自らの人生を処する
1月 31, 2008 at 06:41 午前 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (0)
茂木健一郎
『脳を活かす勉強法』
PHP研究所
は、重版(8刷、累計20万部)
が決まりました。
ご愛読に感謝いたします。
打ち合わせでお目にかかっていた
木南勇二さんが、
「茂木さん、また増刷しましたよ」
と教えてくださいました。
一緒にいらした横田紀彦さんが
涼しい顔だったのは、
『女性の品格』というミリオンセラーを
世に出した余裕からでしょうか。
ブラインドスポットの平塚一恵さんは、
「あとは頼んだわよ」
とばかり、ラ・フォル・ジュルネに
出席されるために、成田空港から
フランスへ向かう人となりました。
http://www.php.co.jp/bookstore/detail.php?isbn=978-4-569-69679-9
1月 31, 2008 at 06:20 午前 | Permalink | コメント (3) | トラックバック (2)
不特定多数の方々に向き合っている
時にも、
結局は私のやっていることは
「小乗」であるように思う。
課題に向き合い、
自分自身が成長する時に
喜びを感じるのだ。
自分の中にすでにあるものを
ただ差し出すことだけでは、
モチベーションが維持できない。
「小乗」を突きつめてみようと
思う。
『プロフェッショナル 仕事の
流儀』の収録。
ゲストは、カンテサンスの岸田周三さん。
ホテル・パシフィックにて
脳とモバイルコミュニケーションについて
講演する。
BS朝日へ。
CSの朝日ニュースター
『ニュースの深層』の生放送。
宮崎哲弥さん、堤未果さん。
相手が宮崎さんということで、
「脳ブーム」の解析といっても、
予定調和には行かないだろうと
思っていたが、やはり滅法
面白かった。
堤さんはニューヨークに
滞在中911に遭遇したり、
アムネスティ・インターナショナル
に関わったりしたジャーナリスト、作家の
方で、芯が一つ通っていることが
スタジオで伝わってきた。
CSには、テレビでありながら、
ラジオと同じようなトークに
没入できる愉しさがある。
朝日ニュースターの報道制作局長
をされている岡崎哲也さんが、
「今日のお話は、文字に起こすと
普段の放送の3本分くらいありましたね」
と言われた。
小乗を貫くためには、
自分にとって難しい課題を設定して
それを乗り越えなくてはならない。
苦みの中に甘さを探りあてる
ことを繰り返していれば良い。
1月 31, 2008 at 06:15 午前 | Permalink | コメント (7) | トラックバック (3)
朝日ニュースター
「ニュースの深層」
2008年1月30日(水)
20時〜20時55分
宮崎哲弥
ゲスト:茂木健一郎(脳科学者)
司 会:宮崎哲弥(評論家)
1月 30, 2008 at 09:22 午前 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (0)
茂木健一郎
『脳を活かす勉強法』
PHP研究所
は、重版(7刷、累計17万部)
が決まりました。
ご愛読に感謝いたします。
PHP研究所の木南勇二さんから
のメールです。
茂木健一郎先生
いつもお世話になります。
増刷7刷で累計17万部になりました。
ありがとうございます!
昨年、行政書士の試験に落ちた友人が
本書を読んで再チャレンジを決意したと言っておりました。
PHP 木南拝
http://www.php.co.jp/bookstore/detail.php?isbn=978-4-569-69679-9
1月 30, 2008 at 08:42 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
PHP新書
茂木健一郎 『すべては音楽から生まれる』
は増刷(5刷、累計42000部)
が決定しました。
ご愛読に感謝いたします!
PHP研究所の丹所千佳さんから
いただいたメールです。
茂木健一郎先生
いつもお世話になっております。
いまは「南」にいらっしゃるのですか。
さて、『すべては音楽から生まれる』5刷のお知らせです。
おかげさまで、累計42000部となりました。
丹所千佳拝
1月 30, 2008 at 08:30 午前 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (0)
集英社新書
茂木健一郎『欲望する脳』
は、増刷(5刷、累計46000部)
が決定しました。
ご愛読に感謝いたします。
集英社の鯉沼広行さんからいただいた
メール。
茂木健一郎様
お世話になっております。
『欲望する脳』の重版がまた決定しました。
先日の奥本大三郎先生とのご対談も
ありがとうございました。
とても興味深い内容で、2時間があっという間
でしたので、もう1~2時間は欲しかった
くらいでした。
鯉沼広行拝
1月 30, 2008 at 08:24 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
たくさんの人々が行き交う
場所には、独特の風情がある。
インターネットの発達に伴い、
ウェブ上に不特定多数の目に触れ、
人々の観察、批評に
さらされ鍛えられる数多の
表現があふれ出るようになった。
一方で、誰の目にも触れずに
包まれてあるものもある。
そのような私秘的な領域は、
保たれなければならない。
そうしなければ育まれないものも
ある。
足で踏みつけられ、小突かれ、
弄られて鍛えられるものもあるが、
誰の目にもさらされることなく
ひっそりとあって初めて
育っていくものはあるのだ。
例えば、岩窟に囲まれた山中に
密かに生える木々やシダや
その中を飛び交う蝶たちが
醸し出す気配のように。
沖縄県産業振興公社主催の
『沖縄イノベーションフォーラム2008』
に参加する。
「脳と創造力 イノベーションの流儀」
というテーマで講演する。
続いて、パネル・ディスカッション。
平澤之規さん、伊波匡彦さん、
稲福直さん、下地明和さん、
西本一郎さん。
西本さんの見事なコーディネーションで
話が弾んだ。
会場で、佐喜眞保さんに
お目にかかる。
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の収録でお話して以来。
佐喜眞さんは、底知れぬ苦労を
通ってきた人だけが放射することの
できるあふれるばかりの笑顔を
見せた。
笑顔は、その人の心の中の
洞窟にひっそりと咲く蘭の
花に由来する。
普段は預かり知れぬ奥底の
消息を伝えてくれるからこそ、
心を動かされるのだ。
1月 30, 2008 at 08:13 午前 | Permalink | コメント (10) | トラックバック (3)
プロフェッショナル 仕事の流儀
リーダーは、太陽であれ
~ プラント建設 現場所長・高橋直夫 ~
巨大な石油プラントの建設は、
気が遠くなるほどの作業の積み重ね
である。
数千人が働く現場を指揮する
所長の責任が、いかに重いか
ということは素人でも想像すれば
わかる。
高橋さんは、そんな重圧の
中でも「笑う」ことが
大切だという。
お気楽な笑いではない。
プレッシャーを豪快にはねのける
覚悟の笑いである。
どんなに苦しいことが
あっても、高橋さんのように
カンラカンラと笑い飛ばす
ことさえできれば、
人生はきっと回っていってくれる。
NHK総合
2008年1月29日 22:00〜22:45
http://www.nhk.or.jp/professional/
Nikkei BP online 記事
逆境でも「笑い」を忘れない、リーダーの覚悟と資質
〜プラント建設 現場所長 高橋直夫〜(compiled by 渡辺和博(日経BP))
1月 29, 2008 at 07:05 午前 | Permalink | コメント (4) | トラックバック (6)
スペイン出身の
ヴィクトル・エリセ監督の
名作『エル・スール』(1982)は、
父親の秘密がどうやら隠されている
らしい「南」へと娘が旅立つ
印象的なシーンで終わる。
羽田から飛び立った飛行機の
中で、目を閉じ、
南(El Sur)へ!
と念じた。
柳川透クンの神経回路網の自発的活動に
関する論文をfinalizeして
投稿。
NHKにて、『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の打ち合わせ。
住吉美紀さん(すみきち)は、今日は
小さなペットボトルの水を持参していた。
先日の橋本治さんとの対談の
ゲラを見て、修正を入れる。
「南へ!」
飛行機が那覇に着き、橋を渡って
空港に入ったとたん、
北の都会の気分は一気に消えた。
国際通りは、心なしか以前より
ネオンが強く色彩豊かに輝いている
ようでもあり。
ヴィクトル・エリセ監督は、
旅立ちの直前で映画を終えた。
「南へ!」
その先に何があるのかは、
決してわからない。
人生において本質的なのは
変化だけなのだと銘記せよ。
1月 29, 2008 at 06:57 午前 | Permalink | コメント (8) | トラックバック (4)
ヨミウリ・ウィークリー
2008年2月10日号
(2008年1月28日発売)
茂木健一郎 脳から始まる 第89回
空気は読めて当たり前
抜粋
個性を大切にするアメリカ人だって、もちろん他人の心を読む能力はある。「空気を読む」のは、ごく当たり前の能力である。個性が輝くかどうかの鍵は、空気を読んだ後にどうするかという点にある。
他の人とは違う独創性を発揮するユニークな個性の持ち主だって、もちろん「空気を読む」ことくらいできる。それは前提にした上で、自分の思いが伝わる表現法やコミュニケーションのやり方を工夫する。これが、人生の醍醐味というものである。
「KY」と気軽に口にする者に感じられるのは一種の怠惰である。空気を読んだ上で、敢えて何かをするという気概が感じられない。空気を読みっぱなしにして、あとは無為にじっとしている。これでは、新しい時代を切り開く新鮮な動きなど生まれようがないし、何よりも本人の人生にとってもったいない。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。
http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/
1月 28, 2008 at 06:45 午前 | Permalink | コメント (4) | トラックバック (3)
「中央公論」にて連載中の
「新・森の生活」の来月号の原稿を
送ったら、井之上達矢さんからこんな
メールをいただいた。
ーーーー
それにしても、
最近、
茂木さんの書かれる文章の
表面に出てくる「熱さ」の下には、
虚無的と言えるほどの「冷たさ」があるように
思うようになりました。
今回の原稿でも、
うっかりすると
茂木さんの主張は、
「世界が「拡散」していくのは当然なのだから、
そこを声高に言わなくてもいい。
むしろ
人間が生命体として活力を持って生きていくためには、
世界の「収束」にこそ意識を傾ける必要があるのではないか」
という「熱い」ものだと
受け取れてしまいますが、
実は
その根底には、
「拡散」も
「収束」も
「この世の原理作用である」
という
「冷たい」世界認識があります。
「世界はこうすればよくなる。頑張ろう」
でも
「世界はこうしたほうがよくなる。頑張ろう」
でもなく、
「世界はこうなっている。頑張ろう」
という世界との対峙の仕方。
茂木さんの世界に対して、
本当に伝えたいことは、
この辺りにあるのではないかと
勝手に夢想しております。
ーーーー
小学校の頃など、友だちと
遊んでいて、
ふっと校庭の端に行き、
一人で地面の上の蟻や、
転がっている石ころを
見ていることがあった。
大学生の時に作った
箱庭には、村人たちの
祭りを、山の中からのぞき込んでいる
猿が登場する。
宇宙の中の不条理という
通奏低音にずっと耳を傾けている。
そんな内側の音楽を井之上さんは
聞き取ってしまっているのだろう。
高知に日帰り。
高知市文化プラザかるぽーとにて、
第3回美術コンクール(Concours des Tableaux)
の審査をさせていただく。
昨年は長谷川祐子さんが審査に
いらしたとのこと。
会場の52点をまずは二回、
参加者の出品表を見ながらもう一回
見た。
本審査では、それぞれの作家の
方々と会話をしながら、それぞれの
絵について探っていった。
とても大変だったが、
最優秀賞1点、優秀賞2点を
選ばせていただく。
絵は、見るのも楽しいが、
自分で描く方が何十倍も楽しい。
そこには思うように行かないという
苦労があるからだ。
運動系の出力が思うに任せない
という苦みほど、人生の中で
味わい深いものはない。
だから、とにかく、自分の
身体を動かして表現してみることだ。
クオリアを感じ、自分という
楽器を鳴らし、感性を天翔させる
ことは表現者となるための必要条件である。
セザンヌの絵に戦慄し、
モーツァルトに魂を震わせることは
大切な資質である。
そこに運動出力が加わって
ループが閉じなければならない。
感性の早足を私たちは身体の遅足で
追いかけなければならない。
セザンヌやモーツァルトの良さが
わかっても、同じものが自分から
表出できるわけではない。
そのギャップに苦しみ、
もがきあがく試み以上に
人生で甲斐のあることはない。
やがて、大いなる円環は
その姿を現すことだろう。
1月 28, 2008 at 06:31 午前 | Permalink | コメント (6) | トラックバック (3)
日曜フォーラム
若さの秘けつは脳にあり
ねんりんピック茨城
2008年1月27日(日)
18:00〜19:00
NHK教育
木の実ナナ、コシノヒロコ、宗像恒次、宮川泰夫、
茂木健一郎
1月 27, 2008 at 07:11 午前 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (0)
朝、公園の中を走ったら、
至るところに霜柱があり、
ザク、ザク、ザクと
その踏み心地が
クランチーで実に気持ちが良かった。
ビオトープの池にも氷が張っている。
冬は、実に、こうでなくてはならない。
集英社の神保町三丁目ビルにて、
奥本大三郎さんと
対談する。
奥本さんは、現在、『ファーブル昆虫記』の
全訳に取り組まれていて、
単行本は5巻の上下まで、
すばるの連載は8巻まで進んでいる。
http://www.shueisha.co.jp/fabre/
奥本さんは、ボードレールや
ランボオの研究をするフランス文学者
であり、また昆虫をこよなく愛し、
ファーブル昆虫館
を開いて運営している。
現在進行中の「完訳」のお仕事は、
翻訳文体のクオリティや訳注の充実ぶり
といった視点から、まさに
「決定版」と言えるもので、
フランス文学の造詣と無類の虫好き
という二つの要素が奥本さんの中で
融合して始めて可能になった
お仕事だと思う。
「いつ完結するご予定ですか?」
と伺うと、
「昔ね、北海道の山の中で熊に
襲われた大学生がいてね。
リュックの中から、食べものを
取りだして道に投げては
熊がそれを食べている間に
走る、ということを
繰り返して逃げたそうな。
今、刊行スケジュールとの
おっかけっこはそんな状態なのです。」
とお答えになった。
対談は心から楽しく、時が経つのを
忘れた。
奥本さんとの対談は、集英社の
「青春と読書」に掲載される予定です。
ファーブル昆虫記は、改めて読むと
動物行動に着目したその先進性に
驚く。
ファーブルは、ソクラテス、
ファラデー、ラマヌジャンと同じように
「自学者」であって、
その学識や、昆虫に関する知識は、誰に
教わることもなく自分で学んで身につけた
ものである。
だからこそ、当時のアカデミアの
中には、ファーブルの業績を軽んじたり、
無視する者があった。
今になってファーブルの仕事を精査すると、
そこには、昆虫の行動の詳細に関する
きわめて先進的な洞察があることに
改めて驚く。
例えば、狩りをするハチが、
ゾウムシのような神経節が一カ所に
集中している昆虫を「一刺し」
でしとめて運んでいく一方で、
イモムシのように、神経節が
体節ごとに分布しているものは、
一つひとつ丁寧に刺していくこと
などを観察、報告している点など。
ファーブルが初めて
その昆虫記(Souvenirs entomologiques)を刊行
したのは50歳を越えていて、
それまでの長い昆虫観察の結実が
詩的な言語に結実している。
野外で昆虫を観察している時、
ファーブル昆虫記で報告されている
ような興味深い事象が次から次へと
都合よく起こるわけでは決して
ない。
それは、丹念に拾い上げられた
イベントの編集作業の末に
やっとできあがる作品なのである。
南仏の熱い太陽のもと、
辛抱強く待つその時間の流れの中で、
時折奇跡のようにこぼれ落ちてきた
輝く宝石を集めて、ファーブルは
「昆虫記」という宝石箱をつくって
くれた。
ファーブルの、道ばたにしゃがみ込んで
「その時」が来るのを待つ、ファーブルの
辛抱強い「何も起こらない時間」
にこそ祝福あれ。
そして、神よ、
私たちにも、「何も起こらない
時間」に我慢強く向き合う
忍耐心を与えてください。
1月 27, 2008 at 05:47 午前 | Permalink | コメント (10) | トラックバック (2)
「予定が入ってしまっている
未来は現在と同じである」
養老孟司さんが、常々そのような
ことを言われていた。
人生ここに至って、
時々そんなことを
実感する。
何の予定も入っていない未来は
真っ白で、ある輝きを持っている。
一方、予定が入ってしまっている
未来は、
たとえ、それが心愉しき用事でも、
何かたこ糸でつなぎ止められてしまったような、
天翔ることのできない空気を伴って
いるのだ。
ソニーコンピュータサイエンス研究所。
日刊スポーツの沢田啓太郎さん、
井之上眞さんに
お目にかかる。
チョコレートの伝道師、
クロエ・ドゥートレ・ルーセル
さんにお目にかかる。
日本でのクロエさんの活動の
代表、松浦有里さんとも。
クロエさんは、チョコレートに
はワインと同じくらい複雑な
