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2008/03/01

電気化されるために

電通にて、「顔」についての
研究ミーティング。

ソニーコンピュータサイエンス研究所。

日本教育新聞のインタビュー。

朝日新聞の取材。

ソニーの有機ELテレビ
じっくりと実見する。

液晶と違って、自ら光を発する。
発光しない時は黒くなる。

そのコントラストが、思わぬ
効果を生むことがわかった。

たとえば立体感。
物体がくっきりと前後に配置
されているように認知される。

人物が、「今、ここ」で生きている
ように見える。

オードリー・ヘップバーンが、
私たちと同時代の人のように
そこに息づいていた。

「生命の躍動」(エラン・ヴィタール)
の気配が強まっている。

テレビモニターは、これからまだまだ
進化するのであろう。
今までは、私たちの方が情報を補って
画面の向こうの「ヴァーチャル」な世界へと
近づいていたが、
今度は向こうからこちらへと
近づいてくる。

東京工業大学の研究室のメンバー、
それに田谷文彦との研究ミーティング。

須藤珠水が賭け行動における
loss chasingにかかわる脳機構
に関する論文を紹介。

実験は、もし賭ければ、常に
それまでの損失をゼロに戻すことが
できるように設計されている。
つまり、負けた場合には損失は二倍と
なる。

負けが続けばどんどん「深い」
谷へと降りる。

「一発逆転で取り戻そう」という
脳活動が、いかに形成されるか。

田辺史子は、エピソード記憶の
encodingにおけるfeature(locationと色)
の統合においてintraparietal sulcusが
どのように関与しているかという
実験をレビューする。

特定の色(black)が異なる
responseを要求するという設定が、
色に対するattentional stateを
高める。

細かい経験則の蓄積が、実験を
支えている。

2004年のアメリカの民主党大会
でのバラック・オバマの演説。

http://www.youtube.com/watch?v=370IOtsIJkQ 

http://www.youtube.com/watch?v=aekautDZlRU&feature=related 

ジョン・ケリー候補の応援という
形式を取りながら、聴衆の反応は
あきらかにオバマに向かっている。

その時まさに、会場は「電気化された」
(electrified)のである。

電気化されることの喜びを
知っている人は幸いである。

そして、私たちは、日々電気化されなければ
ならぬ。

電気化されるために必要なことは、
本当に価値のある、そして難しいことを
志向し続けることである。

そして、希望を抱くことを忘れない
ことである。

バラック・オバマの自伝は
「向こう見ずの野心」(The audacity of hope)
というタイトル。

向こう見ずの人間だけが、ますます
繊細に機能化していく現代社会で
正しく「電気化」されることができる。

3月 1, 2008 at 09:38 午前 |

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コメント

コメントを送信するというのも、ある種の賭け行動のような気が。
どういう設計になっているのかは 誰にも分からないけど。
送っていいのかなあ、また後から訂正したくなるぐらいなら
送らないほうがいいなあ、どうしようかなあ・・・って。
karaoke独り言でした。

有機ELと聞くと、以前テレビで見た、有機ELの発光実験を思い出します。
研究者の方が、学校の教室で、子供たちのために実演している映像でした。
試験管の中に、2つの液体を合わせたとたん、目覚めたように、ぱっと発光する。
今までそこになかった、明るく輝く液体が現れている。子供たちが目を輝かせている。
そんなに前ではなかったと思うのに、
もう、テレビになっていたんですね。

その後、あるCDを聴いた時、淡々とした構成音の上に、別のコードと音色が
加わると、曲の景色が微妙に色づく、という場面があって、
有機ELのようだ と思ったりしました。

「電気化」の意味がよく分かりませんでした。
以前にも使われたことがおありだったでしょうか?

脳の中で、赤 は いつ 赤 になるのか
(クオリアはいつクオリアになるのか)、教えて下さい・・・。

少しずつ変化する「アハ!ムービー」、私は見つけるのが苦手ですが、
中でも、形に注目していると、色の変化には全く気付きませんでした。
蒼色が、目の前にあったはずなのに見えていなかった。
ということは、その時空に蒼色のクオリアは、その時点では、
脳のどこにも(つまり、世界のどこにも)、
存在していなかったのでしょう?


