ある文脈においては孤独であること
何かに気付かないことが、
鋭い感受性に支えられている
ことがある。
世間の流儀に合わせないことは
もちろん、
その空気に感染することが、
自分の創造性の核を侵食する
と思うとき、
クリエーターはあえて
目を閉ざし、耳をふさぐことを
半ば無意識のうちに選択することがある。
何人かの卓越した人たちを見ていて、
そのような結論に達する。
仲間とわいわいやることは
たのしいが、一方で、ある文脈においては
孤独であることが魂の平安に資するのだ。
1月 18, 2008 at 09:15 午前 | Permalink
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» 今年一年の運命は「“紙”のみぞ知る」ってか?! トラックバック 不学問のススメ
今日相次いで大手製紙メーカーが
再生紙に使用していた古紙の配合率が
記載と違っていたことを明らかにしました。
国民としては
「王子、大王、三菱、北越、お前もか!」という感じです。
去年はあまりにも偽装が乱立して
呆れてしまうくらいでしたが、
今年もこ....... [続きを読む]
受信: 2008/01/18 23:45:45
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コメント
建築のクリエーターです。
社会人の端くれとしては、周りを気にしながら仕事している。
しかし、この世に自分を表現していく上で、主張を譲らず、突き進まねばいけない時がある。
そのタイミングを外さない人が優れたクリエーターなのだと思う。
仰るとおり、「無意識に」それができると尊敬する。
・・・難しい。
性格かな!?
・・・がんばります!!
投稿: サル雄 | 2008/01/23 20:44:27
建築のクリエーターとして。
社会の一員として空気を読み協調してやっていく必要は、確かにある。
しかし、クリエーターとして自分を表現していくには周りがどう言おうとも譲らず突き進むときが必ずある。
その見極めができる人が優れたクリエーターと言えるだろう。おっしゃる通り、「無意識に」それができる人を尊敬する。
できないんだな~それが!
気にしますよ、周りの目。
がんばります!!
投稿: サル雄 | 2008/01/23 20:36:41
仕事を終え、家に帰り、家事を済ませ、やっと一人になる。
世間のセオリーから離れ、一人孤独の中に身を置き、沢山の事を徒然なるままに考える。
私にとっても、孤独の時間は、想像力=創造力を養う為の大切な時間です。
そりゃあまぁ、気心の知れた人達とワイワイやりたいな、と思うこともなきにしもあらず、が!やはり、創造的でありたいなら、一人で様々な思いに浸る時間があってもいいじゃないか。いつもそう思っています。
投稿: 銀鏡反応 | 2008/01/20 0:56:53
夜もおそくだったり。
ときには、ひっそりと時間を楽しむのが
すきで。
神様がいるのだとしたら。
どう時間をえらぶ事も、平等に与えられた
才能なのかもしれませんね。
投稿: 美容師 | 2008/01/19 1:34:30
はじめまして
学生です.
まだ,24年しか生きてないひよっこですが
なんとなく,上記の感覚に共感します。
あと…
茂木氏は,職業は脳科学!
脳科学は学問で見ると広いようで狭い範囲!
でも狭いようで可能性が広い範囲!!!
【プロフェッショナル 仕事の流儀】を拝見させていただいていますが
色々な方とお会いして意見・考え方を間近で聞いているのをみると
羨ましい限りです。
投稿: Taka | 2008/01/18 23:57:03
"ky" or "kay" ?
「空気読めない」 もしくは「空気aあえて読まない」こと。
”空気読みつつも” あえて”読まない”ことの”有機的勇気”を
ワタシワ モチタイ 予定調和まみれの日本なんか私はiranai...rai?
投稿: 新潟のおーけー | 2008/01/18 19:26:24
こんにちわ
人間、誰でも、一人部屋を持ちたいと思います。また、みんなでわいわいしたい時もあると思います。だから3LDK、4LDKがあると思います。(^^)
投稿: わいわいと一人のクオリアby片上泰助(^^) | 2008/01/18 13:24:46