カナダに着いた初日にいきなり
人生ゲームをやって仲良くなった
ヴァーナの息子のランディーと
トレバーは、コンタクトレンズの
会社の世界的な営業幹部になっている。

ランディーやトレバーの仕事に
比べると、私の今やっていることが
果たして「実業」と言えるのか
どうか自信がない。

結局は、私は永遠の学生なのかも
しれぬと思う。

ソニーコンピュータサイエンス研究所にて、
脳研究グループのミーティング。

田谷文彦が、イギリスに行って
Jon Driver、Horace Barlowなどと会って
来たので、その報告。

ボクは、Kim Peekと会って得た
インスピレーションをいささか
専門的な観点から論じた。

高川華瑠奈さんの実験条件に
ついていろいろと詰める。

NHKへ。

「プロフェッショナル 仕事の流儀」
の収録。

有吉伸人さんと第五食堂に行って、
カレーライスを食べた。

「新じゃが」が入っている。

イギリスにいるとき、
New Potatoがおいしくて
よく食べていた。

「今、ここ」に奔流のように
過去が押し寄せる。

すぐれた独学者(autodidact)に
なることを目指すべきと思う。

大学は、先生に会ったり、友人と
対話したりするという意味では
必要だが、独学のための
マテリアルは今インターネット上に
無限に存在し、
人は、その気になれば本当に
永遠の学生になることができる。

ボクは、一生ずっと独学者で
いることにしたよ、とヴァーナに
報告したい。

そうすれば、奔流のような過去を
呼び起こすことができるんだから。

収録が終わった後、
控え室の鏡に向かって
「お疲れさん」と言っていたら、
おもしろい顔を発見した。

下くちびるを突き出して、
ふーっとやると、
前髪がふわーっと
上がって、
その時の顔が間抜けで面白いのだ。

こんな顔は誰にも見せられない、
と思いながら、
おもしろいので、ふーっ、ふーっ
とやった。

それで、何かを引き受けて、
背中の方に
うっちゃることができたような
気がした。

The principle of interaction simultaneity describes the way psychological time is constructed from the physical time. It is tightly related to causality, just as in the manner the proper time in relativistic space-time is essential in maintaining the causality condition. The phenomenological space is also likely to be deduced from considerations of causality. Causality implies that time must proceed, and the space-time structure dictates the manner in which the entities interact and change. Given the central importance of causality, then, the manner in which the self experiences various qualia at a specious moment is also likely to be deduced somehow from considerations of causality, thus ultimately touching upon free will. ([40])

5月 9, 2008 at 08:16 午前 | | コメント (13) | トラックバック (3)

2008/05/08

夢燃やしの競争

早稲田大学国際教養学部での
授業。

 Deep Blue vs Kasparovの対戦の
意味をふりかえり、
 Allan Turingの歴史的な論文
A. M. Turing (1950) Computing Machinery
and Intelligence. Mind 49: 433-460.

を皆で読む。

赤毛のアン記念館・村岡花子文庫 
にて、Anne of Green Gables出版100周年
を記念して、
作家の梨木香歩さんと対談する。

村岡花子さんのお孫さんである
村岡恵理さん、村岡美枝さんが、
自筆原稿など、貴重な資料を
見せてくださった。

梨木香歩さん、村岡恵理さん、
村岡美枝さん、
ありがとうございました。

移動しながら、新潮社の
北本壮さんともろもろの相談。

恵比寿のアートギャラリー
「サイト」
にて行われている
杉原信幸の展覧会(『丸石座』)
を見る。

床の上に、丸石が置かれ、その
広がりの中央に苔に覆われた
列柱が円形に存在している。

石の表面に苔の質感が対峙し、
都会のビルの中にありながら、
紛れない大地の匂いを伝える。

床に横になって眺めると、
列柱のスケール感が変容した。

巨大な建造物のための
1/100スケールモデルのように。

作家自身にいろいろと聞いた。

「杉ちゃんさ、苔はどうやって定着
させてるの?」
「流木に、耐水性の接着剤でつけている。」
「水はときどきやっているの?」
「こうやって、一日に何回か、苔に
水をやっています。」

