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2008/01/17

いい人

「日本書紀」と「古事記」
の記述を巡っての、本居宣長と
上田秋成の論争。

その点について、
先日お目にかかった橋本治さんは、
「いやな人って、書くものの中に、
長い間掃除しないで放っておいて
苔が生えたような、こびりついて
容易にはとれないものがあるでしょ。
本居宣長を批判する秋成の
文章は、いやな人だな、と思った。
それに対して、古事記を評価する
本居宣長は、矛盾とか不整合が
あるとしても本人はいい人だなあ、
と思った」
というような意味のことを
言われていた。

別の次元が導入される
ことによって、
ぱーっと見通しが
明るくなることがある。

古事記と日本書紀を巡る論争は
ついつい重いものになりがちだが、
上田秋成は「わるい人」
本居宣長は「いい人」
という全く別の軸を導入することで、
何かが解放される。
メクジラ立てて論じている
ことが無効化されて、
ひざかっくんになる。

もちろん、いい人だからと
言って、言っていることが
正しいとは限らない。

橋本さんは「本居さんは
古事記に書いていることがすべて
真実だと自分で信じていれば良かったのに、
それを公にしちゃったから
いけないんだよ」と言われて
いた。

公私の軸をうまく使うことで、
硬直化した議論に生命を吹き込める。
なにしろ、私たちそれぞれにとって、
「私」というミクロコスモスは
「宇宙」というマクロコスモスに
対置される重みを持つのだから。

PHP研究所。取材と、
打ち合わせ。

東京工業大学大岡山キャンパス。

東京工業大学 理数プロジェクト2007 
シンポジウム

有馬朗人先生、伊賀健一先生と。

学部一年生の
弘田啓時クン、長井悠祐クンが
パネリストとして加わる。

会場との議論といい、
その後の懇親会での会話といい、
元気いっぱいだった。
そして、覇気があった。

何よりも、橋本治さんの言葉を借りれば、
みんな「いい人」だった。

「いい人」のエネルギーは素晴らしい。
それは、良きものを信じるという
ことである。
世の中がどうなっていようと、
文句は言わない。
自分が信じるものに賭ける。
寄り添う。
失敗しても、ぐずぐず言わない。

それが、世間はこうなっているから、
しがらみがあるから、
と談合するようになり、
精神の奥底にしみ込んで
ひねてすねてごちゃごちゃ
いうようになってくると、
次第に橋本さんの言う「いやな人」
になってくる。

心にカビが生える。

基準を自分の中に持ち続けて
偶有性の海に飛び込んで泳いで
いる限り、
ぼくたちは何歳になっても
「いい人」でいることが
できる。

カビが波で洗い落とされるのだ。

いいシンポジウムだった。
懇親会場で、みんなで写真を撮った。

(photos by Atsushi Sasaki)

1月 17, 2008 at 08:16 午前 |

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コメント

昔、聞いた歌詞のたとえを使うと
一万本のスプーンを前に途方にくれ
「ひねてごちゃごちゃ」状態。
そんな時、現実を切り開く一本のナイフを
すっと手渡してくれる。
私の「いい人」はそんなイメージです。
自己弁護の態度を増長させるような
甘えたものではないから「ナイフ」という言葉も
ぴったりくる。
「いい人」自身、様々な経験を乗り越えてきた実績があるから
「ごちゃごちゃ」な人が単なる遊びや楽しみで
そんな状況に浸っているのではないことを知っている。
奥底で、もがいているものを見抜く。
寡黙、でも全身で雄弁に語ってくれる。
必要とされているものを絶妙なタイミングで
手渡すことができる。
手渡されたものが「ナイフ」なのだと気付くことのできる
自分でいたい、と生意気ながら切実に思っています。
人の苦しみを窓外の景色のように傍観する人生は簡単。
こんな私でも雨に降られ、雪に凍えて得たささやかな体験は
血肉になってくれているのだと実感できます。
芝居も映画も自分の身に引き寄せて鑑賞する醍醐味が
なければ、安易な暇つぶしの娯楽。
何を引き寄せられるかは、人それぞれ。
「いい人」な一面を引き出してあげられなかった自分が
悪かったのだ!と自分に「ひざかっくん」ありますorz

茂木さん、打ち上げで「修理」中、私も新宿にいました。
ナイフをくれた人のおごりで思いがけずデザート三昧。
今、横向きに寝たらお腹のお肉が横に流れそうでコワい(笑)。
人のメタボの心配より自分のメタボにとほほ。。。。です。

風邪ですか!ご自愛ください。

投稿: pipichan | 2008/01/19 23:54:15

「いやな人」というのは、「老いた心の人」のことなのだろう。そして、「心」という名の「鏡」が真っ白に曇った人のことでも、あるのだろう。

よく「心」は「鏡」に譬えられるときく。鏡は磨かないと、指紋や汚れ、サビがついたりして、次第に白く曇ってきて、ものの映りが悪くなる。

心も同じで、鏡のように磨いていないと、次第に人の心のあや、ものごとの本質を曇りなく移すことが出来なくなる。そういう心になってしまうと、その人は「いやな人」になってしまうのに違いない。

常に人生の波浪にあって、自己の信ずるところのものに基づき、常に心という鏡を磨きながら、その波浪を突き進む人は、心が何時までも老いさらばえずに、一生若々しく透き通った心の「いい人」で居続けることが出来るのだと思う。

また本当に「いい人」は、世間のいろんなしがらみや障害に負けない人のことをいうのだと思う。

同じ人として、一寸先は霧の中、の人生を生きるなら、心に曇りやカビをはやさない「いい人」として生きたいと、常に思っている。

投稿: 銀鏡反応 | 2008/01/17 21:49:16

こんにちわ

茂木さんの勉強の本を読んで、「英語」を自己分析してみると、「英語」を学問だと思っていたのが間違っていた気がしてきました。「英語」は道具(ツール)の一つだと思ってきました。

日本語も道具と言うわけで、道具が悪いと言えば悪いとなりますが、道具をうまく使う事も必要なわけで、そこら辺で、悪い人、良い人に、なってしまうのでは、ないでしょうか?


私は、タバコをやめられない、悪い人です。(^^)

投稿: 言葉のクオリアby片上泰助(^^) | 2008/01/17 19:46:16

重くなってきたら、
「全く別の軸を導入することで、 何かが解放される」
日常生活のなかでも、いえますよね。。
身も心も、動かなくて、そうしたら、
     ぜんぜん違うものが飛び込んできて、
           おかげで、次に、いけるときがある。


投稿: F | 2008/01/17 12:09:35

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