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2007/11/08

大きな巨きな「自由」のヴィジョン

水戸芸術館のキュレーター(学芸員)
である高橋瑞木さんから、
ChristoとJeanne-Claudeが
来日するから水戸で話さないか
と言われた時、
二つ返事で「やります!」と返事した。

http://www.christojeanneclaude.net/

上野からスーパーひたちに
乗る。あれこれと仕事をしていたら、
あっという間に水戸に着き、
改札の外の高橋さんに出会った。

クリストがの茨城県常陸太田市から里美村(当時)の里山の中に1340本の
青い傘を立て、それと向かいあうように、
カリフォルニアのロサンジェルスの南側の谷に
1760本の黄色い傘を立てた「アンブレラ」
プロジェクトが行われたのは
1991年。

当時、大学院の博士課程の学生だった
私は、盟友「おしら様哲学者」
(またの名前を「でぶ塩」)塩谷賢と
はるばるでかけていった。

誇大妄想気味だった二人の
「疾風怒濤」の青年は、
見渡す限り巨大な傘が点在する
光景に大いに興奮した。

「これだよ、オレたちが求めて
いたのは!」

あまりにも気に入ったので、
3週間の会期中、二度も出かけた。

二度目に出かけた時、
田園地帯の中に設置されて
いた事務所で、クリストと
ジャンヌ=クロードに出会った。

握手を求めると、クリストは快く
応じてくれた。

「ヴァレー・カーテン」。
「囲まれた島」。
「梱包された帝国議会議事堂」。
あのような巨大プロジェクトを、
地元住民や政府と粘り強く交渉して
進めていく人とはとても
思えないような、
繊細な、やわらかな手だった。

常陽藝文ホールに着く。

水戸商工会議所主催、
水戸市芸術振興財団企画、
常陽藝文センター協賛の
イベント。

http://www.arttowermito.or.jp/atm-info/2200/2294.html


控え室で、クリストと握手した。
16年の年月を超えての再会。
もちろん、向こうは覚えてなどいない。

会場の様子を見て、高橋さんや、
同じく水戸芸術館の森司さんに、
「どんな聴衆が来るのか」
と聞いた。

「買い物に行って来ます」
とふらっと外に出た。

さて困った。
駅前の川又書店まで歩きながら、
作戦を練った。

最初に私が20分喋ることになっている。
急遽スライドを、と思ったが、
プロジェクターがない。

私がどんなことを喋っているのか、
クリストとジャンヌ=クロードに
伝わらないのではツマラナイ。

かといって、全部英語でやったら、
聴衆には何のことかわからない。

観念し、覚悟を決めた。

「ジャンヌ=クロードと
クリストという二人の素晴らしいゲストに
感謝と敬意を表するために、
私は生まれて初めてのことをやろうと
思います」
と切り出した。

「予定していたことの、二分の一しか
喋れないでしょうが、二倍面白くなると
期待しています。そして、私自身
にとっては、3倍難しいことになるでしょう」

日本語でまず喋ってから、英語で
喋る。
「一人逐語通訳」である。

「アートは何よりもプライベートな経験である。
それは、ジャンヌ=クロードとクリストの
素晴らしい作品群が示しているように、
言葉で表現できるものではない。
その一方で、アートは、コミュニケーションや
コミュニティ・ビルディングに関わること
でもある。
ジャンヌ=クロードとクリストが、
作品の実現のために時に20年や30年もの
長い年月粘り強く交渉するそのプロセスに、
そのようなアートの両義性は表れている。
日本では、確かに、東京と地方の間に
格差がある。
しかし、すぐにわかってしまうような
目的、言葉にできるような機能性、
そんなことからアートを通した
「町おこし」のようなことを志向しても、
かえって夢を実現することはできないだろう。
アートの力というものは、もっと根源的な
ものである。
私たちが生まれ落ち、言葉を学ぶ前から
抱いていた生命の衝動。そのようなことに
つながるものである。
アートとコミュニティの関係を
考える上で、ジャンヌ=クロードと
クリストの仕事は、大切な一つの
インスピレーションを与えてくれる」

概ね、そんなことを話した。

ジャンヌ=クロードが、
「プロフェッサー モギの言ったことに
400%賛成します」
と切り出した。
「そして、それはまれなことなのです」

二人のトークは、スライドを使いながら
現在計画中のOver the River、
The Mastabaの二つのプロジェクト
について説明する、
完璧に準備されたものだった。

