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2007/12/08

自発性

生物の最大の特徴の一つは
「自発性」である。

私たちは、外界の事物のうち、
「自ら動くもの」
と「外から動かされるもの」
を区別することができる。

たとえば、アメーバは前者であり、
風に舞う木の葉は後者である。

自発性は、生物界全体に
普遍的に見られる。

神経細胞の活動も、また、
自発的である。

何ら特別な性質ではなく、
通常のコネクショニストモデル
で結合されたユニットがあれば、
必然的に領域外からの入力が
なくても活動する。

自発性自体は、生命活動の基本的な
属性であり、
それなしに生物というものが
考えられない、いわば「大前提」
なのである。

そのような「素材」を、生物はうまく
活かす。
行動へと結びつける。
そして、他者との関係においても、
重要な意義を帯びる。

蝶は、ひらひらと
飛び、その軌道は容易には予想
できない。
あらかじめわかってしまえば、
鳥などの補食を助けてしまう。

人間も同じことであり、
社会的な関係において、
その振る舞いが完全に予測
できてしまっては、他者に
よるマニピュレーションを
可能にしてしまう。

ここに、ダブルバインドな
状況が生じる。

社会的知性の発現に
おいて、他人の心の状態を
推定する能力(「心の理論」)
は重要な意味を持つ。

お互いにある程度
相手の志向性が読み取れ、
その行動が予測可能な範囲内に
収まらなければ、協調行動
などとれない。

その一方で、完全に予測されては
いけない。

協調のための予測可能性と、
マニピュレートされないための
予測不可能性をバランス良く
持つことが、
進化の過程で各エージェントが
持つべき属性だったはずである。

忙しい一日だった。
朝一番の横浜から、切れ目なしに
ずっと仕事が続いた。
ゼミがあった。
柳川透と、
ソニーコンピュータサイエンス研究所
の近くの「すき家」に行って
牛丼を食べた。

戸嶋真弓さんが研究の構想発表を
している時に、所長の所眞理雄さんが
いらしてゼミの輪の中に座った。

今朝になって、珈琲を二杯飲んだ。
傾けるとWinnie the Pooh
がすべって行く
ペンを見つけた。

ベランダのみかんの葉は青々と
している。

気付いたら、
スターバックスの街は、
どんどん遠くなって、
何層もの自発的にうごめく
実体の向こうに行ってしまった。

未来は何をもたらすのか。
その自発性を畏れ、希望し、
私は待っている。

12月 8, 2007 at 11:06 午前 |

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コメント

私は統合失調症を、10代の頃、発祥致しました。
私は2、3年前から自分に著しく欠けていた、協調性に気づいていました。
それは、まるでそれまで記憶喪失していたモノのように、私の心に深く突き刺し、今もそれで傷ついています。
自殺志願者が傷つく脳のメカニズムなのかどうか、いわゆるフラッシュバックというモノについて、それが現れると惨めな気持ちになるというのが、、、受け入れられないのに受け入れようとしている自分がありました。
その、闇の奥に突き進んでゆくと、、ひかりのようなモノが心の痛みを包み込む感覚を覚えています。
良く、自分の醜さを知った人は醜くないと、、、言葉ではそう言われますが、、、言葉に出来ないような感動でもあります。
被害者意識と加害者意識の真逆の、自己と他者が際限なく一つに祝福された時間や事ものを超越した存在が、、私の奥に確かにそのとき芽生えました。。。
協調性を覚ようとしている私は、知性から生まれた自己の自発性を求めていると思います。
私は何処の宗教にも属していない人ですが、、、
神というのは、、名前であって、その言葉がこの国に置いて誤解を招いているのかもしれませんが、確かにそれに形容できるような感動は、誰しもが感じているが、心の深層の奥に潜んでいるモノだと思うのです。
この知性なるモノは、日々の鍛錬によって美しく磨かれている、まさにそれによって生きることそのモノに面白みが生まれているのです。
私は生命の大切さを、歌によって届けようと思い毎日、作詞作曲活動に励んでいます。そしてこれ以上、多くの自殺者が出ないように歌によって届けていけたら幸いだと思っております。
鬱の人はシンプルなモノでないと聴けません。この間プロフェッショナルでシンプルなモノ程、強く相手に伝わると放映されていましたが、、僕もまさにその通りであると感動致しました。

