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2008/04/25

真実への接近

品川のホテル・パシフィックにて、
黛まどかさんとの共著のために、
俳句と脳について語り降ろし。

前回の黛さんとの対談で、
桑原武夫の「第二芸術論」
が話題になり、私も向き合うこと
になった。

フランス文学の精神と格闘した
希代のインテリに俳句がどう見えたか。

有名、無名の作者による俳句を
十五並べる。

作者がわからない「ブラインド」
の状態で、どの句がすぐれているか、
明確にわかるか?

桑原の立てた問いは、身も蓋も
ないもの。
そりゃあ、わかるはずがない。

では、俳句とは一体何なのか?

個人の創造性を絶対視する
西洋の観念から見れば確かに
「第二芸術」とならざるを
得ないのであって、
俳句に現れている日本文化の精髄は、
別のところにある。

結社でいたずらにいばったりいきがっている
人たちのことなど確かに知らぬ。
そのような病理があるからといって、
俳句という芸術自体の可能性の中心を
見誤ってはいけない。

一瞬の経験のきらめきの
中に顕れるクオリアの真実なるを
掬いとる姿勢は、短詩型の文学
の伝統によって確かに育まれている
ことは事実。

ソニーコンピュータサイエンス研究所
にて、脳研究グループのゼミ。

東京工業大学博士課程の
星野英一が、言語課題において、
それが視覚的イメージを司る
右半球のfusiform gyrusに
依存する場合があるという
論文を紹介。

Turing testに合格するコンピュータは
なかなかできない。
純粋にlinguisticな処理を行う
モジュールの背後にあり、必要に
応じて喚起、参照される一群の
回路群を含めて言語系を扱う
必要があるだろう。

そもそも言語は、その存在において
open-endedなシステムなのだ。

『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の収録は、「脳活用術スペシャル」で、
約100名のお客さんをお迎えする。

収録が終わったのは夜の11時30分過ぎ。

皆で打ち上げをした。なんだか、
忘年会のような雰囲気。

この世界を育むのは、否定する批評性ではなく、
引き受ける愛だ。

自分の身体を張ってやることを通してのみ、
真実への接近は可能となる。

The description of the development of the physical world according to the natural laws, as it stands today, seems to lack no substantial element. Specifically, it does not appear to be necessary to search for an essential ingredient in the world view (Weltanschauung) when one tries to predict the behavior of the materials in nature, with the reservation that classic or quantum chaos would make the prediction difficult in practice.
There is one brutal fact about the universe, however, which cries out for an proper accounting. The very fact that time proceeds at all. Mathematical laws, from Newtonian dynamics to string theory, only serve to streamline the changes that have happened, or would happen, and do not account why and how the time should pass in the first place.
It is quite conceivable, then, that the fundamental reason why consciousness exists, which is an inexplicable anomaly in today's scientific world view, shares a common origin with the equally inexplicable passage of time. ([31])

4月 25, 2008 at 09:10 午前 |

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» 一回性を引き受けることが大事である トラックバック 須磨寺ものがたり
来月、5月11日(日)大本山須磨寺にて、 神戸女子大の茶道部が「皐月茶会」を開くので、 そのためのポスターをもって学生が訪ねてきた。 [続きを読む]

受信: 2008/04/25 10:12:29

コメント

前にもここに書かせていただいたと思うが、西洋科学(文学も社会科学も)の志を抱く若者にとって、桑原武夫はカリスマだった。私の世代(50半ば)にとって、「第二芸術論」は超有名であり、影響力があった。先生の晩年の講演を聴いたことが自慢です。

けど、茂木さんも書かれているように、それだけではない、と近年は確かに思う。ただし、短歌の塚本邦雄とか斉藤茂吉ほど私が感心する俳句作家はいない。

西洋人にはわかりようがないというのが俳句の本質であるかもしれない。俳句について西洋派に反論できない理由の一つは、日本語の分析が充分でないことがあるかもしれない。<象は鼻が長い>の先生はじめ、私でも感心できる分析があると思うが、これらは英語で充分に紹介されているのだろうか?

