ざらざらとした感触
由布院から博多へ戻るとき、
車窓から山々とその間に
点在する家々が見えた。
住んでいるということは、
どうしょうもなく動かしがたい
ものである。
ずっとその景色に包まれて
ある。
同じ道を通り、雑貨店で
買い物し、佇み、空を
見上げ、そして自分の
手を見つめる。
どこにでも自由に
行ける、検索ができる、
そんなもんは私たちの
実生活の中にはない。
そんな重みをどこかで
担保しなければ、人間は
バカになる。
そうだ、どっしりしていて
いいんだ。
ネットなんて聞いたことも見たことも
ない人たちよ。
インターネットなんて、
知っちゃことじゃない。
そう言って全くかまわないヨ。
ボクはネットのヘビーユーザーだし、
これからも抱きしめ続けるだろうが、
それでも、インターネットなんて
自分という存在の本質とは関係がないと
どこかで思わなければ、
魂のバランスが保てないだろう。
桑原茂一さんと小倉へ。
「もり田」にて、茂一さんの
旧友と美味しい寿司をいただく。
手間のかかった美味しい
料理に元気づけられ、
人の心のあたたかさに
触れる。
福岡の西南学院大学にて、
「ホープフル・モンスターを探して」
http://www.clubking.com/topics/archives/02event/218vol3.php
はなわさんとお話する。
アーティストたちが、
作品をプレゼンテーションする。
議論する。空に向かって
手を思い切りの伸ばす。
すばらしい会になりました。
関係者のみなさま、ありがとうございました。
勇気というものは、ざらざらとした
感触がある。
スムーズには行かない重いところにこそ、
自分の生のエネルギーを注ぎ込まなくては
ならない。
2月 19, 2008 at 07:56 午前 | Permalink
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» 白洲信哉氏の著作(6) トラックバック 御林守河村家を守る会
『魂の居場所』のどこにそれが書かれていたのかは彼には思い出せない。
ただ、白洲正子が古事記や初期萬葉に登場する悲劇の皇子たちに興味を示していた
という一節があったように記憶している。
彼は学生時代、
三島の『軽皇子と衣通姫』なんかに触発されて、
夢幻能の... [続きを読む]
受信: 2008/02/19 10:17:46
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コメント
ネットの中に可能性が存在するように、現実世界にも可能性は存在すると考えています。動かしづらい現実世界にも可能性はある。今の自分は七対三の割合で、現実世界の可能性を重視しています。
投稿: 山本 | 2008/02/20 8:18:06
こんにちわ二度目の投稿失礼します。
私は、有名掲示板(2chではない。)で、発言していたのですが、はじめは、「○○が悪い」と言うような批判的発言をしていました。やがて、「○○が悪い、○○すれば良い。」と、批判とアイディアを出すようになり、「○○すれば良い」と、アイディアだけ出すようになりました。すると、掲示板で非難・批判される事がまず無くなりました。TVなどで、「○○が悪い」「○○が悪い、○○するべきだ。」と発言を聞くと、「無駄なものは付けないほうが良い」と、思うようになりました。
また、非難だけする人を成長過程の人と思うようになりました。
非難発言されると、自分も過去に非難発言した事があると思い出すと良いですよ。(^^)
投稿: インターネットのクオリアby片上泰助(^^) | 2008/02/20 0:45:16
私の場合、インターネットライフをはじめて、もう8年になるけれど、考えて見れば、この地球上には、ネット内でのべつ幕無しに流布している、諸々の情報よりも、もっと切実で、重いものたちで溢れている。
数多の聖者賢哲が残してきた、人間を豊かにする為の様々な教え、長い間に培われてきた生活の智恵、そして人類史の中で営々と積み重ねられてきた、数々の分野にわたる藝術文化、そして大自然が巧まず作り上げてきた、多様多元的な生物たちの世界…。
それらのひとつひとつはビット化された情報の断片などよりも生き生きとして、確かなる手触りがあり、とても重たく、掛け替えのなさに満ちている。
それにそもそも、ネットと付き合っている人間群は、地球全体から見ても、今だにほんの一握りでしかない(と思う)。
あとの大半の人達はみんな、そんなものとは全く関わりなく、各々の人生をそれこそ懸命に生きている。その、地球上に沢山満ち溢れている、ネットなどでは流通し得ない数多の、重たく、掛け替えのないものたちと寄り添いながら。
限り無く広い宇宙に変満する惑星の中にも、ひょっとしたら地球と同程度、あるいはそれ以上に高度な文明と言うものを持つ種族のいる星は、あるのかもしれない。
が、そんな種族の中にも、地球におけるインターネットのような電子文明の産物は全く知らなくても、または知っていたとしても、それとのべつに関わる事無く、やはり流通し得ない沢山の大切なものたちに寄り添いながら、懸命に自分達の生を生きる存在は、きっと沢山いる筈だ。
私も、最早ネットは手放せないけれど(休日には長時間張りつくクセがついてしまった)、世界に豊かに満ちている、重い切実な諸々と向き合い、受け入れて、勇敢に、また強く生きていきたいものだ。
投稿: 銀鏡反応 | 2008/02/19 19:47:34
空を見上げ、その複雑な時々の色、雲の形、降りてくる雪、雨、広々としてさえぎるものがないその空間を至高の美しいものと感じて(人工衛星など可視できない人間であることに感謝し)見やると、心に鬱積したものが浄化される。
海もまた同じ、自然の造形は人間が無意識に希求しているものではないだろうか?
投稿: Nezuko S | 2008/02/19 14:16:20
茂木さん、こんにちは!
素晴らしい対談だったのですね、
コメントされている方の興奮が伝わって来て、わ~私も聞きたかった!と思いました。
地に足をつける、どっしりするって人間として生きる上で、基本的で大切なことですよね。
私の住む島は、ITにおいては地理的に優位な場所らしく、
失業者も全国一なので、これから益々ITの利用が盛んになってくると思います。
また、都市圏との経済格差を少しでも埋めるための手段として、ITが期待されています。
東京から、体調を崩して戻ってきたので、この島の経済と首都圏の経済の差が、身にしみて痛感しています。
それとは別の問題として、茂木さんのおっしゃることも、すごくよくわかります。
人には足があるんですから、大地にちゃんと足をくっつけて生きていかないといけない。足がなかったらお化けになっちゃいます(笑)
東京で自分の内的自然を忘れて生きた私は、地に足をつけているようで、ついてませんでした。
それで体調崩して戻ってきて、鍼灸師さんにも、気が足腰にまわってなくてバランス崩れているから、ウォーキングして全身に気が廻るようにしてください。と言われました。
身をもって、大地に足をしっかりとつけることの大
投稿: ももすけ | 2008/02/19 9:53:19
こんにちわ
私は、病気なので、外出があまり出来ない・・・。
私は、インターネットで、いろんなところにアイディアを出してますが、直接返事はくれないが、時々使ってくれる人がいるようです。それが使われ「平和になった時の香り」を知ってしまった感じです。
本を出版する、代わりに、ブログを書くのが気軽でよい、と言う人も多いと思いますので、そんなに心配しなくても良いのではないでしょうか?(^^)
投稿: インターネットのクオリアby片上泰助(^^) | 2008/02/19 9:11:42