香りと味わいの奥行きがあるという。
チョコレートが好きで
毎朝食べている私も、
自分が実際に感じているものに
クロエさんほどの繊細な感覚を
もってメタ認知を向けるという
ことはしていなかった。
チョコレートを5枚置き、
blind tastingをする。
お話した1時間で、今までの
人生で学んだこと以上の
ことをクロエさんから得た。
クロエさんが
ジャン=ポール・エヴァン、
パトリック・ ロジェ、
ファブリス・ ジロ ッ ト、
アーティザン・ドゥ・ショコ
の4人のショコラティエの
作品を一つの箱の中に
アレンジした
「クロエ・ セレ クション・ボックス」
をいただく。
28日まで伊勢丹新宿店で開かれている
サロン・デュ・ショコラ2008にて、
「クロエ・ セレ クション・ボックス」
を手に入れることができる。
当日の模様は講談社の
MouRa
に掲載される予定。
クロエ・ドゥートレ・ルーセルさんと
(photo by Tomio Takizawa)
テレビ東京の内田久善さん、
大河プロダクションの永井洋一さん、
川口伸之さんと打ち合わせ。
脳の番組について。
福岡のディップ・アンド・エスの
小正伸一さんがいらっしゃる。
桑原茂一さん
と行うイベントについて。
大手町の
東京国税局へ。
職員の方々の研修会でお話させて
いただく。
藤田博一さん、藤原修志さん、三次直哉さん、
飯野佳代子さん、石井道夫さんにお目にかかる。
研究所に戻る。
お昼を食べる時間がなく、
エネルギー切れになりそうだったので、
近くの「すき屋」に入ったら、
見慣れた顔が座っている。
「よお、箆伊!」
博士課程の箆伊智充だった。
「最近研究はどう?」
と話をする。
Haggard流のsensori-motor contingency
に興味をもって研究してきた箆伊だが、
加えて、sensory modality内部の
contingencyについても
興味を持ち始めているのだと
いう。
箆伊の持ち味は、ちょっと
とぼけたようなそれでいて
風雅なもの言いである。
「ぼくも、3ヶ月で論文を書く
ことにしますよ。」
「わかった! オレがブログに
書いたら、既成事実になってしまう
のだからな。」
牛丼を食べている箆伊の
表情がどんなものだったか、
つい見逃してしまった。
箆伊クン、がんばろうね。
研究所の定例ミーティング。
私が喋る番であった。
Learning、learning、learningと
題して、脳の学習の諸側面について
論ずる。
タイトルは、かのTony Blairイギリス前首相の
1996年労働党大会での
three priorities for government would be
education, education, education
というスピーチをもじったもの。
所眞理雄さん、北野宏明さんと
有意義な議論をする。
夏目哲さんと、「アハ体験」関係の
企画の話をする。
田谷文彦と、研究の話。
それから、
たまっていた仕事をいろいろと
片付けにかかる。
寒さというものはこういう
ものであったかと実感させる
街の空気。
春になる前に、思い切り冷たさを
味わうのが良い。
忙しくても仕事が終わらなくても、
とにかく何であっても、
この巨大な岩塊の上に生きている
だけでありがたい。
1月 26, 2008 at 08:11 午前 | Permalink | コメント (7) | トラックバック (5)
耳に残る言葉がある。
先日の『科学大好き土よう塾』
の新年会の時に、
中山エミリさんがふと口にしたこと。
「自分の限界を見きわめようと精進する
人は、皆アスリートである。」
いろいろと忙しく考えを巡らさなければ
ならぬ季節となり、
急ぎ足で駅からの道を行く。
野澤真一くん、石川哲朗くんが
修士論文の発表の練習をする。
野澤くんは、自発性が意識される
時とされない時について、それぞれの
脳の神経機構について興味を持つ。
現象学的な解剖学を明らかにする
必要がある。
いわゆる「自由意志」と呼ばれる事象の
まわりにあり、それを構成するものは
なにか?
大脳基底核を含む神経回路に
ついての経験的事実。
及び、実際に起こっていることに
ついてのすぐれたメタ認知。
石川くんは、one shot learningに
おいてfalse alarmがなぜ起こるのか
ということについて、
とても興味深い経験事実を
提示した。
三つの属性が明らかにされた
のである。
この三つの属性(false alarmの
方がsurenessが低い。そこに至る
behavioral parameterの減衰が
遅い。final stageにおける時定数
が高い。)を説明するnontrivialな
洞察を導くことができれば、
石川くんはヒーローとなるだろう。
田辺史子さんに「論文書いている?」
と聞いたら、「3ヶ月以内に書きます」
との答え。
がんばろう!
寒いのでマフラーを買う。
東京大学本郷キャンパスへ。
幻冬舎の大島加奈子さんの
アレンジで、河口洋一郎さんと
お話する。
冒頭、共同通信の大島寛さんが
いらして、先日書かせていただいた
新年のエッセーの掲載紙を
いただく。
寛さんは、加奈子さんのお父様である。
大島寛さま、寒い中、ありがとうございました!
河口さんのコンピュータ・グラフィックス
作品をじっくりと見る。
生成モデルを適用しただけでは
実現できないような、複雑な構造を
している。
どうやら、河口さんは引っかき回したり、
こずいたり、汚したり、生ませたり
しているようなのだが、その詳細を
表現から跡づけることができない。
さすがにすごいと感嘆した。
研究室には興味深いものが
たくさんあり。
化石や蝶の標本やら、さまざまなオブジェやら。
ドローウィングが目を惹いた。
カンブリア爆発の気配あり。
いかに、精神におけるアスリートたり得るか。
結局、そのことばかりを考えている。
1月 25, 2008 at 04:51 午前 | Permalink | コメント (10) | トラックバック (5)
第一回ニューロクリアティブ研究会
2008年2月20日(水)
有楽町 朝日ホール
甘利俊一、茂木健一郎、多根弘師、
ナンシー・C・アンドリアセン、久米是志、
鈴木良次
http://www.kuba.co.jp/neuro/program.html
1月 24, 2008 at 08:34 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
ショパンのピアノ曲や、
ジミヘンのギターや、
沖縄の民謡。
ミームは遺伝子によって
決定される形質と独立に、
複製されコピーされ、流通する
ものだと想定されがちだが、
本当に面白いのは
ミームと遺伝形質が交錯する
領域である。
例えば、「化粧」。
顔かたちは遺伝的に
決定されているが、
化粧のやり方は文化によって
変わる。
では、化粧された顔は
遺伝的形質なのか、ミームなのか。
流行の服をまとった
身体は?
多くの場合、生物学的に
意味を持つのは遺伝的形質と
ミームの混淆物であって、
純粋なミームが有効性を
持つ領域は実は狭いだろう。
しんしんと降り積む。
すずかけ台駅の前に
降り立つと、
雪だるまがあった。
東京工業大学
すずかけ台キャンパスは
木があり斜面が広がっていて
雪の降りでがある。
修士一年生三人の
構想発表会。
戸嶋真弓さんは、
英語などの第二言語獲得の
メカニズムに興味を持ち、
文章の記憶、再生過程に
おけるエラーを通して
脳内メカニズムを研究しようと
している。
戸嶋さんが終わったところで
みんなで駅前の「てんてん」に
行って天丼を食べた。
雪の中、よいしょよいしょと
校舎へと戻る。
加藤未希さんは
洞察課題において、
ヒントが閾下で与えられる
場合の提示のタイミングの
効果について。
高川華瑠奈さんは、非言語的
コミュニケーションが
人間の認知能力に与える
影響について。
関根崇泰と、
身体知覚について話した。
関根はもともと慶応大学の経済学部
出身で、三田の「ラーメン二郎」についても
熱く語るが、
一方で身体性についても
多くの哲学的考察を積み重ねて
きている。
関根の広大な哲学の森に触れるたびに、
なんとかコイツの考えていることを
総合的視座の下に形にしておいて
やりたいなと思う。
本人は、どこかの小さな大学に
奉職してコツコツと考えを進めて
いくことを望んでいるらしい。
寒いなあと思って目が覚めた。
外は晴天だ。
北日本は吹雪らしい。
日本海側と太平洋側の
コントラストだけを考えても、
この国は均一ではない。
ピカピカとしんしん。
一日のうちに、深い海があり、
峻厳たる山があり、
広漠たる砂漠があり、
迷い込む森がある。
わが身体がすでに巨大であり、
脳髄が呈する現象の
うちに自分でも測り知り得ない
複雑な表情があることを悟る。
1月 24, 2008 at 08:13 午前 | Permalink | コメント (17) | トラックバック (4)
科学が究明する自然法則は、
いったんこの世界ができあがった
後に物質がどうやって時間発展して
いくかは明らかにするが、
そもそも、宇宙がなぜここに
存在するかは説明しない。
相対性理論の時空モデルは、
4次元の世界線のありようは
理屈づけるが、
時間の流れそのもの
「今、ここ」の特別さは
解き明かせない。
生命活動に伴って生まれる
「意識」をはじめとする
さまざまな不可思議な副産物も
その由来が明らかではない。
生きて、意識を持つ中で、
私たちは数々の「謎」に直面し、
包まれている。
だから、自分の命の脆弱な
ありように打ち震えるような
思いを抱き、この世界があるという
不可思議を畏怖する「信心」
を抱くのはごく自然な思いだろう。
自然発生的な「信心」
が、教義や組織が整って
「宗派」となり、やがて様子が
変わってくる。
時には対立し、人が傷つけられ、
戦争が起きることもある。
信心をかたちにしたり、
言葉で表したりすることは
とても難しいことである。
多くの場合、
無記を貫くのが良い。
三輪山は古来信仰の場で、
神社や寺院といったかたちが
整えられる以前から祈りが捧げられて
いた場所。
山自体が御神体で、歴史の
中で、入山はきびしく制限
されてきた。
現在では、届け出て
印のたすきをかけ、登拝することが
できる。
山中での撮影、飲食はすることが
できない。
三輪山を登った。
降雪の後が残り、
吐く息が白い。
歩を進めるうちに、身体が
熱くなってきて、思わずマフラーを
外した。
山というものが「物質」
として何ものか、その成り立ちは
わかっているつもりだが、
現象学的には果たして何なのだろう。
ましてや、造山活動や
元素や太陽系の進化などあずかり知らぬ
昔の人にとって、山がどのように
映っていたか、わき出る水は何もの
だと観じていたか。
そのような問題群の向こうに
「御神体」はある。
一時間ほどで山頂に着いた。
黒い石があり、しめ縄が巻かれて
いる。
並び立つその様子は、
一目見ると忘れられない感触がある。
そこに石がある不思議。
自分が見ている不可思議。
全てをもたらした自然のプロセスの
摩訶不思議。
山を降りる中、何もなく、
ただ澄み渡っていることに
気付いた。
信じることの理想の形は、
心が無になることであろう。
三輪は古来小麦の生産が盛んで、
そうめんの名産地である。
暖簾をくぐると、
炉が切ってあって、
火がおこっていた。
にゅう麺を啜る。
寒い身体に温もりが
しみ入る。
一味をかけたら、
白い中にぱっと赤い花が咲いた。
1月 23, 2008 at 07:05 午前 | Permalink | コメント (15) | トラックバック (8)
プロフェッショナル 仕事の流儀
イチロー・トークスペシャル
セーフコ・フィールドで
繰り広げられた珠玉のトーク。
マグマを秘めた男、イチローの
劇的な心のダイナミズムに震えます。
どんなに困難でも、あくまでも
挑戦し続けようというイチローさんの
勇気が伝わるはずです。
NHK総合
2008年1月22日 22:00〜22:45
1月 22, 2008 at 07:41 午前 | Permalink | コメント (12) | トラックバック (6)
橋本麻里さん、『和楽』の渡辺倫明さんと
奈良へ。
京都駅の近鉄乗り場の前で合流。
奈良駅から車で15分くらい走ると、
そこは笠置山だった。
奈良からほど近いのに、
受ける印象はまったく違う。
巨岩が続く。
古の人々が、ごく自然に
信仰を抱いたことが伝わる。
優美な線刻の
「虚空蔵磨崖仏」がある。
752年には、第一回の「お水取り」
が行われた由緒ある古刹。
巨大な岩が寄せ合うように
形づくる「千手窟」。
東大寺 二月堂の前身となった
「正月堂」。
後醍醐天皇が一時籠もったという
場所も見る。
歴史の歯車が回った
痕跡を、想像して補い、
つつまれる。
柳生街道沿いにある
円成寺へ。
http://www.naranet.co.jp/enjyouji/
運慶の現存する最古の作と言われる
国宝の大日如来を拝観していると、
声をかけられる。
とても親切、丁寧に案内して
いただいた。
春日大社の旧社殿が寄進
された春日堂・白山堂が
仲良くゆかしく並んでいる。
お寺の前の池には、端の方から氷が
張って白濁していた。
ならまちを歩いて、
「つる由」へ。
よもやまばなしを楽しむ。
感受するクオリアは、
出会って見なければ、その
存在すらも予想できない。
笠置の巨岩にも、大日如来の
横顔や組まれた足の風情にも、
初めての感触があった。
この世の中には、
まだまだどれほど、
見知らぬクオリアがあるものかと
思う。
眠りにつく部屋の窓からは
となりの開化天皇陵の
森の木々が見えた。
1月 22, 2008 at 07:33 午前 | Permalink | コメント (5) | トラックバック (5)
現代社会ではジェンダーの
あり方も変わってきたが、
脳の進化というものは
文明の短い時間の中では帰趨しない。
長い歴史の中で、長らく、
女性にとって最大の意思決定は
自らの身の振り方をどうするか
ということだった。
好き、キライを原理として
全面に押し出していいのである。
ところが、男どもは、
考えることが自らの身体を
離れていて、
下手に公共性とか概念とかに
振り回されるから、自分の
都合を表に出すことをためらう
倫理を身につけてきた。
時に、(ジェンダーにおける)
女性的感性をも持つ(自然的概念における)
男性もいて、そのような人は「おねえ力」
を持っている。
大文字の概念など知らない、
私が好きか、キライか、いいか悪いか、
それを優先する。
自分がなぜそう感じるのか、
他人にわかるように説明しようとすると
案外やっかいな手続きがいるもので、
「おねえ力」をさわやかに発揮
する人は、きっと、理想的な
意味で両性具有的になる。
フレッシュひたち号にて
水戸へ。
水戸芸術館。高橋瑞木さん、
浅井俊裕さん、森司さんに久しぶりに
お目にかかる。竹久侑さんに
初めてお目にかかる。
フラワーロボティックスの
松井龍哉さんの展覧会を拝見する。
松井さんと対談する。
雪が降るという予報だったが、
夜になっても東京は
乾いていた。
「東北から来たお客さんがねえ、
こんなに暖かくっちゃ、雪は
降らないと言っていましたよ」
とタクシーの運転手さん。
フレッシュひたちの中で、
そうだ、空気の中の分子たちは、
あちらから小突かれ、こちらから
小突かれ、ジグザグに運動していて、
自らの身の振り方など、全く
自由にならず、ただ、「温度」
というパラメータで記述される
無限持続の中にいるんだと
思っていたのだった。
私たちの生は、空気の中の
分子たちからどれくらい隔たって
いるのだろう。
1月 21, 2008 at 06:01 午前 | Permalink | コメント (4) | トラックバック (2)
ベストセラーへの遠い道
ヨミウリ・ウィークリー
2008年2月3日号
(2008年1月21日発売)
茂木健一郎 脳から始まる 第88回
ベストセラーへの遠い道
抜粋
学生の頃、まだ著書など一冊もなく、ただ、将来は本を出したいと夢見ていた。その頃、喫茶店でコーヒーを飲みながら、あるいは街を散歩しながら、友人と熱く「印税生活」のことを語り合っていた。
「本を出したらさ、印税生活だよ、印税生活。」
「一度書いてしまえば、何もしなくてもお金が入って来るんだものなあ。」
貧乏学生にとって、それは、夢の生活のように思えた。「ベストセラー作家」という心地よい響きが、私たちを熱中させた。
実際に本を書いて出版するようになってすぐに、考えが甘かったことに気が付いた。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。
http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/
1月 20, 2008 at 09:27 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (1)
朝起きると、
身体はなんとかなりそうな
気配だった。
それでもあまり食べる気にならなかった。
まずカステラで様子を見て、
それからバナナをお腹に収めた。
東京国際フォーラムで
取材、及び撮影。
PHPの『脳を活かす勉強法』
『すべては音楽から生まれる』、及び
5月のラ・フォル・ジュルネについて。
品川港南のソニー本社へ。
ソニー教育財団の2007年度教育助成入選校の方々をお招きした表彰式。
控え室で、出井伸之さん、中鉢良治さん、
小泉英明さんとお話する。
入賞論文は大変興味深く、
幼稚園、保育園、小学校、中学校に
おける科学教育の新しい波を
感じた。
日本テレビへ。
「世界一受けたい授業」の収録。
おなじみのアハ体験はもちろんだけれども、
日企の木村光一さんのアイデアが
見事に決まって、とても楽しかった。
竹下美佐子さんを始め皆様、
今年もよろしくお願いいたします。
NHK近くの蕎麦屋へ。
『科学大好き土よう塾』の
新年会。
何度もおじゃましている番組で、
塾長の室山哲也さん、中山エミリさん、
それにスタッフの方々に
深い親しみがある。
一次会が終わり、「帰ろうかな」
ともらすと、近藤浩正さんが、
「二次会に来ないんですかあ」
と言う。
「この、病み上がりのボクに、
二次会に行けというんですか!
