熱いひとたち
「お前は橋の下から拾って来たんだよ」
とからかわれる子どもは、
「自分は一体何ものなんだろう?」
という懐疑を抱く。
その時の、自分の存在自体が揺らいで、
くらくらと目眩がするようで、
胸がざわめくような感覚は、
ぐるりと回って、
生きることのトキメキや
希望とつながっている。
自分にとって大事な夢や
目標を育むことは大切だが、
同時に、「どんな生でもあり得た」
ということが担保されなければならない。
その「どんな生」にも平等に
訪れる偶有性を引き受け、楽しむ
という覚悟がなければならない。
尾道の海岸通りを歩いている時、
一人の老人の姿が目に入った。
ゆっくりと、静かに、しかし
確固とした歩みで進んで、
やがてベンチに座った。
その姿に触れて、
「ああ、そうか」と思った。
しばらく前から、「死にゆく人」
にとっての希望とは何かと考えていた。
生きている間は、どんな境遇でも、
偶有性を楽しむことができたと
しても、いよいよお終いと
なったらどうなるのか?
その時、国宝に指定されている
阿弥陀二十五菩薩来迎図(「早来迎」)のように、
自分の魂を救わんと無限の彼方から
阿弥陀さまや菩薩さまが
輝く雲に乗って駆けつけてくれるのか。
http://www.gagaku.tv/b_and_g/raikouzu.htm
切ない仮想に託すしかないのか?
そのおじいさんの姿を見ていて、
人生の最後には、「自分が何時死ぬか
わからない」という偶有性が
増していくんだということに
思い至った。
若い時とは違う。1年後、5年後に
果たして自分はこの地上にいるか?
存在と非存在。
生と死。
目眩がするほどの明るさと暗さの
コントラストが、いつかは
死ななければならない人生の
「最期」に向けてクレッシェンド
していく。
人生の週末に向けて、偶有性は
内実を変えながら存在し続ける。
そのことさえ実感できるならば、
日々の生は輝くはずだ。
尾道公会堂でお話する。
(photos by Atsushi Sasaki)
尾道市教育委員会、尾道市PTA連合会
主催の「教育フォーラム」は
たいへん立派な本格的なもので、
その企画力、組織力に圧倒される。
小中学生のパネルディスカッションも
素晴らしく、
公衆の面前で自分たちの意見を借りものの
言葉ではなく堂々と言えるその姿に
感銘を受けた。
「吉中太鼓」は、取り組む生徒たちに
人格を変容させる大切な
「通過儀礼」になっている
のであろう。
尾道市長の平谷祐宏氏にお目にかかる。
平谷さんが市の教育委員会の教育長を
されていた時に、
この「教育フォーラム」が始まった
のだという。
尾道では、各界の人たちの足形が
いろいろなところに置かれている
らしく、私も足を押してくださいと
依頼される。
いよいよお別れの時となった。
司法書士をされていて、
今回のフォーラムの実行委員長の
山本学さんが、「私は、この二日間の
ことを、決してわすれません・・・」
と言いかけて、声を詰まらせてしまわれた。
隣りにいた弟さんの山本淳さん
(尾道市役所勤務)が、
「まあまあ、兄貴・・・」
というように肩に手をかけた。
熱いひとたちだった。
山本学さんは、前夜に「お土産です」
とアインシュタインのTシャツを下さった。
そのTシャツは、今、私のリュックサックの
中にある。
山本学さんにアインシュタインのTシャツをいただく
11月 12, 2007 at 07:43 午前 | Permalink
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» アフガンへ義足を送り続ける人がいる トラックバック 須磨寺ものがたり
昨日のTBS「報道特集」で、
アフガンへ義足を送り続けている、
一人の男の人の話が報道されていた。 [続きを読む]
受信: 2007/11/12 11:44:26
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コメント
茂木健一郎様
先日の尾道教育フォーラムでは、とてもいいお話をしてくださり、本当にありがとうございました。