私と、クリスト、それにジャンヌ=クロードの
対論。

何か深いものに触れた気がした。
感動した。

ジャンヌ=クロードと
クリストにとっては、あのような
巨大なプロジェクトを進める
ことは「自由」の追及なのだという。

「私たちのプロジェクトは、決して
巨大ではありません。
それを言うならば、人類はもっと
大きなものを作っています。
摩天楼、高速道路、大規模な耕作。
私たちの行為は、そのような、誰かに
よって既に設計された空間の
中に住むことに慣れてしまった
人間が、本来持っているはずの自由を
取り戻すための儀式なのです。」

「大切なのは、実際の帝国議会議事堂
に触れ、それを変えるということであって、
そのスケッチでは
ないということです。現実そのものに
働きかけ、変容させる。そのことが
大事なのです。」

私たちは、落書きをしたり、
キャンバスの上に絵の具を置いたりとか、
そのような「自由」で満足して、
自分が包まれている巨大な不自由に
は気付かない。

「そうです。自由というのは、
真剣に追及しようとすれば、
とても手間と手続きがかかる
ことなのです。」

最後に、「1000年後にどのような
形で覚えていてもらいたいですか?」
と聞いた。

「名前は消えてもいいのです。
ただ、昔むかし、あるところで、谷
にカーテンが敷かれた。島が包まれた。
無数の傘が置かれた。そんなことが
あった、という形で覚えていてほしい」

ジャンヌ=クロード、クリストと
かたく握手をして別れる。

森司さんが「いやあ、今日は良かった。
勇気をもらったよ。この仕事をしていて
良かった、と思えた」
と力強く言った。

東京芸大の粟田大輔、蓮沼昌宏が来ていた。
粟田は、最後に質問もしたからエライのである。

水戸芸術館の浅井俊裕さんも
加わって、
水戸駅近くの「茶の間」で打ち上げをした。

こんなにタイトなスケジュールで
動いていてオレは大丈夫か、
どうかなっちまうんじゃねえか
と思いながら
ふらふらになって水戸へ来たが、
こういう時に来なかったら人生の意味が
ない。

うぉーっと叫んで、荒野をどこまでも
行きたくなる。

大きな巨きな「自由」のヴィジョン。
頑なまでに愛に満ちあふれた勇気。

私たち一人ひとりは小さいが、
志向性という容器の中には、
たくさんのふしぎなエネルギーが
満ちあふれている!

(下の写真は、会場にいらした
青山知花さんがお送りくださいました)

11月 8, 2007 at 07:00 午前 |

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コメント

やっぱり先生は素敵な事を言うなーと
思いました。
不思議な高揚感が沸いてきます。
これって何だろう?

「アートは何よりもプライベートな経験である」に
なんだかじんわりときました。

もしも自分が描いた絵、
書いた文章、作品の前で
「これは今の君の、プライベートな経験なんだね」と
言われたら、私は不思議な位じんわりくると思います。

「400%」が訳されなくてちょっと残念でしたが
先生の喜びと敬意が伝わっていて
ジャンヌさんの声は嬉しそうでした。

小学生の頃、雨の日に、校舎の上から
生徒が下校する姿を見るのがとても好きでした。
まだ当時はビニール傘がなくて、
ほぼ赤と黄色の二色の小さな傘の群が
まるで紅葉の様に道の上にずっと繋がっていました。

フランスの古い村で見た観光客の傘達。
京都銀閣寺に続く道の傘達。
鶴岡八幡宮の参道に続く傘達。

想像以上に色々印象的な光景が
フラッシュバックしてきます。

傘一つ一つが人間であり
紅葉であり、紫陽花であり、
華やかで彩りで
雨の中に不思議な活気を産んでいました。

ジャンヌさん達の作品を見ていないので
「自由を取り戻すための儀式」を
私が感じられるかどうかはわかりませんが
その志向性はとても素敵ですね。

冒頭と同じように、じんわりと不思議な
高揚感に包まれます。
本当に、これは何なのかなあw

投稿: raionmaru | 2007/11/12 7:18:23

初めまして。1991年に会社に入ってすぐ、この「傘」が常陸太田に並んだという話は覚えてますが、残念ながら自分で行かなかったのをまだ悔やんでいます。
 私はここ数ヶ月、茂木さんの本(生きて死ぬ私や脳と仮想が特に面白かったです)や小林秀雄の講演CDを聴いたり、東京物語を見たりと、「茂木健一郎というクオリア」を構築中です。今朝は目が覚めて、今年の6月の芸大での1回目の講義を聴いて感動していたところです。学生の質問から、ポストモダンとモダニズムをアウフヘーベンできるかっていうのが出てきたところが面白いなと。講演の内容では、親鸞の行きと帰りで違うっていう話や小林秀雄の「信じる」こと、多様性が生命の本質だという話全部が通じている、相矛盾したものをどちらも信じること当たりが総合していた良い講演だったと思います。
 水戸に来たのですか。それは聞きたかったです。1月も来る機会があるらしいので、ぜひ行きたいですね。