・・・・・じゃあ、行きましょう!」
こんちゃんに誘われては
仕方がない。
それに、身体も何とか
上向きだ。
ボクはしみじみとしかし意気揚々と
沖縄料理屋に向かった。
植木豊さんと一緒に歩いた。
最近、中国語のブログを始められた
のだという。
エミリさんや室山さんと話込んだ。
いろいろな思いがよぎる。
室山さんが鹿児島時代に
取材した「最後の瞽女」
荒武タミさんの話が心に残った。
エミリさんのまっすぐで
真面目な姿も。
室山さんと同方向なので一緒に
帰る。
「ぼくはね、茂木さん、ディレクター、
プロデューサーを30年やって、
それから解説委員になったんですよ。」
と室山さん。
土曜塾の出演者として、
同時に、番組全体を外から見る
視点を持ち続けて来られたのだろう。
それから、室山さんは、
夢を語ってくださった。
とても素敵な
ヴィジョンだった。
深夜になっていた。
コンビニに寄って、ぶらぶらと
歩く冷たい空気。
誰かが、明日は雪になるよ、
と言うのが聞こえた。
一足先に、心の中には綺麗な
白いものが降り積もり、見えるものの
風景が変わる。
朝から何とかがんばった一日と、
室山哲也さんや中山エミリさんの
お話と。
しばしは暖かさに包まれて
暗闇に落ちる。
1月 20, 2008 at 09:22 午前 | Permalink | コメント (4) | トラックバック (2)
「私的な領域」と「公的な領域」
のバランスが大切である。
ここに言う「私的な領域」
とは、とりあえず世間で
どのように流通させていったら
いいかわからないような、
ごくごく「わたくし」の
感性のことを指す。
子どもの頃に、ふとんの中に
潜り込んで、綿毛を見つめながら
夢見ていたこと。
そのような領分を確保しなければ、
私たちは魂のみずみずしさを失う。
ソニーコンピュータサイエンス研究所
にて、午前中、神経経済学についての取材を
受ける。
(産経新聞に掲載されます。)
お昼を食べにいったら、体調が
とても悪いということに気付いた。
おそらくはコールド(風邪)であり、
前の日の『プロフェッショナル』の
収録と打ち合わせで、ふざけて
Tシャツで歩き回っていたのが
いけなかったのだろう。
ここのところ、とても寒い。
本当を言えば、寝ころんでしまい
たがったが、そこは我慢。
研究所に戻り、もう一件取材。
自分の好きなブリティッシュ・コメディ
のDVDをたくさん並べて、
趣味である「笑い」について
大いにお話した。
(朝日新聞の秋元康さんのコーナーに
掲載されます)
続いてゼミ。
体調が相変わらず悪いので、田谷文彦
と近くの薬局にいって
ユンケルを7種類買ってきた。
ボクは一番高いやつを飲むのである。
学生たちに、「どれがいくらだと思う?」
と言ってからレシートを見せる。
彼らがどのように配分したかは
知りません。
電車で移動する元気がなく、
電通の佐々木厚さんとタクシーで
新宿へ。
社内ではひたすら身体を縮めて
目を閉じていた。
体調が悪い時は、ぎゅっと
自分の方にいろんなことをまとめて
いって、「修理」しているような
感じになる。
ぎゅっと「わたくし」が濃縮して、
歯車や、小さな人や、そよ風が
身体の中で働いてくれているの
である。
住友三角ビルに着き、
ひと座りして「スイッチ」を入れる。
いざとなれば空元気が出るもので、
マイクも使わず二時間たっぷり
熱弁した。
無理はするもんじゃなく、
終わって、打ち上げの会場に
歩いている時にはもうへろへろ
だった。
いつものメンバーに加えて、
大場旦さんや、吉村栄一
さんも来てくださったのに、
お酒など一滴も飲む気にならず、
水を一杯飲んであとはじっと
していた。
しゅうり、しゅうり。
身体をぎゅっと丸めて、
ひたすら修理に努める。
さすがに早めに失礼した。
「一晩眠れば治る!」
とぐっすり修理して、今朝、
さすがに全開とはいかないが、
なんとか使いものになるの
だろうか。
幸か不幸か、今日も夜まで
仕事である。
空元気は出ると思うが、
ちゃんとつながるかな。
1月 19, 2008 at 08:49 午前 | Permalink | コメント (15) | トラックバック (2)
朝日カルチャーセンター 脳と心を考える
本日第一回
脳の働きは、長い進化の過程で徐々に形成されてきました。脳を理解することは、すなわち「生きる」ということの本質を明らかにすることです。生命とは何でしょうか。感じること、考えることは、生きることとどのように結びついているのでしょうか。4回目には、心の問題から社会現象まで、広く鋭い視点でとらえる解剖学者の養老孟司先生をお迎えし、脳と生命の関係に迫ります。
2008年 1/18、 2/8、 3/14、 22
金 18:30~20:30
3/22は 土 14:00~16:00
http://www.acc-web.co.jp/sinjyuku/0801koza/A0301_html/A030101.html
1月 18, 2008 at 09:28 午前 | Permalink | コメント (2) | トラックバック (0)
PHP新書
茂木健一郎 『すべては音楽から生まれる』
は増刷(4刷、累計37000部)
が決定しました。
ご愛読に感謝いたします!
PHP研究所の丹所千佳さんからの
メール
茂木健一郎先生
いつもお世話になっております。
昨日は取材にお越しいただき、ありがとうございました。
おかげさまで『すべては音楽から生まれる』の
4刷が決まりましたので、お知らせいたします。
本書を読んだ方々が、
それぞれにとっての「音楽」を
見つけていただければ嬉しいなと思います。
PHP研究所 新書出版部
丹所 千佳
1月 18, 2008 at 09:22 午前 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (0)
何かに気付かないことが、
鋭い感受性に支えられている
ことがある。
世間の流儀に合わせないことは
もちろん、
その空気に感染することが、
自分の創造性の核を侵食する
と思うとき、
クリエーターはあえて
目を閉ざし、耳をふさぐことを
半ば無意識のうちに選択することがある。
何人かの卓越した人たちを見ていて、
そのような結論に達する。
仲間とわいわいやることは
たのしいが、一方で、ある文脈においては
孤独であることが魂の平安に資するのだ。
1月 18, 2008 at 09:15 午前 | Permalink | コメント (7) | トラックバック (2)
中公新書ラクレ
『それでも脳はたくらむ』
は増刷(2刷、累計33000部)
となりました。
ご愛読に感謝いたします。
中央公論新社 濱美穂さんからの
いただいたメールです。
こんにちは。
中央公論の濱です。
おかげさまで、中公新書ラクレ『それでも脳はたくらむ』
の増刷が決まりました!
書籍に携わってはじめての増刷となりましたので、
喜びも一入です。
ありがとうございました。
とりいそぎ ご連絡まで。
こいつぁ春から縁起がいいですね!
中央公論 濱美穂
1月 17, 2008 at 08:24 午前 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (1)
「日本書紀」と「古事記」
の記述を巡っての、本居宣長と
上田秋成の論争。
その点について、
先日お目にかかった橋本治さんは、
「いやな人って、書くものの中に、
長い間掃除しないで放っておいて
苔が生えたような、こびりついて
容易にはとれないものがあるでしょ。
本居宣長を批判する秋成の
文章は、いやな人だな、と思った。
それに対して、古事記を評価する
本居宣長は、矛盾とか不整合が
あるとしても本人はいい人だなあ、
と思った」
というような意味のことを
言われていた。
別の次元が導入される
ことによって、
ぱーっと見通しが
明るくなることがある。
古事記と日本書紀を巡る論争は
ついつい重いものになりがちだが、
上田秋成は「わるい人」
本居宣長は「いい人」
という全く別の軸を導入することで、
何かが解放される。
メクジラ立てて論じている
ことが無効化されて、
ひざかっくんになる。
もちろん、いい人だからと
言って、言っていることが
正しいとは限らない。
橋本さんは「本居さんは
古事記に書いていることがすべて
真実だと自分で信じていれば良かったのに、
それを公にしちゃったから
いけないんだよ」と言われて
いた。
公私の軸をうまく使うことで、
硬直化した議論に生命を吹き込める。
なにしろ、私たちそれぞれにとって、
「私」というミクロコスモスは
「宇宙」というマクロコスモスに
対置される重みを持つのだから。
PHP研究所。取材と、
打ち合わせ。
東京工業大学大岡山キャンパス。
東京工業大学 理数プロジェクト2007
シンポジウム
有馬朗人先生、伊賀健一先生と。
学部一年生の
弘田啓時クン、長井悠祐クンが
パネリストとして加わる。
会場との議論といい、
その後の懇親会での会話といい、
元気いっぱいだった。
そして、覇気があった。
何よりも、橋本治さんの言葉を借りれば、
みんな「いい人」だった。
「いい人」のエネルギーは素晴らしい。
それは、良きものを信じるという
ことである。
世の中がどうなっていようと、
文句は言わない。
自分が信じるものに賭ける。
寄り添う。
失敗しても、ぐずぐず言わない。
それが、世間はこうなっているから、
しがらみがあるから、
と談合するようになり、
精神の奥底にしみ込んで
ひねてすねてごちゃごちゃ
いうようになってくると、
次第に橋本さんの言う「いやな人」
になってくる。
心にカビが生える。
基準を自分の中に持ち続けて
偶有性の海に飛び込んで泳いで
いる限り、
ぼくたちは何歳になっても
「いい人」でいることが
できる。
カビが波で洗い落とされるのだ。
いいシンポジウムだった。
懇親会場で、みんなで写真を撮った。
(photos by Atsushi Sasaki)
1月 17, 2008 at 08:16 午前 | Permalink | コメント (4) | トラックバック (5)
1月 16, 2008 at 07:58 午前 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (0)
茂木健一郎
『脳を活かす勉強法』
PHP研究所
は、重版(6刷、累計15万5000部)
が決まりました。
ご愛読に感謝いたします。
PHP研究所の木南勇二さんから
のメールです。
茂木健一郎先生
いつもお世話になります。
また増刷がかかりました。
ありがとうございます。
この本で、勉強とは楽しいものという本質に多くの人が
気づいてくれたら編集者冥利につきます!
