衝動は桜の花びらのように
クオリアは一つひとつユニークな
感触を持っている。
視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚それぞれの
モダリティのクオリアは、ゆるやかに
変化する類似性を持ち、
他のモダリティのクオリアと
主観的には明白に区別される。
視野の中で二つの色のクオリアが
並列される時、
私たちは一つひとつのクオリアの
ユニークさとともに、
それらの間の相違(類似)にも
注意を向けることができる。
たとえ、その相違(類似)の
関係の感触に、言語的表現を
与えることができないとしても。
配列されたクオリアは、
鮮烈でユニークな感触として
主観の中で把握される。
私たちはそれに「モナリザ」
といったシンボリックな名称を与える
こともあるが、そのような記号は
意識の「今、ここ」で実際に
観じられている感触の総体に
決して届くことがない。
クオリアに目覚めることは、
私たちの生の一瞬一瞬を過剰に
おいて把握することである。
クオリアは、私たちを諦念させる
とともに、限りない感謝で満たすのだ。
([5])
NHK総合『プロフェッショナル 仕事の流儀』
のチーフ・プロデューサーの有吉伸人さんは、
時折、「ああ、言うなよ〜」と叫ぶことがある。
誰かが、思わず、サッカーの日本代表戦の
結果を口走ってしまいそうになった時である。
有吉さんは家に帰ってから録画しておいた
試合を見るのが楽しみで、
会話はもちろん、ニュース、新聞の見出し、
電光掲示板、あらゆる情報源からの
「試合結果」を頭に入れないで、
あたかもリアルタイムで経験しているかの
ように映像を見るのだ。
ワールドカップの第三次予選
「日本対バーレン」戦で、「有吉方式」
を試してみた。
現実には、もう結果が出てしまっている。
世界の人々は、すでに知っている。
自分は知らないままに、数時間遅れで
ビデオを見ると、確かに身体の
芯をとらえるシビれる緊張感があり、
たった一つの知識の有無が人間の
精神状態を一変させることを
実感するのだった。
有吉さん、ボクも試してみましたよ!
東京工業大学大岡山キャンパス。
正門のところで、本間一成さんと
会う。
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の脳スペシャルの取材で、私たちが
ゼミの議論をするところを撮影するのだ。
ちょうど、修士の卒業式。
桜並木は満開で、その中を背広や袴を
着た学生たちがちょっと誇らしげに
歩いていた。
晴れて修士となった野澤真一くん、
石川哲朗くんが修士号記を
見せてくれた。
野澤くん、石川くん、がんばったね。
三人で記念撮影。
新たに修士となった、石川哲朗くん(左)
と野澤真一くん(右)
二人は、博士課程に進学する。
野澤クンがメールをくれた。
_______
茂木さん
無事、修士課程を卒業することができました。
入学してから二年間、ありがとうございました。
SfN、修論発表会、池上研との合同ゼミ。
その3つが自分にとっての
ターニングポイントだったと思います。
どの一つも、乗り越えるのが本当に辛かったです。
特に、修士課程の仕上げとして
アレンジしてくださった、
池上研との合同ゼミで発表したことは
自分にとって大事な経験になりました。
それまで、自分がやっている研究が
あまりにもサイエンスの牙城に
対して歯が立たないので、
正直、このまま学問の世界にいても
楽しくないのではないか、
という気分になっていまいした。
でも、あの合同ゼミは、本当に楽しかった。
自分がまだまだサイエンスの世界で
未熟なのは認めつつも、
学問の世界というのは
思っていたよりもずっと自由で
楽しいものなんだ、
というのを知りました。
学問の世界で生きることがどういうことなのか、
これからの3年間で見極めたいと思います。
そして、その世界で自分の力を
思う存分振るってみたい。
無力感ばかり際立って感じられたいままでとは
違った時間がはじまるだろうと感じています。
これから3年間、
どうぞふたたびよろしくおねがいします。
野澤真一
_______
野澤くん、一緒にがんばろう!
修士をとったばかりでご苦労さま
だけれども、
石川くん、野澤くんが研究の構想に
ついて発表する。
石川くんは強化学習におけるdiscount factor
を未来にどうやって外挿するか
という話をした。
credit assignmentの問題は、actionとrewardの
関係が二体問題から多体問題になった
時に難易度を増す。
複数のactionとrewardのassociation
a1, a2, ....., aN -> R
をどう扱うか?
