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2008/01/06

泥の中に隠れている真珠

難しいこと、
大変なことに挑戦している
時に、一番生き甲斐を感じる。

快楽主義は、精神の千日回峰行の
中にあると、はっきりと
悟った。

問題は、そのためのスペースを
つくることができるかだ。

現代というものの真ん中から
いったんは離れなければ、己の芯を鍛える
ことはできない。

行ったり来たりの往復運動の
中で、生きることの振れ幅を
増していくしかないのだろう。

深海に潜り、底の泥の中に隠れている
真珠を見つけて、陽光の
輝く海面へと持ち来る。

浮いたり沈んだり、
その垂直運動に耐えられるだけの
精神力、体力を育みたい。

『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の収録で坂東玉三郎さんにお目にかかった。
とてつもなく素敵な方だった。

1月 6, 2008 at 08:19 午前 |

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受信: 2008/01/09 14:36:50

コメント

<序章>
私は尋ねた、「どこから来たのか」と。
男は答えた「経験からだと」。
私は尋ねた、「どこへ行くのか」と。
男は答えた、「抽象へ」と

(静かに、そして子供に語りかけるように・・・)

<第一章>偶有性は深い洞窟
「偶有性」に満ち溢れる経験世界という洞窟を探検し出会う経験は
ダイヤの原石なんだ。ダイヤを磨けるのはダイヤだけ。
だからちいさな「ひらめき」というダイヤを集めてからでないと
大きな経験に立ち向かえない。探検する前に「学習」という準備をしないといけない。でないと迷ってしまう。チャンスはちゃんと準備した人にやってくるんだ。洞窟の中は道ができてるだけましだけど、洞窟の中でみえるのはヘッドライトに照らされた自分の周りだけ。進む先は未来、歩いてきた道は過去。なのに同じように暗く見えない。思い出すようにひらめくってこと。高速道路みたいに先の方では渋滞してしまう。
自分の足元しか見てないからだね。待っているのは硬い岩盤さ。そこまできてどうしても立ち止まってしまうんだ。でも誰かが反対側から掘ってくれてると信じて進め。

(クレッシェンド)

<第二章>「偶有性」は広い海
小さな「ひらめき」を手にしたら海のなかだって探検できるようになる。今度は道がない本物の体験だ、でも本質はそこにあって。真珠のように長い時間をかけて自然に生まれるんだ。原石のように磨かなくていい。でもこれを見つけるのが案外難しいだ。学校ではどんなにがんばって見つけたと思っても養殖されたものなんだ。やるべきは探索じゃなくて探検なんだよ。探すものが初めからわかってるわけじゃないだ、偶然出会うんだ。えっ、探すものは真珠とわかってるって?それは泥にまみれていて真珠とわからないんだよ。そう、どこを探せばいいかがわからない。だから探検なんだ。いきなり海に飛び込みのは怖いよね。
でも、ネットというプールがあってね。そこで泳ぐ練習も出来るんだ、でも気をつけてね本物の探検じゃない。それは検索という探索だから偽者もごちゃ混ぜになってる。普遍的なものってのは泥まみれで眠ってるんだ。人はそれに気づき拾い上げる。それを創造っていうんだ。創発っていってもいいかな。だから簡単な仕事じゃない、泥臭いからみんな面倒がって、すぐ模倣に転じてしまう。でもね根気が大事なんだ。息の長い創造性こそ求められているんだ。しょっちゅう息継ぎするようじゃだめだよ。そんなの無理だって?練習だよ、練習して得た様々な記憶が創造性を作るんだ。探しているものとは別のものが手に入る時だってあるけど、それも創造性なんだ。だってそうだろ、海に飛び込まなきゃ手にはいらなかったんだから。
物語の続きは君たち自身で作るんだ。そう、まず海にとびこんで。そうしたらはじまるよ。

<私との再会>
男は尋ねた、「どこから来たのか」と。
私は答えた「経験からだと」。
男は尋ねた、「どこへ行くのか」と。
私は答えた、「抽象へ」と

(デクレッシェンド)

そして物語は振り出しにもどる

投稿: CAPJ | 2008/01/07 11:15:23

こんにちわ

私が、経済掲示板(2chでは無い)で発言していた時、学んだものですが、反論を頭の中で肯定文にして、無毒化する事です。
誹謗中傷は役に立ちませんが、反論を、たとえば「それは低すぎます。」を「高く考えるべきだ。」等、と、頭の中で切り替えて無毒化して読むと、反論に、時々ヒントが得られる事があります。


