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2008/04/18

大空を手一杯に

時が経ってしまうということは、
何とふしぎなことなのだろう。

どう首をひねってみても、
ひととき前の「あの時」
がもはやどうしても触ることの
できない虚空へと消えてしまう
不可思議さには、解決をつける
ことができそうもない。

________________

 清少納言の枕草子の中には、次のような一節がある。

 職の御曹司にいらっしゃるころ、八月十日過ぎの月の明るい夜、中宮は、右近の内侍に琵琶を弾かせて、端近な所にいらっしゃる。女房たちの誰彼は話をしたり笑ったりしているのに、私はひさしの間の柱に寄り掛かって、ものも言わずにはべっていたところ、(宮)「どうして、そうひっそりしているのか。何か言ったらどう。座がさびしいではないか」とおっしゃるので、(清少)「ただ秋の月の風情をながめているのでございます」と申し上げると、(宮)「なるほど、この場にはふさわしいせりふね」と、おっしゃる。
(新版 枕草子 上巻 石田穣ニ訳注 角川文庫)

 この文章は、日本文学の歴史の中でも、さらには世界文学の歴史の中でも、一種特別な雰囲気をもっている。ここには、清少納言という一人の人間が、今まさに月を見上げているという、その雰囲気がとらえられているのだ。私たちは、もはや清少納言その人自身を目の前にすることはできない。
 だが、上の文章からは、清少納言のリアル・タイムの息づかいが聞こえてくる。その、時間の流れの澱のに沈殿した自意識のゆらめきが伝わってくる。
 その清少納言が生きた平安時代から、気の遠くなるほど長い間、その時々に生きた人にとって特別な「今」という時間が積み重ねられてきたのだ。

茂木健一郎 『生きて死ぬ私』より

________________

オリジナルの徳間書店版(写真付き) 

ちくま文庫版 

『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の収録。

ふだん生きているその
軌跡に対して直行する方向に
時には向かってみる。

空き時間に、
NHKの正面玄関から出て
代々木公園に歩いていく。

腕時計を見ながら、
「針がここに来るまでは」
と進んでいく。

すると、思いもかけぬほど
遠くまで行くことができる。

木立の中に佇んだ。

葉っぱの緑の奥底から
ひとときとも決して留まる
ことのない生命の息吹が
伝わってくる。

呼吸する空気もまた違って
感じられて。

ふだん生きているその
軌跡に対して直行する方向に
時には向かってみる。

「今、ここ」が過ぎ去って
しまうことは止めることが
できないが、この大空を手一杯に
感じることくらいはきっとできる。

そう信じて、洞窟の住人もまた、
空気を思い切り吸い込んでみるのだ。

In talking about the neural correlates of consciousness, we are clearly concerned with a "coupling" between the physical and mental. Here, coupling is meant to signify an established link between relevant degrees of freedom. In enzyme coupled reactions, two separate degrees of freedom which were originally independent of each other are coupled, so that biologically useful processes can be facilitated, even when they are uphill climbs in the landscape of free energy.
In coupling, the tacit assumption is that the degrees of freedom to be linked exist before the coupling is realized through the existence of the enzyme. In biochemical reaction networks, this particular assumption is trivial, since every pathway exists in the entity of biomolecules. In mind-brain coupling, on the other hand, it is not at all clear what the "other" dimension coupled with the physical processes in the brain is. It is the very focus of heated debates whether the other dimension exists at all independent of the physical dimension. In approaching the mind-brain problem from the viewpoint of coupling, the dualistic world view is thus given a new twist, opening up hitherto unthought-of schemes for the "interface" at which the "self" emerges. ([25])

4月 18, 2008 at 08:29 午前 |

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コメント

申し訳ありません!

