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2007/12/02

きっと「生きる」に

 家の近くの公園に、ビオトープ
として小さな水たまりが出来たのが
今年の春。

 ジョギングをする道すがら、
時々のぞき込む。

 観察しないとわからない
ことにいろいろと気付く。

 落ち葉舞い、空気凍り、
草潜む冬のはじまり。

 夏の盛りに、あれほどたくさん
泳いでいたメダカたちの数が
減ったことにある日ふと注意が
向いた。

 どうしてだろう。
 メダカが土に潜って越冬する
などという話は聞いたことが
ない。

 背を向け、走りはじめて
やがて思い至った。
 冬はエサが乏しくなる。
 個体数も減る。
 しかし、たとえ少しでも
棲息していれば、
 翌春、エサの事情が改善
した時に、卵を産み、
 増えることで、ふたたび
個体数が回復する。

 つまり、エサという環境因子に
合わせて自分たちの数を
調節しているんだろうか。
 そんなことを考えた。

 「継続すること」
が生命の本質である。
 続くためには、何でもやる。
 個体数を調節するくらいの
ことは、当たり前のようにやる。

 埼玉県立浦和高校で
講演。

 埼玉県屈指の名門校である。
 いかにして学ぶかをお話しする。

 終了後、学生たちが何人か
校長室にやってきた。
 特に熱心だったのは西クン。
 またどこかで会おうね。

 朝日カルチャーセンター。
 加藤周一さんと小森陽一さんの
対談を拝聴する。

 日高敏隆さんとの対談。
 日高さん十八番の「幽霊」の
話を聞く。
 Gilbert Ryleのghost in the machine
の話と合わせ、実に秀逸。

 「真理」と「生きる」
のどちらをとるかと言えば、
 きっと「生きる」に
軍配が上がる。
   
 そもそも、生きることの中には、
容易には分解できない
 幽霊が潜んでいる。

 続けるしかない。
 いろいろ工夫して、
それでもなおやり続ける
ことで
 多様性と統合性が育まれて
いく。

 冬の冷たい水の中で泳ぎ潜み
続けるメダカたちと、
 私たちの志向性はゆるやかに
一致する。

12月 2, 2007 at 09:22 午前 |

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受信: 2007/12/02 14:06:09

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よくさ、 10年続ければ何でもものになるんだよ なんて言葉をよく耳にするけど 今のこのインターネットの発達した時代に これからブログを10年続けていこう、 なんて思っている人が何人いるかしら。 ブログブームの波によって 1億人総ブログ時代のような状態に....... [続きを読む]

受信: 2007/12/02 22:27:02

コメント

日高先生との対談、拝聴いたしました。とても刺激的で、お二人のお人柄が伝わってくる楽しい時間を過ごさせていただきました。

私は理学療法士をしております。先日NHKのリハビリを特集した番組で放送された病院に勤務しています。
医学が進歩し助かる命が増える中で「何かを失ったまま生きる」ということを余儀なくされる人たち(誰しもいつかは経験する喪失を経験している人たち)と毎日接しています。脳と身体と人の行動を相手にしていることもあって、茂木先生と日高先生のお話で気づかされることが多かったように思います。

生きるとはどういうことなのか、人が生きると言うときに、動物が生きていることと何が違うのか、主観とは何か、イリュージョンとは・・・いろいろ考えさせられました。
ナマの人間は面白いです。対談以降、そのことを更に強く感じるようになりました。
ありがとうございました。

投稿: | 2007/12/16 0:45:18

茂木様 浦和高校での講演拝聴しました。非常に良かっただけに、息子達学生に聞かせたかったです。個人的には、先生に蝶のご趣味があると聞いて親近感を持ちました。私も同じ趣味を持つ者として、ゴイシツバメシジミや白水隆先生の話など良く理解しながら聞いておりました。当日質問できませんでしたが、ご多忙の中、蝶の方に費やす時間はどうなのですか?採集・観察・研究といったことを続けられているのでしょうか?