「そうか、じゃあ、列柱の回りの
石の色が変わっているのは、水のせいなんだ。」
「そうです。」

前日、杉原くんと吉増剛造さん、それに山形淑華
さんによるパフォーマンスが行われていた。

「パフォーマンスの時に流した映像が
いいから、今からかけます。」

丸石の由来する海岸と同じ場所で
撮られたフィルムを投影すると、
空間が一変した。

丸石に波が映り込み、回り込み、
乗りこえて再び引き、
千や万では数えきれぬほどのニュアンスの
広がりとなって、目の前で転回する。

杉原は、まるで自分自身も列柱になった
ように、暗がりの中に立っていた。

ギャラリーを運営しているのは、斎藤康さん。

「大変な作業ですよ。杉原くん、地道にやって
います。」
と斎藤さん。

「杉原は、パフォーマンスがいいでしょう。」

斎藤さんが、肯く。


「昨日のパフォーマンスでも、照明の調子が
どうだなどと言っている間は普通だったん
だけど、これでもうOKとなったら、
突然スイッチが入って、全然別の人格に
なってしまったんです。」

杉原は、列柱の間を動き回り、
いくつかの柱の「位置を移動」
させてしまったらしい。

「昨日のパフォーマンスの後では、
足がだいじょうぶかな、というくらい
ふくれていたんですが、今日は
治っているようですねえ。」
と斎藤さん。

もはや伝説となった、
2005年10月27日の東京芸術大学
キャンパスにおける杉原のパフォーマンス
『切り株と頭』 。

横浜のバンクアートで杉原がやった
パフォーマンスも忘れがたい。

これについては、
当時『文學界』に連載していた
「脳のなかの文学」で書いた。
単行本
『クオリア降臨』 
の中に収録されている。

_____

 ある時期から、私は、現代の文化はスカばっかりだ、と至るところで公言していた。
 ベストセラーにろくなものがないことはもちろん、批評家がほめるような文芸作品だって、後世に残る傑作だと胸を張れるのはごくわずかではないか。
 まともな美意識を持った人間にとって、「スカ」ばかりがのさばり、マスコミで喧伝される現代は、ちょうど空気が薄くなって段々呼吸が苦しくなって行くような、そんな生きにくさに満ちていやしないか。
 そんな気炎を吐いていた私に、ある日、東京芸術大学の油絵科の学生で、杉原信幸という男から「挑戦状」が来た。横浜で展覧会をやる。パフォーマンスをやる。つきましては、スカではないものをお見せするから是非ご足労願いたい、というのである。
 杉原は、「札付き」の男だった。美術家の川俣正さんと私が芸大の食堂でやったトーク・セッションに乱入して、川俣の最近の作品は気に入らない、と暴言を吐いて会場がメチャクチャになったことがある。小石川植物園で行われた展覧会のインスタレーションも、仲間たちと喧嘩をして一日で撤収してしまったと聞く。そのアブナイ男が一体どんなパフォーマンスをやるのか、ひょっとしたら勢いだけの作品なのではないか。あまり期待しないで横浜に出かけた。
 会場は、昔の銀行の建物をそのまま利用していて、広々とした吹き抜けの空間に、金庫の分厚い扉と巨大なハンドルが残されていた。
 最初の出し物は、いかにも今風の若者が、やぐらの上に、ビニル・シートを張り、ペインティングするというものだった。「皆さんご存じの、生きているということ自体が奇跡のような」アーティストだと紹介された。ビニル・シートの上に、赤、青、黄色、緑、などの様々な色が描き付けられていった。やぐらを囲んだ学生中心の若い観客は、その様子を好意的に見守っている。見る、見られるという関係における、あらかじめそうと決められたような甘い弛緩があった。あらかじめ張り巡らされた文脈があった。
 私はその出来試合の雰囲気に何だかうんざりして、精神のバランスを崩しそうになっているのが自分でもわかった。「くだらねえなあ」と叫びそうになったが、何とか自分の中の衝動を抑えつけた。
 その次に、杉原の番になった。突然、吹き抜けの二階から、「うぉーっ! うぉーっ!」と叫び声がして、白と黒の檄文がパラパラと舞い降りて来た。観客が走り寄って、一体何だろうと拾い上げた。
 一呼吸置いて、あらぬ方向から杉原がかけだしてきた。杉原は全裸で、腰に黒いテープを巻き付けているだけだった。吹き抜けに垂れ下がっていた、白地に黒の斑の巨大な布を引きずり下ろすと、それにくるまれて床の上で悶絶した。立ち上がると、布を腰の周りに黒テープで巻き付けて、スカートのようにした。それから、その10メートルはあろうという巨大なスカートを引きずって、会場の中を走り始めた。
 スカートの布が、会場の片隅に置いてあった屏風絵を巻き込んで、引き倒した。屏風絵は、そのままスカートに巻き込まれてずるずると床の上を引きずられていった。観客たちが、どっと逃げまどった。
 杉原は、入り口の上の踊り場に上がり、座り込んだ。長いスカートを垂らしたその姿は、草書体のシャチホコのようだった。そのシャチホコ姿で、うぉーっ! うぉーっ!と叫んだ。しばらくそうして坐っていたが、突然くるりと下に降りると、だっと夜の街に出ていってしまった。
 がやがやと後を追った観客たちに続いて、私も馬車道に出た。杉原は、交差点の歩道の角に坐り、長いスカートを扇のように歩道に広げ、眩いランプを点けて道を行き交う車に向かって、うぉーっ! うぉーっ! と叫び続けていた。杉原の黒い裸体が流れる光の川に挑むようなシルエットを見せ、通行人が何だろう、と立ち止まった。タクシーが、一台、杉原の近くに停まって、ハザードランプを点滅させた。
 このままでは警察が来るかもしれない、と思った頃、杉原は突然スカートを脱ぎ捨てると、全裸の腰に黒テープを巻き付けただけの姿で、馬車道とは直角の方向に振り返る素振りも見せずに疾走していった。
 杉原がその中に消えていった闇を見つめながら、私は久しぶりの興奮を味わっていた。檄文をまき散らした発端から、夜の街への疾走という結末まで、流れに淀みがなく、無駄がなかった。視覚的な効果も、よく考えられていた。スカートを引きずって巻き込んだ屏風絵は自分自身の作品であり、他の人の作品には触れていない点も良かった。
 疾走原始人のパフォーマンス、良かったぞ!
 杉原が戻ってきてからそう声をかけてやろうと思ってしばらく待っていたが、何となく会場にいる人々の様子に違和感を感じて、そのまますたすたと馬車道を歩いて帰ってしまった。

