« 『すべては音楽から生まれる』3刷 | トップページ | 学習ということを真剣に考えていくとき »

2008/01/11

新・森の生活 自由について

中央公論 2008年2月号

連載
新・森の生活(14) 自由について

一部抜粋

 自由について考察する者は、自らが置かれた制約を憎んではならない。そもそも私たちが自由に闊歩できるのは地球という大きな塊と、その及ぼす重力があるからである。制約の中に投げ込まれることは、常に不条理である。しかし、その制約を受け入れ、抱擁し、愛することによって自由への逸脱が生じる。
 ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』の中で、喉の奥を蛇に噛まれている男は、私たち一人ひとりが置かれている制約を象徴している。縛り付ける「重力の魔」から逃れようと思っても、私たちは串刺しにされて身動きがとれない。
 男がその蛇を噛み切って立ち上がり、目を輝かせて笑う時に、生の逸脱が起こる。その時、私たちは生きることの偶有性を抱きしめる。制約から逃げようとするのではなく、むしろ受容し、もって安全基地として跳躍使用と覚悟を決める時に、私たちはこの不条理な地上の生のありさまを、心の底から愛することができるようになる。

http://www.chuko.co.jp/koron/ 

1月 11, 2008 at 08:55 午前 |

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 新・森の生活 自由について:

» 「レゼルヴなき跳躍」への修練 頭ではわかってるんだげど「まだ充分には感じていないこと」 トラックバック 旅籠「風のモバイラー」
引用: 中央公論 2008年2月号 連載新・森の生活(14) 自由について 一部 [続きを読む]

受信: 2008/01/13 0:31:59

コメント

肘が外に曲がらないという不自由なことが、実は真の自由なのであり、自然なことであると感得し、矛盾が矛盾ではなくなる時、喉の奥の蛇を噛み切ったことになる。でもなんと難しく勇気のいることか。

投稿: 山岸浩 | 2008/01/13 22:23:45

「蝮の咬み傷」(岩波文庫)でしょうか? あらためてこの章を読み返えしてみると、「均衡における新しい道徳」であるような、私には成せないことばかりのような(読みが浅く申し訳ありません)。
明日は休日、久しぶりに続きを受容的観取しようと思いました。

投稿: Nezuko S | 2008/01/12 22:46:27

「制約を安全基地とする」
その発想はまったくありませんでした。
そして、すごく感動しました。

投稿: K.K. | 2008/01/12 0:31:04

ちとち 知と恥
知 とは 恥 である
恥 なき 知 そのものこそが
恥 なのである
知よ恥を知るがいい

知とともに
恥とともに
未来はある

投稿: 新潟のOK | 2008/01/11 21:03:54

コメントを書く