投稿: | 2007/12/08 13:48:43

浦和高校の講演内容アップロードしてくれませんか?というコメントがありましたが、私もその一人です。
みなさん子供たちにも聞かせたいといっておりました。
先生がたも同時録音はないが、講演中のメモ書きをまとめてくれたものをくばったりしている先生もいます。
聞かなかった私は、なぜかすごく損をしたきになり、いつまでも気になります。
是非是非、録音があればアップロードをお願いします。

投稿: | 2007/12/04 12:42:30

二度目の投稿お許し下さい。

「真理」と「生きる」、どちらかをとるかと問われれば、私も断然「生きる」ほうをとるだろう。

が、どうせ生きるほうを選ぶのなら、おのれのこの限られた命の時間を…何時尽きるかは判らねども、最期まで何があろうと生きて生きて、生き抜こうと思う…否、生き抜いてみせる!

そう思って懸命に自分の人生を生きていくことこそが、何がしかの「真理」をつかむことが出来る、と信じているからだ。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/12/03 22:20:07

ぜひ、県立浦和高校での講演内容を拝聴したいので、アップロードしてもらえないでしょうか。

投稿: | 2007/12/03 9:27:45

幽霊で安心するも、神で安心するも同じこと。 宇宙は、ゆらぎではじまったとされるが、ゆらぎという大きなエネルギーは一体どこから? 思考停止になった時、神の存在はとても便利なもの。 まだまだ神は存在しつづけるでしょう。私のような者は、お釈迦様の仰るとおり一日一日を丁寧に生きていくのみ。

投稿: | 2007/12/03 2:59:11

対談面白かったですw

日高先生のロマンチストぶりが
伝わってきて素敵でした。

なんだか自由ですよね。
楽しいお人柄というか。
オリザさんというより
新一先生みたいな余裕。

自らのお仕事を好きな方向性へ
いくらでもコーディネートできる
器用と器量。

「真理」の振りかざしよりも
「生きる」美しさを感じさせてくれる
「幽霊」が構築してゆくものも認めながらも
「生きる」ことを先ず見つめさせてくれる。

確かに日高先生は
先生が好きそうなお人柄ですねw

幽霊すらも楽しもう。

でも心に亡者が巣喰うては
いけないかな。

ところで入り口のガラスの向こうに
三人のしかめ面の人たちが
座っていましたね。
対談中こわくてそちらばかりを
チラチラと見てしまいました。

きっと先生に追い込みをかける
編集者たちに違いない(妄想)

対談が終わると共に
彼らは控え室に消えてゆきました。

私の心が産んだ幽霊だと
良かったのですが、

さて、果たしてw

投稿: | 2007/12/03 1:03:07

こんにちわ

聴いた言葉と口元が映った映像が違う場合、両者と違う言葉として認識される事ですが、言語は音で理解している部分と、非音言語として理解している部分があると言う事ではないでしょうか?

たとえば、耳が聞こえない人も、手話で会話できます、その時、言語を音以外で理解している事になります。

非音言語思考って、禅の自分を無にする意味?(^^)

投稿: | 2007/12/02 22:21:25

機械と幽霊ですか。(翻訳機能があったのに気づいてよかった。A^^)
聞いてみたかったですね。「機械」と言うキーワードでも、
不思議な体験したことがありました。、、が、略します。

「真理」と「生きる」。

今、私がこうして意識を持って、生きていれるのは、
「真理」があったからです。

多様性の樹海や海や冷たく暗いところから、たった一つの「真理」を離さずに、
来たから、今、こうやって生きていれる。

その「真理」って、、ガンジーの言葉。

「他の人々が自分たちと一緒にやってくれるようになるまで、私も
あなたも待つ必要はないのです。」

「ともかく、私たちは自分の理性で正しいとおもう事をやって
みればいいのです。」

今、思えば本当に必死でした。

その言葉はまるで小さな生命の珠のようで、
離してしまうと、私の命が消えてしまいそうで、
胸にギューーーと握りしてめていた。

私が、今、生きていれるのは
偉人たちが残してくれた哲学のおかげだと思っています。

そして、小さな細胞たち。

「小さな細胞」たち、、、。
思わず笑いたくなる思い出です。
生きていたくなくて食べ物を一切食べなかったことがあったんです。
で、意識ももうろうとしてきた一週間ぐらい経ったある日。