「スカ」の現代を抱きしめて 
ー茂木健一郎 『クオリア降臨』よりー
_____

芸大卒業後、どこのギャラリーにも
属さず、インディペント・アーティストと
してがんばっている杉原信幸よ、
青春を燃やせ。

オレも、形にならない、正体のわからぬ
夢をエネルギーとして燃えることに
ついては、まだまだ負けないぞ。

夢燃やしの競争だ!

If the supervenience of the phenomenal onto the physical is to correlate with the formulation of a cognitively relevant space-time structure of causality chains, one key question remains. Is the causality framework, as defined by the psychological time and space, independent from the original space-time structure that prescribes the most basic causality pattern? In the natural world, there are hierarchies involved in the complexity of interactions that finally contribute to the whole picture of the causal universe. In this hierarchy, however, it is not considered to be the case that causality structure at the macroscopic level is separate from that at the microscopic level. If the neural network in the brain, through a ubiquitous metacognitive mechanism, is to define a causality structure as is different from the basic physical one, that situation apparently violates one of the most fundamental assumptions about the nature of hierarchy of the causality chain. ([39])

5月 8, 2008 at 08:19 午前 | | コメント (13) | トラックバック (5)

2008/05/07

ザ・ベストハウス123

ザ・ベストハウス123

フジテレビ系列
2008年5月7日(水)21時〜21時54分

http://wwwz.fujitv.co.jp/123/index2.html


詳細

5月 7, 2008 at 06:55 午前 | | コメント (4) | トラックバック (0)

ぽんぽんと叩いてみる

天気が良いと、それだけで無条件に
人間の気分というものはよく
なるものである。

よく晴れた祝日の夜は、
NHKにて『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の打ち合わせ。

細田美和子さん、河瀬大作さん、
山口佐知子さん、
住吉美紀さん、有吉伸人さん。

何だか、久しぶりに会ったような、
夏休みの登校日のような不思議な
気持ち。

あれこれと話しているうちに、
ふと、10年後、20年後に
今この時を振り返ったらどんな風に
見えるのだろうと思った。

人間の意識というのは常に
「今、ここ」に没入している
ものであって、ただ、
時に、魂を込めて省察
するということがあって、
そんな折に、過去は、不思議な
亡霊のように立ち現れる。