投稿: かなりあ | 2007/12/09 9:04:33

自発性という大前提。
人は生まれながらに自発性を持ち合わせているのですね。

>必然的に領域外からの入力が
なくても活動する。

自発性は、どちらかというと、
何らかの刺激によって起こるものと捉えがちでした。
人間が成長していく過程で、
刺激により起こるもののウエイトが高くなり、
本来の自発性がだんだん薄れてしまうような印象を持っていました。
成長して大人になるにつれ、
いろいろな制約や秩序やしがらみによって、
本来の自発性が抑えられていくような。
自発的に神経細胞が活動しているにもかかわらず、
そこから行動へと結び付けられていないとしたら・・・。
幼少期の自発性は確かに強かったかもしれないです。

でも、考えてみれば驚異的ですね。
生物の特徴としては、
そもそも刺激はなくても自発的である。
実に生命の営みを感じます。

本来の自然な個体としての自発性を大切にしていかなきゃ。

「心の理論」
他人の心の状態を推測することは、
その人を取り巻く環境や行動や表情だけを
全ての拠り所とすることはできないという面において、
非常に難しいです・・・。
全てを察知させない為のポーカーフェイス。
他人を理解したくてもできないもどかしさ。
協調のための予測可能性と
マニピュレートされないための予測不可能性。
そのバランス・・・。
人の行動は様々なバランスの上に成り立っていることを
思い知らされます。

時にその間で悩んだり苦しんだりしますが、
それでもやっぱり、
切ない思いをすくいとってもらえたときは
心の底から本当に嬉しいと感じますね。

投稿: s.kazumi | 2007/12/09 1:32:42

「自発性」と「協調性」とのバランスを保って生きることって、生き物全てにとって本当に、何ものにも換え難い属性なのだものね・・・。

けれど、私達人間というのは、如何もそのバランスをついつい、崩してしまいがちな生き物なのかもしれない。

他人と協調せず、「自発性」だけに偏ってもダメだし、かといってのべつに協調しすぎても、結局、他者の言うままに“操作”される「ロボット」になってしまいがちだし。

ともかく、どっちかに偏っても、いろんな意味で生きづらくなるものだ。

他者との協調と、自発的に生きる、という両者のバランスを絶妙に保って生きて初めて、人はこの人生の大海を、何者にも操作されずに泳ぎきることが出来るのではないだろうか。


投稿: 銀鏡反応 | 2007/12/09 0:52:52

木の葉は確かに人の目から見れば「外から動かされているもの」ではあるけれども、
本当に木の葉には自発性はないのかなと考えてしまった。

種子は環境に適合すれば自発的に育っていく。
しかし、木の葉は風に舞い、土に還るだけだ。
そこには確かに大きな違いがある。
しかし、私には、そこにも自発性が内在していると感じる。

投稿: K.K. | 2007/12/08 22:56:14

こんにちわ

スポーツなど、仲間には予測可能で、対戦相手には、予測不可能な事が必用だと思います。ボールを持った時等、相手に対して、多くの選択肢を持っているかが大きなポイントになります。

ちなみに、学生時代、コンピュータで、シミュレーションした事があるのですが、鬼ごっこで、追いかける方が有利なのです。追いかけられる方が、左右に動くほど、追いかける方が最短距離をとれるため、追いかける方が有利になります。


ところで、自分の行動が予測不可能って怖くないですか?(^^)

投稿: tain&片上泰助 | 2007/12/08 15:11:15

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