投稿: n.hino | 2007/11/10 8:28:38

二度目の投稿で誠にすみません。

「独り逐語通訳」…何と独創的な試み!

茂木さんの強く深い思いが、言葉の壁を超えて、2人の芸術家の心に響き、聴衆の心にもヒットしたのですね…。

アートとは根源的な生命の衝動から生まれる…まさにそうだ、という気がいたします。

それにしても、我々はなんと大きな、眼には見えない「不自由」に囲まれて暮らしているのだろう。

ジャンヌ=クロードとクリストの壮大なヴィジョンは、そんな「不自由」を着き抜けて、真の「自由」を表しているような気がしています。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/11/09 5:48:39

16年の歳月を超えた、偉大なアーティストとの再会。

その彼、クリストが語る、途方もなく大きな自由のヴィジョン。

生命が大きく躍動すればするほど、志向性の持つエネルギーは大きくなり、そこから壮大で自在なイメージが生まれてくるのだろう。


投稿: 銀鏡反応 | 2007/11/09 4:30:09

こんにちわ

芸術作品が1000年残る方法を考えてみた。
国立図書館で保存される、スミソミアン博物館や世界的な美術館に保存される、アンティークの価値が出て保存価値が出てくる。

芸術は、心を豊かにさせるモノだと思うので、1000年後の人々の心を豊かにさせるモノである事になる。そのためには、人類の普遍性に訴えかける作品が残ると言う事になる。

芸術作品ではないが、ソクラテスの悪妻は、2000年以上たっても語られる。それは、人類の普遍性に訴えられているからだろう。(^^)

投稿: tain&片上泰助 | 2007/11/08 21:42:21

子供が三歳の頃、身の回りのもの(コップやボール、本、三角の積み木、etc)を鮮やかな手さばきで紙を折りながら包んでいました。その行為はしばらく続いたのですが、ブログを拝読しながら、あれは親に対するアンチテーゼだったのか、単に包みたかったからだけだったのかと考えてしまいました。 (当時は、丸いものでも丸くなるように折りたたんで包んでいたので、包み方が芸術的と感心していたのですが。)

投稿: s.matsui | 2007/11/08 13:02:32

こんにちは(^o^)
昨日茂木さんにずうずうしくサインをねだった女子高生のユウキです。
とても昨日の話には感銘を受けました。
一月も絶対行きますね!
茂木さんに質問したいことが沢山あります(笑)
どうか水戸二高で講演会をしてください★

では(^o^)/

投稿: ユウキ | 2007/11/08 12:00:55

1991年に私が行った時には、雨が降っていて傘が閉じていました。
間抜けな私らしいのですが、でも、そこの場にいたことがよかったかなと思います。

投稿: ほしの | 2007/11/08 11:47:11

「アンブレラ」、当時、わざと通勤の経路を変えて会期中毎日国道345の巨大な傘を見ておりました。

そうですか、クリストが水戸に、そして茂木さんも。聞きたかったな。音声のUPはあるのかしら。

岡倉天心が晩年?を過ごした「五浦」の近くに住んでいます。疾風怒涛の明治のはじめにあそこまでアジアの思想と芸術をしかも英文で押し出したあの人がなぜ「五浦」なのとしつこく思っているのですが、現地で遠くアメリカをのぞみながら海を眺めているとわかりそうな気がします。押しては返す波のなかに天心は何かをみていたんだと。

海のなかに生命の根源的なものを感じます。天心はずっとずっと遠くをみていたような気がしています。大海原に小さな舟で漕ぎ出して細い釣り糸を垂れてゆ~らりゆ~らりのひょうきんな格好をした「五浦釣人」もまた天心ですね。

クリスト、ジャンヌ・クロード、茂木、う~ん聞きたかった。


投稿: moka yamagata | 2007/11/08 10:01:52

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