思い出の中の「過去」の奇妙な
現れ方の中に、
マジックとワンダーの起源は
すべて含まれている。

小学校の夏休み、市内水泳大会の
練習のために毎日体育館に
通っていて、
昼休み、体育館でお弁当を食べている
時に、誰かがファンタの缶を
ふざけて振っていて、
それがプシュっと空いてしまい、
床の上でくるくると回りながら
泡立った。

あの時の「弾ける」ような感覚と、
同じ「今、ここ」の中に私はいる。

時間が進行してしまうという
因果性の不思議の中に、
すべては解消されていくのだ。

わははと笑いながら、横の有吉さんの
腕を、ぽんぽんと叩いた。

有吉さんの腕は、肉感的で、
叩き甲斐があった。

ぼくたちは、生きていることの
の感触を確かめるために、
時々「今、ここ」や「その昔」
をぽんぽんと叩いてみる。

Consciousness can thus be regarded as an evolutionarily constructed, cognitively relevant formula of causality. Causality can be deconstructed into several elements that support its procession. Namely, the "atoms" of interaction and the space-time structure in which these interactions take place. The construction of the "specious now" is highly non-trivial, in that a finite passage of physical time is transformed into an indivisible "moment" of the now. The construction of space, most notably that in vision, is also non-trivial in that yet unknown principles somehow give rise to phenomenal dimensions of extension, in which space the visual qualia are arranged. The crucial observation here is that causality as apparent in sensori-motor contingencies appears to be effectively conducted in this phenomenologically constructed space-time structure, naturally related to, but possibly independent of, the original physical space-time. The key question is thus how the space-time structure in which causality is defined is to be constructed in the first place. Tackling this "framework" problem would ultimately lead to the solution of such enigmas as the zombie question. ([38])

5月 7, 2008 at 06:52 午前 | | コメント (8) | トラックバック (2)

2008/05/06

ダーウィンの進化論

熱血!天才アカデミー 世界をひっくり返した男ダーウィンの進化論

NHK総合 2008年5月6日(火)
19時30分〜20時45分


NHK


番組表

5月 6, 2008 at 07:12 午前 | | コメント (5) | トラックバック (1)

青空がその向こうの星雲を隠してしまうように

 地球の大気は、私たちの生命を
育んでくれる大切な存在。

 見上げると、青空が広がっている。

 太陽の光が散乱されて見える色。

 しかし、見方を変えると、大気の
スクリーンがあるために、その向こうの
宇宙が見えない。

 似たようなことは、生活の現場の中にも
あるように思う。

 身近なものに一生懸命適応するのは
人間の性というもの。
 環境といきいきと相互作用し、
感覚と運動を結びつけ、
 コミュニケーションし、
やりとりし、
 働きかけ、受け止める。

 そのようにして、人間の
脳は育まれていく。

 しかし、だからこそ、青空が
その向こうの星雲を隠してしまう
ように、
 ものごとの本質が見えないという
こともあるのではないか。

 遠くにあるもの。
 私たちの生活の現場の
こまごま、さまざまから隔たったもの。

 はるか彼方にある本質を
見逃さないように、望遠鏡を
抱いていたい。

 そんなことを考えていたら、
精神におけるexpatriateという
ことがありありと実感を持って
浮かび上がってきて、
 息を飲んだ。 

Ludwig Wittgenstein famously stated, at the end of his lengthy Tractatus Logico-Philosophicus (1921), that "Whereof one cannot speak, thereof one must be silent (Wovon man nicht sprechen kann, darüber muß man schweigen). The usual connotations assumed is similar to that of the "cognitive closure" argument by philosophers like Thomas Nagel and Colin McGinn. Namely, there are things that are in principle impossible to be expressed in terms of words, and therefore one must abandon all the effort to go beyond the linguistic limit, in an attitude of mature resignation. Walking down the street one day, it occurred to me that there could be another interpretation of this most famous of all the "last words". The thought seemed so absurd that I almost smiled to myself. But then it occurred to me that there were some truths in what my mind conceived, especially from the viewpoint of the philosophy of life. ([37])

5月 6, 2008 at 07:04 午前 | | コメント (8) | トラックバック (5)

