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2008/03/31

空っぽ

西表島の川でカヤックを漕ぎ、
マングローブの林を向けて
滝に向かってトレッキングする。

ガイドをしてくださるのは、高野さん。
北海道出身。
「南の島って、楽園という
イメージがあったんですよ。」

向かう山道の雰囲気が
すばらしかった。

アカギのこぶだらけの根
キノコの円環状の色のグラデーション
聞こえてくる鳥の声
すべてが意義深く、
生命の濃厚な気配の
うちに包む。

滝に着いた。
落差50メートル
の水のしぶきを飽かず
眺めているうちに、
次第に空っぽに
なっていった。

「今、ここ」で起こっている
ことが把握できない時に、
人はもっとも充実した生を
送っている。

カヤックを繰って
マングローブの林に至る
浅瀬に上陸する。

汽水域で生育する
彼らも、塩分は苦手で、
古い葉に濃縮して
落葉させる。

その黄色い葉を
巻き貝が食す。

色付いた葉の葉脈を
かじってみると、ほんのり
しょっぱかった。

人類の精神史は、「鏡」
の発達の歴史だと見ることも
できる。

生を受け、やがて死すこの存在。

「鏡」というものを獲得した
時に、私たちの自己イメージは
変わった。

私たちは自分自身を思い浮かべる時に、
ほとんど無意識のうちに自分の姿、
とりわけ「顔」を想起するが、
これも鏡あってのことである。

20世紀の人類に起こった
最大の出来事は、
宇宙空間から「地球」
の姿を垣間見たということ
だった。

ここに、人類の自己認識の歴史は
新しいステージを迎える。

時間はかかるが、私たちは
必ず変貌しなければならない。

「意識」を理解する試みも、
また、新しい「鏡」の発明へと
つながる。

その「鏡」が一体どのような
ものなのか。
「鏡」が存在する前の
自我にそれが予想できなかった
のと同じように、今の私たちには
ただ予感することしかできない。
([9])

沖縄に来ると、島らっきょうを
食べるのが楽しみ。

オリオンを飲みながら
島らっきょうを味わっていると、
もう本当にその他のものは
何も要らないと思う。

空っぽの中に、来るべき
ものが予感される。

3月 31, 2008 at 06:59 午前 |

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コメント

こんばんは

茂木さんのクオリア日記と出会って1年3ヶ月になります。
茂木さんが、お忙しい毎日の生活の中のとっても小さな出来事に感動したり、心をくばられているところに惹かれて、私もそうありたい!
今では、目覚めのクオリア日記に背中を押される毎日です。

いつもクオリアって何だろうと首をかしげる日々ですが、クオリアを思うとき、頭にひとつの出来事が浮かびます。それは息子が3・4才の夏のある日。なぜかいつもその場面が頭に浮かび、私はそのとき、自分の母としてのクオリアを感じてしまうのです。

そして今「鏡」と言われて、またあの時の場面が浮かんできました。クオリアのときはその時の一部始終なのに対して「鏡」は、母親となってこどもを愛おしく見つめる私をうつします。

虫と、虫好きの息子と、虫嫌いの私。が、かくとうの末
虫と、虫好きの息子と、虫好きの息子の母親。へ、変貌していった。

私が自分を母親として自己認識した瞬間。「今、ここ」だよ。と、私に教えてくれているようです。

投稿: シンシア | 2008/04/01 1:39:34

こんばんは。

東京は昨夜から今朝にかけ“花散らし”の雨がひっきりなく降り、昼過ぎには止んだものの、吹く風はトテモ冷たかった。

お写真を拝見させていただくと、西表の自然の力強くも、生き残りの智恵に溢れている姿が目に焼き付くようです。南の森の緑は、本当にそんな智恵と勢いに溢れていますね。

それにしても板根がごつくて力強い大木の姿といい、その足下に咲く可憐な花といい、流れる滝の勢いといい、マングローブの面白い姿といい、まるで本当に肉眼で太古の森を見ているようだ…!

私の手前にある硝子の「鏡」、私達の脳にある「鏡」。人間は最低2種類の鏡を持つようになってから、自分を「外側」から見る視点を得た。そして自分の依って立つ地上や自分の作り上げた諸々をも。

しかし、ひょっとしたら、意識の真下の「無意識」の領域にも「鏡」はあるのではないだろうか…。

それにしても、固いコンクリートと硝子の箱ばかりが並ぶ
“現代文明社会”の中でシコシコ生きてばかりいると、大いなる森達の存在をついぞ忘れてしまいそうになる…。

やはり、たまにはささやかながらも“自然のものたち”にふれて、心の中をオーヴァーホールしたほうがいいのかもしれない。仮令、森には行かれなくても。

西表島の森と生き物達が、何時までもこのままであってほしいと願いたい。

投稿: 銀鏡反応 | 2008/03/31 21:35:23

こんばんは。

雨もやみ東京は
昨日、今日とかなりさむい。
桜は少々ながもちしそうです。

仕事の帰り道、甘いもの食べたい衝動に負けて、S・Bにてラテと桜マカロン
(マカロンのほんのり塩味はおいしかった。塩分をふくむ落葉の味は、なぞです)。

鏡。
仕事の時は常に鏡とむきあう。
といっても、わたしを見ているのではなく、鏡の中の人物をずっと見る。
お話も鏡ごしに。
鏡をはさめば全く平気でも、面と向かい合いお話しをするのは、少々照れてしまう。