文章が繋がっておらず、訳の分からないものとなっていました。


投稿: 奏。 | 2008/04/20 14:13:50

前回の”悦ばしき知識”は、脳内ニューロトランスミッターと、意識&無意識の関係でしたね。わたしは、とほほな事に、意識&無意識を心と読んでしまいましたが。不安な時って無意識のうちに音楽を求めてしまうことを経験していて、それが音楽を用意するという意識的な運動に変換され、音楽に身を任せて夢中になって踊っているうちに、無意識(たとえば不安など)を否定していることを普段いつのまにか学習しているなあ〜って改めて知りました。

今回は、心と身体の運動それぞれにおいて、独立した自由度があり、そのふたつ(男女みたいなカップルになる)を仲介するのは酵素!というユニークな展開。DNAのらせんを想像させるような、不思議な巡り会わせを感じます。

ニーチェってわたしの産まれるずいぶん昔に生きていた人なのに、現代を予測していたなんて単純にすごいなあ...!って思います。

ちなみに、わたしは、普段は老人介護の仕事をしていて、本をろくに読んでない女の子です。直感で書いているのでいろいろとトホホな勘違いや間違いなどあると思いますが、笑い飛ばしていただけると幸いです。

投稿: 悪ガキトモコ | 2008/04/20 13:15:11

緑溢れる都内某所の植物園に初めて行った。

出会ったことのない植物たちの繁茂する姿。流れ行く空気の素早さ。

ザワザワと鳴る雑木林、強い風が吹いて木の葉は風の吹く方向に靡く。

季節はもう初夏の気配。

植物園の中には桜が幾千本。染井吉野や山桜の仲間はもうとっくに散り、中には実を付けている品種もあった。里桜たちも豪奢な花を散らし始めている。

ふと見上げたら、水を含んで重たくなっているらしい灰色の雲が覆い尽くす天空に、ツバメが数羽、それこそ電光石火の速さでしゅっ、しゅっと飛び交い、夏が近いことを知らせてくれる。

ツバメたちは口々に歌を口ずさみながら、私の眼前や肌寒い空気の中を飛び回っていた。彼らの歌は、彼らにしか歌えず、しかも彼らにとっては、話し言葉に違いないのだ。

木々のざわめき、鳥たちの歌、耳をすますと、たくさんの天然の響きが、聞こえてくる。

それも時とともに、流れては消えて、また流れては消えていく。もう本当に瞬間瞬間、ひとつところにとどまることはないものなのだな・・・。

それらに包まれる私の身体の細胞の、ひとつひとつも今このときに、生まれては老いて死に往き、また新たに生まれては、老いていく。

そうして一瞬ずつ、年をとりながら、この地上にいる私たち生き物は、死というラストシーンへと、向かっていく。

木々も、美しい草花も、鳥たちも、虫も、我ら人間も。

投稿: 銀鏡反応 | 2008/04/19 17:52:07

只今、読んでいる真っ最中です。韓国、いろんな未知のクオリアに出あわれるのでは?ワクワクの毎日に乾杯!

投稿: ぶらんか | 2008/04/19 16:29:32

茂木さん♪茂木さんのおっしゃるように、もう二度と触れることのない過去を思うと、本当に不思議ですね……
思わず私も空を見上げてしまいました。

私は仏教の転生輪廻を信じているんです。
自己を深く内観すると、過去世どのような生き方をしてきたか、だいたい想像がつきます。断定できませんが。

今生きて流れ去る時も、遠い過去も、みんな私の中に生きている。そんな気がします。
清少納言の、ありありと様子が描ける文学は、きっと言霊が込められている。
イチローが自分のバッドは自分の体の一部と言ったように、
清少納言の言葉は彼女の目であり耳であり心であり。
だから言霊となる。
今も清少納言がそこにいるかのように感じられる。
彫刻や絵でも、そこに生きているかのような作品がありますものね。
今の私を積み重ねて、未来の私になる。
過去は触れないけど心に生きてる。
例え今願いが叶わずとも…来世に叶うことがある。
原因結果の法則は、過去にも未来にも生きている。