2008/05/05

修造学園

修造学園

テレビ朝日 
2008年5月5日10時30分〜11時25分

http://www.tv-asahi.co.jp/shuzo/ 

5月 5, 2008 at 09:30 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

「魂の領域」が始まる

六本木のインボイス劇場で、
ブルーマン 
の公演を見る。

先立ち、ブルーマンの三人と
記念撮影をした。

昨年、ラスベガスの学会に行った
時に見て、とても面白かった。

現代アートのセンスが活かされていて、
批評性もあり、
それでいて言語に依存しない、
小さな子どもからお年寄りまで、
誰でも素朴に楽しめる、
完成度の高いステージが
日本でどのように受け入れられるのか、
楽しみだった。

インターネット・カフェなどの
モチーフを入れて、東京に
「ローカライズ」されたステージは
観衆を巻き込んで
あっという間に過ぎていった。

アルベルト・アインシュタインは、
かつて、「相対性理論」の意味を聞かれて、
「かわいい女の子の横に座っていると
一時間はあっという間に過ぎてしまうけれども、
熱いストーブのすぐ横にいるとものすごく
長く感じられるでしょう。それが
相対性理論です。」
と答えた。

ブルーマンの時間は、またたく間に
過ぎる。

どれくらい経ったかな、と
腕時計を見る者など一人もいない。

皆さん、ぜひ見に行ってください!


ブルーマンの三人と。

青山、国連大学裏のテレビマンユニオンで、
早稲田大学ラグビー蹴球部
の中竹竜二さんと対談する。

「頭の中身の70%はラグビーで
できている」
花野剛一さんがプロデュース。


中竹さんは、自分には誰をも惹き付ける
カリスマ性などないとしきりに謙遜される。

中竹さんが重視するのは、
リーダーシップよりも、フォロワーシップ。
一人のリーダーの資質をうんぬんするよりも、
構成員がいかにヴィジョンを追って
自ら考え、工夫し、行動するか。
自律分散的なシステム構成原理を
大切にするのである。

中竹さんの「スタイル」に関する
哲学は、たいへん興味深いものだった。

自分自身がどのような考え方、
行動の仕方の「スタイル」で生きていくか。

そのことを、自分自身に対して、
あるいは他人に対して明らかに
することによって、コミュニケーションが
育まれる。
チーム・ビルディングができる。

もちろん、生きていく中で、
何が起きるかあらかじめすべて
予測しておくことはできない。

スタイルや、セオリーが通用しない
局面に達した時に、「魂の領域」が始まる。

しかし、最初から直観や本能にすべてを
ゆだねてしまうのではなくて、
たとえmock upでもいいから、
自分のやり方、仮説のようなものを
確立しなければならない。

「魂の迫力が必要とされる局面は
当然ある。しかし、セオリーやスタイルで
行くことができる場所まで、
何の方針もなしにいくことは
意味がないでしょう」
と中竹さん。

緻密な準備をして、その「壁」
が破れ、「ここからは魂の領域だ」
と自己を解放する瞬間、なにかが
始まるのだという。

スタジオには、早稲田大学の
選手たちが、2008年1月12日の
大学選手権決勝を前に記した寄せ書きが
置かれていた。

まずは監督と出場選手が大書きし、
レギュラー陣が退室した後で、
100名を超える控えの選手たちが
思い思いに励ましの言葉を
書くのだという。

出場選手は、試合当日、ロッカールームに
来て初めて寄せ書きを見る。

「中には、読んで、泣いているやつも
いますよ。」と中竹さん。


大学選手権に向けての寄せ書き

大学選手権で優勝して日本一になった
時にだけ、部歌「荒ぶる」を
歌うことができる。

普段、「荒ぶる」を口にすることは
許されず、ただ、年に一回、
合宿の時に練習するだけなのだという。

大学選手権のトロフィーのような、
「外から与えられた」栄誉よりも、
むしろ自分たちの歴史の中から
育まれた「荒ぶる」を歌うという
栄誉の方が、最高の夢として
感じられるという早稲田の選手たち。

