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2008/01/03

ガウス分布の端の方

誰にでも勘違いはあるもので、
ボクは、ある時までに「迫力」
をなぜか「追力」と書いていた。

「追っかけていく力」とでも
思っていたのかもしれない。

ある時、「そうか、ひょっとして、
迫の中に白があるからハクと読むのか」
と気付いた。

それから、迫力と正しく書けるように
なった。

「クイズ!ヘキサゴン」という
番組の存在を初めて知ったのは、
「ベストハウス1、2、3」
の生放送のスタジオでのことで、
荒俣宏さんの隣りに座っていたら、
ヘキサゴンを紹介するコーナーが
あって、何だかとても楽しそうな
雰囲気がかもし出されていて、
興味を持った。

その後、別の機会にお目にかかった
つるの剛士さんとスザンナさんが
どうやらこの番組に出ている
らしい、ということを、
スタジオでのコメントから
間接的に知った。

今現在、最も高い視聴率を
誇るヒット番組の一つだと
教えてもらった。

昨日、越乃寒梅を飲みながら、
やっと見ることができた。

計算問題が出て、解答者が勘違いを
していた。
ピットインの20秒×3回を、
加えなければならないのに、
引いてしまっている人が
たくさんいた。

なるほど、そういうところで
つまづくのか、と思った。

計算の失敗や、漢字の読み間違いを
エンターティンメントとして成立
させてしまっているのは
すごい。

そこに現れているのは、
「世界はどうなっているかわからないゾ」
という一種のめまいの感覚ではないか。

私は
「わからない」ことの可能性に
関心があるから、「できない」ことが
すなわち否定すべき状況だとは思わない。

wikipediaの項目には、

一部のPTA団体や教育関係者からは
「高視聴率の人気番組でこのような
人選をされると、無知なほうが
(テレビに出演できるなど)得で
あると思われてしまう」という懸念
もでている。

とある。

なるほど、それが世間の「良識」
というもなのだろう。

一方、
ぼくには、どんなことでも、
ガウス分布の
端の方にいくクセがある。

『プロフェッショナル 仕事の流儀』
のイチロー・スペシャルを
真剣に見る。

今朝になり、
携帯電話の着信を見ると、
午後2時30分頃に白洲信哉から
電話があった。

秋田になまはげを見にいくと言って
いた。
きっと、酔っぱらって電話をよこした
のだろう。

惜しいことをした。その時間は
起きていて、筑摩書房から出版予定の
『思考の補助線』のゲラを読んでいたの
だが。
電源を切っていたのである。

「なにをしているんですか?」
という、信哉の独特のリズムの
声を聞きたかった。
年が明けた気分になったろう。
信哉の声には、どこか、良質の日本酒の
馥郁たる香りがある。

『思考の補助線』のゲラに戻る。

ゲラにしてくださった
筑摩書房の
増田健史が、構成について、
ある工夫をしている。
なるほど、と感心しながら
読んだ。

「ちくま」に連載した原稿は、
私にとってもっともエッセンシャルな
問題を真正面から論じている。

少し前の自分と向き合うこと。
過去との対話である。
過ぎし時に考えていたことは
少しずつ無意識の古層に移動し始めている。
ふり返ることは、
無意識をかき混ぜて意識への
対流を起こすような作業である。

蜂蜜かりんとうを
幾つかかじった。

ハチがぶぶんと飛んでいる
その時間が、対流となって
よみがえる。

1月 3, 2008 at 08:59 午前 |

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生命とは制御不能なもの(注:「茂木健一郎 クオリア日記」2007年4月7日 生命 [続きを読む]

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» ある異常3 トラックバック Tiptree's Zone
「私の父は、父といっても義父だけれど、生態系学者で、母は写真家だったわ。当時、二人はアマゾンの熱帯雨林の生態系を調査しにそこへ訪れていたの。そして母の挙動が、ある時から少し怪しげになったことに父は気づいたの。何かを隠しているような振る舞いよ。これは母の行....... [続きを読む]

受信: 2008/01/04 0:26:17

コメント

脳科学「歯止め必要」56% 文科省研究班が調査な記事を見つけてしまいました。=人の考えがわかってしまうようになっては悪だというような記事でした。

どんな研究分野にも、こうして使用しているネットの世界にも使い方によっては、いかようにも転んでいくかと思うのですが…。

自分の考えていることさえもわからなくなってきたり、自分の意志決定でさえも迷う、自分の心の深層を覗きたい時さえあるのに、ましてや他人の考えていることがわかってしまうなんて脳科学が進んでもありえないような…。


いい方向に脳科学がこれからも進んでいってくれることを願っています。

投稿: tomoko | 2008/01/06 15:30:37

ヘキサゴンは、よく見てますよ。
木下優樹菜、いいっスよ(をひ。

計算に関していうと男性陣のほうが概して筋がいいね。

>無知なほうが(テレビに出演できるなど)得である

んなアホな(w

つーか、最近クイズ番組で現役T大生とかいう女性達を
やたら見るにつけ
「君ら、TV出るためにT大入ったんか?」
といいたくなってしまうので困る。
まあ、いまどきはT大出たって別に大して得じゃないから
TVの一つも出たくなるのはわからんでもないが(w

