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2007/12/25

バッハのオルガン

 教義の一部に心情的に
共鳴することはあるが、 
 今まで、特定の宗教の
「この後をついて行こう」
と思ったことはなかった。

 それでも、街中を歩いている時、
すなわち、地球というこの巨大な
岩塊の表面を這っている時など、
「おい、これはどう考えても
不思議だぞ」と思うことはある。

 137億年前にビッグバンで
宇宙が誕生し、その後、
軽い元素から重い元素へと
進化してここに至る。

 生命が誕生し、多細胞となり、
やがて意識を持ち、思考能力を
持ち、宇宙とは何ゾや、
自分たちは何ものであるかと
悩む人類が誕生する。

 これは、よくよく考えると
おかしいぞ。

 この精緻な宇宙が
ここに存在するということ自体が、
一つの不可思議なことである。

 「理神論」(deism)では、
神は宇宙の創造のみにかかわるの
であって、いったん宇宙ができて
しまえばあとは介入しないのだと
考えた。
 
 17世紀オランダの哲学者
スピノザは神はすなわち自然である
(deus sive natura)とした。

 すなわち、スピノザは
人格神や、神が奇跡や懲罰を
もって介入するという考え方を否定した。
 スピノザの立場は、現在の
自然科学的世界観と整合性が
高い。
 
 素粒子だけで出来ている
はずの私たちもまた自律的な主体性を
持ち、意識を持つ(という幻想を抱く)
という点に鑑みると、
 果たして「神即自然」の理神論は
宇宙そのものたる神の人格の可能性を
払拭しきれるのかどうか、
本当のところはわからぬ。

 そうだ、数日前にバケツに
水をくみ置きしたのだと
思い出した。

 ベランダの水そうに水を足したら、
メダカが驚いて上がってきた。

 それで、藻以外の何ものかが
生きているのかどうか
わからなかった小さな生態系の
中にちゃんとメダカが冬越ししている
ことがわかった。

 メダカ水そうを見たあと、近くの
公園を歩いた。

 あんなにたくさんアメンボや
メダカが溢れていたビオトープは
さびしい風景。

 木々の葉は落ち、
寒風吹く斜面には自ら動くもの
の姿もない。

 しかし、生命の線は
どこかで維持されている。

 神即自然ならば、私自身も、
メダカたちも、藻も、あるいは、
地球の内部でずっと動けないでいる
岩塊も、神の一部であるはずだ。

 キャラメルの口溶けも、
砂つぶも、しゃぶしゃぶのたれも
神の一部であるはずだ。

 そう考えていると、バッハの
オルガンが聞こえてきたよ。

 やることがありすぎて呆然と
するが、砂山を端から取り崩して
いくしかない。

 砂一粒もまた神であるはずだから、
ぼくは今朝神と戯れる。

12月 25, 2007 at 06:43 午前 |

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コメント

日本科学未来館で以前行われたコンサートのチラシによると、毛利衛さんは、宇宙に行った時にバッハの音楽と雅楽の音が聴こえたそうです。
バッハの音楽は神様に捧げられたもので、雅楽も、神様であるかそうでないかはわかりませんが、何ものかに捧げられ、そこから活力を得るために奏される音楽です。

人知を越えたものに対して敬意を表すと、自ずとそれは美しいものになってしまうという不思議を音楽の中に感じることがあります。

投稿: hibi | 2007/12/29 6:56:38

先生の文章を読んでヘルマン・ヘッセのパイプオルガンという詩を思い出しました。

今 この空間に響く、優しくひそやかな音、
いまだこの老いたる名人が弾く調べか、はたまた、生き残った霊たちの幻影か、
あるいは古い時代の余韻か、亡霊か、誰にも分からない。
だが時として、誰かしら、寺院の前にたたずみ、耳を傾け、そっと扉を開き、
かすかに聞こえる音楽の、銀色の調べに心を奪われ、霊が語る、穏やかで真摯な父祖の英知の言葉を聞き、
この響きに心を打たれながらそこを立ち去り、
友を求め、燃え尽きたろうそくの香りの漂う大聖堂での美しい一時の体験を、ひそかに語り告げる。
このように、今や地下の闇に潜み、聖なる流れは 永遠に流れ続ける。
その深みから、時として、音が響き、きらめく。
それを聞く者は、神秘の力を感じ、永遠の流れに目を止め、なつかしさに胸を焦がし、それを捕らえたいと願う。
そこに“美"があることを予感して。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~bcj/organ.html
より

