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2008/03/31

空っぽ

西表島の川でカヤックを漕ぎ、
マングローブの林を向けて
滝に向かってトレッキングする。

ガイドをしてくださるのは、高野さん。
北海道出身。
「南の島って、楽園という
イメージがあったんですよ。」

向かう山道の雰囲気が
すばらしかった。

アカギのこぶだらけの根
キノコの円環状の色のグラデーション
聞こえてくる鳥の声
すべてが意義深く、
生命の濃厚な気配の
うちに包む。

滝に着いた。
落差50メートル
の水のしぶきを飽かず
眺めているうちに、
次第に空っぽに
なっていった。

「今、ここ」で起こっている
ことが把握できない時に、
人はもっとも充実した生を
送っている。

カヤックを繰って
マングローブの林に至る
浅瀬に上陸する。

汽水域で生育する
彼らも、塩分は苦手で、
古い葉に濃縮して
落葉させる。

その黄色い葉を
巻き貝が食す。

色付いた葉の葉脈を
かじってみると、ほんのり
しょっぱかった。

人類の精神史は、「鏡」
の発達の歴史だと見ることも
できる。

生を受け、やがて死すこの存在。

「鏡」というものを獲得した
時に、私たちの自己イメージは
変わった。

私たちは自分自身を思い浮かべる時に、
ほとんど無意識のうちに自分の姿、
とりわけ「顔」を想起するが、
これも鏡あってのことである。

20世紀の人類に起こった
最大の出来事は、
宇宙空間から「地球」
の姿を垣間見たということ
だった。

ここに、人類の自己認識の歴史は
新しいステージを迎える。

時間はかかるが、私たちは
必ず変貌しなければならない。

「意識」を理解する試みも、
また、新しい「鏡」の発明へと
つながる。

その「鏡」が一体どのような
ものなのか。
「鏡」が存在する前の
自我にそれが予想できなかった
のと同じように、今の私たちには
ただ予感することしかできない。
([9])

沖縄に来ると、島らっきょうを
食べるのが楽しみ。

オリオンを飲みながら
島らっきょうを味わっていると、
もう本当にその他のものは
何も要らないと思う。

空っぽの中に、来るべき
ものが予感される。

3月 31, 2008 at 06:59 午前 | | コメント (12) | トラックバック (5)

2008/03/30

上手に思い出すこと

「和樂」の取材で西表島に来た。

緑が濃い。さまざまな
生きものの気配がする。

案内してくださるのは、山下秀之さん。


夜、山下さんの案内で
山中に入り、八重山ホタルが
舞うのを見た。

日暮れの後、30分程度だけ
飛ぶ。

チラチラと暗がりを点滅する
光に包まれて、地上に星空
が降りてきたように感じた。

「今、ここ」をとどめておく
ことはできない。
時は流れ、消え去る。

かろうじてかすかな手がかりが
あるとすれば、それは記憶である。

だからこそ、上手に思い出すことが
大切なのだ。

意識の中でクオリアが
感じられるメカニズムには、
波動関数の収縮が関与している
かもしれない。

古典的な図式において、
収縮を起こすのは「観測」
である。

脳は、自分自身を「観測」
するのだ。

より技術的な記述の下では、
観測とはつまりミクロな
パラメータにマクロなパラメータが
関与する形式のことである。

脳は、「クオリア」がメタ認知の
メカニズムを通して「私」
に感じられるように、
上手に自己観測するのだ。
([8])

亜熱帯以南で板根が発達するのは、
有機物の分解が早く、
できるだけ地表近くに
根を張りめぐらせて
吸収しようという
植物の戦略と関連している。

圧倒的な速さで流れていく
「今、ここ」の現象学的
豊饒を留めておこうとする時、
精神がふしぎなかたちの
うちに構造化される。


山下秀之さん


板根

3月 30, 2008 at 07:29 午前 | | コメント (9) | トラックバック (5)

2008/03/29

「真水」の部分

歩いていたら、
今年初めてのモンシロチョウを見た。

二日前には、今年初めて、
ビオトープの水面を
アメンボウが跳ねていた。

寒い冬、サナギとして、あるいは
枯れ葉の下の越冬個体として、
耐え抜いたのである。

これから生命が爆発する。
奇跡による通り抜け、
オメデトウ、君たち。

国立博物館で、「ダーウィン展」
を見て、読売新聞の取材を受ける。

NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の本間一成さんのクルーも
来る。

本間さんが時折私に張り付いている
のは、「脳スペシャル」の取材のため。

ゲストが一ヶ月以上、毎日張り付かれる
時の感覚を部分的に体験する。


「ダーウィン展」にて。撮影 滝沢富美夫

上野公園は桜が満開で、そのうるわしい
空気の中をゆったりと歩いた。

「このあたりを、ボクは大学院生の
頃走っていたのです。」

東京芸術大学。

大浦食堂で、
ビジネス社の岩崎英彦さんと
打ち合わせ。

美術解剖学教室にて、
布施英利さんの研究室の学生と、
私の研究室のメンバーで
合同のworkshopを行う。

布施さんは、残念ながら
スケジュールが合わずいらっしゃら
なかった。

脳と芸術 第一回ワークショップ

2008年3月28日

東京芸術大学 美術解剖学教室

13:00 ~ 18:00

茂木 「意識的体験の起源について」

斉藤 「描くことの起源に関する生物学的考察」

関根 「身体の時間と空間についての探究」

古川 「枯山水庭園に関する遠近法の論考」

田谷 「注意というもの」

粟田 「マルセル・デュシャンの創造過程」

恩蔵 「不確実性と一回性」

植田 「ピカソの芸術」

半分ホーム、半分アウェー。

汽水域でいきいきとした精神運動が
立ち上がる。

実質的に新しい文化を創る
「真水」の部分を重視したいと
思う。

そのためには、魂から、
パッケージの部分をはがさなければ
ならない。

芯と芯の部分がぶつかりあって、
弾み、融合する。

根津の車屋で、懇談。

ブルータスの鈴木芳雄さんも
いらした。


時間は、因果性の形式そのものである。
固有時は因果性を満たすかたちで
構築される。
しかし、それは、とりあえずは
ローカルな相互作用によって、
局所的なものとして構築される。

局所的な時間と、大局的な時間の
間の関係がどのようなものになるか。
その帰趨こそが、
意識が生み出される一つの
重要な契機となる。

あるシステム内で固有時が共有
されていることと、
意識の枠組みとしての
「私」という現象が生じることは、
同義となる。

こうして、志向的プロセスと
感覚的プロセスの間のマッチングが
必然化されるのだ。
([7])

3月 29, 2008 at 03:52 午前 | | コメント (7) | トラックバック (5)

2008/03/28

奇跡の脳ミステリー

奇跡の脳ミステリー

テレビ東京系 
2008年3月28日(金)
20:54〜22:48

茂木健一郎、布施博、麻木久仁子、矢口真里

http://tv.yahoo.co.jp/bin/search?id=110329730&area=tokyo 

http://www.tv-tokyo.co.jp/kiseki_mystery/index.html 

3月 28, 2008 at 09:12 午前 | | コメント (4) | トラックバック (2)

たとえ思いがあっても

たとえ思いがあっても

プロフェッショナル日記

2008年3月28日

http://kenmogi.cocolog-nifty.com/professional/ 

3月 28, 2008 at 09:07 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

世界の大三角形

椎名誠さんと会った直後だけは、
腕立て伏せと腹筋をする
(椎名さんは、それぞれ200回ずつやる。
夜寝る前にやる)と発作的に
思って実行する人生を送ってきた。

2月上旬に偶然お目にかかって以来、
今回だけはなぜか続いている。
時々走ってもいる。

なぜか、気分は中学校の部活の
ようになっているんだなあ。

「空気イス」こそしないけれども。

近くの公園のビオトープに、
二日前の朝、はじめてアメンボの
姿を見た。

近くの枯れ葉の下で越冬して
いたのであろう。

モンシロチョウが飛んでいるのを
今年初めてみた。

お前は偉いなあ、
とぼくは声をかけたくなった。

サナギのまま、どこかの片隅で、
冬の寒さに耐えていたのである。

こうして羽化し、オレンジ色の分子が
増えてきた空気の中をはばたく
ことができるのは、一つの奇跡である。

その気になってみれば、
この世は至るところ奇跡に満ちている。
ものが安定してずっと同じままに
存在できるという当たり前の事実で
さえも。

モンシロチョウが春飛ぶのを
子どもの頃から何回も見てきたが、
そのかけがえのない奇跡を
胸に深く刻み込んだ。

意識の「今、ここ」には
明白な時間の非対称性はない。

記憶のシステムにおいては、
「過去」と「未来」についての
明らかな時間の非対称性がある。
なぜ、私たちは「過去」のみを
覚えていて、「未来」を覚えていないの
か。
熱力学の第二法則と結びつけて
きちんと議論した明確なロジックは
存在しない。

物理学においては、統計的法則である
熱力学の第二法則に加えて、
量子力学における波動関数の収縮
という明らかな時間の非対称性がある。

ミクロな時間の非対称性、
マクロな時間の非対称性、
そして意識はどのように結びついて
いるのか。

意識は、ミクロであり、しかも
マクロでもある現象である。
意識、熱力学の第二法則、
波動関数の収縮。
この「世界の大三角形」をいかに
解くか。
([6])

昨日走っている時に思いついて、
ばかだなあ、と思ったが、
地面に手をついて腕立てふせをした。

通行人が見たら、どう思うだろう。

大地そのものに自分の身体を
ぶつける。

手のひらが土だらけになって、
ぼくははははははと笑った。


パタパタと払いながら、走り続ける。

土がつく。幸せな洗礼。

3月 28, 2008 at 09:06 午前 | | コメント (10) | トラックバック (1)

2008/03/27

衝動は桜の花びらのように

クオリアは一つひとつユニークな
感触を持っている。
視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚それぞれの
モダリティのクオリアは、ゆるやかに
変化する類似性を持ち、
他のモダリティのクオリアと
主観的には明白に区別される。

視野の中で二つの色のクオリアが
並列される時、
私たちは一つひとつのクオリアの
ユニークさとともに、
それらの間の相違(類似)にも
注意を向けることができる。

たとえ、その相違(類似)の
関係の感触に、言語的表現を
与えることができないとしても。

配列されたクオリアは、
鮮烈でユニークな感触として
主観の中で把握される。

私たちはそれに「モナリザ」
といったシンボリックな名称を与える
こともあるが、そのような記号は
意識の「今、ここ」で実際に
観じられている感触の総体に
決して届くことがない。

クオリアに目覚めることは、
私たちの生の一瞬一瞬を過剰に
おいて把握することである。

クオリアは、私たちを諦念させる
とともに、限りない感謝で満たすのだ。
([5])

NHK総合『プロフェッショナル 仕事の流儀』
のチーフ・プロデューサーの有吉伸人さんは、
時折、「ああ、言うなよ〜」と叫ぶことがある。

誰かが、思わず、サッカーの日本代表戦の
結果を口走ってしまいそうになった時である。

有吉さんは家に帰ってから録画しておいた
試合を見るのが楽しみで、
会話はもちろん、ニュース、新聞の見出し、
電光掲示板、あらゆる情報源からの
「試合結果」を頭に入れないで、
あたかもリアルタイムで経験しているかの
ように映像を見るのだ。

ワールドカップの第三次予選
「日本対バーレン」戦で、「有吉方式」
を試してみた。

現実には、もう結果が出てしまっている。
世界の人々は、すでに知っている。

自分は知らないままに、数時間遅れで
ビデオを見ると、確かに身体の
芯をとらえるシビれる緊張感があり、
たった一つの知識の有無が人間の
精神状態を一変させることを
実感するのだった。
有吉さん、ボクも試してみましたよ!

東京工業大学大岡山キャンパス。

正門のところで、本間一成さんと
会う。

『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の脳スペシャルの取材で、私たちが
ゼミの議論をするところを撮影するのだ。

ちょうど、修士の卒業式。
桜並木は満開で、その中を背広や袴を
着た学生たちがちょっと誇らしげに
歩いていた。

晴れて修士となった野澤真一くん、
石川哲朗くんが修士号記を
見せてくれた。

野澤くん、石川くん、がんばったね。
三人で記念撮影。

新たに修士となった、石川哲朗くん(左)
と野澤真一くん(右)

二人は、博士課程に進学する。

野澤クンがメールをくれた。

_______

茂木さん

無事、修士課程を卒業することができました。
入学してから二年間、ありがとうございました。

SfN、修論発表会、池上研との合同ゼミ。
その3つが自分にとっての
ターニングポイントだったと思います。
どの一つも、乗り越えるのが本当に辛かったです。

特に、修士課程の仕上げとして
アレンジしてくださった、
池上研との合同ゼミで発表したことは
自分にとって大事な経験になりました。

それまで、自分がやっている研究が
あまりにもサイエンスの牙城に
対して歯が立たないので、
正直、このまま学問の世界にいても
楽しくないのではないか、
という気分になっていまいした。

でも、あの合同ゼミは、本当に楽しかった。
自分がまだまだサイエンスの世界で
未熟なのは認めつつも、
学問の世界というのは
思っていたよりもずっと自由で
楽しいものなんだ、
というのを知りました。

学問の世界で生きることがどういうことなのか、
これからの3年間で見極めたいと思います。
そして、その世界で自分の力を
思う存分振るってみたい。
無力感ばかり際立って感じられたいままでとは
違った時間がはじまるだろうと感じています。
これから3年間、
どうぞふたたびよろしくおねがいします。

野澤真一
_______

野澤くん、一緒にがんばろう!

修士をとったばかりでご苦労さま
だけれども、
石川くん、野澤くんが研究の構想に
ついて発表する。

石川くんは強化学習におけるdiscount factor
を未来にどうやって外挿するか
という話をした。

credit assignmentの問題は、actionとrewardの
関係が二体問題から多体問題になった
時に難易度を増す。

複数のactionとrewardのassociation
a1, a2, ....., aN -> R
をどう扱うか?

この領域では、discount factorを通した
通常のcredit assignmentでは扱う
ことができず、logic やinferenceが
必要となる。
認知的進化の必然性がそこにある。

野澤真一がThomas Aquinasを持ち出したのは
面白かった。

自発性の問題を、善や悪といった倫理の
問題と絡めて議論することは理論的に
面白い。囚人のディレンマのような
利害対立ゲームと結びつけ、さらに
アクションが行われるタイミング自体も
自明に与えない構造にした時に
どんな展開ができるか。

私たちのでこぼこ議論を見守ってくださっていた
本間一成さんに、「それではサヨウナラ!」
「またNHKで!」
と言って、ダッシュで大岡山を後にする。

白金高輪駅近くで、私の小学校時代からの
親友である井上智陽、廣済堂出版の
川崎優子さん、Biz Style編集長の駒井誠一さんと
打ち合わせをする。

いやはや、
おもしろいことになりそうだなあ。

イタリア大使館へ。
科学技術関係のミッションの来日に
合わせたビュッフェ形式のレセプション。

ソニーコンピュータサイエンス研究所所長の
所眞理雄さんの姿も。

三修社社長で、「ブレイン」という
会社をつくった
前田俊秀さんの話をうかがう。
とても面白かった。

前田さんと私には、ドイツ贔屓という
共通点がある。
前田さんはドイツの大学に留学した。

イタリア大使館の中で、おいしい
イタリアワインを飲み、イタリア料理を
味わいながら、ドイツの話で盛り上がる。

まさに、欧州は連合しているなあ。

欧州連合(EU)の一等参事官、
科学技術部長のDr. Philippe DE TAXIS DU POET
と話す。

フィリップから聞いた欧州連合の理念は、
私の心に忘れがたい感触を残した。

「第二次大戦が終わった時、ヨーロッパの
国々が連合できるなんて、誰が思ったか?」

「だからこそ、少数の人たちが、理想を抱いた。」

「経済的な格差は当然ある。しかし、域内で
富める国が貧しい国を助けることで、
富める国にも恩恵がある。それは、ウィン=ウィンの関係なのだ。」

「欧州連合の人は、どの国にも住むことができ、
どの国でも働くことができる。誰もが、貧しい
加盟国から富んだ加盟国への人口の大移動が
起こると思った。しかし、実際にはそんなことは
起こらなかった。皆、自分の国に住みたいし、
自分の国を良くしたいんだよ。」

フィリップは、アジアだって同じじゃ
ないかと言いたかったのだろう。

確かに、アジアには、理念の
天翔る勢いと強度が足りない。
現実主義者であることは大切だが、
それだけでは、奇跡の花を地上に
咲かせることはできない。

異なる価値観、文化、歴史の中で
培われたものと触れあうとき、
私たちの中で開かれて血が通うなにかがある。

だからこそ、居心地のよい場所から
離れて、遠くそのまた向こうまで、
旅をしていきたい。

衝動は桜の花びらのようにやさしかった。

3月 27, 2008 at 09:47 午前 | | コメント (13) | トラックバック (6)

2008/03/26

脳を活かす勉強法 16刷

茂木健一郎
『脳を活かす勉強法』 
PHP研究所
は、重版(16刷、累計40万部)
が決まりました。

ご愛読に感謝いたします。

PHP研究所の木南勇二さんから
のメールです。

茂木健一郎先生

いつもお世話になります。
おかげさまで16刷20000部が増刷となりまして
累計40万部となりました。
誠にありがとうございます!