そこには、「達成」の基準を自ら
律するという、類い希なる叡智が
あるように感じられた。
 
立ち会っていた電通の佐々木厚さんの
目がキラリと光る。

「中竹さんのお話は、組織論、
リーダーシップ論という視点から見て、
本当に素晴らしかったです!」
と佐々木さん。


中竹竜二さんと話す佐々木厚さん

打ち上げの席で、花野剛一が
熱かった。

「今度、是枝裕和さんと、テレビとは
何か検証する番組を作ったんですよ、茂木さん!」

カレーを食べながら、男花野が燃える。

「テレビは、いつの間にか、閉じていって
しまったんですねえ。」

「絶対に見てくださいよ。」
という男花野の手を、「おう」と力強く
握り返した。


花野剛一、中竹竜二さんと。

When Richard Dawkins says that God is an illusion, it does not necessarily lead to an atheist's point of view, in that something being an illusion does not automatically negate its psychological or even ontological significance. If we are to take the mind-brain problem seriously, we are faced with the challenge to account for the origin of all the phenomenological entities that inhabit the conscious universe. In the cosmos of consciousness, the very foundation of the existence of everything that is to be perceived is actually one that is "illusory" in the conventional sense. The solution of the mind-brain problem would involve some forms of theorizing equating existence with illusion, the illusory school of ontology. ([36])

5月 5, 2008 at 09:28 午前 | | コメント (6) | トラックバック (2)

2008/05/04

すべては音楽から生まれる CD版

すべては音楽から生まれる CD版(1)〜(3)


好評発売中!

すべては音楽から生まれる (1) 脳とクラシック 


すべては音楽から生まれる (2) 脳とシューベルト 

すべては音楽から生まれる (3) 脳とモーツァルト 

5月 4, 2008 at 09:45 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

薄暗がりの中で

金曜日。

一日中有楽町の国際フォーラム。

ラ・フォル・ジュルネに関連して、
何件か取材を受ける。

小菅優さんのピアノを聴き、
『死と乙女』に耳を傾ける。

夕刻、
小菅優さんと対談。
小菅さんは10歳の時から
ずっとドイツで暮らしてきて、
そのお話は、パワーと配慮が
あってとても素敵だった。


小菅優さんと。(photo by Yoko Oba)

『すべては音楽から生まれる』
はラ・フォル・ジュルネ2008の
オフィシャル・ガイド・ブックであり、
その関係もあって
PHP研究所の横田紀彦さん、木南勇二さん、
丹所千佳さん、本をつくって下さった
大場葉子さん、それに同名のCD
をつくって下さったエイベックスの
中島浩之さんと飲んでいると、
大場旦がやってきた。

「あっ、オオバタンだ。
『思想地図』創刊、おめでとうございます!」

「いやあ、その、ありがとう。ぐわあ!」

オオバタンがやってきて、座はさらに
賑やかになった。

土曜日。

再び有楽町。

ラ・フォル・ジュルネにちなんで、
村治佳織さんのラジオ番組で
お話させていただく。

子どもの頃からずっとギターを
弾いてきたという村治さんの指先には、
そのしるしが、しっかりとあった。

それにしても、あんな華奢な手で、
どうやってあのダイナミックな
演奏をするのだろう。

そのギターの音色には、人の胸をざわつかせる
作用がある。


村治佳織さんと

ピアノの独奏、
歌曲のリサイタルを聞く。

横浜美術館の八柳サエさん、
木村絵理子さんと、6月に行われる
展覧会
『わたしの美術館展』
の作品の選定をする。

樋口裕一さんがいらしたので、
お話しする。

樋口さんは、なんと、ラ・フォル・ジュルネの
会期中、45のコンサートを聴くとの
こと!

参りました!


樋口裕一さんと。


ブラインドスポットの平塚一恵さんはじめ、
ラ・フォル・ジュルネのスタッフの皆さんと。


薄暗がりの中で、静かに音楽に耳を傾ける。

そうすることが、いかに魂の慰安に
つながることか、再び確認することが
できた日々だった。

The integrated parallelism is reflected in the fact that phenomenologically, there is the space-time structure in which the various qualia are organized. The very fact the "self" has access to this particular sense-set is a testimony of the parallel processes which are finally integrated to be reflected in the action.
Qualia always belong to a particular psychological moment, and a particular spatial point in the case of vision. The essence of all artistic experience consists in the way various qualia are experienced and then disintegrated in the space-time structure. Music is also a case in integrated parallelism. One may talk about an unconscious music, in which the implicitly existing physical space-time plays an important role. The conscious music, which rests upon the conscious space-time, resides in an entirely different basis of phenomenology. ([35])

5月 4, 2008 at 09:41 午前 | | コメント (9) | トラックバック (5)

