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2008/04/07

偶有性の自然誌 何も死ぬことはない

茂木健一郎 「偶有性の自然誌」
第二回 何も死ぬことはない

新潮社 「考える人」
2008年春号

http://www.shinchosha.co.jp/kangaeruhito/mokuji.html 

一部抜粋
 
 「私は、今ここにいる現実の私と、全く異なる私であった可能性があった」ジョセフ・メリックの胸のうちを幾度となくよぎったであろう思念。ジョセフは、たった一度しかない地上の生において、自分がなぜあまりにも重い運命を引き受けなければならないのか、何回も問いかたことだろう。できれば違う運命の下に生まれたかったと儚い希望を抱いたことだろう。
 「エレファント・マン」のように劇的なコントラストがある場合でなくても、「現実の私」と、「あり得た私」の間の対照は、現実には存在しないものを仮想し、わが身に引きつける能力を持ってしまった私たちの意識の芯に突き刺さる。
 「現実の私」でなければ良かった。それは、自分の思想に酔いしれて金貸しの老婆を罪を犯してしまったラスコリーニコフの脳裏を何度となく稲妻のようによぎった戦慄だったはずである。そして、私たちは一人残らずその稲妻の作用と無縁ではない。
 テニソンの詩は続く。
 「世界は決して創造されなどしない/それは変化し続けるだろう。しかし、消えることはないだろう/風よ荒れよ/夕暮れと朝は、永遠に続くのだから/何もかつて生まれたことはない/何も死ぬことはない/万物は、ただ変化する。」
 何も生まれない。何も死ぬことはない。万物はただ変化する。
 人類の歴史において、思い詰め、窮地に陥った思想家が確かにたどり着く「木もれ日の差す吹きだまり」のような場所。ヘライクレイトスは「万物は流転する」と述べた。フリードリッヒ・ニーチェがスイスのシルス・マリーアで構想した「永劫回帰」も、変化し続け常在する宇宙との一つの和解の試みであった。
 死を受け入れると同時に生をその全体において抱きしめる。そこには、もはや個別化の原理は存在しない。変化は避けることができない。個体にとって、死はやがては必ず訪れる。しかし、この世の中に満ちている「偶有性」を正面から見据え、それを受け入れることで、私たちは「何も死ぬことはない。万物は、ただ変化する。」という達観の境地に至る。
 もちろん、人生がそれで終わってしまうわけではない。本当の「あがき」は、達観したその瞬間から始まる。万物は流転する。私たちはぐるりと大きく回って、出発点へと戻るだけである。

全文(原稿用紙30枚)は
「考える人」でお読み下さい。

4月 7, 2008 at 07:47 午前 |

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雨の朝、「なんで、班登校しなくちゃいけないの〜?」と 5年生になっても、相変わらず納得できずに文句を言っているkirikouデス。 [続きを読む]

受信: 2008/04/11 6:57:00

コメント

PHPのアンケートに応募したらたまたま茂木先生の
「偶有性の海に飛び込め!」の色紙を頂きました。
ありがとうございました。
現在、夫・子どもをおいて単身赴任しております。
これも偶有性。
そして勤務先に移動するとき
赤の点滅信号で警察につかまりました。
これも偶有性。
どっぷり偶有性の海につかっております。
いろいろなリスクのその海の中で
何をつかみ取るかは自分自身です。
飛び込んだからには
はい上がりたいと思っています。
また刺激的な文章を楽しみにしております。
茂木先生も
お身体にお気を付けて
がんばってください。

投稿: M・S | 2008/04/20 11:02:22

こんばんは。

拝読しました。
「全く他の者でもあり得た」自分を、今の自分から突き放した距離において志向すること。自分自身を見失いそうになるときや自分にしがみつこうとするとき、苦しい局面において、客観性を保つための今後のキーワードにさせていただきます。

以前の金さんからの文面にもあるように、偶有性を思えば、「“私”である」ことの根拠なんてなくて…。そもそも「全く他の者でもあり得た」“私”という存在が「たまたま自分にある」わけで。でも、自分の身体からは逃れられない。自分が自分であることの苦しみを抱える。そこで、一旦は断念する。それでもなお、受け入れ歩んでいく…。

ダーウィンの言葉「背景に法則が潜み、詳細は偶有性に支配される」。目の前に表れる事象、例えば、飛び上がるほど嬉しい出来事、あるいは絶望の底で苦しむ事などは、ひとつの側面に過ぎないのかもしれない(冷淡な言い方ですが)。偶有的な生の意味を見誤るなと示唆を与えられているようで、衝撃が残ります。

私は、背景にある普遍的法則を知りません。「固執しないこと」を学ばなければなりません。偶有性の本質と向き合わなければなりません。
またひとつ、私の中で意識が変わりつつあります。ありがとうございます。