PHP 木南拝

http://www.php.co.jp/bookstore/detail.php?isbn=978-4-569-69679-9

amazon

3月 26, 2008 at 10:04 午前 | | コメント (4) | トラックバック (2)

真・クオリア日記

「プロフェッショナル 仕事の流儀」
の打ち合わせ。
東京消防庁のハイパーレスキュー隊の
隊長宮本和敏さんの回。

担当ディレクターは、赤上亮さん。

打ち合わせの時は、VTRに橋本さとし
さんのナレーションはまだ入っていないので、
ディレクターが朗読する。

オープニングで、スガシカオさんが
作詞・作曲したProgressの前奏が
なり始めるところ。

スタジオでは、私と住吉美紀さんが
「茂木健一郎です」
「住吉美紀です」
と名乗って、イントロダクションのコメントを
話す。

打ち合わせで、ちょうど前奏が終わる時間
(34秒)でディレクターがコメントを
喋り終わるかどうかが、いつも一つの
「サスペンス」となる。

赤上さん、残念ながら宮本さんの
紹介コメントを言い終えることが
できなかった。

「あっ、間に合わない!」
と赤上さん。

「自分で言っているし!」
と住吉美紀さん(すみきち)

「赤上さんはゆっくりしているから」
と的確な指摘をする山口佐知子さん。

「打ち合わせ」という生きものが
歩み始めた。


デスクの山本隆之さん(タカさん)と
赤上亮さん。


VTRを見る住吉美紀さんと、コメントを読む
赤上亮さん。


住吉美紀さんの腕時計。

プロフェッショナル班の机に、
荒川格さんが座っているのを見て、
「あっ、荒川さんだ!」と思わず声を
上げてしまった。

久しぶりに荒川さんの元気な姿を見て、
本当にうれしかった。

春が来たような気がする。

ソニーコンピュータサイエンス研究所。

柳川透、田谷文彦といろいろと議論する。

所眞理雄さん、北野宏明さんとお話する。

六本木ヒルズへ。
ソニー銀行主催のセミナーで、
お話をさせていただき、また石井茂
社長と対談する。

司会は、大桃美代子さん。

石井さんにお目にかかると、
お金のことを真剣に考えようという
気持ちになる。

大桃さんのブログに、写真と感想が
掲載されてます。

http://yaplog.jp/o-momo/archive/846 

移動しながら仕事を続ける。

「中央公論」に連載中の
「新・森の生活」の原稿を送る。

井之上達矢さんから、さっそく感想の
メールをいただいた。

_______

茂木健一郎様


大変お世話になっております。
原稿確かに拝受いたしました。
ありがとうございました!

確かに現代における
「政治」は
「騙しや暴力は常套手段の機能的に
もっとも洗練された喧嘩」
もしくは
「その調整」
として
多くの人に諦念をもって受け入れられています。

もちろん
その「政治」の世界では
相対的に優れた「頭の回転」を必要とされます。

しかし、
そこに「本当の意味での知性」を紡ぎ出すほど、
真に「頭の回転」が優れた人はあまりいません。
彼らはどうしても、
「今の政治に必要な『頭の回転』などは、
『本当の意味での知性』からは遠く離れたものである。
くだらない。だから私は他のことを考えたい」
となりがちです。

そして
その空席に、
「ただの喧嘩上手(喧嘩好き)」
あるいは
「(自分の)利に聡い人」が
入り込むことになっている・・・・・・。

「政治」の持つ、
実際の生活に及ぼす影響力を考えると、
あまり喜ばしいとは言えない状況ですね。

今回の原稿で、
茂木さんは、
「政治」と「本当の知性」が結びつくことの大切さを、
「論理」と「クオリアを感じさせる表現」
を結びつけて描き出しました。

「論理」で押し切るのでもなく、
「感触」に頼るのでもなく、
両方を使われました。
(そして双方ともおざなりにしていません)

そうすることではじめて、
「喧嘩上手(喧嘩好き)」な人にも、
「政治嫌い」な人にも、
「新たな政治の可能性」について考えてもらえるのでしょう。

まさに茂木さんならではの素晴らしい仕事だと思いました!

また、
茂木さんの
「政治嫌いだった」高校時代から、
「政治に背を向けられない」と感じる今に至るまでの、
精神運動を、
一つの良質な「ビルドゥングスロマン」として
楽しませていただきました。

読みながら、
若き茂木さんの感じた「春のそよかぜ」が、
自分の胸の中を
通り過ぎたように感じました。

物語としての力も
持ち合わせた贅沢な評論だったと思います。

ご執筆、
本当に
ありがとうございました!!

中央公論新社
雑誌編集局「中央公論」編集部

井之上 達矢

_______

「サンデー毎日」に連載中の
「文明の星時間」の原稿を送った。

大場葉子さんから、さっそくメールを
いただいた。

_______

とことん突き詰めることによる昇華が、
「生命の秘密」への道筋となること。
生き物として生まれたからには
生理的直感を道連れにし、
その「知」をめざさなくては
生まれた甲斐がない。
そうした冒険が「生」への誠実な姿勢であり、
そのような発露はメモのような
形態での生成であっても、
受け手を替えながら幾度となく
生き返る「生の力」をもつのだ。
そのようなことがぐるぐると頭を駆け巡り、
いまは星時間にすっかり浸っています。

「両者の弁証法的な会合が歴史の歯車になる」。
このことばがたまらなく好きになりました。

大場葉子より  

_______

井之上さんからは、その前に
もう一通メールをいただいた。

______

「真・クオリア日記」では、
より細やかなレベルで
茂木さんの精神運動のヒダに
触れることができそうですね。
とても楽しみです!

_______

英語で書いている意識についての
論考のさわりの要約を、
日本語で日記に記すことで
井之上達矢さんの言われるところの
「真・クオリア日記」となる。

意識の現象学的解剖をすると、
少なくとも、(1)「私」の主観的枠組み
(2)志向的クオリア(3)感覚的クオリア
の3つのカテゴリーに分かれる。

このうち、「志向的クオリア」と
「感覚的クオリア」の間の差異は、
人間の意識表象に関する限り
「0」「1」の明瞭なもののように
思われるが、そもそも意識を生み出す
「第一原理」に立ち返れば、
本来は連続的に変化していくものかも
しれない。

通常の意味でのneural correlates
of consciousness
を考えると、(2)と(3)については、
co-variationでそれを明らかにすることが
できるが、(1)についてはそれはできない。

(1)の候補は、普通に考えれば
「前頭前野」を中心とした神経活動の
ネットワークであるが、神経細胞を
含むさまざまな構造が埋め込まれる
「時間」や「空間」といったmediumさえもが
その候補であり得る。
([4])

3月 26, 2008 at 10:03 午前 | | コメント (6) | トラックバック (6)

2008/03/25

常に精神のどこかが筋肉痛であるような

明治記念会館で、矢内理絵子女流名人の
就位式があり、うかがう。

お祝いの言葉を慎んで述べさせて
いただく。

これで、名人戦三連覇。
成し遂げたことの満足に内側から輝く。
矢内さんの笑顔は素敵だった。

矢内さん、おめでとうございます!
そして、これからもがんばって
ください!

http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20080325-OHT1T00030.htm 

六本木ミッドタウンのフジフィルム・
ギャラリーにて、椎名誠さんの
写真展
「ニッポンありゃまあお祭り紀行」を見る。

何しろまあ、沖縄の泥だらけの人「パーントゥ」
の祭りの写真がとてもいい。
頭から一つちょこんと出ている草が
素敵だなあ、といつまでも見ていた。

カラットから出版されている椎名誠さんの
「ニッポンありゃまあお祭り紀行」 を会場で購入する。

「パーントゥ」の写真は、椎名さんの
エッセイと合わせて眺めると味わいが
増す。

椎名誠さんの友人、知人がお面に
思い思いのペインティングをしたものが
会場に飾られている。

私も寄せさせていただいた。

会場に来た人は、その「証拠」に
壁面にサインをしていたので、
私もサインをした。



椎名誠さんの展覧会に寄せたお面のペインティング


椎名さんの展覧会は、明日26日まで。
みなさん、ぜひいらしてください!

麹町の日本テレビにて、
『世界名作劇場』の収録。

所ジョージ、西尾由佳理、今田耕司、
上地雄輔、関根勤、西川史子、ウド鈴木、
小倉優子、勝俣州和、千原ジュニア、
千原せいじ、チュートリアル、
南海キャンディーズ、羽野晶紀、
Bコース、森三中のみなさん。

世界の名作文学について、
プレゼンターの方々が
熱く語る。

羽野晶紀さんの『二十四の瞳』
のプレゼンテーションでは、
何ものかが降臨して、スタジオの雰囲気が
変わった。

日企の竹下美佐さん、宇佐見友教さんと
お話しする。
竹下さんは、なんだか春のようなぽかぽか
した雰囲気だった。

意識の中枢には「メタ認知」がある。
あるシステムにおいて、その一部分が、
自分の「内部」であるにもかかわらず
あたかも「外部」であるかのように
感じられること。

このような「位相的両義性」を
どのように実現するかが、
本質的な課題となる。

心理的時間における「同時性」
もまた、このような位相的両義性の
中で成立する。

各トラジェクトリに固有時がまとわり
つくのではなく、「私」という枠組みに
普遍的なものとして固有時が
成立すること。

そのような「公共性」が実現される
枠組みとして、「私」という位相的
両義性の下でのメタ認知はある。


街を歩きながら
高尾山で松岡修造さんが
言われていた「普段使っていない
ところを使うと、筋肉痛になる」
ことについて考える

いつもどこかが筋肉痛だという
ことは、つまりは新しいことを
やっているということ。
あるいは、今までのレンジを
超えようとしている
ということ。

もしそうであるならば、
常に精神のどこかが筋肉痛で
あるような。そんな人生。

3月 25, 2008 at 08:09 午前 | | コメント (12) | トラックバック (3)

2008/03/24

『文明の星時間』 リンカーンの法則

サンデー毎日

2008年4月6日号

茂木健一郎 
歴史エッセイ
『文明の星時間』

第7回 リンカーンの法則

http://www.mainichi.co.jp/syuppan/sunday/ 

3月 24, 2008 at 09:06 午前 | | コメント (1) | トラックバック (1)

旦さんかっこいい

朝早く高尾山へ。

車が行けるのは発着駅までで、
それから先は
ケーブルカーやリフトで行かなければ
ならない。

ケーブルカーの始発を待つ
ということを初めて経験した。

修験道の人が使う滝があり、
その流れを佇んで見つめる。

始発が動いた。
乗っている人たちは、どうやら
ほとんどが働いているようで、
薬王院へ向かう道が時ならぬ
「ラッシュ」となった。

薬王院の宿坊の前に、
森島留美子さんがいた。

「修造学園」の収録。
今回は、環境問題をテーマにする
ということで、
私は三日目の朝に子どもたちに
自然を守る上で
大切な「気づき」の話をすることに
なっていた。

中央公論の「マシンガン口撃男」
こと岡田健吾くんと家をシェアしている
文化工房番組制作部の辻成人さん
が、流れをいろいろとご説明くださる。

松岡修造さんがいらした。
いつもの素敵な笑顔である。

「松岡さん、僕は、珍しく、過去一ヶ月
くらい、腕立てとか腹筋が続いている
んですよ。」

「そうなんですか」

「それで、いつもどこかが筋肉痛になって
いないと満足できないような、そんな感じが
出てきたんですけれども、そういうことは
ありますか?」

「あります。特に普段使っていない
筋肉を使うと、そうなりますよね。
ぼくも、山登りをすると、ふとももが
筋肉痛になって、ああ、きたきた!
と思いますよ。」

「でも、ぼくは、せいぜい5分くらいしか
身体を動かしていないんですよねえ。
松岡さんはどれくらいやるんですか?」

「ぼくは、1時間くらいですかねえ。
ビリーズ・ブートキャンプをやって
いますよ。」

「えっ、そうなんですか。」

「でも、何をやるのかだいたいわかって
いるので、ビリーズ・ブートキャンプ
のビデオと一緒に、録画しておいた
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
も見るんです。」

「うわあ、ありがとうございます!」

「それで、どうしてなんですかね、身体を
痛めつけている時って、なぜか
情報がすっと入ってくるんですよね。
身体の動きがピークになっている
瞬間に、例の黒くて「ポーン」
となるやつが来たりして、そうすると、
とてもいい感じになるんです。」

山を下りてきた後で、
辻成人さんからメールをいただいた。

_____

茂木様

 お世話になります。お忙しい中、
高尾山山頂まで朝早くから
足を運んでいただきありがとうございました。
あのあと、子供たちがゴミを拾いながら、
高尾山の急坂を登る時に、修造さんが、
「つらいことを乗り越えると楽しいことが
待っているぞ!茂木先生の顔を思い出せ!」と
おっしゃっていました。

毎度貴重な話を頂き、本当にありがとう
ございます。

放送日は5月5日10:30〜11:25 
テレビ朝日 修造学園5
です。よろしくお願いします。

辻成人

______

『脳内現象』(NHKブックス)が、「第25回日本文芸大賞」
を受賞したということで、
授賞式及び祝賀パーティーが
行われる京王プラザホテルへ。

一緒に『脳内現象』を作って下さった
NHK出版の大場旦さん、大場旦さんの
パートナーで
『すべては音楽から生まれる』のライティング
をしてくださり、「サンデー毎日」の
『文明の星時間』の編集、
「トゥープゥートゥーのすむエリー星」
の編集と、大変なお世話になっている
大場葉子さん、
公私ともに様々にご一緒している電通の
佐々木厚さん、取材案件について行き届いた
配慮をくださり、仕事を超えた友情を感じる
ソニー広報の滝沢富美夫さん、中谷由里子さん、
「たけちゃんマンセブン」の
愛称で知られ、『「脳」整理法』や
『意識とはなにか』、そして『思考の補助線』
を一緒に作って下さった筑摩書房の増田
健史さんがいらして下さった。