お腹がグーーって泣いたんです。
思わず噴出してしまいました。

かわいい音でした。
それでおもったんです。
私と言う意志だけで生きているんじゃないんだって。
この身体は生きようとしているんだ。って。
がんばっているんだって。

愛しくなりました。

・・・で、今は、ガンジーの言葉とともに
「とりあえず生きています。」(笑い)

投稿: | 2007/12/02 22:06:17

師走に入り、冷たくなった外の空気が身体に染みいるような、本格的な冬に季節は向かっていく。

春の繁殖シーズンを迎えるためには、野に生きる生命体たちの中には、仮令、仲間を自ら間引いてでも、生き残ろうとするものがいるのだろう。

生き続ける為の、仲間による仲間の淘汰。人の眼から見れば非常なようだが、それが大自然の生命サイクルの中では、当然のこととして起こるのに違いない…。

生きる、生き「続ける」。その為には生き物達は、人も含めて何でもかんでも、いろんなことをやらなくてはならない。

ただし人間の場合は「文明」という「自分達だけが生きる世界」のなかで「倫理」と言うものを作ってしまったから、他者の命を恐ろしい危険にさらす、あるいはあやめる、などと言う事が許されなくなっている。

他の生き物の世界では、ビオトープのメダカのように、人が一見すれば「非常だなァ」と思えるような、冬を生き抜き春を迎えるための個体間の間引きをやるものもいるだろうし、間引きをしなくても、皆で固まって冬ごしをするものもいるし、さなぎで生き抜くものもいて、いろいろなのかもしれない。

だからこそ、私達も含めた生きとし生けるものの世界は、沢山の生きかたがあふれているのだろう。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/12/02 15:56:43

こんにちわ

人間の脳には言語野がある。自然淘汰の中で言語野を発達させてきた。また、前頭葉も含め脳を発達させてきた。

我々は、アンパンマンのように、自分の幽霊中のおいしいパンの一部を切り取って、相手に食べさせる事が出来るのではないか?


ところで、最近、ペンタッチ入力できるパソコンを買ったのですが、キータイプつまり、「キーを叩く」のと、「書く」違うような気がします。キーを叩いていると、気が高ぶってくるのですが、書くと落ち着くような感じがします。
茂木さんも一度試してはいかがでしょう。(^^)

投稿: | 2007/12/02 15:51:45

いつも拝見するのを
楽しみにしておます

>「継続すること」が生命の本質である。

師走にググッときましたので
トラックバックさせて頂きます

投稿: pepin | 2007/12/02 13:45:11

「生きる」の中に含まれるものが
沢山在るように思います。
私はものづくりとしてその技術を後世に遺すこと
そのモノが遺るという喜びと怖さを行ったり来たりしながら
それでもつくり続けていますが。

また生きことが伝えるに繋がるとしたら
今までこの技術を伝えて来た人達の想いは
我々の中に生き続けているのでしょう。
きっと、それも私の勝手な解釈の上に立ってなのですが。

投稿: | 2007/12/02 12:54:17

>「真理」と「生きる」
>のどちらをとるかと言えば、
>きっと「生きる」に
>軍配が上がる。

計り知れるものの中に「真理」"そのもの"があると思っている人はきっと、この言葉を見て、

>「真理」と「生きる」
>のどちらをとるかと言えば、
>きっと「生きる」に
>軍配が上がる。
というが正しいとすれば、それがまた「真理」なんだから、
「真理」と「生きる」ことを比べるのはおかしいと思うだろう。

でも、この言葉はきっとそんな事を言っているのではない。
これは『計り知れる「真理」』と「生きる」ことを比べているのだ。
そして、「生きる」ことと『計り知れない「真理」』は深く関連しあっている。
『計り知れない「真理」』はきっと、「生きている」ものの命(計り得ない)そのものに現れてくる。
と感じました。

投稿: | 2007/12/02 12:51:35

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