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2008/01/23

そこに石がある不思議

科学が究明する自然法則は、
いったんこの世界ができあがった
後に物質がどうやって時間発展して
いくかは明らかにするが、
 そもそも、宇宙がなぜここに
存在するかは説明しない。

 相対性理論の時空モデルは、
4次元の世界線のありようは
理屈づけるが、
 時間の流れそのもの
「今、ここ」の特別さは
解き明かせない。

 生命活動に伴って生まれる
「意識」をはじめとする
さまざまな不可思議な副産物も
その由来が明らかではない。

 生きて、意識を持つ中で、
私たちは数々の「謎」に直面し、
包まれている。

 だから、自分の命の脆弱な
ありように打ち震えるような
思いを抱き、この世界があるという
不可思議を畏怖する「信心」
を抱くのはごく自然な思いだろう。

 自然発生的な「信心」
が、教義や組織が整って
「宗派」となり、やがて様子が
変わってくる。

 時には対立し、人が傷つけられ、
戦争が起きることもある。
 
 信心をかたちにしたり、
言葉で表したりすることは
とても難しいことである。
 多くの場合、
無記を貫くのが良い。

 三輪山は古来信仰の場で、
神社や寺院といったかたちが
整えられる以前から祈りが捧げられて
いた場所。
 
 山自体が御神体で、歴史の
中で、入山はきびしく制限
されてきた。

 現在では、届け出て
印のたすきをかけ、登拝することが
できる。
 山中での撮影、飲食はすることが
できない。

 三輪山を登った。
 降雪の後が残り、
吐く息が白い。
 歩を進めるうちに、身体が
熱くなってきて、思わずマフラーを
外した。

 山というものが「物質」
として何ものか、その成り立ちは
わかっているつもりだが、
 現象学的には果たして何なのだろう。

 ましてや、造山活動や
元素や太陽系の進化などあずかり知らぬ
昔の人にとって、山がどのように
映っていたか、わき出る水は何もの
だと観じていたか。
 そのような問題群の向こうに
「御神体」はある。

 一時間ほどで山頂に着いた。

 黒い石があり、しめ縄が巻かれて
いる。

 並び立つその様子は、
一目見ると忘れられない感触がある。

 そこに石がある不思議。
 自分が見ている不可思議。
 全てをもたらした自然のプロセスの
摩訶不思議。

 山を降りる中、何もなく、
ただ澄み渡っていることに
気付いた。

 信じることの理想の形は、
心が無になることであろう。

 三輪は古来小麦の生産が盛んで、
そうめんの名産地である。

 暖簾をくぐると、
炉が切ってあって、
火がおこっていた。

 にゅう麺を啜る。
 寒い身体に温もりが
しみ入る。

 一味をかけたら、
白い中にぱっと赤い花が咲いた。

1月 23, 2008 at 07:05 午前 |

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コメント

無事是貴人の境地を究められましたか?
量子論を印象的に表現されているのですね。
無から出てきて無に帰っていく姿は、まるで
本来の状態にもどるようで面白いです。
空気中の分子みたいに、あちらこちらと
偶然に動かされて行くけれど
その時々で得た経験の中から自分なりの、
でも、独りよがりではない何かを
見つけていけるようになれれば良いのですが。
私が「今、ここ」にコメントを残す確率も
どのくらいだったのだろう??
皆、ブログとの温度差に左右されている(笑)?

投稿: pipichan | 2008/01/25 0:34:36

はじめてコメントさせていただきます。

信じることって、
ぼくは「そのものになること」だと思っています。

たとえば宗教。

ある宗教を信じるということは、
その教えをまったく一点の曇りもなくそうだと思うことであり、
例えばキリスト教信者なら、
キリスト教を信じるという生易しいものではなく、
その人=キリスト教という状態を本当は指すのでしょう。
だけど、
人間はなかなかそうはなれないから、
不断に祈ったり参ったり、
果ては出家までして自分の全部を捧げないと、
そういう状態を維持できないのだと思います。
ぼくは不信心者ですが。