PHP 木南拝
http://www.php.co.jp/bookstore/detail.php?isbn=978-4-569-69679-9
1月 16, 2008 at 07:53 午前 | Permalink | コメント (4) | トラックバック (1)
日経サイエンス編集部にて、
地震学がご専門の 山岡耕春先生
にお目にかかる。
地震学は近年大きな
進歩を見せている。
たとえば、地殻のすべり運動
の力学的特性が従来よりも
詳細にわかるようになった。
断層面においては、普段から
少しずつすべり運動を見せている
領域と、普段は滑らず
地震発生時に一気に大きな
ずれを見せる領域(「アスペリティ」)
が混在する。
どのアスペリティを巻き込んだ
すべり運動かということで、
地震は様相が異なってくる。
山岡さんは、地震に
加えて火山についても造詣が
深く、いろいろと興味深い
お話をうかがった。
火山は、力学的特性に
加えてマグマの化学変化という
次元も加わるため、より
複雑なプロセスを呈し、たとえば
いつ富士山が噴火するかを
予測することは困難だという。
2006年に公開されたリメイク版の
『日本沈没』の科学的アドヴァイスを
されたという山岡さん。
Q&Aがとても面白い読み物になり、
出版されている。
興味のある方はぜひどうぞ!
NHKにて、『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の打ち合わせ。
サウジ・アラビアのロケから帰った
須藤祐理ディレクターは、「ふっくらとした」
という専らの評判である。
石油化学プラントでの撮影。
三食賄い付きの生活で、
美味しいものをたくさん食べたのかしらん。
まだ、橋本さとしさんのナレーションが
入っていないため、須藤さんが
台本を読む。
太くてたくましい声は、
アラビアのロレンスのようだった。
ナレーションを読み上げる須藤祐理さん。
右端に住吉美紀さん(すみきち)のカップが
写っている。
チーフプロデューサーの有吉伸人
さんと
「ばらえ亭」でご飯をたべる。
運ばれてくると、有吉さんが
「あれっ、ワンタン麺じゃないんですか?」
と言った。
ばらえ亭に行くと、美味しいので、
いつもついついワンタン麺を頼んで
しまう。
いつも同じだとまずいんじゃないか、
という自己反省があって、
珍しく親子丼を頼んだのである。
でも、親子丼も美味しかったけど、
やっぱりワンタン麺食べたかったなあ。
紀尾井町の文藝春秋。
橋本治さんにお目にかかる。
橋本さんが上梓された
『小林秀雄の恵み』を巡る対談企画。
充実した、大切な
時間だった。
大先輩である橋本さんから、
たくさんのことを学びました。
橋本治さんとの対談は、「文學界」
に掲載される予定です。
1月 16, 2008 at 07:41 午前 | Permalink | コメント (7) | トラックバック (4)
プロフェッショナル 仕事の流儀 坂東玉三郎
美しいと感じる心は誰にでも
ある。
しかし、自らの肉体をもって至上の
美を現出することは、ごく限られたの
人だけにできること。
感覚における官能と、
行為における実践を
語る言葉はその感触が
異なる。
二つの言語世界を、いかに
一致させるか。
玉三郎さんとお話して以来、
ずっとそのことを
考えています。
「奇跡の女形」坂東玉三郎さんの
本質に迫る『プロフェッショナル 仕事の流儀』
58分拡大版です!
NHK総合
2008年1月15日 22:00〜22:58
http://www.nhk.or.jp/professional/
Nikkei BP online 記事
玉三郎さんに「学習と発見」の手法を教わる
〜歌舞伎役者 坂東玉三郎〜(compiled by 渡辺和博(日経BP))
1月 15, 2008 at 08:11 午前 | Permalink | コメント (9) | トラックバック (5)
冷たい海にフラットな氷が浮かんでおり、
それが意識と無意識の境界に
なっているらしい。
どうにもあぶなっかしい。
陸地に移動する。
そうなってしまえば、
平穏無事に事が進んでいく。
ところが、
どうも「境界世界」がなつかしい。
待ちに待った「気配」が訪れる。
いよいよ平穏世界にも
氷の境界が押し寄せてくることを
悟って、親しい友人が
居室ではらはらと
涙を流す。
そうか、あいつも
境界世界をなつかしがって
いるのか。
その慈雨のような粒が大きくぽたぽたと
垂れる様子を見ながら、
私は深く安堵する。
なんとも奇妙な夢だった。
街を吹く寒風が肌を刺す。
こうじゃなくっちゃ冬らしくない。
ブリッジワークスの安藤大介さん、
渡部睦史さんと六本木ヒルズの
グランドハイアット内、フィオレンティーナ
で打ち合わせ。
『脳を活かす勉強法』の続編の件。
続いて、
講談社の岡部ひとみさんと
お話する。
J-waveで、岡田准一さんの
Growing Reed
の収録。
番組が開始して二本目にうかがって
以来、ほぼ3年。
久しぶりに会った岡田クンは、
なんだか大人びていた。
プロデューサーの笹生八穂子さんの
パーティーへ。
岡田クンとWii Fitで
「ジャンプ」や「ヘディング」の
競争をする。
ゲストでいらした藤巻幸夫さんも
気合いが入り、
「よし、負けないぞお」
と盛り上がる。
小学生の時、すべり台で
「ジャンプ」ごっこをした。
札幌オリンピックで、笠谷、紺野、青地が
「金銀銅独占」を達成し、
空前のジャンプ・ブームだったのだ。
クラウチング・スタイルで
滑り落ち、いよいよという
時に「タイミングが大事なんだ」
と伸び上がる。
そんな冬の日が、まざまざと
よみがえった。
岡田クンは運動神経が良くって、
ぎりぎりの間合いで踏み切る
ということがちゃんと出来ている。
踊っている人はリズム感覚が
いい。
できるかできないか。
言語を通さない共感回路を
立ち上げるためには、
スポーツはいい。
たとえ、それがシミュレーションでも。
おかげで、岡田クン、藤巻さんと
大いなるエムパシイを感じた。
笹生さん、素敵な時間をどうもありがとう。
笹生さんのパーティー中、
白洲信哉から電話があった。
「茂木さんの『すべては音楽から生まれる』
を読んでいるんだけれども・・・あの
光の川というのは、いいねえ。ぼくも、
光の川を見つけることにするよ・・・
いやね、今、富山にいるんだけど。
明日から仕事で、今日はちょっとね。
昨日、立山で読んだんだよ。
あの、光の川というのはいいねえ。」
友というものはありがたい。
その調子が残っていて、
今朝の夢につながったような気持ちが
どうもしている。
1月 15, 2008 at 07:39 午前 | Permalink | コメント (2) | トラックバック (3)
対談 藤森照信 × 茂木健一郎
が収録された「デザイン・アディクト02」
が増刷となりました。
デザイン・アディクト編集部の
木戸昌史さんからのメールです。
お世話になっております。
デザイン・アディクト02が増刷(2刷)となりました。
本当にありがとうございます。
出版不況がささやかれておりますが、
よい企画を作れば、読者の人たちはきちんと見てくれていると
実感することができ、とてもうれしいです。
木戸昌史
1月 14, 2008 at 08:29 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (1)
やっぱり、本を読むのが好きだ。
小学校5年生の休日、図書館から
厚手の本を5冊借りてきて、
夕方にかけて一気に読んだ。
最後は鼻の奥がつんとした
けれども、
活字に目を走らせている
時間の流れの中で、
自我がしっかりとした芯を
持ちながらしかし白く甘く
とろけていく、
あの最高に覚醒していながら
この世界から消えている
時間の流れに変わるものは
ない。
はしるはしる、わづかに見つつ、
心もえず心もとなく思ふ源氏を、
一の巻よりして、人もまじらず、
きちやうの内にうちふして、
ひきいでつつ見る心地、きさきの
くらゐもなににかはせむ。
菅原孝標女 『更級日記』(1059年頃)
本を読んでいたら、
いつの間にか眠っていた。
霞ヶ浦のほとりを
走っていると、次から次へと蓮
の田んぼが姿を現す。
極楽の象徴として蓮の花が扱われる
のは泥から咲き出でるからかと
思うが、
眠りもまた、泥の中にまみれて
夢という花を咲かせる一つの
境地のようにも思われるのだ。
先日、五反田の「あさり」に
新潮社の人たちが来て
話した時、
いろいろ芸談じみたことに
なった。
編集者というものは
活字の世界のプロであって、
プロ同士の話というのは
本当のところを突きつめて
いけばぴんと張り詰めた
ものがある。
「売れる」ことがすなわち
正義であるという商業主義の
世の中でも、プロたちの
考えていることは変わらない。
そこにあるのは本気であり、
批評眼であり、
冷静なものの味方。
ただ、それが市場の熱狂に
必ずしも直結しないだけの
ことである。
そのような現場で交わされる
きびしい言葉の群れは、
手当たりが一見峻厳であるように
見えて、
実は泥のように眠る夢の
マテリアルに近いのは
何故なのだろう。
他者を意識しない没我と、
刀と刀が当たる音のする
修羅場が同じ様相を呈する。
かえって、市場での人気
といった社会性の本義に思われる
領域の方が、自我の奥では中途半端な
場所しか占めていないように
思えるのだ。
「人気」に堕すと自我の
まとまりを失うように感じられるのは
そのためだろう。
昨日は空気が凛と冷たくて、
歩いていても実質的な気持ちが
した。
春が来る前に、もう少し
寒流の中に身を浸す時間が
あっても良い。
1月 14, 2008 at 08:22 午前 | Permalink | コメント (5) | トラックバック (5)
ヨミウリ・ウィークリー
2008年1月27日号
(2008年1月12日発売)
茂木健一郎 脳から始まる 第87回
目の当たりにした紅白歌合戦
抜粋
言うまでもなく、主役は歌手たちである。有名な小林幸子さんの舞台衣裳は、実際に目の当たりにするとまるで巨大な現代美術の作品のよう。アイドル歌手たちの踊りは、決して上すべりではない本気のエネルギーに満ちている。そして、「歌の心」が聴く者の心を動かす実力派の歌い手たち。ライブで見る紅白歌合戦は、ブラウン管を通して見る以上の興奮に満ちていた。
感心したのは、鶴瓶さんと中居さんの「プロフェッショナリズム」。舞台転換がまだ終わらず、ディレクターが「延ばしてください」と合図を送ると、トークでつなぐ。準備が出来て両手で「丸」のサインが出ると、ぱっと曲紹介に移る。その切り替えをごく自然にやる二人はさすがだと思った。
特にしびれたのは、中村中さんを紹介した中居正広さんの司会ぶりである。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。
http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/
1月 13, 2008 at 12:12 午後 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (0)
人の性質というのは徐々に
わかってくるもので、
何回も顔を合わせている
人でも、その人の「芯」
が何なのか、なかなか悟れないものだ。
ある時に「はっ」と気付く。
ああ、そうか、この人はそうなのかと
思う。
遡って、いろいろな
ことが明らかになって腑に落ちる。
テレビマンユニオンの花野剛一
さんとは付き合いが長い。
最初はNHKの「科学大好き土よう塾」
でご一緒して、
それからちょくちょく顔を合わせる
ようになった。
新潮社の取材で恐山に行った時には、
花野さんも一緒に来てビデオに
撮っていた。
そのうち、何らかの番組か
DVDかにするつもりらしい。
BS日テレで半年間放送された
『ニューロンの回廊』は、花野さんがプロデューサーとして
企画、制作した番組で、放送時
好評を得た他、光文社から
『芸術の神様が降りてくる瞬間』
として書籍化されている。
この番組の頃から、花野さんのことを
時折「花野P」(はなのぴー)
あるいは「花P」(はなぴー)
と呼ぶようになった。
ピーはもちろんプロデューサの略
である。
私は、「男は顔で選んでいる!」
と時々冗談で言うが、
実際、私の学問界、出版界、
映像界の友人たちは皆男前である。
その中でも、花野剛一クンは、
ぴか一である。
男前の花野剛一クンの
おそるべき真実を、しかし、
私は、つい昨日まで知らなかった。
つまり、はなぴーの
アタマの中は、「70%以上
ラグビーで出来ている」という
ことである。
二年くらい前から、
「茂木さん、ラグビー行きましょうよ」
「今度の日曜日、いい試合があります」
「来月のこの日の都合はどうですか?」
などと聞いてきた。
はなぴーは早稲田出身で、ラグビーを
やっていた、という認識こそあったものの、
「何だかやたらとラグビーが好きな
人だなあ」と思いつつ、
いつも都合がつかず、
一度もはなぴーの誘いに「イエス」
ということが
できないで来たのである。
昨日の第44回全国大学ラグビーフットボール
選手権大会。
雨の国立競技場で、やっとはなぴーの
ラグビー愛に応えることができた。
「ラグビーは、どんな天候でも
やるんですよ、茂木さん」
とはなぴー。
早稲田の練習を見た。
男たちが雄叫びをあげて、
ぶつかりげいこのような
ものをしている。
「試合直前にこんなにはげしい
ことをやってだいじょうぶなんですか?」
「これは、確立されたメニューで、
こうやって徐々に心拍数を高め、
士気も盛り上げていくのです」
とはなぴー。
グランドに立って、
ラグビーを観戦する前のキモチを
はなぴーが指示する
撮影隊に向かって話した。
試合開始。
記者席から見る。
となりに、はなぴーのパートナー
である佐藤泰子さん(テレビマンユニオン
/お茶の水女子大学)が
座って、いろいろと解説してくださる。
フィールドで撮影を続けるはなぴーから、
時々無線で「指示」が入る。
とにかく寒かったが、そんなことも
忘れてしまう熱戦であった。
ラグビー発祥の地はイギリスだが、
伝説によると、フットボールを
やっている時に少年の一人が
興奮してボールを持って
走り出してしまったのが
始まりらしい。
ラグビー校はパブリックスクールの
名門。
ウィンザー城のふもとにある
もう一つの雄イートン校には
行ったことがあるが、
ラグビー校は目にしたことがない。
「ラグビー校には、芝生の
フィールドが十何面もあるらしいんですよ!」
とはなぴー。
そのラグビー校で発祥した
世界的スポーツは、
制約だらけのルールの中から、
突破し、解放する自由を演出する
魂と肉体の競技であった。
前の方に投げてはいけない
という規則は有名だが、
他にも、ファウルの判定の
時に「アドヴァンテージを見る」
などの独特のルールが
あり、
ラグビーというスポーツを
面白く奥深いものに
している。
試合は早稲田大学が勝つ。
大学選手権で優勝した時に
だけ歌うことが許されるという
「荒ぶる」を選手たちが
合唱した。
泣いていた。
はなぴーのラグビー熱は、
『魂の記憶 ~大学ラグビー06/07シーズン~』
として結実している。
http://www.plus-blog.sportsnavi.com/rugby-m/article/58
はなぴーは、ラグビーの映像作品を
つくっていくことを、ライフワークの一つ
としていくのだろう。
優勝した早稲田大学の
中竹竜二監督と権丈太郎主将の
記者会見が行われていた会場で、
はなぴーとツーショットで
記念撮影。
はなぴーと私の、
魂の距離が近くなった。
1月 13, 2008 at 11:28 午前 | Permalink | コメント (4) | トラックバック (2)
東京工業大学 理数プロジェクト2007 シンポジウム
有馬朗人
伊賀健一
茂木健一郎
東工大学生 二名
2008年1月16日(水)16時50分〜19時
東京工業大学 大岡山キャンパス内
大岡山西9号館2階 ディジタル多目的ホール
事前申込み受付中! ↓
1月 12, 2008 at 10:43 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
竹橋の毎日新聞社へ。
思えば、
「トゥープゥートゥーのすむエリー星」
というSF童話を「毎日小学生新聞」
に連載させていただいた時、
よく通ったものだった。
あの時は、学士入学した法学部に
在籍中だった。
場所の記憶がよみがえる。
東麻布の烏龍舎にて、
小林武史さんとお話する。
小林さんは、元気一杯の
人だった。
リズム感覚において
卓越しているのは
もちろんのこと、
一つひとつの身振りが大きい。
ダイナミックな行き来の上に、
グルーヴが乗っていく。
ソニーコンピュータサイエンス研究所へ。
ゼミ。
戸嶋真弓さんが、修士の構想発表の練習
をする。
戸嶋さんが興味を持っているのは、
学習におけるcognitive failureの問題で、
Leo TolstoyのAnna Kareninaの冒頭の
有名な一文
Happy families are all alike;
every unhappy family is unhappy in its own way.
