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2008/01/28

大いなる円環

「中央公論」にて連載中の
「新・森の生活」の来月号の原稿を
送ったら、井之上達矢さんからこんな
メールをいただいた。

ーーーー

それにしても、
最近、
茂木さんの書かれる文章の
表面に出てくる「熱さ」の下には、
虚無的と言えるほどの「冷たさ」があるように
思うようになりました。

今回の原稿でも、
うっかりすると
茂木さんの主張は、
「世界が「拡散」していくのは当然なのだから、
そこを声高に言わなくてもいい。
むしろ
人間が生命体として活力を持って生きていくためには、
世界の「収束」にこそ意識を傾ける必要があるのではないか」
という「熱い」ものだと
受け取れてしまいますが、
実は
その根底には、
「拡散」も
「収束」も
「この世の原理作用である」
という
「冷たい」世界認識があります。

「世界はこうすればよくなる。頑張ろう」
でも
「世界はこうしたほうがよくなる。頑張ろう」
でもなく、
「世界はこうなっている。頑張ろう」
という世界との対峙の仕方。

茂木さんの世界に対して、
本当に伝えたいことは、
この辺りにあるのではないかと
勝手に夢想しております。

ーーーー
小学校の頃など、友だちと
遊んでいて、
ふっと校庭の端に行き、
一人で地面の上の蟻や、
転がっている石ころを
見ていることがあった。

大学生の時に作った
箱庭には、村人たちの
祭りを、山の中からのぞき込んでいる
猿が登場する。

宇宙の中の不条理という
通奏低音にずっと耳を傾けている。

そんな内側の音楽を井之上さんは
聞き取ってしまっているのだろう。

高知に日帰り。

高知市文化プラザかるぽーとにて、
第3回美術コンクール(Concours des Tableaux) 
の審査をさせていただく。

昨年は長谷川祐子さんが審査に
いらしたとのこと。

会場の52点をまずは二回、
参加者の出品表を見ながらもう一回
見た。

本審査では、それぞれの作家の
方々と会話をしながら、それぞれの
絵について探っていった。

とても大変だったが、
最優秀賞1点、優秀賞2点を
選ばせていただく。

絵は、見るのも楽しいが、
自分で描く方が何十倍も楽しい。
そこには思うように行かないという
苦労があるからだ。

運動系の出力が思うに任せない
という苦みほど、人生の中で
味わい深いものはない。
だから、とにかく、自分の
身体を動かして表現してみることだ。

クオリアを感じ、自分という
楽器を鳴らし、感性を天翔させる
ことは表現者となるための必要条件である。

セザンヌの絵に戦慄し、
モーツァルトに魂を震わせることは
大切な資質である。

そこに運動出力が加わって
ループが閉じなければならない。

感性の早足を私たちは身体の遅足で
追いかけなければならない。
セザンヌやモーツァルトの良さが
わかっても、同じものが自分から
表出できるわけではない。

そのギャップに苦しみ、
もがきあがく試み以上に
人生で甲斐のあることはない。

やがて、大いなる円環は
その姿を現すことだろう。

1月 28, 2008 at 06:31 午前 |

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コメント

>絵は、見るのも楽しいが、
自分で描く方が何十倍も楽しい。
そこには思うように行かないという
苦労があるからだ。


絵じゃないですが、今日、久しぶりに生け花をしました。自分が買ってきた花と与えられた、アゼボと千両だったのですが、アセボと千両を大胆に生けたのはいいのですが、大胆さの中にどうしても静けさがほしかったのですが、悩みました。
大胆の中の静けさ。
人生でも難しいものなのでしょうね。
先生のアドバイスを受けてどうにか、形になりました。

投稿: | 2008/01/29 13:33:58

氷のような情熱

盲目的ではなく
皮肉屋ではなく

投稿: | 2008/01/29 0:23:23

白い紙を前にし、右手にペンあるいは鉛筆を握り締め、思いのままに自分の頭の中にある表象を、二次元世界の事物として紙の上に描き表わす。

そのとき、心が無になり、自在の思いを覚えると共に、いま一歩深い世界を紙の上に表わすことができないことに、もどかしさを覚えることがある。

けれどもその、もどかしさに耐えながら、描きつづけていくうちに、きっと新たな境地を見出せる、ということだけは、確信している。

絵かき道具を手にし、白い紙に自分が描きたい何かを描いている時、私の思いは、宇宙の虚無性と向き合っているのかもしれない。

投稿: 銀鏡反応 | 2008/01/28 23:59:45

人間には、「熱さ」、「冷たさ」があるように思います。「熱さ」「冷たさ」をクルクル混ぜて暖かさを作るような気がします。(^^)

投稿: | 2008/01/28 23:56:44

「世界はこうなっている。頑張ろう」という世界との対峙の仕方。
世界に対してコントロールしようとしてもムダだけれども、
という前提が背後にある気がします。
ある意味での恐ろしさ、一方での豊かさを秘めている世界。
そもそも「こうすればよくなる」という単純な構造ではないはずだし、
むしろ、それで本当に上手くいくなら、
世界なんて豊かではないものとしておさまってしまう気さえします。
何だかんだ言っても、私なんかは、
「拡散」も「収束」も、世界の様相がちっとも分かってないので、
先ずは次号の「新・森の生活」読んで勉強しなきゃです。


人は思うようにいかないと
(表現する場合の他にも周囲とコミュニケーションする場合等々いろんな面で)、
くじける、自己嫌悪に陥る、鬱々とする、行き詰る、逃避する。
ついにそこで終わってしまう。
でも、そうじゃないんだよ、そこで立ち止まらずに、
試行錯誤をしなさいと茂木先生は言ってくれる。
試行錯誤の価値に気付かせてくれる。
切ない苦しさを「人生の味わい」と表現してくださる。
こういった言葉に触れられることが幸せです。
のろのろ足だけど、躓いたり転んだりするけれど、
それでも一生懸命になって、信じる感性を追いかけてみる!

投稿: | 2008/01/28 23:44:44

絵は見るより描くほうが楽しい
言ってみたいです

私は目前に白い壁を突きつけられて
逃げたくなる気持ちになっていました

今は比喩で言えば目前の白い壁でも
自分なりに納得いくまで向き合えるようにはなりました

若さの欠点が消えたせいでしょうね

投稿: | 2008/01/28 17:01:57

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