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2007/12/27

懺悔と決起

狂気とは「作品の不在」であると
フーコーは言う。

正気を特徴づけるものが、
社会の中で流通し、受容される
なんらかの有形物であると
すれば、
そのような精神運動の出口を
持たないのが狂気というもの
なのだろう。

だとすれば、どんな人の
中にも狂気の原形質はある。
出口を持たぬ忿怒の気配は
誰の中にもあるのだ。

だからこそ、実際的な操作や
道具立てに落とし込むことが
必要である。

漠たる野心や夢を抱き、
しかし具体的に何をしたら
良いのかわらかぬ若者の
Sturm und Drangは、
それだけでは狂気に近い。

意識の謎を解明したり、
時間の流れの不可思議を
探究しようとする試みは、
具体的な道具立てから離れる
時、狂気に近くなる。

ロマンティック・サイエンスや、
哲学に慣れ親しんでいる者は、
皆、狂気に友だちとして
の感情を抱いている。

そこに、自分がそうであるという
「メタ認知」があることで、
安定が保たれているのだ。

汐留の
日本テレビで『あらすじで楽しむ
世界名作劇場』の収録。

所ジョージさん、西尾由佳理さん、IKKOさん、
スザンヌさん、田中要次さん、渡辺正行さん、
勝俣州和さん、麒麟の田村裕さん、川島明さん、
ケンドーコバヤシさん、榊原郁恵さん、
千原ジュニアさん、にしおかすみこさん、
ボビー・オロゴンさん。

2008年1月14日
20:00〜21:48
に放送予定。

渋谷で、NHKの『プロフェッショナル 
仕事の流儀』班の忘年会。

番組が始まった頃、河瀬大作デスク、
私とともに「極悪」三兄弟を
名乗っていた小池耕自さんは
その後「NHKスペシャル」へと
移ったが、
今宵ばかりは、とかけつけて
くださった。

撮影、音声、SE、編集・・・
各セクションの方々がこの一年を
ふり返った後、
デスクの河瀬大作さん、山本隆之さん、
細田美和子さん、柴田周平さん
が挨拶し、
私がひと言お話して、
最後にチーフプロデューサーの
有吉伸人さんがきわめて
面白い「懺悔と決起」のスピーチをした。

番組が始まって二年。
プロフェッショナル班は熱い。
周囲から、「あの人たちはあんなに
忙しいのに、なぜあんなに楽しそうなんだろう」
と不思議がられつつ、
プロフェッショナル班の人たちは熱い。

最も良質の表現は、「狂気」
が「作品」に結実した時に生み出される。
そして、それは、一つの命がけの
暗闇へのジャンプなのだ。


「懺悔と決起」が、それを促す。

12月 27, 2007 at 09:04 午前 |

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コメント

朝。
カタ カタ カタ
この音を聞きながら
、コーヒー豆をひくさぎょう。


すべてはバランス?

自身のたち位置
他者とのバランス
ヘアースタイルもだ。

狂気は自身の中にも存在する。
常に冷静でありたいと思う。


冷静...

こう思うことも、メタ認知が良い意味の狂気を、バランスをとりながら個性とする。

投稿: | 2007/12/28 0:46:44

狂気を実際的な操作や道具立てに
落とし込むことはなかなか難易度の高いことですね。
とはいえ、狂気で終わらせてはもったいない。
アインシュタインや小林秀雄さんは、きっと
狂気を友だちとして大切に抱き続けていたはず。
表面的には冷静に見えるイチローさんも。

プロフェッショナル班の皆様は
常に情熱と意欲と鮮やかなビジョンをもって
携わっていらっしゃるのですね。
忙しくて大変なのに熱い集団!
ほんと、素晴らしいですね。
自分もいつかそんな人間になりたい。

先生がおっしゃっていた
仕事を「やらされている」と感じるか、
「自ら選んでいる」という意識を持つか。
紙一重ではあるけど、大きな差。
この難しいスイッチを上手くONにして
輝いた時間の中を過ごせられたらと思います。

投稿: | 2007/12/28 0:34:48

哲学者にしても、科学者にしても、そのことを得てしまえば、
そこから離れます。と私は思います。

狂気の世界を友としていると言うことは、そこに近づいていないか、
狂気に対して今いる以上に近づけないか、または、そこに行って帰ってこれなかったか。

茂木先生は、忿怒の気配が狂気と言う概念を持たれているようですが、
(私もそれはそれである意味で理解できます。)

私が昔体験した、「狂気の世界」に入り込みそうに
なった時に得てきた「狂気」はまた別のものでした。


全てが消えていくんです。
知識も、感情も、自我も、自分も、理性もなにもかも。
気力、精神力、コントロール力なにもかもです。

考えてみれば、その世界に完全に行ってないので、「狂気」の世界に
入り込んでしまった自分を知ることはできませんが、まぁ、、入ったと
しても自分が消えてしまうのでリサーチするには第三者が必要ですが。
それにそれが、「狂気」の世界だったかどうだったか分かりませんが、
そこに入る過程の自分。消えていく自我、自己の恐怖感、は
「狂気」の世界に入り込んでいたことは確かだと感じています。

そして、私がどうして、戻ってこれたか。。。

理性でも、自己コントロール力でもなかった。
そりゃそうですよね、三分の二ぐらいは消えかけていたのですから。
私はただ、「うわーーーー!!!」と叫んでいただけでどうすることも
出来なかった状態ですから。

そんな私を戻したのは、

「歓喜の声」。

「うわーーーー!!もうだめだ!!」と思った瞬間に、、

「バンザーーーイ!」と言う声と共に、

スーーーーーーーと白い煙のようなものがパッと吹き飛ばされました。

メタ認識と言うものがどういうものか私には分かりませんが、
あの状態で、聞こえてきた声がなんで「バンザイ」なのか
未だに理解できないのですが、無理やり理屈つけると、
生命が本来持っている歓喜の躍動と言うか、歓喜が「生」の
根源?根本?的なものだとした場合。私に伝え、この私の肉体全てに
感じ、理解させる伝達方法は「バンザイ!」という方法しかなかったのでは
ないかと思うのです。

生命が起こした生への生命が歓喜の声の波動が死に行く、消え行く私を
蘇らせた。

・・これも一種の生命力と呼ばれるものなのか~と、
タイピングしながら思いました。


もう一つは、私の生命がその体験を、知識を望んでいた。
そしてたどり着き喜んだ。

「バンザーーイ!」


・・・ふ~むこれがもしかして茂木先生の言われている
「メタ認識ナンタラカンタラ」でしょうか?

ともかく私がこの体験で得たものは人間の底の底は、
生命は、

「歓喜」だって、ことでした。


へんな展開で申し訳ないです。


投稿: | 2007/12/27 21:52:16

こんにちわ

>狂気とは「作品の不在」であると
フーコーは言う。

>正気を特徴づけるものが、
社会の中で流通し、受容される
なんらかの有形物であると
すれば、
そのような精神運動の出口を
持たないのが狂気というもの
なのだろう。


精神運動の出口が無いと、「正気」も「狂気」に、なるような気がします。
また、社会の中で流通し、受容されるモノを求めすぎると、「偽気」になるような気がします。

お酒のアルコールは、「正気」も「狂気」も溶かして水溶液にする?(^^)

投稿: | 2007/12/27 18:32:05

作品が作られても流通する前に他者によって狂気として処理されてしまう事が多い。

ゴッホもそうだったし、マチューナスにだってその可能性はあった。

投稿: | 2007/12/27 10:09:24

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