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2008/02/02

最近たまには

埼玉県春日部市にて、市役所の
職員のみなさんの研修会で
講演。

石川良三市長と、
特産品の羽子板をつくっている
ところを見学。

南健吾くんの展覧会にいく。

平面に関連づけて立体を
つくることで、
平面を単独で見たときと比較すると、
残像のようなものが
こころに刻まれるのである。

高松へ。

移動中、学生の書いた英文
アブストラクトを読みながら
ひたすら、いろいろ考える。

ある言語を習得するとは、
つまりは、文章を読んで
よい悪いという感覚的判断ができ、
今度は自分の意に染むような
文章を出力できる運動系を
持つことであろう。

だとすれば、言語習得は
音楽の修練に似ている。

吸って、吐いて。
吸って、吐いて。


リズムの中でやりとり
される言葉の中に、次第に
宇宙が定着されていく。

エスクワイアの取材で、
和田京子さんに対して
「美術館」についての思いを
語る。

講演会の時からそうであったが、
喉がどうもやられてしまった。

それでも、声を張り上げて頑張る。

のど飴をいただいた。
男はハカではなくヒリである。

『俺たちの旅』のDVDを最近
買った。
「やるせなさ」について考える。

 皆さん、最近たまには
やるせなくなっていますか。

2月 2, 2008 at 07:01 午前 |

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コメント

私にとってのやるせなさの金字塔は『俺たちに明日はない』という映画です。やるせなさ120%だと思います。

投稿: ヘルベチカ | 2008/02/03 23:45:31

喉の具合はいかがですか? 我が家には「かりん」の木があり、毎年たわわに実ります。たまに歯型のついた実が落ちています。「かりん」のクオリアは、ちょっと意地が悪いみたいです。

投稿: Nezuko S | 2008/02/03 2:17:32

せつない気持ちになる前に。

フラットでいる事をくせとして。


例えば恋愛。
男性は、恋愛をする事で仕事も充実するように個人的だが思う。

一方、女性は良くも悪くも恋愛のそのままが仕事に影響するように、これも個人的だが思う。


結局は逃げている。

日常のモチベーションを意識するあまり。

けれども、
結局は、せつない。


投稿: 美容師 | 2008/02/03 0:24:31

いくら膨大な量の文章を読みこなしていても、
その先の出力へリンクできなければ言語を習得したことにはならず…。
大切なことに気づかせていただき、ありがとうございます。

咀嚼→取り込む→出力 一連の作業の積み重ねが大切ですね。
幅広い言語に触れ、自分なりに深く落とし込み、
自らの奥底にあるものを何とか紡ぎ出し、
添削・吟味しながら適った論理を用いて形にするプロセス。
難しいことだけど、何事も修練ですね。

今のところ、吸うのも吐くのも、つっかえてばかりで、
なかなかいい循環ができませんが。
まずは基礎となる腹式呼吸からもっと鍛えなくては。

喉、心配ですね。
先日の風邪がひょっとしてまだ尾を引いていたのでしょうか。
(私は喉が弱いので、毎日AM1、PM1で必ずのど飴をなめますが。)
調子が悪いのに声を張り上げるだなんて「ヒリ」なことはなさらずに。
茂木先生の声は潤いのあるテノール、心地よいクリアな響き。
聴く側の心と体にスーっと浸透する、そんな魅力的な声です。
どうかお大事に。

「やるせなさ」の成分って一体何なのでしょうか。分かりません…。
男性の「やるせない」キモチはもっと分かりません(笑)。
男性はロマンチストですね☆
(ごめんなさい、ちょっと酔ってます。)

投稿: s.kazumi | 2008/02/02 22:37:14

こんにちわ


茂木さんの本を読んで、英語の本を2週間ぐらい読んでいるとわかってくる、と、聞いて、今、英語の本を読んでいます。

アマゾンで「赤毛のアン」と検索して、買ったのですが、「赤毛のアン」ではないみたいです。(^^)

投稿: 言語のクオリアby片上泰助(^^) | 2008/02/02 21:23:59

「言語習得は音楽の修練に似ている」
本当にそうだと思います。フランスの小学校では、学生一人一人に、
クラスの皆の前でpoemeを暗唱させる授業があります。ただ暗唱するのではなく、
時には小川のせせらぎを流れる木の葉のように、時には平穏を掻き乱す嵐のように、
言葉を上手く空間に馴染ませながら、感情豊かに表現するのです。
僕は得意ではありませんでしたが・・・(笑)
でも、例えばある一編のpoemeを真剣に表現しようと試みて、
夜のVersailles宮殿の池の上で、水上ボートに乗りながらpoemeを詠うLouis王朝の詩人と心が通ったときは、格別の喜びがあります。

ところで僕は、最近「やるせなさ」でいっぱいです。
「microとmacroの断絶」が僕をそうさせます。この「世」に生を受けた以上、知ってみたいと思うことがたくさんある一方で、この「時代」に生まれた以上、「知れることのborder line」があります。ロマンと現実の狭間で、僕の魂はゆらゆらと揺らいでいます。

投稿: ひろぽん | 2008/02/02 20:29:34

小乗を突き詰めることと、クオリアを突き詰めることは
同じことなんだと思いました。

きっと、途方もない旅になるのでしょうね。

お体お大事にがんばってください。

投稿: おおはたみやお | 2008/02/02 18:35:32

う〜ん、時々そういう思いになる時はありますね・・・。

「やるせない」ってなんだか、なんとも身の処しようのないというか、心に何かもやもや、もぞもぞとしたものがあって、どうしようもない状態になることをいうのだろう。

ちょっと「うらぶれる」も入っているのかもしれない。

投稿: 銀鏡反応 | 2008/02/02 16:05:19

受験生の自分にとって、やるせない気持ちは友達です(>_<)

投稿: ガンガン | 2008/02/02 10:11:32

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