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2007/12/03

行き交う人々の中に

四谷荒木町の橘屋にて、
歌舞伎ソムリエの
おくだ健太郎さんと対談。

あらかじめこういう話を
しようと用意するのではない。
良い対談というものは、むしろ
その場で「開かれて」いくものである。

おくださんとのやりとりで、
ぱーっといろいろなことが
開いた。

私の人生に、歌舞伎がどのように
かかわってきたか。

歌舞伎のどんなところを愛しているか。

ダイナミック・レンジの広さに
惹かれる。
人間は他の動物に比べて、
知性はもちろん感情の振れ幅が
大変大きいのである。

ところが、いつに間にか私たちは
文明の中でさまざまな
制約を受け入れ、全スペクトラムのうちの
ごく一部分だけを使って生活している。

自分の中に文明の可視光領域以外の
波長があることを忘れてしまっている。

歌舞伎の登場人物は、不条理な運命や
突然の悲劇に嘆き、わめき、そして笑う。
そのありさまを見ているうちに、
私たちの胸の中に本来潜んでいた
生命の振れ幅が復活していくのだ。

歌舞伎鑑賞とは、実に、一つの生命復活の
儀式なのである。

対談の様子は、
主婦と生活社カルチャー図解シリーズ
『「歌舞伎」がよくわかる本』(仮題)
に収録される予定。

歩いていて偶然見かけた
きしめんを食べ、それから
四谷区民センターへ。

新宿区主催の夏目漱石生誕140年記念
シンポジウム「漱石山房秋冬」
松山市長の中村時広さん、漱石の孫で
エッセイストの半藤末利子さん、
新宿区長の中山弘子さん、
朝日新聞記者で、『新聞記者 夏目漱石』
(平凡社新書)を書かれた
牧村健一郎さんとご一緒した。

中村市長とは、以前、白洲信哉と
「青山二郎展」で松山にうかがった
時以来である。

新宿区国際文化課の石川嘉則さんを
始めとする方々のお骨折りで、
たいへん素敵な時間となった。

半藤さんは、漱石の権力におもねない
ところが大好きだと言われる。

権威の象徴であった
東京帝国大学教授の職を断って
当時の「ベンチャー企業」であった
朝日新聞に入社して一記者となったり、
博士号授与の申し出を断ったり、
あるいは時の宰相西園寺公望さん
からの招待を
「時鳥厠半ばに出かねたり」
という句を添えて辞退するなど、
漱石の態度は徹底している。

そういう反骨精神と、
漱石の作品のクオリティが
関係していないはずがない。

時代は流れ、今おもねず抗する
必要があるのは、権力よりも
むしろ「数の力」というポピュリズムであろう。

人気がある、ということ
を絶対の指標にすると危ない。
ポピュリズムの潮の渦巻く
表層流ではなく、海底に密かに
潜む真珠をこそ一人静かに世間の
喧噪から遠く離れたところで模索
しなければならない。

シンポジウムに続いて、
三遊亭金翔さん、
三遊亭金馬さんの
落語会がある。

金馬さんのさすが!の話芸に
しびれる。

新宿駅まで雑踏の中を歩いた。
若い人、年老いた人、盛んな人、
ちょっと疲れた人。

学生時代、
よく、新宿近辺で飲んでいた。
今では全く遠征しない歌舞伎町の
方の飲み屋や、焼き肉店や、
映画館にも足をのばした。

行き交う人々の中に、
きっと昔の自分がいる。

そう思うと、胸がざわざわして、
春を迎える土の上の霜が溶ける
ようになって、
それから、思い切りどこまでも
どこまでも走っていきたく
なった。

12月 3, 2007 at 05:44 午前 |

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♪あれから 僕たちは ・・ふたたび このまえも月曜日の夜明け近くだったのだろうか [続きを読む]

受信: 2007/12/04 21:43:52

コメント

1ヶ月前に両国の江戸東京博物館で行われていた「文豪・夏目漱石展」を見てきた。

この漱石展を見て、改めて彼の身につけた教養の領域が恐ろしく広いことに驚くと共に、帝大の教職を断ってまで、当時はベンチャーだった新聞社に職を得るなど、時の権力におもねずに孤高の姿勢を死ぬまで貫いた彼の姿に、一人の“強くもしなやかな人間”のありようを見た思いがした。

今の世の中、ポピュリズムの前にひれ伏し、おもねる人達の如何に多いことか。人気があって支持が多い、ということと、質的に素晴らしい価値がある、ということとは互いに別問題だ、と思う。

表面的な人気とか「数の力」なるポピュリズムにとらわれ、おもねってばかりいると、私達は結局、必ず足をすくわれてしまう。
人気がなくなれば、所詮どんなものでも支持を失い、奈落の底へとどーん!と落ち、やがて忘れられていくのだから。

ポピュリズムの渦巻く「喧騒」を遠く見下ろしつつ、何があろうと自らの信念を貫きとおして生きることが新時代の「反骨」なのに違いない。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/12/04 0:35:54

「人間は他の動物に比べて、
知性はもちろん感情の振れ幅が
大変大きいのである。

ところが、いつに間にか私たちは
文明の中でさまざまな
制約を受け入れ、全スペクトラムのうちの
ごく一部分だけを使って生活している。」

この記述を見て安心しました。
私は躁鬱病なので、感情の振幅が日常生活を営むのに差し障りがないように、毎日薬を服用しています。
冬にずーっとお布団の中で寝ていていいのなら、夏にはじけまくってお酒と享楽に明け暮れていいのなら、空想の世界で宇宙について考えながら3日3晩寝ずに過ごしていいのなら、薬なんて飲まずに過ごしたい。
と、いつも思っています。でも、人間界で、お母さんなどをしながら学生生活を送り、主婦の仕事もして、もうすぐ卒業したら今度は多額の奨学金の返済に追われる、ということを諸々こなしていくためには、薬というものも必要らしいです。

ときに、脳科学者の茂木健一郎先生、人間界はどうしてこう窮屈に感情の振幅を押し込めるような発展をしてきたのでしょうか?

投稿: | 2007/12/03 19:22:32

こんにちわ

「数の力」と言う、ポピュリズム、確かに怖いですね、土地バブル、サムプライム問題。「土地は下がらない」「住宅は高くなる。」、経済的ポピュリズムは、怖い。

考えてみると、私の心の中のスペクトルは、狭い感じがするな、もっと広げよう!!(^^)

投稿: | 2007/12/03 16:09:57

感情の振れ幅、それを支える中心は覚悟だと思う。

覚悟が強くなければ、振れ幅の強さに引っこ抜かれると思う。

最終的に覚悟の強い人になりたいと思う。

投稿: | 2007/12/03 10:51:53

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