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2008/03/20

涙の理由

NHKの
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
ディレクター本間一成さんと、
脳のお話をする。

本間さんは、量子テレポテーション研究の
古澤明さんや、コンピュータのインターフェイス
を研究している石井裕さん、辺境微生物学の
長沼毅さんと、番組に科学者が登場した
回を担当してきた。

だから、「入り込んだ」人だとは
思っていたが、ここまで「入り込んだ」
人とは知らなかった。

待ち合わせ場所に近づくと、本間
さんがさっと何かをしまう。

「あれ、本間さん、今しまったのは
何ですか!」

バックギャモンの本だった。

501 Essential Backgammon Problems 
by
Bill Robertie


「今、はまっているんですよ」
と本間さん。

私はバックギャモンはやったことが
ないから何も知らないが、
写真にサイコロがあるのが目に留まった。

「あれ、サイコロがある! ということは、
確率的に決まる要素もあるということ
ですか?」

「そうなんですよ。ただ、各局面に
おいてどんな手を打つとどれくらいの
確率で自分に有利になるかという
計算があって、その確率計算に
従って最善手を打つんですよ!」

バックギャモンにおける偶然と必然。

その成り立ちを語る本間さんの
目はらんらんと輝き、
どこか、本の著者でバックギャモンの
世界選手権で二回優勝している
ビル・ロバーティーに
似ている。

その、狂気の気配が似ている。

本間さんはバックギャモンの
人だった。

バックギャモンについて熱く語る本間一成さん
(photos by Ken Mogi)

重松清さんとの対談。

宝島社の田畑博文さんに企画書を
送っていただき、重松さんと
飯田橋のキャナル・カフェで
お目にかかったのが2006年の
3月。あの時から、
宝島社の西山千香子さんもいらして
いろいろとご手配くださった。

あしかけ二年で、対談が
完結を迎える。

対談のテーマは、『涙の理由』。

田畑さんの企画書を読んで
驚嘆して、「この仕事だけはやろう」
と思ったのだった。

重松さんと二人で、ずっと
「涙の理由」を探ってきた。

涙には単純なものもあるが、
もっとも価値があるのは
その人の人生の記憶、感性、
周囲との関係性、
志向性、思い、後悔、
希望、驚き、反復・・・などの
パズルの要素が「カチッ」
とはまった時に流される涙。

物理学者のリチャード・ファインマン
は、妻のアイリーンを亡くした時に
涙が出なかった。

しかし、それからしばらくして、
街中を歩いていて店のショウウィンドウの
中にきれいな服が飾られているのを
見て、「ああ、アイリーンだったら
こんな服を着たがるだろうな」
と思った瞬間に、もうこの世には
アイリーンがいないのだと気づいて、
号泣したと、自伝『ご冗談でしょう
ファインマンさん』にある。

すぐれた映画や小説もまた、
私たちを泣かせるが、
自分自身の人生のさまざまな
要素がそろって凝縮した時に
流れる涙は、天からの贈り物であって、
一つの奇跡である。

それは、一生に一回訪れるか
どうかもわからない不意打ち。

私はこのところずっと
「インターネット」への対抗軸を
探していた。

インターネットはすばらしいものであり、
これからもヘビーユーザーで
あり続けると思う。
一方で、それだけでは危うい、
なにかが失われると感じていた。
その対抗軸が、単に「身体に還れ」
とか、「自然に親しめ」では
いけない、とも思っていた。

counterpointはそんなに
簡単には見つからないと
思っていたが、重松さんと
向き合っている中で感触を得た。

さまざまなものが
はまることによって初めて流される、
「私の人生だけの涙」。

そのような涙をいつか流す
ことのできる人生を志向し続ける
ことが、流通性とグローバルな
ネットワークによって私たちの
生活を便利なものにすると同時に、
「今、ここ」のかけがえのなさを
下手をすれば侵食する可能性のある
インターネットの作用に対する
美しい解毒剤になると思う。

いやあ、すべてが終わりました。

重松清さん、田畑博文さん、
西山千香子さんと記念撮影。

『涙の理由』が完結した。

対談『涙の理由』は、宝島社から
9月頃発行の予定。


「戦友」たちの記念撮影。
茂木健一郎、重松清、田畑博文、西山千香子

ソニーコンピュータサイエンス研究所へ。

田谷文彦くん、
柳川透くんや、箆伊智充くん、
高川華瑠奈さん、田辺史子さんと
議論。

所長の所眞理雄さんと、研究上の
さまざまについてお話しする。

「涙の理由」がわかった夜は
天からの慈雨が降る。

世界のすべては、何かの奇跡のように
温かかった。

3月 20, 2008 at 08:13 午前 |

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コメント

茂木さん
はじめてコメントします。
重松清さんとの対談集『涙の理由』を拝読しました。
たまたま私自身が結構キツい時期と重なっていて、
私なりに「涙の理由」を考える、きっかけにもなりました。
それで、書評詩の形で書いてみました。
一度、読んでみて下さい。
本のblog「ほん☆たす」で掲載しています。
http://hontasu.blog49.fc2.com/

