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2007/12/24

ドラマトゥルギーにおける「アンビバレンツ」

黒澤明の『生きる』で
秀逸なのは、
胃ガンで余命いくばくもない
ことを知り、生きる希望を失った
志村喬演じる市民課長が
部下の小田切とよ(小田切みき)
とレストランで対話する場面だろう。

「こんなもんでも作っていると
楽しいわよ。私これ作り出してから
日本中のあかんぼうと仲良しに
なった気がするの。ね、課長さんも
なんかつくってみたら?」
と小田切がうさぎのおもちゃを見せる。

志村は、うつむいたまま
「役所で一体、何を」
とつぶやく。

「そう、あそこじゃむりね。
あんなところやめて、どこか」
「もう遅い」

志村は黙り込み、音楽だけが
なり響く。

突然、志村は小田切の方を見て
にやと笑う。

恐ろしくなって、小田切は身体を
避ける。

「いや、おそくない。やればできる。ただ、
やる気になれば。」
志村の表情は一変し、異様な
力と光に満ちる。

そして、うさぎのおもちゃを
掴むと、無我夢中で階段を下りていく。

向かいの部屋では、学生たちが
パーティーをやっている。

その様子を、先ほどから
小田切はちらちらと見ていた。

あのように若い人どうして楽しんでいる。
私はこんな老いぼれと・・・

志村が階段を下りると、ちょうど
主役の女子学生がやってきた。

学生たちが階段の上に立って、
一斉に「ハッピーバースデー
 トゥー ユー」
と歌い始める。

その歌に送り出されるように、
しかし、学生たちには全く気付かず、
おそらくは耳にも入らず
志村は階段を下りる。

人生は始まったばかりであり、
これから花咲く者たちと、
もはや残された時間が少ない者。

二つの運命が交錯し、
それとは知らずに
一つの歌で結びつけられる。

その感動は、世界の認識者の
戦慄なのだ。

ドラマトゥルギーにおける
「アンビバレンツ」。

黒澤明の映画は、最良の場合、
古代ギリシャやロシア文学、
あるいは日本の古典芸能に見られる
ような骨太の力動を感じさせる。

一つの拡大された形式美。

その精神運動の数理は、いつかは
きっと解明される日が来るのだろう。

心脳問題の一部分であると同時に、
厳粛たる精密科学の課題である。

『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の収録。


食堂の横で
サンドウィッチを買って、
さっちん、こでりんと食べた。

歳末は、なんだかふわふわするなあ。

音楽美は素晴らしいが、
どこかで生の軌跡とつなげて
担保しないと、浮遊してしまう
ことがある。

ドラマというものを見据える
必要がある。

リヒャルト・ワグナーの

Poetry is the reason for music.
And drama is the reason for both.

という言葉を時々思い出して、
自分の人生をふり返るのだ。

12月 24, 2007 at 09:38 午前 |

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コメント

すれ違う二つの運命。二つの感情。

愛と憎しみ、期待と不安、死に行くものの哀しさと、これから生を謳歌するものとの歓びと。

町を歩けば、様々な人生の交錯があるように思える。
人と話すと、その人の生きざまと自分のそれとが交わるような気がする。

人生は、一人一人が生きて居る間につくる、つづれ織りのような「物語」なのだと思う…。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/12/25 21:35:40

10年。
10年という歳月は、長く短いのであろうか。


浮遊なく。
時間の流れ。
十年の歳月。

だとしたら
おもいあおう。

これから花咲く者
残された時間の少ない者
その後、またどこかで交差。

異なるストーリーが、あっても不思議ではない。

Merry Christmas!

投稿: 美容師 | 2007/12/25 0:29:42

奈良美智さんも、その映画好きだと言ってました(僕も見ました)。でも、見て分かった気になって、実行に移さなくなる気がする、とも仰ってましたね。

投稿: 斉藤 | 2007/12/24 22:29:30

黒澤明の映画はいつもある独特の畏敬の念を持って見ている。時には畏怖を感じることさえある。体が受け付けられないこともあり、自分の中では未消化のまま残ってしまうことが多いものの,とはいっても不快ではなくしばらくは別の羽を与えられた自分になっている。つまりどこへでも飛んでいけそうな気分が生まれる。