また、パネルディスカッション終了後、息子に声を掛けてくださり、ありがとうございました。先生に声を掛けて頂いたことで、息子は自分が体験してきた海外生活を改めて振り返っていました。
また、先生が講演でお話された「難易度を上げる」という方法。一昨日より、息子は実践しているようです。とてもわかりやすくお話してくださったこと、感謝しております。
太鼓演奏にとても、感動してくだり、とても嬉しく感じました。息子が通っております、小学校でも16年前から、和太鼓を授業の一環として取り入れております。「通過儀礼」として経験するだけでなく、日本の伝統に触れるという面でも、かけがえの無い体験だと実感しております。是非、機会がありましたら、この小学校の和太鼓演奏もお聞きいただければと思っております。
素敵なサイン入りの本、ありがとうございました。少しずつですが、読み始めているようです。
日一日と寒くなってまいります。どうぞ、ご自愛くださいませ。
投稿: パネリストの母 | 2007/11/14 11:01:46
尾道市教育フォーラムのお世話をさせていただいた者の一人として、
先生に是非お礼を申し上げたく、コメントさせていただきました。
長年PTA役員を務め、このようなフォーラムや研究大会に、
数多く関わって参りましたが、
最初からずっと客席でステージを見て下さった先生は初めてでした。
当初は、
私達吉和の人間が地域をあげて応援している「吉中太鼓」も
見ていただけないだろうな、と思っていただけに、
とても嬉しかったです。
その上ブログで、
フォーラム全般のことをすごく誉めていただき、感動しています。
本当にありがとうございました。
投稿: 瀬浪悦子 | 2007/11/13 16:23:58
尾道と言えば、一度だけ行きました。正月に四国の西条へ行って、帰りに酔狂なルートを設定して、そのときに尾道に行きました。尾道の神社でお参りした気がします。
西条(予讃本線)-> 今治(フェリー)-> 尾道(新幹線) -> 岡山(ANA)->羽田(タクシー)->世田谷区
その日は雪が降っていて、岡山市内から岡山空港へ行こうとしたのですが、タクシーの運ちゃんも尻込みしていて、タクシーがなかなか見つかりません。やっと行ってくれる運ちゃんを見つけて空港に行きました。雪がかなりあって、危ない感じでした。飛行機も飛ぶか飛ばないか微妙な感じでしたが、何とか飛んで、羽田に着いたのは遅い時間。羽田で、またタクシー待ち。1時間以上待って、深夜に何とか自宅に帰りついたと思います。
投稿: 青柳洋介 | 2007/11/13 5:02:47
茂木博士の尾道紀行もこの日が最終日だったのですね。温かい人達、心和む光景に出会えて、茂木さんも本当に感銘ひとしおだったと察します。
さて私事ながら自身もつい先日、誕生日を迎え、嗚呼またひとつ「死」に向かっているんだな、という感慨を抱いた。
自分が年老いて、如何言う最期を迎えるのか、今の時点では考えが及ばないが、もし、明日にでもポックリと死んだとき、周りの人々はどんな反応をするのだろうか…ということはよく考える。
泣いてくれるのか、それとも忘れ去られてしまうのか…。
自分がこの先、はたして老年期を迎えられるかどうかも分からない。
でもまぁ、先がどうなるか、分からない人生だからこそ、その分からなさを、ササヤカながらでも楽しみたいと思う。
今の時点では私の場合、なかなかそうはならないけれど。
人生を「何があっても楽しんで生きる」為には、強い生命力、というか如何なることがあっても前向きに生きようとする意欲が、如何せん要るような気がしている。
その上で、人生が何時終わるか分からないものであることを、強く覚悟することが大切なのだろう。
閑話休題。
尾道の小中学生は本当にシッカリしているんですね…!
茂木さんも講演された現地のパネルディスカッションで、自分の言葉で堂々と、意見を発言できるなんて…!正直、脱帽です。
そして茂木さんの足型。人差し指(第2指)が前に突き出ているんですね。
見ているうちに、哲学者の足型に見えてきました…!