投稿: 夏の雨 | 2009/03/31 19:15:43

貼ったURLのニュースの『涙の理由』、本に入ってますかぁ?
心配になりメールしました。

投稿: ロビ | 2008/10/11 16:31:44

僕をにらむ君の瞳の光は
忘れかけてた真心教えてくれた
この胸に今刻もう
君の涙の美しさに ありがとうと

尾崎豊

好きな曲です。何度も歌いました。
カタルシスです。
涙は人間らしさですね。希望が見えます。

投稿: pteron | 2008/03/26 23:05:41

涙の浄化作用については折に触れて考えています。10代の頃の涙と、30歳になった今の涙は、同じようでいて異なるものだと思います。
大変だと思わないようにして、周りの人に助けられているから、と思って、3歳の子どもを抱えて大学に入学して、先日卒業しました。18歳で入学した大学は卒業しなかったので、インターバルをはさんで、足掛け12年かけて大学というものを卒業しました。卒業したのは音楽大学で、その生活には、10代の頃に諦めた音楽というものと、20代半ばにしてむくむくとわき上がってきた音楽への憧れと、小さなこどもを抱えながら大学へ通うということに対する家族への負担など、沢山のものが詰まっていました。
卒業式では涙しませんでしたが、卒業前にもらったメールで、とても近しい訳でもなく、かといって遠い存在であるわけでもない先生に、「頑張ったね」と言われて、ぽろぽろと涙が出てきました。
自分の欲求(私の場合は音楽への憧れでした)と、小さな子どもを同時に抱えて進んで行くことは、とても努力のいることのようで、私はそんなことには気がつかなかったけれども、それをきちんと見ていてくれて、ねぎらいの言葉をかけてくれる人がいることに感謝しました。
茂木さんが学生さんたちを育てているように、私は365日をほとんど共にして、自分から生まれた小さな人間と、そしてなぜだかわからないけれども欲してしまう音楽というものを育てています。
私が入学した時に3歳だった娘は、4月には小学2年生になります。

投稿: hibi | 2008/03/24 9:02:44

愛おしいものを失った時の涙は、いつまでも過ぎない。通勤途中のバスの中では下を向いて流れる儘に、会社のデスクに座っている時は、慌てて化粧室へ走り、気づかれないように嗚咽する。
どうして、あんなことに。
戻らない存在、忘れられない存在。君の代わりには誰もなれない。少しの意地悪も後悔となって、鷹揚に嫌な顔をしていた君が愛おしくて、流れる涙。君の思い出が、私の心の中から絶えずあふれ出す、そんな辛い気持ちを涙が運び去ってくれるのだろうか?

投稿: Nezuko S | 2008/03/21 5:13:38

茂木さん,おはようございます(ちょっと早起きです)

『パズルの要素が「カチッ」とはまった時に流される涙』
一度あります。2年前でした。茂木さんのおっしゃるように不意打ちでそれは訪れた。ある言葉をきっかけに,まるで壊れた水道の蛇口みたく,涙はびゃあびゃあと頬をつたい,しばらくとまらなかった…自らの意思ではとまらなかったあの日の涙。落ち着いてから振り返ると,仕事に対する焦り,自身への苛立ち,環境に対する思い,様々なことがピークだった。そんなときに信頼のおける人から,ほしい言葉をかけられて…(言わせたのかもしれない…)ココロを見透かされていたんですね,たぶん。恥ずかしい。けれどもあの時の精一杯は現在あたしの真実を担うひとつです。愛すべき「カチッ☆涙」です。

投稿: 柴田愛 | 2008/03/21 3:53:33

茂木さん、こんばんは★二度目のコメントですm(__)m

インターネットの対抗軸という言葉をじーっと見つめていて、

何故茂木さんから、その言葉が出たのだろう…あっ!そうか、茂木さんは全体を見つめる人であり、バランス感覚のとても良い方だからだ、と思いました。
あと、科学者としての責任感でしょうか…

陰陽は東洋的な考え方です。
インターネットと反対のように見えるが、全体像を見ると、実は一つの現象として、互いに補完しあうものを探しておられたのですね。

それが『涙の理由』…

今日はとても美しく静かな月夜でした。
じっと月を眺めていると、
お月さまの存在感に、誰かからのメッセージが聴こえるような気がしました。

投稿: ももすけ | 2008/03/21 3:06:03

今朝、プロセス・アイが届きました!!
早速、読み進める私。
スローペースのため、読了は2日を目標にしています。

他力本願…私は、それの方が良いこともあると。けっして中途半端(この言葉、しっくりこないです。この微妙なニュアンスをどうお伝えしていいか分からないです。)でなく、“あるがままを受け入れて”一生懸命やってあとは、どなたが導いてくれる…助けてくださると思って、受けとめることの様に感じました。
それが、全力で走ることのように思う。
今日、ある本を読んでいて、ふっと思いついた事ですが、何故かストンと私の心に落ち着きました。

