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2008/02/24

妖精のしわざ

サミュエル・バーバーの
『弦楽のためのアダージョ』を
ふと耳にして考えた。

ポップスやロックを
含めたここ数十年の人類
が親しんできた曲を、バッハやモーツァルト
と比較した時の際だった特徴は、
「異なる要素が組み合わせられる
ことの緊張感」が
脱落したことだろう。

もっとも、民謡が素朴な
旋律主義に基づいている
ことを考えれば、
古典主義音楽、
教会音楽が「多様性の
封じ込め」を行ったことは一つの
特異点だったのかもしれぬ。

現代からは失われてしまった
「対位法」の世界観とは
何だったのだろう。
人間精神の単純化は、
現代の天空を舞うどんな
妖精のしわざか。

日本橋の髙島屋へ。

NHK「きょうの健康」
が放送開始から40年を迎えたのを
記念して開催されている
「NHKきょうの健康フェア」
にて、お話する。

宮川泰夫アナウンサーとは、
昨年の11月の「ねんりんピック」
以来。

宮川さんにお任せしていれば
本当に安心で、楽しくお話する
ことができた。
質疑応答も活発に。

突然、強い風が吹き始める。

春一番。

遠くの方で、誰かが、ほっぺたを
ふくらませて空気を吐き出している。

地球が丸いなどとは知らなかった
わが祖先たちは、地平線を
眺めてどんなことを考えていたか。

真実の発見は多くの幻視にとどめを
刺す。

物理的な真実への到達
がモノカルチャーを招くとは、
なんと皮肉なことだろう。
私たちは、多様な幻視をも生み出す、
多様性を支える普遍的真理を
再発見せねばならぬ。

対位法の精神の復活のためにも。

2月 24, 2008 at 06:26 午前 |

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コメント

対位法、ポップス、古典音楽、緊張感と見て、ブーレーズがCD『幻想交響曲』のオマケについているインタビュー(英語)で語っている<sonority> という言葉を思い出した。辞書アルクには「鳴り響くこと」とある。

中々意味深い言葉であるし、この音楽家がアメリカのプロオーケストラの響きを語る中で使うとますます効果的に、この言葉が生きてくる。

私は、音楽はどの分野も好きで、ラジオとかネットで何でも聴く。しかし、sonorityに打たれ、完成度に感銘するのは、古典音楽です。

いくら頭デッカチで楽曲を分析しても、sonorityのまずい演奏はいただけない。

投稿: fructose | 2008/02/27 3:12:17

★続きです★

別けることも大事ですが、元は一つだという真実を知ることが、現代には必要なのかもしれないなあ…と思うのでした。

宇宙の歴史もビッグバンから始まって…太陽系ができ、地球ができ、今に至る訳ですから。

こうした無限とも思える現象を、誰にでも分かるように陽の元に明らかにするのが、科学者や物理学者のお仕事で、

もの凄く気の遠くなる作業を必要としますが…ただ元は一つ、あらゆる人があらゆる環境・個性でもって生きていること自体が、小さなレベルでの宇宙の解明かもしれません。
そして、それは永遠ともいえる神秘とロマンに輝いているのかも。

私も時折夜空を見上げては気が遠くなりますが、シンプルな真実を信じるという、これまたシンプルな幸福に時折ドップリ浸かることで、明日への生きる力としています。

茂木さんのご活躍、いつも心より応援しております。

投稿: ももすけ | 2008/02/25 19:36:20

茂木先生のおっしゃる対位法。考えてみるに、異なる要素(人間も含めて)のコミュニケーションというか、響き合いなのではないかと思うのです。それには、多様性を前提とするのではないか。同じ音では対位法になりませんから。バッハとモーツァルトを聴いていると、そのように思ったりします。

投稿: 山本 | 2008/02/25 17:37:28

茂木さん、おはようございます!