この領域では、discount factorを通した
通常のcredit assignmentでは扱う
ことができず、logic やinferenceが
必要となる。
認知的進化の必然性がそこにある。
野澤真一がThomas Aquinasを持ち出したのは
面白かった。
自発性の問題を、善や悪といった倫理の
問題と絡めて議論することは理論的に
面白い。囚人のディレンマのような
利害対立ゲームと結びつけ、さらに
アクションが行われるタイミング自体も
自明に与えない構造にした時に
どんな展開ができるか。
私たちのでこぼこ議論を見守ってくださっていた
本間一成さんに、「それではサヨウナラ!」
「またNHKで!」
と言って、ダッシュで大岡山を後にする。
白金高輪駅近くで、私の小学校時代からの
親友である井上智陽、廣済堂出版の
川崎優子さん、Biz Style編集長の駒井誠一さんと
打ち合わせをする。
いやはや、
おもしろいことになりそうだなあ。
イタリア大使館へ。
科学技術関係のミッションの来日に
合わせたビュッフェ形式のレセプション。
ソニーコンピュータサイエンス研究所所長の
所眞理雄さんの姿も。
三修社社長で、「ブレイン」という
会社をつくった
前田俊秀さんの話をうかがう。
とても面白かった。
前田さんと私には、ドイツ贔屓という
共通点がある。
前田さんはドイツの大学に留学した。
イタリア大使館の中で、おいしい
イタリアワインを飲み、イタリア料理を
味わいながら、ドイツの話で盛り上がる。
まさに、欧州は連合しているなあ。
欧州連合(EU)の一等参事官、
科学技術部長のDr. Philippe DE TAXIS DU POET
と話す。
フィリップから聞いた欧州連合の理念は、
私の心に忘れがたい感触を残した。
「第二次大戦が終わった時、ヨーロッパの
国々が連合できるなんて、誰が思ったか?」
「だからこそ、少数の人たちが、理想を抱いた。」
「経済的な格差は当然ある。しかし、域内で
富める国が貧しい国を助けることで、
富める国にも恩恵がある。それは、ウィン=ウィンの関係なのだ。」
「欧州連合の人は、どの国にも住むことができ、
どの国でも働くことができる。誰もが、貧しい
加盟国から富んだ加盟国への人口の大移動が
起こると思った。しかし、実際にはそんなことは
起こらなかった。皆、自分の国に住みたいし、
自分の国を良くしたいんだよ。」
フィリップは、アジアだって同じじゃ
ないかと言いたかったのだろう。
確かに、アジアには、理念の
天翔る勢いと強度が足りない。
現実主義者であることは大切だが、
それだけでは、奇跡の花を地上に
咲かせることはできない。
異なる価値観、文化、歴史の中で
培われたものと触れあうとき、
私たちの中で開かれて血が通うなにかがある。
だからこそ、居心地のよい場所から
離れて、遠くそのまた向こうまで、
旅をしていきたい。
衝動は桜の花びらのようにやさしかった。
3月 27, 2008 at 09:47 午前 | Permalink
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昨日、こちらでは雪が降りました。
辺りはすっかり、雪化粧です。
ひらひら舞い降りる雪に感化され、精神が浄化されたのか
朝、起きた瞬間から思い立ちこの日記を更新することにしました。
伝えたいことは、僕の手に余るほどある。
それに、全くの思い違いなのかもしれない。
でも、とりあえず書いてみます。
茂木健一郎氏の「脳と仮想」を3日前読み終えました。
全てはこの一キロ足らずの脳内で起きてるに過ぎない。
現実自体に触れることは、決して出来ない。とはっとした。
という記述には僕も同様の驚きをもちました。
そし... [続きを読む]
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コメント
桜から人にうつるや山の風 子規
投稿: Nezuko S | 2008/03/28 5:44:50
茂木先生、はじめまして。
春遠い北海道、桜が咲くのを待ち焦がれています。
さて、子供の頃に経験した事は、いつになっても忘れられません。自分は、その頃のキラキラわくわくした感じを、ずっと持っていたい。だから勉強する。
茂木先生は、故郷ってどういう存在なんだと思いますか?今と延長線上にあるもので、別個に考えるものでもないでしょうか?
