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2008/03/05

ギャングとしての私たちの本質

甘利俊一先生が、「茂木くんの研究の
話を聞きたいなあ」と言われて、
理化学研究所脳科学総合研究センター(BSI)
のフォーラムに呼んでくださった。

甘利先生は現在脳科学総合研究センターの
センター長をされている。

思えば、1992年、博士号を取得した
私は、理化学研究所の伊藤正男先生の
下で脳科学を始めたのだった。

いわば、「古巣」に戻るわけで、
いろいろな想い出がよみがえった。

理化学研究所は和光市にあり、
緑豊かな広々としたキャンパス
の中に、研究棟が点在している。

光が丘公園からずっと
一時間くらいかけて歩いて
通った時期があった。

ある時、住宅街の中で、女の子たち
が遊んでいて、その横を通りかかって
しばらく歩いた時、
ふと、相対性理論で光の軌跡に
そって固有時の経過がゼロになる
ということの意味に思い至った。

それと同じ原理が、意識に
おける心理的時間の経過にも
適用できるのではないかと
思った。

「相互作用同時性」を思いついた
瞬間である。

その場所からしばらく歩くと、
崖があり、登ると埼玉病院、
そして理化学研究所の敷地に至る。

脳研究グループは、
当時は「フロンティア研究システム」
という名前で、
「思考機能棟」という建物の中で
みんなが研究していた。

私は、一階の伊藤正男先生の
チーム。
そこで、私の親友にして畏友、
田森佳秀に出会ったのである。

三階には、田中啓治先生の
ラボがあった。

始まる前、推進部の岸本充さんに
導かれて、伊藤先生と甘利先生の
部屋に向かった。

ご挨拶をして、そしてセミナー
室へ。

たくさんの方が来て下さった。

一時間、The contingent brainという
タイトルでお話する。

昔も今も、理化学研究所の脳研究グループに
おける「公用語」は英語である。
セミナーもフォーラムも英語でやる。

Contingencyという視点から、
昨今の脳科学の研究を概観し、
私たちの研究グループのデータを
紹介した。

そして、最後に、動的適応性と
認知的安定性を結ぶのが、「クオリア」
であると主張した。

質疑応答になった。

池上高志が来ていて、
いつもながらの「凶器攻撃」
をしかけてきた。

田中啓治先生との議論で、
contingencyにおけるregularityの
意味が問題になった。

noiseやirregularityの機能的
意義ということが問題にされるが、
脳は常にregularityを求めている
のではないか?

結局、この点についてきちんと
定式化しようとすれば、
contextというものの意味を
考えなければならない。

regularなものでも、今設定
されたcontextから離れた
情報であれば、effectiveには
noiseとして機能する。

脳がout of contextな情報を
いかにrobustに処理するか
という点が、contingencyの
意味の探究において重視されなければ
ならないところだろう。

広沢クラブに移動し、
懇親会をする。

伊藤正男先生、甘利俊一先生、
それに後から臼井支朗先生もいらして、
楽しくお話する。

再び岸本充さんに導かれて、
二次会は、和光市の近くで。
池上高志、岡ノ谷一夫、谷淳、
藤井直敬といったおなじみの面々。

それに、私の研究室の柳川透、
新潟大学から岩村憲、池上の
研究室を今春卒業する鈴木啓介
が来た。

The Gangという感じのメンツの
飲み会。

共感、熱情、遊び、小突き合い、
冗談、本気、マジかよ、
お前なあ、おいおい、コラコラ、
昔ねえ、そんなことないだろ〜、
いやいや、なかなか、
どういたしまして。

ギャングはいい。

ちびっこギャングだった頃と、
今と、
ギャングとしての私たちの本質は
変わっていない。

いつまでも、変わらないゾ!


2007年10月29日のギャングたち
(左から)
藤井直敬、柳川透、茂木健一郎、谷淳、池上高志、入来篤史
(ほとんど同じメンバー。入来篤史さんは
出張中で昨日はいらっしゃらなかった)

その時の日記
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2007/10/post_2138.html 


ちびっこギャングだった頃の私。
3歳9ヶ月。

3月 5, 2008 at 08:28 午前 |

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コメント

「The Gang」
共感、熱情、遊び、小突き合い、冗談、本気、マジかよ、お前なあ、おいおい、コラコラ、昔ねえ、そんなことないだろ〜、いやいや、なかなか、どういたしまして。ギャングはいい。(本文より…なんてリズミカル!!歌っているみたい!)

本質でぶつかり合える仲間(同志)はひとりでも多いほうが楽しいしココロ強い。

ひとりでは生きていけないという思いと同時に,みなひとりなのだなとあたしは再確認し,また頑張れる。明日を思える。そんな仲間を見つけたり,見つけられたり…。
毎日空を見上げるときにはたいてい,頑張っているであろう仲間のことを思い浮かべます。
さあ今日もいってみよう

投稿: | 2008/03/06 4:53:39

>contingencyにおけるregularityの意味が問題になった。noiseやirregularityの機能的意義ということが問題にされるが、脳は常にregularityを求めているのではないか?