少し思ったのですが、茂木さんの勉強法の本が中国で売れれば、すごいのではないでしょうか?14億人のマーケットですよ。(^^)

投稿: 逆転のクオリアby片上泰助 | 2008/01/06 21:52:41

新年を迎えて、はや6日。こちらも正月気分がすっかり抜けて、徐々に「仕事モード」に切り替わりつつある。

この正月休み、いろいろな思索を自分なりに廻らしていた。

益々厳しくなりつつある私達庶民の現実。そうした現実と真正面から向き合うことも大事だろうけれども、日々の基本的生活だけに埋没していては、自己自身の成長はない・・・。今年はもう少し自分が抱いてきた夢の為、自己を磨いて頑張っていこう。そういう気持ちでいる。

季刊「考える人」の茂木博士の連載「偶有性の自然誌」を読ませていただいた。

茂木さんもご自分のありったけをこの連載にぶつけられる、ということで、半ばワクワク、半ば緊張しながら、ページに眼を通した。

何か起こるか、何が待ち構えているかわからない、この世界。

よく考えて見れば、周りの環境だけでなく、人間それ自体も、ほっておけば何をしでかすかわからない「偶有的」な存在なのだろう…そうでなければ「倫理」とか「哲学」とかを生み出してまで、自分達の行動の軌道を整えるということはしなかったのかもしれない。

「偶有性の自然誌」第1回を読ませていただいた後、少ししてそう考えた。

ともあれ、今年は自己にとって「今までやりたくても、なかなか出来なかったこと」に挑んでいきたいものだ。

投稿: 銀鏡反応 | 2008/01/06 10:43:33

おはようございます。

>現代というものの真ん中から
いったんは離れなければ、己の芯を鍛える
ことはできない。

この言葉と昨日の文章内のグロテスクさと残酷さが
結びついてなんだか心配になってきました。

上記のコメントがどのくらいの距離なんだろうと。

それから、快楽主義について今、調べてみたのですが、
心地よいことは生きている実感はとても薄いです。
でも、その世界は確かに心地はいいし、
それを幸福と勘違いしてしまうほど、
やさしい感覚に包まれますが、そこに「生命の喜び」はありません。

体験的コメントに過ぎませんが、うつ状態になっても、そのうつ状態を
横に置いて(感じながら)自己リサーチしたり生活している体験をして
いる状態からのコメントです。

ただ、クオリアは自分以外の人間を捉えることができないのでは、
無いか。と言うむちゃな理論を作ってしまう思考ですので、
単なる主観(まぁ。大抵が主観ですが)に過ぎないかもしれません。
もっと、むちゃ言うと自分が人間であることも捕らえられないのでは
ないか。と昨夜ちょっと思いました。

数日前からなぜか、「人間」「人間」「人間」って言葉を
こころは時々繰り返しつぶやいているのですが、、、何かを捕まえようとしているようです。

ふぅ。
クオリアと言うものが本当はよく理解できていないのかもしれませんね。

なにはともあれ、あまり無茶なことはなさらないように。
クオリアを「科学的」に解明してくださるのは茂木先生だと
期待しています。

昨年、理研さんが、統合失調症の関連遺伝子を発見したように、
仔細→http://www.riken.jp/r-world/info/release/press/2007/070220_2/detail.html 
茂木先生たちの力でクオリアも「この世に姿」を見せてあげてくださいね。

あ、そうか、、、きっとそれが、先生の言われている「真珠」なのかもしれないとフト思いました。

投稿: あすか | 2008/01/06 9:58:04

おはようございます ‘ー’*.°○。♪
朝は特に日の出まえ、わたしは前向きな気持ちになります。

“真珠を見つけて、陽光の輝く海面へと持ち来る”
このお言葉、強烈に惹かれました。

わたしも“浮いたり沈んだり、その垂直運動に耐えられるだけの精神力、体力を育みたい”です。
イチローのOAは鬼気迫るもので、今までに見たこともないイチローの姿にとても驚きました。あんなに大きな舞台に立つのだから重圧は仕方がないと思いつつも「かわいそう」、また、「イチローも同じだ。息ができなくなったり、眠れなくなるんだ」と共感を覚えたり、「一弓、すごいハンサム!」などといろんなことを家族に発言したながら拝見しました。
専業主婦で重圧というと気恥ずかしい・・・、“無意識下の不安、緊張”をいかに取り除くかがわたしのテーマです。

玉三郎さんのOAも楽しみにしております。

お仕事がんばってくださいね。

投稿: 才寺リリィ | 2008/01/06 9:14:20

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