無力な自分ですが、いつか先生にお会いできる日を楽しみにしています。
投稿: 鮎沢 | 2008/03/28 3:29:49
茂木さん★
一つ書き忘れました。
アジアは現実主義で、天翔ける理念がないと…
うぅーむ。私の単純な頭で考えると、アジアは一部を除いて、発展途上国が多いからなんでしょうか。
アジアではダントツ先進国でその裏表を知る日本が、お手本には適役?
ただ日本は茂木さんおっしゃってたようにフィロソフィー見失ってますから、
そこをなんとかしないと…
逆風ですが、だからこそ茂木さんのように気がついている方の存在は貴重です。
私も貧者の一灯、頑張ります★
間違ったこと言ってたらごめんなさいm(__)m
投稿: ももすけ | 2008/03/28 2:28:26
茂木さん、こんばんは★
そちらは桜が満開ということで…さぞや美しいのでしょうね♪
今日は何だか上手くいかない1日で、心を鎮めたくてお月見しています。
気を紛らわせようと、テレビやネットを見ても乱雑な情報が入ってくるばかりで、静寂は案外室内より外にある場合も。
EUって凄いですね★フィリップさんのお言葉わかるなあ~暮らしにくいと知っていても、この島を離れる気は私にもありませんもの。
帰ってきて幾度東京に戻ろうか。不動産屋のHPで物件まで調べたこともありました。
でも私は退路を絶ったので。やはり古里は一番です★
今宵の月は、ベールをまとっているようで綺麗です。
宇多田ヒカルさんのハートステーションという新曲がありますが、
あの歌詞は私にはリアルに感じられます。
ネットのお陰かな。
私は遠く離れた場所の友人達へ、気持ちを月に託すことがあります。この美しい月が、皆の心を癒しますように…私にはこれもリアルな世界です。
投稿: ももすけ | 2008/03/28 2:13:08
こんばんは!
毎日、お忙しい中でのクオリア日記の更新。ありがとうございます。
日記から生み出される詞ともいえる言葉たち。
とても素敵です!
私には今、戻りたい場所があります。そこへ行くのもやはり、ちょっとの勇気と意志と決断だと思います。
投稿: 奏。 | 2008/03/28 1:37:26
こんにちわ、二度目の投稿失礼します。
画像認識する上で、認識する単位を自動的にするのが難しい問題なのです、たとえば、「赤いはさみ」と「青いはさみ」があり、「はさみ」と単位とするのか、「赤のはさみ」、「青いはさみ」と、単位するのか、難しい所があります。さらに、メタ知識を入れるとデータ量が増えすぎる事があります。「東京都上野駅駅舎の北事務室にある入り口のドアから右に3、前に4番目の机の上にある赤いはさみ」など、単位を決める事を自動化するのが難しいのです。人間が言葉等で、単位を決めれば、処理も楽なのですが、自動化は難しいのです。(MPEG7が、まだ出来ていないのもこの問題だと思います。)
モナリザクオリアは、モザリザ言語単位ニューロン、モザリザ映像単位ニューロン、モザリザメタ知識単位ニューロンと、それらをまとめる(繋げる)モザリザ単位ニューロンがあるのではないでしょうか。
たとえば、顔は覚えているのに名前が出てこない時は、単位ニューロンがうまく働いていないと考えられるのではないでしょうか。
投稿: モナリザのクオリアby片上泰助(^^) | 2008/03/28 0:25:42
こんばんは。
石川さん、野澤さん、おめでとうございます。
野澤さんの「どの一つも、乗り越えるのが本当に辛かった。」
と素直に打ち明ける言葉にきゅうっとなりました。
辛いとき、誰かの「がんばりすぎなくていいよ。」の言葉を
「本気にならなくていいよ。」と取り違えたとき、
失うものは大きい。
「一緒にがんばろう。」は火が灯るように心強い。
乗り越えたときの「がんばったね。」は、
辛かったときの試行錯誤をこれからの栄養に変えてくれる。
どんなに辛くても、
難しさの中に楽しさを、苦しさの向こうに喜びを、
見ようとするクセさえつければ、たとえ不器用であっても、
進んでいくことはできるような気がします。
ひとつの節目を迎えて、またひとつ新たな文脈に身を置くとき、
なんだかしみじみとしたものを感じますね。
桜の花びらのせいもあるのかな。
(とかいって、こちらはまだ咲いていませんが。。。)
投稿: s.kazumi | 2008/03/27 23:41:42
こんばんは、茂木先生。
「衝動は桜の花びらのようにやさしかった」
涙が出そうになるくらい感動しました。
投稿: gumby | 2008/03/27 21:21:44
昨日のコメントですが、重複してお送りしてしまい、申し訳ありませんでした。
インターネットという匿名性のある世の中に住んでいる私自身、ふと考えたら、どこまでが本当の私なのだろうと思った。
けれど、携帯に向き合って書き込みを考えている私自身は、ホンモノだなと思った。現実にヒトと向き合っている私は、もっと不器用だからかもしれない。
でも、ネット上に広がっている世界で、どこかと繋がっている感じも捨てがたいな。と思う。
こんな事を考えるきっかけをくれたのは、今日の新聞を読んだからかもしれません。
なんだか、よく分からない書き込みとなってしまい、すみません。
投稿: 奏。 | 2008/03/27 20:29:43
近所の桜もいよいよ満開モードに…。陽気もポカポカと、ベタな表現ですが、まさに「春たけなわ」ですね!