2008/05/03

講演会 すべては音楽から生まれる

ラ・フォル・ジュルネ

講演会

東京 丸の内 国際フォーラム
2008年5月3日(土) 11:30〜12:30
茂木健一郎 すべては音楽から生まれる

http://www.lfj.jp/lfj_2008/event/sub_04.php 

5月 3, 2008 at 09:04 午前 | | コメント (1) | トラックバック (4)

2008/05/02

小菅優 × 茂木健一郎

ラ・フォル・ジュルネ トラウト・ナイト
2008年5月2日(金)
19:00〜20:00
 

東京国際フォーラム
地下2階展示ホール2 【トラウト】

http://www.lfj.jp/lfj_2008/event/sub_12.php

5月 2, 2008 at 12:45 午後 | | コメント (6) | トラックバック (2)

ブラックホール

Salt Lake Cityは、いわゆるMormonの人たち
(The Church of Jesus Christ
of Latter-day Saints)の聖地である。
そもそも、Salt Lake Cityという街自体が、
Brigham Youngらの開拓者によって
つくられた。

Temple Squareには、さまざまな建物があって、
その入り口をふらふらしていたら
中から声をかけられて案内された。

歩きながら、どのようなことを信じている
のか、穏やかな口調でお話下さった。

私は学生の頃からよくいろいろな
宗教の勧誘を受けたことはあって、
毎回丁寧に聞いたつもりである。

恵比寿の駅でアメリカ人二人に
声をかけられて、近くで話をじっくり
聞いたこともある。

生きる上で気に懸けるべきこと、
たとえば、他人を慈しむこと、
寛容の精神、苦難に耐えるべきこと。
このようなことについては、どんな
宗教であろうとも、収斂して
いくものだから、こちらも
大らかに受け入れることができる。

問題は、この世の成り立ちや、
誰が預言者であるとか、
神の子であるとか、そのような
問題についての認識で、
ここで、今日の科学的世界観と、
理性と、知的良心と、論路的整合性と、
さまざまなものを満たす形で
何かを言うことはとても難しい。

そのようなことについては私は非常に
ガンコだから、結局、何も身につかなかった。

ただ、現代の文明が、いわゆる
生老病死を隠蔽していることだけは
以前から問題とは感じている。

誰だって死ぬのはイヤだし、
老い、衰えるのはさびしい。
しかし、そのような一人称の
悩み、苦しみを、現代の最高の知的成果
と整合性のある形ですくい上げてくれる
そんな体系はない。

そのような巨大なブラックホールが
あるからこそ、現代人の多くは
大いなる虚妄とともにある。


The significance of consciousness, from the point of view of the pure functionality, is then the ability it apparently endows the cortical information processing system with, namely the generation and maintenance of the identities of the units of information. The conventional method of citing the mapping between external objects and neural states is not enough to assure an appropriate dynamics of information to be "bootstrapped from nothing". The "self" accompanied by a universal metacognitive process, is automatically necessitated, since metacognition is the only possible way of identifying informational elements. Metacognitive processes centered on the "self" also provide the mechanism for information processing in an "integrated parallelism", the hallmark of all conscious processes. The unconscious information processing, on the other hand, lacks this crucial property.
Since the integrated parallelism ultimately bears fruit in the actual actions, the origin of consciousness is essentially conditioned by the architecture in which the multiple sensations held by the "self" is finally reflected in the specific actions taken. ([34])

5月 2, 2008 at 08:02 午前 | | コメント (11) | トラックバック (5)

2008/05/01

『脳を活かす勉強法』 21刷

茂木健一郎
『脳を活かす勉強法』 
PHP研究所
は、重版(21刷、累計45万9000部)
が決まりました。

ご愛読に感謝いたします。

PHP研究所の木南勇二さんから
のメールです。

茂木健一郎先生

21刷12000部が増刷となりまして累計459000部となりました。
誠にありがとうございます。

NHKプロフェッショナル脳活用法スペシャルで、
「鶴の恩返し勉強法」時に脳の血流が活発化してくさまには
感動いたしました。
私も原稿を声を出しながら読んでみたいと思いました。

PHP研究所 木南勇二

http://www.php.co.jp/bookstore/detail.php?isbn=978-4-569-69679-9

amazon

5月 1, 2008 at 09:31 午前 | | コメント (3) | トラックバック (0)

ほら、ここが

飛行機に乗ると、
「やっていないかな」
と楽しみにしているビデオ・プログラム
がある。

カナダのモントリオールで作られている
Just for Laughs.

