「椿」が象徴する心の余裕
ヨミウリ・ウィークリー
2008年1月20日号
(2008年1月7日発売)
茂木健一郎 脳から始まる 第86回
「椿」が象徴する心の余裕
抜粋
そこで三十郎は一計を案ずる。ちょっと間が抜けた敵方の長老たちに、「椿を流すのは襲撃の中止の合図だ」とウソをつく。長老たちが、あわてて椿を流す。たくさんの鮮やかな椿が流水に乗り隣の屋敷にたどり着く。「合図が来たぞ」と喝采する若侍たち。見事なクライマックスシーンである。
面白いのは、奥方と娘の反応。男たちは、生きるか死ぬか、やるかやられるかというギリギリの崖っぷちにいて、命を賭けた合図として椿を使っているのに、「まあ、なんてきれいなんでしょう」などとのんびり応えている。そのようなずれに込められた遊びの精神。黒澤明監督のユーモアが名作『椿三十郎』に何とも言えないのびやかな味わいを与えているのである。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。
1月 7, 2008 at 09:53 午前 | Permalink
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