のように、人間は失敗においてむしろ
多様な様相を見せるのだ。
石川哲朗クンが、修士論文の発表の
練習をする。
Baysian Learning単独では、
one-shot learningのタイムコースは
説明できない。
ただ、stimulus presentationを一つ、
二つ、三つと数えていくときに、その
自然なtick timeは何かという
未解決問題は残る。
学習ということを真剣に
考えていくときに、そのheterogeneousな
make-upの問題が中心的課題として浮上
する。
高川華瑠奈さんが、修士論文の構想発表
の練習をする。
Empathyの問題を考える時に、
因子として自分自身の身体状態、
相手のnon-facialな挙動、
そしてnon-visualな情報に着目
しようという高川さんの発想は
素晴らしいと思う。
東京工業大学一年生の
弘田クンと、長井クンが
シンポジウム
「21世紀 東工大生の挑戦」
の打ち合わせにくる。
PHP研究所の木南勇二さん、
ブリッジワークス(代表安藤大介さん)
http://bridgework.exblog.jp/
のお二人が
打ち合わせにいらしゃる。
新潮社の金寿煥さんが
大久保さん、高橋さんと
一緒に打ち合わせにいらっしゃる。
木南さんと、「いけいけどんどんですよお」
と話した。
金さんと、これからの仕事の
あり方について、熱烈に話した。
デスクトップを検索したら、
ファイルはあった。
毎回イラストを描いてくれて
いたのは、小学校と中学校の
クラスメイト、井上智陽である。
http://white.ap.teacup.com/chii/
『トゥープゥートゥーのすむエリー星』
(1986年頃? 毎日小学生新聞に連載)
茂木健一郎 作
井上智陽 絵
一、お父さん飛び込んでくる。
これから始まるお話は、未来の地球に住んでいる、まさおの冒険のお話です。
まさおの部屋は、まさおの家の中にあるいくつもの部屋の中で一番変わっています。それというのも、まさおは、コンピュータと、(未来の地球では珍しいことに!)ジャングルが大好きだからです。
まず、コンピュータですが、まさおの一番の自慢はアジャパー星でつくられた「プリ君」です。アジャパー星のコンピュータは、よてもおもしろいので子供たちに大人気です。「プリ君」は、あまりやさしい問題を入れると、「プリ」と音がして、一時間くらいストライキをしてしまいます。この前も、次の日食はいつ起こるか計算させたら、プリッとおこってしまいました。そんな計算は、馬鹿らしくてやってられないというわけです! だから、まさおはプリ君のご機嫌には気を使っていて、ブラックホールの位置当てクイズのような、難しい問題にしかプリ君は使いません。
まさおの部屋には、他にも折りたたみ式コンピュータや、全自動コンピュータ、透明コンピュータなどがあります。だから、まさおの部屋は、正直なところ、とんだり跳ねたりするスペースはありません。でも、無重力ジャンピングをするよりは、一日中コンピュータと向かい合っているほうが、まさおは好きなのです。それでも、コンピュータが好きなのは、別にまさおに限ったことではありません。まさおが変わっているのは、なんといってもジャングル好きのせいです。
まさおの住む未来の地球では、ジャングルはアマゾンにある惑星ジャングル公園に残っているだけです。まさおも本物のジャングルは見たことがなかったのですが、小さい時に惑星子ども図書館で、ジャングルの立体映画を見て以来、ジャングルのとりこになってしまったのです。
「ジャングルではね、光は葉っぱを通って来るんで、緑色なんだ。赤や黄色のオウムや、手の長いサルもいる。とても不思議なメロディーやリズムの鳴き声がいつでも聞こえてくる。昼間でも暗くて、夜になると、また別の生物たちが出て来るんだ。」
宇宙動物学者のお父さんは、まさおによくそう話してくれました。まさおの部屋は、ジャングルの写真や、昔ジャングルで採れた蝶の標本、動物図鑑などでいっぱいです。そして、惑星小学校でも、こんなにジャングルに夢中になっているのは、まさお一人なのです。
まさおの住む未来の地球は、すっかり様子が変わってしまっています。まず、地球全体が大きなビルディングになっていて、その屋上も町になっています。ビルディングの屋上には、宇宙へ向かう宇宙船が発着する宇宙ポートや、惑星天体観測所、惑星テレビ局、惑星人工太陽センターなどがあります。
ビルディングは二千階もあるので、屋上に行くには超高速エレベーターを使います。まさおの住んでいるところから、屋上まで超高速エレベーターでわずか三分です。屋上に出ると本物の星々や太陽が見えるので、まさおはよくお父さんと一緒に屋上に「ピクニック」に出かけたものでした。
まさおたちは、今「惑星小学校」に通っています。まさおは惑星小学校の五年生です。一度、惑星天文センターに遠足で行ったことがあります。その時、まさおは望遠鏡いっぱいに広がる星たちを見て、いつかあの星たちの一つ一つを訪れてみたいと思ったものでした。
「地球全体がビルディングになったといっても、アマゾンにある惑星ジャングル公園や、シベリアの惑星タイガ公園、アフリカの惑星サバンナ公園などには、まだ本物の地面が残っているんだ。そこには、本物の土がある。今、お父さんたちはビルの屋上にも土をつくる研究をしているんだよ。」
よく、お父さんはそう話してくれていました。動物学者のお父さんの仕事は、主に宇宙のいろいろな星から送られてくる珍しい動物を調べたり、あちらこちらにある惑星動物園をとび回って動物の世話をしたりすることでした。その他にも、「土」をビルディングの屋上に作って、そこに植物を増やす研究をしていました。まさおは「土」を見たことがありませんでしたが、とにかく、それがジャングルに必要なものであることだけは知っていました。
まさおのお母さんは、遠く離れたベガ星へ、珍しい動物を調べるために出張していました。まさおは、お母さんにもう二年間も会っていませんでしたが、毎日ビデオテープの手紙がやってくるので、さびしくありませんでした。お母さんは惑星中央大学で植物の研究をしていて、そこでお父さんと知り合ったのです。
まさおは、大きくなったら、惑星中央大学でコンピュータの勉強をしたいと思っていました。そして、お母さんのように、いろいろな星へ行って調査したり、お父さんのように地球の生物を守ったりして活躍するのがまさおの夢でした。
さて、まさおは退屈していました。今日は日曜日で、惑星小学校は休みです。本当は、電子図書館で何か立体映画を見ようと思っていたのですが、お父さんが間違えてまさおのエレベータ・カードまで持って行ってしまったので、どこにも行けなくなってしまったのです。(エレベータ・カードはエレベータを動かすのに必要なカードで、4歳以上の人は、みんな一枚ずつ持っています。年齢や身分によって、乗ることのできるエレベータが決まっています。)
仕方がないので、まさおはオウムのラッキーと遊ぶことにしました。ラッキーは、赤や青や黄色のまだらのとても美しいオウムで、三年前にお父さんが惑星ペットショップで買ってきてくれたのです。ラッキーは、まさおが籠から出してあげると、喜んで部屋の中を飛び回りました。まさおは、ラッキーがコンピュータの上にふんをしないように、気をつけなくてはなりませんでした。
やがて、ラッキーが飛び疲れて、まさおの指の上に止まると、まさおはラッキーの目の横のところをなでてあげました。ラッキーは、気持ちよさそうに目をつむりました。
「ああ、ラッキー。退屈しちゃったよ。コンピュータのプリ君は、さっきからストライキ中だし、お父さんは学会で夕方まで帰って来ないし、エレベータ・カードはないし、もうさんざんだよ。」
ラッキーはまさおの言葉がわかるのか、わからないのか、きょとんとしてまさおを見ていました。
「あ〜あ。何か素敵な冒険はないかなあ。宇宙船に乗ってどこかにいくとかさあ。一度でいいから、遠くの銀河へ宇宙旅行がしてみたいなあ。」
まさおは真剣な顔をして、ラッキーを見つめました。
「いいかい、ラッキー。もしも、もしもだよ。今、これから宇宙旅行に行くことになったら、お前もついてくるかい? お前のことだから、地球を離れるのはイヤだとピーピー鳴くだろうなあ。」
ラッキーはバタバタと飛んでいってしまいました。まさおは、ゴロンと床の上に横になると、宇宙船から木星のオーロラを見たり、ベガ星へ行ってお母さんと一緒に珍しい植物を摘んでいるところを想像してみました。まさおの部屋はいつも春のような気温に保たれていて、とても気持ちがいいのです。ですから、ラッキーがバタバタとまさおのところに戻ってきた時には、まさおは床の上で大の字になって、すやすやと眠ってしまっていました。
どれくらい眠ったのでしょうか。まさおは夢うつつの中で、象がどすどすと足を踏みならしている様子を眺めていました。まさおは、はっと目を覚ましました。まさおの部屋の外でドタドタと音がします。まさおはびっくりして、すっかり目が覚めてしまいました。
ドタドタドタ! 音はだんだん大きくなってきます。その乾いた力強い音には、聞き覚えがあります。
「お父さんの足音だ!」
そう、まさおが思うのとほとんど同時に、お父さんが勢いよく飛び込んできました。
「まさお、早く支度をしなさい。」
お父さんはそう言うと、いきなりまさおの服のケースを開けて、中から服を放り出し始めました。
「早く服を電磁バッグに詰めるんだ。それと、銀河共通保険証も忘れるなよ。」
そう言いながら、お父さんは、今度はまさおの本棚のコンピュータの本を見て、何冊か選び出すと、鷲掴みにして放り出し始めました。
「これと、これと、これを持って行くんだ。早くしろ、早くせんと遅れるぞ。」
お父さんがあわてているときは、とりあえず言うとおりにする方が良いことをまさおは知っています。まさおは、急いで電磁バッグに服を詰め込みながら、尋ねました。
「早くしろって、何をいったい早くするんだよ。」
「宇宙旅行の支度さ。決まっているだろう。」
宇宙旅行! まさおは、もう、びっくりぎょうてんしてしまいました。
「たった今、会議で決まったのさ。エリー星に、トゥープゥートゥーという動物の調査に行くんだ。とにかく、エリー星は、ジャングルだらけのすごい星らしい。五時間後に、宇宙ポートから出発だ。ヤッホー! まさお、喜べよ。初の宇宙出張だぞ!」
エリー星? トゥープゥートゥー? そんなもの、まさおは聞いたことがありませんでした。ただ、お父さんの言った「ジャングルだらけ」という言葉だけが、まさおにはよく聞こえました。ジャングルだらけの星を探検だって! しかも、その星までは宇宙旅行で行くのです。夢のような話でした。まさおは、心臓がドキドキして、顔が真っ赤になったかと思うほどでした。
十分後には、まさおとお父さんは用意を終えて、まさおの家のドアの前に立っていました。もちろん、ラッキーも籠の中に入って冒険のお供です。
「この家とも、少しの間お別れだ。よく、さようならを言っておくんだぞ。」
まさおは、コンピュータの「プリ」を置いていくのは寂しい気がしましたが、何よりも冒険への出発に、胸が高鳴っていました。それに、「プリ」なら、一年くらい放っておいても平気です。コンピュータは、退屈したら電源を自分で切って眠ってしまいますから。それでも、まさおは心の中で挨拶だけはしました。
「さようなら、プリ! エリー星へ行ってくるよ!」
こうして、まさおの冒険は始まりました。
1月 12, 2008 at 10:37 午前 | Permalink | コメント (10) | トラックバック (3)
中央公論 2008年2月号
連載
新・森の生活(14) 自由について
一部抜粋
自由について考察する者は、自らが置かれた制約を憎んではならない。そもそも私たちが自由に闊歩できるのは地球という大きな塊と、その及ぼす重力があるからである。制約の中に投げ込まれることは、常に不条理である。しかし、その制約を受け入れ、抱擁し、愛することによって自由への逸脱が生じる。
ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』の中で、喉の奥を蛇に噛まれている男は、私たち一人ひとりが置かれている制約を象徴している。縛り付ける「重力の魔」から逃れようと思っても、私たちは串刺しにされて身動きがとれない。
男がその蛇を噛み切って立ち上がり、目を輝かせて笑う時に、生の逸脱が起こる。その時、私たちは生きることの偶有性を抱きしめる。制約から逃げようとするのではなく、むしろ受容し、もって安全基地として跳躍使用と覚悟を決める時に、私たちはこの不条理な地上の生のありさまを、心の底から愛することができるようになる。
1月 11, 2008 at 08:55 午前 | Permalink | コメント (4) | トラックバック (1)
PHP新書
茂木健一郎 『すべては音楽から生まれる』
は増刷(3刷、累計30000部)
が決定しました。
ご愛読に感謝いたします!
PHP研究所の丹所千佳さんからの
メール
こんにちは。
増刷のおしらせです。
おかげさまで『すべては音楽から生まれる』の3刷
が決定しました!
茂木先生は「地味な本なので増刷が決まって嬉しい」
とおっしゃっていましたが、
「音楽に対する感じ方が変わった」
「この本を読んでいると無性に音楽が聴きたくなる」
「音楽と自分自身について、とても広い世界が
あることに気づかせてくれた」
といった声が読者の方々から聞こえてきて、
私としても嬉しいかぎりです。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
1月 11, 2008 at 08:47 午前 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (2)
「トシガイ」の放送を見た。
ロケなど、自分自身で経験
していたことだけに、
「なるほど、このように編集するか!」
と感心しながら最後まで見た。
魚徳のおやじに再会できて、
その過程をこのように映像で
残すことができて、
良かったと思う。
大好きな神田の
玉英堂の
様子も良く出ていた。
最後の宴会のシーンでは、
私の大切な友人たちの姿が
くっきりと映し出されていた。
それ自体がまるで絵巻物の
ようで。
前島隆昭さん、道下綾子さんを
始めスタッフの方々、ありがとう
ございました!