日本文芸大賞は、職業
作家に限らず、広く文芸作品全般
から選出されるもので、
故小松茂朗氏が創設された
「日本文芸振興会」によって運営
されている。

現在の会長は小松栄子氏。

素敵な式、及びパーティーでした。
関係者の皆様、本当にありがとう
ございました。

パーティーで、大場旦と
「ぐわー」っとした。

それから、大場旦、増田健史と
「ぐわー」っとした。


大場旦と「ぐわー」


増田健史、大場旦と「ぐわー」


二次会で、6人でゆったりと語り合った。
大場葉子が、となりのオオバタンが
ニヒルに佇んでいるのを見て、
「旦さんかっこいい!」
と言った。

ぼくも思った。

「オオバタン、かっこいい!」

かっこいいオオバタンと、すてきな
オオバヨーコが薄がりへと溶け込んで
いく夕べに。


暗闇にたたずむ大場旦氏。


大場旦氏と大場葉子氏。

ぼくは大場旦に言った。

「今朝から新しいことを二つ始めました。」

「それはなんですか?」

「一つは、二、三日すればきっと
わかります。もう一つは、少し時間が
経てばわかります。」

「すぐにわかる新しいこととは何ですか?」

「いえ、クオリア日記を、本当にクオリア
日記にしようと思うのです。」

「なるほど。」

オオバタンは、煙草をくゆらせて
虚空を見つめた。

意識を生み出す最終的な原理は、
かならず事象間の相互関係に求められなければ
ならない(「マッハの原理」)。

現時点では、神経細胞の活動が相互関係を
考える際のrelevantなscaleであると
考えられる。しかし、本来は素粒子まで
ずどーんと底が抜けている。
クオークでとどまるかさえもわからない。

何らかの第一原理で、特定のスケールが
relevanceを持つことが与えられなければ
ならない。
しかし、それは、デジタルコンピュータでも
本来同じことなのだ。

私たちは、情報表現の基盤自体を反省しなければ
ならない。

3月 24, 2008 at 09:03 午前 | | コメント (9) | トラックバック (5)

2008/03/23

タイガー・ジェット・シンの生命哲学

ヨミウリ・ウィークリー
2008年4月6日号

(2008年3月24日発売)

茂木健一郎  脳から始まる 第98回

タイガー・ジェット・シンの生命哲学

抜粋

 島村君が、真剣な顔になったのはその後である。
 「いいか、茂木。他の選手は演技かもしれないけれども、タイガー・ジェット・シンだけは本気だからな。あの人は、本当にあぶないから、来た時に目を合わせたらダメだぞ。目が合って、実際に襲撃されて怪我をしたファンもいるんだぞ!」
 「タイガー・ジェット・シンだけは本気だからな。」島村君のひと言で、私はわくわくと興奮して、居ても立ってもいられなくなった。

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

3月 23, 2008 at 07:01 午前 | | コメント (1) | トラックバック (1)

塀の上を歩く人は忙しい

クオリアの問題が将来
どのように解かれるか、
ということは、あらかじめ
予想することはできない。

それは、E=mc2的な、
思いも掛けないサプライズ
とともに、私たちが現在
想像していない「もの」と「もの」
を結びつけるのだろう。

あるいは、あらたに「もの」
が定義されるのであろう。

あるいは、「定義」のされ方
が変わるのだろう。

川上未映子さんと対談。
川上さんの人生の軌跡と、
樋口一葉の「たけくらべ」の間の
内的相関などをめぐって。

講談社のGRAZIAに掲載される予定。

養老孟司さんと、朝日カルチャーセンターにて
対談。

小柴昌俊さんが、養老さんと私の
対談の前の時間に会場にいらして、
そのまま、前半だけ聞いてくださった。

小柴さんが出られる前に、
ひと言、コメントをいただく。

養老さんは、「塀の上を歩いてきた」
と言う。
「塀の上」を歩く人は忙しい。
あっちを見たり、こっちを感じたり。
それで、バランスを取る。

「塀の内側」
あるいは「塀の外側」
にいる人に比べて、「塀の上」にいる
人の精神生活ははるかに忙しい。

ソニー広報の滝沢富美夫さんの
案内で、
「インディペンデント」誌の
取材を終えた川上未映子さんが、
会場にいらっしゃる。

ちょうど良い折を見て
川上さんに発言していただいた。

養老さんが「元気じゃない人を見ると、
何とかしてやろうと思んだけれども、
そうすると巻き込まれることが多い。
茂木クンのように元気で動き回っている
人は、その点安心だ。ひやひやしながら
見てればいいから」と言われて、
対談が終わる。

「兆一」にて打ち上げ。
井上智陽がやってくる。

クオリアは、典型的な「多様性を生み出す
普遍的な法則」の事例である。
かくも様々な感覚質が、
「私」という統合された並列性の
中に感じられる、そのような奇跡が
一瞬一瞬まさに生起しているのだ。


GRAZIAの対談の折、川上未映子さんと。
(撮影者の滝沢富美夫さんのコメント:
「窓からの十分な自然光をほぼ45度から使い、
カメラのソフトポートレイトモードで撮影しました。」)

3月 23, 2008 at 05:58 午前 | | コメント (13) | トラックバック (8)

2008/03/22

自然にぐわーっと

東京大学広域科学科の
池上高志は私の「まぶだち」である。

「茂木、おまえな〜」
「池上、てめえ〜」
と言い合う「まぶだち」である。

 あれは、一ヶ月ほど前のこと
だったか。
 4月から博士課程一年に
進学する野澤真一の顔を見ていて、
私は「こいつをどうしよう」
と思った。

 野澤は今、自発性
(spontaneity)に大変深い関心を
抱いている。だが、こいつが本当の感触
を掴むためには、何かが欠けている。

 そんな風に感じた。

 その時、池上高志の顔が浮かんだ。

 「おお、そうだ。池上と
噛み合わさせよう。池上に
鍛えてもらえば、ぼろぼろに
なって、野澤くんは再生するだろう。
新しい人間に生まれ変わるだろう。
そんな野澤くんが見てみたい。」

僕は、池上高志にメールをした。
「自発性についての、オレと
お前の研究室のjoint workshopを
やろう。」

Spontaneous One (「自発性その一」)
というタイトルには、「自発的なものたち」
という意味も込められている。


Spontaneous One

Joint Workshop on the cognitive process of spontaneity.

21st March 2008
University of Tokyo Komaba campus. 15-409

13:00-13:30
Consciousness and Spontaneity Mogi

13:30-14:00
The essence of Spontaneity Nozawa

14:00-14:30
Microslip Ogai

14:30-15:00
Spontaneous neural activities Yanagawa

15:00-15:15
Short Discussion

15:15-15:30 Break

15:30-16:00
Dichotomy of tools and objects Sato

16:00-16:30
Emotion and spontaneity Onzo

16:30-17:00
Spontaneity of fish group Nishimura

17:00-17:30
Autonomy and Homeodynamics Ikegami

17:30-18:00
Long discussion

18:00 Trip to BYG bar, Shibuya


東京大学駒場キャンパス15号館
409号室でワークショップは
始まった。

自発性について、
池上研と茂木研の
人たちが話す。

野澤真一はと言えば、
りっぱに自分の話をしていた。

そして、何よりも良かったことに、
野澤には、すばらしい友人が
見つかったような気がする。

「同じ世代のやつらの中に、
オレにとっての池上高志、
田森佳秀、郡司ペギオ幸夫、
塩谷賢みたいな、全面的に
共感できるやつを探せ!」

常々そう言って来た。
しかしながら、自分の感性
(フィーリング)にぴったりと
合うような友人を見つけることは
そんなに簡単なことじゃない。

佐藤勇起が野澤にはぴったりだ!
研究会の後の談話の様子を見ていて
突然そうひらめいた。

「野澤、お前、佐藤ぴったりだろう」
「友だちになりました。」
「そうだ、そのようにして、大いに
切磋琢磨するのだゾ!」

『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の「バックギャモン担当」、
本間一成さんが、ワークショップの
様子を見に来ていた。

「茂木さん、ちょっと聞いて
いいですか」
と本間さん。

「なんで、皆、あんなに難しい
言葉を使って話しているんですか?」

「いや、やさしい話を難しく話そうと
しているのではありません。
問題について考えていて、そのエッセンスを
簡潔に表現しようとすると、
自然とあのような言葉遣いになるのです。
いわば、呼吸をするようなものなのです。」

ワークショップの後、渋谷のBYGに
歩いた。

『プロフェッショナル 仕事の流儀』
に出演いただいた長沼毅さんがいらっしゃる。

池上と三人でぐわーっとした。

わざとぐわーっとするのでは
ありません。
心に従っていると、自然に
ぐわーっとなるのです。

元気になることを考えていると、
いつでもどこでもぐわーっとなる。

ぐわーっ。


池上高志、長沼毅さんと。
(渋谷B.Y.G.にて。
photo by Atsushi Sasaki)


3月 22, 2008 at 09:26 午前 | | コメント (11) | トラックバック (3)

2008/03/21

独学者 中村勇吾さん

独学者 中村勇吾さん

プロフェッショナル日記

2008年3月21日

http://kenmogi.cocolog-nifty.com/professional/ 

3月 21, 2008 at 09:57 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

自然の季節とは関係なく

ホテル・ニューオータニにて、
読売新聞の配達をしながら
学校に通う「読売奨学会」
の学生さんたちの卒業式で
お話をさせていただいた。

ヨミウリ・ウィークリーに
連載しているご縁で、編集部の
二居隆司さんにお誘いいただいた。

朝刊と夕刊を配達する。
あるいは、朝刊を配達し、集金業務を行う。

学業と両立させながらの日々は、
さぞ大変だったことと思う。

心を込めてお話しさせていただいた。

二居隆司さんからメールをいただく。

******

お世話になっております。
本日は本当にありがとうございました!

心に響くお話でした。私がお話を
うかがっていて、いちばん感心しのたのは、
茂木さんが若者たちと同じ目線でお話されて
いる点でした。あのような場では、えてして
大上段から構えた、タテマエの話に終始する
ことが多いのですが、若者たちを真っ正面から
受け止めようという、茂木さんの真摯なお姿には、
本音の部分で感動いたしました。
タイガー・ジェット・シンばりの、
フルアクセルでしたね。

それと感動したことがもう一つ。

茂木さんのデイバッグ、重かったです。
毎日これを背負って、全国を駆けめぐって
いらっしゃるとは。虚弱体質の私は、
背負った瞬間、頭の芯がくらくらしました。

毎日これを背負う覚悟。茂木さんが常に
前向きに、元気に世間とかかわり合って
いける、その秘密の一端を見た思いでした。

これからも末永くよろしくお願い申し上げます。
取り急ぎお礼までに。

*****


講演が終わり、
二居さんは笑顔で、ヨミウリ・ウィークリー
編集部へと向かっていった。

二居さん、こちらこそありがとう
ございました!

NHKへ。
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の収録。
ウェブデザイナーの中村勇吾さん。

インターネットの話をたくさん
できて、とても幸せな気分になった。
今回の番組の担当だった
生田聖子さん(生田ガンコさん)が
一仕事を終えて解き放たれて
いる様子を見て、「ああ、良かったなあ」
と思った。

心を込めて仕事をすること。
そして、解き放たれること。
そう考えれば、自然の季節とは
関係なく春は来ることが
できる。

3月 21, 2008 at 08:55 午前 | | コメント (7) | トラックバック (4)

アントニオ・ネグリ氏について

『帝国』などの著書で
知られるアントニオ・ネグリ氏
の来日が中止となったと報じられた。

詳しい経緯、及びアントニオ・ネグリ氏
からのメッセージは、
国際文化会館のホームページで
読むことができる。

http://www.i-house.or.jp/jp/ProgramActivities/ushiba/index.htm 

ネグリ氏の著作が引き起こした論争の質、
招請にあたって、国際文化会館、
東京芸術大学、東京大学などの関係者が
費やした努力の量と質を知っているだけに、
外務省からの連絡に端を発した今回の事態は、
きわめて遺憾である。

ネグリ氏によると、この5年間に
訪れたどの国も、今回外務省が要求
したような書類を要求したことはない
という。

しかるべき担当者、ないしは政治的な
判断を行う権限を持つ高官が、
国際的な「カモン・センス」に照らして、
適切な措置を行い、ネグリ氏ができる
だけ早く来日できるよう対処
してくださることを
自分は「文明国」に住んでいると
信じている一人の人間として強く期待する。


アントニオ・ネグリ氏の
来日が実現した時には、
会場にいる者全員のスタンディング・
オベーションで迎えてあげたい。

3月 21, 2008 at 08:52 午前 | | コメント (6) | トラックバック (0)

2008/03/20

涙の理由

NHKの
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
ディレクター本間一成さんと、
脳のお話をする。

本間さんは、量子テレポテーション研究の
古澤明さんや、コンピュータのインターフェイス
を研究している石井裕さん、辺境微生物学の
長沼毅さんと、番組に科学者が登場した
回を担当してきた。

だから、「入り込んだ」人だとは
思っていたが、ここまで「入り込んだ」
人とは知らなかった。

待ち合わせ場所に近づくと、本間
さんがさっと何かをしまう。

「あれ、本間さん、今しまったのは
何ですか!」

バックギャモンの本だった。

501 Essential Backgammon Problems 
by
Bill Robertie


「今、はまっているんですよ」
と本間さん。

私はバックギャモンはやったことが
ないから何も知らないが、
写真にサイコロがあるのが目に留まった。

「あれ、サイコロがある! ということは、
確率的に決まる要素もあるということ
ですか?」

「そうなんですよ。ただ、各局面に
おいてどんな手を打つとどれくらいの
確率で自分に有利になるかという
計算があって、その確率計算に
従って最善手を打つんですよ!」

バックギャモンにおける偶然と必然。

その成り立ちを語る本間さんの
目はらんらんと輝き、
どこか、本の著者でバックギャモンの
世界選手権で二回優勝している
ビル・ロバーティーに
似ている。

その、狂気の気配が似ている。

本間さんはバックギャモンの
人だった。

バックギャモンについて熱く語る本間一成さん
(photos by Ken Mogi)

重松清さんとの対談。

宝島社の田畑博文さんに企画書を
送っていただき、重松さんと
飯田橋のキャナル・カフェで
お目にかかったのが2006年の
3月。あの時から、
宝島社の西山千香子さんもいらして
いろいろとご手配くださった。

あしかけ二年で、対談が
完結を迎える。

対談のテーマは、『涙の理由』。

田畑さんの企画書を読んで
驚嘆して、「この仕事だけはやろう」
と思ったのだった。

重松さんと二人で、ずっと
「涙の理由」を探ってきた。

涙には単純なものもあるが、
もっとも価値があるのは
その人の人生の記憶、感性、
周囲との関係性、
志向性、思い、後悔、
希望、驚き、反復・・・などの
パズルの要素が「カチッ」
とはまった時に流される涙。

物理学者のリチャード・ファインマン
は、妻のアイリーンを亡くした時に
涙が出なかった。

しかし、それからしばらくして、
街中を歩いていて店のショウウィンドウの
中にきれいな服が飾られているのを
見て、「ああ、アイリーンだったら
こんな服を着たがるだろうな」
と思った瞬間に、もうこの世には
アイリーンがいないのだと気づいて、
号泣したと、自伝『ご冗談でしょう
ファインマンさん』にある。

すぐれた映画や小説もまた、
私たちを泣かせるが、
自分自身の人生のさまざまな
要素がそろって凝縮した時に
流れる涙は、天からの贈り物であって、
一つの奇跡である。

それは、一生に一回訪れるか
どうかもわからない不意打ち。

私はこのところずっと
「インターネット」への対抗軸を
探していた。

インターネットはすばらしいものであり、
これからもヘビーユーザーで
あり続けると思う。
一方で、それだけでは危うい、
なにかが失われると感じていた。
その対抗軸が、単に「身体に還れ」
とか、「自然に親しめ」では
いけない、とも思っていた。

counterpointはそんなに
簡単には見つからないと
思っていたが、重松さんと
向き合っている中で感触を得た。

さまざまなものが
はまることによって初めて流される、
「私の人生だけの涙」。

そのような涙をいつか流す
ことのできる人生を志向し続ける
ことが、流通性とグローバルな
ネットワークによって私たちの
生活を便利なものにすると同時に、
「今、ここ」のかけがえのなさを
下手をすれば侵食する可能性のある
インターネットの作用に対する
美しい解毒剤になると思う。

いやあ、すべてが終わりました。

重松清さん、田畑博文さん、
西山千香子さんと記念撮影。

『涙の理由』が完結した。

対談『涙の理由』は、宝島社から
9月頃発行の予定。


「戦友」たちの記念撮影。
茂木健一郎、重松清、田畑博文、西山千香子

ソニーコンピュータサイエンス研究所へ。

田谷文彦くん、
柳川透くんや、箆伊智充くん、
高川華瑠奈さん、田辺史子さんと
議論。

所長の所眞理雄さんと、研究上の
さまざまについてお話しする。

「涙の理由」がわかった夜は
天からの慈雨が降る。

世界のすべては、何かの奇跡のように
温かかった。

3月 20, 2008 at 08:13 午前 | | コメント (15) | トラックバック (6)

2008/03/19

ガンコという名の生き方がある

ガンコという名の生き方がある

プロフェッショナル日記

2008年3月19日

http://kenmogi.cocolog-nifty.com/professional/ 

3月 19, 2008 at 09:17 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

『すべては音楽から生まれる』11刷

PHP新書

茂木健一郎 『すべては音楽から生まれる』

は増刷(11刷、累計77000部)
が決定しました。

ご愛読に感謝いたします!