投稿: s.kazumi | 2008/04/13 23:15:19

読みました。
「私」という枠から逃れない「私」が偶有性を受け入れたとき
「私」はそうでありうる無限の可能性に開展されていくように感じました。
そうか、逃れられないのであればその枠を広げてしまえばいい。
大切なことに気づかさせていただきました。

投稿: 金田恭俊 | 2008/04/10 19:51:56

茂木さん、おこんばんは。
「考える人」
早く読みたいウ〜!
目の前の(今ここ)物事を少しすすめてからの楽しみにとっておいています。
馬ニンジン戦法です。
ここのところ、思考がとてもシンプルです。
いつのまにか、人に求めるんじゃなく、あたしが生み出すことを無意識にしていたようで。先日数カ月ぶりに会った友人に指摘され、はじめて気がつきました。7〜9才頃の感覚に近い。意識してそうしたわけではないです。ならざる得なかったのかな?!

投稿: 柴田愛 | 2008/04/10 3:08:05

難しくて、感覚でしかりかいできないけど。
地球という存在すべてが変わりゆくもので、
ひとも生まれては老いて死んでいく。
所々の経験や事象をこころに刻み込みながら。
せっかく生まれてきた訳ですから、
魂を更に輝かせたいものです。
あたしはちょっと怠け者だから、
そんな自分を律する必要があります。
夢を叶えるためには努力が必要ですもんね。
変化するのであれば、是非とも努力して
良い成長を遂げたいと思うのであります。

心はエネルギーで体はロボット。
良いこころのエネルギーさえ手に入れれば
ロボットである肉体が何かを紡ぎ出す
人間ロボエンジは良心のもと、
掃除をして(すっきりして)、ご飯をつくって(おいしくって)、
本を読んで(感銘して)、おしゃべりをして(わらって、おこって)、
ブログを書いて(内観して)、子育てをして(あたしの最大の生産物!!)
今日も人生をつむぎだすのであった・・・

そして、勉強して夢を叶える・・・(>_<)自分、がんば♪
ところで、茂木さんの夢って、何かあるんですか??

投稿: エンジ | 2008/04/09 23:04:35

『考える人』の素敵な表紙のイラストにつられて、もちろん茂木さんの「偶有性の自然史 第二回、-何も死ぬことはない-」も読みたくて、amazonで買った。同時に『ルポ 貧困大国アメリカ』堤未果(岩波新書)も。

最近はナリワイがパンク寸前で、色々流れてくるニュース(というより、ニュースの流され方)にも違和感ばかり感じて、疲れていた。
でも、仕事の隙間に新書の方から読み始めた。
「アメリカの飢餓人口」というような、刺激的な標題が続出する。

『考える人』の特集、長編小説ベスト100はうれしい。
これも、ゆっくり読もう。

タケノコ料理のおいしそうな綺麗な写真に目が行った。

それと、いつのまには本格的に老けられた丸谷才一さんの写真。
そりゃそうだ、私が長編『ジャン・クリストフ』に感激してから、はや40年が経過している。

投稿: fructose | 2008/04/09 21:14:37

ぼくは茂木さんにこの本を読んでほしいと思います。
理由は「科学」とあるからです。
「犀の角たち」 (大蔵出版・佐々木 閑 著)

「科学とはなにか? 仏教とはなにか? まったく無関係にみえるこの問いの根底にある、驚くべき共通点とは。宗教の神秘性を極力排除し、徹底した論理性だけを用いて解き明かす、知的冒険の書。」

と紹介文があるからです。
なんだかフシギそうな本です。
ぼくは科学はよくわかりませんが、その科学とブッダの仏教がどう関係するのか?!
ブッダ的な智慧のあり方には関心があるので注文しました。

ちなみにこの著者の佐々木さんは朝日新聞で「日々是修行」というコラム?!を書いているようです。

投稿: やん坊 | 2008/04/07 20:07:13

茂木先生ありがとうございます。

あるサイトで
「嫌われたくない症候群」
というサイトをちらっと見ました。
そこには日常の生活でみんなが抱えている問題を
ただ答えを求めてとかじゃなくてずらずらと書いてあったのですが
その文章を読んでいると皆自分と同じ悩みとか
人間関係に悩んでいるんだなぁって思いました。
人間ってグループというか集団で生活する生き物のような気がする。
その集団から抜け出せないから、時にはひどいことも正当化して
しまうんだろうなと。
(戦争とか)
今の生活不満ではないけど、今の生活をぬけ出したら
その後に何があるのか怖くて抜け出せなくいます。
何か目的があったらきっとその目的に達成して何かを得られるんだろうけどその冒険すら年をとると勇気がいります。
悪い方向に向かいたくないからどうすればいい方向にいけるのか模索しながら生きていってるような感じ。
まさにあがき状態なのかも・・
でも達成してまたスタート地点に戻る意味とても理解できます。

投稿: kazu | 2008/04/07 17:36:29

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