田んぼの畦道に生きているナズナのように…。
(先日、初めてナズナを食べました!何で母が選んだのか、よく分かりませんが)

様々な事に、意味がある。
ヒトは花にも(他のことにも)、色々な意味をつけている。
私自身、そこにある花が何という名前なのか。と云うことには、詳しく無いのですが。

色々な意味がある。そう思うと楽しいと感じました。
本日の日記の内容とは、異なっていると思いますが、お許しください。

投稿: 奏。 | 2008/03/21 1:26:28

インターネットやケータイ以前と以後の世界。
両方を知る世代にとっては、
どうしても一度は考えてしまう問題です。

もし小林秀雄が現代に生きていたら
ネットをどのように「体験」し「感得」し、
「新たに言葉を発明する」でしょうか?
饒舌な100の言葉より、
彼が世界と「衝突」して再構築させる
ひとつの詩的な言葉を聞いてみたいです。
彼の時代と私たちの時代は、
フーコーのいうエピステーメを
共有しているといえるのでしょうか??
インターネットとのかかわり方も、
読むべきか読まざるべきか悩む「空気」も、
衝突し意味を探る「世界」も、「人生」も、
エピステーメの限界にとらわれてしまうのですね。

投稿: Boo! | 2008/03/20 23:26:29

こんにちわ

「インターネット」の対抗軸は茂木さんが研究している「クオリア」ではないでしょうか?(^^)

投稿: インターネットのクオリアby片上泰助(^^) | 2008/03/20 15:01:29

『涙の理由』発行、楽しみにしています!!

投稿: gumby | 2008/03/20 10:39:03

Netは便利ですが、自分のリアリティーはそこには無いと感じています。先生のおっしゃるように現実世界の何か(実感かもしれません)が大切だと思えるのです。でも、Netも便利ですね。無料オープンソフトのOpenOffice.orgはとても素晴らしいソフトウェアです。MicrosoftのWordやExcel以上の使い心地です。こんなものがフリーソフトだなんて、時代のすごさを感じます。

投稿: 山本 | 2008/03/20 10:17:27

おはよう御座います…!

私もよく、我が心の中で、過去の思い出や自分が今考えていること、ポリシイや世の中への懐疑や悲憤、希望、後悔や苦悩など、色々なものが混ざり合って限界まで凝縮され、堰を切ってばっと溢れ出した時、涙がしばらく止まらなくなる時がある。

そしてそれが止んだあと、たいてい不思議に平らかな気持ちになる事が多いです(そうでない場合も多々ありますが)。

確かに涙というのは、心の土壌が何時までも緑の沃野でいられるように、時折降りしきる「恵みの雨」のような気がします。

太陽のように大らかな笑いは、その人の心に山あり谷あり(月並みな表現ですみません)の人生を快活に生き抜く為のパワーを与えてくれるけれども、いろいろな思いが組み合わさって流される慈雨の如き涙は、心に尽きせぬ潤いとやさしさ、そして、沢山のしっとりとした、暖かなものを与えてくれるのかも知れない。

笑いも涙も両方あればこそ、“人間”として生きることは素晴らしいと思えるようでありたい。

そういえば、今日は朝から白に近い灰色の空から、春の雨が引っ切り無しに降っているなぁ。

雨でしっとりとした春分の日も、乙なものですね。

投稿: 銀鏡反応 | 2008/03/20 10:15:09

「私の人生だけの涙」
自分にとってどんな時がそれにあたるのか…楽しみです。
そういえば漫画『エースをねらえ!』を読んでフルフル来る箇所が、毎回、違うのです。小学校時と大学時なんて多分まったく別の受け取り方をしているのだと思います。涙の場所に、人間性が出ますね。

投稿: asami | 2008/03/20 10:12:24

茂木さん、おはようございます(o^-^o)

今日の日記のタイトル、ドキッとしてしまいました。

何故なら、私は昨晩、久しぶりに号泣したからです。

なんていうか…他人の人生の悲哀、みたいなものを身近にリアルに感じ…。

こうならざるを得なかった…
過去を振り返り、あの時ああしていれば…というには時は遅く、
こうなる運命だったのか。

この事件を私の心の鏡に写すと、封印した幼い自分の遠い悲しみがリアルに込み上げてきました。

悲しいですけど、私に絶望はない。いつか昨日のことを振り返り、"悲しかったけど、そのお陰で今があるね"そう微笑むことができると信じています。

その時、茂木さんが最後におっしゃっていたような、天の涙が私にも臨むのかな…

生きることは深いです。悲しみは悲しみとして存在するのではなく、必ず喜びに繋がる。それまで、歩みを進めながら、悲しみを喜びへ熟成させるのが悲しみの意味なんでしょうね。

投稿: ももすけ | 2008/03/20 9:38:51

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