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2007/11/01

うまく「サヨナラ」すること

東京工業大学すずかけ台キャンパス。

研究室の
小俣圭君が博士号を取得することが
ほぼ決定。

小俣くん、おめでとう。
これからもがんばろうね。

すずかけ台駅前の「てんてん」
にて研究室のやつらと
天丼を食べる。

続いて、G3棟の講義室で
Society for Neuroscienceの
準備をする。

野澤真一、箆伊智充、石川哲朗
の研究内容をみんなで聞いて、
検討した。

野澤真一の自発性の研究は、
よい着眼点なのだが、データの処理が
難しい。

新たに実施した実験のデータを
うまく解析して、議論に深みが
出てくれば突き抜けられるだろうゼイ!


発表する「自発性キング」野澤真一クン。

箆伊智充の発表は、なんだか
「余裕をこいて」いる。
実験データはたくさんあるのだが、
まだ、全体の構図を決めるツメが
足りないのである。

箆伊の実験は
次から次へといろいろな
着眼点が出てきて、コンディションも
複雑であり、聞いている方が
次第に困窮してくる。

「ヘライ、お前、どうせだったら
実験100までやって、ギネスブックに乗れ!
そして、この分野の大家になれ!」

半ば冗談で、実は本気でオレは叫んだ。


余裕の表情で発表する箆伊智充クン。

石川哲朗の研究テーマはone shot learning
(いわゆるaha experience)だが、
「コロンブスの卵」的な発想によって、
今まで見たことがないようなグラフが
描けている。

「お前、このグラフを眺めているだけで、
美しいし楽しいよ」
と激賞。


指さし確認! 発表する石川哲朗クン。

黒板に、概念的に整理する
のに必要なことをだーっと描いた。
われながら字がヘタである。
認知科学の問題に角速度が
出てくるというのはなかなかのものであるゾ、
石川くん!


石川の研究に関わる概念メモ。

加藤未希は、関根崇泰との
共同研究で使う装置を自作している。
加藤、エライ。東急ハンズ系は、
実に、本当に偉いんだヨ。
自分の手を動かすことは、尊いね。


加藤未希と、自作の実験装置(部分)

ソニーコンピュータサイエンス研究所へ。
田谷文彦と、最後のツメ。
星野英一の研究の進み具合が心配である。

銀座のアップル・ストアへ。
布施英利さんとの対談。

布施さんとだったら、打ち合わせ
なしでも全く心配ない。

芸術の本質はうまく「サヨナラ」
することである。
何時までも手元においていては
いけない。
作品を成り立たせた、いきいきとした
生命活動を
「熊送り」の儀式を通して
解きはなってやらなければならない。

サヨナラだけが人生だ。

研究も同じであって、あるテーマを
終えて論文を書くということは、
つまりはそのテーマにサヨナラを
することである。

クオリアのような大きな
問題になると、サヨナラをし切る
ことは難しい。

ボクの人生の命題は、クオリアを解いて
サヨナラすることであろう。

クオリアよ、いつかはさようなら。

桑原茂一さんや吉村栄一さん、
新潮社の大久保信久さんなど、
何人かで打ち上げ。

大久保さんの情報によると、
金寿煥さんはリリー・フランキーさんの
原稿をとるために張り付いている
模様。
こちらへの追及は、すぐには
劇症化するまい!

金さん、お疲れさまです。

ずっと全速力で疾走してきた後の、
親しきひとたちとのつかの間の
ゆったりとした時間。

もいちさんと一緒にはははははと
笑った。

11月 1, 2007 at 08:58 午前 |

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コメント

投稿二度目で失礼します。

芸術作品を創り終えたら手許に置かずにサヨナラ。
研究しているテーマを研究し終えたら、そのテーマにサヨナラ。

そしてひとりの人間の一生も…。

人生の場合、いつサヨナラの日がが来るか分からない。明日の朝かもしれないし、このコメントを投稿してすぐに心臓が止まるかもしれない。が、それまで何があってもこの地上で、人間たちはそれぞれの「生」を精一杯に生きている。

私の場合、死ぬ前にどんなものを終生のテーマにするか…思案中ですが、ただおぼろげながら見えて来たのは、生活者をしながら芸術すること。これがおそらく、我が終生のテーマになるやもしれません…。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/11/02 23:34:56

本日は更新されませんね。
さ、寂しい・・・

作品も最後の詰め作業になると、
手間をかけるほどに見栄えがあがるので
やりがいはありますが
「別れ」が既に見えている瞬間でもありますよね。

いずれmp3がアップされることを期待しながら
ダビンチが生涯手元においておいたモナリザや
一枚に何年もかけて光を描いたモネも話題に出たのか
なあと、想像して楽しんでいます。

誰もが感じる、モナリザの
もはや、美しいといえるのかと
思わせる程の生々しい近しさや

筆が入る程にキャンパスが輝いてゆく
モネの光の印象は

新しく得たインプットと
表現したアウトプットとが
常に同じ量であるということ、

つまり、
作品が作り手と同じ時を刻むときに
作品が手元にあるのだということを
示しているようにも見えます。

クオリアは果たして
先生を手放すかしらん?

投稿: medaka | 2007/11/02 22:32:48

すごいですね。学生としての時間が濃密なんですね。
私の20才前後の頃とは、比較にならない・・
恥ずかしさもあり、うらやましさもあり・・
これからも、研究者でいてほしいです。

投稿: yuri | 2007/11/02 16:15:27

「サヨナラだけが人生だ」…室生犀星が言うように、人生の中でひとつのテーマと別れることは、当事者にとっては辛い側面があるけれども、とても大切なことなのだ。

何時かはやってくる「別れの時」。

問題は、その時に如何うまく「サヨナラ」出来るか、なのだ。


投稿: 銀鏡反応 | 2007/11/01 23:13:16

>ボクの人生の命題は、クオリアを解いて
サヨナラすることであろう。

>クオリアよ、いつかはさようなら。


「応用クオリア学」が出てきたりして!?(^^)

投稿: tain&片上泰助 | 2007/11/01 14:49:35

芸術の本質はうまく「サヨナラ」
することである。
何時までも手元においていては
いけない。

という言いまわしが美事です。

作品は、
自分自身ではないと思っています。

周りの人や環境と
自分が響きあって生まれた
あたらしい生命だと思うんです。

だから、
自分のものとも言えるし、
他人のものとも言える。

子供が、
父親のものであるし
母親のものでもあるのと
同じことに思えます。

「サヨナラ」ということばが、
妙に気に入ってしまいました。

投稿: 青木達也 | 2007/11/01 14:27:23

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