「鏡」のように気づかされ、わたしをその中へ見るときがある。

投稿: 美容師 | 2008/03/31 20:54:46

いつも拝見しています。ここ数日「欲望」の本を読ませてもらっております。
私どもも本当に知りたい、しかし問いの立て方さえわからないテーマに、果敢に取り組んで頂き有難いことです。脳研究と認識論?における先端研究に、茂木さんを通じて触れること、理解することができて、希望がわきます。残りの日々を、知り尽くすことに燃えたいと。

投稿: logo26 | 2008/03/31 18:06:38

ラカンは、自我の構造は「象徴的」なもの、「想像上」(鏡像段階)のもの、「現実」のものという3つのレベルを持つと言っていますが、フロイトの発達理論と対応させると、現人類はナルシシズム(想像上の身体的統一性)の時期に一致しているのではないかとの意見があります。
博士の記事を毎日読ませて頂いてきて、ドイツ観念論(カント)、現象学、フロイト、構造主義(ラカン)...と仕事の合間にでも、読み返されていらっしゃるのかなと思ってしまいました。
地球を映しだしたスクリーンもまた、鏡(イマージュ)なのでしょう。
鏡に<わたし>を機能させてきたことに、意識を映す鏡の存在は医療、研究の場にあり、より明晰に解明されていくことと思われました。
博士の予感とはどんなものなのですか?
フロイトの理論に大きな変革を迫るようなものなのでしょうか?

投稿: Nezuko S | 2008/03/31 16:12:36

あたらしい‘鏡’はどんなでしょう・・・
いずれにせよ、まずは、空っぽに・・・でしょうか(^^)

投稿: 晶☆ | 2008/03/31 14:07:14

こんにちわ

意識は世界を写す鏡ではないでしょうか?
また、記憶は、過去を鏡として残していると言えるのではないでしょうか?

ところで、滝の写真は、HPをスクロールさせると、実際に流れている感じがしますね。(^^)

投稿: 鏡のクオリアby片上泰助(^^) | 2008/03/31 13:23:47

西表島で、モギさんは変化しつつあるように思う。
きっと している。
ことばで表現するのが、もったいない、できない世界。
 もっと翔べ!モギ蝶!

投稿: 柏木 ララ | 2008/03/31 10:03:51

空っぽって…禅で言う無の境地にあたるのでしょうか、

茂木さんが滝を見つめていて、いつの間にか空っぽになっていたように、自然と一体化した時に無を得られることもあるのですよね。

私の親友が、IT系の仕事に行き詰まり鬱病になりかけた時、一番好きな美しい海に何度も足を運び空っぽになって、エネルギーが充電される至福の感覚を体験したそうです。
無念無想は、エネルギーが復活するのだとか!

禅の起源をたどると、無為自然を説いた老荘思想にいきつくので、
自然との一体化は、禅で言う、無の境地と似たようなところにあるのかもしれません。

私も好きな海に出かけて、思う存分、自然の揺りかごの中で寛ぎたいです。

渦巻き貝の螺旋に黄金分割を見るように、自然の中には言葉にできない揺らぐ完璧が有ります。
美しさの中に癒しがあるのだと思います。

銀鏡反応様、沖縄戦で亡くなった方々に想いを手向けてくださり、ありがとうございました。
感謝申しあげますm(__)m

投稿: ももすけ | 2008/03/31 9:04:31

おはようございます。
いいなあ西表島。北海道も好きだけど、温度、湿気、におい…全く違うものが、全身にからみついてくるんだろうな。
一瞬、一瞬、そのときにしか感じることのできないものを、体いっぱいで。
自然と一体であるような、独立した個体であると、強く認識させられるような。
それでは。体に気をつけてくださいね。

投稿: 鮎沢 | 2008/03/31 8:34:03

逆説的ではありますが、どん底の悲しみと怒りを知っているから、
本当の癒しを与えられる場所になれると思うのです。

いつか沖縄の人々が、悲しみを本当の意味で乗り越えたとき、そこに楽園ができるのだと。

世界を見渡すと、戦と関係のない地球になるには、まだまだ遠い時間を要すると思います。それは戦争だけではなく。
スピード社会、成果主義社会、競争社会、そうした世界で疲れた人々。

だからこそ、必要なんです。真の意味での地上の楽園が。

沖縄はその可能性を充分に秘めています。
私は古里を、本当の楽園にしたい。そう考えてます。

疲れた人々を真に癒す、地上天国にしたい。そう思っています。(続)

投稿: ももすけ | 2008/03/31 8:25:25

茂木さん、おはようございます♪

今日の茂木さんの日記に、私の脳内は、公案の嵐です(笑)!

分割コメント沢山になるかもしれませんが、お許しください。

実は、このところ、片耳の調子が悪くて…昨晩から、頭痛に加え、聴力が半分位落ちているんです。

これから病院に行きますが、原因はだいたい分かっているのです。

ガイドの方の『南の島は楽園だと思っていましたが…』
どういう意味でおっしゃったのかはわかりませんが、
私もここは楽園ではないと実感します(苦笑)

観光客の方にとっては楽園でいいと思うのです。ただ暮らすとなると違います。

東京とは違った想念が渦巻いてます、悲しみと怒りの念が。
東京から帰ってきて、それとどっぷり取り組んだ私は、
病んで帰ってきたのに、余計調子悪くなりました。

多分、片耳の聞こえが悪くなったのは、暫く空っぽになりなさいよ。
暫く休みなさいよ。

体が私にそう教えているんだと思います。(続)

投稿: ももすけ | 2008/03/31 8:07:29

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