PHP研究所の丹所千佳さんからの
メールです。

茂木健一郎先生

こんばんは。
いつもお世話になっております。


さて、増刷のお知らせです。
おかげさまで『すべては音楽から生まれる』
の 11刷が決定し、
累計77000部となりました。 ありがとうございます。

「題名のない音楽会」はすばらしかったですね。
先日、件の「夢と魔法の王国」へ行き、
小さいころより魔法にかかりにくくなっている
自分に気づいてしまい複雑だったのですが、
杖の一振りでたちまちに響き出すあの調べは、
まぎれもなく魔法でした。見事にかかりました。

一本の笛からはじまり、ひとつまたひとつと
波紋のように広がってゆく笛の音に、
震えたのはわたしだけではないはずです。

冒頭、楽器のチューニングにはじまり、
鳴り止まない拍手のそのあともなお。
耳をすまし息をつめて、聴き逃すべきでないのは、
気配と余韻をこそ、なのかもしれませんね。

颯爽と春の鬣をなびかせて
天翔ける馬になりたいと思いつつ。

PHP新書 丹所千佳

amazon 

3月 19, 2008 at 09:12 午前 | | コメント (4) | トラックバック (1)

うんともすんとも

 お台場。
 フジテレビ「Pabo talk」の収録。
里田まいさん、スザンヌさん、
木下優樹菜さんに脳の話をする。

 収録前、ソニーコンピュータサイエンス研究所の
綾塚祐二さんが作成した
 白黒の隠し絵をプロデューサーの
神原孝さんが一生懸命見ていた。
 
 それでも、わからない。
 神原さんは、携帯でその写真をとって
去っていった。

 朝倉千代子さんと打ち合わせをして
戻ってくると、
 神原さんが「わかったあ!」
と叫んでいた。

 綾塚さんの隠し絵は大変
質が高く、「わからない」状態と
「わかった」状態の差異が大きい。
また、「わかった」状態になると、
「確信度」が高い。

 「いやあ、すっきりした」
と神原さん。

 諦めずに考え続けることで
喜びを得ることができる。

 Paboの三人とのトークは
とても真剣で、面白いものだった。

 里田さんのアスリート性。
 スザンヌさんの温かさ。
 木下さんの愛のある自己懐疑。

 放送は4月1日の予定。

 「プロフェッショナル 仕事の
流儀」の打ち合わせ。
 挿入曲を作曲されている
村井秀清さんがいらっしゃる。

 有吉伸人さん、本間一成さんと、
脳の話をする。

 銀座の東武ホテルでスミセイ・ベスト・ブックスの取材を受ける。

 『思考の補助線』を取り上げてくださった。
 筑摩書房の増田健史が同席。

 電通の佐々木厚さんがいらして、増田健史
とのツーショットが実現した。


佐々木厚(左)、増田健史(右)

 リクルートのG8ギャラリーにて、
箭内道彦さんの展覧会を見る。

 箭内さんと対談。

 創造性の「ドキドキ」「わくわく」
の背後にあるものについて。
 
 本当に楽しかった!


箭内道彦さんと、G8ギャラリーで。
Photo by Tomio Takizawa


 閉塞感が言われる現代だが、
本当に大切な問題は、難しいままに
残っている。

 いわば、魚が小さな器の中で
泳いでいるようなもので、
 器自体をとっぱらわないと
本当の意味での景色の変化はない。

 達磨さんは面壁九年だったが、
壁というものはしつこく辛抱強く
向き合わないと、うんともすんとも
言ってくれない。

 壁に向き合う時間は、
やがて来る啓示への期待感に満ちている。

3月 19, 2008 at 08:33 午前 | | コメント (10) | トラックバック (3)

2008/03/18

プロフェッショナル アンコール 寺門嘉之

プロフェッショナル アンコール

冷静に、心を燃やす
~海上保安官・寺門嘉之~

寺門さんの、逃げ場のない状況で
自分の身体一つに託すその強靱
な生き方は、忘れることができない。

海難救助の厳しい現場での
寺門さんのお仕事ぶりを
再び見ることができると
思うと、本当にうれしい。

NHK総合
2008年3月8日(火) 22:00〜22:45

http://www.nhk.or.jp/professional/

すみきち&スタッフブログ

3月 18, 2008 at 08:55 午前 | | コメント (4) | トラックバック (0)

箭内道彦 茂木健一郎 

クリエイティブサロン

箭内道彦 茂木健一郎

2008年3月18日(火)

19:10〜20:40

リクルート 
クリエーションギャラリーG8

http://rcc.recruit.co.jp/g8/exhibition/g8_ex_current/g8_ex_current.html 

3月 18, 2008 at 08:54 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

死と縄文 島田雅彦 茂木健一郎

集英社 すばる 2008年4月号

クオリア再構築vol.4
死と縄文 島田雅彦 茂木健一郎

目次 

3月 18, 2008 at 08:49 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

実軸と虚軸

荒俣宏さんと対談する。

何回かお目にかかっていたけれども、
実際にゆっくりとお話するのは
初めてだった。

荒俣さんは、子どもの頃、
幻想的なものへの関心に
自覚的になり、それが世間に
おいてあまり良い目で見られない
ことにも気づいたが、
「まあ、いいか」
と開き直ることをかなり早い
時期に覚ったのだという。

ぼくは思った。

現実と仮想の関係は、
いわば、実数論における
real numberとimaginary numberの
関係に相当する。

量子力学などの多くの計算において、
実軸と虚軸の両方がそろって
いなければ完備にはならない
ように、
精神運動においても
実軸と虚軸の両方が必要
なのではないか。

実軸だけに限定してしまうと、
遂行することのできない
計算がある。

一度虚軸に「潜って」、
それから実軸に「戻って」
くる。
その往還運動において
初めて可能になることがあるのだ。

荒俣さんの大変粘り強い、
うねるような精神運動の
感触を確かに受け取った。

1986年と言えば、
今から21年前。

その年に毎日小学生新聞に
連載された
『トゥープゥートゥーのすむエリー星』
がこのほど毎日新聞から出版される
ことになった。

イラストを描いてくれたのは、
小学校時代からの親友井上智陽。

編集を担当してくださる
大場葉子さんから、
「井上智陽が当時のイラストの
写真を送ってきた」
とメールがきた。

井上智陽のブログに、
連載の一部が掲載されている。

井上も言っていたが、
まさに「青春」であって、
眺めると
さまざまに甦る。

http://white.ap.teacup.com/applet/chii/20080115/archive 

3月 18, 2008 at 07:56 午前 | | コメント (12) | トラックバック (4)

2008/03/17

The annunciation

The annunciation

The Qualia Journal

17th March 2008

http://qualiajournal.blogspot.com/ 

3月 17, 2008 at 09:13 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

『文明の星時間』 アインシュタインの孤独

サンデー毎日

2008年3月30日号

茂木健一郎 
歴史エッセイ
『文明の星時間』

第6回 アインシュタインの孤独

http://www.mainichi.co.jp/syuppan/sunday/ 

3月 17, 2008 at 07:29 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

山本モナ 茂木健一郎 対談

山本モナ 茂木健一郎 対談

朝日新聞社 AERA
2008年3月24日号

3月 17, 2008 at 07:25 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

「受胎告知」

六甲の山並を見つめ、
春の息吹を感じながら
知性というものが胎動である
ということを考えていた。

ああ、そうかと思った。
新しいアイデアの端緒が
脳の中に生まれた瞬間のことを
記述するメタファー。


想念の端緒は、つまりは
「受胎告知」である。


The Annunciation by Leonardo da Vinci

その瞬間、天使ガブリエルがひざまずき、
新しい想念という生命が脳内で
動き始めたことを伝えるのだ。

1994年の2月、電車に乗っていて
「クオリア」の問題に気づいた時、
私の中で一つの想念が生まれた。

それは有機体としてうごめき、
今でも育ち続けている。

我が生涯の最大の出来事。

あの時、電車の連結部分で、
天使ガブリエルは私の前にひざまづいて
いたのだろうか。

英語では、受胎することも考えを
思いつくこともどちらも"conceive"という。

想念が次々とつながり、広がっていく。

東京へ。

黛まどかさんとの
対談。

黛まどかさんの大ファンである
電通の佐々木厚さんもかけつける。

黛まどかさんは、最近、メールマガジンでの
配信時にも大きな反響を詠んだ
「生きるための力」を
与えてくれる古今の名句のアンソロジー
『あなたへの一句』を出版されている。

「俳句」を読むことができる
環境についての、黛さんのお話が
面白かった。

 生活のある場所でなければならない。
 人工的な設いの庭園などは、
案外俳句を詠むことができない。

 俳句は、一つのway of lifeであり、
俳句を詠むことができるような生活を
続けている限り、「日本人は大丈夫」
とまどかさん。

 自分のやっていることに
命を懸けられない人は
許せないとまどかさんは言った。

 まどかさんとの対談は、
角川書店から6月頃に出版される予定。

(photos by Atsushi Sasaki)

 チベットで起こっていることに
重大な関心がある。
 
『プロセス・アイ』 
にも書いたように、この問題についての
私のスタンスははっきりしている。

http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2005/12/post_d8d3.html 

新幹線の中で、Japan Timesの記事を
読みながら、全ての人間にとっての
普遍的価値について考えた。

多様性の背後にある普遍を志向して
活き活きと生きる時にこそ、
人は「受胎告知」に出会う
ことができる。

 富士山がくっきりと見えた。
 その姿は大きく、神々しく、
どこか怖ろしさを秘めているようでもあり、
 目を離すことができなかった。

3月 17, 2008 at 07:21 午前 | | コメント (7) | トラックバック (6)

2008/03/16

梅の木

静岡県島田市に住む私の友人
河村隆夫さんが、「梅の木オーナー」
を募集しています。

河村さんの家は、古くから続く
「御林守」で、その住居は
島田市の文化財に指定されています。

私も一度訪れましたが、谷合の
ほんとうに素晴らしい場所です。

時代の流れとともに、昔ながらの
建物を維持するのもなかなか大変と
聞いています。

私自身も、梅の木オーナーに
申し込みました。

興味があるかたは、河村さんの
ブログをご覧ください。

梅の木オーナー 

梅の木オーナー詳細 



河村隆夫さんと、上野公園で。

3月 16, 2008 at 08:14 午前 | | コメント (4) | トラックバック (5)

私は「グルメ」ではない。

ヨミウリ・ウィークリー
2008年3月30日号

(2008年3月17日発売)

茂木健一郎  脳から始まる 第98回

私は「グルメ」ではない。
抜粋

 そもそも、不味いもの、飛び抜けて美味でもないものでも、それなりにありがたいという感覚がある。文明を発達させた人間は、大きな顔をして美食だ何だと言っている。しかし、野生生物にとっては、「次の食べ物はどこから来るか」ということがそもそもの大問題である。十分な食料を得られず、死んでしまうものも多い。歴史をふり返れば、人間だって同じ。これからだって、どうなるかわかったもんじゃない。
 私にとって、「美食」とは、本音において「あることにこしたことはないが、無ければなんとか我慢する」程度の存在らしい。むしろ、「与えられたものを、できるだけ美味しく頂く」という態度の方が、私には自然に思えるようである。だから、美食に身が入らない。頑張ろうとは思うが、本物のグルメには負けてしまう。勢い、食に関する蘊蓄は友人たちに譲るということになる。

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

3月 16, 2008 at 07:54 午前 | | コメント (3) | トラックバック (0)

ある種の危うさとして

 知性というと、
さまざまな知識やアルゴリスムを
「所有」しているかのようにも
映る。

 しかし、本物の知性というものは、
むしろ「動き」として生じるもの
だと思う。
 確かに沢山のことを知っている。
 しかし、だからこそ、多くのものが
欠乏している。

 「知性の真空」の大きさで
その人のスケールが決まる。

 知性の輝きとは、ある種の危うさ
として現れるのである。
 
 春、さまざまな生命の息吹が
地を充たす時に感じるのめりこんで
いくような変化のエネルギー。
 
 本当にあたまの良い人は、
春先の甘美な不安をはらんだ
波動の中にいる。
 
 神戸。
 日本助産学会で講演。

 やはり学会に講演でいらしていた
 鈴木秀子さんとお話する。

 毛利多恵子さん、堀内成子さん、
高橋弘子さんも。

 鈴木さんにはさまざまな
御著書があるが、
日本近代文学を専攻されている
鈴木さんとは、
 小林秀雄、夏目漱石など
 共通の基調低音があった。

 淡々と、しかし確固
たる言葉で会話を構築して
行く鈴木さんのお話の底に、
不思議な熱を感じた。

頭が良くなるということは、
永遠の春を生きることだと
思えば、
考えることにもいよいよ
情熱が注ぎ込まれる。

『知と愛』を書いたヘルマン・ヘッセは
そのことを知っていたと思う。

3月 16, 2008 at 07:49 午前 | | コメント (8) | トラックバック (3)

2008/03/15

脳と創造性 8刷

茂木健一郎『脳と創造性』
(PHPエディターズグループ)は
増刷(8刷、累計21000部)となりました。

ご愛読に感謝いたします。

amazon

PHPエディターズグループの
石井高弘さんが下さったメモです。

3月 15, 2008 at 08:05 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

汐が引きながら

課題が難しいほど、それを
全力でクリアできた時には
大きな感動があり、
脳も変わる。

その際の
難しい課題の一つは、
この世の理(ことわり)を知り、
意味を悟ることだろう。

「ああ、そうか」というような
発見があって、それが感動を
もたらすと、私たちは一歩
先に進むことができる。

芸術作品でも、その中に
たくさんの「発見されるべき
ポイント」があるものは
喜びを繰り返し与える。

例えば、小津安二郎の映画のように。
向き合っているうちに
大きな気づきを与えられ、
世界認識の階段を一歩
登ることができるからこそ、
私たちはそこに繰り返し戻るのだ。