花咲く春の優しい衝動は、私達の脳髄にそのまま優美なクオリアを生み出し、限り無く意識をのびのびさせてくれる。
それぞれの花の色、花びらのやわらかで瑞々しい感触、そして若々しい緑の息吹。躍動の気配を孕んだ空気…。まさに飛び跳ねる(spring)が如き様々なクオリアを生み出させる春。
そんな春の日々に、昨日から真・クオリア日記を拝見していると、博士のクオリアにかける思いの深さがひしひし、と伝わってくる。
クオリアは、まさに私達個々の一人一人がその生を生きている、ひとつの“証し”。私達は個々の主観のなかで、森羅万象から受ける感触を、様々な独特の質感として、揺れ動く思いと共に、日々、脳の中で感得しているのだ…と思う。
それはそうと、野澤さんと石川さん、修士号取得、まことにおめでとう御座います!
お二人が、真のサイエンスの自在な世界を生きる、素晴らしい博士になられることを願って止みません。
とにもかくにも、この時期は、新しい旅立ちの時でもあり、飛躍の時でもあり、ついでに言うならお花見には格好の時でもあるわけで、いろいろな意味で濃い時節なのだなぁ…。
その濃厚な気配の中で、自分としても、身近な、異なる他者という存在と、如何に向き合って、何処まで心を通い合わせていけるか…そういうことを頭の隅っこで、考えてばかりいる。
投稿: 銀鏡反応 | 2008/03/27 19:28:56
茂木さん,こんにちは。
ユニークなクオリア(感触)を教えてくださって,ありがとうございます
まだ一部ピンとこないところもあります。もう少しでわかりそうな感じ。
『クオリアに目覚めることは、私たちの生の一瞬一瞬を過剰において把握することである。クオリアは、私たちを諦念させるとともに、限りない感謝で満たすのだ。』
そうなんですよ!!
過剰なんですね。
世界(現実)はフラットなのだから。通り過ぎてしまう瞬間を,現実において感じたことを,定着させたい思いが強いんです。そんなことをするくらいしかあたしの真実なんてないんじゃないかな。書くという行為がいちばん定着します。
現実なんて,すぐひっくり返るから!笑
それに振り回されることもあるからおもしろいんですけど。生きることと過剰に把握すること。あたしはイコールです。
投稿: 柴田愛 | 2008/03/27 15:27:42
{異なる価値観、文化、歴史の中で培われたものと触れあうとき、私たちの中で開かれて血が通うなにかがある。
だからこそ、居心地のよい場所から離れて、遠くそのまた向こうまで、旅をしていきたい}
年齢に関係なく使える”青春18切符”の旅の空の下で読んだ、今日の真・クオリア日記は、温かいものとして舞い降り、知らないからこそ "そこ"に向かうことを呼び醒ましてくれました。
投稿: Mach・R | 2008/03/27 13:26:34
こんにちわ
石川さん、野澤さん、修士課程卒業おめでとうございます!!
石川さんの研究は、コンピュータに好奇心の要素を持たせるのに役に立ちそう。
野澤さんの研究は、コンピュータに、善悪を判断させるのに役立ちそう。
サッカーTV観戦ですが、デジタル放送はアナログ放送より、数秒遅い、デジタル放送を見ている人とアナログ放送を見ている人とでは、知っている内容が、数秒違う、なんだか不思議である。(^^)
投稿: スポーツ観戦のクオリアby片上泰助(^^) | 2008/03/27 12:35:27