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2008/03/16

ある種の危うさとして

 知性というと、
さまざまな知識やアルゴリスムを
「所有」しているかのようにも
映る。

 しかし、本物の知性というものは、
むしろ「動き」として生じるもの
だと思う。
 確かに沢山のことを知っている。
 しかし、だからこそ、多くのものが
欠乏している。

 「知性の真空」の大きさで
その人のスケールが決まる。

 知性の輝きとは、ある種の危うさ
として現れるのである。
 
 春、さまざまな生命の息吹が
地を充たす時に感じるのめりこんで
いくような変化のエネルギー。
 
 本当にあたまの良い人は、
春先の甘美な不安をはらんだ
波動の中にいる。
 
 神戸。
 日本助産学会で講演。

 やはり学会に講演でいらしていた
 鈴木秀子さんとお話する。

 毛利多恵子さん、堀内成子さん、
高橋弘子さんも。

 鈴木さんにはさまざまな
御著書があるが、
日本近代文学を専攻されている
鈴木さんとは、
 小林秀雄、夏目漱石など
 共通の基調低音があった。

 淡々と、しかし確固
たる言葉で会話を構築して
行く鈴木さんのお話の底に、
不思議な熱を感じた。

頭が良くなるということは、
永遠の春を生きることだと
思えば、
考えることにもいよいよ
情熱が注ぎ込まれる。

『知と愛』を書いたヘルマン・ヘッセは
そのことを知っていたと思う。

3月 16, 2008 at 07:49 午前 |

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コメント

本物の知性が「動き」として生じるというのは、
自他未分だった赤ん坊が外界との接触によって
自我を確立し、自らの立ち位置を自覚する過程を
思い出させます。

「知性の輝き」とは無縁ですが
「ある種の危うさ」「不安」とは仲良しです。
春先に限らず。笑
真実を直視することによって一歩間違えば
狂気に偏りがちな、これらのものを
理性でうまくコントロールできればと思っています。
でも事実を正視することから逃げたくはないので
頭の中に、軽口を叩きながら真実を暴くアルルカンが一人、
いてくれればいいと馬鹿なことも考えています。

理性を飛び越えた「狂気」に、ある種の憧れを
抱いてしまうことがあるのも事実。
創造的なことができそうなイメージがあるから…?
「いっそのこと、分けのわからない状態になって
しまいたい!」という一時的で小さな狂人願望ですが。笑

投稿: hana | 2008/03/17 0:59:25

茂木さん、こんばんは★
今、まさに激流真っ只中な私です(;^_^A

時折、感情のうねりに巻き込まれそうになりますが、
なんとか自分を保っています。

自分で言うのもなんですが、最近少しずつ、周りに流されず冷静に動かず、ということが出来るようになってきました。

やはり退路を断つことは、覚悟を決めることでもありますね。

理不尽なことにしろ、自らが招いた過ちにしろ、覚悟が決まっていると動じなくなるものですね。

私は人とは違った道を歩んできて、それが不利になることも多々あり、劣等感を感じたこともありましたが、

今はそれで良かったのだとやっと思えるようになりました。
過去の学び、知識にしろ経験にしろ、全部が生きているからです。
人生まだまだ長いので、これからも甘んずることなく、貪欲に学び続けていきたいです。

ご多忙かと存じますが、茂木さんもお体お大事になさってくださいね。いつも応援しています。

投稿: ももすけ | 2008/03/16 22:11:28

神戸での助産学会の講演拝聴しました。私は看護学生なのですが、茂木先生の講演を聞くためだけに笑、学会の手伝いをしに行きました。お話はとても、funnyかつinterestingでした。先生がおっしゃる生命というものの本質に通じる「偶有性」の名のもとに、全ては気分次第(?)といって楽しく生きていきたいなぁと感じました。
また先生のお話を聞く機会を楽しみにしております。

投稿: セセシオン | 2008/03/16 18:46:08

人間の知能は精神医学的に2つに大別される。一つは流動知能(Howの知能)つまり脳の成長とともに発達するが、神経細胞の増加が止まるとそれ以上発達しない「言語的な意味を含まない」知能であり、他方は結晶知能(Whatの知能)つまり脳の発達後も生活習慣や経験によって発達し続ける知能いわゆる「a resourceful person」で発達している知能である。知性がどちらに帰属するかは議論の余地がある。しかしながら、いずれにせよ「高い知性」を持つということは人間的に幸福であるということと必ずしも一致しないという脆弱性が知性にはある。高い知性を持つからこそ、本来悩まなくてよいことにまで思いが馳せる場合も多い。ではなぜ人間は知性を求め、高い知性を持つ人を評価する社会傾向を嗜好するのであろうか?人類は進化の過程で本来予知しえなかった「パンドラの箱」ともいうべき「知性」というそれまでと別次元の能力を脳に宿してしまったのではないだろうか。

投稿: 吉田剛 | 2008/03/16 16:11:04

初めまして。
”永遠の春”とは何でしょうか???
茂木先生のブログは勉強になります!

投稿: かっちゃん | 2008/03/16 13:51:29

今日、嬉しい事がありました。

鶯が近くで鳴いていたのです。
近年、春になってもなかなか耳にする事が出来なかったのですが聞く事ができ、太陽の暖かさが、ほんのりと身体を包んでくれているようで、ワクワクした気分になりました。

一歩前に!私自身に言い聞かせている言葉です。
変わりたいと思う気持ちが強くなりました。

投稿: 奏。 | 2008/03/16 13:25:15

こんにちわ

ある事を追求していて、新しいスペース(真空、空間)を見つけると、引越しした時のような、ワクワク感と不安感があると思います。(^^)

投稿: スペースのクオリアby片上泰助(^^) | 2008/03/16 11:11:51

日を重ねるごとにぬくぬくしゆく春の空気。

その中に、明日への期待と、希望と、冷たい水のような不安さと、爛熟した空気の中で感じるような、ある種の安堵感。などなど…それらがない交ぜになったように入り混じっているように感じる。

そんなようなものを内に秘めながら、動きつづけている本物の知性の人。そういう人は知識うんぬんにこだわらず、自在の境地を生きていると思う。

ただ知識を本のように積み上げるだけでは、何の役にも立たない、知識を生かすには智恵が要る、と家人によく言われた。

子供の頃、家には百科事典があったし、興味と好奇心の赴くままに読み漁ったことを、昨日のように覚えている。

いま、その知識は、自分の何処かに積み上げられたまま、死蔵状態になっているものもあるかもしれない。

本当に頭がよくなるには、積み上げられた自分の中の知識を、外に引き出して、生かさなくては、いけないなぁ。

投稿: 銀鏡反応 | 2008/03/16 8:59:58

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