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2008/04/17

すべての観念論は

 さだえおばさんは、骨になった。

 親戚の人たちと「献杯」を
しているうちに骨になった。

 葬儀場の人が、
最後に骨をまとめて、
「これがのどぼとけ。ほとけさまが
いらっしゃるようでしょう」
と言った。

 花に囲まれ、すっかりやせて
しまったおばさんの顔を
見た時、死というものは確かに
一つの「休息」かもしれぬと
思った。

 私たちの精神現象が
身体というものに宿るという
「事実」に対する、強烈な違和感が
わき起こる。

 本当か。本当らしい。
しかし、私たちはどうも
大いなる勘違いをしているんじゃ
ないか。

 久しぶりに会ういとこたちと
話す。生きている者たちは
ふらふら立ち上がったり、むしゃむしゃ
食べたり、ぽつぽつしゃべったりする。

 身体がこんな風なありさまで
現前するということを前に、
すべての観念論は無用だ。

 三田線で移動した。
 いつの間にかうつらうつらした。

 六本木ミッドタウンにて、
ユニクロの主催するUTグランプリの
最終審査会。

審査員は、

天野喜孝さん、草間彌生さん、安藤忠雄さん、
茂木健一郎、佐藤可士和さん、長島有里枝さん、
エリオット アーウィット( Elliot Erwitt)さん、
柳井正さん。

審査委員長は、佐藤可士和さん。


Elliot Erwittさんは、
写真家集団「マグナム」会員。

Erwittさんをマグナムに推挙して
くれたロバート・キャパはどういう
人物だったかと聞いた。

Passionate, Great Flirt, and an addictive
gambler

と答えて下さった。

ソニー広報の滝沢富美夫さんが、
「歴史だなあ」と嘆息した。


審査会場にて


安藤忠雄さんと


Elliot Erwittさんと

(photos by Tomio Takizawa)

発表会は佐藤可士和さんの
ディレクションで素晴らしい雰囲気。

グランプリを受賞した方、
入賞した皆さん、
すべての参加者の皆さん。

皆さんの未来が輝かしいもので
ありますように。

私の「風船きりん」のTシャツも、
ユニクロから発売されます。


http://store.uniqlo.com/jp/CSaGoods/159727-09-003 

NHKにて、チャールズ・ダーウィンに
関する番組の収録。

富樫香織さん、うえだけいこさん
に西口玄関で会う。

南原清隆さん、神田愛花アナウンサー、
長谷川眞理子さん、斎藤光さん、
宮崎美子さん、土田晃之さん、千秋さん、
ますだおかださん、山本梓さん。

チーフプロデューサーの出田恵三
さんが自ら用意したフジツボも
登場。

南原さんと神田アナウンサーの
コンビも絶妙。

長谷川眞理子さんの進化論の
専門家ならではのディープな
解説に心が動く。

ダーウィンという「変人」
にして「天才」の魅力が
ずどーんと伝わる傑作番組になる
ことでしょう。

『熱血! 天才アカデミー
世界をひっくり返した男ダーウィンの進化論』
は、2008年5月6日(火)19:30
〜20:43 NHK総合テレビで
放送予定。

0時を回って帰路へ。

眠る前にビールでも飲みたい気分
だったが、夏みかんのジュースを
飲み干したら、「まあ、いいか」
と思い直した。

世界が光に包まれる昼とは
異なる安らぎ。

いつかそれに包まれることを
予感しながら
私たちは地上で行き交う。


If consciousness is to have any evolutionary significance at all, it needs to be somehow reflected in the subject's outwardly manifest behavior. It thus touches on the question of "free will". The sensory aspects of consciousness, e.g., conscious perceptions accompanied by qualia, have functional relevance as long as they are finally reflected in the objective trajectories of the body.
Spontaneity and autonomicity characterize the behavior of biological systems, starting from monocellular organisms upwards. The neural system regenerates the conditions exhibited by non-neural biological systems in general, defining the border between the self and environment in the informational domain. As metacognition is clearly essential in the generation of qualia and the self, it is necessary to question what relevance, if any, the possession of metacognitive processes endows the brain. ([24])