投稿: K.K. | 2007/12/27 3:45:58

昔(昔話が多いなあ)、フランス人留学生から化学フランス語を習っていたことがあった。お互い打ち解けてきて、色々な話もした。

そのとき驚いたのは、彼が真剣な顔で「宇宙の起源」、「死後の世界」を知りたいと言ったことだった。その時は、科学じゃないぞ、と違和感を強く感じた。

その後、たとえば科学史のバシュラールなどに入れ込んでみて、違和感でなく自然なことだと納得した。

彼は今フランスで香料会社の重役になっているという。
クリスマスの夜に、豪邸でバッハを聴きながら、宇宙に思いをはせているのだろうか。

投稿: fructose | 2007/12/26 2:07:54

面白いですね。
ヒトは同じようなことを不思議だ!と
思ってしまうんですね。
アニリールさんも
「僕が本当に知りたいことは
『何のために宇宙がつくられたのか』そして
『何のために人間が必要だったのか』ということだ。」と。
アインシュタインの考える「神」も何だったんでしょう?

友人宅のメダカ水槽にはタニシ。。。
本当は、いないはずだったのに。
メダカ天国のはずだったのに。
気付いたら2匹、3匹(笑)。

すべての謎は美を見い出されるのを
待っているのだと思っていたいけれど、
未熟な視点で見るリアルな世界の現象は、
たいてい、とほほでへろへろでタニシ化してしまって、
おおもとまでたどり着けません(笑)。

今日は昨日よりだいぶ早く眠れます。
年末年始は「砂山」だらけの人が多いですね、きっと。
「こんなところで、何やってるんだ?私」と思いながら
バタンキュー前にコメント書いてしまう。
習慣っておそろしい(笑)!

投稿: mary | 2007/12/26 0:53:51

私は小さい頃、宇宙は神様の水槽だと思っていました。
眺めている誰か。

もう少し大きくなって宇宙は広がっていることを知り、
宇宙は生きていると考えました。
成長する宇宙。
人類は大腸菌?


何も知らない世界に存在する自分に、たまらなく不思議で信じられないと感じる瞬間があります。不思議ですね。。

投稿: ゆうこ | 2007/12/26 0:30:29

神は即自然、自然は即、生命。

砂粒から銀河に至るまで、生物も無生物も、実は共に“命あるもの”として、この三次元世界に存在する。

土も、草も、ダンゴ虫も、天道虫も、蝶も、蜥蜴も、カエルも、カマキリも、水も、岩も、溶岩も、そして月も、明星たちも…!

全てを、かけがえのないもののように思えれば、命あるものとしてみつめてゆければ、この地上から、命ををそこなう、幾多の悲劇は消えていくだろう。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/12/25 21:54:23

The most incomprehensible thing about the universe
is that it is comprehensible.

今日のエントリーを読んで、
アインシュタインのこの言葉がふっと思い浮かびました。


* * *


The season of goodwill.いい言葉です。心の底がホカホカしてきます。

「ねぇ、サンタさんていると思う?わたしはね...」

もうそんな季節なんですね...


投稿: zitterbewegung | 2007/12/25 21:40:19

茂木先生、聞こえてきた曲は、もしやこれでは?
Wachet auf, ruft uns die Stimme, BWV645

投稿: うすだ | 2007/12/25 18:07:06

こんにちわ

何百億年の神々の叙事詩の一音が私たちのような気がします。(^^)

投稿: 宇宙と言うクオリアby片上泰助 | 2007/12/25 14:02:59

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