通行人に他愛のないイタズラをしかけて、
驚かし、最後にカメラの方を見て
一緒に笑う。

言葉は一切使わずに、すべてを
ジェスチャーで示す。

アメリカからの帰りに見ていて、
はっとした。
モントリオールのあるケベックは、
カナダでもフランス語圏。

英語とフランス語が共存する。
かつては分離独立の動きも盛んだった。

そのような多言語状況に引き裂かれて
いたからこそ、
generic human truthにフォーカス
する表現ができたのだろう。

自分の依って来たる母胎に
育まれながらも、それを超えて
いく意志を想う。

CREAの井崎彩さん、
文學界に戻った山下奈緒子さんと。

「仕事のやり方」についての
取材。

早稲田大学国際教養学部
の授業。

Kim Peek, Stephen Wiltshireを
題材にsavantについて。

public domainの論文を指定して、
「来週までに読んでみてください」
と言っても、教室の250人中数人しか
読まないので、
作戦を変えて、scientific americanの
論文を皆で少しずつ読んだ。

やはり、coherentでsystematicな知識を
身につけることが大切である。
科学の文章を丹念に読むことの面白さに
学生たちが気づいてくれたらと
思う。

種火さえつけば、あとは自力で
燃えていくことができるのだ。

ソニー関係の仕事で、
写真家の十文字美信さん、
スタイリストの平田さゆりさんに
お目にかかる。

お二人とも、それぞれの世界の
第一人者。

すばらしい時間を過ごすことが
できた。


十文字美信さんと


平田さゆりさんと

六本木の東京ミッドタウンにて、
東京ミッドタウンと幻冬舎の雑誌「ゲーテ」
主催の、「男の遊日」をテーマにした
私と白洲信哉のトークショウ。

はらはらドキドキの密度の濃い
30分だった。


白洲信哉とトーク。

白洲信哉が面白いことを言う。
今の髪の毛は、10分1000円の
ところで刈ってきたのだという。

「白洲家の当主がそんなことでいいのか!」
と言うと、
「髪の毛なんて、どこで切ってもいいでしょ」
と信哉。

高校の時にワルだった信哉は、
そり込みを際だたせるために
髪の毛を抜いてしまっていたのだという。

「だから、元に戻らなくなって
しまったんだよ。」
と信哉。

打ち上げが行われたのは、佐藤陽一さんの
お店、Maxi Vin。

「ほら、ここがそり込みなんだよ」
と信哉の頭を指して解説した。

("Shirasu" photos by Atsushi Sasaki)

大場葉子さんが、毎日新聞社から
出版される
『トゥープゥートゥーのすむエリー星』

の束見本を持ってきて下さった。


仕上がりを見て感動する。

井上智陽のイラストが、司修さんのような
感じで活かされている。

大場葉子は天才だ!

信哉が、「何、これ、茂木が23歳の時書いたの?
へえ〜。一字一句直していないんだ?」
と検分する。

なんだかいつにも増してモーツァルトに
横顔が似ていたから、

Herr Mozart, ich wunsche ihnen einen sehr guten Trinken
と声をかけた。

そんなことを言われなくても、信哉は
端っから良き飲み人でありました。

The spontaneous and autonomous character of neural activities in the brain and the resulting behaviors lay the foundation of what has been called the "free will" in the folk psychology and professional philosophy of mind alike. Although the specific makeup and detailed nature are to be determined by the "cognitive" processes realized through the interaction of the neurons, the first and foremost reason why free will is deemed to exist must ultimately find its foundation in the nature of the procession of time. A natural law, no matter how superb and accurate, cannot be implemented in the practical sense without an assurance of the passing of time. Thus, the very fact that time flows at all is tightly coupled with the reason why it is necessary that free will exists in the first place. Free will and the change of non-organic materials such as a stone that is thrown into the air and consequently follows a hyperbolic trajectory ultimately share the same origin. The free will is a complicated "twist" of the original propensity of nature in which the time is "forced" to flow, whereby all things material undergo changes as are prescribed by the natural law. ([33])

5月 1, 2008 at 09:27 午前 | | コメント (9) | トラックバック (3)