投稿: 銀鏡反応 | 2007/11/12 22:10:47
茂木先生
お疲れですか?
「肉眼で見えないもの」について
今日は質問させて下さい。
長文お許し下さい。
私の住んでいる所に送電線が近くを
はしっています。
うちの隣も、その二軒先も
偶然一年おきに「双子」が生まれました。
親戚に双子はいないそうです。
気になって軽く近所を調べてみると
うちの近所の送電線の近くに、
双子が四組生まれていました。
私が隣の方に「喜びも二倍でいいわね」
と言うと、
「お金も倍かかるから嬉しくない」
とおっしゃっていました。
先日また不思議体験をしました。
タクシーに乗って寝てしまい
夢で車同士がぶつかっている夢を見て
「縁起の悪い夢だから早く起きよう」
と思い目を覚ましました。
すると、その後交差点に差し掛かった時、
他の車同士がぶつかった直後でした。
また先日、大型ショッピングモールで、
やはり気持ちを伝えたいと
思った人とばったりお会いして
その方も会いたいと思っていたとの事でした。
昨夜地震がありました。
地響きがすごくて大地震かと思ったら
そうでもなくて良かったのですが、
周りにいた人達は、地響きが聞こえない
と言います。
この様な事は、ネットで調べても
敏感な人にはよくあって
科学的にも解明されて
いるのですか?
それと私、
自分や家族、気になる人の
前世やその人を守っているものや
邪魔をしているものが
わかるのです。
何もない人もいます。
ホテルやアパートの部屋や
病院や交通事故現場など、
不思議体験が色々あるので
苦手です。
このように「肉眼で見えないもの」
について
私自身が体験する事が多く
「鈍感」に生活しているのですが、
多々あります。
科学者はもちろん
人は、科学的に解明されていない事は、
信じないという方が多いと思いますが、
未来的には、解明されるといいですね。
「肉眼で見えないもの」の事、
私は、何十年も前の
中学生の頃から、
たまに考えていました。
どんな精密な顕微鏡でも望遠鏡でも
見えない物ってあるんですよね。
そして、茂木先生が、
すごく近くにいらしたのに
すれ違ってしまい、
ずっと回り道をしてやっと
巡り会う事が出来ました。
出来ればもっと早くお会いしたかったです。
実は、二か月位前夢で「白蛇」が出てきました。
「金運がいい」と大喜びをしていましたが、
金運ではなく、
私の人生を幸せにしてくれる方との
出会いのサインだったのですね。
その後先生の他にも
重要な方と出会えました。
それがまたサプライズなんですけど…
あと、違う日夢に
熊が出てきました。
あれはなんなのかまだわかりません。
ロブションのブルーベリージャム
すごく美味しいです。
他の物と比べ物になりません。
ヨーグルトの入れて朝食べてみて下さい。
疲れ目にいいですよ。
投稿: 桜美智子 | 2007/11/12 21:54:42
教育フォーラムへのご参加,本当にありがとうございました。
先生や佐々木さん,津口さんと出会うことができただけでなく,
いろいろなアドバイスを頂けたことは,私にとってとても貴重な
経験であり,大切な宝物となりました。
皆さまの包容力や,その懐の大きさに驚くと同時に,尾道をPR
していくための切り口や,その手法を考えるヒントを頂き,改めて
その必要性を感じました。
またいつか,缶ビールを片手に尾道水道の夕焼けをご覧いただき
たいと思います。
その際にはまたご一緒に,美味しいお酒と食事を愉しみながら,
尾道や向島周辺についてお話ができればと思っています。
もちろん最後の仕上げはラーメンで・・・笑)
本当にありがとうございました。
投稿: 山本 淳 | 2007/11/12 19:20:49
自分は25歳ですがたまに死について考えます。
偶有性とは確率の大小なのですか?
老人になるとその確率が増すということなのでしょうか?