予測可能なことと不可能なことのバランスを考えるとき、
イレギュラーで複雑なことが次から次へと押し寄せる
変化の激しい今の時代、その流れるような偶有性の中に、
なんとかして、少しでも規則性や傾向といったものを
求めたいという意志が働くのではないかという印象を持ちます。
(もっとも、現代のみが急速な変化にさらされているように
思えるのは、自分たちが生きている時代だけを
特別視しているからなのかもしれませんが。)


The Gang集団☆ 
微笑ましいです。うらやましいです。
女性だって表面的な共感や褒め合いなんかじゃなく
爆笑したりマジ泣きしたり、ハメたりふざけあったりして
ギャングな感じに弾けたいときだってあります(笑)。

今日はちびっこギャングくんが
私のこころの中の凝り固まったものを
ちょっと砕いてくれました。
いつまでも茂木先生の中でわんぱくでいてネ。

投稿: | 2008/03/06 0:33:57

可愛いですね。ちびっこギャングだった頃の茂木先生。

私は今、頭の中で連想ゲームをしています。
この答えが出るかどうかは…。

ある番組で言っていましたが、視点を広くすれば、答えも見つかるかもしれない…と思っています。

明日の徹子の部屋。楽しみです!

投稿: | 2008/03/05 22:13:12

藤井直敬先生のお顔が見えますね。茂木先生とお親しいのですね。藤井先生の書いた岩波書店の『予想脳』のお陰で、自分が劇的に変化する経験をしました。思い掛けない一回性の経験でした。

投稿: | 2008/03/05 22:03:47

茂木さんの“ちびっこギャング”時代のお写真、如何にもやんちゃで元気な坊や、といった感じで、いいですね!

私の幼少時代は非常に病弱で、蟻に肌を刺されて真っ赤になるほど弱かった。

そのころからすでに、生まれつきの、脳の変異を持っていたようである。

その頃の私は、自分がそんな変異を抱えているとは露知らず、実に気ままに振舞っていたようだ。


以来、その変異と向き合いながら、社会人となり、通常の社会で何とか頑張って生きている。死のうと思ったことは何度かあった。

しかしここで死んだら自分は今、何の為に生きてきたといえるのか?

今自殺したら、私がこれまで生きてきたことが一瞬で水泡に帰すし、無駄になってしまうと思うと、どんないじめや試練があっても自ら死ぬわけにはいかない、と決めることが出来、今日までようよう生きてこられた。

私の中にやんちゃで純真な「ちびっこギャング」ぽいのがあるのかどうかは分からないけれど、何かを考えてぼぉ~っとしていたりとか、如何も他人から見て(自分から見ても)「ヘンテコ」な振る舞いはしょっちゅうする(汗)。

茂木さんのようにいつも前向きな明るさと、深く思考する力の両方を持つことはなかなか出来ないが、兎に角自分らしく、人生という宇宙を航行しつづけたいと思った。

記事の主旨とあまり関係ないコメントになってしまいました。何卒御了承願いたいと思います。

投稿: 銀鏡反応 | 2008/03/05 19:32:52

きゃー、かわいい。
茂木先生のお子様も同じ年頃の頃、そっくりでしたか?

できの悪い学生時代、生理学の先生が
「伊藤 正男 先生」のことをお話されてました。
金沢に茂木先生のお友達もいらっしゃるんですね。
先生の いろんな方とのお付き合いは、
ジャンルを越えてますよね?
いつから、始まったのですか?
やはり、テレビの影響?

投稿: | 2008/03/05 15:37:43

今日は、春過ぎる位の春でした。空気に温度の感覚を強く感じると、重さもまた感じるようになりますね。
out of contextから,contingencyを考える時、absurdityの要素は、どうなるのでしょうか?

投稿: Nezuko S | 2008/03/05 15:16:59

こんにちわ

創造性、具体的に、小説を書くときなど、ノイズと規則性のゲインを上げる、感じがします。

私も、子供の頃は、兄弟で、親せき中を恐怖に落とし入れる、お年玉ちびっこギャング団でした。(^^)

投稿: | 2008/03/05 11:44:43

今日は!

茂木先生の、
ちびっ子ギャングだった頃のサングラスのお写真、
楽しんで拝見しました~♪
少し大きめのパンツスタイルが可愛い!
口元が、今とあんまり変わっていないですね~。

日記は、難しくて良く分からなかったのですが、
この写真には見取れてしまいました~。

投稿: | 2008/03/05 10:42:02

動的適応性と認知的安定性を結ぶのが、「クオリア」というまとめは興味があります。多くの人と議論する場合、個人の中に形成された個人辞書について統一性が求められるものの、議論してもその溝が埋まらないこともある。丁度、同じ曲を聞いたとしてもその時々で曲の印象が異なってしまうことを考えると、個人辞書についても揺らぎであるのでは思ってしまう。
regularity 、noise、 irregularity の機能的な話になると、走りながらキャッチボールをする印象があり、人の中にある静と動の部分を同時に活性化させるという難しさを感じる。

投稿: | 2008/03/05 10:27:30

3歳9ヶ月のちびっこギャングのクオリアと現在の茂木さんのクオリア、ぜんぜん変わらないじゃないですか。クオリアは通底する(なんちゃって)。

投稿: | 2008/03/05 8:42:39

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