汐留の電通本社にて、
顔の認識に関する研究の会議。

半蔵門のTOKYOFMホールで
特定非営利活動法人キャリアキッズ
コンソーシアム設立記念
『キャリア教育シンポジウム2008』
。

http://www.career-edu.jp/event/2008/02/post.php 

和田倉噴水公園にて、
雑誌「カイラス」の創刊記念イベント。

http://kailashweb.jp/ 

安藤忠雄さん、松岡正剛さんと鼎談する。

安藤さんは、現在、東京湾の埋め立て地に
一人千円の寄付で苗木を植え、
森をつくる「海の森」プロジェクトを
進めている。

http://www.kouwan.metro.tokyo.jp/jigyo/uminomori/index.html 

 自然界では、新しく登場したものは
劇的な毒性を持ち、やがてマイルドに
なって共生に至るという経緯をとる。

 疾病をもたらすウィルスなども、
最初は致死率が高く、やがて
落ち着いていく。

 人間がつくった文明も、また同じ。
自然に対して徹底的に破壊し尽くす
劇症の時代は終わり、
 自然から手を引く。
そこから先は入っていかない
というリザーブ、アジールを
作る時代に来ている。

 その意味で、安藤さんの構想は
先進的である。

 文明という汐が引きながら
成熟していく。

 「畏れ」が大切だと
松岡正剛さん。

 何もかも決めてしまっては
いけない。

入会地、聖域。
 何の目的に使うかという
ことを特定せずにとりあえず
措いておく。

 そのような叡智を、昔の日本人は
持っていた。

 松岡さんと対談した『脳と日本人』
のさまざまな議論が思い起こされる。


松岡正剛さん、安藤忠雄さんと。
(photo by Atsushi Sasaki)

 朝日カルチャーセンター。
 打ち上げの席にPHPエディターズグループの
石井高弘さんがいらした。

 メモを下さる。

 手書きのメモに、石井さんの温かさを
感じた。

3月 15, 2008 at 08:04 午前 | | コメント (10) | トラックバック (5)

2008/03/14

『意識とはなにか』12刷

茂木健一郎
『意識とはなにか』
(ちくま新書)
は、増刷(12刷、累計50000部)
となりました。

ご愛読に感謝いたします。

筑摩書房の増田健史さんから
いただいたメールです。


茂木さま

お世話になります、ちくま新書編集部の増田です。

早速ではございますが、ご著『意識とはなにか——
〈私〉を生成する脳』の重版が決まりました。

第12刷として、3,000部を増刷させていただきます。
(累計は50,000部です。)

『意識とはなにか』も、今年の10月で満5歳。
刊行当初は、それほど売行きも伸びず、二人で
ウダウダ案じていたのが懐かしい。
その後、全国紙に本格的な書評がつぎつぎ掲載
されたおかげで増刷に至ったときに
は、阿呆みたく痛飲しましたね、焼きトンで。
周りの客はカップルばかりで、どうにも場違いだったけれど。
ふと思い出し、感慨無量。
今晩は、この本の武運長久を祈りましょう。

増田健史


増田健史氏

amazon 

3月 14, 2008 at 09:02 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

朝日カルチャーセンター 脳とこころを考える

朝日カルチャーセンター 脳とこころを考える

本日第三回

脳の働きは、長い進化の過程で徐々に形成されてきました。脳を理解することは、すなわち「生きる」ということの本質を明らかにすることです。生命とは何でしょうか。感じること、考えることは、生きることとどのように結びついているのでしょうか。4回目には、心の問題から社会現象まで、広く鋭い視点でとらえる解剖学者の養老孟司先生をお迎えし、脳と生命の関係に迫ります。

2008年 1/18、 2/8、 3/14、 22
金 18:30~20:30
3/22は 土 14:00~16:00

http://www.acc-web.co.jp/sinjyuku/0801koza/A0301_html/A030101.html 

3月 14, 2008 at 08:27 午前 | | コメント (3) | トラックバック (0)

オーケストラ

『題名のない音楽会』
の収録。

佐渡裕さんは本当にいい。
指揮する時に、飛び跳ねて
いるような気配がある。

これぞ、舞踏の聖別である。

そして、タクトからほとばしり出る
音楽は生命そのものを濃縮した
よう。

久保田直子アナウンサーの
的確な司会進行で、
佐渡さんと楽しくお話することが
できた。

オペラ・シティにはたくさんの
お客さんがいらしていて、
その前で、佐渡さんとの
会話を弾ませることは
記憶に深く刻まれる行為だった。

桑原茂一さんのプロデュースした
Tシャツを着た。

井之上達矢さんの笑顔を見た。

 角谷涼子さん、大場葉子さん、木南勇二さん、
横田紀彦さん、丹所千佳さん、平塚一恵さん、
朝倉千代子さん。

 たくさんの人にお目にかかった一日。

 一人ひとりからその音が聞こえてきて、
記憶をぎゅっと圧縮するとそこに
オーケストラが出来上がる。

 自分の人生のあれこれをふり返って
ぎゅっと圧縮すると、なかなか
立派なオーケストラができあがる。

 みなさん、番号いちにさん。

 本当に、素敵な時間をありがとう。

3月 14, 2008 at 08:25 午前 | | コメント (8) | トラックバック (2)

2008/03/13

『脳と仮想』(新潮文庫版)7刷

茂木健一郎 『脳と仮想』(新潮文庫版)
は増刷(7刷、累計66000部)
となりました。

ご愛読に感謝いたします。

新潮社の北本壮さんからのメールです。

茂木様

先日はお忙しいなかありがとうございました。
おかげさまで楽しいホッピーが飲めました。
『脳と仮想』6,000部増刷です!!
7刷66,000部となりました。
末永く読まれて欲しいですです……。


新潮社 北本壮

3月 13, 2008 at 07:43 午前 | | コメント (2) | トラックバック (1)

自発性 

ソニー国際会議場にて、
ソニー教育財団の評議員会。
 佐々木かをりさんに久しぶりに
お目にかかる。
 隣りの席だったので、
いろいろ近況をお話することが
できた。

 半導体エネルギー研究所
社長の山崎舜平さん、ソニー教育財団の
青木昭明専務理事など、
 さまざまな方とお話する。

 ソニーコンピュータサイエンス
研究所へ。

 ちょうどお昼時。
 私はすでに
 お弁当を食べていたが、学生たちが
なんだかひもじそうにしているので、
 研究所近くのラーメン屋に行く。

 ねぎみそラーメンであった。

 ほだされて、お昼を二度いただき。

 ゼミ(The Brain Club)
 
 野澤真一が、自発性(spontaneity)
について自分の考えを述べる。


自発性について語る野澤真一くん

 力学系の軌道から説き起こしたが、
 そこで問題になるのは存在論的/力学的
位相と、認識論的位相の関係であろう。
 
 もし、認識論的位相から自発性を
論じるのだとすれば、
 脳の関連する神経回路網の「役者」
をそろえなければならない。
 システム論が視座に入ってこなければ
ならない。
 
 また、そのようなcomplex network
を考えることは、力学的考察にも
役立つはずである。

 続いて、柳川透が、
Adrian M. Owen& Martin R. Coleman
Functional neuroimaging of the vegetative state
Nature Reviews Neuroscience 9, 235-243 (March 2008)
をレビューする。


意識状態について語る柳川透くん

 意識のない「植物状態」
と判定された患者の脳活動のfMRIデータに
おいて、一見意識があり覚醒している
被験者と同じような活動が見られた事例が
報告されている。

 意識の「内容」とそれらをすべて
感じる「私」に便宜的に分けた場合、
 fMRIデータで補足されがちなのは
「内容」の方であろう。
 一方、それらを感じる「私」の方の
構造は、いわゆるdefault networkに
よって支えられている可能性がある。

 一方、柳川がレビューした論文
で(間接的に)示唆されていた興味深い
可能性は、「内容」のネットワークの
フレキシブルな力動が、ある種の
default networkの存在及び活動なしでは
起こらないというスキームであった。

 たとえば、ambiguousな文章の意味判断
が、default networkなしでは起こらない。

 続いて、柳川が自分自身のspontaneityに
関する考え方を述べる。

 野澤真一が議論に加わって、
「自発性」対決。


野澤真一と柳川透の「自発性」対決

 時々介入して、自ら「凶器攻撃」
を加える「レフェリー」としては大変
面白かった。

 電通の佐々木厚さんが来て、
打ち合わせをしながら文化庁へ。

 文化庁長官の青木保先生と
対談する。

 青木保先生が書かれた
『文化の否定性』は出版当時
読んで感銘を受けた。

 文化庁には、ベストアンドブライテストの
学者を長官として迎える伝統がある。

 青木長官と文化のさまざまな問題について
お話していたら、あっという間に
一時間が経ってしまって、カフェは
終了。

 感覚としては、せいぜい30分くらいの
ものだった。


青木保さんとの対談。


長官室で、青木保長官と

(photos by Tomio Takizawa)

 楽しい時はすぐに過ぎる。

 文部科学広報官の今里讓さんが
文部科学省内にオープンした
「情報ひろば」 
を案内下さる。

 昭和8年当時の姿に復元された
旧大臣室が、時代の精神(ツァイト・ガイスト)を
伝えてきた。

 「情報ひろば」は3月26日(水)に
オープンする予定とのこと。

 いろいろと教えて下さった
文化庁の水田功さん、小松弥生さん、
壇上容子さん、岩村沙綾香さん、杉田絵美さん
ありがとうございました。

 生命の自発性がもっとも輝くのは、
意識しないでそれをしている時である
ように思う。

 意識しなければならない時、
あるいはルビコン河をわたるような
時には、純粋な自発性以外のなにものかが
忍び込んでいる。

 そのほろ苦い観測問題の中に
私たちはありありと「自己」を感じる。
 

3月 13, 2008 at 07:39 午前 | | コメント (12) | トラックバック (5)

2008/03/12

『思考の補助線』5刷

ちくま新書 
茂木健一郎 『思考の補助線』
は増刷(5刷、累計60000部)
となりました。

ご愛読に感謝いたします。

筑摩書房の増田健史さんから
いただいたメールです。


茂木さま

今朝ほどは、電話にて失礼しました。

ところで、昨日の『「脳」整理法』につづき、御著
『思考の補助線』の重版が決まりました。
第5刷として、5,000部を増刷させていただきます。
(累計は60,000部です。)

『思考の補助線』に対しては、知人から、
《非常におもしろい、です。「怒り」に補
助線引いてみて、ひっくり返したら「理解」
が生まれた、という感じでしょうか》と
いう、なんだかうれしい感想をもらいました。
他方で、「極めて難解」などというコメント
を目にすると、すこしだけかなしい気持
ちになりもします。
でも、ミュンヘンでよろよろよっぱらうことは、
しあわせでしょうね、きっと。

こころから感謝です、本当に。

増田健史

3月 12, 2008 at 06:35 午前 | | コメント (5) | トラックバック (1)

他者にゆだねる

 美というものの進化を考えると、
そこには他者にゆだねる消極的
自己保存というモティーフが
あるように思う。

 「モナリザ」を物質的に
破壊するのは簡単なことである。
 しかし美しいがゆえに、人々は
それをあがめ、慈しみ、大切に
保存する。
 
 動物の子どもはかわいらしいが、
これも養育者に委ねた保護と
育みのたくらみ所以である。

 美しいもの、かわいらしいもの
にまつわる「アウラ」は、その
他力本願的原理に由来するのでは
ないか。

大河プロダクション制作の、
「奇跡の脳ミステリー その時、あなたの脳に
何が起きるのか」
(2008年3月28日(金)
テレビ東京系放送予定)
の収録。

 進行は大橋未歩アナウンサー、
 ゲストに布施博さん、麻木久仁子さん、
矢口真里さん。

 プロデューサーの川口伸之さんは、
アジア大会200メートル平泳ぎで
銀メダルをとったことのあるスポーツマン
である。

 打ち合わせをしながら、
天王洲のスタジオへ。

 VTRがとても良くつくられて
いて、
 スタジオで見ながら
引き込まれた。

 ラスムッセン症候群のために
大脳皮質の右半球を手術で摘出し、
その後前向きに生きる女性の物語。

 さまざまなものに固有の「味」
を感じてしまう共感覚者の話
(彼がBlackpoolに住んでいるのは、
イギリスの地名でもっとも良い味が
するからだという。初恋の人の名前は
変な味だったので、名前を一部
変えて愛称にしたら良い味になった。
30年前に彼女が書いた名前と味の
対応表を持参、彼は、30年前と全く
同じ組み合わせで答えた。本物の共感覚者を
判別する一つの手法である。)

 若年性アルツハイマー病の物語。

 最後に、ロシアの神経生理学者
アレクサンダー・ルリアの
『偉大な記憶力の物語』で研究された
Solomon Shereshevskii(頭文字をとってS)
に関するVTR.

 シェレシェフスキーは
ジャーナリストなどの仕事もしていたが、
何よりもその驚異的な記憶力で
ロシア社会にセンセーションを巻き起こした。

 ある時、メモが禁じられた
講演で、後にその言葉を一字一句再現して
人々を驚嘆させる。

 シェレシェフスキーの記憶力の
秘密は共感覚にあった。ルリヤによる
シェレシェフスキーの驚異の記憶力の
研究は、記憶の心理学の研究史における
金字塔である。

 VTRでは、ルリヤがシェレシェフスキー
の記憶を確かめるために黒板の上に
書いた脈絡のない(ロシア語の)単語
の写真が登場する他、
 シェレシェフスキーの新発見の
「日記」も紹介される。

 また、関連して、
カナダのモントリオールで活躍した
ワイルダー・ペンフィールドが
患者の側頭葉を電気刺激して
エピソード記憶を引き出す映像も
紹介される。

 川口さんたちががんばって
とても良い番組になったのではないかと
思う。
 スタッフの皆様、ありがとうございました。

 人が良いものを作ろうとするのは
不死を願ってだとはしばしば言われる。

 この有機体としての自分はいつか
滅びる。
 しかし、力をもった考え、訴求力のある
表象は残るかもしれない。

 その時に永らえるのは、他者の
育み、慈しみゆえである。

 つまりは表現者の永遠を願う
実践は本質的に「他力本願」となる。
 そして、それで良い。
 
 春の気配が濃くなってきた。

 昔の人は、自然が底から蠢動しているのを
感じたのであろう。

 生気論が遠くなった現代の合理人にとっても、
感受する心があれば蠢動は確かに伝わる。

3月 12, 2008 at 06:34 午前 | | コメント (14) | トラックバック (1)

2008/03/11

「脳」整理法 13刷

ちくま新書「脳」整理法
増刷(13刷、累計102000部)
が決定いたしました。

ご愛読に感謝いたします。

筑摩書房の増田健史さんからの
メールです。

茂木さま

お世話になります、ちくま新書編集部の増田です。

昼間っからビール飲みまくりの生活は捨てがたく、
月給取りの身分は諦め、しばらく
帰国を延期することを真剣深刻に検討しましたが、
いくつかのやむをえぬ事情により
不承不承、戻ってきました。

久々の会社、良いニュースがありました。
ご著『「脳」整理法』の重版が決まっていたのです。
今回は、第13刷として、5,000部を増刷させていただきます。
(累計は102,000部です。)


公刊から2年6カ月。時間の経過は人間のいろいろの
事柄を解決してくれるわけで、つまり、
ミュンヘン行の条件であった部数を突破しました。
そのうち旦さんと三人で会って悪巧みしましょう。

要用のみではありますが、報告と感謝まで、申し上げます。

増田健史
上のメールの中で、「ミュンヘン行」とあるのは、
10万部を突破したら、私、増田健史、
大場旦の三人でミュンヘンに行って
昼間からビールを飲んでふらふらしてしまおう
と約束していたので、
それが2年6ヶ月ぶりに達成された
ということであります。

3月 11, 2008 at 10:46 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

プロフェッショナル 延吉正清

プロフェッショナル 仕事の流儀

向き合うのは、命の鼓動
~ 心臓内科医・延吉正清 ~

延吉さんの表情は、まるで
慈母観音のようにやさしい。

しかし、その背後には、厳しさがある。

日本に心臓カテーテル治療を
導入したパイオニア。

強い抵抗、反対があり、
大変な逆風の中のスタートだった。

しかし、延吉さんは言う。
「逆風が強い方が、人間は鍛えられる」

人の顔はある年齢から先は履歴書だという。

延吉さんの何とも言えず魅力的な表情。

人間というものの広さと深さを思い知らされる。

NHK総合
2008年3月11日 22:00〜22:45

http://www.nhk.or.jp/professional/

すみきち&スタッフブログ

Nikkei BP online 記事
パイオニアであることは、強い風に向かって立つようなもの
〜循環器内科医 延吉正清〜
(compiled by 渡辺和博(日経BP))

3月 11, 2008 at 07:43 午前 | | コメント (1) | トラックバック (5)

脳を活かす勉強法 15刷

茂木健一郎
『脳を活かす勉強法』 
PHP研究所
は、重版(15刷、累計38万部)
が決まりました。

ご愛読に感謝いたします。

PHP研究所の木南勇二さんから
のメールです。

茂木健一郎先生

再三失礼いたします。

15刷2万5千部が増刷となりまして
累計38万部となりました。
誠にありがとうございます。

先週の紀伊国屋全店売上ランキングでは、
『流星の絆』に次いで2位でした。
http://www.kinokuniya.co.jp/

いろいろとご多忙のところ誠に恐縮ですが
何卒よろしくお願い申し上げます!