春の気配を空気の
中で感じる。
そんな中、
手もとで黙々と作業を
続けている際に、
しみじみと喜びを
感じる。
思考も発想も、結局は
具体的な作業の中にその姿を
現す。
放っておいたら、いつまでも
手もと作業を続けているかもしれない。
春支度にいそしんでいる
植物たちも、
土の中の根に沿って、
あるいは外から見れば固く閉ざした
目の中で、
せっせっせと手元作業を続けている
のだろう。
とにかく、遠く離れて、
縁もゆかりもないと思われるものたちと、
大いなる連帯を組むことだ。
古代ギリシャ神話で、
英雄たちがゼウスによって
星座にされてしまうのも、
一つの大いなる結びつきの儀式である。
1月 11, 2008 at 08:40 午前 | Permalink | コメント (6) | トラックバック (5)
茂木健一郎
「日本論の危うさ」
ー紋切り型の「伝統」がこの国の生命力を失わせるー
地球規模の「他者の目」
自覚すべき内なる危うさ
国境紛争が教える脆弱性
利休の「テロリズム」
無秩序な爆発に懲りた日本
偶有性を呼び覚ます
(原稿用紙30枚書き下ろし)
PHP研究所
VOICE 2008年2月号
http://www.php.co.jp/magazine/detail.php?code=12362
1月 10, 2008 at 09:39 午前 | Permalink | コメント (2) | トラックバック (1)
不老革命 アンチ・エイジングの衝撃
立花 隆/茂木健一郎/玄侑宗久/白澤卓二/大内尉義
文藝春秋 2008年2月号
1月 10, 2008 at 09:34 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
トシガイ
日本テレビ系列
2008年1月10日(木)深夜0時44
分〜01時14分(日付が変わって1月11日)
昔、塩谷賢と通っていった荻窪の
魚が抜群にうまい店「魚徳」
の一日だけの復活に「トシガイ」
を賭けるドキュメンタリーです。
魚徳の御主人、島名辰彦さんが
登場。
島名さんが現在腕を奮う
ダイニング ひかり
http://gourmet.yahoo.co.jp/0007545292/S0000002117/
にて開催された、復活魚徳の
「あんこう鍋の会」の様子も
放映されます。
1月 10, 2008 at 09:03 午前 | Permalink | コメント (3) | トラックバック (1)
再び、東京工業大学すずかけ台
キャンパスへ。
専攻会議。
学食でお昼ご飯。
味噌カツ丼にした。
新幹線の弁当以外で味噌カツ丼を
食べるのは初めてなり。
美味なものなり。
G3棟の一階で、ゼミ。
基本的にはソニーコンピュータサイエンス研究所
でやっているのであるが、
時にはすずかけ台で開催するのである。
大学の校舎というものは、
独特の自由な風が吹いている。
ゆったりとした時間が
流れる。
その中で、興味深い問題以外のことは
考えない。
まずは、野澤真一クンが
修士論文の発表の練習をする。
基本的には昨年の
Society for Neuroscienceの
時の発表を踏襲して、
「自発性」について、
野澤クンのいう
urgeとfree willの差異
についていろいろと
考察する。
野澤クンの実験パラダイムは
基本的にconstrained spontaneous
processであって、
そのconstraintと、野澤くんの
いうurgeが混合した結果生まれる
tappingの数理について、
まずはcognitiveなmodelをつくる
のが良いのではないかと考える。
衝動について発表する野澤真一クン
つづいて、加藤未希さんが
修士論文の構想発表に向けて、
内容をいろいろと詰めて
くる。
加藤さんはアイデアに溢れて
いて、普通の修士論文の三本分
くらいの研究内容を提案する。
特に皆が興味を持ったのは、
learning by insightにおける
subliminarl primingの役割に
ついての構想で、
そこに議論が集中した。
発表する加藤未希さん
続いて高川華瑠奈さんが、
人と人とのコミュニケーションに
おける「雰囲気」のようなものを
いかに科学研究にできるか
ということを模索する。
意識に上らない閾下の
表情(いわゆるmicroexpressionを
含む)や、相手の行動など、
さまざまな要素を同時並列的、
空間的に把握する結果、
高川の言う「雰囲気」という
ものが表れてくるのであろう。
構想を発表する高川華留奈さん
(鏡に横顔が映り込んでいる)
青葉台にて、専攻の新年会。
同じテーブルについた
村田智先生、山村雅幸先生、
伊藤宏司先生、渡辺澄夫先生、
長谷川修先生、寺野隆雄先生、
郷古学先生とお話する。
終了後、同じビルの中の
「笑笑」で行われていた
研究室の飲み会に顔を出すと、
野澤真一が「ちゃぶ台」をひっくり
返していた。
野澤は、時々「ちゃぶ台」をひっくり
返す。
これはまさに自発性、urgeじゃないか。
噴火やよし。
ボクが大学院生の時に書いた
散文詩のようなものの
冒頭を思い出す。
どこが始まりで、どこが終わりかわからない空間があった。その暗闇の中に、照り映える一つの青い球が浮かんでいた。球はつやつやと青く輝かしく、内側からほのかな光を出していた。
青い球のしわしわの皮の上には、一本の赤い線があった。その赤い線の上に、一つの小さな島があった。島は、全体が豊かな緑におおわれていた。緑の大叢林には色とりどりのフルーツがたわわに実り、鳥たちが飛び交い、水晶水の泉がこんこんと湧き出ていた。
島の中央には、一つの火の山がそびえていた。火の山は、時折さらさらとした真っ赤な溶岩を吹き上げて爆発した。溶岩は幾つもの小さなかたまりに分かれて、緋色に輝く鳥のように島中に舞い散っていく。動物たちは、驚いて、ひゅうひゅうと音をたてて水色の空気の中を飛んでいく赤い火の矢を見る。火の矢は、あちらこちらの泉の中に落ちると、じゅうと白煙を上げて消えた。すると、その白煙の中から、天上の花々のような、胸を甘美な追憶でいっぱいにする芳香が島中に漂うのだった。
噴火こそが人生を支える。
ボクたちは皆しゅっしゅっぽっぽと
蒸気を吐きながら、
残る香りの中で人生を実感
するのだ。
1月 10, 2008 at 09:03 午前 | Permalink | コメント (5) | トラックバック (4)
東京工業大学すずかけ台キャンパスへ。
関根崇泰くんの博士論文発表会。
審査員は、中村清彦先生、宮下英三先生、
山村雅幸先生、青西亨先生。
立派に発表している関根くんの姿を
見ながら、修士一年で彼が入ってきた
昔日を思い出した。
思えば、関根くんは慶応大学の
経済学部を出て研究室に入ってきた
のだった。
あの頃から、関根くんは、
身体感覚における空間構築について、
独自の哲学をもって邁進思考していた。
実験を始めて、面白い
事象を見つけた。
柳川透クンの助けを借りて、
自作の実験装置を使用し始めた。
研究室での飲み会での、
「宴会部長」の役柄も板に
ついてきた。
「部長、ここはまあ一つよろしく
お願いしますよ。」
と言ってお酒を差し出すと、
「おお、そうかね。まあ、茂木くんも
がんばってくれたまえ。君には期待しているよ。」
などとダミ声で言う「部長」役も
サマになった。
ビールで乾杯する時、私のジョッキの
方が「関根部長」よりも少し高い
位置にあると、
「ああ、君、それは違うよ」と言い、
私が、「どうもすみませんでした」
と改めて「関根部長」のジョッキよりも
低い位置で差し出すと、
「うむ、そうだよ。君もなかなか
わかってきたね。」
と笑う「段違いジョッキ」
の儀式もすっかりお馴染みになった。
関根はラーメン大王で、去年は
130杯食べたそうである。
関根からいろいろと噂を聞いている
慶応大学三田キャンパス近くの
「ラーメン二郎」にも
いつかはいかないといけない。
関根クンは博士論文発表会
を無事終了。
立派な発表ぶりだった。
発表終了後、ほっと一息ついている
関根クンの様子を激写した。
関根クンが初めて研究室訪問を
したあの日は遠い昔のように
思われる。
あの人同じように、未だ記憶に
鮮明な昨日の論文発表会も
また、絶望的に遠い場所にある。
そこに還ることも、
変貌させることもできない、
不可触の宇宙の中にあるのだ。
人間はいつしか変わっていき、
やがて死んでしまうが、
生と死の移り変わりはより
一般的な「時間が経過する」
という性質の一部分である。
生と死は不条理だが、それだけを
取り上げれば疑似問題になってしまう。
本質を担っているのは時間の
経過そのものである。
生命哲学、さらには意識の問題は、より
広汎な時間の問題へと合流して
いかなければならない。
関根に良い栄養ドリンクを差し入れようと
思ったが、時間がなかったので
120円の「デカビタC」をあげた。
すずかけ台キャンパス入り口の
自動販売機で買ったのである。
1月 9, 2008 at 08:20 午前 | Permalink | コメント (5) | トラックバック (2)
茂木健一郎
『脳を活かす勉強法』
PHP研究所
は、重版(5刷、累計10万5000部)
が決まりました。
ご愛読に感謝いたします。
PHP研究所の木南勇二さんから
のメールです。
茂木健一郎先生
あけましておめでとうございます。
『脳を活かす勉強法』5刷5万部が決まりました。
累計10万5千部です。
新年早々縁起がいいです!
木南拝
http://www.php.co.jp/bookstore/detail.php?isbn=978-4-569-69679-9
1月 8, 2008 at 01:29 午後 | Permalink | コメント (7) | トラックバック (3)
プロフェッショナル 小野二郎
銀座の「すきやばし次郎」
を屈指の寿司の名店としたのは、
小野二郎さんの妥協しない
生き方。
握るときの所作のスピードは、
若々しいアスリートのよう。
「すきやばし次郎」ほどの店にも、
屋台から始まった江戸前の握り寿司の
原点が息づいている。
お客さんの前に立つ段階で、
仕事の9割は終わっている。
その「手当て」の中にあくまでも「その先」
を探究する小野二郎さんの凄みが
表れている。
少年の頃から、ずっと働き続けて
きた小野二郎さん。
その姿に、「働く」ということの
難しさと喜びを感じる。
NHK総合
2008年1月8日 22:00〜22:45
http://www.nhk.or.jp/professional/
Nikkei BP online 記事
9割の「見えない仕事」を突き詰める
〜すし職人 小野二郎〜(compiled by 渡辺和博(日経BP))
1月 8, 2008 at 06:17 午前 | Permalink | コメント (9) | トラックバック (7)
文藝春秋クレア2008年1月号から、
茂木健一郎『となりのセレンディピティ』
の連載が始まりました。
1月7日発売の2月号に、
第二回が掲載されています。
http://crea.bunshun.jp/index.html
担当の山下奈緒子さんからのメール
*
昨年は、茂木さんに連載をスタートして
いただけたとても素敵な年になりました。
今年も、どうぞよろしくお願いいたします。
さて、本日(日付替わってしまったのですが)、
1月7日はCREA2月号の発売日です。
もしよろしければ、「となりのセレンディピティ」
についても茂木さんのブログでご紹介いただければ、
と思います。
ぜひ、茂木さんのブログの読者の方にも
この連載を読んでいただきたく!
ご紹介くださいますよう何卒よろしく
お願いいたします。
*
山下さんからの今年の年賀状には、
キリンとのツーショット写真があり、
びっくりしたのでした!
山下さん、キリンをペットで飼っている
のかな。
クレア編集部員の方々によるブログも
面白いです!
