平成20年 いま大切にしたいものは?
平成20年 いま大切にしたいものは?
あなたにとって“大切にしたいもの”は何ですか? 平成20年のいま、時代が移りゆく中でも私たちが“大切にしたいもの”は何かを探る長時間の生放送をお送りします。日本のかけがえのない自然、人々の暮らし、日本の伝統など、私たちが大切にしてきたものをスタジオのゲストとともに見つめます。また、放送をご覧のみなさんに、お便りを大募集!番組の中でご紹介します。皆さんが“大切にしたいもの”は何かお教えください!
2月 10, 2008 at 09:03 午前 | Permalink
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コメント
私が大切にしているのは母が残してくれた山形県庄内地方の黒柿細工の針箱です、現在はタイ国のチェンマイに住んでいますが、タイ人の妻が大切の使用しています。
チェンマイ在住の
富樫 健
投稿: 富樫 健 | 2008/02/11 15:51:22
私は茶道をしていますが 茶道は本当にいいですよ。
美味しいお菓子を頂いてお茶を頂く それだけではないのです。
その場所に座って静かなひと時の中にも 皆様との交流 使われているお道具の知識 お菓子の銘とか全国の美味しいお菓子をいつの間にか頂いていると言う事もあります。
お抹茶も体にはとてもいいですし 日本文化が全て集まっているのですよね。軸の書もしかり 焼き物 塗り物 しふく 香 お花も日本の珍しいお花もいつの間にか知ることが出来ています。
思いやりの心 ご挨拶などいまの子供達にも 日本の美しい言葉を伝えていかなければならないと感じています。
お教えしない限りそれは伝えることは出来ません。
姿勢も今は崩れていると思います。良い姿勢を保っていくのも気をつけていないと出来る物ではありません。体で覚えていく所作も美しい日本人として身に付けて頂きたいと思います。
大切にしたい学ぶ心 気持ちのゆとり 学ぶ事が沢山ある茶道を多くの方に経験していただきたいと思います。
学校茶道を中学生の時に授業で出来ればして頂いて 日本の子供として全員に心得を持っていただければ 随分と変わってくると思います。
社会人も忙しさに忙殺され気味な方こそ 1服のひと時は大事と考えます。今こそ男性にも茶道で文化的生活を取り入れて 趣味の幅を広げて頂きたいと思います。
誰でも素敵な人になれると確信しています。
茶道をもっと広げていきましょう。
投稿: 宗由 | 2008/02/10 23:58:30
茂木さん、こんにちは。いつもブログ読んでます。思考の補助線も読み始めるところですヽ(^^)
私は都内の大学に通う大学1年です。
私は自分の生きる意味や価値がどうしてもわからなくて、ただひたすら生きることと向き合って考えてます。
この世界には、絶対、不変、永遠なんて、何一つもないような気がして、そのことを考えると、生きるのが苦しくなります。でも、未来に希望を見いだせないのに、それでもわたしの頭や体で生きていかなきゃいけない。絶対的な何かにすがりたくても、それはいつか必ず裏切られる。変わりやすい人の感情であったり、究極、人は死んじゃうんですから。
そして、
日本は無宗教な国って言われますけど、その原因が私なりにわかったような気がして…もちろん、合ってないと思うのですが、
日本は、システムがちゃんとしすぎてると思います。考えたくて、何かにすがりたくても、朝になれば、教育システムが、社会システムが、私達を現実に連れ戻す。
そうやって、人々は、働くことに躍起になり、
考えることを忘れていったのではないでしょうか。いや、時間がない、って感じでしょうか。
自分がここに在ることに疑問を持ち、その存在意義を考えたら、自分の弱さに直面し、自分の生きる意味は何もないことに気付いた、そしてその不安や弱さから逃げだそうとして、絶対的な代わりのなにかを求めるのは、もしかしたら、アブノーマルなことではないのかもしれないと、思いました。
世界的に見ても、宗教は存在する。それなのに、日本においては、宗教と聞くと、負のイメージしか沸いてこないのは私だけじゃないはずです。
そして私は、こんな社会にしたのは大人たちのせいだと勝手ながら思ってしまいます。
思考の補助線の冒頭に書かれてあったように、
日本人は、あらゆることへのpassionを失いつつあるのではないでしょうか。だから、宗教も信仰しないし、ただひたすらみんな普通や当たり前であろうとする。
みんな「いい子」だけど、なんだかつまらない社会ですね。
なんて、長々と偉そうなことを書いてすみませんm(_ _)m
これからも、茂木さんの作品やブログを読んで、私の生きる道標にさせていただきます!
大ファンです!
投稿: 典子 | 2008/02/10 15:30:59
私にとって本当に大切な【もの】って、普通一般的な意味での「もの」なのかなと考えてみました。例えば、【美】、美が【もの】ではないと言ってしまうと、なんか安っぽく、場合によっては胡散臭く感じて、でも「もの」であると言ってしまうと、美が美である所以が消え去ってしまいます。【クオリア】もそうですよね。【もの】と「もの」との根底に何があるか。
それは関係性ではないかと素人なりに思いを向け、世界との関係から独立自存した脳なんてありえないという考えに至ったのですが、そのような関係性に目を向けると、インドラの網のように、全世界に広がって捕らえ所がなくなってしまいます。
私にとってはそれが、本当に大切な【もの】なんですが、もっとも身近なはずなのに、うまく表現できません。自明であるはずなのに、明らかになっていません。さて私はその大切な宝をもっているといえるのか、いえないのか・・・
投稿: 金田恭俊 | 2008/02/10 14:16:04
こんにちは。
「大切にするもの、しているもの」について考えることは、ついつい何気なく生きてしまうなか、大切な作業ですね。
NHKにも投稿させていただきました。
〔自分だけのものだと勘違いをして生きてきた30年。父、母、祖父、祖母…幾千にも遡る先祖。動物、植物、別のいのちを食してわたしは、いのちを維持していることを知りました(プロフェッショナル出演の天才シェフから)。
病気を患い、家族、友人に支えられながら、いのちを維持していることに気がつきました。いのちを大切にするということは「共生」を考える作業につながることでしょう。
いま大切にしたいものは、いのちです。〕
明日は長時間のご出演ですね。がんばってください。° ♪
投稿: 才寺リリィ | 2008/02/10 11:21:56
自然や伝統も確かに大切です。
しかし、個人としては
‘自分の感性’
これが、最も大切なものです。
投稿: ガンガン | 2008/02/10 10:25:39