木南拝


http://www.php.co.jp/bookstore/detail.php?isbn=978-4-569-69679-9

amazon

3月 11, 2008 at 07:40 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

『文明の星時間』 黒船の衝撃

サンデー毎日

2008年3月23日号

茂木健一郎 
歴史エッセイ
『文明の星時間』

第5回 黒船の衝撃

http://www.mainichi.co.jp/syuppan/sunday/ 

3月 11, 2008 at 07:36 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

何も死ぬことはない

「考える人」に連載が始まった
「偶有性の自然誌」は分量が30枚で、
書いていると意識の流れが自然と
発酵してきて、どこか遠い世界に
旅をして還ってくる、
そんな気配になる。

 生の偶有性について考えを
巡らせることは、胸がときめく
ことであり、どこかに運ばれて
いくことである。

 シェークスピアに次いで
引用されることが多い文学者、
 イギリスの桂冠詩人アルフレッド・
テニソンの「何も死ぬことはない」
(Nothing will die) 
は映画『エレファント・マン』
でも印象的な使われ方をしている。
生の偶有性が私たちに運んでくる
甘美な不安のときめきを
余すことなく表現するのだ。

私の眼下の川は、やがて流れることに倦むのか?
空を吹く風は、いつ飽きてしまうのか?
雲はいつしか空を行くことから離れるのか?
心臓は打つことを止めるのか?
自然は死ぬのか?
とんでもない。何も、死ぬことはない。
川は流れる。
風は吹く。
雲は空を行く。
心臓は鼓動する。
何も死ぬことはない。

Alfred Tennyson "Nothing will die"

 映画では、難病プロテウス症候群にかかり、
「エレファント・マン」と呼ばれたジョセフ・
メリックが死を決意してベッドに横たわる
ラストシーンで、美しく優しかったジョセフの
母親がこの詩を朗読する様子が幻視されるのだ。

 日経サイエンス編集部で、
富山大学の都留泰作さんと対談。

 都留さんは環境人類学が専攻で、
アフリカのカメルーンのバカ・ピグミー
の調査研究を1年半行った。

 また、沖縄での調査研究の際の
体験を基に、現在月刊アフタヌーンにて
漫画『ナチュン』を連載している。
 
 都留さんがバカ族の村に入って
いって宗教儀礼の調査をする時の
話は、圧倒的に面白かった。

 考えさせられたのは、狩猟採集民族は
皆ある種の人の良さがあるという経験則である。
 カメルーンでも、農耕をする人たち
とは性格が全く異なるという。

 「所有」という観念がないことと関連している
らしい。

 「狩りをした獲物も、皆で分配しますからね」
と都留さん。

 調査中は、カメルーン政府に報告
するために3ヶ月に一度ほど
「街」に出てファックスや手紙を
送る以外は、ずっとバカ族と暮らして
いたという都留さん。

 一体大学の方はどうなっているのかと
言えば、一年くらい調査をして、
帰って学内セミナーで報告する
というのがその分野における
ごく普通のリズムらしい。

 一年ぶりくらいに会うのが
普通だというのは、数学の分野の先生に
も伺ったことがある。

 「大学院生で、一年くらい見ていない
やつなんてざらにいますよ。」

 数学の場合、どこかにフィールド調査
に行っているというよりは「内面の旅」
なのだろう。

 人類学と数学の思わぬ接点を発見する。

 ソニーコンピュータサイエンス研究所へ。
 
 田谷文彦や学生たちと研究の議論を
いろいろとする。
 「お前、ちゃんとやれよ!」と
箆伊智充を励ます。

 新潮社へ。
 『旅』副編集長の葛岡晃さんと
「旅行ガイドに載っていない
魅力的な小さな街」の話をする。

 小学校の頃、学校への通学路の
途中の店に、「ホッピーあります」
という張り紙があった。

 「ホッピー」というのは一体
何だろう?
 
 長年にわたる疑問をといて
くれたのが、わが「ホッピーマスター」
金寿煥さんである。

 金さんが連れていってくれたのは、
神楽坂から脇道を降りたところに
ある「加賀屋」。
 私のホッピー巡礼が始まった店。

 北本壮さんが新潮文庫の
改版『赤毛のアン』を持って現れる。

 足立真穂さんに養老孟司さんの
近況を聴く。

 「ホッピーって何だろう?」
と疑問に思っていた子どもの頃。

 時が流れて、加賀屋で
「なか一つ!」「そと一つ!」
と叫んでいる。
 
 その偶有性に思いが至ると
胸がざわざわする。


加賀屋にて。わがホッピーマスター、
金寿煥さん(左)と葛岡晃さん(右)

 金寿煥さんから、昼に送った
「偶有性の自然誌」第二回の原稿に
ついての感想が届いていた。
 長文であるが、引用する。

茂木さま

 原稿拝受拝読、ありがとうございました。
 前回に続き、咳唾珠を成すような文章ですね。
 「偶有性」というテーマのもつ、広さ深さ温かさが、
 はっきりとした輪郭をもって浮かび上がってきたと感じました。
 
 前半部分、完全に仏教思想と通じますね。
 偶有性を思えば、「”私”である」ことの根拠なんてなくて、
 「私は何が何でも私である」に拘泥するとどうしても苦しくなるけど、
 しかし「仮」の根拠に固執すると、
 偏狭な「私」にしかならなくなる。
 「断念せよ」と松岡さんとの対談でもおっしゃっていましたが、
 (南直哉師「老師と少年」の決め台詞もこれでした)
 重要なのは、断念してからどうそれを受け入れ覚悟するか、なんですね。
 
 目の前に「私」以外の人間が、
 こうしてたくさん存在していること不思議に思いますが、
 そう思うことが閉鎖的な思想につながることはあるとして、
 偶有性を認め、茂木さんのように「私は、全く他の者でもあり得た」と
 少し角度を変えた考え方をすれば、
 そこには穏やかに拡がるものがありますね。
 「人と人とは結局分かり合えない」とシニカルな考えをもち、
 そうした態度で文学や芸術や政治や思想に臨む人間多々だと思いますが、
 「私は、全く他のものでもあり得た」という、
 偶有性をベースにした補助線を引くことで、
 かけがえのないものとされている「私」という存在が相対化され、
 見通しが格段によくなるのかもしれません。
 とはいっても、私は「○○○○」にはなりたくないですが。
 って、そういう偏狭な考えはいけません。
  
 前回もそうでしたが、茂木さんが自身の少年時代のことに触れると、
 そこにはふわっとした時間が漂い、緊張が一瞬ときほぐれ、
 それまでと別の柔らかな流れになりますね。
 そのあたりの文章全体における「押し引き」は、
 もう茂木さんの中では自家薬籠中のものなのでしょう。

 お疲れ様でした。
 とっても忙しいところ、原稿いただき感謝しております。
 次回以降の展開、まったく予測つきませんが、
 それがまた楽しみでなりません。引き続きよろしくお願いいたします。

 新潮社 金寿煥

3月 11, 2008 at 07:27 午前 | | コメント (15) | トラックバック (3)

2008/03/10

青木保 文化庁長官 との対談

「霞ヶ関から文化力」
青木保 (文化庁長官) 茂木健一郎 対談

2008年3月12日(水)
19時〜20時
文部科学省 情報ひろば「ラウンジ」

http://www.nicer.go.jp/lom/data/contents/bgj/2008030401004.pdf 

http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/20/03/08030414.htm 

3月 10, 2008 at 08:30 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

心くんの表情

 新宿の初台で料理コンテストがあった。

http://www.gas.or.jp/shokuiku/zenkoku-oyako-cooking/index.html

 会場に向かっていると、
服部幸應さんが後ろからいらしたので、
二人で一緒に入る。

 本番が始まる前に、控え室で
服部さんの「食育」に対する思いを
うかがった。

 もう一人の審査員は、本多京子さん。
 
 会場には全国から集まった親子たちが
いて、始まる前から何だか楽しそうだった。

 調理開始。 
 12組がA、Bの2組に分かれて
調理する。

 服部さんは年間数十回の料理コンテスト
の審査をされるそうで慣れていらっしゃるが、
 私は初めて。

 6つのテーブルを順番に回りながら、
気付いたことを書いていった。

 試食も真剣。
 食べながら、何を感じているか
をメタ認知するという訓練を
長年続けていくと、人間はどう
なるのだろう。


服部幸應さん、本多京子さんとともに試食する。
(photo by Tomio Takizawa)

 A、Bの二組が終わり、
 服部さん、本多さんとともに
ステージに上がった。
 「食」について鼎談する。

 いよいよ、結果発表。
 
 優勝したのは、北海道からいらした
小学校3年生の心(こころ)くんとお母さん。

 北海道原産の材料を生かして、
おいしいパンが出来た。

 発表してステージに上がったら、
お母さんが感激してぽろぽろ
泣いてしまった。

 印象的だったのは、隣りに
立っていた心くんの
表情である。

 男の子だし、泣くわけにもいかない。
 しかし、すぐ近くで母親が号泣
している。

 優勝して、飛び上がるほどうれしい。
 その一方で、お母さんが泣いてしまって、
困っている。

 そんな時、人間というのは
はにかんだような、泣きだしそうな、
こわばったような、爆発しそうな、
震えるような、溶けるような、
守るような、助けてもらいたいような、
強いような、弱いような、
このままずっとこの瞬間が続いてほしいような、
早く通り過ぎてほしいような、
実に何とも言えない表情をするもんなんだね。

 心くんの人生の中でも、あんな表情を
することはそう何回もないでしょう。

 君の脳裏に、この出来事は
しっかりと忘れられない
思い出として刻まれたことと思う。

 ぼくの心にも焼き付けられたよ。
 忘れない。

 人間、かけがえのない思い出という
のはそんなにたっぷりあるという
わけではないけれども、
 数少ないそれらの「星の時間」を
 時々ふり返ってゆっくりと
育てていけば、人生はだいじょうぶ。

3月 10, 2008 at 04:54 午前 | | コメント (11) | トラックバック (5)

2008/03/09

地球をも映す「鏡」

ヨミウリ・ウィークリー
2008年3月16日号

(2008年3月3日発売)

茂木健一郎  脳から始まる 第96回

地球をも映す「鏡」

抜粋

 写真やビデオに定着された自分の姿に驚かされることは多い。「こんなヘンな顔をしていないよ」「もう少し格好良くとって欲しい」と本人があわてても、周囲の人間は案外冷静である。「君のそういう表情だったら、確かに見たことがあるよ」という反応が返ってくる。本人が知らない顔の表情でも、周囲の人間は普段からちゃんと見ているのである。
 私たちが自己というものを確立する上で必要不可欠な「鏡」という存在。長らく、鏡は地上の姿を映し出すものであったが、人類の宇宙進出によって、地球全体をも映す「鏡」が手に入った。新しい「鏡」を手にすることで、さらなる精神の発達がうながされる。

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

3月 9, 2008 at 06:39 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

走れ、走れ、走れ。

 久しぶりにまとまった距離を走る。

 イビチャ・オシム監督の口癖は
「走れ」「走れ」「走れ」
だそうである。

 身体の中から何かが目覚めるか。
 走る。走る。走る。

 日本テレビ「世界一受けたい授業」
の収録。

 打ち合わせ室に竹下美佐子さん。
 「午後1時からずっとやっているんですよ!」
と竹下さん。

 4時間のスペシャルの収録なので、
いつもの4倍のボリューム。

 秋山仁さんや、東国原英夫さん、
武田双雲さんなど多彩な講師陣の中で、
 私の担当は、「アハ体験」である。

 「アハ体験」は、もともとは
"aha experience"と言い、
 何かに気付いた瞬間に
脳の神経細胞が一斉に活動し、
 「一発学習」(one shot learning)
が起こる現象を指す。

 文章の単独では意味がわからないが、
ヒントが与えられた瞬間にわかる
「アハ・センテンス」(aha sentence)

 白黒の模様の中に絵が隠れている
「隠し絵」(hidden figure)。

 画像の中の一部分が変化しても
気付かないchange blindness。
 画像が静止画の場合もあるし、
動画の場合もある。

 「世界一受けたい授業」に
お誘いいただいた時、
 私がパワーポイントを使って
「こんな面白い話があるんですよ」
と脳科学の現状をご説明した時に、
 スタッフが「それ!」
と反応したのが「アハ体験」だった。

 日本テレビのスタッフは、
とりわけ、change blindnessの
問題の作成に、卓越した技量を
見せる。

 今回、
 杉本ルリ子さんが制作した
問題は素晴らしい出来。

 とりわけ、動画の一部が
変わる「アハ アクション」
(この名称は日本テレビのスタッフの
考案したものである)の一つの
問題は、「何と、そう来るか!」
という驚きの設定であった。

 動画を一フレームずつ加工するから
こそできる業。 
 杉本さん、お見事!

 収録。

 日本テレビの番組対抗で、
解答席がとても賑やかであった。
 
 藤崎マーケットの二人と
お話しする。

 現場には放送作家の富樫香織さん
もいらしていた。

 富樫さんは、電通の佐々木厚さんと
大学時代のゼミの後輩である。
 
 「アハ・センテンス」を作る
天才、倉田忠明さんにもお目にかかった。

 フレキシブルに動く様々な
やわらかな筋肉に支えられて、
 「世界一受けたい授業」
という番組はある。

 日本テレビへ向かう時は
Roger Penrose The Road to Realityを
読みながらいく。

 帰りは、新潮社『考える人』
に連載の「偶有性の自然誌」の二回目の
原稿を書いた。

 走れ、走れ、走れ!

 走っている途中に見た
公園のビオトープの水の中には、
メダカがゆっくりと泳いでいた。

 冬がやっと終わろうとしている。

3月 9, 2008 at 06:35 午前 | | コメント (6) | トラックバック (4)

2008/03/08

『プロフェッショナル 仕事の流儀~ふれあいミーティング』

『プロフェッショナル 仕事の流儀~ふれあいミーティング』
参加者募集中!

http://www.nhk.or.jp/professional-blog/200/7326.html 

3月 8, 2008 at 11:05 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

天の配剤

人生で一番大切なことの一つは
「問題設定」であろう。

どういう問題設定をして、
その中で努力をするかによって、
どんな方向に伸びていくか
ということが決まる。

ティーンエイジャーの時に
「日本の大学入試に受かる」
という問題設定をすれば、
そのような方向に沿った
人間が形成される。

成人後は、自分で問題設定を
見つけなければならない。

時々刻々と自分が何を感じている
かを把握する「メタ認知」以上の、
究極のmetacognition at a distanceが
そこにある。

「うちのじいさんはね、会合に呼ばれても、
座にいる人を見て、本当に2、3秒で
くるりと後ろを向いて帰ってしまう。
そんなことがあったようですよ。」

白洲信哉が語る、小林秀雄の
「見切り」の速さ。

どのような文脈に自分を置くかは、
本来「電光石火」のことの
はず。

白洲信哉と田森佳秀が
「第七餃子」の座敷で話している様子は
実に面白かった。
これこそ、「生きた文脈」
というものである。


田森佳秀と白洲信哉。 金沢の第七餃子にて。

人と人が出会う度に、文脈が変わり、
問題設定も変わる。

すでにある「今、ここ」の文脈の
中で活き活きと働くことと同時に、
文脈自体を選択し、形づくって
いかなくてはならない。


レアンドロのプール(21世紀美術館)にて
白洲信哉と。撮影佐々木厚


21世紀美術館にて。右から秋元雄史館長、
佐々木厚さん、額田久徳さん(ゲーテ編集長)
西川節子さん(写真)、白州信哉さん、
田森佳秀さん。

東京に帰り、東京工業大学へ。

ゼミ(The Brain Club)は今週は大岡山で
開催である。

箆伊智充くんが

Stetson et al. (2007)

Does Time Really Slow
Down during a Frightening Event?