1月 8, 2008 at 05:54 午前 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (0)
英語が自由に読めてよかった
と思うことの一つは、
ある問題について日本語とは
違う感性、考え方
に接することができる
ことである。
google newsの
UKやUSの項を読んでいて、
ときどきそう思う。
多言語主義の本義は、
他文化主義にある。
高校の時はゲーテやワグナー、
ニーチェなどドイツ圏の人たち
のものが好きだった。
一時はドイツに留学しようかと
思ったくらいだったが、
これら「ドイツ的」と呼ばれる
人たちは、実はひとり残らず
ヨーロッパの中の多文化によって
鍛えられている。
当時の限定の中で、
コズモポリタンだった。
必ずしもその土地の母国語ではなく、
翻訳や吹き替えを通してでもいい。
多言語に通じる以上に、
多文化に通じることが、
とりわけ文化の創造にかかわろうと
する者の必須の教養ではないかと
考える。
日本語圏だけの感性、考え方の
中に埋没していると危うい。
一日中デスクワーク。
そんな時、ついついうっかりしていた
仕事の締め切りが飛び込んでくると
衝撃が走る。
しかも複数。
目をつり上げて一生懸命にがんばる。
何しろ、ふり返っても仕方がない。
自由になるのは、「今、ここ」から
先だけなのだ。
チョコレートを一つ口に入れ、
コーヒーを飲み、
仕事と自分の間の距離を
なくしてしまう。
生きるって、一体何なのだろう。
地上に生を受け、
己というもののやりきれなさを
一番実感できるのは、
特定の目的に束縛される
ことなく無限定に投げ出されている
時間帯だ。
たとえば、為すすべもなく
夕陽を見ている時。
仕事と自分の距離がなくなって
一体化してしまっている時には、
自我のアイドリングが無くなって
しまい何か大切なものが
失われてしまっているが、
しかし代わりに
無意識のうちに様々なものが
鍛えられる、その衝動に充ちるのだ。
コンビニに歩きながら
筑摩書房の増田健史(たけちゃんマン)
と電話で喋ったとき、
背後から聞こえていた山の手線の
駅のアナウンスがまるで
異世界からの響きのようで、
多文化は日常の
ごく当たり前のことの中に
潜んでいるものだと思う。
言語はそれを擬似的に包む。
たとえば、カラスやハトや
スズメといった、
身近な生きものの
振る舞いの中に。
あるいは街で会った
見知らぬ人のしぐさの中に。
1月 8, 2008 at 05:42 午前 | Permalink | コメント (6) | トラックバック (5)
2008年1月7日(月)より、
毎週月曜日 午後10時より10時25分
4回シリーズにて
NHK教育 趣味悠々・茶の湯 武者小路千家
「初釜を楽しむ」が放送されるようです。
http://www.nhk.or.jp/syumiyuuyuu/cha01.html
千宗屋さんからいただいたメールによると、
「お正月のお茶会である初釜をテーマに、
その流れやマナー、正月の祝意に込められた
意味を家元と私で実際に進行しながら
解説していきます。
日ごろお茶を嗜んでおられない方でも
初釜のお招きを受けられる方は多く、
そういう方々にとってもお役に立つ内容を
心がけました。」
とのことです。
また、
「今回特別に大晦日から元旦未明に掛けて毎年
変わらず行っている内内の儀式「大福茶」(おおぶくちゃ)
にもカメラが入りました。これは第一回に放映されます。」
とのことです。
千宗屋さんにお招きいただいて体験した
官休庵でのお茶会で垣間見た
奥深い世界が思い出されます。
日本文化の神髄の一端を垣間見る絶好の機会
かと思います。
是非ご覧下さい。
1月 7, 2008 at 12:30 午後 | Permalink | コメント (4) | トラックバック (1)
世界まる見え!テレビ特捜部
2008年1月7日 19:00~20:54
日本テレビ系列
1月 7, 2008 at 09:57 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
ヨミウリ・ウィークリー
2008年1月20日号
(2008年1月7日発売)
茂木健一郎 脳から始まる 第86回
「椿」が象徴する心の余裕
抜粋
そこで三十郎は一計を案ずる。ちょっと間が抜けた敵方の長老たちに、「椿を流すのは襲撃の中止の合図だ」とウソをつく。長老たちが、あわてて椿を流す。たくさんの鮮やかな椿が流水に乗り隣の屋敷にたどり着く。「合図が来たぞ」と喝采する若侍たち。見事なクライマックスシーンである。
面白いのは、奥方と娘の反応。男たちは、生きるか死ぬか、やるかやられるかというギリギリの崖っぷちにいて、命を賭けた合図として椿を使っているのに、「まあ、なんてきれいなんでしょう」などとのんびり応えている。そのようなずれに込められた遊びの精神。黒澤明監督のユーモアが名作『椿三十郎』に何とも言えないのびやかな味わいを与えているのである。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。
http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/
1月 7, 2008 at 09:53 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
何か障害がある時に、
それを友人相手にこぼすことは
愉しいことである。
「バカな○○が邪魔をするんだよ。」
「そもそも、○○っていうのはさあ、
そういうことはできないようにできている
んだ。」
「予算がないからね。」
「そんなことをしても、おそらく、
この日本の現状では、受け入れられないよ。」
友人は、うらみつらみを聞いてくれる
すばらしい吸収壁である。
しかし、それでは世の中は変わらない。
ロミオとジュリエットの恋愛では
ないが、
障害が高いほど理想に燃える
ということがあっていいはずだ。
信じること、愛するものがあるん
だったら、世間の障害など問題に
せずに、できることを何でも
やったらいい。
その風車に向かうドンキホーテの
ような姿に、人々は拍手喝采、
少なくとも温かい気持ちで哀れんで
くれるはずだ。
横浜美術館へ。
キュレーターの八柳サエさんと一緒に、
開催中のGOTH展を見る。
リッキー・スワロー、ドクター・ラクラ、
束芋、イングリッド・ムワンギ・ロバート・ヒュッター、ピュ〜ぴる、吉永マサユキ
の6人(組)の作品が展示される。
Dr.ラクラは、昆虫の身体の
一部を用いて人間の顔を構成した
作品や、日本滞在中に漫画や雑誌に
取材して描いた巨大なドローイングなど、
質・量ともに充実した作品群で
圧倒された。
リッキー・スワロー、Dr.ラクラ、
イングリッド・ムワンギ・ロバート・ヒュッター
といった海外の作家を、
吉永マサユキさんの撮影した
日本のゴシック・ファッションの少女
たちの写真から想起される
日本の「ゴス・ロリ」ブームと
比較すると、相違点が感受される。
伝わってくる世界観が異なる。
神や宇宙といった大文字の概念に
言及するかどうかは別として、
大澤真幸さんの言われる
「第三者の審級」のありかたが
違う。
そのことは、
イングリッド・ムワンギ・ロバート・ヒュッター
による、人間の肉体だけを使った
そぎ落とされた表現との対照において、
すでに明らかではないか。
日本のゴスロリ・ブーム
から見えてくるのは、ひとことで
言えば「第三者の審級」
の衰退である。
それは、ピュ〜ぴるさんの
作品の自己言及的な表現においてより
明示的。
すぐれて現代的な精神風土
の姿がそこにある。
ところが、「現代」という
やつは、それぞれ少しずつ異なる
風貌を見せて、世界各地を闊歩
しているらしいのだ。
一方、束芋さんの作品は、
「束芋宇宙」としかいいようのない
独自の存在感を持っている。
生きている現場における、
潜在的な死との絡み合い。
その「きわ」において
繰り出される舞踏こそが、
実は私たちの生命の頂点
そのものであることを
悟らされるのだ。
同時開催の
コレクション展も見る。
ボクは恋してしまったよ。
セザンヌの筆のタッチと、
そしてフランシス・ベーコンの
人間の「魂」の造形に。
八柳さんとカフェでカツサンドを
食べていると、
GOTH展を企画したキュレーターの
木村絵理子さんがいらした。
さまざまな疑問について、
ダーッと質問する。
束芋さんの「ギニョる」は、
プロジェクター6つで円形に投射
されていて、それを下で寝ころんで
見たのだった。
昔カナダのバンフで見た「全天空型」
のオーロラを思い出したのだった。
つなぎ目が見えない、あれは
どうやっているのかと木村さんに聞くと、
ちょっと画面の周辺をぼかして、
照度を1/2にしてつなげている
のだという。
なるほど! と感心する。
実際に見ると、本当にうまくできて
います。
皆様、ぜひ横浜へ。
カツサンドが胃袋の中に
消えかかった頃、
キュレーターの松永真太郎さん、
大塚真弓さんがいらっしゃる。
「ぼくは弁当を持ってきたんだけどなあ」
と言いながら、
松永さんがおいしそうにコーヒーを
飲んだ。
八柳さん、松永さん、大塚さんに
いろいろな作品を見せていただく。
最初は漠としていたまぼろしの
ようなものの姿が、
少しずつ見えてきた。
The three curators.
竹内薫と合流。
久しぶりのツーショット。
八柳さん、大塚さん、松永さんも加わり、
美や人生について語り合った。
4月が来ると、
もう竹内とは25年も一緒に
いるんだなあ。
心を込めるべき仕事と、美味しいお酒と、
愛と、素敵な音楽と、魅入られる美しい
光景と、そして永き友情があればそれで
もう人生はいい。
他には何もいらないヨ。
わが友、竹内薫と。
1月 7, 2008 at 09:47 午前 | Permalink | コメント (9) | トラックバック (2)
難しいこと、
大変なことに挑戦している
時に、一番生き甲斐を感じる。
快楽主義は、精神の千日回峰行の
中にあると、はっきりと
悟った。
問題は、そのためのスペースを
つくることができるかだ。
現代というものの真ん中から
いったんは離れなければ、己の芯を鍛える
ことはできない。
行ったり来たりの往復運動の
中で、生きることの振れ幅を
増していくしかないのだろう。
深海に潜り、底の泥の中に隠れている
真珠を見つけて、陽光の
輝く海面へと持ち来る。
浮いたり沈んだり、
その垂直運動に耐えられるだけの
精神力、体力を育みたい。
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の収録で坂東玉三郎さんにお目にかかった。
とてつもなく素敵な方だった。
1月 6, 2008 at 08:19 午前 | Permalink | コメント (5) | トラックバック (6)
籠もっての仕事が続いていたので、
二日間お風呂に入っていない!
これは久々の記録だ!
普段は毎日お風呂に入る
(というかシャワーを浴びる)
そして髪の毛を洗うが、
これは「東京」に出ていくから
だという気がする。
(住んでいるところも「東京」だが、
住んでいる「東京」と出かけていく
「東京」は違う)。
籠もっている限り、
風呂に入らなくてもあまり
気にならぬ。
コンビニに行く時に
少し動揺するだけの話である。
小学生の時、私はカラスの行水で、
お風呂に入ってもつかりながら本を
読んでいて、そのまま洗わず出てきて
しまうことも多かった。
それで、髪の毛を一週間くらい洗わない
ということもあった。
あれは、一体どういうことだったの
だろう。
今となっては考えられぬ。
もっとも、男の子は、
ティーンエージャーくらい
までは、少々汚くても平気である。
塩谷賢のように、四十半ばになっても
平気というやつもいるが。
高校の時、私たちは共学だったが、
男子の着替え室で、
Yくんがロッカーの中に一ヶ月
くらい放置してあった体育着を
羽織って授業に出て行こうと
したことがあった。
臭い!
おい、匂うぞ!
あちらこちらで声が上がった。
それは猛然とした臭気で、
くさやの干物もかくや
という代物だったが、
とにかく他に着るものが
ないのだから、仕方がない。
Y君はそのまま授業に出かけた。
体育をしている間、件の
匂いがどちらの方から来るかで、
Y君の所在がわかった。
GPSならぬKPS(クサイ・ポジショニング・システム)だった。
正月も4日になると
おとそ気分も覚める。
仕事の合間、
近くの公園を散歩しながら
少し自然を観察した。
寂寞たるありさまで、
ほとんどの草は枯れ、無惨な
姿をさらしている。
木もぜんぶ葉っぱを落としていて、
稀に青々とした常緑樹があるだけだ。
バイオマスという観点からは、
夏に比べて冬は極小化している。
一体、生きものたちはどこに
行ってしまったのかと思う。
昆虫たちは、細々と命を
つないでいる。
池のメダカたちも、
土の中のミミズたちも、
少なくなった食べものの分配の
中で、あるいは活動を休止し、あるいは
最低限の代謝を保って耐えている。
文明を発達させた人間は、
部屋の中でぬくぬくとしていて、
「いやあ、冬は魚に脂がのっていいね」
などと言っているが、
古来、
冬の到来は野外の生物にとっては
大量殺戮、大絶滅を意味した。
小さな「核の冬」が毎年
訪れているようなものである。
その中で、進化してきた。
堪え忍んできた。
春になったら、お前たち、よく
生きのびたなあ、と声をかけてやろう。
自然の中でごく当たり前のように
行われていることが、
よくよく考えてみると
大変な驚異である。
今日は仕事に出かけるので風呂に入
なねばならぬ。
さて、湯船で何の本を読もうか。
1月 5, 2008 at 06:21 午前 | Permalink | コメント (10) | トラックバック (4)
The brotherhood of the living and the non-living
The Qualia Journal
4th January 2008
1月 4, 2008 at 09:13 午前 | Permalink | コメント (3) | トラックバック (2)
未来への展望を語れ
読売新聞 2008年1月3日
茂木健一郎 × 橋本五郎特別編集委員
対談 後編
http://www.yomiuri.co.jp/feature/shinnen_interview/fe_sh_200801030002.htm
1月 4, 2008 at 08:13 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
1月2日のqualia journalに、紅白の時の
中村勘三郎さんとお話した内容を書いた。
それは、少しばかり尖った視点の
ものだった。
カナダ出身で日本に住んでいるという
Claireという方がコメントを寄せて
下さった。
It is really interesting to read about your
perspective on things outside the usual
contrived TV context, where people are
always asking you to talk about whether
something is good for their brains or not. ;)
どんな方か想像するしかないが、
そのように言っていただくと
うれしい。
Rain Reaction
のエントリーには、
アルゼンチンから、
i found your blog really fascinating, and
i loved this particular post.
its amazing
how i can read your thoughts from that
moment you narrated from the other side
of the world.
というコメントをいただいた。
英文の日記を時々書いて
いて良かったと思う。
(本当は毎日書きたいところ
だけれども)
脳に関するTVのコンテクストが
狭いことは事実である。
勘三郎さんとの会話は、歌舞伎という
表現芸術の根幹に関わることで、
例えば「文學界」にだったら
ごく自然に書けるかもしれないが、
TVでは難しいだろう。
しかし、不可能というわけでは
ない。実際、お笑いタレントの
人は、そのような領域に踏み込む
ことがあるように思う。
あるジャンルの中でできることは
これだけだと思いこんでしまう
ことは、自己規制に近い。
森達也さんがとりあげてきた
「放送禁止歌」の問題にしても、
実際には明文規定があるわけでは
なく、関係者の思いこみに過ぎなかった
らしい。
イギリスのBBCで放送されている
Stephen Fryが司会をするQIなどを
見ると、TVではこれはできないとか
ここまでだとかいう限界が崩壊
していくはずだ。
KYというのが流行語になって
いるらしい。
「空気を読む」能力自体は、
洋の東西を問わず、誰でも
持つ脳機能である。
事実において、「空気」がどうで
あるかを認識することはできないと
人間の社会的認知が成立しない。
問題は、その後、その「空気」
に従うのか、それとも例えば
自分のやり方を貫くのか
という点にある。
「KY(空気を読む)」をした上で、
自分の感覚やプリンシプルを
追うということもできるはずである。
ぼくは、どちらかというとそちらの
可能性に賭けたい。
昼間からお酒を飲んで午睡する
という「ラテン」な
生活もそろそろ終わりで、
山積する仕事を端から片付け
始める。
年末まであれほど仕事に
追われてヒーヒー言っていたのに、
たった一日か二日ゆったりと
しただけで、「さあ、もうそろそろ」
と引き締まった気分になるから
不思議だ。
でも、一週間くらい呆ける
ヴァカンスとやらもそのうち経験
してみたい。
有吉伸人さんからは、
「3年目の今年は、これまで以上に、
テレビの限界に挑戦したいです。
みんなが「無理・・・」と思っている