申し訳ありません、私のコメント途中から切れてました(;^_^A

携帯からコメント送信すると長文はカットされるようです、

後で続きお送りします。よろしければ読んでやってくださいねm(__)m

沖縄はとても気持ちの良いお天気です、東京で言えば四月くらいの…

投稿: ももすけ | 2008/02/25 10:18:56

今日の日記の内容が、最近、私が気になっていた
「天然林」と「人工林」の違いにつながりました。
豊かな生物資源、遺伝資源の宝庫である天然林の在り方と
主に同一樹種で構成されている人工林の役割は違う。
後継者問題、コストの点などから経営が成り立たず、
荒れ放題で有効活用されることなく老齢化していく人工林。
輸入材に押され、広い森林面積にも関わらず、木材の自給率は2割以下。
天然林には天然林の、人工林には人工林の、それぞれを
活かすやり方で、両方の特徴を理解した適切な対応が
ヒトにも自然にも未来を与えてくれるのにうまくいかない。
「伐採は自然破壊」との画一的で誤った情報が人工林を弱らせていく。
(最も、日記の「対位法の精神」は、こんな具体的なことではなく、
観念的世界のこととは思うのですが…。)

または、「大乗」と「小乗」の問題としても???
茂木さんは、4~5年前にはすでに「小乗」派だったのですね。
美術館の案内放送にキレて叫ぶ昔の日記のエピソードに、
騒音と闘う己の姿をドン・キホーテにたとえつつ、平易な文章で
ユーモラスに綴った哲学者、中島義道さんの姿が重なります。
「現代日本のように、表面的な平等化が進み、餓えも暴動も戦争もない
ところでは、みんな『小さな差異』に敏感」云々。
そして「われわれがいかに日常の『小さなこと』によって苦しみ
あえぐか、それが些細に見えるからこそ、いかに『解決』は難しく、
他人の共感を呼ばす、ますます当人を不幸にしてゆくか、
このメカニズムを知らないとしたら、ほかに何を知っていようと
あなたは無知である。」と。
個人情報保護法なら、やたらと騒がれているというのに、
あちこちのブログのアクセス状況は管理者にチェックされ放題なのかなあ。
見張られているようで窮屈だなあぁ~、と騒音より、こっちのほうに
KYならぬNDだと中島さん的怒りを感じる私の「些細」な不幸(笑)。

いくら真実が発見され続けても、希望を探し続ける原子で構成された人間で
いることができればいいんだ、と自分に向かって
呪文のように唱えてみたり(笑)。
いくら無責任に書き散らしたコメントとは言え、
ズレにズレてしまい、大変、失礼しました。

投稿: Boo! | 2008/02/24 23:35:33

今日の日記の趣旨からはズレているかと思いますがすみません。
個人的な感想ですが。

戦争で全てを失い、疲弊した生活の中にあっても
前向きに生きようとした人々。
また、奴隷制度の中、神に向かって救いを求めた民族。
そういった、音楽が生まれる場所に、時として
素朴でもある民謡や教会音楽が存在してきた
という印象があります。
むしろ素朴にならざるを得なかった祈りの音楽。。。
それぞれの文化圏にそれぞれの精神の歴史があります。
マイナスをプラスに転化しようとする
人類の素晴らしい知恵の裏には
きっと深い悲しみや怒りが隠れているように思います。
表面に表れているものと
バックボーンにおいて背負ってきたもの。
ときには探るように精神の歴史に耳を傾ける試みも
忘れてはいけないなと感じました。


地球が丸いと知らなかった祖先たちは
あれ?素朴な(余計な)疑問なのですが
地平線や水平線が「見える」からこそ
地球が丸いと推測しなかったのでしょうか。
(地球が球体以外だったら
地平線や水平線の見え方はどうだったのか。)

>真実の発見は多くの幻視にとどめを刺す。
それでもその先の多様な幻視、
たくさんの妄想(笑)は楽しみたいものですね☆
そういえば、今日(2月24日)の新聞に、
観測史上最も遠い、地球から130億光年離れた銀河が
発見された、とありました。
宇宙で最初にできた銀河の一つとみられているようです。
130億年前の姿ですね。

