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2008/04/06

あたまぶつけてばかだねえ

抽象的な思考をするのは
とても好きだが、一方で、
この世のことについては、
プラクティカルな解決を
常に求めるという「パス回し」
の感覚を抱いていたい。

 たとえば、ある作品が
諸般の事情により
劇場で上演できなくなってしまったら、
youtubeで流してしまえば良い。

 その方が、抗議をしたり、悲嘆に
くれたりするよりもよほど実際的
である。
 
 インターネットの発達の一つの
恩恵は、国家や、組織といった
「重くて巨大な存在」の意味が
相対的に低下したことではないか。

 この点において、私たちの
思考が、まだ新しい現実に
 追いついていないように
思う。

 この世界に壁は沢山ある
けれども、それをうまく回避
して泳ぐことは開かれているし、
 いつもそのことを心がける
べきなのだ。

 その一方で、時には
壁に思い切り身体をぶつける
ことも大切である。

 「壁当たり」の流儀に
おいては、私は現実の壁よりも
概念的な壁の方に関心がある。

 インターネットは、現実の壁を
薄くした。
 しかし、概念的な壁は、
どうしてもインターネットだけでは
打ち破れない。

 時代に閉塞感があるとすれば、
それは、本当に難しいことしか
壁としては残されていなくて、
 そこに自分の身体と魂を
ぶつけるという運動を避けている
からかもしれない。

 意識の問題。
 熱力学の第二法則。
 量子力学の観測問題。
 生命の起源。
 進化の第一原因。
 言葉の意味論。
 
 我が畏友、田森佳秀の子どもは、
幼い時、遊園地のディスプレーで
恐竜どうしがあたまをぶつけている
のをみて、
 「あたまぶつけてばかだねえ」
と言ったのという。

 きっと、パキケファロサウルス
のことだと思う。
 パキケファロサウルスが二頭いて、
頭をぶつけて闘っていたのだろう。

 ぼくは、その言葉を田森から
聞いて以来、耳についてしまって
 時折、
 「あたまぶつけてばかだねえ」
とそっとささやいてみる。

 概念的な壁に自分をぶちつける
やつは、きっと
「あたまぶつけてばかだねえ」
である。

 ばかでもいいから、とうふの
角にあたまをぶつけたい。

 内田樹さんのブログ
http://blog.tatsuru.com/ 
のエントリーがここのところ
素敵である。

 2008年4月5日

 2008年4月3日

とか。
 内田先生に拍手!

 住吉美紀さんが
 朝日新聞の「TVダイアリー」
で連載を始めて今日第一回目が
載っている。
 東京の13版だと、23面です。

 「ひとり旅が苦手だった」
で始まるすみきちのエッセーは、
とてもいいです。

 春だ。
 ちょっとした用事で街を歩く時に、
なんとなく人々がうきうきしているような
気がする。

 壁に「あたまぶつけてばかだねえ」
をやる時には、そんなに深刻ぶって
まなじりを決するんじゃなくって、
 桜に浮かれてふらふら、
というような感じで行きたい。

 今朝はミュンシュ指揮 パリ管弦楽団
ブラームス 交響曲 第一番を聴いている。

The ontological status of consciousness on the surface seems to be something that goes beyond the materialistic understanding of the universe that we inhabit. The tacit assumption in the conventional wisdom is that we know enough of the physical makeup of this universe, while much less, or even nothing, is known about how conscious phenomena arise. Actually, consciousness is usually regarded as an anomaly, not within the domain of reasonable manifestations of the physical nature of the universe. However, from the viewpoint of the noumenon, the true nature of Ding an sich (thing in itself) is unknown, just like the essence of consciousness is beyond human knowledge at present. Much as it appears strange that a complex system of materials should exhibit something as anomalous as consciousness, so extraordinary it is that the cup that I use to drink my coffee from exists, as Ding an Sich, on the table in itself, embedded in the "physical" universe about which, at the end of the day, we know nothing about despite the remarkable success of the laws of physics in predicting the behaviors of the materials in the epistemological/empirical sense.
([14])

4月 6, 2008 at 09:25 午前 |

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受信: 2008/04/07 8:47:41

コメント

茂木さん、おこんばんは。

『ばかでもいいから、とうふの角にあたまをぶつけたい』
(ぷちゅり☆!)
ぶつけたあと不思議だけれど、こうなるとどこかでわかっていた気がしました。
長い一日でした。
よく眠れそうです