ことをやりたいです。」
という年賀状をいただいた。
生命の本質が変化であるならば、
「なぜここまで」とふり返って
思えるような変貌を遂げてみたい。
1月 4, 2008 at 04:23 午前 | Permalink | コメント (6) | トラックバック (7)
誰にでも勘違いはあるもので、
ボクは、ある時までに「迫力」
をなぜか「追力」と書いていた。
「追っかけていく力」とでも
思っていたのかもしれない。
ある時、「そうか、ひょっとして、
迫の中に白があるからハクと読むのか」
と気付いた。
それから、迫力と正しく書けるように
なった。
「クイズ!ヘキサゴン」という
番組の存在を初めて知ったのは、
「ベストハウス1、2、3」
の生放送のスタジオでのことで、
荒俣宏さんの隣りに座っていたら、
ヘキサゴンを紹介するコーナーが
あって、何だかとても楽しそうな
雰囲気がかもし出されていて、
興味を持った。
その後、別の機会にお目にかかった
つるの剛士さんとスザンナさんが
どうやらこの番組に出ている
らしい、ということを、
スタジオでのコメントから
間接的に知った。
今現在、最も高い視聴率を
誇るヒット番組の一つだと
教えてもらった。
昨日、越乃寒梅を飲みながら、
やっと見ることができた。
計算問題が出て、解答者が勘違いを
していた。
ピットインの20秒×3回を、
加えなければならないのに、
引いてしまっている人が
たくさんいた。
なるほど、そういうところで
つまづくのか、と思った。
計算の失敗や、漢字の読み間違いを
エンターティンメントとして成立
させてしまっているのは
すごい。
そこに現れているのは、
「世界はどうなっているかわからないゾ」
という一種のめまいの感覚ではないか。
私は
「わからない」ことの可能性に
関心があるから、「できない」ことが
すなわち否定すべき状況だとは思わない。
wikipediaの項目には、
一部のPTA団体や教育関係者からは
「高視聴率の人気番組でこのような
人選をされると、無知なほうが
(テレビに出演できるなど)得で
あると思われてしまう」という懸念
もでている。
とある。
なるほど、それが世間の「良識」
というもなのだろう。
一方、
ぼくには、どんなことでも、
ガウス分布の
端の方にいくクセがある。
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
のイチロー・スペシャルを
真剣に見る。
今朝になり、
携帯電話の着信を見ると、
午後2時30分頃に白洲信哉から
電話があった。
秋田になまはげを見にいくと言って
いた。
きっと、酔っぱらって電話をよこした
のだろう。
惜しいことをした。その時間は
起きていて、筑摩書房から出版予定の
『思考の補助線』のゲラを読んでいたの
だが。
電源を切っていたのである。
「なにをしているんですか?」
という、信哉の独特のリズムの
声を聞きたかった。
年が明けた気分になったろう。
信哉の声には、どこか、良質の日本酒の
馥郁たる香りがある。
『思考の補助線』のゲラに戻る。
ゲラにしてくださった
筑摩書房の
増田健史が、構成について、
ある工夫をしている。
なるほど、と感心しながら
読んだ。
「ちくま」に連載した原稿は、
私にとってもっともエッセンシャルな
問題を真正面から論じている。
少し前の自分と向き合うこと。
過去との対話である。
過ぎし時に考えていたことは
少しずつ無意識の古層に移動し始めている。
ふり返ることは、
無意識をかき混ぜて意識への
対流を起こすような作業である。
蜂蜜かりんとうを
幾つかかじった。
ハチがぶぶんと飛んでいる
その時間が、対流となって
よみがえる。
1月 3, 2008 at 08:59 午前 | Permalink | コメント (10) | トラックバック (2)
プロフェッショナル 仕事の流儀 イチロー・スペシャル
イチロー選手に密着取材し、シアトル
のセーフコ・フィールドでお話をうかがった
「プロフェッショナル 仕事の流儀 スペシャル」
いよいよ本日放送です。
イチロー選手というと、寡黙で禁欲的な
修行僧のようなイメージがありますが、
この番組では、熱いマグマのような
ものが煮えたぎる、「竜使い」としての
素顔が明らかになります。
首位打者を巡る熾烈な争い。
いよいよ迎えたクライマックスで
イチロー選手の見せる表情は、
その瞬間を目撃した者の
胸深くに迫り、決して忘れる
ことができないものです。
自分の感覚を信じて、
言い訳のできない世界で最高の結果を
残してきた一人の男の、
あまりにも厳しく、そして
魅力的な生き方をどうぞご覧ください。
NHK総合
2008年1月2日 21:00〜22:15
http://www.nhk.or.jp/professional/
Nikkei BP online 記事
自分の感覚を信じ抜く「言い訳」できない生き方
イチロー(compiled by 渡辺和博(日経BP))
1月 2, 2008 at 08:14 午前 | Permalink | コメント (9) | トラックバック (21)
本当に久しぶりに10時間くらい
眠った。
いやあ、人間というものは、
眠る気になれば眠れるものですネエ。
元旦。近くの公園を初走り。
小学生のときは真冬だろうが
なんだろうが半袖、半ズボンの体育着で
駆け回っていたものだが、
最近はさすがに長袖である。
しかし下は、やはり膝上までの
ものがいい。
寒風の中、枯葉の積もった斜面を
駆け上がると、次第に別の生きものに
なっていく実感がある。
小学1年生の頃から、朝誰もいない
校庭を走っていたりしたから、
おそらく私は走るということが
好きなんだろう。
本を読むのも好きだったが、
かけっこをすると、
座ってじっと観念の世界に遊んでいる
自分と別の自分になることが
できる、その変貌の感覚を好んで
いたのだと思う。
年賀状を書いて、投函する。
本来は前年度末に書くべき
ものなのだろうが、
「明けましておめでとうございます」
という文意はこちらの
方が正直のような気がする。
年頭だからと言ってとりたてて
特別でなければならないという筋合い
はないが、思いはある。
昨年、伊藤若冲の『動植綵絵』が
相国寺で一挙公開されたときにじっくりと
拝見した。
釈迦三尊像を中心に、生きとし
生けるものの姿をありありと
描いた入魂の作品。
かけた時間も、投じたエネルギーも、
膨大なものだったことだろう。
若冲は他にも枡目描きの「鳥獣草木図絵」など
多くのすぐれた作品を残している。
しかし、若冲を若冲たらしめているのは
やはり今は宮内庁所蔵の御物となっている
『動植綵絵』であり、
『動植綵絵』という「乾坤一擲」が
あればこそ、他の作品も、「『動植綵絵』
を描いた若冲による」ということで
生きてくる。
もし、『動植綵絵』という芯が
なければ、若冲は器用に奇想をもって
生きものたちを描いた不思議な画家という
だけにとどまり、私たちの認識の中に
おいて今日のような特別な地位を占めるという
ことは難しかったのではないか。
私自身をふり返れば、随分いろいろな
ことをやっているけれども、
やはりライフワークは「クオリア」
を中心とする心脳問題であり、
この掛け値なしに難しい、しかし
深い問題をきちんとすることが
一番大切である。
「クオリア」問題で実質的な
貢献ができれば、
今やっている様々なことは
生きてくるだろう。
そうでなければ、「風の前の塵に
同じ」である。
自分のありったけの努力を注ぎ込んで、
それでもできるかどうかわからないことを
こそ目指さなければならない。
子どもの頃は、土の上を歩いていると
霜柱を踏む感触がしたものだが、
最近は絶えて久しい。
しかし、日影になっている
ところなどを丹念に探せば、
ひょっとしたら見つけることが
できるかもしれない。
霜柱をぐしゃっと踏むあの感覚が、
至上の贅沢であるように思える。
今日は公園を走りながら
探ってみようと思う。
1月 2, 2008 at 07:59 午前 | Permalink | コメント (7) | トラックバック (5)
生の体験が子供はぐくむ
読売新聞 2008年1月1日
茂木健一郎 × 橋本五郎特別編集委員
http://www.yomiuri.co.jp/feature/shinnen_interview/fe_sh_20080101.htm?from=yoltop
1月 1, 2008 at 04:13 午後 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (1)
第58回紅白歌合戦のゲスト審査員を
させていただく。
NHK放送センターには、
午後3時に入った。
まずは、10階の『プロフェッショナル』班
がある社会情報番組の部屋に行き、
有吉伸人さんと合流。
ラジオセンターに向かい、
15時30分から16時15分まで、
ラジオ第一で、古屋和雄さん、
有江活子さんとともに、
「守りたいもの、守るべきもの」に
ついてお話しする。
そのままNHKホールへ。
審査員席に座る。
青木功さん、新垣結衣さん、上田桃子さん、
岡島秀樹さん、陣内智則さん、板東眞理子さん、
中村勘三郎さん、藤原紀香さん、宮崎あおいさん
とご一緒する。
本番中の移動など、段取りについて
説明を受ける。
舞台上では、マッスルミュージカル
の方々によるリハーサルが行われていた。
「舞台転換はすごいことになっていますよ。
舞台の裏は外につながっていて、使い
終わった大道具はどんどん出していって
しまうんですよ」
と有吉さん。
住吉美紀さん、松本和也さんも
着替えに使った
NHKホールの「舞台監督室」
にて、『プロフェッショナル』でも
いつもお世話になっている、
うえだけいこさんにご用意いただいた
衣裳に着替える。
放送センターに戻る。
「ばらえ亭」横の貴賓室に
審査員が揃う。
NHKの橋本元一会長、永井多恵子
副会長がいらして、挨拶される。
有吉伸人さん、山本隆之さん、
河瀬大作さんの「プロフェッショナル班」
の皆さんと立ち話。
「紅白はね、これだけの多くの
歌手を、これだけ短い時間に
出場させると聞くと、外国のテレビ
局の人は、そんなことは不可能だ、
と言うんですよ」
「生で実際に見ると、テレビを
通して見るのの何倍も迫力があって
面白いとのことです。」
と有吉さん。
軽くメイクをしていただき、
胸にコサージュをつける。
NHKホールへ。
ディレクターの方二人が
前説をされている。
審査員全員で、舞台裏に。
本番前。総合司会の住吉美紀さん、
松本和也さんに紹介され、来場の
方々に挨拶し、自分の席に座る。
歌手の方々が両側から入ってきて、
スタンバイ。
19時20分に本番が開始。
白組司会の笑福亭鶴瓶さんが、
審査員紹介のときに「モギー!」
と声をかけてくださる。
歌の合間、舞台のそでで
中居正広さんと話している
とき、鶴瓶師匠が
「茂木さんね、脳の人ですけど、
落ち着きがないですねえ。」
と言われる。
歌を聴きながらリズムをとって
いたのである。
舞台袖に呼ばれてお話した際、
「落ち着きがなくてすみませんねえ」
と鶴瓶さんに言った。
客席を埋めた人々は3000人。
対する、舞台裏で働く人たちは
5000人だという。
紅白合わせて56組の歌手が
出場。
歌と歌のインターバル、そでで
中居さん、鶴瓶さんがつないでいる間、
ステージ上は舞台転換で「戦場」
の趣き。
暗がりの中、
人々がものすごい
スピードで走り回っているのが
見え、感じられる。
怒号が飛び交っているのが
こちらまで聞こえる。
中居さん、鶴瓶さんの前に
位置するフロアディレクターが、
まだ転換が終わっていない間は
両手で引き延ばすような
仕草をして、
「まだまだ喋ってください」
と合図をする。
舞台転換の準備が整うと、
頭の上で両手で「まる」
をつくって進行を促す。
時間が押していて
急いで進めなければならない
ときは、フロアディレクターが
必死になって手をぐるぐる回して
「巻け! 巻け!」と合図する。
カメラは、審査員席の目の前に
少なくとも三台。
フロアに大きなクレーンが少なくとも
一台、
舞台裏手にもクレーンがある。
クレーンを操作する人と、
カメラで撮影する人は違う。
二人の呼吸がぴたりと
合わなければならない。
時折、腰に固定した
ハンディカメラが舞台上
の歌手をなめるように追う。
カメラマンが走り、
ケーブルをまとめながら
移動する役の人が後に続く。
どこでハンディを入れて、
撤収するかは秒単位で決まっている
らしく、
疾走しては駆け寄り、
終わると後ろをふり返らずに
全速力で去る。
クレーンやハンディが被写体に
近づき、それがオンエア上「採用」
されると、赤いランプがつくの
でそれとわかる。
歌手がどこに立つか。その際の
照明がどこからどうあたるか。
光と音のコレオグラフィー。
練りに練られた舞台装置と、
よく訓練されたバックダンサーの
方々や、バンドの奏者たち。
豪華絢爛たるきらびやかな
舞台で
歌手たちが声を限りに歌う。
次からつぎへと繰り出される
超絶技巧と、魂の歌唱と、
息をもつかせぬ展開と、
驚きの趣向。
現実に目の前で起こっている
ことが信じられないような贅沢な
経験であった。
出場歌手の方々は全体を
見ることはできないし、
総合司会の住吉美紀さん、
松本和也さんも全ては見渡せない。
出たり引っ込んだり
忙しい中居さんや鶴瓶師匠も
時々刻々を経験することはできない。
最前列に設えられた
審査員席は、本当に申し訳
ないほど素晴らしい経験が
得られる場所。
有吉さんが「奇跡」
と呼んだパフォーマンスを
目の当たりにして、限りない
感謝の想いが湧き上がった。
「螢の光」を全員で
合唱し、
23時45分、放送が終わる。
音楽がなおもしばらく続き、
中居さん、鶴瓶さんの
挨拶で全てが終わる。
10階の社会情報番組の
部屋に戻り、自分の服に
着替える。
一階の第一食堂での
打ち上げに参加。
出場歌手の方々がマイクの
前に立ち、一人ひとり
挨拶する。
歌手の方々にとっては、
「今年も紅白に出場し、打ち上げに
来ることができた」
というのが、万感胸に迫る思い
なのだろう。
鶴瓶師匠とお話する。
本当に愉快で、素敵な方。
スキマスイッチの常田真太郎さんが、
「グレイテスト・ヒッツ」
のCDを下さる。
爆発するアフロヘアが印象的。
二人で記念撮影をする。
ありがとう! 常田さん!
紅白のディレクターの方とお話する。
途中、2分間押していて、
かなりまずい状態だったのだという。
それでもちゃんと全曲が流れ、
最後に「螢の光」が歌えて
時間通りぴたりと終わる。
それはやはり一つの奇跡としか
言いようがないんじゃないか。
現場で制作にかかわる人の
証言はずしりと胸に響く。
「すごいと思ったのは、中村中さんの
ときなんですよ。
あのとき、2分半押していて、
とにかく巻け、巻けと指示を出しても、
中居さんは顔を横に振って、
言うことを聞かない。
どんなに時間が押していても、
中村さんのエピソードだけは
きちんと話さないといけない、
そんな風に中居クンが判断した
んでしょう。
そして、その中居クンの判断は
正しかったと思います。
あれが、今回の紅白で、一番
しびれた瞬間でした。」
本番が始まる前、有吉伸人さんは、
「何と言っても、石川さゆりさんの
『津軽海峡冬景色』でしょう。さゆり
さんのあの歌が生で聴けるなんて、
すごいことですね。」
と言われていた。
石川さゆりさんは『津軽海峡冬景色』
を歌い終えた後、感極まって
和田アキ子さんのところに行って
泣いた。
奇跡が、大団円を迎え、
美しい光を放った。
Gacktさんの歌は
101スタジオから中継されていたが、
紅白はNHKの総力を
上げた大オペレーション。
5000人のスタッフは、放送
センターの様々な場所に散らばって
待機していた。
関係者の皆様、本当に
お疲れさまでした!
第一食堂での打ち上げも
お開きとなり、
有吉伸人さん、住吉美紀さん、
山本隆之さん(タカさん)
と西口玄関に向かった。
タカさんが、奥様の
大野真弓さんが1月13日に東京オペラシティ
のリサイタルホールで開かれるコンサートの
ちらしを下さった。
スカルラッティ、シューベルトを中心に、
日本人作曲家の作品を散りばめた
充実のプログラム!
http://www.operacity.jp/concert/calendar/index.php?year=2008&month=1&type=list#13
当日会場に行くと、タカさんのにこやかな
笑顔が見られるでしょう!
ボクも、なんとか仕事を終えて
はせ参じます!
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
に出演された竹岡広信さんが、
すみきちに「紅白総合司会」
を祝って花を贈ってくださった。
すみきち、大感激!
全てが終わり、NHK近くの
店にて、プロフェッショナル
の4人で静かに新年会をした。
『紅白』は素晴らしいが、
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
に関わる者たちも、番組を
素晴らしいものにするために、
がんばっている。
共に闘う者たちの、熱い語り。
午前4時。お店が閉まるので
新年会もお開き。
充たされた想いで家路につきました。
写真でふり返る思い出の数々。
河瀬大作さん、私、有吉伸人さん、山本隆之さん。
「ばらえ亭」前の廊下にて。
審査員紹介の場面
(テレビ画面より。photo by T.T.)
鶴瓶さんと話す。
(テレビ画面より。photo by T.T.)
放送が終わって着替える。お世話になったコサージュ
打ち上げ会場にて
スキマスィッチの常田真太郎さんと
すみきちに花が届いた!
竹岡さんは、やさしい方。
花はタカさんが運びます。何となくメデタイ絵柄!
すでに、日付は変わって明けましておめでとう
ございます。
1月 1, 2008 at 03:52 午後 | Permalink | コメント (26) | トラックバック (12)
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