4月 17, 2008 at 08:37 午前 |

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会合の時間が迫る、 昨日午後7時半、 メンバーの集まりぐあい、 新顔はあらわれるか、ドキドキものであった。 [続きを読む]

受信: 2008/04/17 11:03:06

» http://www.community-platform.jp/cell15/modules/wordpress/index.php?p=893 トラックバック 御林守河村家を守る会
私は朝が早いので 明け方のあの一瞬を見ることができるのです。 あの一瞬とは、 一面がコバルトブルーにそまるわずかな時間のことです。 夜と朝のはざまに ふいに異界があらわれたように 青い光にみたされるあの瞬間です。 そこにひとが立てば 霧のようにかすかな青い... [続きを読む]

受信: 2008/04/18 6:13:41

コメント

 昨年亡くなった祖母の葬儀を思い出しました。

 姉と2人でお線香の火を絶やさないよう祖母のそばで通夜を過ごしたことや、骨揚げのときのことを思い出しました。

 笑い話のようですが、祖母は生きているときから、死んだように静かに眠る人でした。

 わたくしが実家に帰ると、いつも決まって祖母の隣に枕を並べて2人で寝ました。

 真夜中に目を覚ますと、隣で寝ている祖母が余りにも静かに横たわっているので、ときどき心配になって祖母が息をしているか確かめたくらいです。

 祖母は寝返りもせず、寝息も立てず、身動き一つせず、一糸乱れずに完璧なまでに美しい寝姿で眠るのです。

 昔の日本女性は、寝ているときの姿まで厳しくしつけられるのかと、驚くと同時に、祖母には畏敬の念すら抱きました。

 誰でも、寝苦しかったりすると布団を蹴ったり、寝返りを打ったり、するものでしょう。疲れていたら、寝息だって立てるでしょう。

 それが祖母にはないのです。

 どうしたら、あんな風に美しい姿で眠れるのでしょう。

 寝ているときも凛とした姿を保てる秘けつを、祖母に聞いてみたかったです。

投稿: K.M | 2008/04/18 3:22:06

茂木さん、こんばんは★
こんな言葉を聞いたことがあります。
現代は唯物論が当たり前の価値観になっているが、
神や魂、あの世の存在が無いと証明した人はいない。
しかし、人類の歴史と共に、常に神やあの世の存在を説く預言者は存在したと。
合理的な価値観を生んだ欧米でさえ、キリスト教という巨大な宗教文化がバックボーンにあります。
チベットでは、自らのチベット仏教文化を守ろうと、
唯物的な中国共産主義に僧侶や民間人が戦っています。
目に見えないものは無いと単純に考えるのは、遅れた考えにしか見えません。
人間が世界や宇宙を制覇したのだという、傲慢なそれこそ独裁者的な小さな考えでは、
人類は決して進化しないと思います。
むしろ、退化しているように見えます。
さだえおばさんは、きっと静かな安らぎの世界にいらっしゃるのだと思います。

ところで茂木さんのTシャツ可愛いですね~!風船きりん、ロマンチックです(*^o^*)私も是非買わせて頂きます★

投稿: ももすけ | 2008/04/18 2:38:54

「風船きりんは月へ行く」のTシャツ、本当にかわいらしいですね…!とても良く似あっています…!

ロバート・キャパ作品といえば、「スペイン内乱」での狙撃の瞬間を捉えた写真が強く印象に残っています…。
(とてもメジャーな作品ですが)


今から十数年前、都内某所で行われたロバートと弟のコーネル・キャパの作品展を見に行ったことがある。

戦場を中心に駆け巡り、そこにいる兵士や人々の人間性を見事に映し出した兄・ロバートの作品、そして、子供達の姿を暖かい眼差しで捉えた、弟・コーネルの作品…キャパ兄弟の作品は、作品展を見た日から十数年を経ても、一つのすばらしい“痕跡”として、心に残っている。