投稿: | 2008/04/11 0:20:57

茂木さん、初めてお便りします。茂木さんと同じ1962年生まれです。

僕はインターネットの世界というのはすごくって、たとえば僕のようなサラリーマンであっても、別にやりたかった音楽とか文学とか、それに類したことをインターネット上で表現できることは、人間がより良く自分の持てる力を多方面に出しながらその生を全うすることのできる、という意味で人生をフルに生きられるので素晴らしいと思うのです。

>たとえば、ある作品が
>諸般の事情により
>劇場で上演できなくなってしまったら、
>youtubeで流してしまえば良い。

これはこの通りだと思うのですが、ある劇作品を生業としている人が諸般の事情により劇場で上演できなくなってしまったら、それをyoutubeで流すことによって作品の真価を世に問うことはできるのですが、それによる収入というものが入って来ない。それは問題だと思います。

インターネット社会は素晴らしいのだけれど、インターネットで供されるものは「タダ」という仕組みになってしまった。もちろん、インターネット上の広告によって入る人には収入が入るのだけれども。僕はインターネットを現代の社会とマッチした更に磨かれた技術にするためには、衆生を相手にお金を徴収してそのサイト運営人にそのお金を渡す、というそういう技術的な仕組みを作ってくれる人が出てきたらいいなあ、と夢想しています。そこでは自由投票の如く、そのサイトを見て元気をもらった、為になったと思った人はその志に応じてお金を支払うのです。そうすれば人の多方面な才能が、その分に応じて世の多くの人に評価されるわけだからより人生が楽しくなると思うのです。

「そういう仕組みをお前つくってみろよ」と言う人がいるかもしれませんが、僕には他にやることもあるし。誰かそういうことをやってくれないかな。

投稿: 韓国の龍 | 2008/04/06 23:54:52

パキケファロサウルスの場合、縄張りの争い、メスの獲得の争いだと、思いますが、これは排他的要因で、問題が解決する事柄ですが、和解的要因で解決する事が、排他的要因が大きくなり解決が遅れている事はよくありますね。

テーゼ、アンチテーゼ、正反合があるわけですし、正反合に向けて、テーゼ、アンチテーゼを議論するのは良い事ではないでしょうか?(^^)

投稿: | 2008/04/06 15:16:17

里桜や新緑の映える時期になりつつあります。

この時代を生きていて、なんとなく、どよん、としている感覚は、所謂時代の閉塞感というものが醸す雰囲気だ。

そういう雰囲気も含めて、私たちみんなが何となく生き生きしてないような、重たい感覚を覚えているのは、本当に「難しくて取り扱いが厄介な問題」が(茂木さんはこれを「壁」と表現されているが)、まるで眼に見えない「青銅で出来たアメーバのような怪物」として社会のあちこちに、身体を横たえていて、それがとても怖いのかもしれない。

斯かる「壁」や「青銅のアメーバ」に譬えられるような、世に横たわる本当に難しい問題と向き合い、克服するには、普段から心に潜む内面の力…意思の力、智恵の力、そして根源の生きる力…を一人一人が、じぶんなりの“流儀”で磨いて、強めていくことが大切なのではないか。

そうしたほうが、イザという時、壁あるいはアメーバを打ち倒し、時代の閉塞感を拭っていけるのではないか。

傍から「ばかだなぁ」と言われても構わない。春に浮かれたフリをして、ふんふんと鼻歌を歌いながら、壁にポン!と穴を開けて、風通しを好くしたいものですね。


投稿: 銀鏡反応 | 2008/04/06 12:25:25

茂木さん、こんにちは。
お加減いかがですか?
これから花見です。千鳥ケ淵の桜を眺めにいってきます。

投稿: | 2008/04/06 12:04:33

久しぶりにコメントします。

壁に頭ぶつける、私はしょっちゅうです。

ネットで、昨日は悪戦苦闘しました。気色悪い広告を
3連で載せられて。

攻撃からは身を守らなければなりませんね。
けれども、一度体験しなければ、身につまされては感じないですし。
今朝「報道2001」でも小、中学の裏教室というのが
ネットに存在していて、その実態を報告していました。

ネットは、現実の世界から、仮想世界を作り上げ、ある意味
現実より、先行して、法律や、規律、マナーが追いついていない
感じはあって、問題点を含みながらも、大変利があって、
魅力も大きいために、依存症になりやすですね。
そして、黒い罠がひしめいています。
だからこそ、よりよい使い方というのが重要ですね。

私もブログを書いているので、依存度が大きいのですが、
良いブログを書いている方も多し、善意のものである
ことが基本だなぁ~と常々感じています。

茂木先生のクオリア日記には、癒されることが多かったので
感謝していますよ~。
ブラームス交響曲 第一番、聴いてみますね~♪


投稿: | 2008/04/06 11:26:36

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