及び

Pariyadath and Eagleman (2007)

The Effect of Predictability
on Subjective Duration

を紹介する。


時間について熱く語る箆伊智充くん

ある条件の下で主観的時間がdilationするので
あれば、それに対応する音の周波数の
知覚、視覚的時間分解能などに変化が
生じても良さそうであるが、
実際にはそのような効果は生じない。

では、主観的時間の刻みの変化には、
どのような生理的メカニズムが関与し、
その機能的意義は何なのか?

箆伊は一貫して主観的時間の問題に
興味を持っていて、今までの
sensori-motor coodinationあるいは
agencyの領域から今回の問題のような
領域に関心を広げたのは良い
ことだと思う。

箆伊が二本目を紹介している途中に
トイレに立った。

ふと向かいの教室のドアを見ると、
「坂井典佑教授最終講義」とある。

坂井典佑教授は、素粒子理論の
研究で著名である。

それで思い出した。石川哲朗が、
学部の時の指導教官である坂井先生
が最終講義をして、
それに出席するからゼミを欠席する
と言っていたのである。

偶然、前の教室で行われているとは!

のぞき込むと、もう人が座っている。
時間を見ると、5分後に開始である。

「おい、石川の先生の最終講義、前
でやっているぞ!」

ゼミ教室に戻り、呼びかけた。

「君たち、最終講義というものを聞いた
ことがあるか。いいもんだゾ。
中断して行こう!」

こういう時には反応が早い。

ぱっと荷物をまとめて、隣りの
教室に移った。

素粒子の標準模型の構築の歴史を
ふり返り、
最近の超ひも理論まで。

坂井先生のお話は温かく、興味深かった。


坂井典佑教授の最終講義

石川哲朗も、熱心なまなざしで聴いている。


坂井先生の話を聞く石川哲朗(中央一番奥)
野澤真一、岩村憲の顔も見える。

坂井先生は東工大に25年いらした。

そこに、一人の学者の人生がある。

最後に、花束贈呈が行われる。

その時、人は言葉にならない何かを
感じているものだと思う。

かつて留学していた
ケンブリッジ大学では、いろいろな
分野のレクチャーが行われていて、
人々が勝手に移動して聴き、
議論をしていた。

あのような雰囲気を、ここ東京でも持ちたい。
学問とは、畢竟、補助線を引くことではないか。
そう思っている。

天の配剤により、
図らずも、ケンブリッジが降臨した。

しかも、石川哲朗の人生の軌跡に
おける味わい深い一瞬と共鳴したのである。

確かに、それは、「今、ここ」
にある。
問題設定と文脈さえ工夫すれば、
呼び込むことができる。

不思議な感触のある一日だった。

3月 8, 2008 at 09:59 午前 | | コメント (12) | トラックバック (3)

2008/03/07

そんなもん、入っていられないよ

白洲信哉さんと金沢に来た。

電通の佐々木さんが企画してくださった
のである。

「そういえば、今まで飲んだりは
しているけれども、泊まりがけの旅行は
初めてだね」と信哉。

 金沢に着き、まずは「第7餃子」
を目指す。
 この、風変わりな魅力に満ちた
店については、またゆっくり
お話することもあるでしょう。

 とにかく、大いに笑って、
そして食べた。

 田森佳秀が合流。

21世紀美術館で秋元雄史館長にお目にかかる。

 田森と会うと、ぼくはいつも
面白い話を聞けることを楽しみに
している。
 だからぼくは田森の車に乗った。

 「最近さあ、ぼくは相対性理論と
量子力学の効果を、スローでマクロな
システムで実現しようとしている
んだけど」
田森が始めた。

 「だけど、波動関数で、複素共役
をとって実数にするところ、あれが
どうしてもできないんだ。」
 「お前が言うようなことができたら、
マクロな量子コンピュータができるじゃ
ないか」
 「そうなんだよ。だから、考えて
みて、やっと、量子コンピュータの
難しさがわかったよお」

 話をしているうちに、
田森は、もう一つの車を
見失ってしまった。

 教訓:車を運転しながら、
相対性理論や量子力学のことを
考えてはいけません。


田森の話をさらに聞く。

しばらく前に家を買ったのだが、
ピンク色のまるでケーキのような
外観だという。

車はちょうど近くを通っていた。

「ここから見えるかもしれない。
とにかく、目立つ、ヘンな家なんだよ。」

「どうして、そういう変わった
家を買ったのか?」
聞いても、田森は笑って答えなかった。


信哉の発案で、前田家のお墓を
お参りする。
こんもりと盛り上がった土の
前に佇む。

上出長右衛門窯で、
上出恵悟くんに会う。

バナナや牛乳瓶を観賞する。

山代温泉の
「べにや無可有」 へ。

白洲信哉のおすすめの宿である。


和洋全17室。

原研哉さんによるインスタレーションや、
竹山聖さんによる寺院を摸した
空間がある。

温泉旅館の新しい可能性を
感じさせられた。

夕食をとりながら、白洲信哉と
対談。
いかに真剣に遊ぶか。

幻冬舎ゲーテ編集長 額田久徳さん
執筆の大葉葉子さん。
写真の西川節子さん。

ものと出会い、自分自身の
存在をかけて選び取ること。

翌朝、「仕事で会うと、いろいろ
話せていいね」と信哉。

白洲信哉は、三日に一度くらいしか
風呂に入らないという。
「そんなもん、入っていられないよ」

ちょうど三日目だったらしい。

朝、待ち合わせの場所に行くと、
風呂を済ませた信哉が、
ジャケットを着込んで、
髪の毛を整えて座っていた。

お酒をのんだ時とはひと味ちがった
しらふしんやがそこにいた。

3月 7, 2008 at 11:42 午前 | | コメント (8) | トラックバック (4)

2008/03/06

徹子の部屋

徹子の部屋

2008年3月6日(木)13:20〜13:55
テレビ朝日系列

http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/ 

3月 6, 2008 at 07:21 午前 | | コメント (12) | トラックバック (4)

『ひらめき脳』25刷

新潮新書 『ひらめき脳』
増刷(25刷、累計116000部)
となりました。

ご愛読に感謝いたします。

新潮社の北本壮さんからのメールです。

茂木様

ご無沙汰しています。
『脳を活かす勉強法』すごい売れ行きですね!

(『脳を活かす勉強法』とは関係の
ないある現象についての記述:中略)

茂木さんにはこうやってグチ
めいたことを書いているわけですが。
世界はもっと豊かなものなのだから、その豊
饒をこそ受け止められるようになりたいなあ
と個人的には思いますし、そうした受け止め
手のためにものを送り出していきたいなと深
く思います。というかそうした読者の方がむし
ろ多数存在するわけですしね。

おかげさまで『ひらめき脳』5,000部増刷です!
これで25刷(!)116,000部となりました。
約2年で25刷とはまた刻みも刻んだり……
石橋を叩いても渡らない慎重社と呼ばれる
所以でございます。

あ、来週のホッピーお邪魔しますね!!
楽しみにしております。

新潮社 北本壮

3月 6, 2008 at 07:20 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

『すべては音楽から生まれる』10刷

PHP新書

茂木健一郎 『すべては音楽から生まれる』
は増刷(10刷、累計70000部)

が決定しました。

ご愛読に感謝いたします!

PHP研究所の丹所千佳さんからの
メールです。

茂木健一郎先生

増刷のお知らせです。
おかげさまで『すべては音楽から生まれる』の
10刷が決定しました。
ありがとうございます。

今日は啓蟄ですね。
まだまだ風は冷たくとも、
もはや春の気配は隠し切れるものではありません。

けぶるような、むせるような、
甘ったるいくらいに優しい花の空気が流れる薄暮に、
心がざわざわとして
そわそわとして
息がつまるぐらいに切ないのに、
それでいて
踊るように、弾むように
走り出したくなるほどの衝動が胸を貫き、
歌うみたいに、さえずるみたいに、
芽吹くどよめく、土の下から顔を出す、
季節のめざめです。

震える大気に、うねる空に、
鳴り奏で歌い舞い、
鳴きたい、季節です。

丹所千佳

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3月 6, 2008 at 07:15 午前 | | コメント (2) | トラックバック (1)

逆風の中の論理的信念

逆風の中の論理的信念

プロフェッショナル日記

2008年3月5日

http://kenmogi.cocolog-nifty.com/professional/ 

3月 6, 2008 at 07:09 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

ピタゴラス降臨

東京芸術大学で学部の時
「鳩の絵」ばかり描いていたので
「蓮沼」ならぬ「ハト沼」
と言われていた
蓮沼昌宏(現博士課程)
の友人で、芸大を出たあと
流行通信編集部にいる
松本雅延さんと明治神宮の
北参道入り口で待ち合わせた。

晴れた日には「光の川」が
現れる大好きな道を歩きながら
エコロジーの話をした。

木立の前に佇んでいると、
向こうから来た人が
こちらを見ている。

編集部の人が合流したのかな、
と思ったら、将棋の人だった。

奨励会で、羽生さんの後輩
だという。

島村健一さん。

偶然のことで、びっくりした。

代々木公園のベンチに座り、
さらにエコロジーの話をする。

NHKへ。
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の収録。

ゲストは、心臓内科医の延吉正清さん。

生き方と、そして顔の表情に
何とも言えない力のある方だった。

生き方も、知性も、そして感情も、
大切なのは「強度」だなと思う。

強く集中しているものの
回りには、自然と人が集まって
くる。

神様も、そして、人も、
きっとちゃんと見てくれている。

つまりは、「今、ここ」
に自分の中で起こることこそが
大切である。

奇跡は自分の中に、自分の責任で
起こせば良い。

そんなことを考えていると、
「現代」という精神から
次第に離れていくが、
どうせブーメランで戻って
来るんだから、
それでもいいと思う。

収録を終えて控え室に戻って
くると、見覚えのある字体
でノートが張ってあった。

佐藤雅彦さんが、
となりのスタジオで
「ピタゴラ装置」
の撮影をしているというのである。

しめた!

さっそく、「フロアディレクターの
マエストロ」山口佐知子さん、
日経BPの渡辺和博さんをお誘いして
見学にいった。

びっくり仰天。世界各地から
集めた佐藤さんのコレクションという
宝の山。

散在して作業にいそしむ学生たちは、
本当に楽しそう。

慶応大学佐藤研究室の学生は、
こうして春夏二回の「ピタゴラ合宿」
をするのだという。

すごいアイデアが次々と飛び出し、
実体化する。

ピタゴラスが現代の日本に降臨した!

3月 6, 2008 at 07:03 午前 | | コメント (5) | トラックバック (3)

2008/03/05

徹子の部屋

徹子の部屋

2008年3月6日(木)

http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/ 


3月 5, 2008 at 09:18 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

脳を活かす勉強法 14刷

茂木健一郎
『脳を活かす勉強法』 
PHP研究所
は、重版(14刷、累計35万5000部)
が決まりました。

ご愛読に感謝いたします。

PHP研究所の木南勇二さんから
のメールです。

茂木健一郎先生

いつもお世話になります。

土日は、札幌でのサイン会と河合塾でのご講演、
誠にありがとうございました。

また、おかげさまで
増刷となりまして
累計35万5千部となりました。

札幌の現役高校生、予備校生の皆さんが
受験は通過点であり、
その先には「知のオープンエンド」が
待っていることに気づいてくれて
いたら嬉しいです!


木南拝

http://www.php.co.jp/bookstore/detail.php?isbn=978-4-569-69679-9

amazon

3月 5, 2008 at 08:31 午前 | | コメント (2) | トラックバック (5)

ギャングとしての私たちの本質

甘利俊一先生が、「茂木くんの研究の
話を聞きたいなあ」と言われて、
理化学研究所脳科学総合研究センター(BSI)
のフォーラムに呼んでくださった。

甘利先生は現在脳科学総合研究センターの
センター長をされている。

思えば、1992年、博士号を取得した
私は、理化学研究所の伊藤正男先生の
下で脳科学を始めたのだった。

いわば、「古巣」に戻るわけで、
いろいろな想い出がよみがえった。

理化学研究所は和光市にあり、
緑豊かな広々としたキャンパス
の中に、研究棟が点在している。

光が丘公園からずっと
一時間くらいかけて歩いて
通った時期があった。

ある時、住宅街の中で、女の子たち
が遊んでいて、その横を通りかかって
しばらく歩いた時、
ふと、相対性理論で光の軌跡に
そって固有時の経過がゼロになる
ということの意味に思い至った。

それと同じ原理が、意識に
おける心理的時間の経過にも
適用できるのではないかと
思った。

「相互作用同時性」を思いついた
瞬間である。

その場所からしばらく歩くと、
崖があり、登ると埼玉病院、
そして理化学研究所の敷地に至る。

脳研究グループは、
当時は「フロンティア研究システム」
という名前で、
「思考機能棟」という建物の中で
みんなが研究していた。

私は、一階の伊藤正男先生の
チーム。
そこで、私の親友にして畏友、
田森佳秀に出会ったのである。

三階には、田中啓治先生の
ラボがあった。

始まる前、推進部の岸本充さんに
導かれて、伊藤先生と甘利先生の
部屋に向かった。

ご挨拶をして、そしてセミナー
室へ。

たくさんの方が来て下さった。

一時間、The contingent brainという
タイトルでお話する。

昔も今も、理化学研究所の脳研究グループに
おける「公用語」は英語である。
セミナーもフォーラムも英語でやる。

Contingencyという視点から、
昨今の脳科学の研究を概観し、
私たちの研究グループのデータを
紹介した。

そして、最後に、動的適応性と
認知的安定性を結ぶのが、「クオリア」
であると主張した。

質疑応答になった。

池上高志が来ていて、
いつもながらの「凶器攻撃」
をしかけてきた。

田中啓治先生との議論で、
contingencyにおけるregularityの
意味が問題になった。

noiseやirregularityの機能的
意義ということが問題にされるが、
脳は常にregularityを求めている
のではないか?

結局、この点についてきちんと
定式化しようとすれば、
contextというものの意味を
考えなければならない。

regularなものでも、今設定
されたcontextから離れた
情報であれば、effectiveには
noiseとして機能する。

脳がout of contextな情報を
いかにrobustに処理するか
という点が、contingencyの
意味の探究において重視されなければ
ならないところだろう。

広沢クラブに移動し、
懇親会をする。

伊藤正男先生、甘利俊一先生、
それに後から臼井支朗先生もいらして、
楽しくお話する。

再び岸本充さんに導かれて、
二次会は、和光市の近くで。
池上高志、岡ノ谷一夫、谷淳、
藤井直敬といったおなじみの面々。

それに、私の研究室の柳川透、
新潟大学から岩村憲、池上の
研究室を今春卒業する鈴木啓介
が来た。

The Gangという感じのメンツの
飲み会。

共感、熱情、遊び、小突き合い、
冗談、本気、マジかよ、
お前なあ、おいおい、コラコラ、
昔ねえ、そんなことないだろ〜、
いやいや、なかなか、
どういたしまして。

ギャングはいい。

ちびっこギャングだった頃と、
今と、
ギャングとしての私たちの本質は
変わっていない。

いつまでも、変わらないゾ!