例えば恋愛。

その人が好き。
一点の曇りもなく好き。
ということであるべきなんでしょう。
だから、
誰それの「どこが好きなんですか」なんて質問は、
とても変で、
「こういうところは好きだけど、こういうところは嫌だ」
みたいに答えるのは、
もっと変ではないでしょうか。

「一点の曇りもなく」というのは、
「絶対感」とも言えるかもしれません。
他の可能性からある一つを選ぶのではなく、
「もぅ唯一これ」という感覚。

さしずめイチローは、
この絶対感を追い求めている人だなぁと。

投稿: JST | 2008/01/24 23:36:43

静止している。
と、み間違うかのような。

大粒の雪がふった。


ご多忙、なによりですね。
なにぶん体の声は、
聞いてあげて
下さいませ。


空中の白。
にゅう麺の白は、
おいしそうだなあ。

投稿: 美容師 | 2008/01/24 1:53:13

なぜ、ここで?というかこの空間で?
ビッグバンが起こったのか。
137億年前の謎。

宇宙がなぜここに存在するかという不思議は
何億年先の遠い未来においても
永遠に解けることのない不思議であってほしいかな。。。
途方にくれるほどの不思議さは夢を膨らませてくれるから。
でも「今、ここ」の特別さは
茂木先生が解き明かし投げかけていってほしいな。

謎だらけの中を生きていて、
不安を抱き誰もが信心を起こしたくなる。
そこで尤もらしく表された形や言葉は、
危険なまでに人を固執させてしまう。

信心したければクオリア日記を読みましょう(笑)。
多くのことが救われるから。
深い学びが得られるから。


寒いですね。
東京にも美しき白いものが舞い降りましたね。。。 

投稿: s.kazumi | 2008/01/23 23:50:43

今日(1月23日)、ここ東京も、ようやく銀世界になりました。

お昼前までの束の間だったけれど、銀灰色の空から白く冷たいものがしんしんと舞い降る情景は、久しく見なかっただけに、とても清らかなもののように見えました。

その清らかな白が、そうめんの真っ白さと重なってくるように思えました。


大昔において、人類が若し、初めから森羅万象の謎に対して、恐れと敬いを抱き、祈りを捧げる心を生み出さなかったら、信心というものは生まれてこなかったのかもしれない。


投稿: 銀鏡反応 | 2008/01/23 23:27:25

「信じることの理想の形は、心が無になることであろう」という言葉に妙な納得をしました。
今まで信じることについて深く考えたことがありませんでしたが、この言葉を見てからよく考えてみると、考えれば考えるほどこの言葉の持つ意味の深さを感じました。

投稿: SimpleGypsy | 2008/01/23 23:01:01

信じる事。
心が無になる事。

今日の日記は凄く素敵ですね。

無記。

投稿: LINUS | 2008/01/23 21:34:04

わ~~~!
ラーメン二郎のときよりビックリしました~。
そうめんってあるからあの三輪山で間違いないですね。
実はおばあちゃんちからクルマで30分くらいのとこですぅ~。
三輪山には行ったことはないですがオリックスの清原選手も結婚式を行なったと思います。
ウワサによれば太古の頃伊勢神宮の「元の場所?!」(かなり四角い小さな神々しい土地だったような写真を見たことがあります)はあのあたりにあったと聞いたことがあります。

PS:
脳の神様「脳天神社」っていうのも奈良吉野山に鎮座されてますよ~。


投稿: やん坊 | 2008/01/23 20:58:14

「何もなく、ただ澄み渡っている」とき、
浄化され、それまでの自分が抜け殻になって、
少しおおきくなって新しくなったような気がします。

投稿: F | 2008/01/23 14:59:30

こんにちは。
三輪山は奈良でしょうか。 仏教(概論と仏教縁起)を少々学びましたが、その後いまだ修行を目的に寺院を訪れたことはありません。
お賽銭をしに先週、近所の神社へ寄りました。 今年は大厄なのでお祓いも受けたいのですが。