投稿: おっちー | 2007/11/12 17:34:37
茂木健一郎先生
こんにちは、尾道市教育フォーラムでお世話になった山本 学です。
11月10日、11日の2日間本当にお世話になりました。
終了後、何十人の方から「感動しました」「素晴らしかったです」と声をかけていただいたことでしょう。一夜明けた今朝も、私の携帯や小学校にも何本か「よかったです」という電話をいただいています。フォーラムのことが先生のブログに書かれてます、という連絡もいくつもいただきました。
こんなことは今まで無かったことです。
先生にサインしていただいた本も、パネリストの皆さんに差し上げました。
子どもたちは慢心の笑みを浮かべて「うわー!やったー!」と喜んでいました。
パネリスト同士はほぼ初対面ですが、子どもたちはほんの短い間で、友達になったようで、お互いに手をたたきあって喜んでいました。
子どもにとってはこんなすばらしい体験は無い、と教育委員会の方々や、先生方があちこちで興奮したように話しておられました。
実は私の長男(中学2年)も、会場に来て見ていたようです。
茂木先生のお話には、胸を打つものがあったようです。
「自分は勉強に取り掛かる前に、なかなかすぐにスタートが切れない、始めると長時間集中できるのだが・・・」という質問がしたかったけど、となりに卒業した小学校の先生がたくさんいて、しかも父が実行委員長で、と思ってるとできなくなった、などと話していました(笑)。
私は、茂木先生に出会えたのを奇跡のように感じます。
「偶有性を楽しむ」という言葉は、今日以降の自分が生き方を考える際に、重要なテーゼになると思います。
フォーラムの実行委員長としてももちろんそうですが、一個人として自分にとって人生の中で数少ない、濃密な時間をすごさせていただいたような気がします。
いろいろな想いが去来して、最後は胸がつまってしまいました。
なんという素晴らしい経験だったんだろう、と思います。
またお会いできる日が来るのを本当に楽しみにしています。
先生の大好きな尾道から、ますますのご活躍をお祈りしております。
山本 学
投稿: 山本 学 | 2007/11/12 15:34:04
こんにちわ
私が、地上にあと何年生きれるのか、の、時は、盆栽や、果物がなる木でも植えて、余暇を楽しみたいと思います。(^^)
投稿: tain&片上泰助 | 2007/11/12 13:53:08
健康だったはずのひと。
「おやすみ」のあとの
「おはよう」が聞けなかった。
話しかけたくて
勇気がなくって
今度こそと思ってたら
「今度」は来なかった。
…書けない事。
いろいろな死と接するたび
わたしは揺らいで揺らいで
そして
そのひとの想いが受け継がれて
(受け継いでるつもり)
そのたびわたしは変化している感じがします。
家族の寝顔を見ながら
夜は感謝と覚悟、
無事、いつもの朝が来れば
よかった~、ありがとう~!
…不安でおかしくなりそうな時もあったけど
いまは自然にそう思えます。
死は
次は自分やすぐそばに訪れるかもしれない。
それを自覚しつつ
感謝を胸に
一度っきりの人生だもの、
日々の生活もあるし
あんまりバリバリやれないけれど、
子どものときからの夢は手放したくないナ。
投稿: たかはしまきこ | 2007/11/12 11:28:19
私より一年早く定年を迎えた同僚だった人の急逝に遇いました。好きだった山に登り、早朝山小屋を出立した直後に倒れたのです。なんとも早すぎる突然の別れでこんな同年代の死に出会ってしまうと、定年後20年くらいは生は続くんだろうなとぼんやり考えていたのですが、心に大きな区切りを入れられてしまいます。生の余地は徐々に先すぼりになり外見も老人らしくなるのでしょう。しかし私がその中に居ない世界というのがあるのだということが意識にはっきり前景化してくるとしても、だからこそ「生きられるあいだは生きなくっちゃ」という気持ちも自分のなかに出てくるのも不思議です。だれかが言っていました。「死はそれが来た瞬間になってから考えればいい」と。
投稿: 五十嵐茂 | 2007/11/12 10:21:27