最近、紙に触る時は手にビニールの薄い手袋をしている。手が紙に触ると油分を吸収されてしまう理由からで医者の指示でもある。ところが日常的には大変不便である。なぜ不便なのかに気づくには少し時間がかかったが、ビニールの手袋はすべりにくいという理由からである。正常な状態では気づくことはなかったこの「手のすべり」は手と対象物のとの関係では重要な役割をしていることを思い知らされた。

 靴下を履く、ズボンを着る、はしを使う、手を洗う、手の中でものを移動させる、本を読む、携帯電話を使う、キーボードを打つ、お金を扱うなどすべてである。

 手を使う場面のそのほとんどがすべりであること実感できるためには、実際に手と対象物との関係を観察しなければならない。観察すると日常生活ではそのほとんどがすべりである。つかむ、はなすという動作はほんの一部であり、手と対象物との接触面でもすべっているところとすべっていないところがあり実に複雑である。

 初期のロボットでは、すべりはなく、「つかむ」と「はなす」が基本動作であり、そのタイミングのみの問題を処理すればよかったが、最近のロボットはこのすべりも制御している。
 不自由さ、不便さは一時的には困ったことではあるが、それを何とかしようという方向性がでると新しい発見をすることが多い。脳は複雑な方向に進化しているものの、われわれの認識は遅れっぱなしかもしれない。黒澤明の映画を理解できるのはいつのことやら・・・

投稿: westhill | 2007/12/24 22:16:45

あの「ハッピーバースデイ・トゥーユー」は、他の誰でもない志村喬が演じる市民課長が、本当にこの世界に生まれた日におけるメタファーとしてのものなのだと、これまで解釈していました。
そして、その市民課長は、他の誰でもない私たち全てのことなのだとも。人間、この世界に生を受けた瞬間から、墓場への歩みを始めます。

投稿: s | 2007/12/24 21:26:21

Merry Cristmas~☆

 黒沢映画の『生きる』は、私の青春時代に最も大きく心に染みこんだ映画でした・・。
たった一度、高校生の頃映画館で観ただけでしたが、その時の印象を大切にしています。
 あの映画を観てから随分年月が経ちましたが、いつか、
世の中の役に立つ人間になりたい、という善意の心が小さな種のように
私の中で眠っているのです。

 なんだかまた改めて鑑賞したくなりました。弱い自分を奮い立たせたい気持ち。細かい所は覚えていませんでしたが、黒沢監督の映画には、人間という者への深い理解と普遍があって、人間にとって、最も価値ある崇高なものは何であるか? という問いがあり、それは立ち向かう勇気なのだと、映像の力を借りて伝えようとしたのではないか? と私は感じました。高校生の時の印象なので、少し足りないかも知れませんが。

 今度『生きる』がリメイクされるそうですが、死を目前にした老人の、あの志村さんのすばらしい名演技を若い人たちに是非、観て欲しい気持ちです・・。

 茂木先生、ありがとう! 素敵なクリスマスを~☆

 


 

 

投稿: tachimoto | 2007/12/24 20:05:48

ハッピークリスマス。

老いは、誰にも来ますからね。元気な老人、ファッショナブルな老人、頭の冴えた老人、やさしい老人、を見ると、逆に老人から元気をもらう感じがします。(^^)

投稿: クオリアと光by片上泰助 | 2007/12/24 19:31:11

今日の日記を読み、黒澤明の「生きる」をもう一度、初めから観たくなってしまった。

これから生きる者たちの運命と、死に行く者の運命が交錯する時、そこに生まれるアンビバレント。お互いを結びつけたのは、一つの音楽だったのか。

黒澤明はこれを、ひとつの絶妙な美として、表現してみせたのか。

こういうドラマは映画の中ばかりでなく、その人が生きている限り、人生のあらゆる場面で遭遇する。

そんな場面の表現は、いまの「TVドラマ」と比べても、黒澤を始め、歴史に名を残す巨匠のほうが何倍も巧みのような気がしてならない。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/12/24 16:36:34

「フランダースの犬」(ラメー) クリスマス物語
はじめのところに、こんな文章があります。。。

ネロとパトラッシュはこの世に全くひとりぽっちで残された。
(中略)彼らは年月の長さからいえば同じ年であったが、
一人はまだ若く、もう一匹はすでに年老いていた。

They were both of the same age
by length of years,yet one was 
still young and the other was
already old.

 *茂木様の文章を拝読し、思い出したので、
  (感想として、ずれちゃいましたが)
  本棚から探して、とりだしてみました。


投稿: F | 2007/12/24 11:50:21

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