投稿: s.kazumi | 2008/02/24 23:03:50

普遍的な海で泳ぎつづけること。
どうさ一つひとつをも慎重に行う。
仕事がら第三者の立場にいる癖がある。
その立場で居ると、どの様な泳ぎ方を得意とするのかは水面下ですぐにわかってしまう。
世界は自分だけではなく、まして他人様のプールなどで泳ぐ場合は、そうそう心の想うままに泳ぎたくとも、
過ぎる事は大人げない。どんなに泳ぎが上手くなったかと、真っ先に知らせたくとも。
ただ手元作業が明日へつながるように。

生きて死ぬ私へも少しだけコメントさせて頂きましたが、そのもっともな思考のベースがあってこそ濁る事もない。

投稿: 美容師 | 2008/02/24 20:39:02

茂木さん、こんにちは!

今日の日記を拝見させて頂き、宮澤賢治のことがパッと思い浮かびました。

肉体としての人の存在と共に、見えない精神の働きが必ず同居しています。

精神が肉体に働きかけ、肉体の働きが精神に影響を及ぼす。

私はたいして勉強しているわけでもないので、こうした説明は間違っているのかもしれませんが、

目に映る現象の裏には、必ず何か目に見えない意思、意図、感情のようなものが働いている気がしてなりません。

茂木さんがよく使われる言葉で言えば、それは"音楽"にあたるのかもしれません。
ロックもポップスもクラシックも民謡も様々な音色が存在します。

注文の多い料理店の序文に記されているように、

宮澤賢治の「あるような気がしてならないのです」は、本当に有ったのだろうな、観えたのだろうな、と私は思います。

宇宙の中に潜んでいる多様性は確かに今も存在し、
人が一時的に失明しているだけで、

失明の意味は、進化の過程での、正・反・合の、反にあたり、

合に至る過程で、普遍的真理に到達するために必要な、成長のための気づき、きっかけを導くものかもしれません。


別けることも大事ですが、
元は一つだという

投稿: ももすけ | 2008/02/24 19:14:48

この場合 普遍的真理とは 和声法のようなものでしょうか・・・

和声法・・という安全基地(ルール)があることによって
各々の旋律の主張のし合い、 通奏低音という アドリブ・・・・が
調和乱れることなく 互いに互いを生かしあえ 様々な様相の
音楽が成り立っていた

母の眼差しという安全基地の下 幼子が闊達に動き回ることができる・・・

現代社会では そのルールは希薄になり 主張だけが響きあう
不協和音のような様相を呈している・・と感じます

安全基地を求め彷徨い歩く人も 多いのではないでしょうか?


不協和音も 使い方によっては 音楽の深みが増し効果的な役割も果しますが・・・

永続的に鳴り響くと騒音になりかねない・・・

放浪の旅も人生の彩りを与えるかもしれないが
帰る場所がなければ いずれ疲れ果ててしまう・・・・


そんなことを感じながら 今日の文章を拝読しました・・


遠くでほっぺをふくらましていた誰かは・・
とうとう息切れなのでしょう・・
強風はようやく止みました。

ホッとしたように 大きく真っ赤な太陽が ビル間に沈んでいきます・・・

私の心の中も 穏やかな夕刻を迎えようとしています・・・・


投稿: エミ | 2008/02/24 17:33:20

弦楽のための・・どんな曲だろうなっておもってyou tubeで検索してみました。知ってます~いい曲ですね。
なんて悲しい音楽なんだろう・・
マーラーの5番の4楽章にも似ている部分もあるなぁとふと思いました。どうしてこの曲を作ろうとしたのか、勉強してみたいくなりました。
現代社会の中にも、対立法みたいに考えて生活している人たくさんいると思います。ただ、たまに脱線をしてしまう所もあるかもしれないですが。(音楽理論さっぱりですが)
今はきっと自分という存在の自己表現を出さないとダメという時代なような気がします。
だから人の話を聞かず自分の意見ばかり言うようになってるのかも。
私もその一人なのかもしれない。

私は今と20年前の歌では日本語の使い方がかわってるなって実感しています。
20年前の歌は、日本語の言葉の表現をものすごく綺麗につかっている。まるで詩人のように。
日本語はとても美しい。
言葉の中に色んな要素が隠れている。
その事に気がついて感動したりしています。