「人が死ぬ」ということは、それだけで本当に、どんな理屈も観念も吹き飛ばしてしまうほどに、厳たる事実として現われるものなのだ…それを生まれて初めてはっきり痛覚したのが、知り合いの突然の死だった。

知り合いは、亡くなる日の朝、元気に出勤した。昼頃になって突然倒れ、そのまま帰らぬ人になった。このことを聞かされたとき、正直言ってその死が信じられなかった。

お通夜に出席し、その知り合いが身体を横たえたまま、ピクリとも動かない、息もしていないのを目の当たりにしたとき、これが人間の死なのかと、凝縮した感覚になったのを、これも未だに覚えている。

その知り合いが亡くなる3年くらい前、我が家に来たことがあった。胃潰瘍になり、胃の大部分を摘出したという彼の顔を見た時、虫の報せというやつか、この人は近いうちに死んでしまうだろうなぁ、という“予感”がした。

その予感が3年後に的中してしまった。

お通夜で、知り合いの為に、みんなで追善の祈りをささげた。そして家に戻って、また同じように祈りを捧げた。

ロバート・キャパは戦場で最期を迎えた、と聞いている。その時の彼には、どんな思いが去来していただろうか…。

そして今、死という名の休息を終えただろう彼の魂は、今ごろは、地球の、あるいは、宇宙の何処かで、再び“人”として生まれ、情熱に燃える写真家として、活動しているのだろうか。


投稿: 銀鏡反応 | 2008/04/17 21:44:22

失礼いたしました。
さだえおじさま....、ではありません。


茂木先生の、
おじさまのことです....。


すみません。
熱のせいかもしれないです。

投稿: 美容師 | 2008/04/17 17:06:12

もう夕暮れ時。
ごあいさつは、どう言おう。

どうどう休める月1日をふくめた、3日間。あと2日はお休みをいただく。
今日がその3日目。
ひたすら、
寝てすごした。


夕方になり、回復のきざしもやっとみえる。年に1回くらい、寝込む程のかぜをひく。
そんな時、どこまでもどこまでもおちこみ、弱気になってしまう。
誰かによりそっていてほしくなる。
誰かによりそいたくなる。

きっと、さだえおじさま。
誰よりも心せつないのかな。
誰かに、
そっとそばにいてもらいたいかな。
勝手に思ったこと、書いてしまいました。

投稿: 美容師 | 2008/04/17 16:48:07

茂木さん、おはようございます。

自身の宇宙(肉体や精神)において「万物は、ただ変化する。」をあてはめようとすると、ことばとあたしを隔てるものがあると感じていました。あたしに起こった出来事と重ね、達観の境地には程遠い場所にいるんだなと。またその境地にいきたいのか、ずっと問い続けている。
あてはめようとすること自体が違ったのかも…。

投稿: 柴田愛 | 2008/04/17 10:53:01

昨日、集英社新書の『欲望する脳』を拝読させていただき非常に面白かったので偶然クオリア日記を検索したのですが、
おばさまがお亡くなりになった件に、自分の父親が死んだとき、悲しいよりも、ここに体はあるのに、なぜもう目覚めないのか、話さないのか こころというものがないのか
猛烈な越えられない壁を理解できない自分を認識して冷静であった瞬間の記憶が喚起されました…

かねてからの自分なりの疑問、テーマのひとつである『欲望と向上心は別か同じものか相対的に絡み合うのか』をここで質問できたら…と思っていたのですが…。

不思議なものですね。

お忙しい日々をおすごしの事風邪などひかぬよう、ご自愛ください

投稿: moco115moca | 2008/04/17 10:40:39

こんにちわ

(英語が苦手なのでよろしくお願いします。)
猿から人間へ進化する時、食べ物つまり果実の熟れ具合を識別するため、色が認識出来るようになったと言う、話を聞いた事があります。


茂木さんのTシャツ、風船が心臓の位置にあり、「心の風船で月まで行く」と言う、イメージを受けます。(^^)

投稿: 風船のクオリアby片上泰助(^^) | 2008/04/17 9:55:20

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