投稿: ももすけ | 2008/04/19 8:38:28

アウシュヴィッツの殉教者、コルベ神父のペン画がみつかったというニュースを読んだ。彼の尊い行いの「今」は、まさに2008年4月の今にある。悲憤慷慨の矛先が自らに辿りつくにはそれほどの時間はかからないが、彼のような行いの「今」は60数余年を経てなおも「今」として人々の心の裡にある。

投稿: 裏方店長 | 2008/04/19 3:59:50

こんにちわ、二度目の投稿失礼します。

もしかしたら、ニューロンの発火は、末端神経の伝達として伝える部分がありますが、中枢の思考の部分やその近い部分では、発火は量子的もつれのリセット機能では、ないかと考えたりします。極論を言えば、意識は、発火以前の、ニューロンの量子的分子や伝達物質の量子的もつれが生んでいるのでは?、と、考えたりします。


NHKの9時のTVで、茂木さんを見かけました。(^^)

投稿: 9時のクオリアby片上泰助(^^) | 2008/04/19 2:47:39

こんばんは。

時間が存在し、かつ、経過するための
十分条件は何なのでしょうか。
時間が「存在」するのは空間があるから?
時間が「経過」するのは重力の作用?

「時間が経過する」という性質の中の生を思えば、
なぜか、ときに安堵を覚えます。
「時が流れる」なんて思うと切ないのですが。
それでも記憶を信じていれば。
たとえば亡き人との想い出。
包んでくれるような笑顔の「おかえり」。
手をつないで歩いた雪解けの散歩道。
想い出す…想いを出す  想い起こす…想いを起こす
想いは消えない。
時間が軸となり記憶が支えになってくれたなら。

いにしえの人びとは時の経過をどのようにとらえていたのだろう。
平安時代の過ぎ去りし1秒も、今ここの1秒もすべては等しくて。
積み重なって遠い未来の1秒へとつながっていく。

今宵、清少納言になってみる。…とかいって。
月は出てないけど、ひっそりと、月を、想う。

投稿: s.kazumi | 2008/04/19 0:48:37

本日の茂木さんの日記にあります
<ふだん生きているその軌跡に対して直行する方向に時には向かってみる>
と、いうお言葉…心に溶け込んできます。


ノドの渇きに似た、まだまだ何かが足らない感じ。でも不思議と慌てるでもなく、ゆったりとしている私(…この感じを言葉で、うまく言い表わせず、もどかしい)。

それを私に与えてくれた人や事柄に感謝しつつ、生きていきたいと思う。


どうなるかは分からないけれど、これが多分、流れに逆らわない生き方のように思えるから。

投稿: 奏。 | 2008/04/18 15:18:11

こんにちわ

(英語が苦手なのでよろしくお願いします。)
量子的もつれを持つ分子がニューロンの中であると考えられる場合、ニューロンの発火で、0、1で情報の伝達が成り立つだけではなく、0の中でも色々な情報を伝達していて、1の発火でも、色々な情報を伝達しているのではないかと考えられるのではないでしょうか?

家にある柿の木も芽吹き始めました。今年は柿が出来るかな?(^^)

投稿: 春のクオリアby片上泰助(^^) | 2008/04/18 13:43:05

清少納言のくだりを読んで、想像の世界が好きな私がなぜか、
優美な清少納言の姿がイメージされず、自分の姿が浮かんでいました。
「人間の根本的なものは人間が誕生して変わっていない」と言う自論の
持ち主なのですが、平安時代も今も、本当に変わらないですね。

雨の音も伴って、平安のゆっくりずむ、久しぶりに堪能して
います。夕方から激しい雨になるそうなので、今日はPC関係、
ノータッチの日として外もでず、家でこちょこちょと、自分の本来の
ゆっくりずむで過ごします。
昨日作った、消しゴム判子で、遊びましょう。

投稿: あすか | 2008/04/18 11:31:45

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