投稿: MiznoYuli(u-cat) | 2008/03/03 3:30:01

去年、件の有機ELテレビが銀座のソニービルで展示されていると聞いたので行って実物を観てみたが、非常に精細で、生き生きとした色とコントラストの表現が見事だった。

特に黒は本当に「漆黒!」といえるほど「黒く」、その黒と他の色彩の差がくっきりとしていた。

日進月歩のスピードが激しい映像モニターの表現能力は、益々人間のもつ視覚・色覚能力のレヴェルに近づきつつあることを肌身で感じた。

しかし近い将来、映像モニターの色表現能力が、現在以上に我々の視覚能力を大きく超えてしまったら…?

何か、一抹の不安を感じる。

さて、昨日あたりから、春が私達の前に顔を見せ始めたようです。

我が自宅のあるマンションの、裏庭に生える沈丁花の蕾もマゼンタの色が濃くなり始め、花開くのもそろそろ、というところまで来ました。

夕刻になっても、ひところよりは寒気がゆるんで、過ごしやすくはなりました。


心に「氷河期」をもたらす、もやもやとした閉塞感を打ち破るのは、何があってもめげない「向こう見ず」の勇気と、厳しい試練があればあるほどいや増す「希望」の光なのに違いない。

今の時代は厳しいけれど、大いなる勇気と希望をもて、生きていかねば、と春の出鼻に改めて思う。

投稿: 銀鏡反応 | 2008/03/02 11:53:27

私自身、向こうを見ずにはいられない性格のため、
「今、ここ」の大切さを逸してしまいがちです。

今、不安に押し潰されそう。不安でたまらない。
安全基地のひとつを失ったようで、ぐらぐらとしています。
精神的なゆとりの無さは思考自体を狭窄させてしまいます。
そしてその狭い暗闇の中で、何も考えられない自分を責めると
負のスパイラルに陥ってしまいます。
彷徨っています。

「偶有性が脳を鍛える」「偶有性を楽しむ覚悟を持つ」
茂木先生の言葉を信じ、
それを頼りに模索していけたらと思うのですが。

私が愚かなのは、
こんなときにこそ見るべきものを見ていないこと、
客観性を失ってしまうこと・・・。
不安を抱えているのはもちろん自分だけではない。
みんな傷つき、躓きながら歩いているのだから。
もうこの際、今の自分になんて固執している場合じゃない・・・。
修正、更新して変わり続けることが人生の本質ならば、
もう、迷わず思い切って一歩前へ。
無理やりにでも、そう自分に言い聞かせているところです。

言い聞かせるだけでは心許ないので、
素晴らしい言葉の数々に支えられたく、
今までの先生のご著書や過去の日記を再び振り返ってみます。


季節は3月を迎えましたね。
弥生。草木がいよいよ生い茂る月。
「木草弥や生ひ月(きくさいやおひづき)」が詰まって
「やよひ」となったらしいですね。
古の人はどんな希望を思い抱いていたのだろう。
東京では暖かく、春らしくなってきたようですね。
こちら日本海側、雪国ではまだまだ寒い日が続いています。
それでも田んぼのあぜ道なんかにはフキノトウが顔を見せています。
春の訪れとともににエラン・ヴィタールの気配が
すぐ傍まで近づいていることを信じて、
もう少しこの季節につき合ってみます。

「今、ここ」を踏みしめてみます。

投稿: s.kazumi | 2008/03/02 0:01:14

ー今までは、私たちの方が情報を補って画面の向こうの『ヴァーチャル』な世界へと近づいていたが、今度は向こうから近づいてくる。
特定の色(black)が異なるレスポンスを要求するという設定が、色に対するattentional stateを高める。
そして希望を抱く事を忘れないことである。ー

とのお言葉。

向こうから近づいてくるヴァーチャルなモノが、行き着く先は、いったい何処なんだろう?

…私は、希望を持って歩んでいった先にある、電気化であれば良いな…と思いました。

少し前に見たテレビで、薔薇を題材にした歌が流れていました。本物のバラを見て香りを吸うと云うクオリアも素敵ですが、あの歌を聞いた時に感じたクオリアもまた良いなと思いました。

投稿: 奏。 | 2008/03/01 18:51:07

こんにちわ

「無意識」から「意識」と考えたとき、励起、帯電、電気化が起こり、意識が生まれる、または、意識化されるのではないでしょうか?
また、創作意識と言うのも、一種の電気化ではないでしょうか?

フルスペックハイビジョンの有機ELディスプレーがほしい!!
でも買えない値段でしょうね。(^^)

投稿: 電気化のクオリアby片上泰助(^^) | 2008/03/01 12:02:10

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