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2008/04/07

冬の過ごし方

 全面核戦争が起こると、地球は
「核の冬」に襲われると予測されている。

冷戦が終わっても
いつまで経っても核兵器を廃絶できない
人類の愚かさを思えば、
理論的可能性としては常に
頭の片隅に置いておかねばなるまい。

 そこまで破壊的な状況でなくても、
野生には毎年「自然の冬」が訪れていると
いう当たり前の事実に気づいたのは、
ジョギングをしながら
近くの公園のビオトープを眺める
ことを続けている中であった。

 夏にはあれほどたくさん泳いでいた
メダカの姿が、ほとんど見えなくなった。

 そうか、冬には、メダカの個体数は
最小限まで減って(死滅してしまい)、
維持可能なギリギリのレベルに
なるのかと思った。

 群れ這っていたアメンボも、
すっかり見えなくなって、
彼らが冬越ししているであろう
落ち葉の裏も、木枯らしに
吹きさらされて心許ない。

 去年の夏、ベランダの水槽に
ビオトープのメダカをつかまえて
放した。

 冬の訪れとともに数が減り、
12月についに一匹も
数が見えなくなってあきらめていたが、
昨日、西日に照らされて一匹の
メダカが泳いでいるのを
見た。
 
 藻のジャングルのどこかに
隠れていたのであろう。

 ここにも、「自然の冬」を生きのびた
ものがいる。
 よかったなあ、お前。
 なんだか、心の中で凍っていた
「春」が溶け出すようだった。

 人生にも「冬」は来る。

 以前は、新宿駅西口の地下で
眠っている人たちの横を通りすぎる
時、靴紐を直すふりをしながら
100円玉を何枚か置いたものだが、
「ビッグ・イシュー日本版」
が発行されるようになってからは、
街で見つけると必ず買うように
している。

 斉藤環さんが最近提唱されているように、
セイフティ・ネットワークとして
従来型の「生活保護」ではなく、
「基礎所得」(basic income, guaranteed
minimum income
)を保証するというのも一つの
有力な方法だろう。

 冬の過ごし方は、大いに工夫
する必要がある。

 水藻の後ろに隠れているのも
一つのやり方だし、
 暖炉の前で、本を読みながら
暮らすことができる。
 
 冬が時折訪れることが
避けられないものならば、
 その季節は雪にきらめく
陽光のような奇跡に満ちたもので
あってほしい。

The matching between the sensory and intentional neural process has been shown to be necessary for the qualia to be generated in such a manner so that it is perceivable by the "self", as demonstrated by, for example, experiments in phenomena such as binocular rivalry (Leopold and Logothetis 1996, Polonsky et al. 2000, Taya and Mogi 2005), where activities both in early visual areas (which are necessary for the generation of qualia) and higher visual areas are necessary for the subject to "see".
According to Mach's principle, the unique identities of qualia should be determined by, and only by, the nature of the mutual relationship between neural firings (with the reservation that the actual physical processes involved might ultimately go beyond that of simple action potential paradigm) that constitute the clusters of events that lead to the formation of conscious percepts. In order for the pattern of mutual relationship between neural firings to be accessible for the "self", the matching process between the sensory and intentional processes needs to be constructed in such a way that the identification of the uniqueness of that particular quale is possible by the "self".
([15])

4月 7, 2008 at 07:34 午前 |

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受信: 2008/04/08 6:50:19

コメント

はじめまして。
いつも楽しく、時に混乱しながら拝見しています。
「冬の過ごし方」のタイトルに積年の夢を思い出しました。
私は「冬ごもり」の言葉の響きが好きで、自分もクマかリスになって秋の実りをたっぷりと蓄え、冬眠してみたいなあと思うのです。冬が嫌いなわけではありません。冬に向かう、支度が好きなのかも。そして、いつか巡ってくる春を待つのが好きなのでしょうね。
お正月が過ぎ、七草の時期には藤原家隆の「花をのみ・・・」の歌が頭を駆け巡り、どこかに春の兆しを探したくて、いつもの犬の散歩も念入りになるのです。
「冬の過ごし方」、冬の捉え方は人それぞれ。でもいつか春が来ることは共通していてほしいです。

投稿: | 2008/04/10 11:26:50

茂木さん!茂木さんは、本当に心の優しい方ですね…
茂木さんにお友達が多いのも頷けます。

私は、東京にいるとき、一流の方々と交流する機会を持つことがありましたが…そうした方々の多くは、興味関心が自分にしか向いてなく、他人に関心のない個人主義な人が多かったです。

そんな中に、茂木さんのように心根の優しい方をたまに見かけると、それだけでもホッと温かい気持ちになりました。

冬の過ごし方は、個々人により違ってくると思いますが、

私は、茂木さんのような方がいらっしゃること自体が、冬を過ごしている人にとって、温かい希望の灯りとなるのでは…と思いました。

私は昨日、自分の人生の最大とも言える壁を遂に自覚してしまいました。
この壁を越える為に生まれたのかも…越えなくても無難に生きることはできますが、
多分死ぬ時後悔しそうです。
苦しい時は、茂木さんを思い出しますね!

いつもありがとうございますm(__)m

投稿: | 2008/04/09 5:36:36

核のボタンに触れることが出来る人に思って欲しい。自分で自分の命を救えない人間のこと。
あくまでも個人的なことなのだが。「PUTUMAYO KIDS PRESENT-BRAZILIAN PLAYGROUND」を聴いた。優しい気持ちになる。子供たちの未来が楽しく幸せなものであって欲しい。

投稿: Nezuko S | 2008/04/08 5:53:57

今晩は。

冬をやり過ごす時…ここで言うのは自然のそれではなく、人生に訪れるそれのことなのですが…子供の頃から「冬は必ず春となる」と、ずっといい聞かされて育ってきたので、陽光を浴びるような温かい「春」の幸せを掴むまで、冬の日を嘆かず呪わず、如何に寒くとも、前向きにめげずに生きようとする気性を身につける事が出来た。

それにしても、今年の冬は本当に冬らしく、芯から寒かった。暖冬などと言われた割には、久々に都会で雪を見るほど、冷え冷えとしていた。

アメンボやメダカたちにとっても、この冬は例年にないほど厳しかったのに違いない。

人間の欲望がもつ一種の残酷な魔性が、人間達に核兵器を作りつづけさせている。そして、それ以外の危険な「飛び道具」までも…。

いったい、何時になったら私達人類は、その魔性を超克できるのだろうか。

魔性の超克が可能になるような、全ての生きとし生けるものたちの命は、何にも優って尊く、また儚く、それゆえに掛け替えのないものなのだという考えかたを、自分達一人一人の奥底に、恰もスポンジに水をたっぷり染みこますように、身につけていくことがもしできれば、地球に“核の冬”が訪れることはなくなる、と考えている。

それはさておいて、今、春になって久しいのに、心に厳しい冬の北風が吹きつけて、苦しんでいる人達が沢山いる。

その人達の心にも、きっと何時か必ずは、春が訪れてくれてほしいと願っている、否、きっと、訪れるはずだ。

投稿: 銀鏡反応 | 2008/04/07 23:27:55

こんにちわ

「経済の冬」も来る事もあると思います。でも、経済の冬は、みんなで押しくら饅頭をすれば、暖かくなり、回避できると思います。


ところで、やっと、私の近所の公園の桜も咲きました。(^^)

投稿: | 2008/04/07 11:45:48

冬を乗り越えた一匹のメダカへの温かな眼差しと、ほんわりとした気持ちを今日のクオリア日記より頂きました。

ありがとうございます!

投稿: | 2008/04/07 9:35:02

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