投稿: JA | 2008/01/04 15:06:55


『クオリア降臨』。
の中、伊藤若沖作品のクオリアについて書いてあった。
作品の名が文章上もインパクトがあり、その文字に目がとまった。


8年程前。
ロダン美術館で
『接吻』を目の前に
涙が出てきました(特に知識もなかったのに)。
感情。
どうしようもなく、しばらくその場から動きたくな%

投稿: 美容師 | 2008/01/04 1:45:46

蜂蜜かりんとうを食べ、蜂が飛んでいる姿を想像する、その感覚がなんだかとても面白く感じた。蜂が飛んでいるのを自分も想像したらあの蜂から甘い蜜が採れることを最初に知ったのは誰なのか?と疑問に思ってしまった。
色々な物に関して最初どうだったか、とても不思議である。ある人がピーマンはあんなに苦いのに誰が最初に食べようと思ったのか不思議だと言った。確かに最初に食べたらまずいものだろう。
人は実にさまざまな食べ物を食べてきて、現在に至る。
自分の好き嫌いにも遠い過去の記憶のようなものは関係してくるのか。
それならば自分の脳が喜ぶものを取り入れることが幸せか、好みというものの起源を知ることができたら面白いのにと、考えてしまった。

投稿: 知 | 2008/01/03 23:11:05

はじめておじゃまいたします。
午後2時半でなくて午前ではないですか?
どうしても気になりまして、、、

投稿: トリ | 2008/01/03 22:44:18

美しい

投稿: ファーブ | 2008/01/03 22:37:25

ヘキサゴンの人たちは、答えを知らないだけだからアホとは言い切れないのだけど、見ていて思わず膝を打ちたくなるような天才的な間違えをイマジネーションで叩き出す解答者を、紳助兄さんがいじって笑いに昇華するところが他のクイズ番組と異なる点ですよね。

平成教育委員会のトカちゃんとか、ふしぎ発見の野々村くんなどの「珍答」枠のタレントはこれまでのクイズ番組にもいましたが、あそこまで誤答が面白い(しかも悪びれない)人たちは珍しいですよね。
ウルトラクイズ出ても絶対ニューヨーク行けないし(笑)

投稿: あけましておめでとうございます 斉藤 | 2008/01/03 19:09:31

こんにちわ

私の場合、"difference"と"difficult"を混同していた時期がありました。友達に「どうして、間違うのか?」と、質問され、困った事があった。単なる「勘違い」と、「うる覚え」を、科学的に、どのようになっているか、高校生の自分が、説明するなんて出来るはずはない、と、思った。

脳科学者の茂木さんも、「追」「迫」を、「どうして間違えていたのか?」と、聞かれても、科学的にどのように間違っていたか説明するなんて無理でしょ?

「キミがどうして無知なのか、説明せよ。」と、禅問答のようになってしまいます。逆に答えられたら無知ではない!!


質問してきた友達に「どうして、一般的に勘違いやうる覚えが起きるのか?科学的に説明してくれ。」と、逆質問すればよかった。くやしぃ~。(^^)

投稿: 勘違いとクオリアby片上泰助 | 2008/01/03 12:15:26

「迫力」と「追力」・・・確かに間違えやすいですよね。(笑)

日々の生活の中でものの名前や単語を間違えて覚えてしまい、そのまま「それだ」と思いこんでいることって結構多い。

例えば“コミュニケーション”を“コミニュケーション”と覚え違いをしていたり。人の名前でも、例えば「和久」さんを「知久」さんと勘違いして覚えていたりなど…いろいろある。

私は小学校時代から数の計算が苦手で、算数の授業でクラスメイトがみんな既に正解を出しているのに、自分だけ何度やっても答えを間違えてばかり。

しまいには「わからない~!イヤだ~!!」と放り出し、泣き出す始末。担任の先生をオロオロさせていたのを思い出す。

それいらい、算数・数学がよくわからないまま、今日に至っているというわけです…。

その代わり、漢字は、ほとんどの場合、間違えることはなかったようだ。

生まれてからずっと、間違いや勘違い、思い込みなどが全然ない人生なんてあり得ない。たとえそれらが、極めてへビィなものであっても、生きて呼吸している間は、何度でもやりなおし、生き直せればいい。


『思考の補助線』、書籍化楽しみにしています!


投稿: 銀鏡反応 | 2008/01/03 11:53:25

・・・  ・・・  ・・・・・ ・・
蜂は青い色を見るとどうなるんですか?
紫外線とはなんですか?
今の心の己の言葉

『記念』

投稿: 山田 太郎 | 2008/01/03 9:43:03

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