2007年10月29日のギャングたち
(左から)
藤井直敬、柳川透、茂木健一郎、谷淳、池上高志、入来篤史
(ほとんど同じメンバー。入来篤史さんは
出張中で昨日はいらっしゃらなかった)

その時の日記
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2007/10/post_2138.html 


ちびっこギャングだった頃の私。
3歳9ヶ月。

3月 5, 2008 at 08:28 午前 | | コメント (11) | トラックバック (2)

2008/03/04

プロフェッショナル 祖母井秀隆

プロフェッショナル 祖母井秀隆

祖母井さんの言葉は、心に深く刺さる。
いつも今の状況について「フィニッシュ」
(終わり)を思い浮かべていること。
それでいて、目の前のことに
全力を尽くすこと。

一つひとつの課題に取り組むだけで
なく、どのような「設定」を課せば
もっとも向上できるのか。
そんなことに思いを致す
「人生のGM(ジェネラル・マネジャー)」
の必要性。

「本当のこと」は、いつも厳しく
そして暖かい、両義的な姿をしている。

NHK総合
2008年3月4日 22:00〜22:45

http://www.nhk.or.jp/professional/

すみきち&スタッフブログ

Nikkei BP online 記事
ダメなら「終わり」という緊張感と覚悟
〜サッカークラブGM 祖母井秀隆〜
(compiled by 渡辺和博(日経BP))

3月 4, 2008 at 08:14 午前 | | コメント (0) | トラックバック (3)

不意打ち

タイガー・ジェット・シンによる
「いきなりの場外乱闘」の
問題の続きであるが、
ベートーベンという人は、
音楽において「いきなり」
を実践したのではないかと思う。

有名な第五交響曲の冒頭の
旋律にしてもそうであるし、
突然現れるスケルツォ、
楽想の転換。
ベートーベンは「場外乱闘」
の音楽家と呼ぶにふさわしい。

"So pocht das Schicksal an die Pforte!"

「このようにして運命はドアを叩くのだ。」

作曲者自身の言葉に、
「場外乱闘の秘儀」が込められている。

たいへんに手元の仕事が忙しく、
朝から晩まで息をつく暇もなかった。

NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の打ち合わせ。

今回の担当は座間味ディレクター。
ゲストは、北九州市で心臓内科医として
活躍する延吉正清さん。

「心臓カテーテルの神様」
と言われる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/延吉正清

座間味さんが小倉に一ヶ月滞在して
撮影し、編集室に河瀬大作デスクと
籠もって編集した渾身のVTR。

若き弟子ががんばる様子を見つめる
延吉さんの表情が、素敵だった。
「慈母観音」がそこにいらした。

誰も予想はしていなかったのではないか。

人生の最も美しい瞬間は、
きっと私たちを不意打ちする。

生まれたまま、誰にも気付かれずに
消えていくものもまたあるかも
しれない。

文明の予定の外に、
生命にとっての本当のことは
起こっている。
その瞬間をとらえることができた
者は幸いである。

3月 4, 2008 at 08:06 午前 | | コメント (9) | トラックバック (0)

2008/03/03

『文明の星時間』 養和の飢饉

サンデー毎日

2008年3月16日号

茂木健一郎 
歴史エッセイ
『文明の星時間』

第4回 養和の飢饉

http://www.mainichi.co.jp/syuppan/sunday/ 

3月 3, 2008 at 07:45 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

タイガー・ジェット・シンの生命哲学

どんなに素晴らしい録音でも、
生の演奏には及ばない。

たとえそれが下手くそな
ものであったとしても、
「今、ここ」にまさに
それがあるということから
受ける感銘に及ぶものはない。

すすき野で食事をし、
バーに行って、ホテルに
タクシーで帰る時、
高層建築の谷間に時計台が見えた。

最初は切り開かれた荒野に
建造されたのである。
周囲がどんどん変わって、
いつの間にかビル街となった。

それでも、時計台は変わらない
姿でそのままある。

時計台のような人に会いたいと
無性に思った。

河合塾の建物の周囲を歩く。
札幌はすっかり現代の街の風情を
見せるが、
時折古い時代の建物があって、
はっと眼を開かれる。

時計台にしろ、名もない民家にしろ、
今それがまさに目の前にあるという
ことが、存在の奇跡として
感銘を与えるのだ。

午前、午後の二回、受験生や
父兄に向かってお話する。

お弁当を食べて、それから
ブリッジワークスの安藤さん、渡部さんに
仕事術の話をした。

小学生の頃、新日本プロレスが
好きで、5年生になった時、
一度タイガー・ジェット・シンを見に
行った。

近くの街の体育館に来たのである。

島村俊和が、「他のレスラーは演技だけれども、
タイガー・ジェット・シンだけは本気だから、
気をつけろよ!」
と興奮してささやいた。

体育館の入り口で「入り待ち」をしていると、
タイガー・ジェット・シンがサーベルを
持ってのっしのっしと歩いてきた。
「おおー」とどよめきが起こり、人々が
避けた。

ぼくと島村くんも一緒に下がった。

試合が始まると、いきなりシンが
猪木にサーベルで襲いかかった。
場外乱闘で、パイプ椅子が飛んだ。

それから、試合開始のゴングが鳴る。
場外乱闘の盛り上がりの頃合いを
見て、ゴングが鳴る。

そして、アナウンサーが、
「ただ今試合が始まりました」
と事も無げに言う。

一連の過程をプロトコルとして
「追認する」。
その間合いが、好きだった。

リング上で紹介され、「それでは」
と試合を始めるのではなく、
いきなりサーベルでなぐりかかる。

あれはタイガー・ジェット・シンの
生命哲学。

 札幌の街には、思い出したように
雪がちらついていた。

 その風景だけは変わらぬ。

 雪とひんやりとした空気の
ような自然の風情が、
時計台のような人を支える。

3月 3, 2008 at 07:41 午前 | | コメント (11) | トラックバック (3)

2008/03/02

インターネットと人生

ヨミウリ・ウィークリー
2008年3月16日号

(2008年3月3日発売)

茂木健一郎  脳から始まる 第94回

インターネットと人生

抜粋

 列車は、山間を走っていく。何世代にもわたって手入れされてきた里山の風景。水田が広がり、その中を細い道がおだやかなカーブを描いて通っていく。家々の庭が見える。
 時折、そんな風景の中を歩いたり佇んだりしている人が見える。博多からはもう一時間は走っている。このあたりに住む人の生活は、一体どのようなものだろうと空想した。
 この地に生を受けたら、いつも、あの山々を眺めているのだろう。ものごころがついた頃には、家から見える山の森の中に踏み入りたいと思うに違いない。小学校に入る。通学路に慣れていく。途中にある目印の雑貨屋さん。いつも挨拶するおばさん。そのような見知ったものたちが、次第に自分の生活のリズムを作っていく。

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

3月 2, 2008 at 07:42 午前 | | コメント (0) | トラックバック (2)

マリンスノウ

札幌では雪が降り積もっていた。

 白い粉が空から舞い、大地を
覆っていく。

 雪はすべてを浄化するのだと思った。

 北国の人は、年のうちの何回か、
天からの浄化を経験する。
 
 そのことが人々の精神に与える
影響は必ずあるはず。

 タクシーが、雪の路面で
少しずつきゅっきゅっと
滑る。
 その度に、私のおしりの
あたりがひんやりとした
加速度を受ける。
 
 風土というものは
さまざまな体験要素を通して
心の彫刻をしていくのだろう。

 電通の佐々木厚さん、
 PHP研究所の木南勇二さん、
横田紀彦さん、丹所千佳さん、
 大場葉子さん、ブリッジワークスの
安藤大介さん、渡部睦史さん。

 ずいぶん沢山の人が札幌に
来た!

 「丹所は金曜日休んでいたから
知らないけれども、『すべては音楽から
生まれる』、また増刷がかかりましたよ。」
と木南さん。

 紀伊国屋書店でサインをする。
 北海道新聞の取材を受ける。

 カニを食べる。
 美味しかった。

 水槽の中で触覚を動かしている
姿を見て、その風情にやけくその
生の躍動を見た。

 毛ガニの表面の毛が、まるで
大地に積もった雪のようだなと思った。

 バーやまざきに行った。
 マスターは元気だった。

 眠る前、
 ぎゅるぎゅるきゅるると
精神の芯を巻き取っていく。
 
 マリンスノウがそうであるように、
私の心の中に、なかなか着地しないで
降りしきるものがある。

 それに寄り添うことで、
精神は浄化される。

3月 2, 2008 at 07:28 午前 | | コメント (9) | トラックバック (2)

2008/03/01

『音楽を「考える」』3刷

江村哲二、茂木健一郎著

『音楽を「考える」』
(ちくまプリマー新書)は
増刷(3刷、累計19000部)
が決まりました。

ご愛読に感謝するとともに、
江村哲二さんにご報告申し上げます。

筑摩書房の伊藤笑子さんからいただいた
メールです。

茂木健一郎様


いつも大変お世話になっております。
筑摩書房の伊藤(笑)です。
さて、おかげさまで、江村哲二さんとのご共著
『音楽を「考える」』の
重版が決定いたしましたので、お知らせ致します。
刊行から間をおいてもこうして版を重ねられますこと、
心より感謝申し上げます。

たけし先輩との渾身の作・ちくま新書『思考の補助線』や、
同じく音楽についてのご単著
『すべては音楽から生まれる』(PHP新書刊)
の快走に引っ張られて、新しい読者の方に手にとって頂けている
のではないかと思います。有り難い限りです。

江村さんの存在が、読者の方の心の中でも
「鳴り響く」ことを願ってやみません。

内藤礼さんの作品のなかに、一本のか細い糸を見つけ出すように、
私たち一人ひとりにとってのか細い奇跡を見逃さぬよう、
まずは「耳を澄ます」ことが大切ですね!


乱文にて、失礼致しました。
またお目にかかってお話しできます日を楽しみにしております。

筑摩書房 伊藤笑子拝

3月 1, 2008 at 10:40 午前 | | コメント (4) | トラックバック (1)

『思考の補助線』4刷

ちくま新書 
茂木健一郎 『思考の補助線』は増刷(4刷、累計55000部)
となりました。

筑摩書房の増田健史さんから
いただいたメールです。


茂木さま

お世話になります、ちくま増田です。

さて早速ながら、お蔭様で、ちくま新書『
思考の補助線』の重版が決まりました。

何かございましたら、
当方の携帯電話にご連絡ください。
スペインでも通じるはずですので。

梅田望夫さんが、読売新聞の書評で、
小林秀雄の『考えるヒント』になぞらえ、
《「現代社会の補助線」たらんと疾走する
著者の生きざまが結晶した、情熱的な好著》
と高評くださったように、この本は、茂木さん
の思索と生活の極点、いちばん鋭
く尖がったそれが、最良のかたちをとって
顕れたものと信じます。

担当者としての贔屓目も多分にありましょうが、
茂木健一郎について(昨日こぼして
いらしたような)何かを言うなら『思考の補助線』を
読んでからにしてくれよ、と思
わずにはいられぬ次第。

ひとりでも多くの読者に、めぐまれますように
(これ以上、贅沢かな)。

それじゃ、僕は行ってきます。

要用のみ、ご報告旁々御礼までに。

株式会社 筑摩書房 編集局 第2編集室
増田 健史(Takeshi Masuda)

3月 1, 2008 at 10:34 午前 | | コメント (6) | トラックバック (1)

感動する脳 9刷

茂木健一郎

『感動する脳』(PHP研究所)

は増刷(9刷、累計30000部)
となりました。

ご愛読に感謝いたします。

PHP研究所 和田利子さんからの
メールです。

茂木健一郎先生

いつもお世話になっております。
PHP研究所の和田と申します。
『感動する脳』発刊の際、
小川より業務関係を引き継いでおります。

最近、『脳を活かす勉強法』
『すべては音楽から生まれる』など弊社の
ご著書とともに、『感動する脳』の部数も
伸びておりましたのをうけ、
9刷が発行されます。

取り急ぎご連絡申し上げます。
今後ともよろしくお願い申し上げます。

PHP研究所 学芸出版部  和田利子 


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3月 1, 2008 at 10:30 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

河合塾 札幌校 講演会

河合塾 札幌校 講演会

2008年3月2日(日)
10:00〜 14:30〜

http://www.kawai-juku.ac.jp/school/event/sapporo/08new/

3月 1, 2008 at 09:46 午前 | | コメント (2) | トラックバック (1)

紀伊国屋書店 札幌本店 サイン会

紀伊国屋書店 札幌本店 サイン会

『脳を活かす勉強法』『すべては音楽から生まれる』
発刊記念サイン会

2008年3月1日(土)18:00~19:00

http://www.kinokuniya.co.jp/04f/d03/hokkaido/08event.htm

3月 1, 2008 at 09:42 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

電気化されるために

電通にて、「顔」についての
研究ミーティング。

ソニーコンピュータサイエンス研究所。

日本教育新聞のインタビュー。

朝日新聞の取材。

ソニーの有機ELテレビ
じっくりと実見する。

液晶と違って、自ら光を発する。
発光しない時は黒くなる。

そのコントラストが、思わぬ
効果を生むことがわかった。

たとえば立体感。
物体がくっきりと前後に配置
されているように認知される。

人物が、「今、ここ」で生きている
ように見える。

オードリー・ヘップバーンが、
私たちと同時代の人のように
そこに息づいていた。

「生命の躍動」(エラン・ヴィタール)
の気配が強まっている。

テレビモニターは、これからまだまだ
進化するのであろう。
今までは、私たちの方が情報を補って
画面の向こうの「ヴァーチャル」な世界へと
近づいていたが、
今度は向こうからこちらへと
近づいてくる。

東京工業大学の研究室のメンバー、
それに田谷文彦との研究ミーティング。

須藤珠水が賭け行動における
loss chasingにかかわる脳機構
に関する論文を紹介。

実験は、もし賭ければ、常に
それまでの損失をゼロに戻すことが
できるように設計されている。
つまり、負けた場合には損失は二倍と
なる。

負けが続けばどんどん「深い」
谷へと降りる。

「一発逆転で取り戻そう」という
脳活動が、いかに形成されるか。

田辺史子は、エピソード記憶の
encodingにおけるfeature(locationと色)
の統合においてintraparietal sulcusが
どのように関与しているかという
実験をレビューする。

特定の色(black)が異なる
responseを要求するという設定が、
色に対するattentional stateを
高める。

細かい経験則の蓄積が、実験を
支えている。

2004年のアメリカの民主党大会
でのバラック・オバマの演説。

http://www.youtube.com/watch?v=370IOtsIJkQ 

http://www.youtube.com/watch?v=aekautDZlRU&feature=related 

ジョン・ケリー候補の応援という
形式を取りながら、聴衆の反応は
あきらかにオバマに向かっている。

その時まさに、会場は「電気化された」
(electrified)のである。

電気化されることの喜びを
知っている人は幸いである。

そして、私たちは、日々電気化されなければ
ならぬ。

電気化されるために必要なことは、
本当に価値のある、そして難しいことを
志向し続けることである。

そして、希望を抱くことを忘れない
ことである。

バラック・オバマの自伝は
「向こう見ずの野心」(The audacity of hope)
というタイトル。

向こう見ずの人間だけが、ますます
繊細に機能化していく現代社会で
正しく「電気化」されることができる。

3月 1, 2008 at 09:38 午前 | | コメント (5) | トラックバック (4)