「石=意志」という感覚があります。
「石の上にも3年、意志の上にも3年」。
通信制の大学(人間学・心理学専攻)も体調を理由に秋ごろ退学を考えましたが、続けることを決意しました。 現在3年です。 卒業できなくても、やはり常に、なにかを「知りたい」、「学びたい」のです。

別のスレッドのお話で失礼します。
イチローの昨日のOA、拝見しました。イチローの、2008年の「意志」を強く感じました。

寒いので風邪をこじらせないよう祈っています ('ー') .♪°

投稿: 才寺リリィ | 2008/01/23 13:12:55

茂木さん、はじめまして。
教えていただきたいことがあります。

子供の頃、なんでだかわからないんですが、
「6って、紫色だな。。。」と
思ってしました。
なんでそんな風に思えるんだろうと不思議でした。
最近、うちの夫にそれを言ったら
「わかる、6って紫だよな」って言われて
ちょっとびっくりしました。

これって、どういうことですか?

投稿: めちゃ | 2008/01/23 12:47:41

生命は伊吹を与えるものであるともいえるが、無生物はどのような役割を果たしているのであろうか。従来、無生物と生命との境界ははっきりしたものであるとの認識が全てであったが、最近はやや懐疑的なところもある。

動物と植物の世界でも同じようなことが存在している。草花が昆虫などの形体を模倣できることについては、植物には目がないにも関わらず、正確に昆虫を再現させている状況などもなかなか説明しにくい。

人は全てのことを自分に置き換えて物事を考えようとする。犬や猫や魚についても外界が我々とほとんど変わらないよう見えていると思ってしまう。いや信じ込んでいる場合が多い。

岩の立場になれるのは人であり、岩は人の立場にはなれないはずであるが、ものに思いを込めるという意味ではものも岩もあまり変わりない。ご利益があるといってただの石を売って儲けた人がいるが、信じることの強さ怖さを感じる。逆に考えれば石にもそのような力が存在したと考えることができる。つまり石にも畏怖を感じてしまうこともさもありなんである。

唯一時間のみが、我々を超越して存在に変化を与えることができるが、脳はスローな変化を認識するのは得意ではない。変化は全てのものに対して対照的に現れる。動いているもの、動いていそうもないもの、動いていないもの、目で感じるか、手で感じるか、脳で感じるかの違いはあまり重要でなく、理性によって束縛された本性の能力を封じ込めているかどうかが問題であろうと思う。

投稿: westhill | 2008/01/23 11:23:48

こんにちわ

「シムシティ」と言う、ゲームがあります。市長になって、街を作っていくゲームですが。初期バージョンのシムシティーは、人口を増やしたり、街の財政をよくしたり、街の景観を良くする事が目的でした。最新バージョンのシムシティーでは、市民の幸せ度が大きなウエイトを占めています。

われわれの宇宙以外の宇宙にも、何か共通するがあるのかもしれませんね。

最近、経済研究強化中で、ゲームできません。息抜きでWiiスポーツで、テニスはしますが・・・。(^^)

投稿: シムシティのクオリアby片上泰助(^^) | 2008/01/23 9:52:55

我が尊敬する茂木先輩が大神神社にご参拝されたとは何というクオリアだろう。私が学んだ高校が三輪山の近くにあります。創立100年は経っていると思います。当時いつも三輪山を見てクラブ活動していた青春の風景が蘇ってきました。遠い20数年前の出来事がリアルに現われて来ます。それは自分が思い出そうとしていたわけでもないのですが、何か汗の匂いと共に瞬時にあらわれてきます。何とも不思議です。今は京都府の南部に住んでいますが、笠置山にも紅葉を楽しみ数年前いった事があります。こころが洗われ、一心にあの石段を子ども達と歩きました。あの時の感情をいつまでも抱いて前進して行きたいと思います。

投稿: アパ | 2008/01/23 9:41:28

こんにちは

共感覚について思いを巡らせました。持ち上がる数々の出来事。その持ち上がる色々な表面の力を客観視するとき、意識の混濁と融解が起きるのでは、、なんて。

関東は雪が降りました。白い毛皮のように見える雪たちに、それを追う狩人の視線がまじりました。

投稿: モリモト | 2008/01/23 7:58:19

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