ナリワイで日本語を作ったり、翻訳するとき、例えば助詞が違えば雰囲気が違うことを<感じる>が<説明>できない。また、文を結ぶ<なお>など、多くの場合英語にするときは省略できるが、元の日本語からこれを削除すると、<なんか変>となる。つまり<感じる>が<説明>できない。

何事も問題意識を持って接すると、わからないことばかりです。

投稿: fructose | 2008/04/28 7:30:20

薫まどかさんとの共著、楽しみです。
茂木さんの本はホント「早く出合いたかった!」って思うものが多くて大好きです。("スカの時代"だったかな?あの手のお題があるものは読んでて恐ろしくなっちゃって、買わずじまいなんですけど…いけませんねぇ)
俳句についての世界観がグッと広く、さらに味わい深くなる事を期待してしまいます。
個人的には薫さんの稀に飛び出すある種の発言(このサイトにある対談mp3とか、「自殺するのは、意志が弱い」だなんて、聴く人によると許せないと思うし、文脈的にも言いたいだけっていうか自己顕示ていうかカッコつけ?…)がギャップていうかかわいらしいので、それもちょっと期待しちゃってます。
俳句が多くの人の心の柔らかい所まで届いて、楽しんでもらえる世の中になればいいなぁ、と思います。

投稿: misa | 2008/04/27 11:48:13

今日は陽射しが暖かく、職場近くの公園の緑たちも、自宅近くの赤白交互に立ち並ぶ花水木たちも、太陽の恵みをあびて、歓びにうち震え、輝いているように見えた。

その太陽の光よりも暖かな、人々の心をしんから温めるもの、それは「愛」であり、言いかえれば「慈悲」であるのに違いない。


慈悲は勇気と一体だ、と聞いた。


投稿: 銀鏡反応 | 2008/04/25 21:30:42

こんにちわ

意識の量子的要素を考える上で、数学的な確率論的になるのではないでしょうか?

人間は、因果をつくれる点があると思います。中世ヨーロッパで、科学的な発見をしたものに、その国の王が賞金を出すとした事があるわけで、因果と科学は関係が深いのかも?(^^)

投稿: 確率のクオリアby片上泰助(^^) | 2008/04/25 19:00:57

外でもない私の意識であるということ、私にとっての時間の経過ということ、を考えてみれば、
「私」とはそもそも何であるか?という事にその問題を解く糸口があるように感じました。
物理学的な世界の記述は、「私」を消し去ることによって成っているようで、消し去れていないということが、アノマリーを引き起こしているのではないかと感じました。

投稿: 金田恭俊 | 2008/04/25 16:49:05

"Mathematical laws,....do not account why and how the time schould pass in the first place."
"....the fundamental reason why consciousness exists, ....shares a common origin with the equally inexplicable passage of time."
意識の存在に理由はあるのでしょうか。時間は「経過することはあっても逆戻りはしない」という点では宇宙のどこに居ても共通する事実ですが、時間の「経過する速度」が空間のゆがみによって変化する、ということがどんなに考えても分かりません。ましてや「何故時間が経過するのか」を考えようとすると脳細胞が縮むような気がします。

投稿: (マ)ゴグ | 2008/04/25 16:05:45

数量は時系列で発生するが時系列そのものを説明できない。記憶は意識に刻まれるが意識がどう生じるか説明できない。記憶は時系列に発生するが、時系列には拘束されない、と。40を過ぎて人生のマイルストーンとなった人々との再会に出くわすことが多くて、最近ビートルズのThe Long and winding Roadをしみじみ聴いていますが、意識は時空を超えて記憶への長く曲がりくねった道のりを瞬時に辿り着いてしまう驚異的な力を持っていると、改めて知りました。それは自分との再会でもありました。よい英語を読ませていただき、ありがとうございます。

投稿: 清水雅恵 | 2008/04/25 15:32:13

昨日のところにコメントを書き終わったら、更新されていて、ビックリしました!!

早速、読ませて頂きました。


この世界を育むのは、批評するのではなく、引き受ける愛。とのお話。
引き受ける愛、受け入れる事…本当にそうだな と感じています。

まだまだ出来ないことがありますが、まずは身体を張らないと!

投稿: 奏。 | 2008/04/25 10:07:02

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