なんて話がわからなくなってきちゃった(笑)
NHKのスタジオパーク面白いですよ。
ドーモくんが大好きです☆
携帯ストラップ集めようと思ってます(笑)

投稿: kazu | 2008/02/24 14:52:29

“天使の合奏”のような「美しく整った」響きだけが「音楽」だと思いこんでしまうのは、ひとつの固定観念でしかない筈なのだが、産業革命以来の機械化した「文明」に飼いならされ、単純化・記号化された「文化」の中で、精神まで「mono」になりかかっている私達は、ついその「美しく整った」ものばかりを「尊ぶ」節があるようだ。

春一番の突風が吹き荒れた昨日、TVで、今は一人もいなくなってしまった越後長岡の盲目のご女(「ゴゼ」と読む、「ご」は「鼓」に「女」だったか、間違いがあればご指摘下さい)の人達が遺した「ごぜうた」を何としても後世に伝えていこうとする人々のドキュメンタリーを見た。
(NHK「新日本紀行 ふたたび」)

「ごぜうた」を後世に伝えようとする、地元のある研究家の人が「ご女の歌はいわゆる(西洋音楽のような)『綺麗な音楽』よりも美しい歌い方ではないけれど、その中には聴くものの心を揺さぶるなんともいえない響きがある」というようなことを言われていた。

この時“響き”“歌”の世界というものが、本当に多種多様な姿と、無限大の広がりをもって、私達の周りに無数にあるのだ、ということをつくづくと感じていた。

いな、私達の中にもやはりその響きはあるようにも、思えた。

投稿: 銀鏡反応 | 2008/02/24 13:14:44

「対位法」の世界観を、詳述することはできませんが、imitation,つまりあるmelodyや音型を、他の声部に異なった音高で繰り返す技法、やがて16-18世紀の対位法様式の基礎となり、2つ以上のmelodyが重なってできている音楽手法を、E.W.Saidは、テクストから排除されているものを回復させながら、テクストを読み解く方法としていますよね。
dodecaphonyなどの成立にともない、再び、「対位法」の意義が見直されているという論もあります。
時代的には、J.S.Back(1685-1750)にGeorge Berkeley(1684-1753)のNominalosmなどを対応させて思考してみるのも面白いかと思いましたが、博士は、充分ご存知のことと思いましたので、説明は省略しました。

投稿: Nezuko S | 2008/02/24 11:08:18

統計的な世界の記述が、果てのない全体性を殺していったように感じます。
それによって、絵画は額縁の中に閉じ込められ、音楽はその表面的な音の中に閉じ込められてしまいました。
いつしか我々は額縁の中の絵画を美そのものと感じるようになりました。
その絵画を通して美を感じる能力を失ったのです。
美はそれを生み出した実在の絵画から遊離し、またそれを知覚する意識からも遊離していくはずであるのに・・・。
我々は実在から遊離して自己を忘却する術を失ったように感じます。

また我々は「私が音楽を聴いている」と思うようになりました。
私と音、それぞれが違うからこそ、感応する理があるのは当たり前ですが、
しかしまた、忘却の彼方において、平等一体であるからこそまた感応する理があると感じます。

バッハやモーツァルトは自己を忘却し平等一体になることが出来たのではないでしょうか。
互いに独立した旋律が調和して重なり合っていく。
私と音楽が調和し重なり合い。宇宙と私が重なり合い。宇宙全体が音に満たされていく。

投稿: 金田恭俊 | 2008/02/24 10:54:39

こんにちわ

一発学習は、多様性を生んでいるのでは、ないでしょうか?
映画を見て、一回見るのと、二回目見るとでは、満足度が違う。また、寿司が好きと言う人も、毎日食べていると、さすがに飽きてくる。

一発学習、満足度は、多様性を生んでいるのではないでしょうか?(^^)

投稿: 多様性のクオリアby片上泰助(^^) | 2008/02/24 10:00:27

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